武士の成立って [無断転載禁止]©2ch.net
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貴族武官か富裕武装農民かのどっちなん?
最近は双方の融合とかばっかりじゃん
"どっちもあり"じゃなくて、はっきりして欲しい >>175 >>185 ドイツ人だってナチスヒトラーのすべてをを完全否定する態度を続けてたじゃないか
なぜ日本人だけをチャンバラサムライが暴れまわるだけの誇りの無い愚劣な人種にしたがる? >>181
日本は忖度の文化だからw
今風に言うと「空気読む」ってやち 滝口、北面の武士を務めた源平は律令で保護された名門貴族から転落して、地方で力を手に入れた律令のあぶれ者。 @在地領主的武士論提唱者:石母田正
A国衙軍政論提唱者:石井進
B職能的武士論提唱者:佐藤進一
東大で教鞭をとっていた年代(石母田→佐藤→石井)からいうと、
職能的武士論の方が、国衙軍政論よりも提唱されたの早いんだな。
@ABの順だと思っていたから、これは意外だわ。 東北の狩猟異民族・エミシが武士の母体という有力な論説がこちら↓
一、エミシ消滅と入れ替わるようなタイミングで武士が現れた
一、戦術が武士とエミシは全く同じ(弓騎馬戦術で盾を使わない)
一、どちらも野戦は得意だが築城も攻城も苦手
一、初期の日本刀は俘囚(エミシ)刀と呼ばれた
一、平安初期の官軍武装と武者鎧との間に連続性が見られない
一、農民との差異とは比べ物にならないほどに言葉が公家たちと大きく違う
一、戦国武将たちの多くがエミシ顔(信玄、謙信、信長、家康)
一、後醍醐天皇から「東夷(異民族への蔑称)」と呼ばれた
武士化しなかった残りのエミシが俘囚長だった安部・清原氏で、
これらは前九年・後三年の役で完全に滅ぼされてる
そのほかにも、万葉仮名といわれた奈良時代のしゃべり方が現代とはまるで外国語のように異質だったのが
平安後期以後は格段に現代の日本語に近づいたのもこの論説の正しさを裏付けてると思う
鎌倉初期の「吾妻鏡」「徒然草」原文なんか、 もう半分以上現代日本語だしな 清原は武士化『完了』しているだろう。
桓武平氏から成衡を次期当主に迎えているし、その前代からすでに当主は桓武平氏からの招婿だったという説もある。
一方、安倍氏にしても、まさに桓武平氏、秀郷流藤原氏の両氏から婿を迎えている最中だった。
前九年役が無ければ、このまま両氏とも「源平藤橘」に父系での「表札」の掛け替えをしていったのだろう。
逆にいえば、
前九年役があったおかげで、その一世代前に関東で行われていった「表札」の掛け替えも、このようなものであったのだろう、という想像がつく。
その意味で前九年役(陸奥話記)は貴重と言える。 >>178
下示国衙軍制由来説に賛成ということですか?
385 :日本@名無史さん:2011/06/02(木) 06:24:45.42
・・・・・・・多くは国造などに系譜を持つ郡司・富豪層が健児制のもと世襲軍人化。
王朝期に国衙への大幅な権限移譲がなされ、その両者が結びついたもの(国衙軍制)それが武士。
【つはもの】武士の起源と成立について【もののふ】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1292733807/385- >>192
>安倍氏にしても、まさに桓武平氏、秀郷流藤原氏の両氏から婿を迎えて・・・・・・・・・・・・・
>「源平藤橘」に父系での「表札」の掛け替えをしていった・・・・・・・・・・・・・・・
父祖伝来の土地・郎党を女婿に譲って「表札」の掛け替えをしたら、
父祖の資産を継承できぬ息子の貞任や宗任系統は如何なる
扱いになるのですか? 悪源太スレでは、自動的に郎党に降下、と、ある有名なコテさんが言っていたような。 武官の坂上田村麻呂
坂上氏は代々鎮守府将軍や検非違使を歴任する家系になったけど
田村麻呂から七代孫になる坂上頼次も検非違使だったが、源満仲が摂津守になったときに頼次を摂津介にして多田政所の警備をさせた
その時に全国に散らばってた坂上氏をめとめあげて坂上党武家団を組織して、その棟梁となった
武官ではなく源満仲の私兵の武家団だから、この辺りから武士の流れが出来たのかと
清和源氏の裏に坂上氏の武力があった 秦氏を匂わすレスが過去スレや関連スレでは頻発していたが、
東漢氏(坂上氏)もかー! 東漢氏は新羅征討で武器の製造をしてたように、製鉄から軍事まで当時の日本にない最先端の武力を持ってきた氏族
この渡来系氏族の武力に目を付けたのが蘇我氏。武力を持つ物部氏に対抗するために、東漢氏を蘇我氏の下に置いた
宮廷や蘇我氏邸宅の警衛を坂上氏が担っていた中で崇峻天皇暗殺事件が起きる。その実行犯が東漢駒だった
暗殺後に崇峻天皇后で蘇我馬子の娘を拐ったとして、馬子に殺される。これは命令の口封じの可能性が極めて高いとされてる
それでも東漢氏の地位があるのは蘇我氏あってのものだから、乙巳の変では他の渡来系が離れるなか、蘇我蝦夷の邸宅を最後まで守ってたのが東漢氏
最後は巨勢徳陀の説得で武装解除したことで、最後の砦の東漢氏まで離れた蘇我蘇我は自殺する
蘇我氏と距離を置くことになった東漢氏は、壬申の乱で大海人皇子側に味方して、その武力を発揮する
天武天皇から直々に七つの不可(天皇に対する罪)があると言われた上で何故か許される
平城京遷都で、坂上氏の本拠地が宮中から藤原不比等邸宅になってしまうため転居せざるを得なかった
どうやら不比等とはそりが合わなかったらしく、渡来系は外へと追いやら不遇の時代に
ところが聖武天皇の時代に坂上犬養が重用されて運が開ける
犬養の子の坂上苅田麻呂は東漢氏らしくその武力で、鎮守府将軍などをそつなくこなして信任を得る
そして貴族社会に入った犬養の代からたった三代で、大納言まで上り詰める坂上田村麻呂が登場する
これは渡来系史上初の快挙で秀吉並みの出世力
とまあ、間違いも多々あるけど東漢氏という武力を持った渡来系氏族は古代史で重要なのは間違いない
坂上田村麻呂まで表に出ないけど、常に裏にいる この坂上田村麻呂はいかにも武官っぽいけど、実は文官としてもかなり優秀だったりする
文官として優秀すぎたために、子孫が鎮守府将軍なんかになるも明法博士の系統が平安京に残ったりして、軍事貴族から離れた結果、フェードアウトしていく
理由はいくつかあるけど、一番は清和源氏に取り込まれたから
>>196にあるように坂上田村麻呂以後の坂上氏で武力を持った系統はみんな全国に散らばるのよ
戦国時代に伊達政宗の正室を出す田村氏が有名だけど、全国の坂上氏をまとめたのが清和源氏の私兵の山本坂上家
この山本坂上家は清和源氏に武門を継承してしまってる
清和源氏に軍事技術を教授した結果、清和源氏が武力で台頭して来た
その後は、まあご存じの通り清和源氏、とくに河内源氏が大活躍しはじめる
武士の成立はおそらくこの辺りの流れからじゃないかなと思う
坂上田村麻呂が武官らしい武官の最後で、その後は清和源氏で武門に移り変わる
後の軍記物なんかを読むと「坂上田村麻呂、藤原利仁など武門の誉れはいた。今はこの人だ」みたいなのが多いけど
坂上田村麻呂は「毘沙門天の化身」と書かれていて遡れない、遡るには古事記やら日本書紀を引っ張り出してこないといけないからね >>198
>製鉄から軍事まで当時の日本にない最先端の武力を・・・・・・・・・・・・・・・・
何という最尖端武器なり軍事技術を持っていたのですか? 製鉄技術も既に有ったんだろうけど、
大陸との通商や、蝦夷との硬軟両面での接触を通して、絶えず断続的に最新の製鉄技術の流入があったってことなんだろうね。 >>200
「東漢氏 製鉄」でググれば色々と出てくるだろうし、触れてる本も幾つかある
東漢氏自体は百済から渡ってきたとされていて、嫡流は坂上氏が握るけど諸氏には金作氏や錦織氏がいて製鉄や機織りを百済から日本にもたらしている
面白いもので言うと、鑑定では奈良末期頃の製作とされてる清水寺の伝田村麻呂の刀は当時の朝廷の佩刀や蝦夷の蕨手刀とも違ってる
武器については丸木弓の時代に坂上氏は著公弓っていう大陸で騎馬民族が使っていた短弓を使っていた
坂上氏本家が坂上田村麻呂を祀った松尾神社で代々坂上氏が著公弓を作って将軍に献上、将軍から神社に金子やらが奉納されてた記録もある
坂上頼泰が坂上氏本家では最後の大名になるから、徳川将軍家だけはこの限りにないんだけど
坂上氏が弓馬に優れてるというのは史料に何度か出てくるけど、これは著公弓あっての弓馬の扱いだったわけ
伊治城から日本唯一の弩も出土してるけど、これは坂上田村麻呂が調達した軍備かわからん
坂上田村麻呂は軍備についてそれまでの征東と違って、出征の一年前から陸奥までの補給路の確保をしたり、東海道の軍備の増強を図っていたり入念に下準備をしてる
鎮守府将軍と陸奥守に任命されてから、征夷大将軍に任命される間の一年間の動きを残ってる史料から読みといてる本も幾つか残ってるけど相当綿密に征東計画を立ててる
軍略については田村麻呂以前と以後で朝廷側の軍事の動きの違いを調べるといいかと
副将軍の時の史料も面白いけど 対夷狄軍団地の関東って魏晋南北朝にあった流民軍団の北府軍、西府軍のモロパクリ。ここの出身武人に腐敗した朝廷と貴族が散々反乱され権力剥奪されるのワロタ 武士の本質は封建領主だよ。天皇・公家・寺社などの古代的勢力に反抗して封建社会を切り開いた革命的新興階級が武士なんだよ。 漫画、アニメ
『ずっとオレのターン』という台詞があるみたいだよ >>119
>隠居の身にもかかわらず天皇を無視して官位を授け・・・・・・・・・・・・・
平安時代の上皇・法皇は、隠居身分などではないぞ。
天皇という不自由な地位でなく天皇の後見役という身軽な
地位で治政を行う「院政」の実権者だ。
頼朝が、義経追捕の名目で諸国への地頭設置認可を
申請したのも天皇でなく院の近臣へだ。
「治天の君」・「院宣」という日本史用語を知らぬのか?
>頼朝は後白河法皇が死ぬほど嫌いだったんだろ・・・・・・・・・・・・・
政治家は、人への好悪で政治を処断しない。
頼朝が後白河を「大天狗」と呼んだのは、義経へ下した頼朝追討の院宣など
自己の政治基盤を揺るがす政敵として警戒してのことだよ。 >>41
>田村麻呂も漢の皇族末裔を称する大男だったっていうんだよなあ。
> 華北は大柄な人が多いというので、まんざら嘘でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おいおい坂上田村麻呂の本家東漢氏は、その名の通り
朝鮮半島南部の阿耶地方からの渡来人だ。
その上、劉邦の出生地の沛県(現在の江蘇省徐州市豊県)は、
揚子江の河口だから、華北ではないぞ。
学問板で、二重にいい加減なことを言うな。 >>1
武士「アムール川・樺太・北海道ルートで日本進出しました。日本原住民はチビばかりで弱いのでチョロイ」 墾田永年私財法、これが一所懸命の由来となり武士が誕生した 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
GXEHT とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
M9K 武装開拓農民同士の抗争の中で弱いヤツが強いヤツの傘下に入って、いわば杯交わして、
武士団という広域暴力団が形成されていったんだろうな 武装開拓農民はヤクザじゃない。大義名分があるが、
源氏とか抜かす用心棒稼業の輩は完全なヤクザだろ 法も国家も当てにならないのだから
開拓民であろうが自称源氏だろうがヤクザにならざるをえない 開発武装豪農と、用心棒自称源氏は
全く違うですよ
ヤクザレベルが自称源氏
そこにはなにも産み出すかちはない
開発武装豪農は、
在郷を発展にも寄与してるし
自分の財を守るのは義務でもある
ヤクザの片鱗などない 源氏や平氏の家来になった地方の武士なんてヤクザの二次団体や三次団体みたいなもの
荘官や地頭なんてヤクザの組長が警察と税務署を兼ねてるようなもの 武士は半島から天皇が引き連れて来た武装開拓者
日本の原住民を蛮族として狩っていた
しかし各地に散らばった武士は、その土地で権力者となり
お互いが争うようになる
天皇は力を失い、強い武家につくシャーマンになり果て
戦国時代には極貧状態に陥るまで落ちぶれていた ,
織田ザコナガの天下統一はまだか?
織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?
北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな 広域暴力団清和会系鎌倉組の若頭、伊豆北条組の義時組長 >>221
まあ、名門とゆわれる島津なんて、
本名は惟宗の半島系軍人だからな。
あながち間違いではない イギリスだってノルマン人やらフランス人やらドイツ人やら王族や貴族は外来系だらけだし島国の宿命だな ・奈良、京都主導の古代日本は朝鮮より下っ端の後進国
日本と朝鮮半島の歴史と文化の交流というものを考えてみますと、長きにわたりまして、日本は朝鮮半島よりも明らかに後進的な国です。
『古代豪族と朝鮮』京都文化博物館編
河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった。
(『河内飛鳥』山尾幸久・立命館大学教授)
秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます。
(「渡来人と平安京」井上満郎・京都産業大学教 そもそも藤原氏のハプロタイプはo2で半島と日本にしか世界で確認されないタイプ
まさに公家上層部から渡来人だらけ 神社の記録見れば各地に根を下ろした源氏平氏もきちんと皇室出身で自称なんてほとんどいねぇよw >>221
武士は日本人ね。源頼朝がシナチョン気質だったら皇室滅ぼす。李成桂みたいなのがチョン君だよ。 武士は日本人というのは、あながち間違いではないが
その場合の「日本人」とは新羅・百済からの渡来人であり
日本の原住民は「名無しさん」ということになる
もしくは日本列島に原生していた草=民草=人間ではない >>226
島国の者は戦わないね
「インディアスの破壊についての簡素な報告」でも良く分かる
カリブの連中は所持品を奪っても怒らない
「それはみんなの物だ」と言う
そして白人に全滅させられた
英国原住民はパンに海苔を塗って質素に暮らしていた
英国の料理が不味いと言われるが、日本の旅館の朝食みたいなものだろうか
英国と日本は本当に良く似ている
縄文人は助け合い信頼し合う共生文化なので殺し合わない
殺し合わないから武器を作らない
武器が無いから渡来人に制圧された
その渡来人というのは、勿論、隣国で定住していた連中ではなく馬賊だ
中東の方でバビロンに襲われたか砂漠化で、シルクロードを通ってきた
集落を襲いながら自然と太陽の昇る方向に進むものなんだろな
菊のご紋は菊ではなく太陽信仰の太陽だ
殺人と強姦がライフスタイルのサイコパスな彼らは朝鮮半島で王族になり
次いで日本に来て天皇を名乗り、手下の武士を使って日本列島の草刈りを行ったというわけだ >>233
お前もサイコパスだわ
日本のハプロタイプに中東の遺伝子はないことが立証されてんのに、お前自体が半島からの渡来遺伝子受け継いでんだろうなあ
願望と現実が区別できない嘘語り
お前もその半島 >>233
さらには縄文が武器持たなかったとか、
無知にも程がある
日本刀の期限も知らない
浮囚の存在も知らない
こんな馬鹿が妄想と願望で歴史語ってんのかよ、、
、、、、 ユダヤがシルクロードを通って日本に達しているのは疑いようがない
シルクロードに沿って定住したユダヤ人の集落が確認できる
秦の始皇帝も日本に神社を広めた秦氏もユダヤだ
これを否定する奴はお話にならない
日本の各地で新羅の剣が発見されている
連中が馬に乗って我が物顔で駆けずり回っていた証拠 チョンには誰がどこで何をしたのか中身の無い歴史ばかり >>236
ハプロタイプの遺伝子レベルにユダヤの遺伝子が一切検出されてないが、
お前の日本にきた秦がユダヤという根拠はなに?
