邪馬台国畿内説を批判するスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。 印綬を拝領した倭奴国は、考古学的には伊都国になるので、伊都国は倭奴国の言い換えです。
伊都国最初の王墓である三雲南小路遺跡の祭殿である細石神社に漢委奴国王印が保管されていたという口伝にも根拠があることになります。 >>232
漢王朝が続いている間は漢委奴国王は有効なんだから
最後の所有者は新たに親魏倭王の金印を貰った卑弥呼だった可能性が高いんだよな。 魏への最初の朝貢には漢委奴国王印を御璽として用いたでしょう。
卑弥呼がどこにいたか、明白ですね。 >>235
>卑弥呼がどこにいたか、明白ですね。
明白ですね。畿内です。
https://goo.gl/m2KfqU
対馬、北部九州、瀬戸内のモノノフさんたちが畿内の都を守ってます。 >漢委奴国王印を御璽として用いた
あの金印が本物かどうかw
発見場所が志賀島ってw
何処から見つかったことにするか悩んだであろうな、江戸幕府もw >>232
>言わずとも同じ国であることは明らかで、印綬はそのまま継承していると。
その倭国をさらに継承したのが卑弥呼ですね。
同じ国であるなら倭国王帥升でなく倭奴国王帥升と書くはず。
倭奴国と倭国は違う系統。 なんで名前の違う国を平気で
同じ国だと言い張れるんだろう
神経がわからん 倭奴国が倭国の中にあることは確実だからだよ。
ただ、奴国から伊都国に微妙に意味をずらしているね。
遷都を巧く誤魔化しているかも。
後に筑紫倭国から畿内大和への政権交代をうまく隠しているのと同じだな。
いろいろ言いくるめていくのは日本人の得意技なのかな。 >>239
建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
倭奴國は倭國の極南界に在り、印綬を賜ってる
倭奴國の大夫が印綬を賜って倭國の王になったって文章だな
違うと言い張れる神経がわからん。 >>241
これを
倭奴國の大夫が印綬を賜って倭國の王になった
って読んじゃう人の脳が
正常だと思う気持ちがわからん。 >>241
そんなふうに読んだ人が
アナタ以外に、いる? 倭国の極南界に在る倭奴国の大夫が来て金の印綬を賜りました
さて何処の王に封ぜられたでしょう?
@倭奴国・・・・・・×
A倭国・・・・・・〇 もらったのが金印だったからでしょ。
倭国王でなければもらえない。
実際に金印がある以上、どうしようもない。 糸クズは俺様偉い教の教祖様だからな
やってるのは学問じゃなく宗教そのもの >>245
>実際に金印がある以上、どうしようもない。
満州事変の年に軍部が強引に国宝にしてしまった金印ねwww 「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見」
大夫が倭奴國王になったとしたら、突然に倭國王が出てくるの変でしょ?
倭奴國王は何処に行ったんですか?
倭國王は何処から湧いてでたの?
倭奴國王なんて後漢書には無いんですよ。 >>246
実在する金印を妄想とか言い出したよ。
畿内説も末期だな。 消えた倭奴國王、突然出現する倭國王を想定するより
倭奴國の大夫が倭國王になったが自然だろ。 >>252
金印を妄想だと誰が言った?
岡上は捏造が、好きだな。 それより
57年当時は倭奴国が倭連合の対外交渉代表くらいだったんだろうけど、
107年の頃は倭奴国が倭連合の盟主国になっていたので倭国王と呼んであげたんじゃないかな 倭奴國の大夫が倭國王でないなら
後漢書に倭奴國王と倭國王の関係が記されてるはず
突然に倭國王だけを書くなんてないな
倭國王の出くらい書くな。 歴史書なんだから
消えた倭奴國王、突然出現する倭國王
なんて書かない
歴史の流れ繋がりを記すのが歴史書。 勝手に前提条件を決めて、それへの当否で自説の可否を主張するのはトンデモの常套手段 日本側は一貫して倭奴国(伊都国)と称してたんでしょ
中国側からは倭国王と呼んだり親魏倭王と呼んだり 旧唐書にあるよ
日本側は一貫してるよね
「倭國者,古倭奴國也」 >>272
偽スレ立てrとナリスマシ常習の変質者だろ 岡上
邪馬台国関連スレに出没する狂人のひとり
考古学界では全く賛同者がいない説を「考古学的に確定している」と主張するウソつき
コテ+トリと名無しを使い分け、自説を関連スレで書き込みまくるがバレバレ
糸クズ、八咫バカとも
「咫」の説明である「周尺」を「円周の尺」と読んだり、
伊都国を女王国であると漢文を誤読したり、
八咫鏡の文様には八咫烏があると現物を知らないで主張したり、
お笑いエピソードには事欠かない
未確定な事項であっても、自分に都合がよければ勝手に確定事項であると脳内変換し、
それを根拠として立論してしまうチェリーピッキナー
日本史の方法論をまるで理解していない、自分偉い教の教祖である 漢文読めるのなら畿内説なんて馬鹿しい説直ぐに間違いだと気付くよね。 倭奴國の大夫が印綬を賜り倭國王になった
に異論は無いですね。 >>279が漢文読めない岡上w
倭奴國の大夫が印綬を賜り倭國王になった
に異論は無いですね。 >>284
使者が自らを大夫と称したんじゃなくて
自ら大夫と称するの使者だな
使者が大夫なら倭奴国から来たとあるだけで誰の使者か書いてない事になる。 白村江の時代、畿内に王都があったのと同じく、
弥生時代にすでに畿内に王都がある。
https://goo.gl/m2KfqU
これを見てもまだ防人の土地・北部九州に都があったとするやつはどうかしている。
面白いのはこの九州〜瀬戸内集団がニギハヤヒとともに大和入りしたことが天神本紀に書かれている。
そして纏向遺跡は寺沢によれば筑紫、吉備、播磨、讃岐の強い要素だそうだ。
ピタリ合うではないか。
防人集団、モノノフ(物部)と合うではないか。 青銅器文化でも銅剣など武具が出る北部九州と、
銅鐸が出る畿内とでは違う文化だと言われてきた。
ところが荒神谷遺跡では銅剣と銅鐸が一緒に出た。
つまり別文化ではなかったのだ。
同じ文化でありながら北九州には武力、畿内には祭祀。
これは畿内にあった都を九州が防衛してる姿なのだ。
対馬に大量の武具が出る状況には反論できないだろう。
邪馬台国の都は畿内にあった。 なぜ何も根拠になってないことが理解できないんだろう ではこの銅剣も銅鐸も含めた西日本全体の青銅器文化の王は誰だ?
弥生時代だから青銅器文化の王=天皇ではない。
神武はもちろんBC660年ではない、平均在位から計算しても3世紀前後。
この大きな国の王とは「大国主(大物主)」だ。
そしてヒミコは大国主の系譜にいるのだ。
事代主神の娘、ヒメ踏鞴五十鈴媛しかいないのだ。
邪馬台国とは葛城である。 >>291
>ではこの銅剣も銅鐸も含めた西日本全体の青銅器文化の王は誰だ?
少なくとも卑弥呼ではない、中国の目に止まらなかった豪族だよ。
魏の使いが外交を行った九州北部とは違う文化圏なら、邪馬台国とは関係ない土地ということだ。 >>291
>事代主神の娘、ヒメ踏鞴五十鈴媛しかいないのだ。
はいはい、イスケヨリかわいいよイスケヨリ。
だいたい、出雲の事代主がそんなところにいるわけない。 >>291
西日本全体の青銅器文化の王なんていないよw
九州は九州、畿内は畿内で別の国。 >>293
>出雲の事代主がそんなところにいるわけない。
神武が大和入りして事代主神の娘と結婚すると書いてあるだろ。
ということは葛城に事代主神がいたのだ。
おまえは何を言ってるのだ。
また奈良だけではないが西日本一帯に加茂岩倉との兄弟銅鐸が出る。
奈良では上牧に出る。
弥生時代、すでに出雲と畿内は同一文化。
九州は哀しい防人の土地だ、あきらめろ。 >>292
>中国の目に止まらなかった豪族だよ。
3世紀後半から4世紀、小札革綴冑という中国製の冑が十数点畿内の古墳から出る。
九州は1点だけ。
この冑はトヨの朝貢時期に入手したとしか考えられない。
ということは中国と通交していた主体は畿内。
したがって邪馬台国は畿内である。
九州説は往生際が悪すぎ。。 九州説が勝ちすぎると、無謬主義だのなんだの言われるから考え物だ >>298
>神武が大和入りして事代主神の娘と結婚すると書いてあるだろ。
そもそも事代主と神武では記紀でも世代が違う。
せいぜい末裔の誰かだ。 >>298
>弥生時代、すでに出雲と畿内は同一文化。
考古学的には出雲は筑紫との繋がりが強い。
畿内、という枠組みがそもそも弥生時代にはまだない。
関西は日本海側と瀬戸内海側で違う文化圏で、奈良盆地はさらにどちらにも属さない東海地方の影響下だった。
まったく理解していないな。 大和朝廷の最初期で既に三輪大神(大物主尊大国主尊)が神として祀られていたわけで、そんな時代に事代主の神が豪族のして存在してるわけ無いでしょ >>307
これもいろいろごちゃ混ぜにしているんだろうな。
三輪山の神の娘が実在の人物で登場するから、奈良盆地の豪族なんだろう。
それを出雲の大国主に重ねて権威づけしただけ。 鉄鏃の分布なんか見ると絶望的だよね
奈良なんて東京や千葉の10分の1だもんね
発掘なんて東京に比べりゃはるかに恵まれた環境なのに
九州に比べれば2桁違う
農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
吉備や尾張の方が全然上
ちなみに湖沼、沼地の干拓ってのは水を抜くのに苦労をする
治水のために水路を掘ると結構な残土が出るんだな
奈良盆地に3世紀以降古墳が出来たっつのはまあそういう事だ
摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後 >>299
古墳の年代決定が恣意的過ぎるな
6世紀の古墳を3世紀後半から4世紀と言ってる。 >>303
>そもそも事代主と神武では記紀でも世代が違う。
せいぜい末裔の誰かだ。
アホか。
神武は事代主神の娘と結婚する。
事代主と神武は1世代違うだけなので何も問題はない。 >>304
>考古学的には出雲は筑紫との繋がりが強い。
畿内、という枠組みがそもそも弥生時代にはまだない。
関西は日本海側と瀬戸内海側で違う文化圏で、奈良盆地はさらにどちらにも属さない東海地方の影響下だった。
まったく理解していないな。<
アホか。
加茂岩倉との兄弟銅鐸が近畿一円から多数出ている。
また大阪の鬼虎川遺跡の鋳型で作られた銅鐸が出雲から出る。
畿内と出雲は同文化だ。
九州ごとき防人のアホはだまっておけ。 >>307
>大和朝廷の最初期で既に三輪大神(大物主尊大国主尊)が神として祀られていたわけで、そんな時代に事代主の神が豪族のして存在してるわけ無いでしょ
豪族でなくて王家だよ。
鴨の語源は神、つまり神族。
崇神は神族の王権を倒して怨霊が恐い物だから大神神社を建て、
手元にあった鏡を放逐、今は伊勢神宮にあるというわけさ。 >>312
>事代主と神武は1世代違うだけなので何も問題はない。
記紀をもう一度読み直せ。 >>314
>豪族でなくて王家だよ。
王を自称する豪族の一人。
中国から冊封された倭国王は博多湾沿岸の倭国王のみ。 後漢書、魏志倭人伝、宋書倭国伝、梁書倭伝、隋書倭国伝、旧唐書倭国伝などなど、中国の文献に倭国の記載が幾つもあります。
@これらは倭国の情報だと考えられますが、宋書以降、倭国はヤマト王権のことであるという読み替えがなされていると思います。その合理的な根拠はあるのですか?
・倭王武は、宋の時代から梁の時代まで朝貢していて、ヤマト王権の雄略天皇とは明らかに時代が合わない。しかし教科書的には宋書のみ記載して、雄略かな?とシレっと書いてます。
・隋書倭国伝でも、地理記載から(阿蘇山、東西5か月で海に至る)九州であることは明白です。(教科書は、隋書には触れていない。)
・旧唐書については、山川の教科書では、日本伝には触れるが倭国伝には触れていない。
A九州倭国の存在を明確に示すことは、難しいかも知れませんが、中国文献の倭国がヤマト王権であるとする方がもっと難しい(根拠がない)と思いませんか? え?
まさかそれだけ?
@阿波って名前の荒らしが荒らしまくってる根拠が
まさかまさかまさか
たったのそれだけ? >土器についても阿波(東阿波型土器)
東阿波型土器が他地域にどう影響を与えているのか?
>墓制と朱についても阿波
どこにどう影響を与えているのか?
>鉄器も阿波
3世紀阿波の鉄器についての詳細は?
>中国朱も阿波
3世紀阿波の中国朱についての詳細は?
>九州にあるものは大概、阿波にも有る。 @阿波
九州にあるものが大概あるだけだと属国の証明になる
九州にあるものが九州以上にあって
その供給源についての詳細の証明は? 鉄器があるのに鉄器を渡さずに木器で土木作業させたら
不当労働を強制したということで訴えられないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています