この坂上田村麻呂はいかにも武官っぽいけど、実は文官としてもかなり優秀だったりする
文官として優秀すぎたために、子孫が鎮守府将軍なんかになるも明法博士の系統が平安京に残ったりして、軍事貴族から離れた結果、フェードアウトしていく

理由はいくつかあるけど、一番は清和源氏に取り込まれたから
>>196にあるように坂上田村麻呂以後の坂上氏で武力を持った系統はみんな全国に散らばるのよ
戦国時代に伊達政宗の正室を出す田村氏が有名だけど、全国の坂上氏をまとめたのが清和源氏の私兵の山本坂上家

この山本坂上家は清和源氏に武門を継承してしまってる
清和源氏に軍事技術を教授した結果、清和源氏が武力で台頭して来た
その後は、まあご存じの通り清和源氏、とくに河内源氏が大活躍しはじめる

武士の成立はおそらくこの辺りの流れからじゃないかなと思う
坂上田村麻呂が武官らしい武官の最後で、その後は清和源氏で武門に移り変わる

後の軍記物なんかを読むと「坂上田村麻呂、藤原利仁など武門の誉れはいた。今はこの人だ」みたいなのが多いけど
坂上田村麻呂は「毘沙門天の化身」と書かれていて遡れない、遡るには古事記やら日本書紀を引っ張り出してこないといけないからね