武士の成立って [無断転載禁止]©2ch.net
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貴族武官か富裕武装農民かのどっちなん?
最近は双方の融合とかばっかりじゃん
"どっちもあり"じゃなくて、はっきりして欲しい 桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』が反響がいいみたいだな
さっそく重版決定とか、日本人は武士がお好き 平将門には多治経明がいて、血筋を辿れば多治比長野の娘と桓武天皇の間の葛原親王
源満仲には坂上頼次がいて、血筋を辿れば坂上田村麻呂の娘と桓武天皇の間の葛井親王
桓武天皇が力を入れた対蝦夷政策で将軍を輩出してきた多治比氏や坂上氏を平氏や源氏が食ったから、蝦夷が後の武士勢力を育てた 武家政権の時代の歴史家は武士の起源をどう考察してたの? 軍事貴族から発生したのもあれば、武装農民もいるだろうし、国司が子供らが任期を終えても帰らず居着いたのもいたりと、様々だろうけど、
圧倒的に多いのは古代から各地にいた地方豪族から武士に発展していったんだと思う
古代に多大な軍事力を有していた地方豪族たちがある時から武装解除をしてたとも思えないので、朝廷領、有力貴族の荘園、寺社領等々と
様々な中央の権益下に入ることによって自分たちの権益を守っていったんじゃないかな
有力貴族の荘園となると、中央貴族と主従関係も生まれ、表向きはそこの管理人という形態は取るが、実際の面子は変わってないという
だから、全国各地に源平、藤氏が増えたように見かけ上なったんだと思う さすが実戦経験者の元将校・新野先生!
・防人
防人を廃止しようという問題が起こった時に、大宰府の方では、防人が廃止されちゃうと守備力が
弱まるということを非常に強くいっておりますから、簡単にいえば非常に坂東武者が強かったという
ことしかその文章表記の上からはとれないですね。
・蝦夷
エミシの問題といえば、坂東武者はいわゆるエゾ征伐という言葉でいつも動員されているわけです。
ですから日本中でこれだけ熟練された戦闘人はこの段階では現実の問題としていなかったのです。
西日本の方では外国との戦争でもあったら別ですけど、そうでなかったら畿内やその辺では
戦争などないのですから、実戦の形態などもわからなかった。
しかし坂東の住民はしょっちゅう鎮兵として動員されまして、東北の山野を駆け巡って戦闘していた。
ですからそういう経験というものがやっぱり防人を徴集する場合に相当評価されたんじゃないか。
大体鎮兵として動員されるのは東北の人間じゃないんですね。
東北地方にだけ鎮兵という鎮守府将軍の掌握する独立兵団があります。
その鎮兵には誰をするかというと、中部地方まで行く場合もありますけれども、坂東から徴集された
兵隊なんですね。ですから平安時代の中頃になって元慶の乱という反乱が起こりますけれども、
その時でも、東北の兵隊は陸奥からも動員しますが一夜で逃げ帰っちゃいます。
どうにもならなくなって、やはり特別に動員されたのは関東、中部地方の精兵です。
(新野直吉、秋田大学名誉教授、日本古代史、東北地方史) たぶんはkっきりしないのは具体例を知らないからだよ。
鎮西将軍とかになって西日本の地主(家臣)ができたじゃなくて、
武家貴族には地盤になる地元があって奈良時代から一生懸命開墾してた
農民の地主(家臣)がいて、そういう地盤がある人が平安時代になって
反乱が起こると活躍して、鎮西将軍に任命されたりして、
平氏と繋がって源氏に負けて、でもやんごとない身分なので細々と家が続いて、
