邪馬台国畿内説を批判するスレ [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:47:06.37
けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

2日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:48:59.40

3日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:49:28.13

4日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:49:43.28
おめ

5日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:50:35.81
>>1
この板に邪馬台国スレいくつ立てれば気が済むんだ

さっさと削除依頼出してこい

6日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:51:22.07
あけおめ

7日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:52:49.83
ゆるりと進めましょう。



暦の渡来
暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わりました。大和朝廷は百済(くだら)から暦を作成するための暦法や天文地理を学ぶために僧を招き、飛鳥時代の推古12年(604)に日本最初の暦が作られたと伝えられています。

8日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:53:03.30
邪馬台国は九州

9日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:53:37.20
また微妙なスレ立てしたなぁ。
まぁ、本スレが立つまでのツナギにはなるかな。

取りあえず開けおめ

10日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:53:55.83
明けましておめでとう

11日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:54:15.56
おめ

12日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:55:49.57
神社のおみくじは和歌

13 【大凶】 2017/01/01(日) 00:57:06.68
おめ

14日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:58:09.32
邪馬台国は平原

15日本@名無史さん2017/01/01(日) 00:59:49.28
畿内説は脳の病気です。病院へ行くことを勧めます

16日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:02:44.49
そもそも、「畿内説」って言うのがないのだが……
村おこしか何か知らないが、無理やり説を作るのはヤメレ

17日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:03:19.92
おめでとう

18日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:06:33.61
倭国大乱は九州勢と近畿勢の主導権争い
この争乱崇神が主導権を握るけど
卑弥呼は九州勢側の王

19日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:10:07.16
鉄出ない近畿

20日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:10:31.75
おめ

21日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:11:45.40
けましておめでとうございますwww

22日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:13:51.42
昨年は畿内説の完全勝利だった。
今年も畿内説の完全勝利だろう。

23日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:14:49.83
1 ◆q8leUXpsw.
この方が荒らすと思いますよ。

24日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:15:36.61
昨年は九州説の完全勝利だった。
今年も九州説の完全勝利だろう。

25日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:16:13.91
あめおめことよろ

26日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:16:24.63
けましておめでとう

27日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:16:30.19
>>22
妄想乙

>>1
スレ立て乙です。

あけましておめでとうございます。

28日本@名無史さん2017/01/01(日) 01:18:35.47
けましておめ

29日本@名無史さん2017/01/01(日) 02:50:29.99
∩     ∩
ヽ彡 ⌒ ミ/ 
 ( ´∀`)  はげましておめでとうござまーす
  |   |  
⊂______ |
     ∪

30日本@名無史さん2017/01/01(日) 03:11:15.95
新年早々日本語のおかしなスレ主がいると聞いてやってきました

31日本@名無史さん2017/01/01(日) 03:17:03.14
>>29
毛増しておめでとうございます

32日本@名無史さん2017/01/01(日) 08:07:21.04
伊都が斎(いつく)ための国であったならば宗教的な権威をもっていた可能性が高い。

そうなると、皇室には古代より伊勢に斎王を派遣してきた歴史があるが

その皇室の慣習も伊都国に求められることとなる。

33日本@名無史さん2017/01/01(日) 08:58:27.80
>>32
伊都がいそしむための国であったならば、おべっか使いの性質をもっていた可能性が高い。

そうなると、皇室へは古代より各国が庸役の労働者を派遣してきた歴史があるが

その皇室への奉公の慣習も伊都国に求められることとなる。

34日本@名無史さん2017/01/01(日) 10:46:24.22
畿内説なんて批判する価値もないw

35日本@名無史さん2017/01/01(日) 11:26:42.28
>>34
では、畿内説関係の諸スレにはこないでくださいね

36日本@名無史さん2017/01/01(日) 11:56:21.11
>>32
皇室の祭祀は天の岩戸より現代まで、阿波の忌部が営々と営んでいるのはなぜか?
北部九州の伊都?  なにそれ?

37日本@名無史さん2017/01/01(日) 12:21:16.14
>>32
これは面白いですね。
卑弥呼が伊都にいた斎宮という可能性もあります。

38日本@名無史さん2017/01/01(日) 12:28:49.88
まったく無い。

39日本@名無史さん2017/01/01(日) 13:34:04.37
議論の結果畿内説敗退

40日本@名無史さん2017/01/01(日) 13:44:01.27
>>39
誰と誰がいつ何処でどういう議論したの?

41日本@名無史さん2017/01/01(日) 14:38:51.87
邪馬台国畿内説の要旨
@纒向遺跡は巨大祭祀空間であり卑弥呼の宮である
A箸中山古墳は巫女王墓であり卑弥呼の墓である
B奈良県に古くからあったヤマトという地名が邪馬台に一致する
C畿内第X様式、庄内式、布留式土器の北部九州からの出土が畿内と北部九州の片務的関係を示唆する


以上叩き台です

42日本@名無史さん2017/01/01(日) 16:59:53.82
>>41
根拠なし

43日本@名無史さん2017/01/01(日) 17:11:09.92
>>42
「根拠無し」だけでは芸が無さすぎ 対案を出せ

44日本@名無史さん2017/01/01(日) 17:52:24.75
叩くためにあえて載せてあるわけだから、具体的に問題点を挙げないと。

45日本@名無史さん2017/01/01(日) 18:07:33.16
邪馬台国畿内説の要旨
@纒向遺跡は巨大倉庫であり卑弥呼の宮ではない
A箸中山古墳は阿波の豪族墓であり卑弥呼の墓ではない
B奈良県に古くからあったオオヤマトという地名は邪馬台に一致しない
C庄内式、布留式土器は畿内第X期東阿波型土器(薄型軽量土器)の伝播を示唆する

46日本@名無史さん2017/01/01(日) 18:19:08.01
>>45
根拠添付なし

47日本@名無史さん2017/01/01(日) 21:47:00.08
>>45
それ邪馬台国畿内説の要旨ではないね
邪馬台国畿内説批判の要旨では?

48日本@名無史さん2017/01/02(月) 00:43:59.60
>>45
>@纒向遺跡は巨大倉庫であり卑弥呼の宮ではない

桃の種が大量に出たことを見ても、桃を含む
各種の倉庫であることは間違いないでしょう。

でなければ2000個の桃の種などが出る理由がありません。

49日本@名無史さん2017/01/02(月) 05:41:34.75
古事記に「近淡海之御上祝以伊都玖、天之御影神之女、息長水依比賣」 とある

50日本@名無史さん2017/01/02(月) 05:54:14.81
天之御影~は
天津彦根命の子(天照大神の孫)。鍛冶の神である天目一箇神と同一神とされ、日本第二の忌火の神とされる。

51日本@名無史さん2017/01/02(月) 09:13:07.43
議論の結果畿内説敗退

52日本@名無史さん2017/01/02(月) 09:31:28.50
議論した形跡なし

53日本@名無史さん2017/01/02(月) 09:42:29.22

54日本@名無史さん2017/01/02(月) 11:15:50.18
>滋賀・稲部遺跡:大規模な鉄器工房遺構

三上山と言えば、伊勢遺跡の付近だが

鉄器工房の稲部遺跡は彦根か

米原の息長はさらに北方にある

祝(ほうり)の権威がすでに広域に渡っていたことが分かる

しかし、三輪や三上のように山岳信仰は標高の高さと無関係に見える

今でこそ伊吹山に目移りしてしまうが当時は三上山に権威があったのだろう

55日本@名無史さん2017/01/02(月) 11:22:54.25
纏向には鉄器が皆無だから
滋賀北部の鉄器工房は纏向とは無関係であることが
考古学的に確定した

となると稲部遺跡の鉄器工房は丹後半島から南進してきたわけで
その原材料入手ルートを辿ると北部九州から東向きに伝わったことが確定

56日本@名無史さん2017/01/02(月) 11:29:42.92
たしかに考古学って凄いよな
作者の意図とかネタ元の信頼性とか検証しなくちゃいけない文献史料とちがって
考古学遺物ははっきりとした真実だから
個人の解釈とか説とかを寄せつけずに直接に結論が導かれる

57日本@名無史さん2017/01/02(月) 11:33:58.40
議論の結果畿内説敗退

58日本@名無史さん2017/01/02(月) 11:50:12.46
畿内説敗退が考古学的に確定した

59日本@名無史さん2017/01/02(月) 12:11:52.34
>>55
そのとおり
滋賀の神社は丹波とは鉄で結びついていてタタスミといった神がいて
とりわけオオナムチを祭神とした神社が多い
つぎにはヤマトタケルのような大和王権の中でも非主流の神社も多い
元来、日本海とのつながりの方が強かったのだろう。
ヤマトタケルの別名である、ヤマトオグナのクナは狗奴国と関係しているかも

60日本@名無史さん2017/01/02(月) 12:20:25.22
纏向宮を作ったのは阿波から先行した円形周溝墓グループで
ホケノ山箸墓が神武に当たる第三次くらいの征服者だろうな

纏向を本格的に占領した初代支配者が崇神

61日本@名無史さん2017/01/02(月) 12:25:42.99
崇神時代の四道将軍の侵攻経路も操作されているよね

神武が東征してきた同じ瀬戸内海ルートを
丹波道主命が逆に引き返しているのが矛盾している

史実としては神武が畿内に突破口を開いたところで
吉備津彦命が吉備から東進
丹波道主命が丹波から南進(稲部遺跡の鉄器工房)
以上2つが、土器の流れや古墳建設の流れに合致

奈良を制圧してから
まず大彦命将軍が日本海ルートでさらに東征(会津まで)
その数年〜数十年後に息子の武渟川別命が次の将軍に任命されて東海道ルートで東征(会津まで)

62日本@名無史さん2017/01/02(月) 12:53:41.60
神武が東征してきた同じ瀬戸内海ルートを
丹波道主命が逆に引き返しているのが矛盾している

神武が東征してきた同じ瀬戸内海ルートを
○吉備津彦命が逆に引き返しているのが矛盾している 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)

63日本@名無史さん2017/01/02(月) 13:40:00.11
吉備津彦命と崇神は古墳形状が同一であることから
同一人物とも言われているね

だとすると
神武=崇神=吉備津彦命が東征してきたとも考えられる

64日本@名無史さん2017/01/02(月) 13:49:38.27
丹波道主命は婿に入ったヒコイマスとオキナガ氏の子なので
近江が地盤。奈良にいなくてもおかしくはない。

65日本@名無史さん2017/01/02(月) 15:29:00.89
>>49
伊都玖

66日本@名無史さん2017/01/02(月) 15:36:36.16
>>64
近江は筑紫や出雲など日本海文化圏の一部。
奈良は関係ない。

67日本@名無史さん2017/01/02(月) 21:32:15.43
桃は祭壇に供えたもの。

68日本@名無史さん2017/01/02(月) 23:01:52.62
>>59
素晴らしい考察だなー。違和感がないよ。参考になるなー。

69日本@名無史さん2017/01/02(月) 23:04:28.40
桃から酒を造ってたんだろうなー。糖度の高い果物からは容易に酒が作れる。大量に種が出るなら間違いない。

70日本@名無史さん2017/01/03(火) 09:48:21.54
酒は桃からだけか? やり直し!

71日本@名無史さん2017/01/03(火) 10:06:00.86
米は麹で糖化しなきゃならんから
若干難易度が高い。

熟すと高糖度の果汁になる果物は
酒にしやすい。

風味付けだけじゃなくて、
中国には桃から作った酒がある。

72日本@名無史さん2017/01/03(火) 11:08:48.12
で、ヤマト朝廷に繋がると主張する纏向から桃の種が大量に出るわけだが
記紀に桃酒は出てくるのかね?

73日本@名無史さん2017/01/03(火) 11:35:21.21
子どもみたいに桃がーとかアホみたい
他に言うことないの?

74日本@名無史さん2017/01/03(火) 12:15:16.29
昔の桃は甘くなかったから酒にはならん
熟しても糖度はたいして上がらん。

75日本@名無史さん2017/01/03(火) 12:47:49.98
>>72
そうなのよねー。オロチに呑ませた酒はなんだったのか。黄泉の国でイザナギがいざなイザナミに投げたのは桃だなー。遺跡を見ると出雲に近い岡山あたりにも桃の種が出るみたいだから手名椎足名椎が用意した酒はもしかしたら桃酒かも。

76日本@名無史さん2017/01/03(火) 13:54:32.86
畿内説には説明できない弱点が多いのですが、
その中でも以下の3点は決定的です。

・邪馬台国のライバル国である南の狗奴国の説明
・東の海を渡った所にさらに倭種の国
・邪馬台国に属する国は30ヶ国

畿内説邪馬台国は畿内から九州までを含む全域を支配しているのに、
そのような大国に対抗できるライバル国が存在するのでしょうか。
また、東の海を渡るとはどこの海を指しているのでしょうか。
さらに、伊都国、奴国、不弥国と現代の市町村レベルサイズで
既に5-6ヶ国の記載があるのに、西日本全体で30ヶ国を想定するのは無理です。

それが九州説であれば、狗奴国は熊本の事、
東の海を渡るとは当然、豊後水道でさらに倭種の国は四国、中国。
邪馬台国が福岡県サイズとすれば、30ヶ国の数は適正。(現代の自治体数)
全てが違和感なくすっきり説明できます。

何より、当時の中国人・日本人が東も南も分からない愚か者の集まり
とするならば、そのような質の低い当時の日本人が、すでに3世紀に
西日本全域を支配している国家を形成していたと信じる方が支離滅裂なことだと思います。

77日本@名無史さん2017/01/03(火) 16:13:45.39
>>75
興味がわいた喉調べました。
クシナダヒメの両親が用意したのは米ではなく、おそらく果実酒との意見があり、一方でコノハナサクヤヒメのときは米と考えられるそうです。

78日本@名無史さん2017/01/03(火) 17:03:22.42
播磨国風土記の716年には米にカビが生えていてこれから酒を造ったという話がある。
もう一つ、大隅国風土記の713年には米から口噛み酒を造ったともあるなー。口噛み酒はだいぶ古そうだなー。しかし果物から出来る猿酒が最初。何せ条件が良いとすぐ出来るからなー。

79日本@名無史さん2017/01/03(火) 17:49:07.54
いまのワイン用のブドウも生食には
向かないくらい酸っぱい。
その程度の糖度で大丈夫らしい。

あまり糖度が低いと砂糖を加えたりする
補糖をやるようだが。

80日本@名無史さん2017/01/03(火) 18:11:32.67
>>77
サンクス。コノハナサクヤヒメはここの事だなー。時神吾田鹿葦津姬、以卜定田、號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之。又用淳浪田稻、爲飯嘗之。これは間違いなく米から造ってる。

81日本@名無史さん2017/01/03(火) 22:22:14.47
おーーーーーーーーい

NHKにやらせ、苦情電話しようぜ

0570ー066−066

磯田道史 が  初めて 纏向に いった   


うそーーーーーー

受信料  払わねーーーーぞ

82日本@名無史さん2017/01/04(水) 14:29:01.11
>661 :1 ◇q8leUXpswさん 2016/12/29(木) 14:59:24.62

>訳としては

>「王位に就いて以来、会えるものは少なく。婢(下女)が千人、
>その側に侍り、ただ一人の男性が食事を給仕し、伝辞のため出入する。
>居住する宮殿や楼観、城柵は厳重に設けられ、常に武器を持った守衛がいる。」

>でしょう。つまりこれは答えになっていません。
               ☟
>Q 纏向およびその周辺から大規模な住居跡が無いのはなぜかお教え願いたい
>Å 纏向周辺に大規模な住居跡がない理由は、倭人伝の記述「自爲王以來、少有見者」です


纏向が卑弥呼の王宮でない理由は畿内説が以上の質問に答えられないことですね

83日本@名無史さん2017/01/04(水) 17:14:41.09
どう見ても
質問には答えてるよな

84日本@名無史さん2017/01/04(水) 22:53:21.39
>>82
ですね

85日本@名無史さん2017/01/04(水) 23:46:58.99
無条件同意の相づちは大体が本人の自演

これ豆な

86日本@名無史さん2017/01/05(木) 00:07:31.50
うむ

87日本@名無史さん2017/01/05(木) 08:38:50.70
>>85
ですね

88日本@名無史さん2017/01/05(木) 08:43:56.75
>>85
ですね

89日本@名無史さん2017/01/05(木) 16:40:15.76
>>85
DA・YO・NE

90日本@名無史さん2017/01/05(木) 17:48:52.94
議論の結果畿内説敗退

91日本@名無史さん2017/01/05(木) 19:36:37.44
千人の侍女と守衛が詰めてるのなら数百戸は住居があるはずだなあ

92日本@名無史さん2017/01/05(木) 19:42:50.20
アホの九州説はNHKに論破されて壊滅した。

93日本@名無史さん2017/01/05(木) 21:51:58.75
>>92
どんな感じに論破したのかなー。見れなかったのでよろ。

94日本@名無史さん2017/01/06(金) 14:26:11.32
つなぎスレあげ

95日本@名無史さん2017/01/06(金) 14:27:35.75
モレ召喚

96日本@名無史さん2017/01/06(金) 15:04:47.56
           \ ヽ                          (精神疾患の疑い)
/  /    ヽ 九  \ ヽ   ヽ
 /   |  ヽ \  州  \  ヽ  ゝ          (昇華)
ノ 丿       \  は  \   ヾ
 ノ  |   |  丶  \  敵. \         (気化)
   /          \  よ  \/|             (液化)
 ノ   |   |      \       |         ↑
      /\        \     |         (  ↑
    /   \      /     |          )  (
   /      \     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄         (   )
 /         \                   )  (        悪魔の証明
   ̄|     畿  | ̄         ノ⌒ ̄⌒γ⌒ ̄⌒ ゝ             / /
   |  マ  内  |        ノ 相手は九州の関係者ゝ           / /
   |  ン      |        丿                ゞ      _/ ∠
   |  セ     |        丿/|/|/|/|\|\|\|\|\ゝ     \  /
   |  |     |               │                V
――.|        .|――――――――――┼―――――――――――――――――

97日本@名無史さん2017/01/06(金) 17:21:26.51
川崎に住んでいたモレ(仮)は高校野球を見に行った
滋賀代表側のアルプスに座った
だよね?

98日本@名無史さん2017/01/06(金) 19:27:03.52
クソテンプレのスレはもう立たなくていいよ。

99日本@名無史さん2017/01/06(金) 19:37:13.59
他スレにも書いたはず

お前のことなんて相手にしていないんだよ

100日本@名無史さん2017/01/06(金) 20:09:17.99
纏向=狗奴国?

なに調子に乗ってんだ?w

纏向から鉄器が出ない
→纏向は交易と外交をチェックしていた一大率を支配していなかった
→畿内説終了

が確定した

一大率を支配下に置く強大な博多湾邪馬台国と争っていた狗奴国は
九州倭国の南部連合

もし纏向が狗奴国だったら大出世だぞw

おひょ
史実だとせいぜい狗奴国の畿内衛星都市ダロンwwwwwwwwwwwwww

101日本@名無史さん2017/01/08(日) 17:23:08.57
>>64
彦坐王は婿に入ったというよりも、故地に帰ったというべきでは。
彦坐王の母は、ワニ氏の祖の一族出身だ。
和珥氏とは、孝昭天皇が丹波一族に婿入してその長男が始祖の一族だ。
開化は、和珥氏の娘と、丹波の竹野姫と二人の丹波一族から嫁を取っている。
垂仁の皇后の日葉酢媛は彦坐王の孫にあたる。

おれが思うに、彦坐王の系譜の方が正統な王の血筋だったのではないかと思ってる。
早死するかなにかで王にならずに死んで、その子の狭穂彦が王になるはずが
崇神が横取りした。その争いが後代に反逆と書かれた。

102日本@名無史さん2017/01/08(日) 19:13:34.18
巻向って結局ただの農業遺構だよな
池上やら吉野ヶ里やらとおんなじ

それを特別視してることの意味がわからんし

103日本@名無史さん2017/01/09(月) 19:35:41.52
邪馬台国難民です

104日本@名無史さん2017/01/09(月) 20:22:35.68
タカミムスビは英彦山にいた。
タカミムスビの娘はヨロズハタ(トヨ)アキツシヒメ。
卑弥呼の宗女がトヨ。

105日本@名無史さん2017/01/09(月) 20:51:24.28
>>102
>巻向って結局ただの農業遺構だよな

こんなアホがこのスレに来てイチャモン垂れてんだよなあ・・・

106日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:21:00.18
大国主、大名持、大汝、大己貴

オオナムチ=オオ ナ ムチ

オオ=大きい、偉大
ナ=なんじ、なれ=二人称
ムチ=尊称 (例、大日靈貴=オオヒルメムチ)

意味としては大己貴がもっとも詳細な逐語訳である。
しかし、己は一人称であり、オオナムチの意味とは齟齬がある。
おそらく、本来オオナムチとは二人称の言葉であり、これが人口に膾炙されていたところ
祭神の固有名詞を考える段になって、これをどう記載すべきか思い悩んでしまったのだろう。

そこで、複数の表記が生まれることとなったが
オオナムチの音のみを記載したものが大名持であり、
第三者には意味不明だがそのままの意味を記載したものが大汝
第三者にも意味が分かり、オオナムチとも齟齬が少ない詳細な記載が大己貴
音を完全にあきらめ、当時の人の感覚を純粋に漢語に変換したものが大国主
なのであろう。

オオキミも同じニュアンスではなかろうか
オオキミはすでに固有名詞と言ってよいが
キミは基本的に二人称であり、一人称で使うことはない。

107日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:24:18.52
それよりも、大室トラノスケ、というのは何者なの?

108日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:27:13.05
こういうのとか神仙思想とかはそろそろ絶滅危惧種だな

同位体比の数値データは理系でも目が眩むくらいだから
珍説ばかり唱えてきたラノベ厨どもにはとても手に負え米

三角は日本産と確定したし、ホケノは阿波産だったし、
科学的にも海外交流ゼロ確定

109日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:32:05.45
>>108
相手にされていないのは、お前のほうだよ

110日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:36:48.96
誰から学んだ事なんだ?

交流もしていない、学んでいないとするなら

模倣かパクリ、それとも盗んだもの?

正直に言ったほうがいいぞ

111日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:38:01.80
◇苫米地英人◇

「私的メール問題」でヒラリーに国家反逆罪クラスの疑惑が。

それらのメールには、ヒラリーが夫のビル・クリントンと運営する慈善活動団体のクリントン財団が、反米組織に長年資金を提供していた可能性を表す記録が具体的に記されています。

そういった活動はビル・クリントン大統領時代からあり、結果、中東のテロリストたちをクリントン家が育てていた可能性さえあるということがわかったのです。

戦争をすると、武器関連のビジネスが一気に盛り上がりますから、アメリカのお金持ちたちは儲かります。

そこにはクリントン家も含まれます。

つまり、ヒラリーたちは、自分たちの私利私欲のために、政治家であり慈善団体の運営者がテロを起こしたり戦争を仕掛ける工作をする側にいた、
という疑惑が陰謀論レベルではなく、かなりの可能性で有権者が事実だと思うような情報が、FBIの動きに合わせて広がったということなのです。

これは選挙期間中からFBIも捜査をしたほどの重大な疑惑であり、ヒラリーが逮捕される可能性もありました。

問題を暴露したのは一部のローカルメディアで、アメリカの大手メディアではほとんど報道されなかったため、日本のメディアではその詳細はまったくといっていいほど報道されませんでした。
2017年1月号
http://i.imgur.com/vx49qju.jpg

>クリントン財団が、反米組織に長年資金を提供していた可能性を表す記録が具体的に記されています。
>クリントン財団が、反米組織に長年資金を提供していた可能性を表す記録が具体的に記されています。

112日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:48:17.83
大国主を国の主とする由縁は
販路の構築や流通の整備を行い、それらをシステム化させることによって
諸地域の関係をそれぞれの地域の人々に一般認識として顕在化させ
地域の首長間で公式な結びつきを行わせたことにあるのではなかろうか。
いわば倭国内における国際法を整備したことにあるのではなかろうか。
それゆえ、その後の倭国のどの政権も大国主のシステムの中で
国内外交をせざるをえなくなり、大国主の存在感は増した。

たとえば、今国際関係を決めている国際法は17世紀のヨーロッパの国家間の諸問題を
調停するために生まれたものである。それゆえヨーロッパ独自の思想的背景に依拠した
概念によって現在の世界各国は縛られている面がある。
主権国家という概念などは、トルコ帝国や清帝国の主催した秩序と合わず紛争を起こす元となった。

それと同様に、とくに本州において大国主が主導したいろいろな枠組みが
その後の本州における政権に与えた影響は大きかったと思われる。

113日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:50:38.38
神器なども大室トラノスケから
盗んだりしたものなの?

114日本@名無史さん2017/01/10(火) 19:56:08.07
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が日田で発見されているから北部九州にかなりの有力国家があったのは間違いない。畿内にはこのレベルの出土品はない。

115日本@名無史さん2017/01/10(火) 20:22:26.52
>>112
大国主の共和国的な原始的統治制度を、天津神の武力による集権的帝国が上書きした。

116日本@名無史さん2017/01/10(火) 20:24:58.16
>>115
大国主は銅鐸ですかね?

117日本@名無史さん2017/01/10(火) 20:56:55.72
風土記において、大国主と同列か彼に挑戦する地位にある地域勢力に
天日矛と天火明命がいる。

天日矛は丹波地域に割拠し、大国主と播磨地域を争っている。
天火明命も播磨地域で大国主に争うまではいかずとも手こずらせている。
天火明命の子孫は尾張氏や住吉神社の神主など紀伊半島沿岸に散らばっている。

天孫とよばれる氏族には天火明命のほかに
アメノオシホミミを同祖とする皇室はもとより
アメノホヒを祖とする出雲国造
アマノミチネを祖とする紀伊国造
アマツヒコネを祖とする河内国造、山背国造
などがおり、国譲り後に出雲に定着する出雲国造家を除けば
畿内周辺に限定され、神武とともに移り住んだと思われる集団であったと思われる。

118日本@名無史さん2017/01/10(火) 22:01:48.90
筑紫の邇邇芸命を頂点として、西日本各地への天神の進出の様子をよく示しているな。

119日本@名無史さん2017/01/10(火) 22:13:06.56
鉛同位体比の一大ブームに乗りたいのに、
銅鐸片2つしかないw

120日本@名無史さん2017/01/10(火) 22:49:25.04
神武東征のスター卜地点が遠賀川河口の水巻。
水巻は以前はミマキと呼ばれていた、つまり神武=ミマキイリヒコ。

121日本@名無史さん2017/01/11(水) 03:39:21.86
崇神は4世紀初め。
大和朝廷の始まりは2世紀末。
神武と崇神は同一人物ではない。
神武と崇神が同一人物という説は古い。
昭和の高度成長期に流行した一時的な説。

122日本@名無史さん2017/01/11(水) 09:49:01.65
三輪の大物主の土地を卑弥呼の土地というのは無理がある。

123日本@名無史さん2017/01/11(水) 09:51:22.79
>>121
根拠は?

124日本@名無史さん2017/01/11(水) 10:49:29.84
>>121

大和朝廷の始まりは7世紀末。

125日本@名無史さん2017/01/11(水) 11:07:47.24
大和政権の始まりは三世紀

126日本@名無史さん2017/01/11(水) 11:11:50.03
倭王権の始まりが三世紀

127日本@名無史さん2017/01/11(水) 11:17:16.64
倭王権は1世紀〜2世紀だろ

128日本@名無史さん2017/01/11(水) 11:25:50.73
倭王権は1世紀〜7世紀末だろ

129日本@名無史さん2017/01/11(水) 12:02:47.31
ヤマトと自称した時期がいつ頃かだね

気違いの畿内派はずっとそうだといってるけど
実際は継ぎはぎのパッチワーク
現天皇家は起源も不明の継体朝
考えたら血腥い王朝だよな
しょっちゅう交代するってことは

130日本@名無史さん2017/01/11(水) 13:19:14.18
九州北部の王権は前3世紀くらいからだな。
紀元前から三種の神器と同じセットがあった。
後漢書では倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの国だ。
そして古事記では倭と書いてヤマトと読めとある。
また、天皇家の起源は筑紫とも書いてある。

131日本@名無史さん2017/01/11(水) 13:42:00.23
九州北部は落ちぶれてしまったね。纏める勢力が居なかったから。

132日本@名無史さん2017/01/11(水) 13:43:46.14
纏めるアイテムが無かったからなんだろうな。

133日本@名無史さん2017/01/11(水) 23:52:50.76
旧唐書に倭国と日本国の記録があって
倭国は九州、日本国は畿内の状況が書かれていると解釈すれば
完全に一致する。

134日本@名無史さん2017/01/12(木) 06:31:07.38
>>133
倭国は四国の阿波、日本国は8世紀畿内の状況が書かれていると解釈すれば
完全に一致する。

135日本@名無史さん2017/01/12(木) 09:28:24.06
>>133
悪あがき。
邪馬台国=大和国、大和王権の初期は決定。

136日本@名無史さん2017/01/12(木) 13:12:17.60
〉〉135
あー実証なしに落書き垂れ流すスレじゃ
ないから

137日本@名無史さん2017/01/12(木) 13:15:36.31
とてもそうとは・・・

138日本@名無史さん2017/01/13(金) 03:54:25.01
銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 単行本 ? 2010/12/27
臼田 篤伸 (著)

巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

それまで、日本の有名大学の古代史専門家による縄文→弥生→古墳時代への“平和的、友好的、自然的”
発展変化という‘上品で理想的’な皇室尊重的な伝統史学を徹ッ底的に破壊、否定、駁論する内容である。
まぁハッキリ言ってよく言ったと思う。自分も伝応神・仁徳天皇陵を何度か訪れたが、アレをブルドーザーや
トラックもない古代に、粗末な鍬や鋤だけで作れと言うのだから、命令する人はどれ程の「仁」と「徳」が
備わっているか推して知るべしである。しかも、前方後円墳だけで大中小合わせれば日本全国に5000基
(円墳含めると20万)あるといわれるので、古代の大和朝廷なるものがどれ程「博愛的」であったかは、
著者ならずとも推して知るべきである。エジプトのピラミッドもそうだが、あんなものを単なる失業対策で
‘嬉々として’積み上げるバカが何処にいると言うのか?最近流行の人道主義的歴史学者は、一度、自分で
その石を背中に積んで頂上まで登ってみろと言いたい。

139日本@名無史さん2017/01/13(金) 14:57:04.70
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル  総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,
   ~i_ンイノ

140日本@名無史さん2017/01/23(月) 10:08:07.08
>>7
五経博士により伝えられたってセンターレベルですらでてるんですが

141日本@名無史さん2017/01/23(月) 11:06:15.00
スレタイを全く実行できない空文スレ

142日本@名無史さん2017/02/13(月) 21:51:52.87
大和国の姫皇女と狗奴国の彦皇子

143日本@名無史さん2017/02/18(土) 12:34:59.95
批判できない。
邪馬台国は畿内に無かったから。

144日本@名無史さん2017/02/18(土) 15:13:21.58
畿内説は議論すべき根拠がそもそもないから、批判のしようもない。
畿内説はただのありえない妄想。

145日本@名無史さん2017/03/30(木) 19:46:14.72
「小学生より学力が足りないで賞」受賞

「テンプレの誤字も直した方が良いで賞」受賞
↓              
「まだわからないで賞」受賞

俺は悔しくて泣いた。

だが、ボキャ貧キウスの知らない単語な線もある。

「無教養露見で賞」受賞

❓❓❓
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウスが笑い者なだけ❓
.   \       廿   / 誤字って何❓
.   ノ            \    ❓❓❓
👆「自分で発見しないと笑いもので賞」

146日本@名無史さん2017/04/08(土) 20:49:28.43
畿内説は物証が何もないから、放っておいても消滅する。

147日本@名無史さん2017/04/24(月) 12:52:15.11
乱立晒しあげ

148日本@名無史さん2017/04/25(火) 11:54:42.66
0025 1 ◆cmsiBNFbAs 2017/04/17(月) 17:32:00.65
なお、コテハンは変えました。
似非スレで解読されましたので変えました。

さあ勝者の貫録を見せつつ更なる真実を探求しましょう


648 名前:日本@名無史さん 2017/04/24(月) 16:18:45.12
>>25
コテハンを解読した奴が似非スレを乱立させているということか?
2ちゃんねるの会社に訴えられるレベルの悪行だな。

149日本@名無史さん2017/04/25(火) 22:25:34.70
失言を乗っ取られたことにしたいだけw

150日本@名無史さん2017/04/25(火) 23:54:46.97
新幹線
@東京駅〜名古屋駅は340km、名古屋駅〜新大阪駅は170km、新大阪駅〜博多駅は550km、です。
A愛知県までは1時間40分で、さらにそこから福岡県までは3時間20分です。
B東京駅から博多駅までの総距離は1060kmですよ。

@とAを足す基地外が騒いでいます。
「名古屋は名古屋、愛知は愛知だろ!」「博多は博多、福岡は福岡だ!」

@とBを並べて説明しても理解してくれません。
どうしたらいいでしょうか?

151日本@名無史さん2017/04/27(木) 10:13:22.19
1 ◆q8leUXpsw. こいつが邪馬台国スレを乱立させているのか?
日本史板になんの恨みが???
日本の歴史が嫌い??

152日本@名無史さん2017/05/27(土) 08:31:18.13
無意味なスレの埋め立てで誤魔化す畿内説のバカご現れた。

153日本@名無史さん2017/05/27(土) 09:25:26.63
とりあえず畿内説の投馬国(5万余戸)と邪馬台国(7万余戸)の場所を聞きたい。

154日本@名無史さん2017/05/27(土) 10:54:02.35
>>153
畿内説スレに行ってテンプレ読めばいい

155日本@名無史さん2017/05/27(土) 11:55:05.10
>>154
テンプレ説得力ゼロ
不弥国→投馬国は南方向だがそれを全く無視。

156日本@名無史さん2017/05/27(土) 12:28:42.91
>>155
それで反論できるなら畿内説全部否定できることになる
現実はそんなに甘くない

157日本@名無史さん2017/05/27(土) 13:15:58.75
>>154
根拠なしに妄想だけ垂れ流している。

158日本@名無史さん2017/05/27(土) 19:04:24.46
>>157
という証拠でもあるの?

159日本@名無史さん2017/06/04(日) 12:39:04.14
こんなとこで陰口言っててもしょうがないだろうに

160日本@名無史さん2017/06/04(日) 12:52:24.39
そう言うスレだから。

161日本@名無史さん2017/06/04(日) 13:58:55.18
畿内説の人と論争したら必ず負けると
諦めた人たちの
自慰スレなわけだな

162日本@名無史さん2017/06/04(日) 15:20:22.51
畿内説の人が来ないとそうなるでしょ

163日本@名無史さん2017/06/04(日) 15:28:18.80
虚しいスレやなぁ

164日本@名無史さん2017/08/09(水) 22:39:43.01
学会のえらい人に逆らったら、ハブられたり追放されるのが学会。
こういう事情があるのを分かってほしい。
なぜ畿内説を学会が押してるのか。

165日本@名無史さん2017/08/15(火) 13:02:35.88
ゴミ
 
 
 
 
 

166日本@名無史さん2017/09/17(日) 16:17:15.74
畿内説は魏志倭人伝も後漢書も読めないばかりか、冊封体制も期待値も用語が通じない馬鹿だった。
呆れた!

167日本@名無史さん2017/09/17(日) 16:21:30.78
>>166

>血統による相続原理が未確立な社会において、

古代国家において王統の血統が大事じゃないとかマジビビるよな。
鉄鏃より石鏃のが強いとか
もう常識が通じない感じ。

168日本@名無史さん2017/09/17(日) 16:25:39.25
馬鹿だから、証拠を提示している文章に、botのように証拠は?とか聞いてくる。
畿内説は本当に終了だね。

169日本@名無史さん2017/09/17(日) 16:39:46.18
邪馬台国畿内説Part274の>>496を、古田史学スレに転写しようとしたが、
「2chは応答しておりません」とされて、繋がらないので、こちらに転写。

>>496
>それがどうかしたのか?<

皇帝は曹芳であるのに、(曹芳ではなく)皇帝は明帝だ、というやつがいたら、
曹芳の御付きの人々は、そりゃ許せる筈もなく、処罰か戦争だよ。

>明帝は景初三年1月に亡くなり後継ぎの曹芳(詞)が
幼くして跡をついだ しかし当時の習慣では皇帝が亡くなってから政治的、軍事的な理由で
1年はそれを隠し年号をそのまま使用した <

景初三年年号の使用は、当然曹芳(詞)の許可に拠ったのであり、
亡くなった明帝が決めた事ではない。

>これは日本書紀に卑弥呼が魏に使いを送った年が
明帝 景初三年とあっても不自然ではない事を示す<

後代史書の「自己解釈に拠る書き換え」文など、
ついうっかりの事実記載以外には、
信頼性はない。

>違うと言うなら詞 景初三年と書いてある資料がなくてはならない
どうやら無知はそちらのようですな<

起居注の存在は、もうはるか昔の、私の若い頃から出ていた筈だよ。

170日本@名無史さん2017/09/17(日) 16:46:23.41
防人さんの土地、北部九州に女王が住む都なんぞありません。
一発で理解できる図。

https://goo.gl/m2KfqU

今も福岡や北海道に遷都論なんてないでしょ。
国境近くで危険だからね。

弥生時代も同じだよん♪

171日本@名無史さん2017/09/17(日) 16:55:47.74
>>170
矛の出ない大和はアウトっつー図にしか見えない

172日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:08:50.73
>>170
瀬戸内海も畿内も、魏志倭人伝に書かれた銅矛鉄鏃を使う倭国の領域の外であることがよくわかりますね。
この地図を見たら、誰でも畿内説は成り立つ余地がないことを理解するでしょう。

173日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:16:38.87
また転写です。
274の>>540
>ホケノや椿井は3世紀中ごろ<

ホケノは、吉備と同じく「有槨」であるから、始めから卑弥呼の時代ではなく、
扶余や東沃沮の「有槨」部族の一部の流民の渡来があった可能性が高く、
画文帯も楽浪系であり、
おそらく、太康六年(285年)の扶余の事件での伽耶の陶質土器の部族の侵入と同じような時期。

>そうなる九州から強力な鉄器を持った支配者が<

当然、一旦筑紫に来て、筑紫の援助で、鉄鏃を持てた。

>遅くても3世紀前半に畿内にやってきた という事は邪馬台国は畿内?<

ホケノも吉備も椿井の箸墓も、おそらく4世紀初頭以後。

174日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:29:55.80
274の>>543のまた転写。
>弥生時代の九州に鉄器を大量副葬した墓なんてあったか?<

ホケノの鉄鏃は、
筑紫では「兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃」なんだから、
筑紫では、「副葬用のお宝」ではなく、
一般兵器であったのであり、
田舎のホケノでは、副葬用の大事なお宝であった、という事。

175日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:33:29.82
>>544
>ちなみに九州の鉄器ってどこから出てるの<

鉄鏃は一般兵器だから、墓ではなく、あちこちの戦場であった場所から見つかるの。

176日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:38:13.21
>>172
対馬にこれほど武力が展開されてる時点で防人意外に解釈はない。
こんな危険な北部九州に女王の住む都なんぞありません。

常識で考えればわかる。
たとえ弥生時代前期に北部九州に王都があったとしても、
とっくに遷都してるはず。

方形周溝墓も北部九州に上陸するや否や畿内や中部に現れる。
それと同じ。

177日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:40:13.06
朝鮮は船も航海術もないから北部九州は安全地帯

178日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:41:03.69
>>176
遷都していません。

引っ越しするなら電化製品を持っていくでしょう?

紀元前から鉄器が普及していた北部九州から王都が移転したなら
移転先にも当然鉄器が普及する。

3世紀にもなって鉄器が分布していない畿内は邪馬台国論争の対象外です。

179日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:41:48.71
274の>>554
>巨大古墳造ってた。<

卑弥呼の頃の大和は、まだ庄内の前。
箸墓は、布留だから、4世紀初頭以後。

180日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:42:29.81
祭祀青銅器の分布地域が断絶している=文化圏が違う

これは考古学の常識なのだが
バカがなにかわめいておる。

銅鐸畿内が王都なのであれば、
記紀は銅鐸祭祀になっておろうw

181日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:42:42.45
>>176
対馬海峡を通過できるのは倭人の船だけ。
危険などない。

182日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:43:42.17
274の>>555
>九州説は論理的思考ができないものがかかる病 <

「南→東」などの嘘つきダマシの大和説は、論理的思考ができないものがかかる病 。

183日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:44:33.66
>>176
対馬にこれほどの矛が展開するのなら
その王は矛の中心である北部九州にいたのでしょうな。

184日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:48:29.89
>>183
対馬は高天原。
でも福岡のほうが豊かになってきたので、伊都国を立てた。

185日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:52:49.67
274の>>556
>>つまり鉄器の無い銅鐸地域に 鉄器をもつ集団がやってきて 新しく古墳を作ったのだろう。<

賛成。
その部族は「槨」や「楽浪画文帯」がお宝であったようだから、扶余や東沃沮や楽浪の流民。

>そうだろうね。 それがニギハヤヒを祖とする物部。 でも彼らは残念ながら支配者になってないよ。
被支配者だよw <

ニギハヤヒや物部も筑紫が淵源であるから、
「槨」の説明が出来ないので×。

186日本@名無史さん2017/09/17(日) 17:58:18.45
274の>>559
>学者だと九州説唱える人はもうほぼ居ない <

日本の大和説学者は始めから全員、
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘つきダマシのサギシだから、
その事を知った世界の学者からは、全く信用されていない。

187日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:02:37.88
274の>>567
>学者だと九州説唱える人はもうほぼ居ないんでしょ? なんの害にもなっていないよね <

日本の大和説学者は、始めから全員、
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘つきダマシのサギシだから、
その事を知った世界の学者からは、全く信用されていない。

188日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:08:33.68
274の>>580
>定説にも通説にもなってないことを確定したとかいう嘘つきに、
論理的思考を求めるのが間違いだな <

「南→東」の嘘つきダマシのサギの定説や通説で「確定した」とかいう嘘つきに、
論理的思考を求めるのが間違いだな 。

189日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:08:39.20
>>180
>祭祀青銅器の分布地域が断絶している=文化圏が違う

>これは考古学の常識なのだが
>バカがなにかわめいておる。

バカはおまえ。
おまえの言う「文化圏が違う」という古臭い説は、
荒神谷遺跡の発見で覆ったのを知らないのか?