きちんと答えろよ?
願望とかじゃなくて。 >>238
天皇一味の遺伝子にユダ公の遺伝子が無いというなら
ユダ公の遺伝子解析に誤りがあるってことだろう
金色の箱に二本の棒を通して担ぐというのは、日本とエチオピアにしか見られない
エチオピアはアークの箱の避難先だから当然として、
それじゃ日本の神輿はなんなんだという話になる
金色の箱には屋根があって、その上に二羽の金色の鳥が乗っている
神社は古代イスラエルの幕屋を模したものだし
日・ユそれぞれの三種の神器は一見して別もののようでも対応はつく
菊の御紋と、ヘロデ門の太陽信仰のシンボルは16枚の花弁の数まで一致
日本語とヘブライ語の共通点といい
これらを単なる偶然だと切り捨てる奴はお話にならない ツタンカーメンが日本人であることが指摘されていて、日本人の祖先が世界中に文明を築いたんじゃないかと想像する。神大文字で世界に散らばってる石版の解読がおよそできるってのも日本が起源に感じてならない。
日本語がヘブライ語と似てるのも面白いよね。言語の法則性がアジアと日本では全く異なるから、やまとことばは漢字を取り入れる前からあったのは確実だし。 日ユ同祖論とかいう言い方が間違っている
日本の中の神社朝鮮人という一部の劣悪な連中がユダヤなだけで
そんな色々な民族が日本には流入している >>240
妄想酷すぎてもはや歴史のはなしじゃない
ハプロタイプは数臆年単位ででる
絶対にあやまりはない
お前の妄想は日本書記にも古事記にも、
貴族や古代豪族の出自体まとめた新撰姓氏録』に掲載された1182姓にも一切載ってない、
あげくはハプロタイプにも検出されない
だけどいくつかの強引な共通点から、日本人はユダヤ人だと決めつけるという諸行
もはや中二レベルな だな
江戸時代に「理由なく農民を切るな」という御触れが出たということは
それまで、気分次第で農民=日本の原住民を切ったり強姦していたというわけだ
戦国時代に、農民=日本の原住民を捉えて奴隷として海外に売り飛ばすということをやっていたが
江戸時代にも一部のキリシタン大名が火薬欲しさに農民を売り飛ばしていて
徳川「金を出すから農民を取り戻せ」、と争いになったのが島原の乱だという
天皇一味(半島系)は調べれば調べるほどクズであり
江戸時代(華人系)は調べれば調べるほど素晴らしい >>245
日本の大企業の多くが三井・三菱配下だ
例えば東芝やトヨタは三井系列だ
三井の本業部分は三越が受け継いだ
三井系の東芝が技術を与えて育てたサムスンは三星だ
三菱はヒュンダイを育てた
中二レベルのお前にゃこの「三」が何を意味するか死ぬまで分からんだろう >>247
永遠に無理栗共通点編み出して永遠に言ってろ糞引きニート爺 という感じで日本の支配層の素性は必死に隠される
歴史学部を認可させないくらいに強引だ
宗教という観点で考えてみれば
全ての宗教はユダヤ教から派生したものだ
各地に広まって好き勝手にカスタマイズされただけで
明治天皇も神道はユダヤ教だと言っている
江戸時代まで仏教だった天皇は、明治から神道になって
今の皇室はクリスチャンといういい加減さだが、ルーツは同じ いやいやいやいや、何億回も言ってるが、
藤原氏も古代豪族もハプロタイプで証明されてるのに、
お前だけ、科学的根拠は詐欺で、科学的根拠の嘘によりひたかくされているという、
古来よりの池沼妄想幻覚論をひたすら主張してるだけなんだよ
先祖代々日本の底辺出自だと、こうも池沼が遺伝されるのか? 因みに明治天皇は、
先代光明帝までの北朝も偽物だと言ってる
お前がいってることを仮に事実と詐称するため、
かなり明治維新にユダヤ資本とイルミナリティが暗躍していたということでしか説明できない。 間違いないことは、
維新にユダヤ資本やロスチャイルド家が暗躍していた事実は間違いのないこと。
その際、そのように洗脳されたんだろう 意味わかんねえ馬鹿が軽々しくユダヤなんてほざいてんなよ中二病爺 ユダヤ陰謀論をほざいてるてるアフォは武士=ヤクザを認めたくないから荒らしてるのか
そこまでして武士の本質がヤクザ、暴力団だということを認めたくないのか 歴史学部を認可しないくらいに素性を隠し
大仙古墳を仁徳天皇などという実在しないものの墓だと
言い張って調査させない連中が自分たちの遺伝子情報をくそ真面目に明かすと思うか
明治天皇は百済系で、北朝は新羅系なのだから、明治天皇が北朝は正統ではないと言うのは当たり前
百済は高句麗から生まれた国だが、その高句麗に日中朝の秘密がある
つまり満州だ
満州に日中の人々が知るべき秘密がある
安倍の爺さんの岸信介や鮎川儀介らは満州にユダヤ国を作ろうとした
これは福計画と言って、陰謀論ではなく国会でも議論されていたことだ
日本国民はなぜ満州なんかを獲りに行く戦争をさせられ、
国民が飢餓状態になるまで満州に国富を注ぎまくったか疑問に思うべきだ
そして今の満州は中国の一部だが、そこの連中は激しく中国を嫌っている
いつでもクーデターを起こしてやるという状態だ
そこに日本人でも中国人でもない異質な連中がいることだけは知っておこう
そしてそこの連中が日本にもいて日本で保守派をやっている >>256
という風に維新にユダヤ資本の流入とともに洗脳されたわけだ。
ユダヤの定義は血のルーツじゃないからな。 全ては渡来系が大半の長州がユダヤ資本利用したことで洗脳させられたのがすべての原因というわけか。
なるほどな >>256
天皇本体の遺伝なんて関係ない
万世一系なんて誰もしんじていないからなお前が寝言ほざく高句麗渡来系妄想ねように。 南北朝の祖である後嵯峨天皇は百済新羅合体マンなの?どうやって南朝百済系と北朝新羅系に分かれたの? >>260
合体マンでもなければ百済系でも新羅系でもない
ユダヤ陰謀論並みの信憑性しかないので
今はまだ間に受けるべきじゃない 武士が渡来系なら蹄鉄や馬の去勢技術は普及していたのか >>261
マセソンやら伊藤などの成り立ちみればユダヤ資本は疑い用はないのは事実だろ 武士がヤクザなのは、もうわかりきってること。
それに近代幕末においても戦争となれば、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/長州征討
>>芸州戦線では被差別民が部隊として組織され長州藩の指揮下に参加しており、
>>幕府側でも弾左衛門の配下の被差別民が参加していた。
>>後に幕府はこの時の功績をたたえ、弾左衛門とその配下を士分に取り立てた。
>>また長州藩としては組織として機能したことに安堵したという記録がある。
近代でこれだ。戦国時代なんて蜂須賀だの秀吉一党はもっとなレベルだ。
それらが近世大名だからな >>264
いや、ユダヤ資本は確実に幕末に流れてるのは事実 ユダヤがどうとかほざいてるキチはおいといて
武士の本質がヤクザであり暴力団なのは紛れもない事実 だから、出自も265のとおりだろ
戦国以降の専業武士は特にそうだ 武士の本質がヤクザというよりは
無政府状態と自力救済の中世社会における日本人の気質だろう >>>269
は?
無政府状態なんて戦国時代以外は実際ない。
自力救済なんてのもそんな意味不明な秩序定義なんて存在すらしない。
戦国以前までは地域秩序がかなり形成されてる。
それは地域開発が大前提での地域秩序の維持が武装化の意義だった。
しかし、戦国時代になり、それが一転
横領が前提となり、暴力を扱う意義はもはや存在せず、もはや正当性を築く努力すら失せてしまう。
しかし、その時代に登場した輩、すなわち893レベルの階層が時代の寵児となり、社会を、暴力という手段自体を正当化したまさに暴力軍団という暴力による秩序支配を成した集団がのちの江戸武士
やつらは戦国以前の出自なんて、リアル非人層だらけだからな 滝口の武士から新皇に成り上がった平小次郎将門公最強 >>272
将門の父親の世代は武士じゃなかったの? 新皇様は自衛武装化しただけの受領、ただ武芸に秀でた普通の武士とは格が違う。
日本刀や騎馬戦法の発明者、関東に武士政権を育てる土壌を築いた真の武士。 >>273 東北狩猟騎馬民族・蝦夷が阿弖流為の首と引き換えにして
大和朝廷に破格の待遇で最強の傭兵・俘囚としてスカウトされた
これは中国大陸における匈奴と漢民族との関係に酷似してる つまり大和朝廷と漢帝国は名を取ったなら蝦夷と匈奴は実を取った形と言える
それでも度々不満をぶつけて反乱を起こす俘囚たちの上に立ち、まとめ上げる神輿となっていったカリスマが
都落ちし地方に土着するようになった大和朝廷元皇族にして軍事貴族・武家となる平将門や源義家だった
つまり将門、義家、清盛、頼朝、義経、尊氏らは
正確には武士そのものではない、貴族だ 武士団の祖先はアンチ大和の蝦夷。新皇将門は幼少期に鎮守府将軍の父に従い蝦夷と交流してたに違いない。 >>276 というより、将門の母方が「エヌカイ→犬養」という蝦夷系だった、という説がある
つまりは皇族と蝦夷のハーフ
それが真実だとすれば、将門の高い武勇も、都で
出世できなかった理由も、自ずと理解できる
どちらも‘’血筋‘’が原因だったんだな、と 阿弖流為(蝦夷) 対 坂上田村麻呂(征夷大将軍)
平将門 対 藤原秀郷、平貞盛
平忠常 対 源頼信
安倍貞任、藤原経清 対 源頼義、源義家
武士勢力を育てたのは蝦夷、俘囚関係者だったか 桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』が反響がいいみたいだな
さっそく重版決定とか、日本人は武士がお好き 平将門には多治経明がいて、血筋を辿れば多治比長野の娘と桓武天皇の間の葛原親王
源満仲には坂上頼次がいて、血筋を辿れば坂上田村麻呂の娘と桓武天皇の間の葛井親王
桓武天皇が力を入れた対蝦夷政策で将軍を輩出してきた多治比氏や坂上氏を平氏や源氏が食ったから、蝦夷が後の武士勢力を育てた 武家政権の時代の歴史家は武士の起源をどう考察してたの? 軍事貴族から発生したのもあれば、武装農民もいるだろうし、国司が子供らが任期を終えても帰らず居着いたのもいたりと、様々だろうけど、
圧倒的に多いのは古代から各地にいた地方豪族から武士に発展していったんだと思う
古代に多大な軍事力を有していた地方豪族たちがある時から武装解除をしてたとも思えないので、朝廷領、有力貴族の荘園、寺社領等々と
様々な中央の権益下に入ることによって自分たちの権益を守っていったんじゃないかな
有力貴族の荘園となると、中央貴族と主従関係も生まれ、表向きはそこの管理人という形態は取るが、実際の面子は変わってないという
だから、全国各地に源平、藤氏が増えたように見かけ上なったんだと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています