私兵はなかなか難しいな。
武士が一定の私兵を擁していたのは事実だろう(官庫だけで兵力を維持できたか)。
また、その私兵を擁する人を「武士」と呼ぶのはいいとしても(※そういう人全員が武士と言ってるのではない)、
その私兵自体を武士の一環と見なしてよいか、武士とは見なさないかの問題はある。
田村麻呂はさすがに昔過ぎるので除外するが、前九年・後三年合戦(1051〜86だから平安時代中期以降)の

1)源頼義・義家・義光
2)三浦為通、鎌村景正(権五郎)、頼義・義家に従った佐伯氏・陸奥金氏(コンと読む)など
3)安倍一族、清原氏

たぶん1〜2)はわりと武士と見なされてて、3)はあまり武士と呼ばれないと思う。
平安時代の朝廷尺度で「侍」とは、国司にはならないで、そのやや下で貴人を警護する人のこととか。
となると、1)頼義・義家は国司なので「侍」と呼べず、「最も武士らしい」と言えるのは2)となる。
出羽清原氏は鎮守府将軍などやってるので、武士と見なすならば、武士としては上層に属する人たちと言える。
安倍・清原・奥州藤原氏はいずれも姻戚から見てもけっして下郎ではない。
1〜3)は後の時代尺度だと、大名とかその配下の有力家来ぐらいだろう。
となると、武士としてはけっこう上の方になるので、彼らを武士と呼ぶのはいいとしても、
その下に属した郎党などを武士と見なしてよいかが問題になる。