190日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:10:03.20
>>189
銅矛文化圏が銅鐸文化圏の征服をついに決断したあのモニュメントね

191日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:12:52.62
>>181
>危険などない。

倭国王帥升の朝貢失敗は中華との安全保障を得られなかったという事。
当然緊張する。
北部九州を防人で固めたのも無理はない。

192日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:13:47.75
>>190
銅鐸と銅剣が同時存在。
同じ文化である。

193日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:16:37.25
274の>>590
>ヒミコが誰でどこにいたのか言わない時点で「説」ではない。
したがって、 九州「説」なんて存在しない。<

この男も、
卑弥呼は松野氏姫氏系図には「刀良」と言う名前で、「大野」付近にいた、
という説明をしてある事を、知らん振りして、
同じことを繰り返す・・・・のようであるから、
「南→東」などの嘘つきダマシの大和説のサギシ仲間なんだろうなあ。

194日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:22:32.18
>>191
安全保障もなにもその中華が滅亡しちゃうんですけど

195日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:24:05.12
で、その防人(失笑とやらが防衛する対象ってどの勢力よ?

三国志東夷伝のどの勢力よ?

それが説明できなければホラッチョ畿内説滅亡w

196日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:25:12.93
>>191
>倭国王帥升の朝貢失敗は中華との安全保障を得られなかったという事。

倭国王の称号を手に入れたから、むしろ外交は成功した。

197日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:38:37.15
>>195
後漢

198日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:43:58.36
>>193

>この男も、
>卑弥呼は松野氏姫氏系図には「刀良」と言う名前で、「大野」付近にいた、
>という説明をしてある事を

おい加古川のハゲじじい。
この男って俺なんだが、そうすると大野付近にいた刀良という、
小汚いおばはんがヒミコであるというのは九州説の総意なのか?
笑わせるなwww

199日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:54:03.63
>>191
根拠もないくせに朝貢が失敗したとか

200日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:57:32.70
>>199
帥升は何か貰ったのかい?

201日本@名無史さん2017/09/17(日) 18:59:22.61
朝貢失敗なのは疑われた旧唐書の遣唐使だね。
態度が悪くて、
元小国で倭国を併合したのを吐かせられちゃった。

202日本@名無史さん2017/09/17(日) 19:02:02.77
何かもらいに行ったのか?

203日本@名無史さん2017/09/17(日) 19:06:48.40
>>200
倭国王の称号

204日本@名無史さん2017/09/17(日) 19:08:48.68
>>201
隋の時も失敗したね。
無礼だから以後は取り継ぐなと言われて国交断絶しちゃったね。
あれに比べれば、倭国王の称号を手に入れた帥升の外交は大成功だよ。
他の倭国の自称王の上に立つ立場を手に入れたわけだからね。

205日本@名無史さん2017/09/17(日) 19:22:38.53
>>203
>倭国王の称号

いやそれは自分で名乗ったからでしょ。
倭国王帥升というのが生口160人連れて謁見に来たというだけでしょ。
安帝が倭国王という称号を与えたわけではない。

206日本@名無史さん2017/09/17(日) 19:34:30.99
国定歴史書に倭国王と明記されているね。

生口160人を連れてきたということは
数百人単位の輸送能力を持っていたんだね。

だったら街道のない3世紀だと
一方的に海兵隊を輸送して攻めまくりだね。

迎撃手段なし。

207日本@名無史さん2017/09/17(日) 21:47:26.48
皆が王を称すると書かれた時は、漢としてはしれを全部承認するわけにはいかなかった。
だが、帥升については漢もそれを承認したからこそ、そのように記録した。

208日本@名無史さん2017/09/18(月) 00:21:06.49
>>207

承認したのなら何かしら印綬が行われるだろう。
しかしなかったよね。

209日本@名無史さん2017/09/18(月) 00:23:34.07
九州王朝ではなかったから印綬が授けられなかった

210日本@名無史さん2017/09/18(月) 00:50:31.30
金印ではない格下の印綬だったんじゃない?
だから記録しなかった。

211日本@名無史さん2017/09/18(月) 00:58:38.18
>>208
史書に記事がないだけだろう

212日本@名無史さん2017/09/18(月) 08:42:37.80
>>208
なかった根拠がない。
倭国王に指名したから、あったと考えるべき。
わざわざ書くほどでもなかっただけ。
冊封と印綬はセットだから、当たり前すぎて書くまでもない。

213日本@名無史さん2017/09/18(月) 09:42:33.47
幽霊信じてる人と同じだな

214日本@名無史さん2017/09/18(月) 10:00:12.16
倭国王帥升は建武中元二年(57)に入朝した倭奴国の大夫
漢によって漢委奴国王とされた者
安帝永初元年(107)ですから当人ではないかもしれませんが、本人かその後継者
だから金印は既に貰っており再度の印綬はない
漢に入朝すれば倭国王として扱われる
冊封も印綬の記事もないのは当然
既に倭国王を任命してるのに
違う系統の人物を漢が倭国王として扱うことはできない。

215日本@名無史さん2017/09/18(月) 10:35:44.50
>>211
>>212

ないものから何であった事になるのか。
倭国王に指名した野ではなく帥升自身が名乗ったのだろ。


​朝貢年
266年 台与        アマトヨツ
 ・
238年 卑弥呼       ヒメタタラ
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭国王・帥升     スサノオ


倭国王帥升とはスサノオである。

216日本@名無史さん2017/09/18(月) 10:42:16.27
後漢書を読んで建武中元二年(57)の倭奴国と安帝永初元年(107)の倭国王を別物と考える人は頭が変
別物とした場合、突然に倭国王が出て来るのは変だし(冊封と印綬は何時の間に?)
連続した記事だから当然、同じ人物かその系統の人物だ。

217日本@名無史さん2017/09/18(月) 10:44:58.60
>>215
帥升自身が倭国王を勝ってに名乗てたらそう書かれてるよ
自稱倭国王とか。

218日本@名無史さん2017/09/18(月) 10:46:50.89
安帝は帥升に印鑑は別としても何も持たさず返してるよね。
何か与えたという記録もないからね。
という事は朝貢失敗でしょ。

219日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:08:08.07
朝貢失敗なら、それらしいことが書いてあるはずだが
そんな記事無いし、倭国王帥升と正式な倭国王と記されてるからね
倭奴国と倭国を同一と考える方が合理的でそれ以外ないですね。

220日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:16:24.00
>>219
ただ謁見要請に来ただけで、手ぶらで返してるのに何で朝貢が成功したことになるのだ?

221日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:18:32.05
ヒミコやトヨの場合でも何を贈ってきたか、
何を返したか、細かく書いてあるではないか。
帥升の場合は何も書いてない。
それが何で朝貢成功になるのだか。

222日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:22:42.59
倭奴国とは別系統の倭国王が来たのだろう。
中国側からすれば、57年に既に印綬してるし、
この別系統の倭国王を認めることが出来なかったのだろう。

223日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:30:25.69
>>221
建武中元二年の記事も簡単に「光武賜以印綬」だけで他に何を貰ったか何を献上したか無いですね
安帝永初元年で「獻生口百六十人願請見」だけでも変じゃない
この辺の記事は凄く簡単にしか書かれてない
これだけで朝貢成功や失敗は判断できませんね。

224日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:32:52.54
>>222
別系統なら倭国王とは記されませんよ
倭国王と描いてある以上は
同一系統の人物ですね。

225日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:35:11.10
>>224
どうして?

どう見ても倭奴国王とは別系統でしょ?
名前が違う

226日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:36:04.67
建武中元二年に倭奴国に印綬した
安帝永初元年に倭国王帥升が朝貢してきた
これだけの記事
倭奴国と倭国王帥升が繋がっている。

227日本@名無史さん2017/09/18(月) 11:37:40.01
>>225
奴は蔑称だから
2度目の朝貢で格上げになったんでしょう。

228日本@名無史さん2017/09/18(月) 12:13:19.62
>>226
どう繋がってんだよ

229日本@名無史さん2017/09/18(月) 12:33:08.57
>>220
単に朝貢があったというだけで下賜品とか印綬とか触れられていない記事は一杯ありますよ

230日本@名無史さん2017/09/18(月) 13:10:26.96
銀印か銅印でしょう。
それ以前の記事と比較すると、明確に王として冊封されたので、所領安泰されて外交的には成功でしょう。

231日本@名無史さん2017/09/18(月) 13:22:40.85
建武中元二年に倭奴国に印綬してますから安帝永初元年には再度の印綬はないですね

建武中元二年に倭奴国の大夫が柵封されて倭国王となった
安帝永初元年に倭国王が再度入朝した
それだけの記事。

232日本@名無史さん2017/09/18(月) 13:29:39.06
なるほど。
言わずとも同じ国であることは明らかで、印綬はそのまま継承していると。
その倭国をさらに継承したのが卑弥呼ですね。
その都の場所も言わずもがなですね。

233日本@名無史さん2017/09/18(月) 13:33:44.40
印綬を拝領した倭奴国は、考古学的には伊都国になるので、伊都国は倭奴国の言い換えです。
伊都国最初の王墓である三雲南小路遺跡の祭殿である細石神社に漢委奴国王印が保管されていたという口伝にも根拠があることになります。

234日本@名無史さん2017/09/18(月) 14:00:41.84
>>232
漢王朝が続いている間は漢委奴国王は有効なんだから
最後の所有者は新たに親魏倭王の金印を貰った卑弥呼だった可能性が高いんだよな。

235日本@名無史さん2017/09/18(月) 14:09:57.32
魏への最初の朝貢には漢委奴国王印を御璽として用いたでしょう。
卑弥呼がどこにいたか、明白ですね。

236日本@名無史さん2017/09/18(月) 15:56:48.36
>>235
>卑弥呼がどこにいたか、明白ですね。

明白ですね。畿内です。
https://goo.gl/m2KfqU

対馬、北部九州、瀬戸内のモノノフさんたちが畿内の都を守ってます。

237日本@名無史さん2017/09/18(月) 16:08:51.51
>漢委奴国王印を御璽として用いた

あの金印が本物かどうかw
発見場所が志賀島ってw
何処から見つかったことにするか悩んだであろうな、江戸幕府もw

238日本@名無史さん2017/09/18(月) 16:23:47.25
>>232
>言わずとも同じ国であることは明らかで、印綬はそのまま継承していると。
その倭国をさらに継承したのが卑弥呼ですね。


同じ国であるなら倭国王帥升でなく倭奴国王帥升と書くはず。

倭奴国と倭国は違う系統。

239日本@名無史さん2017/09/18(月) 16:26:25.80
なんで名前の違う国を平気で
同じ国だと言い張れるんだろう
神経がわからん

240日本@名無史さん2017/09/18(月) 16:55:15.39
倭奴国が倭国の中にあることは確実だからだよ。
ただ、奴国から伊都国に微妙に意味をずらしているね。
遷都を巧く誤魔化しているかも。

後に筑紫倭国から畿内大和への政権交代をうまく隠しているのと同じだな。
いろいろ言いくるめていくのは日本人の得意技なのかな。

241日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:03:06.25
>>239
建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
倭奴國は倭國の極南界に在り、印綬を賜ってる
倭奴國の大夫が印綬を賜って倭國の王になったって文章だな
違うと言い張れる神経がわからん。

242日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:10:07.25
>>241
これを
倭奴國の大夫が印綬を賜って倭國の王になった
って読んじゃう人の脳が
正常だと思う気持ちがわからん。

243日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:11:27.54
>>241
そんなふうに読んだ人が

アナタ以外に、いる?

244日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:17:04.63
倭国の極南界に在る倭奴国の大夫が来て金の印綬を賜りました
さて何処の王に封ぜられたでしょう?
@倭奴国・・・・・・×
A倭国・・・・・・〇

245日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:18:35.76
もらったのが金印だったからでしょ。
倭国王でなければもらえない。
実際に金印がある以上、どうしようもない。

246日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:29:04.03
>>245
なんの根拠もない妄想だな

247日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:30:12.97
平気でそんなウソをつけるのが九州説だよ

248日本@名無史さん2017/09/18(月) 17:55:56.98
糸クズは俺様偉い教の教祖様だからな
やってるのは学問じゃなく宗教そのもの

249日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:01:26.57
>>245
>実際に金印がある以上、どうしようもない。

満州事変の年に軍部が強引に国宝にしてしまった金印ねwww

250日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:10:58.74
トンデモ岡上は陰謀説が好き

251日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:23:54.55
「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見」
大夫が倭奴國王になったとしたら、突然に倭國王が出てくるの変でしょ?
倭奴國王は何処に行ったんですか?
倭國王は何処から湧いてでたの?
倭奴國王なんて後漢書には無いんですよ。

252日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:25:22.68
>>246
実在する金印を妄想とか言い出したよ。
畿内説も末期だな。

253日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:40:45.78
消えた倭奴國王、突然出現する倭國王を想定するより
倭奴國の大夫が倭國王になったが自然だろ。

254日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:48:13.53
>>252
金印を妄想だと誰が言った?

岡上は捏造が、好きだな。

255日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:48:19.64
クーデターか

256日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:53:27.92
それより
57年当時は倭奴国が倭連合の対外交渉代表くらいだったんだろうけど、
107年の頃は倭奴国が倭連合の盟主国になっていたので倭国王と呼んであげたんじゃないかな

257日本@名無史さん2017/09/18(月) 18:56:21.94
倭奴國の大夫が倭國王でないなら
後漢書に倭奴國王と倭國王の関係が記されてるはず
突然に倭國王だけを書くなんてないな
倭國王の出くらい書くな。

258日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:00:32.76
それはあなたの主観にすぎない

259日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:01:22.20
日本側は倭国王とは言ってないと思うな

260日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:03:42.99
歴史書なんだから
消えた倭奴國王、突然出現する倭國王
なんて書かない
歴史の流れ繋がりを記すのが歴史書。

261日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:09:02.83
勝手に前提条件を決めて、それへの当否で自説の可否を主張するのはトンデモの常套手段

262日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:27:55.15
>>261
そんなつまらん事しか言えんの?

263日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:33:11.44
つまらない妄想よりはマシだろ

264日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:38:30.14
日本側は一貫して倭奴国(伊都国)と称してたんでしょ
中国側からは倭国王と呼んだり親魏倭王と呼んだり

265日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:40:42.00
また根拠のない妄想かよ

266日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:47:12.40
旧唐書にあるよ
日本側は一貫してるよね
「倭國者,古倭奴國也」

267日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:55:53.21
自演で誤読

268日本@名無史さん2017/09/18(月) 19:58:49.04
やっぱり漢文読めない岡上

269日本@名無史さん2017/09/18(月) 20:46:05.68
皆も知るとおり岡上は教養がないからな

270日本@名無史さん2017/09/18(月) 21:21:25.21
岡上って何???

271日本@名無史さん2017/09/18(月) 21:24:47.35
バカの代名詞

272日本@名無史さん2017/09/18(月) 21:36:25.90
岡上って邪馬台国畿内説のトビ主さん?

273日本@名無史さん2017/09/18(月) 21:48:09.19
>>272
偽スレ立てrとナリスマシ常習の変質者だろ

274日本@名無史さん2017/09/18(月) 22:27:40.77
岡上

邪馬台国関連スレに出没する狂人のひとり
考古学界では全く賛同者がいない説を「考古学的に確定している」と主張するウソつき
コテ+トリと名無しを使い分け、自説を関連スレで書き込みまくるがバレバレ
糸クズ、八咫バカとも

「咫」の説明である「周尺」を「円周の尺」と読んだり、
伊都国を女王国であると漢文を誤読したり、
八咫鏡の文様には八咫烏があると現物を知らないで主張したり、
お笑いエピソードには事欠かない

未確定な事項であっても、自分に都合がよければ勝手に確定事項であると脳内変換し、
それを根拠として立論してしまうチェリーピッキナー
日本史の方法論をまるで理解していない、自分偉い教の教祖である

275日本@名無史さん2017/09/18(月) 22:32:58.42
漢文読めないのは畿内説の方々ですよねw

276日本@名無史さん2017/09/18(月) 22:38:30.94
名無しで登場w

277日本@名無史さん2017/09/18(月) 23:01:19.84
漢文読めるのなら畿内説なんて馬鹿しい説直ぐに間違いだと気付くよね。

278日本@名無史さん2017/09/18(月) 23:08:04.46
倭奴國の大夫が印綬を賜り倭國王になった
に異論は無いですね。

279日本@名無史さん2017/09/18(月) 23:31:32.09
岡上必死だなw

280日本@名無史さん2017/09/18(月) 23:36:44.60
ンなわけなかろ

281日本@名無史さん2017/09/18(月) 23:56:40.68
>>279が漢文読めない岡上w
倭奴國の大夫が印綬を賜り倭國王になった
に異論は無いですね。

282日本@名無史さん2017/09/19(火) 01:11:04.19
>>281
こんな嘘を平気でつく男が岡上

283日本@名無史さん2017/09/19(火) 08:29:50.16
>>282
負け犬の遠吠え

284日本@名無史さん2017/09/19(火) 08:49:38.15
なんで召使いが王様になれるの?バカなの?

285日本@名無史さん2017/09/19(火) 11:19:41.73
>>284
使者が自らを大夫と称したんじゃなくて
自ら大夫と称するの使者だな
使者が大夫なら倭奴国から来たとあるだけで誰の使者か書いてない事になる。

286日本@名無史さん2017/09/19(火) 11:44:07.53
>>285
何を言ってるのか意味がわからない

287日本@名無史さん2017/09/19(火) 11:45:06.35
何を言ってんのかわかんない

288日本@名無史さん2017/09/19(火) 11:49:07.67
白村江の時代、畿内に王都があったのと同じく、
弥生時代にすでに畿内に王都がある。

https://goo.gl/m2KfqU

これを見てもまだ防人の土地・北部九州に都があったとするやつはどうかしている。

面白いのはこの九州〜瀬戸内集団がニギハヤヒとともに大和入りしたことが天神本紀に書かれている。
そして纏向遺跡は寺沢によれば筑紫、吉備、播磨、讃岐の強い要素だそうだ。

ピタリ合うではないか。
防人集団、モノノフ(物部)と合うではないか。

289日本@名無史さん2017/09/19(火) 11:55:51.52
青銅器文化でも銅剣など武具が出る北部九州と、
銅鐸が出る畿内とでは違う文化だと言われてきた。

ところが荒神谷遺跡では銅剣と銅鐸が一緒に出た。
つまり別文化ではなかったのだ。

同じ文化でありながら北九州には武力、畿内には祭祀。
これは畿内にあった都を九州が防衛してる姿なのだ。

対馬に大量の武具が出る状況には反論できないだろう。

邪馬台国の都は畿内にあった。

290日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:03:32.87
なぜ何も根拠になってないことが理解できないんだろう

291日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:06:46.56
ではこの銅剣も銅鐸も含めた西日本全体の青銅器文化の王は誰だ?

弥生時代だから青銅器文化の王=天皇ではない。
神武はもちろんBC660年ではない、平均在位から計算しても3世紀前後。

この大きな国の王とは「大国主(大物主)」だ。

そしてヒミコは大国主の系譜にいるのだ。
事代主神の娘、ヒメ踏鞴五十鈴媛しかいないのだ。

邪馬台国とは葛城である。

292日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:46:59.83
>>291
>ではこの銅剣も銅鐸も含めた西日本全体の青銅器文化の王は誰だ?

少なくとも卑弥呼ではない、中国の目に止まらなかった豪族だよ。
魏の使いが外交を行った九州北部とは違う文化圏なら、邪馬台国とは関係ない土地ということだ。

293日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:47:49.85
>>291
>事代主神の娘、ヒメ踏鞴五十鈴媛しかいないのだ。

はいはい、イスケヨリかわいいよイスケヨリ。
だいたい、出雲の事代主がそんなところにいるわけない。

294日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:56:17.44
>>291
西日本全体の青銅器文化の王なんていないよw
九州は九州、畿内は畿内で別の国。

295日本@名無史さん2017/09/19(火) 12:57:43.58
じゃあ邪馬台国は九州しけあり得ないな。

296日本@名無史さん2017/09/19(火) 13:01:43.96
葛城野郎か
根拠もない説で粘着するねー

297日本@名無史さん2017/09/19(火) 13:26:11.51
葛城厨と呼ぶ?

298日本@名無史さん2017/09/19(火) 16:45:51.70
>>293
>出雲の事代主がそんなところにいるわけない。

神武が大和入りして事代主神の娘と結婚すると書いてあるだろ。
ということは葛城に事代主神がいたのだ。
おまえは何を言ってるのだ。

また奈良だけではないが西日本一帯に加茂岩倉との兄弟銅鐸が出る。
奈良では上牧に出る。

弥生時代、すでに出雲と畿内は同一文化。

九州は哀しい防人の土地だ、あきらめろ。

299日本@名無史さん2017/09/19(火) 16:50:15.39
>>292
>中国の目に止まらなかった豪族だよ。

3世紀後半から4世紀、小札革綴冑という中国製の冑が十数点畿内の古墳から出る。
九州は1点だけ。
この冑はトヨの朝貢時期に入手したとしか考えられない。

ということは中国と通交していた主体は畿内。
したがって邪馬台国は畿内である。

九州説は往生際が悪すぎ。。

300日本@名無史さん2017/09/19(火) 17:14:12.51
九州説が勝ちすぎると、無謬主義だのなんだの言われるから考え物だ

301日本@名無史さん2017/09/19(火) 17:14:26.62
>>299
トヨ東遷説の証拠ですね

302日本@名無史さん2017/09/19(火) 17:21:45.56
>>300
負けてるから悩むことなし

303日本@名無史さん2017/09/19(火) 18:11:38.52
>>298
>神武が大和入りして事代主神の娘と結婚すると書いてあるだろ。

そもそも事代主と神武では記紀でも世代が違う。
せいぜい末裔の誰かだ。

304日本@名無史さん2017/09/19(火) 18:14:38.70
>>298
>弥生時代、すでに出雲と畿内は同一文化。

考古学的には出雲は筑紫との繋がりが強い。
畿内、という枠組みがそもそも弥生時代にはまだない。
関西は日本海側と瀬戸内海側で違う文化圏で、奈良盆地はさらにどちらにも属さない東海地方の影響下だった。
まったく理解していないな。

305日本@名無史さん2017/09/19(火) 20:44:19.02
つ畿内第5様式分布圏

306日本@名無史さん2017/09/19(火) 20:58:20.07
非科学で
 科学に挑む
  九州説

307日本@名無史さん2017/09/19(火) 21:22:23.23
大和朝廷の最初期で既に三輪大神(大物主尊大国主尊)が神として祀られていたわけで、そんな時代に事代主の神が豪族のして存在してるわけ無いでしょ

308日本@名無史さん2017/09/19(火) 21:28:16.98
>>307
これもいろいろごちゃ混ぜにしているんだろうな。
三輪山の神の娘が実在の人物で登場するから、奈良盆地の豪族なんだろう。
それを出雲の大国主に重ねて権威づけしただけ。

309日本@名無史さん2017/09/23(土) 14:27:20.23
鉄鏃の分布なんか見ると絶望的だよね
奈良なんて東京や千葉の10分の1だもんね
発掘なんて東京に比べりゃはるかに恵まれた環境なのに
九州に比べれば2桁違う
農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
吉備や尾張の方が全然上
ちなみに湖沼、沼地の干拓ってのは水を抜くのに苦労をする
治水のために水路を掘ると結構な残土が出るんだな
奈良盆地に3世紀以降古墳が出来たっつのはまあそういう事だ
摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後

310日本@名無史さん2017/09/23(土) 14:42:55.66
科学で
 妄想に挑む
  九州説

311日本@名無史さん2017/09/23(土) 14:44:46.38
>>299
古墳の年代決定が恣意的過ぎるな
6世紀の古墳を3世紀後半から4世紀と言ってる。

312日本@名無史さん2017/09/23(土) 14:50:34.90
>>303
>そもそも事代主と神武では記紀でも世代が違う。
せいぜい末裔の誰かだ。

アホか。
神武は事代主神の娘と結婚する。
事代主と神武は1世代違うだけなので何も問題はない。

313日本@名無史さん2017/09/23(土) 14:53:05.44
>>304
>考古学的には出雲は筑紫との繋がりが強い。
畿内、という枠組みがそもそも弥生時代にはまだない。
関西は日本海側と瀬戸内海側で違う文化圏で、奈良盆地はさらにどちらにも属さない東海地方の影響下だった。
まったく理解していないな。<

アホか。
加茂岩倉との兄弟銅鐸が近畿一円から多数出ている。
また大阪の鬼虎川遺跡の鋳型で作られた銅鐸が出雲から出る。
畿内と出雲は同文化だ。

九州ごとき防人のアホはだまっておけ。

314日本@名無史さん2017/09/23(土) 14:56:18.43
>>307

>大和朝廷の最初期で既に三輪大神(大物主尊大国主尊)が神として祀られていたわけで、そんな時代に事代主の神が豪族のして存在してるわけ無いでしょ

豪族でなくて王家だよ。
鴨の語源は神、つまり神族。
崇神は神族の王権を倒して怨霊が恐い物だから大神神社を建て、
手元にあった鏡を放逐、今は伊勢神宮にあるというわけさ。

315日本@名無史さん2017/09/23(土) 17:20:58.06
>>312
>事代主と神武は1世代違うだけなので何も問題はない。

記紀をもう一度読み直せ。

316日本@名無史さん2017/09/23(土) 17:23:20.30
>>314
>豪族でなくて王家だよ。

王を自称する豪族の一人。
中国から冊封された倭国王は博多湾沿岸の倭国王のみ。

317日本@名無史さん2017/09/24(日) 13:08:14.02
>>316
そんな人いないな

318日本@名無史さん2017/11/17(金) 11:28:37.58
鴨上げ

319日本@名無史さん2017/11/28(火) 19:53:15.10
晒し上げ

320日本@名無史さん2017/11/29(水) 08:02:48.20
後漢書、魏志倭人伝、宋書倭国伝、梁書倭伝、隋書倭国伝、旧唐書倭国伝などなど、中国の文献に倭国の記載が幾つもあります。
@これらは倭国の情報だと考えられますが、宋書以降、倭国はヤマト王権のことであるという読み替えがなされていると思います。その合理的な根拠はあるのですか?

・倭王武は、宋の時代から梁の時代まで朝貢していて、ヤマト王権の雄略天皇とは明らかに時代が合わない。しかし教科書的には宋書のみ記載して、雄略かな?とシレっと書いてます。

・隋書倭国伝でも、地理記載から(阿蘇山、東西5か月で海に至る)九州であることは明白です。(教科書は、隋書には触れていない。)

・旧唐書については、山川の教科書では、日本伝には触れるが倭国伝には触れていない。

A九州倭国の存在を明確に示すことは、難しいかも知れませんが、中国文献の倭国がヤマト王権であるとする方がもっと難しい(根拠がない)と思いませんか?

321日本@名無史さん2017/11/29(水) 10:53:49.03
マルチ氏ね

322日本@名無史さん2017/11/29(水) 11:56:48.25
晒し上げ

323日本@名無史さん2017/11/29(水) 22:24:35.32
痴態晒し上げ

324日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:36:08.71
え?

まさかそれだけ?

@阿波って名前の荒らしが荒らしまくってる根拠が

まさかまさかまさか

たったのそれだけ?

325日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:58:10.84
>土器についても阿波(東阿波型土器)
東阿波型土器が他地域にどう影響を与えているのか?

>墓制と朱についても阿波
どこにどう影響を与えているのか?

>鉄器も阿波
3世紀阿波の鉄器についての詳細は?

>中国朱も阿波
3世紀阿波の中国朱についての詳細は?

>九州にあるものは大概、阿波にも有る。   @阿波

九州にあるものが大概あるだけだと属国の証明になる

九州にあるものが九州以上にあって
その供給源についての詳細の証明は?

326日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:30:38.23
岡上が量産中

327日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:33:37.96
無鉄器大物主の倉庫

328日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:39:55.53
岡上が呟き中

329日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:48:51.46
民衆に鉄器がゼロじゃあどうにもならん

330日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:55:05.46
岡上が呟き中

331日本@名無史さん2017/12/01(金) 23:10:22.66
3世紀に鉄器ゼロで木器で土木作業

なーんだ?

332日本@名無史さん2017/12/01(金) 23:57:12.56
鉄器があるのに鉄器を渡さずに木器で土木作業させたら
不当労働を強制したということで訴えられないの?

333日本@名無史さん2017/12/02(土) 02:34:35.92
秀吉は訴えられるべき

334日本@名無史さん2017/12/02(土) 08:31:02.17
晒し上げ

335日本@名無史さん2017/12/02(土) 17:30:52.87
滋賀県彦根市稲枝大村剛志は組織犯罪に関与している
滋賀県彦根市稲枝前田高志は組織犯罪に関与している
滋賀県彦根市稲里かみへる高橋秀和は組織犯罪に関与している
最低な奴ら
消えうせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
あーすっきりした

336日本@名無史さん2017/12/03(日) 00:36:42.99
ひこにゃん

337日本@名無史さん2017/12/03(日) 15:17:05.92
畿内説のパターン

・どうせ魏志倭人伝なんて解読出来ないから言いたい放題だぁ! と思って妄想しまくる
      ↓
・それが解読されちゃう
      ↓
・畿内説メッチャ困っちゃう
      ↓
・ジイさん疑似科学に走る  ←イマココ

338日本@名無史さん2017/12/22(金) 00:54:45.95
>>337
疑似科学の特徴のひとつである陰謀説が古田の口癖だったのすら忘れてるのか、痴ほう症が進みすぎてあわれだな

339日本@名無史さん2017/12/22(金) 17:35:42.96
これも上げとかんかい

340日本@名無史さん2017/12/25(月) 13:24:27.01
でも畿内説も似非科学でしょ。

341日本@名無史さん2017/12/25(月) 20:03:23.72
見ることができないものを同定したりはしない

342日本@名無史さん2017/12/25(月) 20:14:50.57
畿内説はもう歴史学から手を引いたらいい。
過去のことは全て見ることができないのだから。

343日本@名無史さん2017/12/25(月) 20:40:47.31
少なくとも八咫鏡ガーとか鳥居ガーなどとは主張しないな
見ることができないものだからな

344日本@名無史さん2017/12/26(火) 06:11:39.16
>>342
考古学者が掘ってくる遺物は見えるよ

345日本@名無史さん2017/12/26(火) 12:34:29.82
>>343
糸島市の博物館に行きなよ。

346日本@名無史さん2017/12/26(火) 12:36:11.53
>>343
伊勢の神宝を見ることはできなくても、それを見た人の記録は見ることができる。
そこに描かれた特徴は、平原遺跡のものと一致する。

347日本@名無史さん2017/12/26(火) 14:33:39.51
>>346
本当に見てるか怪しいし、特徴があってるってのも思い込みかもしれないだろ

古代末から中世にかけて「八葉」がどういう意味で使われていたのか調べてみればw

348日本@名無史さん2017/12/26(火) 15:37:50.94
母親が百済系なの、隠してもいないしなー

349日本@名無史さん2017/12/26(火) 15:38:27.63
誤爆した

350日本@名無史さん2017/12/26(火) 15:41:12.57
頭の良い人は気づいている

『高野氏 出雲』

あのサルタ(猿田、仮名)の話とか

351日本@名無史さん2017/12/26(火) 15:46:38.81
>古事記・天孫降臨条に
>「僕は、国つ神、名は猿田毘古神ぞ。出で居る所以は、
>天つ神御子天降り座すと聞きつるが故に、御前に仕へ奉らむとて、
>参ひ向へて侍り、とまをしき。其の猿田毘古神、阿耶訶(あざか)に坐しし時に、
>漁(すなどり)為て、ひらぶ貝に其の手を咋ひ合さえて、海塩に沈み溺れき」と見ゆ。
>延喜式に伊勢国壱志郡に阿邪加神社(松坂市阿坂町)を載す。
>古代阿射賀国で猿田彦神を奉じた海洋民の居住地なり。
>神代に渡来した猿田彦は別名国底立神とある。
>神代初代国常立尊の別名で、二代が豊国主尊である。
>豊国とは朝鮮僧を豊国僧と呼び、国常立尊(猿田彦)・豊国主尊の父子は豊国(朝鮮)の海部族である。
>また、一説に猿田彦は出雲国秋鹿郡許曽志神社(松江市古曽志町)が生地であると伝承あり。
>最初に上陸したのは出雲国で、猿田彦とは代々の海部族首領の名である。
>出雲国に猿田彦を祭神とした赤秦社が多く鎮座す。
>猿の尻は赤いので赤秦と称すが、その実は、百済系祭神を赤と称し、新羅系祭神を白と称す。

352日本@名無史さん2017/12/26(火) 23:58:01.79
【八咫鏡】

平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。

伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。

353日本@名無史さん2017/12/27(水) 01:15:17.09
「八葉」が「八葉座」のことだってのが無知からくる思い込みなんだがなw

354日本@名無史さん2017/12/27(水) 08:02:29.91
ttps://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51600414.html

355日本@名無史さん2017/12/27(水) 09:06:33.45

356日本@名無史さん2017/12/27(水) 15:11:11.75
要するに八咫ばなしは与太話ってことだな

357日本@名無史さん2017/12/27(水) 16:00:23.26
反論は具体的に。

358日本@名無史さん2017/12/27(水) 17:04:54.87
>>357
「八葉」の意味をググってみた?

359日本@名無史さん2017/12/27(水) 19:19:54.43
八葉は鈕座を示しているわけではないというツッコミかな?
だとすると八頭花崎が鈕座を示して八葉が内行花文のことになる。
どっちにしても、そんな内行花文鏡は平原遺跡の鏡だけ。
平原遺跡の内行花文鏡が八咫の鏡だという結論はかわらない。

360日本@名無史さん2017/12/27(水) 20:28:48.08
ご託を並べる前にググってから、訳してみたらどう?
例の文章のどこにも鈕座だとは明記されてないよー

361日本@名無史さん2017/12/27(水) 20:49:31.26
マジレスすると天岩戸神話は皆既日食の象徴だろう
面白いのはこの天岩戸自体も神になってるんだよね
そして岩戸を開けた天手力雄神は相撲のルーツとか

実は九州でしかあの時代に皆既日食は起こっていない
岩戸隠れの年代つまり皆既日食は時代を遡って天体軌道計算で証明されてる

362日本@名無史さん2017/12/27(水) 20:51:54.59
循環論法ぽい

363日本@名無史さん2017/12/27(水) 21:51:37.97
>>360
漢文読めないから無理だと思われ

364日本@名無史さん2017/12/27(水) 22:14:19.74
八頭花崎と八葉形じゃなくて八頭花崎八葉形なんだな
それで初めて円外日天八座が理解できる
曼荼羅なんだな

365日本@名無史さん2017/12/28(木) 04:27:56.17
意見を小出しにするのはやめないか?

366日本@名無史さん2017/12/28(木) 08:26:00.97
自分に都合が悪いと調べようともしないらしい

367日本@名無史さん2017/12/28(木) 20:16:00.28
もったいぶるほどのことか、カス

368日本@名無史さん2017/12/28(木) 21:55:24.84
人間性が現れてるなw

369日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:07:53.86
反論できないから小出しにしてそれらしく思わせているだけ。

370日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:13:03.28
伊都国から八咫の鏡が出ると畿内説がツムツム
だって倭国の都が伊都に決まってしまうから、女王がいたのも伊都になる。

371日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:14:44.06
検索能力のないチェリーピッカーが虚勢を張ってるだけか

372日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:16:33.39
平原鏡=八咫の鏡が完全に崩壊してるのに確認すらできない哀れな老人

373日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:17:32.85
ヒント
つ中台八葉院

374日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:18:38.05
>>373
だめだよ甘やかしちゃ

375日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:22:07.25
>>373
あ〜あ

376日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:24:01.49
検索できたとしても漢文読めないから結局同じ

377日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:29:24.47
>>376
都合が悪い割注も無視を決め込んでるしな
結局結論先にありきでまともに史料を分析してない

378日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:31:34.51
円外日天八座

379日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:40:03.80
↑を岡上はどう説明してるの?

380日本@名無史さん2017/12/29(金) 22:44:32.94
挙げ

381日本@名無史さん2017/12/31(日) 15:09:31.01
逃げ出したようだなw

382日本@名無史さん2018/01/02(火) 17:58:08.72
岡上逃亡w

383日本@名無史さん2018/01/03(水) 07:35:57.57
八咫バカ死亡上げ

384日本@名無史さん2018/01/03(水) 18:20:25.33
岡上逃亡上げ

385日本@名無史さん2018/01/04(木) 12:09:15.66
岡上逃亡上げ

386日本@名無史さん2018/01/05(金) 01:04:10.04
岡上敗北あげ

387日本@名無史さん2018/01/05(金) 23:20:47.82
八葉≠八葉座確定挙げ

388日本@名無史さん2018/01/05(金) 23:49:18.75
なにがどうしたら、そんなことが確定するだ?
かなり病的だな

389日本@名無史さん2018/01/05(金) 23:52:18.25
>>388
古代から中世における「八葉」の用例を調べればわかる

390日本@名無史さん2018/01/05(金) 23:56:31.63
ぼかしたことしか言えないのは、詐欺だからだな。

391日本@名無史さん2018/01/05(金) 23:57:48.26
妄想乙

392日本@名無史さん2018/01/05(金) 23:58:45.72
中世の宗教書の内容を引用するのに際して
当時の用語の意味を検討してないとか
学界で相手にされないのも無理はないな

393日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:00:36.91
>>390の目の前にあるのはただの箱らしい
あるいは掌のなかにあるのはただのカマボコ板らしい

394日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:02:37.78
学問の探究者=ヒントから自分で調べる
勘違い傲慢爺=自分で調べることもせず罵倒

395日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:04:08.51
奥の山さんは荒らしてばかり。

396日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:05:08.72
全1病www

397日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:06:47.08
>>396
自分のスレを早く立てて帰りなよ。

398日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:09:00.89
自分で調べずに他人に責任転嫁…
さぞかし顰蹙を買ってきたのでしょう
周囲の方にご同情申し上げる

399日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:10:56.86
・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常

400日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:12:20.55
>>397
お前は偽スレ立てるなよwww

401日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:12:58.91
八葉≠八葉座確 と確定したんだろ、
だったら、そう主張したほうが根拠だせよ。

論拠を提示せず、自分で調べろとな?

402日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:14:22.78
>>399
ほったらかしのスレを埋めようとする相手を罵倒するのも異常だな

403日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:16:04.09
さすがに自説の死亡が確定するから食い下がるな

404日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:17:36.97
>>401
そもそも八葉=八葉座になんの根拠もないし

405日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:20:31.34
>>401
話をすり替えるなカス
八葉≠八葉座 と確定したなら、
それを証明して見せろよ。

406日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:23:44.87
八頭花崎八葉形でひとつの文章なんだよ
それが理解できないアホにいくら説いても無駄だもんね

407日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:24:57.26
>>405
>>401がカスであることには禿げ同

408日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:26:04.13
円外日天八座

409日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:29:49.37
中台八葉院

410日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:32:35.45
伊勢神道だと天照は大日だったけか
さもありなんだな

411日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:35:07.94
>>392
咫は頭の古語っていう割注すら気が付いてなかったくらいだし

412日本@名無史さん2018/01/06(土) 00:46:09.78
八頭花崎の八葉形です

413日本@名無史さん2018/01/06(土) 01:01:10.02
八弁の○○○形です

414日本@名無史さん2018/01/06(土) 01:18:16.53
八葉=○○○

415日本@名無史さん2018/01/06(土) 02:41:37.36
卑弥呼や倭の五王は畿内に実在した
これは考古学的に堅い

どういう関係かは今となってはわからないが、
分家の応神が九州から乗っ取り今の天皇家の基礎を築いた
邪馬台国東遷ではなく大和朝廷東遷が正しく要するに神武天皇とは
応神の東征を過去に投影しただけ
九州から大和を確かに征服した確かなと見ていい史実であり
これが建国神話に反映していないというのも無理
要するに神武とは応神のこと

五王の畿内王権はほぼ考古学的に裏とれている

卑弥呼の頃の邪馬台国が九州にありそれが出雲飛ばして
畿内を制圧すんのは無理あるし
九州から畿内の征服がないのも馬鹿げている
神武の東征が必要なくなる
東征はあった
応神の時に
明確な九州による東方征服

416日本@名無史さん2018/01/06(土) 08:21:14.60
>>406
反論はもっと体系的にしないと相手に伝わらない。

417日本@名無史さん2018/01/06(土) 08:23:33.03
>>415
応神は卑弥呼より後だよ。
それと3世紀の畿内に九州に対抗する国力はない。
3世紀より後に九州が畿内を征服しただけ。

418日本@名無史さん2018/01/06(土) 08:25:29.98
鈕座が8葉の内行花文鏡が平原遺跡の鏡しか見つかっていないんでしょ?
だったら現状では八咫の鏡の可能性が一番高いでしょ。
そして、伊都国が倭国の都。

419日本@名無史さん2018/01/06(土) 08:40:49.25
>>418
自己矛盾

420日本@名無史さん2018/01/06(土) 08:53:01.64
>>419
だから、反論はもっと体系的にしないと相手に伝わらない

421日本@名無史さん2018/01/06(土) 08:57:28.09
畿内厨はバカだから文章がかけないので、単語を並べるだけ。
八咫鏡の模様は、マンダラなんだぞ、とでも言いたいのか??
それだと単に可能性の一つを提示しただけだな。

422日本@名無史さん2018/01/06(土) 11:14:15.83
八葉が八葉座だっていうのもひとつの可能性
御鎮座伝記には八葉が八葉座のことだなんてどこにも書かれていない
しかも円外日天八座を説明不能

八葉が宗教書に書かれているということを直視すると
八葉が仏教用語だと理解でき
円外日天八座の意味も理解できる

いかれ頭には理解できないだろうが

423日本@名無史さん2018/01/06(土) 14:24:13.78
>>417
古い年代観のもとでの3世紀だろ、その辺は今は1か2世紀あたりのこと
残念だね

424日本@名無史さん2018/01/06(土) 14:28:01.83
応神は4世紀だよ。

425日本@名無史さん2018/01/06(土) 14:28:06.43
>>417
九州土人のコンプレックスいい加減にしてね

426日本@名無史さん2018/01/06(土) 14:30:16.77
>>422
円外日天八座の鏡があるなら見せてくれ。
そもそも仏教伝来より前のはずだろ。
もし八咫の鏡に仏教の要素があるなら、それは後世の作になってしまう。

427日本@名無史さん2018/01/06(土) 14:31:30.64
>>425
漢から冊封された王墓があるのは、九州北部だけなんだが。

428日本@名無史さん2018/01/06(土) 14:54:46.85
>>426
そんな鏡はないな
もちろん平原の鏡にも該当する部分はない

つまり、御鎮座伝記に記される八咫鏡は、当時の宗教観によって観念された、想像の鏡だってことさ

で、八葉が何かは調べたのかい?