江戸時代になって元家臣は地元に入ってきた大名に取り立てられました 土佐! 壬申の乱でも周辺の豪族がいて戦った。
当時武士とは言わなくてもそうやって武装してたの。 いまでも労働者はいる。
その疑問ってじゃあどうやってたとえばトヨタはできたの
ホンダはできたのってことで、できた歴史はそれぞれ違うでしょ。
国としての必要が先にあって財閥由来でできた会社もあれば
本当にゼロからできた会社もあるだろうし。 >>288
この新野という東北の田舎者は全然わかってねえな
近代ではあるまいし、そんな大昔では治安維持での武装と軍事における武装とはほぼ同じで両方兼ねてる
それに蝦夷なんてのはそもそも生産力、繁殖能力に乏しく、数自体が少ない
そんなのを相手に大規模な軍事戦闘を軍事スキルが上がるほど日常的にやる機会もほぼない
西日本のほうが人口が圧倒的に多く、当然、地方豪族も多くて兵も多い
東西どちらでも起こりうる実戦と言えば、散発的に起こりうる治安活動よ
防人は白村江で出兵した多くが西の豪族だったので、その軍事力が削がれたので対外防衛目的が生じたのと
それを口実に力が削がれてもなお強大な西の豪族を抑えるために行われたもの 平城上皇も東国で再起して朝廷転覆狙ってたし、東国は朝廷の支配が及ばないパワーがあった。 平安末
尾張系京都伊豆人源頼朝「日本一の猛者といえば武蔵国住人熊谷次郎直実」
藤原摂関家出身の慈円「武蔵国住人畠山重忠最強伝説」
鎌倉
最強鎌倉武士「下野の足利忠綱怪物伝説」
徒然草の吉田兼好「相州鎌倉住人安達泰盛こそ武士中の武士」
南北朝
武蔵武士系河内国住人楠木正成「ガチンコ決戦なら武蔵相模の二国>その他オールジャパン」
戦国
剣豪将軍足利義輝「剣日本一は上州の上泉信綱、西国一は肥後の丸目長恵」
奈良興福寺「やはり甲斐越後が最強」
三河者の武田家軍師山本勘助「関西侍は下の下」
戦国最強甲斐侍「関東武士は馬上戦闘&長刀、関西武士は下馬戦闘」
越後の豪族北条氏「畿内、中国侍は町人似の弱兵」
尾張の太田牛一「馬上巧者の関東衆西上野小幡党」
宣教師フロイス「島津軍は弓が多く長刀を巧みに操る」
近江の名族京極「西国最強は九州立花」
薩州島津家当主「信州真田兵が日本一」
ミスター三河武士大久保彦左衛門「上方奉行は口だけの腰抜け」
幕末
江戸本所の暴れん坊勝子吉&信濃の最強力士雷電「江戸の平山先生最強伝説」
豊後中津の天才剣士島田虎之助「幕臣男谷先生を筆頭に江戸の剣客は強すぎる」
陸奥の大剣豪千葉周作「江戸の高柳先生や男谷先生には生涯勝てない」
江戸の幕臣勝海舟「白井(江戸人)の剣は神の領域」
近代
東京出身の文豪芥川「千葉の山田次郎吉先生が最強」
水戸の高野茂義&岡崎の三橋鑑一郎「天下第一の名人は栃木鹿沼の下江先生」
別府の堀「水戸の門奈正最強」
京都の大日本武徳会「技の水戸人門奈、気の水戸人内藤」 >>295
公家化した武士だろ
平家や足利家、豊臣家への蔑称 朝廷って天皇がいて、政治家や官僚がいて、
一番偉い政治家や官僚は藤原氏だけど
他にもいっぱいいて、地方の豪族が官僚やってて
地方に基盤があって、武士団とまではなってなくても
ほら墾田永年私財法って身分で持てる田んぼに制限があるから
やんごとない貴族に寄進して管理者になったりして。
だから、平安時代になって武士団ができた時って、
もうそれより前から地元に一族があるの。
ちゃんと平安時代の家臣団の名簿とかもあってね。 逆に言うとそのくらい昔から一生懸命鍬持って開墾しないと
戦で負けた後にやってきた大名に、うむ、おまえは地元に詳しそうだな!
っつって下級武士に取り立てられることもできない。
後から養子とかで下級武士になった人はいるんだろうけどね。
だから下級武士って変なの。
めっちゃ歴史が長い、その家柄が残ってる由緒正しい農民なのね。
たぶん偉い武士よりも、その他の百姓よりも日本に 日本の、
あー日本人!っていう意識? それがね。ストロングスタイル。 下級武士って変なんだよ。
まず誤解があるけど給料、貧しいイメージばかりあるけど
割と農民と同じくらい。むしろ農民よりも給料はいい。
それで仕事がない。これ有名でしょ。1ヶ月に出勤が3〜4日とか。
それで農民よりいい給料もらって、釣りやったり酒飲んだりして。
あんま農民と変わらない。
変なの! 下級武士ってさ、戦で負けた側の人が取り立てられた
地元のことがわかるからね、そういう人も多いと思う。
それで戦で負けて月3〜4日出勤して農民と同じか
それよりいい給料だったりする。
変なの。 まあ下級武士になるにはいつ武士になったかは別にして
かなり昔に頑張って地主になって命も掛けて戦わないとなんだけど、
負けてその生活ってさ。むしろ負けて下級武士目指そうかなって思うよね。 農民扱いだけど、自ら耕す必要ないくらいの地主で、開墾とか用水掘削でリーダーシップ取るようなヤツらが親戚や村の衆を組織して自警団作ったのが始まりなん? >>301
嘘ばっかこいてんじゃねえよ
負けたがわが下級武士選んだケースなんて、地侍クラスにはほとんどいない。
それに、下級武士が仕事なく百姓より金もらえてただ?
その大嘘はなんの目的だ?
幕臣の下級武士たる御家人層ですら、
あまりの困窮に江戸初期の御家人だった家の八割が江戸中後期には御家人株売り払ってんのに、
お前の無知で意図的大嘘はもはやわざとレベルだ。 >>302
なんでそんなに下級武士が恵まれてんなら、
明治になって
大半が屯田兵だの娘の身売りだらけだったのはなぜだ?
土地もない、財産もない、仕事もない、身寄りもない、なんにもなかった下級武士が明治に露呈してんだが。 下級武士が貧しかったってのは一方的な見方だよ。
農家の最低は10石、年貢取られて最低は6石だけど
6石以下の下級武士なんていないと思うよ。 仮に一番貧しい自作農と同じ6石だったとして、
仕事は月3〜4日だよ。そんな恵まれた仕事ないよ。 身売りだらけ?そんなの聞いたことないし、
イメージとしては西南戦争のイメージなんだと思うけど、
あれも嘘だよ。西南戦争はエリート層も参加してる。 >>308
おい、歴史にわかの中二野郎
仕事と呼べる仕事なんか3日すらねえよ下級武士なんか。
あんのは上士からの私的な隷属奴隷仕事だ馬鹿が。
福沢諭吉の自伝読めや
毎日毎日上級武士から犬猫のように扱われる日々。人として扱われず。
屈辱と侮辱の日々だと綴られた日記を。
なめてんのか?
しかも貧困農民と同じレベルの収入が、一家食わしてけるとおもってんのかボケが >>309
だから、知らねーのはお前が無知なだけだからだろ。
知らねーならロムってろ屑が。
明治の女郎やなんて多いし、
分かりやすいとこなら、富岡製糸場
あそこは下級武士の娘が売られた場所 429名無しさん@1周年2019/04/10(水) 00:58:34.61ID:dDe9Z36q0
福沢諭吉は日本人売春婦を世界中に輸出することを礼賛した人物
実際はほとんどの婦女子が騙されて輸出された
こんな人物紙幣にしてるなんて日本はキチガイそもそも 江戸時代の武士が上も下も困窮したのは支出が収入と同等あるいはそれを越えたから。
そこが武士と農民の違い。「じゃあ、支出を抑えればいいじゃん」というマヌケなつっこみには
「それが出来なかったから幕末までずっと貧しかったわけで」としか答えようが無い。
それに、6石の収入がある農民つーと、武士で言うと家禄十五石ないし十五俵。
>>308
足軽なら三両一人扶持がいるから、余裕で家禄15石以下だぞ。 >>313
そんとおりだが、
下級武士ごときに大名や旗本のような対面保つ面子支出なんてねんだよ
そもそも下級武士の意義や意味を理解してんのか?
