>>64
彦坐王は婿に入ったというよりも、故地に帰ったというべきでは。
彦坐王の母は、ワニ氏の祖の一族出身だ。
和珥氏とは、孝昭天皇が丹波一族に婿入してその長男が始祖の一族だ。
開化は、和珥氏の娘と、丹波の竹野姫と二人の丹波一族から嫁を取っている。
垂仁の皇后の日葉酢媛は彦坐王の孫にあたる。

おれが思うに、彦坐王の系譜の方が正統な王の血筋だったのではないかと思ってる。
早死するかなにかで王にならずに死んで、その子の狭穂彦が王になるはずが
崇神が横取りした。その争いが後代に反逆と書かれた。