429日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:01:14.44
>>427
根拠は?

430日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:16:05.26
>>429
弥生王墓でググレカス

431日本@名無史さん2018/01/06(土) 15:26:18.22
はち よう −えふ [0] 【八葉】
@
八枚の葉,または紙。
A
八枚の花弁,特に蓮の花弁の形。また,一つの円を中心に周囲に八つの円を配した文様。

で??

432日本@名無史さん2018/01/06(土) 17:50:32.81
ググることも満足にできないらしいwww

433日本@名無史さん2018/01/06(土) 20:15:53.62
>>432
いや、一応検索したってことでw

引用文にも宗教用語としてのヒントがあるんだから、ここから掘り下げればいいんだけどね

434日本@名無史さん2018/01/06(土) 20:43:16.46
どうせ後世の話だろ

435日本@名無史さん2018/01/06(土) 23:11:40.14
つ八葉の車

436日本@名無史さん2018/01/06(土) 23:40:09.62
で?

437日本@名無史さん2018/01/07(日) 00:50:15.85
古語辞典で引いてみれば幸せになれるよ

438日本@名無史さん2018/01/07(日) 01:56:18.64
いろいろググってみた

はち ようの はちす −えふ− 【八葉の蓮▼】
@
花弁の八枚ある蓮。
A
〘仏〙 極楽浄土の別名。八葉蓮華。

八葉蓮華
はちようのれんげ
花弁が8葉ある蓮華。真言密教などでは胎蔵界曼荼羅の中央にこれを描き,中央に大日如来,8葉に4人の仏陀と4人の菩薩を配する。

仏教用語でいう八葉蓮華とは、どういうことですか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1125108161

はちえふ−の−くるま 【八葉の車】
分類連語
「網代車(あじろぐるま)」の一種。車の箱の外装に、青地に黄色で八弁の蓮(はす)の花(=八葉)の紋様を散らした牛車(ぎつしや)。摂関・大臣から地下(じげ)(=六位以下の役人)に至るまで広く用いられた。

中台八葉院
http://www.mikkyo21f.gr.jp/mandala/mandala_taizoukai/01.html

439日本@名無史さん2018/01/07(日) 05:59:52.37
もし伊勢の八咫の鏡が仏教の影響下で作られたものであれば、それは後世の復元品が保管されていることになる。
宮中の八咫の鏡も灰の形状になっているという。
本来の形状を今に伝えるものは平原の鏡だけなのかもしれない。

440日本@名無史さん2018/01/07(日) 11:09:29.48
伊都国は大阪湾一帯の芦原中津國の宮家。
天孫降臨は奴国から、博多湾一帯を割譲してもらい、伊都国を作る話。

441日本@名無史さん2018/01/07(日) 11:12:05.52
大阪湾と博多湾の勢力は親戚。

伊勢は、火神石神阿波が倒した芦原中津國の鎮魂の場所。

442日本@名無史さん2018/01/07(日) 11:12:47.36
伊勢湾は芦原中津國の神々の荒魂を祀る場所なのだ。

443日本@名無史さん2018/01/07(日) 11:21:39.06
剣は倭人の王イザナギ
玉は本来のスサノオ、ヤマタノオロチ(丹後半島、丹波から逃れてきた)
鏡は月読にしてサルタヒコ(島根の神庭から逃れてきた)

芦原中津國を作った神々。

444日本@名無史さん2018/01/07(日) 12:11:30.50
大阪湾も伊勢湾も、筑紫倭国の勢力が侵入しただけですよ。

445日本@名無史さん2018/01/07(日) 12:13:51.13
まあ、朝鮮半島まで鉄を摂りに
言ってたような連中が
阿波や三重に行けないはずはないからね。

446日本@名無史さん2018/01/09(火) 01:28:26.18
八葉は蓮華のことだから、八頭花崎八葉形とは八弁の蓮華形ってことだね
で、八葉には仏教的に極楽や仏のいる場所みたいな特別な意味もあると

そこで円外日天八座が、曼荼羅を意図した文であると理解できるわけだ

447日本@名無史さん2018/01/09(火) 08:33:40.35
>>446
つまり伊勢の鏡は仏教伝来後に再製作されたもの。
真作は平原遺跡の内行花文鏡。
内行花文鏡は漢代から王権の証だからね。

448日本@名無史さん2018/01/09(火) 09:03:29.32
根拠なし

449日本@名無史さん2018/01/09(火) 12:40:14.17
そもそも伊勢神宮に関する神話自体が奈良時代に作られたっぽいし、
伊勢神宮が天皇家と深い関係を持つようになったきっかけが壬申の乱とされている
とすれば必然的に伊勢の鏡は飛鳥時代末か奈良時代初頭のものってことだろ、
仏教伝来後だ。おかしくないな。

その原型が九州に実在したという与太話だけが根拠なし。

450日本@名無史さん2018/01/09(火) 12:44:21.02
何度か焼けているとのことだから、製作し直した可能性は十分にある。

451日本@名無史さん2018/01/09(火) 12:45:02.28
>>449
>その原型が九州に実在したという与太話だけが根拠なし。

実際に鏡が発掘されてしまったからね。

452日本@名無史さん2018/01/09(火) 14:12:37.76
別物です

453日本@名無史さん2018/01/09(火) 18:52:58.02
伊勢神宮の鏡の「樋代」(容器)は外径60センチ内径49センチ

『延喜式』の『伊勢大神宮式』でも、『皇太神宮儀式帳』でも、容器の内のりが一尺六寸三分(49センチ)

平原の鏡46.5センチ

ちょうどいい大きさの容器なのも偶然?という話
同じ可能性はもちろんあるでしょうね

454日本@名無史さん2018/01/09(火) 19:51:49.24
円外日天八座が無い
明らかに別物

455日本@名無史さん2018/01/09(火) 22:28:01.50
>>454
ということは、伊勢にあるのは贋作

456日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:27:12.67
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

2CES4

457日本@名無史さん2018/01/30(火) 23:07:46.00
邪馬台国

458日本@名無史さん2018/03/01(木) 17:54:52.64
102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ

徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ

聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w

ホント学者は使えねえ

459日本@名無史さん2018/03/12(月) 00:49:50.82
こういうクズスレは、>>5の言うとおり、削除依頼を出した方がいいんじゃないか?

460日本@名無史さん2018/03/12(月) 01:14:46.46
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

461日本@名無史さん2018/03/12(月) 08:16:45.90
>>98
>クソテンプレのスレは

テンプレに反論一つできないんだね
口惜しそうww

462日本@名無史さん2018/03/12(月) 08:19:31.98
邪馬台国畿内説を批判してないスレ

463日本@名無史さん2018/03/12(月) 13:09:37.57
 
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。

また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。

ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。

つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。

というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。
ここに卑弥呼はいないという事です。

464日本@名無史さん2018/03/12(月) 13:17:24.18
妄想語っても批判にならんがな

465日本@名無史さん2018/03/16(金) 23:18:08.48
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

466日本@名無史さん2018/03/17(土) 12:30:06.49
デンパ乙

467日本@名無史さん2018/03/18(日) 09:07:21.28
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの延べ何百時間にも及ぶ大規模調査が実施された2013年以来、箸墓古墳を卑弥呼の墓とは、誰も言い張らなくなってきたね。。。

468日本@名無史さん2018/03/19(月) 08:54:35.45
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

469日本@名無史さん2018/03/20(火) 15:29:36.51
この、キウスとか言う人、別に2013年に大規模調査があったなんてこと、
信じてないよね?

どうしてこんなにバカなことをしてるんだろう?

ケーススタディとしておもしろいから、本心を教えてよ?

470日本@名無史さん2018/03/20(火) 16:39:18.82
自説を語るでもなく、単に誰も信じないたわごとを貼り続ける動機ってなんだろう?

構ってちゃんなのかな?

471日本@名無史さん2018/03/20(火) 16:49:23.08
構ってあげたら?

472日本@名無史さん2018/03/20(火) 17:19:19.86
構うより埋めた方が早くね?

473日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:12:59.23
荒らすなボケ

474日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:26:44.61
>>470
低脳なんだよ

475日本@名無史さん2018/03/20(火) 20:39:58.02
議論の結果畿内説敗退

476日本@名無史さん2018/03/20(火) 21:02:02.81
 赤村に巨大な前方後円墳−。こんな話が、地元住民の間やインターネット上でささやかれ始めている。
地元の古代史研究グループによると、現場の航空写真から鍵穴型丘陵の全長は約450メートル。
日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(堺市)の墳丘長に迫る大きさとあって、
古代史ファンからは「卑弥呼の墓では?」といった期待の声も聞かれる。

 丘陵は同村の西端、内田小柳地区の雑木と竹に覆われた民有地で、
東側を平成筑豊鉄道と県道418号が南北に走る。
数年前から丘陵の形に着目してきた田川地域住民などでつくる「豊の国古代史研究会」の調査では、
後円部に当たる部分は直径約150メートル。
魏志倭人伝にある邪馬台国女王卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。

 また、丘陵沿いの住民によると、東側にある後円部と前方部のくびれのような場所では、
タケノコ掘り中に土器片が多数発見。周濠(しゅうごう)の部分に当たる丘陵西側脇には、
以前から湿地が広がっていたという。

 現在まで発掘調査はなされておらず、真偽は謎のまま。田川地域の自治体の文化財担当者らは一様に、
丘陵を「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定している。

画像:赤村内田にある前方後円墳のような地形(Google Earthより)
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_chikuhou/20180320/201803200002_000_m.jpg?1521493293

西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/402402/

477日本@名無史さん2018/03/25(日) 17:06:41.69
>>474
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

478日本@名無史さん2018/03/26(月) 13:40:50.49
赤村古墳もどきについて、もっと踊って欲しいな!

479日本@名無史さん2018/03/26(月) 18:06:19.82
大型古墳は4世紀以降だよ。
九州であれ畿内であれ。

480日本@名無史さん2018/03/26(月) 18:40:09.55
>>476
その真ん中辺の小柳ってのは何なの?
それって、最近作った古代ファンの小柳家の墓って、落ちだろw

481日本@名無史さん2018/03/27(火) 10:04:57.93
これ、前方後円形に見えているのは、木の刈り込みなんだよなww

482日本@名無史さん2018/03/27(火) 23:53:38.81
>>98
>クソテンプレのスレはもう立たなくていいよ。

そんなにあのテンプレが論破できなくて口惜しいの?
否定できないから目障りでしょうがないの?

ねえねえ、負け惜しみ言うくらいしかできないの?

483日本@名無史さん2018/03/29(木) 17:04:28.93
鉄鏃の分布なんか見ると絶望的だよね
奈良なんて東京や千葉の10分の1だもんね
発掘なんて東京に比べりゃはるかに恵まれた環境なのに
九州に比べれば2桁違う
農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
吉備や尾張の方が全然上
ちなみに湖沼、沼地の干拓ってのは水を抜くのに苦労をする
治水のために水路を掘ると結構な残土が出るんだな
奈良盆地に3世紀以降古墳が出来たっつのはまあそういう事だ
摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後

http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg

484日本@名無史さん2018/03/29(木) 19:33:57.92
本当にコピペしか貼らないな

まあ、進歩を拒否した儒教価値観の人間(日本人とは価値観が異なる)しか
九州説の書き込みをしていないからしょうがないね

485日本@名無史さん2018/03/30(金) 13:24:07.28
赤村の前方後円墳のニュース、続報もまったくないな

もう少し釣られてやればいいのにw

486日本@名無史さん2018/03/30(金) 13:57:08.64
大型前方後円墳は卑弥呼と関係ないよ。

487日本@名無史さん2018/03/30(金) 14:17:40.08
>>486
>大型前方後円墳は卑弥呼と関係ないよ。

墳丘長100メートルくらいの大型(纏向型)前方後円墳は、同じ時代だし
関係ないってことはないよ

488日本@名無史さん2018/03/30(金) 16:54:24.74
どうしてこのスレ、誰も畿内説を批判しないの?

489日本@名無史さん2018/03/30(金) 17:29:54.34
する必要あるのか?

490日本@名無史さん2018/03/30(金) 17:48:56.65
誹謗したりデマをばら蒔いたりする人はいるけどまともに批判できる人はいなくなったよね
本人的には批判してるつもりなんだろうけど、実態としては誹謗中傷かデマか、どちらかしか書けてないんだよね

491日本@名無史さん2018/03/30(金) 18:44:56.52
>>489
スレタイ見ろ
出来ないなら次スレは無しな

w

492日本@名無史さん2018/03/30(金) 18:53:46.51
>>491
489だが、俺はこういう乱立ムダスレを使いつぶすためにだらだら書いてるだけ

次スレはなしな、がと乙相手なら楽なんだけどねぇ

493日本@名無史さん2018/03/31(土) 15:16:43.79
九州「説」はもういないからね

論説として説明できる人がいない

結論ありきで、議論もできず、否定されていることを正しいと言い張る人しかいない

494日本@名無史さん2018/03/31(土) 15:37:26.18
ひとことも批判出来ないくせ、こんなスレだけ次々と立てる九州説は頭がどうかしてる

495日本@名無史さん2018/03/31(土) 17:24:04.13
>>493
だな

膨張宇宙論とか相対論とかの、ほぼ正しい説でも仮説、説として扱われるのに対して、
邪馬台国九州説やら九州王朝説はは学説未満に落ちぶれたもんな

496日本@名無史さん2018/03/31(土) 18:11:59.77
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)

497日本@名無史さん2018/03/31(土) 22:40:21.73
畿内説はもはや論拠が全くない状況。
完全なる妄想と化した。

498日本@名無史さん2018/03/31(土) 22:48:32.13
本当にオウム返しのパクリ劣化コピーばかり書くよな
ミンジョクの業なのかねぇ

499日本@名無史さん2018/04/01(日) 02:34:42.75
>>497
という証拠は?

500日本@名無史さん2018/04/04(水) 16:13:37.07
いかなるときも、言うことに証拠が無いのが、九州説

501日本@名無史さん2018/04/14(土) 20:05:08.86
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)

502日本@名無史さん2018/04/23(月) 23:15:15.87
ここもムダスレだから、少しずつ使い潰していくかな

503日本@名無史さん2018/04/24(火) 05:54:38.49
畿内説批判じゃなくて、根拠もないけど、難癖を付けて憂さ晴らしがしたいっていうスレだな

それすらできてないけどw

504日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:27:42.09
せっかくだから、備忘録的なメモ置き場にでもしようか

505日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:30:54.67
墳丘長200メートル以上の大古墳は、全国に40基ある
奈良県 20基
大阪府 15基
岡山県 造山古墳
    作山古墳
    両宮山古墳 
群馬県 太田天神山古墳
京都府 神明山古墳 

トップ101で数えると墳丘長137メートルまで数えることになるが、
奈良県 34基
大阪府 27基
岡山県 9基
群馬県 5基
京都府 5基
兵庫県 茨城県 宮崎県 3基
三重県 2基
宮城県 山梨県 愛知県 鹿児島県 福岡県 千葉県 
岐阜県 福井県 石川県 香川県 埼玉県
が1基ずつだね
ちなみに福岡県は岩戸山古墳で80位 筑紫君磐井の墓だね
これで、古墳時代の間中ずっと存続していたという九州王朝を
どうやったら想定できるのか

506日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:31:39.26
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
  尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
  咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
  咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
  日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想

咫を円周を測るのに使っている例はない

507日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:32:15.06
漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
  尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
  咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
  咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である

咫を円周を測るのに使っている例はない

508日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:32:40.55
三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
  咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味

咫を円周を測るのに使っている例はない

509日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:33:49.41
後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
  尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
  咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
  咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味

咫を円周を測るのに使っている例はない

510日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:34:04.01
史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺    で使われているのが23件  
   尺有咫   で使われているのが 7件
   八寸曰咫  で使われているのが 6件

「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている

「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる

「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸

ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ

要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」      長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」

咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない

これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね

つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない

511日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:34:31.04
平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない

平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない

したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない

しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない

つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である

512日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:34:51.29
邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる

その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ

513日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:37:32.97
大きい鏡という意味の普通名詞ではない、と考える限り
八咫鏡の「本物」は誰が何と言おうと、伊勢の神宮の御神体の鏡だ

そして、その八咫鏡は見てはいけない鏡なので、実見記録はないがその入れ物については実見記録がある

八咫鏡は遷宮の際に、御桶代に入れた上で御船代に載せて、移動するが
「そのオケの大きさが平原の鏡と一致する」と主張する伊都国説の人がいる

しかし、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に 「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、 蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、 その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

本物の伊勢の八咫鏡と、平原1号墓出土鏡は大きさが異なることが明らかであり、
その意味で平原遺跡出土の大型内行花文鏡は記紀において八咫鏡と呼ばれる鏡ではない

514日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:38:24.68
>八咫鏡は一尺六寸三分(49センチほど)と記載がある。

>>294をよく読んで
それ、八咫鏡の大きさじゃなくて、御樋代の大きさだよ
八咫鏡そのものは誰も見てはいけないから、大きさも測った人はいない

この御樋代の大きさから、八咫鏡の大きさを想定している人が多いけれど、
その中にさらに黄金鑵があって、八咫鏡はその中に入っている
黄金鑵の内径が9寸という話

平原出土鏡は入らないでしょ?

『皇太神宮儀式帳』は、遷宮のときに新しく用意する御道具が記載されていて
黄金鑵は遷宮のたびに作ったりしないから、載っていない

原本引用しておくから確認してみて
『皇太神宮儀式帳』
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h248/image/01/h248s0016.html

御樋代一具 深一尺四寸 内八寸三分 
      径2尺   内一尺六寸三分

『延喜式』は電子テキストで参照できる
『延喜式』4(伊勢大神宮)・造備雑物条〔24〕
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/000008.html

樋代一具。正宮料。高二尺一寸。深一尺四寸。内径一尺六寸三分。外径二尺。

515日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:39:00.07
そもそもウィキペディアの「八咫鏡」のページの
説文解字の解釈が大間違いだからな

咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也
(咫、ふつうの婦人の手の長さ八寸で、これを咫という、「周を計る尺度」なり)

「周を計る尺度」が誤訳もいいとこ
「周(の時代)の尺である」が正しいのは、説文解字の注釈まで
ちゃんと読めば確認できる

516日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:39:23.74
説文解字の「咫」は、清代の注釈 清代 段玉裁《說文解字注》を載せていて、
それに拠ると以下のとおり

周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
 按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

517日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:40:20.11
周尺也。  
周尺である

夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
夏王朝の法は「日」で、太陽の数が10なので、10寸を尺とした

殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
殷王朝の法は「十二月」で、1年が十二月なので、12寸を尺とした

周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
周王朝は地によりて生じた、地は陰であり、それで婦人を法とした
婦人の奄を広げると8寸になるので、8寸を尺とした

 按奄字未詳。疑是手之誤字。
 奄の字はよく分からない、手の誤字ではないかと疑う

518日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:44:56.95
皇統と無縁の八咫鏡の例が挙げてある
再掲
日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇

別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連連、未詳何姓人奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。
是、角臣等初居角國而名角臣、自此始也。

小鹿火宿禰も大伴大連も皇族でも皇統でもないだろ?
その間で、詫び証文的に送られているのが「八咫鏡」と呼ばれている
これは三種の神器とは無関係

つまり、普通名詞としての「八咫鏡」だよ

519日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:50:28.78
また、皇統と無関係の「八尺瓊勾玉」も日本書紀に出てくる

日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇

昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。

もともとは、「八咫鏡」も「八尺瓊勾玉」も普通名詞として、
三種の神器以外にも使われていたことが分かる

520日本@名無史さん2018/04/24(火) 10:28:28.16
>>517の続き
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
上の文では十寸を尺と為すとある ここに及びその字は、下で周の制度では八寸を尺と為すという

別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
別の周の制度は古と異なるなり 王制曰く、古は周尺を以って八尺を歩と為す
今、周尺を以って六尺四寸を歩と為す

鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
鄭注では、周尺の長さ(数)はいまだにはっきりとしない 礼制から考えるに、周はなお十寸を以って尺としたようだ

 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
 けだし、六国時(春秋時代)には、多くの変乱した法度が用いられていた
 あるいは周尺は八寸という 歩を以ってさらに八と為す(八尺が歩) 八八、六十四寸となる(今以周尺六尺四寸爲步と一致する)
  
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
鄭(のいうこと)は八寸を尺と為す、という意味になる
周末の頃に、この測り方が始まった 異説ももちろんありうる 諸侯の力政のためということもまたありうる

分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
七国に分かれた時代(戦国時代)である 田の大きさ、車の車輪の幅、律令の法も、国ごとに異なっていた
すなわち、その説くところもまたいまだかつて合わないのもしょうがない

左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
佐伝(左氏春秋伝) 天威不違顏咫尺 天子の威光、咫尺に顔を違らざる
咫尺を並べていう 二尺とは言わざるなり(咫と尺は同じ長さ(=八尺)ではない)

國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。
国語(春秋外伝)では、列子皆その長さを「尺有咫」という
またその長さを二尺とは言わざるなり
これ、周はいまだかつて八寸を尺と為さざる証というべきや

521日本@名無史さん2018/04/24(火) 12:02:23.29
>>520の補遺
《王制》 出自《礼记》是指古代君主治理天下的规章制度,
内容涉及封国、职官、爵禄、祭祀、葬丧、刑罚、建立成邑、选拨官吏以及学校教育等方面的制度。

禮制,漢語詞彙,漢語拼音為lǐ zhì,
是コ治夢想的具體化,指的是通過禮儀定式與禮制規範塑造人們的行為與思想;
通過法律的懲罰維護禮法的絕對權威。

據史實而論,西周王朝的禮制和官制顯然受先周禮制文明的影響,尤其.
對夏、商二代之禮制及官制有其沿襲的軌跡。
究其遠源,姬周王朝官制與禮制之形. 成,實際上應追溯到堯舜時代。

鄭注
後漢の鄭玄(じょうげん)による経書の注釈

522日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:25:32.56
纏向遺跡と出雲、吉備の間は、双方向の土器の移動が確認できる
吉備甕は、北部九州から畿内まで出土している

北部九州の土器は、畿内ではあまり出ないが、北部九州では畿内様式土器が
畿内第V様式から順に、畿内の土器形式の変遷に合わせて出土している
この部分については、ソースをつけておくから確認してくれ
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

523日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:36:14.40
地域別人口の超長期的推移
http://www2.ttcn.ne.jp/
honkawa/7240.html  
地域別人口規模の順位の変遷
http://www2.ttcn.ne.jp/
honkawa/7242.html  
鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて
 畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が揃ってシェアを拡大し、
 そのうち畿内周辺は全国1になっている。この5地域は平安前期には、
 やはり揃って地位を低下させている。
 ある時期、これら地域がひとつのまとまりとして他地域を凌駕する人口扶養力を
 養えたことが日本の古代国家の成立の背景となったと捉えることができる。」

524日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:42:38.60
奈文研の遺跡データベースで検索した時のヒット数のことだろ?
でも、そのデータベースの説明で
「データベースの情報源は大きく 3 つに分けることができる。
 1 遺跡地図
 2 遺跡地名表
 3 発掘調査報告書(報告書抄録)
 遺跡地図は都道府県教育委員会、市町村教育委員会が発行する遺跡に関する包括的な情報源として
 最も大切なものである。『地域によって精度、更新頻度が異なり、近接自治体との情報格差が存在』する。
 地図が付加されていて位置情報の取得も可能な資料である。」

と書いてある

『地域によって精度、更新頻度が異なり、近接自治体との情報格差が存在』
九州説はこのデータベースのヒット数で、福岡県の方が多いと「言える」と
思っているようだけれど、そんなことはないんだよ

525日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:43:13.16
実際に検索してみると
0. [遺跡データベース] 482701件
1. [3001など複合条件] 15436件 「弥生時代の集落遺跡」
2. [福岡県] 1703件
3. [調査 (除外検索)] 723件   「調査を除外」
福岡県の「弥生時代集落」のデータのうち、980件が調査報告の件数で遺跡数ではない

0. [遺跡データベース] 482701件
1. [3001など複合条件] 15436件
2. [奈良県] 229件
3. [調査 (除外検索)] 47件
奈良県だと、「弥生時代集落」のデータのうち、182件が調査報告の件数で遺跡数ではない

また、奈良県だと唐子鍵遺跡で1件としている
182075 個別 29363 唐古・鍵遺跡 奈良県磯城郡田原本町大字唐古および鍵

それに対して、糸島の三雲遺跡群は5件のデータとして、データベースに登録している
341072 地区 40230 三雲・井原遺跡 456-1・458-1番地 福岡県糸島市三雲456-1/458-1
403731 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷471・482-1
403728 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷478-1・479-1・537-2
403729 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷480-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷480-1
403725 地区 40230 三雲・井原遺跡 井の川529-2地区 福岡県糸島市三雲字井の川529-2

結局、何を以って遺跡数とするかは、その地方自治体の考え方次第ってことで、
奈文件のデータベースは、それをそのまま記載しているってことだ

これで、福岡の方が奈良より遺跡が多いとか、言ってもしょうがないだろ?

526日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:43:36.78
福岡県の弥生墳墓遺跡だと
調査を除いて757件がヒットするけど、そのうち
「204件」が宮若市沼口字汐井掛の汐井掛遺跡で
「汐井掛第90号木棺墓」とかの個別の墓一つ一つが数えられてる

そりゃぁ、数が多くなるのが当然だわ

527日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:44:02.63
ごめん、三雲遺跡群、もっとたくさんあった
三雲・井原遺跡で地区登録が15件 その他個別登録で9件
合わせて24件だった

341072 地区 40230 三雲・井原遺跡 456-1・458-1番地 福岡県糸島市三雲456-1/458-1
403739 地区 40230 三雲・井原遺跡 ヤリミゾ2582・2583地区 福岡県糸島市三雲字ヤリミゾ2582・2583
403734 地区 40230 三雲・井原遺跡 ヤリミゾ428・429地区 福岡県糸島市三雲字ヤリミゾ428・429
403738 地区 40230 三雲・井原遺跡 ヤリミゾ434地区 福岡県糸島市三雲字ヤリミゾ434
403726 地区 40230 三雲・井原遺跡 下西526-1地区 福岡県糸島市三雲字下西526-1
403727 地区 40230 三雲・井原遺跡 下西533地区 福岡県糸島市三雲字下西533
403733 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷426地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷426
403731 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷471・482-1
403728 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷478-1・479-1・537-2
403727 地区 40230 三雲・井原遺跡 下西533地区 福岡県糸島市三雲字下西533
403733 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷426地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷426
403731 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷471・482-1
403728 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷478-1・479-1・537-2
403729 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷480-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷480-1
403725 地区 40230 三雲・井原遺跡 井の川529-2地区 福岡県糸島市三雲字井の川529-2

528日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:44:19.97
153426 個別 40230 三雲・加賀石支石墓 福岡県糸島市三雲加賀石 333236.3 1301440.0
348190 個別 40230 三雲井ノ川遺跡 福岡県糸島市三雲
153421 個別 40230 三雲原際所在7-729墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲原際 333223.5 1301400.3
153432 個別 40230 三雲原際所在7-740墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲原際
153430 個別 40230 三雲屋敷所在墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲屋敷
153431 個別 40230 三雲所在墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲
153428 個別 40230 三雲柿木所在7-736包含地(仮称) 福岡県糸島市三雲柿木
153429 個別 40230 三雲柿木所在7-737包含地(仮称) 福岡県糸島市三雲柿木
445195 個別 40230 三雲郡所在包含地(仮称) 福岡県糸島市三雲郡

529日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:45:25.87
例えば、桃の種2000個が見つかったのは、祭祀土坑のあとで、供献土器も同時に出ている
3世紀当時の直接的な祭祀・宗教行事の直接的な考古学的遺構としては、ほぼ唯一の発掘成果だ

纒向遺跡の一番の重要性は、前方後円墳祭祀が統合・完成された、宗教的な中心都市だった点にある

箸中山古墳に先行する纒向型前方後円墳時代の纒向古墳群の時点で当時の列島最大の墳丘墓であり、
埋葬部分、墳墓そのものが最重要の遺跡なんだよ

530日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:47:24.45
>>527
時代とかが違う遺跡が含まれているから、たまたま三雲地区にあるというだけで、別々に数えることは不適切ではない。

531日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:48:35.91
魏志倭人伝には
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩
と書かれている
つまり、倭国は王が死んだら大きな冢を作る国だ、と書いてある訳だ

大きな墓を作らない地域は倭王の所在地としては除外してよい

そして卑弥呼の墓の候補は、その当時の最大の墓がまず第1候補となる
纒向石塚古墳から箸中山古墳まで累代的に築造されたと考えられている纒向古墳群の
5つの墳墓はいずれも列島最大であり、編年によってそのうちのどれに当たるかは前後しても
纒向古墳群のいずれかが卑弥呼の墓の第1候補となることには変わりがない

編年が今後より古い方にスライドすれば、箸中山古墳が卑弥呼の墓の確率が高くなる

532日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:49:57.61
>>531
>そして卑弥呼の墓の候補は、その当時の最大の墓がまず第1候補となる

論理の飛躍。

533日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:50:36.93
剣、勾玉、鏡のセットは大王家の独占物じゃないよ
普通の豪族の古墳でも出ている
山口の赤妻古墳とかね

畿内では大王墓は発掘できないand/or盗掘済みで、出てないってだけだよ

534日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:51:37.05
山梨県の笛吹市平林2号墳でも揃ってるね
自分でもちょっとググってごらんよ
普通の特に目立たない古墳でも、結構揃いで出てるよ

つまり、日本の大王家(皇統)は、倭国・日本の総本家であって、
絶対者としての支配者ではなく、葬送祭祀の副葬品も一般の首長層と共有してるってことだ

平原1号墓を、副葬品だけで王墓と主張するのはピント外れなんだよ

そもそも伊都国に邪馬台国を持ってきたら、邪馬台国七万餘戸も満たせないし
平原1号墓も径百歩に合わない

本当に無理な屁理屈、アクロバティック解釈を重ねないと通らない説は、
正しくないと判断するのが当然

535日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:03:46.46
「歩」は文字の成り立ちからいっても複歩

https://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png
#1歩(あゆ)む。足をふみ出してゆく。
#2歩(ある)く。歩行する。
#3止は左足の足あと、𣥂は右足のあしあと。左右の足あとを連ねて歩行の意とする。武は半歩、歩は六尺、合わせて「歩武堂々」のようにいう。足を地に接して歩くことは、その地の地霊に接する方法で、重要な儀礼に赴くときには歩するのが常法であった。(字通)
#4右の足+左の足。左と右の足をふみ出すことを示す。(漢字源)
https://jigen.net/kanji/27497

説文解字
步,行也。从止𣥂相背。凡步之屬皆从步。
行くなり、止と𣥂の相背に従ふ、凡そ步の屬は皆な步に従ふ。

536日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:06:05.46
実際の大陸の度量衡でもすべて複歩の長さ

長さとしての歩は、古代中国の周代に制定された。
右足を踏み出し、次に左足を踏み出した時の、起点から踏み出した左足までの長さ
(現代日本語でいう「2歩」)を「1歩」とする身体尺

周歩=約 1.35 m
秦漢歩=約 1.38 m(始皇帝の度量衡の統一)
魏晋歩=約 1.45 m
隋歩=約 1.77 m
唐歩=約 1.56 m(1歩=6尺から1歩=5尺に変更)

537日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:06:20.61
伊能忠敬の歩測では、複歩で約138センチで秦漢代の一歩とほぼ等しい
単歩で69センチだな
現代では、歩測は複歩で150センチになるように調節する訓練をするそうだ
この場合は単歩で75センチ
ソースも付けておこうか
http://www5a.biglobe.ne.jp/kaempfer/kodomo/taiken/hosoku/hosoku.htm

さらに、年齢別の単歩の集計結果も見つけたので、貼っておく
男性は、15歳から49歳の範囲で、70センチを超えてるよ
https://pt-matsu.com/wp/wp-content/uploads/2017/11/a94943a9de0a8cbd0c25e72e0ba1dd7b-1.png

538日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:08:01.71
説文解字では、
中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。
となっているね

単に、周代の尺を、咫という文字でも表したっていうだけだ
円周とかそんな意味は一切ない

そして、周代の尺がどうなっているかについて説文解字は清代の注釈
清代 段玉裁《說文解字注》を載せていて、それに拠ると以下のとおり

周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
 按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

539日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:10:34.08
周尺也。  
周尺である
夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
夏王朝の法は「日」で、太陽の数が10なので、10寸を尺とした
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
殷王朝の法は「十二月」で、1年が十二月なので、12寸を尺とした
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
周王朝は地によりて生じた、地は陰であり、それで婦人を法とした
婦人の奄を広げると8寸になるので、8寸を尺とした
 按奄字未詳。疑是手之誤字。
 奄の字はよく分からない、手の誤字ではないかと疑う
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
上の文では、10寸を尺とするとあるが、ここに及びその字を周の制度では8寸を尺とするという

540日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:12:38.64
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
別の周の制では、いにしえと異なるという 王制では昔は周尺の8尺で歩とするとあるが
今は周尺の6尺4寸が歩である
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
鄭注では、周尺が何寸かはよく分からないが、礼制から考えて、周でも10寸で尺としていたようだ
 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
 それでいて六国時代は法や制度が乱れ、多くの変法があった
 あるものでは、周尺は8寸で歩は8尺、つまり、八八(はっぱ)64寸となる
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
鄭が意味するのは、8寸で尺だったというもので、周末にこれが始まったとする
異なる説明もありうるが、諸侯がそれぞれに政治を行っていたというのも事実だ
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
7国に分かれ、田の広さも、車の車輪の幅も、律令も異なるようになり、
その説くところもいまだかつて合わない状態だった

左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
左伝(左氏春秋伝) 天威は咫尺に顔を違えず
咫尺を並べて言う 二尺とは言わない
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。
国語(春秋外傳國語) 列子はみなその長さを「尺有咫」という
また、その長さを2尺だとは言わない
これは周がいまだかつて8寸を尺としなかった証としてよいだろう

541日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:13:53.98
>>531
>卑彌呼以死大作冢徑百餘歩

300歩が1里だから1里が80mなら1歩27pくらい
100歩なら27mだからそんなに大きな墓じゃない。

542日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:15:47.30
畿内説は三種の神器を貶めないと成り立たない。

543日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:16:21.04
日本書紀の雄略紀には、
「遣身狹村主・檜隈民使博コ、使於吳國。」と、遣呉使の記録はある
遣宋使の記録はないけれどね

宋は南北朝時代の南朝の王朝なので、大雑把には呉の地域だ

雄略天皇の前代あたりで、日本書紀の暦が元嘉暦から儀鳳暦に変わるため、
允恭天皇以前の儀鳳暦部分は書紀編纂時に計算されたものと考えられ、
その部分のもとの記録が春秋年(二倍年暦)だったのでは、と想定する人も多い

そのため、雄略天皇以前の対応は見出しにくくなるが、大陸との往来が仁徳〜安康紀にも
記されており、倭の五王が大和朝廷の大王であることは、定説となっている

544日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:22:01.08
和歌山の日前神宮・國懸神宮のご神体は、日像鏡と日矛鏡で、
八咫鏡の前に作った試作品の鏡とされている
こういう八咫鏡に連なる鏡が、近畿にある
http://livedoor.blogimg.jp/myacyouen-hitorigoto/imgs/4/8/48c9c1d9-s.jpg

そして、>>881
>伊勢の八咫の鏡の箱を入れるオケの大きさが平原の鏡と一致するんだよね。

などと書いているが、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に
「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、
蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、
明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、
その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、
円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

545日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:31:27.33
>>530
>時代とかが違う遺跡が含まれているから、たまたま三雲地区にあるというだけで、別々に数えることは不適切ではない。

>>525
「また、奈良県だと唐子鍵遺跡で1件としている
 182075 個別 29363 唐古・鍵遺跡 奈良県磯城郡田原本町大字唐古および鍵 」
って書いてあるだろ?
唐子・鍵遺跡は、唐子と鍵にまたがる大遺跡で、かつ、弥生時代前期から古墳時代に至るまで
拠点集落として存続した、異なる時代の遺物もてんこ盛りに出る遺跡だけれど、

奈良県の(というか田原本町のかな?)の、データベースへの登録方針だと「1件」になる

唐子鍵遺跡と、三雲遺跡群では、唐子鍵の方が遺跡の範囲、存続期間ともに長いけれど、
それが、24倍の件数の差で登録されている

データベースの検索件数で福岡が多いっていうのは意味がないだろ?

546日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:34:19.11
>>532
>>そして卑弥呼の墓の候補は、その当時の最大の墓がまず第1候補となる

>論理の飛躍。

九州説お得意の、一言書き逃げコメントだなw

>>531に書いてあるだろ?
「魏志倭人伝には
 卑彌呼以死大作冢徑百餘歩
 と書かれている
 つまり、倭国は王が死んだら大きな冢を作る国だ、と書いてある訳だ 」

これが、後の古墳時代につながる様相をそのまま記したものなのは、異論ないだろ?
大きな古墳を作れないところは、無視してOKだよ

547日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:40:12.09
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部
てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、
東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

平原1号墓の墳丘サイズ14×12メートルというのは王墓だとしても、有力国の王墓としては、どうしても見劣りする

伊都国でも古墳時代に入って三雲遺跡群に作られる端山古墳は全長78.5メートルあるし
三雲南小路遺跡の墳丘サイズが周りの周溝で30メートル四方くらい
須玖岡本遺跡D地点墳丘墓も同程度のサイズ
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓でも南北約40m、東西約27mの長方形に近い形態、という大きさがある

平原遺跡の案内看板の解説文では、1号墓の墳丘サイズは長さ約13メートル幅8メートルの方形周溝墓

548日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:41:18.60
>>546
で、卑弥呼時代の大きな古墳ってどれ?

まさかまさか
領地に鉄器ゼロのホケノ山なんて持ち出さないよな?

549日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:42:32.19
耳璫・耳飾りとされている「背紺色透明なガラス連玉」の2000年の報告での分析結果
「平原遺跡出土ガラスの保存科学研究」(肥塚隆保 奈良文化財研究所 年報 2000)
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/2668/1/AN00181387_2000_%E2%85%A0_32_33.pdf

これによると、
「本試料を顕微鏡観察したところ、重層ガラスであることが明らかになった。」
「孔に平行する断面を観察したところ二層構造を有し、孔に近い内側は大小多量の気泡を含むガラス層、
 その外側には気泡をほとんど含まないガラス層で形成していた。」
「このような構造を成すガラスは、古墳時代の遺跡から発見されている、いわゆる「金層」ガラスである。
 金層ガラスの多くは金層を含むものは少なく、内側孔に近い部分には、気泡が多量に含まれるガラスを使用して、
 その外層には褐色透明なガラスが用いられており、構造や材質に多くの共通点があり、加工法も同様であると考えられた。」

これを素直に読むと、このガラス連玉は古墳時代に位置づけるのが、相応ということになる
またその成分は
「本試料の材質は、基礎ガラス材としてはソーダ石灰ガラス(Na20-CaO-SiO2 system)で、
 これにコバルトイオンによって着色したものと考えられた( 表2) 。
 しかし、 MnO含有量の多い青紺色ソーダ石灰ガラスが、弥生時代の遺跡から出土したのは初めてで、その多くは古墳時代の後期に見つかっているもの」
とあり、この耳飾りだけに頼って編年するのであれば、編年は埋葬主体の出土物で最も新しいものに合わせるという原則に従って、平原1号墓はかなり新しく古墳時代後期でもおかしくないことになる

古墳時代後期というのは、例えば藤ノ木古墳から金層ガラスが出ている

現在のところ、平原1号墓の編年は出土鏡が国産であてにならないため、周溝から出た土器の編年に頼っている
1号墓の周溝からは弥生後期前半と終末期の土器片が出土、2号墓南側から庄内併行期と思われる土器の破片が出土しており、1号墓と2号墓が周溝を共有しているため、同時代の築造と考えられている
で、現在は、この庄内平行期の土器の破片が平原1号墓の編年の理由になっているのだが、これと金層ガラスの関係をどう考えるかによって、編年が変わることになる

550日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:43:10.70
平原1号墓の編年で、もうひとつ考えなければならないのが、周溝の土坑墓である
原田大六氏はこの土壙墓を殉死者の墓と考えておられたそうだが、現在では土壙墓は周溝が埋没した後に造られたものと考えられている
周溝の土壙墓からは鉄鏃・鉄鉇(ヤリガンナ)・鉄刀子・ノミ状鉄器が出土している
この土坑墓遺物の編年は、弥生時代終末(200年〜250年前後)で問題ないので、先の2号墓周溝からの庄内併行期の土器片と時代が一致する
となると、本体である1号墓と土坑墓では「周溝が埋没」するほどの時間差があるので、1号墓の編年は弥生時代終末よりもかなり古くしなければならない

耳飾りからはより新しく想定され、土坑墓遺物からはより古いほうが妥当性がある
肝心の副葬品は国産鏡で編年のあてにならない

平原一号墓はもう少し、検討が必要だと思う

551日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:52:38.43
>>541
>300歩が1里だから1里が80mなら1歩27pくらい
>100歩なら27mだからそんなに大きな墓じゃない。

歩は複歩って話がさんざん書いてあるだろ?
>>535、〜>>537

歩は、本来身体の大きさで決まる身体尺だから、大きく変わることはできない

そして、径百歩を報告したと思われる張政は塞曹掾史=掌辺塞之職。
国境の要塞の職を司る政治職員。掾史=副官。
ということで、軍政、補給や兵站に関わる魏の役人

そういう立場の人が、魏の度量衡の体系から離れた『歩』で記録したと考えるのは、
ある意味常軌を逸している

そもそも東夷伝里などというものは、一部の九州説の人の心の中にしかない
それに合わせた「東夷歩」を想定しても、無意味

そして、27メートルでも、平原1号墓はその半分以下
どうやっても、平原1号墓は卑弥呼の墓にはならないし、
平原1号墓を除けば、北部九州に3世紀の王墓候補すらない状況になる

552日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:57:37.30
>>542
>畿内説は三種の神器を貶めないと成り立たない。

どこが貶めているって?
きちんと説明してみそ?

もともと、日本の皇室、大王、天皇は、日本の豪族の総本家という位置づけで、
三種の神器の組合せは、広く豪族の古墳の副葬品として共有されているし、
日本書紀にも皇統とは無関係な「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」の記事がある
>>518>>519を参照

平原1号墓の内向花文鏡を皇室の神鏡の起源だという方が、よほど貶める意図を感じる
皇室の神鏡は破壊されて埋められたものの同類と言っていることになるからな

553日本@名無史さん2018/04/24(火) 18:58:31.36
ここ、今、メモ帳代わりの備忘録として、使っているだけだから、
あまり議論はできないよ

554日本@名無史さん2018/04/24(火) 19:02:35.46
>>550
卑弥呼は長寿。

同年代の王族女性の平均年齢が40歳くらいなのだから、
40歳頃には女王の墓域を選定して
基礎工事(周濠+土盛の基礎)をすませておく。

よって、卑弥呼が70歳で死去したとすれば、
周濠は30年分埋まっており、それを掘り返して
殉葬墓が作られることになる。

平原1号+2号+殉葬土壙墓群こそが、卑弥呼の墓の条件を満たしているわけだ。

これは何度も出ている話であり、
それに反論することなく、
主張のみを繰り返すキナイコシのいつもの惨めな論法。

555日本@名無史さん2018/04/24(火) 20:00:00.87
>>554
>平原1号+2号+殉葬土壙墓群

これを「まとめて径百歩」と呼ぶ理由がない

はい、おしまい

556日本@名無史さん2018/04/24(火) 20:25:37.99
>>555
反論の意味がわかってないなあ。

557日本@名無史さん2018/04/24(火) 20:52:30.06
寿墓を30年ほっといたっていうのが、そもそも頭悪過ぎなんだよ

寿墓を用意したとして、周溝が埋まるに任せてたというのがまずおかしい
王のために用意したものを管理もせずに埋もれるに任せるというのはありえない

それに、30年かかって周溝が埋まっていたとしても、墓として使うのであれば、
新たに周溝を掘り直すのが当たり前で、そこに土坑墓を掘るなどというのは
ありえない

そもそも、想定(寿墓を30年放置して、埋まった周溝をそのままにして埋葬する)が
最初から最後まで、徹頭徹尾おかしいんだよ

そんなのに、付き合うだけ馬鹿みたいだろ?

だから、そういう「設定」はガン無視で、「まとめて径百歩」とかいう、
それ以前からおかしいことを指摘して終わりで十分なんだよ

平原1号墓は、どうやっても無理

558日本@名無史さん2018/04/24(火) 21:58:07.39
>>552
>皇室の神鏡は破壊されて埋められたものの同類と言っていることになるからな

破鏡という日本の古来からの文化を知らないのだな。

559日本@名無史さん2018/04/24(火) 21:59:31.28
>>557
>平原1号墓は、どうやっても無理

結論が先にあるんだろ。
その前の行は読む価値ないなあ。

560日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:01:02.86
>>559
事実を見たくないのだね

561日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:05:56.16
>>557
周溝に意味はないからだよ。
遠くから土を運んでくるのは大変だから、
周囲の土を掘って、墓の土盛にしただけ。

卑弥呼が40歳の頃に場所決めしておいた。
周溝なんて埋まろうがどうなろうが関係ない。
図らずも、卑弥呼は70歳80歳まで長生きしたから、
平原遺跡のようになっただけ。

これはこれで理論として完結しているから、
君には否定のしようもない。
よって、土壙墓と周溝の関係から否定することは出来ない。

以上。

562日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:08:12.41
それ、単なる空想では?

563日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:14:41.63
現代人は平均年齢の70歳頃には墓場など終活をします。

弥生女王も平均年齢の40歳頃には国家事業として墓域の選定をします。

卑弥呼も40歳頃に墓域を決めて、周溝を掘って土盛の基礎固めをしておきました。

卑弥呼は70歳まで生きました。

殉葬の土壙墓は30年分埋まった周溝に作られました。

564日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:27:01.26
それ、単なる空想では?

565日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:37:28.19
>>564
根拠は?

566日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:42:06.96
>>565
根拠は、>>563に根拠が書かれていない事実

567日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:44:15.66
>>566
反論できないんだね。

568日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:50:34.61
>>567
反論?

何に?

569日本@名無史さん2018/04/24(火) 22:59:33.28
>>561
>周溝に意味はないからだよ。

561の言い分を認めたとして、周溝を埋める土はどこから来たんだい?
結局、盛り上げた土が溝に戻ってるってことだろ?

30年も墳丘墓を放置して、墳丘が低くなり溝が埋まるのを放置するなんてことは、
ご都合主義で妄想する人の心の中以外ではあり得ないんだよ

魏志倭人伝は、字数が少ないから確定的なことは言えないけれど、
「卑彌呼以死。大作冢。徑百餘歩」という書き方は、卑弥呼が死んで大いに塚を作ると読める

死んだときに寿墓が用意されていたようには読めない

まあ、それ以前に、墳丘の長辺が13メートルではどうやっても径百歩には足りないから
卑弥呼の墓の候補としては最初から問題外の外だけどな

570日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:03:03.30
>>559
>結論が先にあるんだろ。
>その前の行は読む価値ないなあ。

結論はちゃんと「最後に」書いてあるだろ
そしてその前にはきちんと「根拠」が書いてある

自説に都合の悪いことは読みたくないだー、かい?ww

どうせ反論一つすらできないなら、読んでないって言い張った方が傷が浅いってか?

571日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:04:17.93
>>558
伊勢の神鏡は破鏡されてないだろ?
一緒にするなよ

572日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:08:55.28
>>569
>30年も墳丘墓を放置して、墳丘が低くなり溝が埋まるのを放置するなんてことは、
>ご都合主義で妄想する人の心の中以外ではあり得ないんだよ

なんで?
墓域を決めておけばそれでいいでしょ?
跡形もなくなるならともかく
多少埋まっても、どうせ女王の死去時に仕上げるんだから
あとはほっとけばいいだけ。

>どうやっても径百歩には足りない

東夷伝里が存在するから
否定になっていない。

573日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:09:41.34
盗掘されて悪用されるから破鏡にしたんだろ。
王家が保管する鏡なら破鏡にする必要が無い。

574日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:21:14.68
>>572
>墓域を決めておけばそれでいいでしょ?

周溝が埋もれたままで墳丘を作るの?
何それ

575日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:27:50.01
>卑弥呼以死 大作冢 徑百余歩 殉葬者奴婢百余人

30年が経過して目立たなくなった周溝については一言も書かれていないね。
あるのはあっただろうけど。

576日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:31:13.84
現代人は平均年齢の70歳頃には墓場など終活をします。

弥生女王も平均年齢の40歳頃には国家事業として墓域の選定をします。

卑弥呼も40歳頃に墓域を決めて、周溝を掘って土盛の基礎固めをしておきました。

卑弥呼は70歳まで生きました。

殉葬の土壙墓は30年分埋まった周溝に作られました。


張政が見たのは、
平原1号墓+殉死重臣2号墓+殉葬奴婢百人土壙墓+鳥居

卑弥呼女王墓の賑やかな墓域全域の、長径=東夷伝里で径百余歩

それらを取り囲む周溝は30年余を経てあまり目立たなかった。

577日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:32:10.09
こんなのが畿内説批判のつもりとは・・・

578日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:33:44.73
>>577
反論できないんだね。

579日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:35:50.43
張政は卑弥呼の次の男王のさらに次の台与が戦争をしたさらにその後に帰国しているからね。
卑弥呼の墓域の完成形を見ているわけだ。

完成形、ね。

580日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:44:43.26
>>578
反論って、何に?

581日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:46:16.96
>>580
議論もできないんだねえ。

582日本@名無史さん2018/04/24(火) 23:46:33.57
興味深いな。
中国朝鮮の王墓に周溝ってあったのかな?
周溝墓というのが日本に特有の者であれば、
大きさはともかくなみなみと水を湛えた周溝があれば、
そちらのほうが魏使にとっては衝撃的な光景だったろうな。

583日本@名無史さん2018/04/25(水) 07:22:36.39
弥生時代の周溝って、別に水を溜めていたわけではないだろう。
後世に水が溜まることはあったかもしれないが。

584日本@名無史さん2018/04/25(水) 07:48:15.82
「殉葬者奴碑百餘人」が見つからないと卑弥呼の墓じゃないな。

585日本@名無史さん2018/04/25(水) 07:49:52.13
少なくとも纒向にはないな。

586日本@名無史さん2018/04/25(水) 08:15:39.65
>>584
どうして?

理由は?

587日本@名無史さん2018/04/25(水) 08:45:58.61
>>586
「大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人」
と倭人伝に書いてあるから。

588日本@名無史さん2018/04/25(水) 09:13:57.24
>>587
「殉葬者」がちゃんと墓に葬られたとか
どこにも書いてないけど?

589日本@名無史さん2018/04/25(水) 09:21:58.72
>>544
しかし、口伝等の情報をまとめた文献には黄金鑵の記載がない

神宮遷宮記文永三年の情報でしかないことがネックだな

後から黄金鑵が作成された、とも考えられるからね
しかも火災の噂もあったり祭祀用は別とする話もあるわけで、鏡が元の形かどうか?もなぁ

つまり、真実は誰もわからん、だね

590日本@名無史さん2018/04/25(水) 09:55:39.78
>>587
「狥葬者」
徇(狥)=従う,添い従う.
葬=(死体を墓地に)葬る,埋葬する.

意味からして別の所に埋葬されたとは考えられないだろ。

591日本@名無史さん2018/04/25(水) 10:16:30.63
>>588
「大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人」
「大いに塚を作る、径100歩に100人の奴婢を殉葬する。」
お墓の周囲の径100歩の所に奴婢100人を取り囲む様に埋めたのかな?

592日本@名無史さん2018/04/25(水) 10:25:29.05
>>572
>なんで?
>墓域を決めておけばそれでいいでしょ?

周溝がきっちり掘ってあるんだが?
そのきっちり掘った周溝が埋まった土に、土坑が掘られてるんだよ

適当なことを言うから、すぐに矛盾する

>跡形もなくなるならともかく
>多少埋まっても、どうせ女王の死去時に仕上げるんだから

仕上げるんだったら、そのときに周溝を掘りなおすだろ?
墳丘も低くなってるんだから
その周溝が埋まったのをそのままに、土坑墓を作るってのが
ありえないって言ってるだけ

適当なことを言うから、すぐに矛盾する

>あとはほっとけばいいだけ。

そんな寿墓はない
普通は、寿墓の場合、治世が続く間造営を続けるから、どんどん大きくなるんだよ

593日本@名無史さん2018/04/25(水) 10:32:47.99
また『ここに いたこと』『死んだ遺作』の話をしてるの?

しんだ いさく→しん だいさく→かみ だいさく→。


あと関係あるか、無いのか、よくわからないんだけど
『平家物語 死』『平家の落人 池田氏』あのオズボーンの曲とか

594日本@名無史さん2018/04/25(水) 11:26:34.70
>>550
>>591
「大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人」
「大いに塚を作る、径100歩に100人の奴婢を殉葬する。」
やはり、お墓の周囲の径100歩の所に奴婢100人を取り囲む様に埋めたって意味だったのか。

595日本@名無史さん2018/04/25(水) 11:32:09.31
>>594
ここは、畿内を批判しようとして恥をかくスレか?

596日本@名無史さん2018/04/25(水) 11:56:23.51
>>595
じゃあ「狥葬者奴碑百餘人」は何処に行ったんだ?

597日本@名無史さん2018/04/25(水) 12:54:08.13
>>572
>東夷伝里が存在するから
>否定になっていない。

短里、東夷伝里が出てきたら、その時点でトンデモ

魏の官職の塞曹掾史の張政が、自分の見聞をどうして魏晋里の度量衡以外で
書くなんていう想定ができるんだ?

根拠がないんだよ

598日本@名無史さん2018/04/25(水) 12:57:29.98
>>575
>30年が経過して目立たなくなった周溝については一言も書かれていないね。
>あるのはあっただろうけど。

墳丘が径百歩もあれば、そっちの方が大事な情報だろ
平原1号墓は、遺跡の案内看板の説明では13×8メートルの墳丘サイズ

径百歩に満たないどころか、十分の1サイズ
東夷伝里とかバカなこと言っているやつがいるが、その東夷伝里(仮想)でも
径百歩は27メートルくらいになる

どっちにしろ大きさが足りません アキラメロンww

599日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:05:12.35
>>584
>「殉葬者奴碑百餘人」が見つからないと卑弥呼の墓じゃないな。

日本では、確実な殉葬が確認できた墳墓は一つもないよ

ちゃんとした学会で検討された内容ではないけれど、
吉武高木遺跡や吉野ヶ里遺跡で見られる庶民の集団墓である甕棺墓列を見て
殉葬墓とかんちがいした可能性がある

あるいは、弥生時代のある時期までは、方形周溝墓にしても特定家族墓にしても、
一つの墓域、墳丘に、順次追葬しているので、それを殉葬とみなした可能性もある
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓には、14の埋葬主体がある

そういう記録が光武帝への朝貢や、帥升等の朝貢の時の記録として残っていて、
倭王の墓なら当然殉葬者があるはず、と考えられたんじゃないか、
くらいまでしかいえない

考古学的状況としては、確実な大規模殉葬例は、日本にはない
それが現実

600日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:19:37.08
今時
短里 東夷伝里を理解できない方がアホ。

601日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:20:21.21
>>589
>しかし、口伝等の情報をまとめた文献には黄金鑵の記載がない

言いたいのはこれのことかな?
『皇太神宮儀式帳』
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h248/image/01/h248s0016.html

御樋代一具 深一尺四寸 内八寸三分 
      径2尺   内一尺六寸三分

『延喜式』は電子テキストで参照できる
『延喜式』4(伊勢大神宮)・造備雑物条〔24〕
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/000008.html

樋代一具。正宮料。高二尺一寸。深一尺四寸。内径一尺六寸三分。外径二尺。

これは、式年遷宮のときに「新調する御道具」の記録だから、もちろん
八咫鏡そのものも書いてないし、それを入れる黄金鑵も書いてない

文献の読み方が間違っているんだと思うよ
伊勢の神鏡が火事にあったかも知れないというのも、原田大六氏が
そういっている程度のことだし、通説では古代の鏡が伝世されていると
考えられている

神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文(1267年)と、飯田武郷氏による
明治四年(1872年)の遷宮時の記録の両方に、同じ大きさの黄金鑵が
記録されているから、その存在は認めてよいだろう

602日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:23:30.90
今どき、短里、東夷伝里を論証の基礎においている人間は、恥さらしだよ

魏志倭人伝の方位、旅程は、あてにならないとするしかない

末慮国から、伊都国は、どうやっても南東にはならない

603日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:41:42.51
倭人伝なかりせば邪馬台なし

604日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:49:05.04
>>603
つまり九州説は生まれず、畿内説だけが存在していたのだな

605日本@名無史さん2018/04/25(水) 13:52:24.05
キナイセツがそもそも成り立つ余地がない。

606日本@名無史さん2018/04/25(水) 16:06:14.39
>>601

その当時の情報でしかないんだよね
つまり、1267年以降は黄金鑵はあったという情報なんだよ

それ以前は断定はできない

鏡を祀った当時に黄金鑵があったかどうか?でさえさだかじゃない

伊勢に祀られた後の何百年後の様子でしかないから、断定はできんよ

607日本@名無史さん2018/04/25(水) 16:11:15.29
>>594
その可能性はあるよ
"大いに"は作るを修飾しているからね
大塚ではないから、文献的にはあり

608日本@名無史さん2018/04/25(水) 16:27:11.53
>>597
>短里、東夷伝里が出てきたら、その時点でトンデモ

根拠は?

609日本@名無史さん2018/04/25(水) 16:28:06.56
>>598
>平原1号墓は、遺跡の案内看板の説明では13×8メートルの墳丘サイズ

2号墓を含めた周溝の大きさは?

610日本@名無史さん2018/04/25(水) 16:33:43.41
「魏志倭人伝に記録された方角は信用できません(でないと困ります)」
「魏志倭人伝に記録された里程は誇張表現で信用できません(でないと困ります)」
「平原の大鏡の円周は八咫ではない(でないと困ります)」
「咫は、文飾的文言で、数詞ではない(でないと困ります)」
「平原の内向花文鏡は、欲しがる人がいなかったんだよ(でないと困ります)」
「周りに対する影響が皆無なのが、3世紀の北部九州 (でないと困ります)」
「倣製鏡は、いくらでも作れるんだから、威信材として格落ちで(ないと困ります)」
「平原の大鏡は、当然「王権の象徴」としては不適当(でないと困ります)」

611日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:22:58.18
>>609
2号墓を含める理由は?
2号墓は卑弥呼の墓なのかい?

612日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:25:53.57
>>606
>伊勢に祀られた後の何百年後の様子でしかないから、断定はできんよ

ただ、伊勢の神鏡は火事で燃えたとか、紛失したとか破鏡したとかいう
話は伝わっていないから、鏡自体は当時のものだろう

そして、その鏡が黄金鑵に入っているのだから、大きさとしては九寸程度以下
ということになる

613日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:28:15.25
>>608
根拠は、「ある」と主張するほうが出すものだぞ

逆質問に逃げている時点で、「ない」と認めているに等しい

ない根拠は、これで十分だよ

魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
千々賀遺跡   北東30キロ   三雲遺跡群
        1里=60メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
三雲遺跡群   東北東18キロ  比恵・那珂遺跡群
        1里=180メートル

方角も、距離もメタメタじゃないか?
現実に合っていないよ?

3倍違うものが、一つの単位だというのは通らない
誤差とは認められないだろ

614日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:33:59.34
>>612
>そして、その鏡が黄金鑵に入っているのだから、大きさとしては九寸程度以下
>ということになる

他の畿内の鏡と比べても小さすぎる。
八咫の鏡は数字ではなく単に大きいことを意味すると言っていたのに、それさえも撤回する?
そもそも金属を金属の容器に入れることはない。
普通は布に包んで木の容器に入れる。
金の容器に入っているのは、すでに灰になっているからだろう。

615日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:45:30.38
>>610
>「魏志倭人伝に記録された方角は信用できません(でないと困ります)」

>>609を参照 現実の地理に合わないのは事実

>「魏志倭人伝に記録された里程は誇張表現で信用できません(でないと困ります)」

魏晋里で測った距離よりも長い里程が記されている、つまり誇張されているということだ
淮南子等に見られる大陸世界での世界観、「東方之極萬二千里」に合わせたと見るのが妥当

>「平原の大鏡の円周は八咫ではない(でないと困ります)」

「咫」は周尺の単位であり、漢尺の八寸で一致するといっても意味はない
ただの偶然

>「咫は、文飾的文言で、数詞ではない(でないと困ります)」

「咫」は単位であって、数詞ではない 日本語でも漢語でも同じ
史記が書かれた前漢の時代で既にほぼ「咫尺」という熟語にしか使われなくなっている

616日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:46:10.71
>>610
>「平原の内向花文鏡は、欲しがる人がいなかったんだよ(でないと困ります)」

他で平原1号墓出土鏡と同汎鏡とされるものは出ていない(事実)

>「周りに対する影響が皆無なのが、3世紀の北部九州 (でないと困ります)」

3世紀になって、地域首長墓として小さな方形周溝墓を作っているところはない
要するに時代遅れ
土器様式も、他からの流入はあっても、周囲への影響は皆無

>「倣製鏡は、いくらでも作れるんだから、威信材として格落ちで(ないと困ります)」

仿製鏡暗い、正しい字で書けるといいね
平原1号墓出土の方格規矩鏡とか見れば明らかだろ?
舶載の方格規矩鏡と比べて、内区の配置が裏返っているし、鋳上がりも不鮮明なのが
32枚もあってもそれで王墓だということにはならないだろ?

>「平原の大鏡は、当然「王権の象徴」としては不適当(でないと困ります)」

平原1号墓出土の大鏡は、伊勢の本物の八咫鏡を入れる御樋代の大きさと近いから
「八咫鏡」という論理で、「八咫鏡」なら「王権の象徴」だろうという話だったんだよ

でも、御樋代の中にさらに黄金鑵があって、「八咫鏡」はさらにその中
平原1号墓出土鏡は、大きさが全然違う

まあ、もともと御樋代の大きさもぎりぎり過ぎて、平原1号墓出土鏡を入れるには
不適当な大きさなんだけどね

ということで、こちらは「困るから」ではなく、「事実ベースの根拠」を挙げて
九州説側の主張が成り立たないことを論証している
反論したかったら「困るから」とかいう主観的表現ではなく「根拠』を挙げてどうぞ

617日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:50:33.33
>>614
>他の畿内の鏡と比べても小さすぎる。

どれと比べているんだい?
三角縁神獣鏡で、面径23センチ程度
本来の、実用鏡は10センチ内外だ

>八咫の鏡は数字ではなく単に大きいことを意味すると言っていたのに、それさえも撤回する?

鏡面最大で27センチは、十分に大きいよ

>そもそも金属を金属の容器に入れることはない。
>普通は布に包んで木の容器に入れる。

現在の式年遷宮でも、布に包んで奉祭されており、実見されることはないとされているね
金属に金属が直接入れてあるなんて誰も言ってないよ

>金の容器に入っているのは、すでに灰になっているからだろう。

ただの憶測だね
事実ベースまたは典拠となる原典を示して論じてくれ

火事にあったっていうのは、宮中の鏡の方だ

618日本@名無史さん2018/04/25(水) 19:23:09.52
>>613
それらが倭人伝の行程における座標点である根拠がない。
よって、3倍も違うという根拠が無い。
だから、その文章では東夷伝里の存在を論じることができない。

朝鮮半島の横幅や、
帯方郡から狗邪韓国までの距離、
対馬海峡における、半島〜壱岐、壱岐〜対馬、の距離など、
「確定部分」で論じないと、東夷伝里の正確性に関する議論にならないでしょ。

意味がわかるかな?

わからないから、馬鹿な長文を延々と繰り返すのか、
わかっているから、馬鹿な長文で延々とごまかすのか。

619日本@名無史さん2018/04/25(水) 19:36:57.13
>>613
君が合わないようにわざと起点を決めているだけだよ
名護屋浦の奥に上陸して唐津方面に向かいって糸島市に向う
500里(40km)に達した所が伊都国の入り口
そこから県道56号線を福岡市方面に向かい100里(8km)の場所が奴国の入り口
更に100里(8km)進んだ所が不彌国の入り口

記述に合うように進めば場所も特定できる。

620岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/04/25(水) 21:22:19.73
今度はこっちのスレで乱闘ですか(笑)?

>「平原の内向花文鏡は、欲しがる人がいなかったんだよ(でないと困ります)」
他で平原1号墓出土鏡と同汎鏡とされるものは出ていない

>>他の畿内の鏡と比べても小さすぎる。 八咫の鏡は数字ではなく単に大きいことを意味すると言っていたのに、それさえも撤回する?
どれと比べているんだい?
三角縁神獣鏡で、面径23センチ程度 、鏡面最大で27センチは、十分に大きいよ

下池山と柳本大塚から、大型内行花文鏡が丁重に祀らてましたねぇ。
都合悪いことは畿内の貴重な発掘物でも無視する。
そして、二流・三流の品、三角縁を大型鏡(笑)ともちあげる。
これが畿内病クオリティ。

621日本@名無史さん2018/04/25(水) 22:02:45.20
割ってないから平原とは関係ないな

622日本@名無史さん2018/04/25(水) 22:03:38.84
平原の鏡は丁重に埋納されてないよね

623岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/04/25(水) 22:27:56.82
>>621 622
そうですね、三角縁でなくて、大型の内行花文鏡が丁重にあつかわれてましたねぇ。
なんで無視したんですか? 何か不都合でも?

624日本@名無史さん2018/04/25(水) 23:02:17.83
鏡の取り扱い方=祭祀の方法が全く違うことを無視するチェリーピッカー

625岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/04/25(水) 23:09:43.77
あれあれ、それで、畿内で大切にされてたのは、どんな鏡種でしたっけ??
何か不都合でもあるですか???

626日本@名無史さん2018/04/25(水) 23:32:31.48
希少な大型の内行花文鏡が4世紀古墳から出ているのに
世界最大の平原超大型を1世紀に持っていく気がしれん。
3世紀中旬くらいで丁度でしょ。

舶載方格規矩四神鏡だって4世紀古墳から出ているわけだから
なんで九州のは中国年代そのままで紀元前や1世紀
畿内のは4世紀まで伝世とするのかわけわからん。

そもそも方格規矩四神鏡は九州に大量にあって、
4世紀畿内には前触れなくポツポツ現れてしかも大切にされているのだから、
中国→(時間差)→九州→(時間差)→その一部が畿内、
と考えるしかないでしょ。

627日本@名無史さん2018/04/25(水) 23:33:33.47
大切にしてたかどうかなんて当時の人しかわからんのによくいうわ

628日本@名無史さん2018/04/25(水) 23:42:06.17
キナイコシ、ザマルチプルスタンダード

629日本@名無史さん2018/04/25(水) 23:44:12.21
畿内説は都合の悪いことは全てワカラン、信用ナラン、それだけ。

630日本@名無史さん2018/04/25(水) 23:46:50.17
咫は単位だけど数詞ではない、って
自分の使ってる言葉の意味もよくわかってない。

631日本@名無史さん2018/04/26(木) 00:02:49.45
八咫は大きいことを意味するだけと言っていたのに、伊勢の鏡の容器が全然大きくないのはどうして?

632日本@名無史さん2018/04/26(木) 00:46:44.66
三角でも「大型鏡」なんだぜ?
わざわざ考古学の知識がないことをひけらかさなくてもいいのに

633日本@名無史さん2018/04/26(木) 06:38:46.27
627
大切にしてたかどうかなんて当時の人しかわからんのによくいうわ(でないと困ります)

プギャー

634日本@名無史さん2018/04/26(木) 06:42:29.67
叩き割るのは大切にしてないだろ

w

635日本@名無史さん2018/04/26(木) 06:46:50.15
咫は単位だけど数詞ではない

メートルは単位だけど数詞ではない

kgは単位だけど数詞ではない



当たり前だよな
数詞だったら困るわ

636日本@名無史さん2018/04/26(木) 06:51:15.16
>>634
じゃあ何でワザワザ五枚も作ったんだ??

637日本@名無史さん2018/04/26(木) 06:53:28.96
咫は長さの単位でいいな

これでFA

638日本@名無史さん2018/04/26(木) 06:59:07.14
周代は単位であったと推定されているが使用実績見当たらず
戦国〜漢代は比喩の言葉
7〜8世紀日本では単位

日中で使っている漢字が同じなだけで中身は別物

639日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:03:07.91
>>638
長さ8寸の比喩的表現

これで満足か?

wwww

640日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:10:37.66
そのように定義すると円周を近似値で示せるんだよ。
そして平原の鏡は八咫になる。

641日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:17:22.69
周王朝の末裔ね、なんていう名前の人物なの?
日本にいるんだろう。

実際、そんな家(人)は無いよ、
と言ってる人がいたでしょ。

642日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:27:02.22
秦氏というのが

イスラエル?ユダヤの王族?

643日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:32:26.08
出雲・・・というのが、
ギリシャだったか、ローマ神話の神族の末裔?

644日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:44:29.18
>>634
で、何で平原ではワザワザ五枚も大型鏡を作ったんだ??

645日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:51:12.44
徐福は本名徐市ジョフツ=ヨセフで
イスラエル人といううわさ。

出雲人はドラビダ人。

日本列島の先住民はスネが長いポリネシア人
その後クメール人(大伴氏、佐伯氏)
それとは別にウサ族

弥生絹をもたらしたのは呉の越族

646日本@名無史さん2018/04/26(木) 07:53:05.50
>>379
>長さ8寸の比喩的表現

形容矛盾

647日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:21:39.66
>>634
で、何で平原ではワザワザ五枚も大型鏡を作ったんだ??

648日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:21:55.59
>>644
一枚だけ残して全部埋めたんだよ。
王権の象徴がたくさんあったらお家騒動の元になるからね。

649日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:23:30.36
>>646
じゃあ、咫は何を形容してるんだ?

650日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:24:12.54
>>648
ですよねー

651日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:25:41.61
>>648
で、バラバラにしたから大切にしてない、
というのは嘘で確定

652日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:36:27.09
>>646
じゃあ、咫は何を形容してるんだ?

653日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:46:12.95
>>652
至近距離

654日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:48:03.45
>>651
理由もなしに確定しないな


嘘だという理由は?

?????????

655日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:49:28.78
>>653
証拠は?

656日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:52:16.07
用例

657日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:52:16.43
>>654
で、何で平原ではワザワザ五枚も大型鏡を作ったんだ??

658日本@名無史さん2018/04/26(木) 08:57:57.74
生前に必要だったか埋葬儀礼で必要だったか

それこそ現代人は結果を見ているだけなんで
勝手に決めつけられないレベルのはなしだな

659日本@名無史さん2018/04/26(木) 09:07:38.40
一般論でごまかして逃げたキナイコシ

660日本@名無史さん2018/04/26(木) 09:10:20.62
>>659
何を?

日本語が不自由な奴だなあ

661日本@名無史さん2018/04/26(木) 09:17:01.41
>>658
本当は10枚欲しかったのかもしれないしなw

662日本@名無史さん2018/04/26(木) 09:24:43.59
畿内説を批判するのは無理だってことだよ
知識がない人にはな

663日本@名無史さん2018/04/26(木) 09:27:23.72
畿内説を批判するのは無理だってこと
(でないと困ります)


www

664日本@名無史さん2018/04/26(木) 09:45:39.61
実際できないじゃない?


www

665日本@名無史さん2018/04/26(木) 10:02:35.30
>>663
能力的にできないことをイタズラに
しようとしては困ります

666日本@名無史さん2018/04/26(木) 11:06:21.90
>>618
>朝鮮半島の横幅や、
>帯方郡から狗邪韓国までの距離、

これのどこが確定部分なんだい?

確定部分だと主張するなら、現代の比定地とその間の実測距離を出してくれるかな?
そうすれば具体的に議論できるだろ?

こっちは、きちんと示しているぞ

>対馬海峡における、半島〜壱岐、壱岐〜対馬、の距離など、

例えば、「対馬」と言った時に、対馬のどこを指すんだい?
半島〜対馬、というときの対馬と、対馬〜壱岐、というときの対馬は、
同じ場所なのかい?それとも対馬の北端と南端なのかい?

半島〜壱岐間の距離は、魏志倭人伝には書いてないし、普通の日本人なら
対馬と壱岐の順番は間違えたりしないんだが?

>>613はよほどのうっかりさんなのか、日本の地理も十分に分からずに
口を挟んでいるだけのバカなのか、そもそも日本人ですらないのか、どれにあたるんだい?

>「確定部分」で論じないと、東夷伝里の正確性に関する議論にならないでしょ。

その確定部分でも、
「半島〜対馬」「対馬〜壱岐」「壱岐〜九州」間が全部長さが違って、
2倍長さが違うのに、全部一律千里になってるだろ?
実測値ではないのは確実で、計ってもいないものを適当に表すのに、
短里などという決まった長さを想定するのは無意味だと言っている

667日本@名無史さん2018/04/26(木) 11:16:30.44
>>619
>名護屋浦の奥に上陸して唐津方面に向かいって糸島市に向う
>500里(40km)に達した所が伊都国の入り口

これ、他所のスレでも論破済みなんだけど、何度も同じこと書かせないでくれるかな

名護屋浦の奥には、平坦地がほとんどなくて、四千戸の末慮国の位置として不適当
そこから唐津経由で糸島に向かうと、南、東、北、北東と向きを変えながら
陸行することになり、始点と終点間の方角でも北寄りの東になる

どうやっても東南陸行に合わないし、そもそも名護屋浦湾から唐津に出るには、
結局東松浦半島の海岸を回りこむことになるから、それなら名護屋浦湾に入り込まずに
唐津の方へ船を回すほうがいいだろう

無理に魏志倭人伝の記述に合わせようとして、道理に合わない無理な想定をするから
九州説には論理がない

論理がないから潰れているって言われるんだよ、九州説は

>そこから県道56号線を福岡市方面に向かい100里(8km)の場所が奴国の入り口

これ、具体的にはどこだい?
日向峠よりも西側とか言わないよな?

668日本@名無史さん2018/04/26(木) 11:21:04.33
>>620
>下池山と柳本大塚から、大型内行花文鏡が丁重に祀らてましたねぇ。

これは、桜井茶臼山古墳の大型内向花文鏡の系譜のものなんですよ
桜井茶臼山のものは、平原のよりも面径が小さいから違うって言っていたのは
お鏡さんじゃなかったでしたっけ?

平原1号墓の出土品なんて、桜井茶臼山古墳から見たら雑魚ですよ?
桜井茶臼山古墳出土物は、盗掘あとが明白なあとの残り物だけでも、
平原1号墓のものとは比べ物にならない

>都合悪いことは畿内の貴重な発掘物でも無視する。

自分の発言でも、時と場合によって、適当にころころ手のひら返しをする

>そして、二流・三流の品、三角縁を大型鏡(笑)ともちあげる。
>これが畿内病クオリティ。

本当に、具体的なことはいわず、いつでも自分の都合で言うことをころころ変えて、
議論ではなく、人を茶化すことが目的って辺りが、お鏡さんクオリティですね!

669日本@名無史さん2018/04/26(木) 11:33:29.82
>>630
>咫は単位だけど数詞ではない、って
>自分の使ってる言葉の意味もよくわかってない。

それはあなたの論理的思考能力が低すぎて理解できないだけですよ
それと、チェリーピッカー的に片言隻句だけで批判しようとするから
おかしなことしか言えていない

まず、第一に、漢魏尺の度量衡に「咫」は入っていない
周代には「咫」は、女性の手を広げた大きさ(おそらく親指から人差し指まで)という
身体尺があった
しかし、周朝の権威が衰え、各地の諸侯が自立した春秋・戦国時代に、各国が
勝手に分国法を使うようになり、度量衡もばらばらになって長さの定義もごちゃごちゃになった

それを、秦の始皇帝が改めて、度量衡を統一した
その時点で計量単位としての「咫」は使われなくなっているし、度量衡に組み込まれていない

前漢の紀元前91年成立の史記の時点で伝承の中で「尺有咫」と
使われているのを除くと、「咫」は「咫尺」という熟語以外では
使われなくなっている

そして、円周を測ることに「咫」が使われている例は、一例もない
円周を計るのに便利な単位だから「咫」が使われたというのは、まったく根拠がない

670日本@名無史さん2018/04/26(木) 11:37:05.95
お鏡さんが出てくると、スレが進むね!

ここも背乗りカススレだから、お鏡さんとそのアバターさんたちは、
バカをさらす意味でも、嘘ごまかし捏造で構わないから、どんどん書き込みしてね!

671日本@名無史さん2018/04/26(木) 13:21:33.20
>>117
>>排中律の意味がわかってないアホ<

>それが九州説の悲しさです<

それが、不可知部分が殆どである自然や歴史において、
正否の二者択一か考えられず、その間の中間的な状態が考えられない、
何でも絶対断定論の大和説者の、アホの悲しさです。


キナイコシの論理水準はザラコクさん以下が確定

672日本@名無史さん2018/04/26(木) 13:23:04.53
>>671
あれ?

これ、ザラコクの投稿じゃないの?

673日本@名無史さん2018/04/26(木) 13:56:52.54
>>672
排中律がわからないのは、
あとはキナイコシだけ

wwww

674日本@名無史さん2018/04/26(木) 14:18:58.80
>>673
お前がいる


w

675日本@名無史さん2018/04/26(木) 16:02:07.58
いや、一番分かってないのはお鏡さんだよ

排中律があるから、
「「咫」が長さを測るのに使われている例は、一例もない」を否定するのに
「「咫」で長さを計った例を挙げる必要がない」とか言い切っちゃうんだから

676日本@名無史さん2018/04/26(木) 16:18:56.17
>>675
排中律以前に、用例を必要と思わないこと自体が異常じゃないのか?

677日本@名無史さん2018/04/26(木) 16:26:49.24
>>676
九州説の連中にとっては、彼らが「正しいと認識」したことは
すべて「確実な真実」であり、「論証を求める」こと自体が、
嫌がらせの荒らし行為らしいよ

678日本@名無史さん2018/04/26(木) 16:47:34.99
>>677
おれは根拠を聞いたら荒らしと言われたことがあるよ

679日本@名無史さん2018/04/26(木) 18:05:53.20
>>678
九州説って、排他律にしたがって生きてるよなww
パウリの排他律は重要な法則だけどさ

九州説の排他性はもう議論にならないレベルなんだから
議論の場に何のために出てくるのかが分からない

680岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/04/26(木) 20:07:44.99
>>620
>これは、桜井茶臼山古墳の大型内向花文鏡の系譜のものなんですよ
>桜井茶臼山のものは、平原のよりも面径が小さいから違うって言っていたのは
>お鏡さんじゃなかったでしたっけ?

私じゃないですね。アバターとか意味不明なこと言ってないで、早く正気に
戻ってください。私の主張する説が伊都厨のみなさんと区別がつかないなら、
アマゾンで「継続としての日本古代史」を購読お願いしますね(笑)

>平原1号墓の出土品なんて、桜井茶臼山古墳から見たら雑魚ですよ?
>桜井茶臼山古墳出土物は、盗掘あとが明白なあとの残り物だけでも、
>平原1号墓のものとは比べ物にならない

一世紀も時代が違うだから比べても意味がない。
というか面径では茶臼山は完敗してますね。天皇陵級をもってしても、
大型内行花文鏡は破片しかなかったのですから、すごい希少性ですね。

>>そして、二流・三流の品、三角縁を大型鏡(笑)ともちあげる。
>>これが畿内病クオリティ。
>本当に、具体的なことはいわず、いつでも自分の都合で言うことをころころ変えて、
>議論ではなく、人を茶化すことが目的って辺りが、お鏡さんクオリティですね!

意味が分かりませんが、あなたが畿内の大型鏡として、内行花文鏡を無視するから
指摘したまでです。で、なにか不都合でもあったのですか??

681岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/04/26(木) 20:14:40.11
>>669
どっかのスレの620ぐらい?を参照ください。
何度も説明しませんよ。あなたが論理についての「考え方」を学んでください。
野矢茂樹先生の著作は本当に有用ですよ。専門用語は、ほとんどありません。
用語を使ってみて分かった気になっても駄目です。

682日本@名無史さん2018/04/26(木) 23:22:10.67
優しいなぁ

683日本@名無史さん2018/04/26(木) 23:46:14.79
>>680
この>>682みたいなのがアバターだよ

684日本@名無史さん2018/04/27(金) 00:10:39.13
>>681
>野矢茂樹先生の著作は

野矢氏に下駄を預けずに、自分の言葉では書けないのかな?
邪馬台国関連スレに出没する人の中では、相当の知識を持ち、とても頭の良い人って設定なんだろ?

こっちは、伊都国説(笑)の書き込みには、何度でも馬鹿らしいと思いながらも、きちんと間違いを正しているよ

結局、まともなことが書けずに逃げてるだけだろ?

計ってもいいだろうなんてのは、科学の対象ではない

計ったとするべき理由もないし、計る可能性すらないのはきちんと論証されているのに
「計ってもいいだろう、計ったら八咫なのは事実」とか学問板で書けるのはすごいなと思うよ

九州説も伊都国説も科学ではない

新着レスの表示
レスを投稿する