逆に、なら、庄屋や名主はたかが百姓だが、
村内の事業費はかなり庄屋の財力の担保があっての役回り
たかが下級武士程度の支出より何百倍も要求されるが、それが理由でつぶれましたなんて家は早々ない。
なぜならその支出に見合う歳入がある、すなわちそれくらいプライマリーバランスが高い役宅、すなわち比例した権威や権限があるからだ。
下級武士は、たいした支出もない分際でプライマリーバランスが崩れているのは、
それくらい役としての権威や権限が収入と比例しないからだ。
こんなの基本だぞ >>311
多いって、どこにデータあるの。
それにそれ工場で売られたわけじゃないでしょう。
散々人を罵倒した挙げ句に印象に嘘もあるってなんなの。 福沢諭吉の自伝読めや
毎日毎日上級武士から犬猫のように扱われる日々。人として扱われず。
屈辱と侮辱の日々だと綴られた日記を。
福翁自伝にそんなこと書いてあったっけ。どこさ。 あと足軽は普段は農家だよ。
下級武士も、というか武士が禁止されてたのは商業だけ。
武士が戦争経済やり出したら軍産複合体の問題と一緒で
大変なことになるからだろうけど。
下級武士も農業やっていい。
最低限農民と同じ給料がありながら暇で農業や内職やって
極貧なんてないよ。 福翁自伝なんて下級武士のおおらかさがそのまま出てると思うけどね。
どの辺りでそう思ったの。 あと自作農は貧困農民じゃない。貧困したのは小作農だよ。
2・26事件の原因だって財閥が悪い政府が悪いと印象持たせようとするけど
実際は凶作なのに地主が小作からきっちり年貢取り立てたのが娘を売ることになった
原因だそうだから。全然責任転嫁してるだけ。 1人でやれる限界が10石までで、
年貢4両+小作料1〜2両。年収は4〜5両。
なんとかって感じじゃない。
こういうのもきちんと考えて少なくとも江戸時代は
決められてたから生活できないほど極貧なんてない。
むしろ調べてるとよく考えてたんだなと思うくらいで。 >>310
人を罵倒するほど知ってる風でもないけどどうなの。 >>1
有力農民が土地を守るために武装したのがはじまりだよ History of the Samurai: Outsiders to Legends - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cKyEkgf_Z5A
「サムライの歴史:アウトサイダーから伝説へ」てことで突っ込みどころ多そうなんだけど、
「"Ghost of the Emishi" が "Japanese Sprits" の核心と言われてる」ってそうなの?(2:14)。太刀の原型や戦術の影響受けたりしてるんだろうけど。 いらっしゃいキャンペン観戦で大阪民国の土人ヒーハー ρ(ーoー)♪
あなたも私もアベコロナ
あいつもコイツもアベコロナ〜 ♀_(`O`)♪
なにわ武士だよ
まあそのう〜
よっしゃよっしゃあ そもそも、一般庶民の力では永年私財の対象になるような規模の開墾なんかできない
あれって、用水路引いたり、未開の土地を新規開墾したりしないとダメで、用水路の新設なしだったり荒廃田畑の再開墾だったりしたら短期所有しか認めてもらえないんだよ
国司として赴任した下級貴族か、大規模な寺社か、はたまた郡司の一族のものじゃないと絶対に無理
たぶん、一番メジャーなのが旧郡司系ではないのかな
そういうのが現任国司とかの有力者と結び付くとこから武士が始まるのではないかと >>1
武装農民説はマルクス主義の色眼鏡に起因する幻想 >>332
ナニワ武士っつうと、摂津渡辺の渡辺党とか河内石川の河内源氏あたりか?
頼朝の祖父が河内源氏だよな? たしか父親 源義朝の出身が、河内源氏のはず ◇本朝食鑑
馬は奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。
近代九州に稍良い馬がある。就中薩洲の産が高大強捷で関東の産に劣らない。
あるいは、古来よりこのようであったともいわれている。
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(__)11
1:肩ロース 6:ヒレ
2:肩 7:ランプ
3:リブロース 8:そともも
4:ばら 9:テール
5:サーロイン 10:すね
11:贅六 >>333
上野国新田荘を開拓した源義康・新田義重親子は
軍事貴族だが国司として赴任した下級貴族でも
郡司の一族でもないよ >>337
自己訂正
源義康・新田義重親子-->源義国・新田義重親子 >>304
そう言う成立もある、そう言うのは大地主も兼ねてたりするから金持ち
寺院や貴族のボディガードみたいなのから始まったり、他の地主への賊軍、ブローカー(商人)の武装組織みたいなのから始まったのもあるのかなと。出現した理由は様々だから難しい。 武士の急な出現は「日本国王府」を知っていなければ・・・・ 関係ねーよ。武士そのものが遼朝すら知らねーもんwwwww 律令貴族の本体公家の始祖は魏の文帝。武家の始祖は公家や位階の影響力を排除した頼朝公だぞ。
しかし武家の本質は律令貴族の一部だから、清盛や義満や秀吉のように朝廷最高職太政大臣になって公家化する場合もある。 橋下摂津守「学力もだめ、体力もだめな大阪の幕末維新、どないなっとんねん」
【幕末の学問】
『コンサイス人名辞典日本編』に採録された文人の出生地(教育社歴史新書84p57/塚本学/信州大教授/福岡県出身)
1801年〜1850年 ※江戸出生の大名は江戸生まれの人数に含まない。
江戸生まれ 73人
京都生まれ 11人
大坂+堺生まれ 5人
長崎生まれ 6人
その他 326人
幕末の大阪府は長崎市以下…
【幕末の武芸】
江戸(東京都区部)出身の幕末剣豪 → 男谷信友、勝子吉、寺田五右衛門、白井亨、高柳又四郎、千葉栄次郎、伊庭八郎、榊原鍵吉、山岡鉄舟…その他多数
埼玉郡(埼玉県東部)出身の幕末剣豪 → 秋山要助、岡田十松、戸賀崎熊太郎、中村万五郎
肥前国(長崎県)出身の幕末剣豪 → 中村一心斎、高尾鉄叟、渡辺昇
五畿内(大阪府+京都府+奈良県+神戸市)出身の幕末剣豪 → なし
幕末の大阪府は久喜市以下… >>334
地方豪族と上層農民が開墾地を護るために
武装したのが武士の起原。 武士の本質は封建領主。朝廷、公家、寺社等の古代的勢力を在地領主制を発展させながら掘り崩していった革命的階級が武士。 ┏━━┓
┃ ● 〜
┃ 天 〜
┃ 誅 〜
∧∧ ┃ 〜
<二━━━O━━━━━ロニニ>
∧,,∧(゚Д ゚ )]ミ
/・ ・ )Oニ)<;;> この槍くらえ!
/ ノ lミliii|(ヾゝ
(o_o,イ__ヽ´|(__) ノ~⌒)彡エラ張り一族め
ノllllllllヽ| | ̄ノl ノ
/ /~ヽ ノ'''''''~ヽヽ\ヽ_バババッ
ヽニフ|_| (_/ ヽ ドドド〜
(_ヽ 上層農民ってのは、マルクス主義を前提に想像された架空の存在
ろくな元手もない農民が開墾して荘園を開く可能性などゼロ >>1
桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす――混血する古代、創発される中世」
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物足りない
2019年1月2日に日本でレビュー済み
武士が、特に河内源氏や伊勢平氏がどのように生まれてきたのかは系図からも明らかなように皇族と地方の豪族との融合に寄ることはこのような本を手に取る人にとってはよく分かっていることだと思います。この本は極論を言えばそれ以上のことは書かれてません。
もちろん、受領と王臣との力関係や、平氏の血脈の新規点など興味深い点はありますが「武士の起源」に迫るものではありませんでした。 >>352
武士は存在したのか
H郷とかiso田先生によれば大名の家臣団は「士分」と「凡下」に分けられ「士分」にのみ苗字帯刀乗馬が許されていた
「百姓名簿」には村方役人や農家の氏名が記されている
江戸時代の刀屋は身分で販売していたわけではない
地方領の家臣役人名簿は「御家人帳」
農家と御家人の家は三間取り
中央に居間、左右に寝間2つと土間台所
そして例外なく馬小屋が付いている 伝承の中の武士。俵藤太、藤原利仁、源頼光などは、少年漫画や学研の学習などで馴染みのある存在だったな。
桃太郎、金太郎が低学年のアイドルとすれば、彼らは高学年のアイドルだったな。
なんで今の若い奴は、なんも知らんのん? 起源的にはヤマトの軍隊を司った物部氏が武士(もののふ)の初代 >>357
もののべ(物部)→物の部→もののぶ→もののふ
てか? >>361
いや、ゼロだよ
既存の用水路を流用した開墾とか、かつて田畑だったのが荒廃しただけの荒廃田の再開墾とかは本人死後には没収される建前で荘園化できないんだ
用水路の開拓から新田開発して荘園作るには、かなり多くの人を動員する大規模開墾が不可欠
国司か郡司か大寺社でもなければ、ほぼ無理 >>362
なぜ、一代で上層農民が成立する前提なの? (建前上)区分田は世襲できないし、
永年私財の対象となる新開発田じゃないと荘園として認めてもらえないことになってる(から、荘園整理令の対象にされる)じゃん >>364
例えば有力農民がどうやって成り上がっていくかというと
農地経営に長けた者が公有地(名田)の経営を請け負い、
決められた税を納付さえすればあとの収穫は自身の取り分となるという仕組みを利用して富を集積するわけでしょ。
その富を元手として貸付(私出挙)などを通じて労働者を集めさらに開墾地を私有地(荘園)として勢力拡大していくわけだから
荘園を作れないから有力農民になれないというのはちょっと違うかなと。
(もちろん受領や郡司、寺社が開発する荘園もある)
別に荘園として成立させても安泰というわけでもなくて、
国衙との紛争や隣地の荘園主が中央貴族に訴え出て負けたら容易に権利を剥奪されるような時代だったわけで、
だからこそ中央の庇護を求める寄進地系荘園が増大したり自力救済の武力として武士が求められたといえる。 まあ実際には農地経営に長けた者ってのは基本的にはノウハウやコネのある在地豪族の出自であって零細農民が成り上がるケースが少そうというのは同意するけどね >>365
ノウハウだけじゃなくて元手もないと、そもそも雇ってもらえないだろ >>367
生活に窮した農民が逃散することによって公地公民が崩壊したということは
逆に逃散せず自活してる農民は生産性の高い農地経営を実現できている有力農民の素質がある
そういう農民を活用したのが名体制であり
時流に乗った有力農民が開発領主として成長し そもそも古代には、種籾や農機具すら領主(郡司とか)からの貸与品で農民所有じゃないのになその上、年間100日ぐらいの労役に駆り出されるので、農閑期も忙しいんだ
個人で開墾なんてできないよ 個人が開墾した土地(割と小規模)を租税逃れのために貴族や自社に寄進したのが寄進地地系荘園だ そういうのは、何らかの集団の長など、庶民だけど徒手空拳じゃない人だろ >>373
個人の才覚を否定してたら豊臣秀吉なども説明できない 何なら普通に会社の社長でもある
そういった分業が中途半端で属人的(というより属家的)なのが中世の特徴 >>371
身分的には浮浪でも、たいていはその集団の長とか特殊な出自だろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています