邪馬台国畿内説を批判するスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。 それより
57年当時は倭奴国が倭連合の対外交渉代表くらいだったんだろうけど、
107年の頃は倭奴国が倭連合の盟主国になっていたので倭国王と呼んであげたんじゃないかな 倭奴國の大夫が倭國王でないなら
後漢書に倭奴國王と倭國王の関係が記されてるはず
突然に倭國王だけを書くなんてないな
倭國王の出くらい書くな。 歴史書なんだから
消えた倭奴國王、突然出現する倭國王
なんて書かない
歴史の流れ繋がりを記すのが歴史書。 勝手に前提条件を決めて、それへの当否で自説の可否を主張するのはトンデモの常套手段 日本側は一貫して倭奴国(伊都国)と称してたんでしょ
中国側からは倭国王と呼んだり親魏倭王と呼んだり 旧唐書にあるよ
日本側は一貫してるよね
「倭國者,古倭奴國也」 >>272
偽スレ立てrとナリスマシ常習の変質者だろ 岡上
邪馬台国関連スレに出没する狂人のひとり
考古学界では全く賛同者がいない説を「考古学的に確定している」と主張するウソつき
コテ+トリと名無しを使い分け、自説を関連スレで書き込みまくるがバレバレ
糸クズ、八咫バカとも
「咫」の説明である「周尺」を「円周の尺」と読んだり、
伊都国を女王国であると漢文を誤読したり、
八咫鏡の文様には八咫烏があると現物を知らないで主張したり、
お笑いエピソードには事欠かない
未確定な事項であっても、自分に都合がよければ勝手に確定事項であると脳内変換し、
それを根拠として立論してしまうチェリーピッキナー
日本史の方法論をまるで理解していない、自分偉い教の教祖である 漢文読めるのなら畿内説なんて馬鹿しい説直ぐに間違いだと気付くよね。 倭奴國の大夫が印綬を賜り倭國王になった
に異論は無いですね。 >>279が漢文読めない岡上w
倭奴國の大夫が印綬を賜り倭國王になった
に異論は無いですね。 >>284
使者が自らを大夫と称したんじゃなくて
自ら大夫と称するの使者だな
使者が大夫なら倭奴国から来たとあるだけで誰の使者か書いてない事になる。 白村江の時代、畿内に王都があったのと同じく、
弥生時代にすでに畿内に王都がある。
https://goo.gl/m2KfqU
これを見てもまだ防人の土地・北部九州に都があったとするやつはどうかしている。
面白いのはこの九州〜瀬戸内集団がニギハヤヒとともに大和入りしたことが天神本紀に書かれている。
そして纏向遺跡は寺沢によれば筑紫、吉備、播磨、讃岐の強い要素だそうだ。
ピタリ合うではないか。
防人集団、モノノフ(物部)と合うではないか。 青銅器文化でも銅剣など武具が出る北部九州と、
銅鐸が出る畿内とでは違う文化だと言われてきた。
ところが荒神谷遺跡では銅剣と銅鐸が一緒に出た。
つまり別文化ではなかったのだ。
同じ文化でありながら北九州には武力、畿内には祭祀。
これは畿内にあった都を九州が防衛してる姿なのだ。
対馬に大量の武具が出る状況には反論できないだろう。
邪馬台国の都は畿内にあった。 なぜ何も根拠になってないことが理解できないんだろう ではこの銅剣も銅鐸も含めた西日本全体の青銅器文化の王は誰だ?
弥生時代だから青銅器文化の王=天皇ではない。
神武はもちろんBC660年ではない、平均在位から計算しても3世紀前後。
この大きな国の王とは「大国主(大物主)」だ。
そしてヒミコは大国主の系譜にいるのだ。
事代主神の娘、ヒメ踏鞴五十鈴媛しかいないのだ。
邪馬台国とは葛城である。 >>291
>ではこの銅剣も銅鐸も含めた西日本全体の青銅器文化の王は誰だ?
少なくとも卑弥呼ではない、中国の目に止まらなかった豪族だよ。
魏の使いが外交を行った九州北部とは違う文化圏なら、邪馬台国とは関係ない土地ということだ。 >>291
>事代主神の娘、ヒメ踏鞴五十鈴媛しかいないのだ。
はいはい、イスケヨリかわいいよイスケヨリ。
だいたい、出雲の事代主がそんなところにいるわけない。 >>291
西日本全体の青銅器文化の王なんていないよw
九州は九州、畿内は畿内で別の国。 >>293
>出雲の事代主がそんなところにいるわけない。
神武が大和入りして事代主神の娘と結婚すると書いてあるだろ。
ということは葛城に事代主神がいたのだ。
おまえは何を言ってるのだ。
また奈良だけではないが西日本一帯に加茂岩倉との兄弟銅鐸が出る。
奈良では上牧に出る。
弥生時代、すでに出雲と畿内は同一文化。
九州は哀しい防人の土地だ、あきらめろ。 >>292
>中国の目に止まらなかった豪族だよ。
3世紀後半から4世紀、小札革綴冑という中国製の冑が十数点畿内の古墳から出る。
九州は1点だけ。
この冑はトヨの朝貢時期に入手したとしか考えられない。
ということは中国と通交していた主体は畿内。
したがって邪馬台国は畿内である。
九州説は往生際が悪すぎ。。 九州説が勝ちすぎると、無謬主義だのなんだの言われるから考え物だ >>298
>神武が大和入りして事代主神の娘と結婚すると書いてあるだろ。
そもそも事代主と神武では記紀でも世代が違う。
せいぜい末裔の誰かだ。 >>298
>弥生時代、すでに出雲と畿内は同一文化。
考古学的には出雲は筑紫との繋がりが強い。
畿内、という枠組みがそもそも弥生時代にはまだない。
関西は日本海側と瀬戸内海側で違う文化圏で、奈良盆地はさらにどちらにも属さない東海地方の影響下だった。
まったく理解していないな。 大和朝廷の最初期で既に三輪大神(大物主尊大国主尊)が神として祀られていたわけで、そんな時代に事代主の神が豪族のして存在してるわけ無いでしょ >>307
これもいろいろごちゃ混ぜにしているんだろうな。
三輪山の神の娘が実在の人物で登場するから、奈良盆地の豪族なんだろう。
それを出雲の大国主に重ねて権威づけしただけ。 鉄鏃の分布なんか見ると絶望的だよね
奈良なんて東京や千葉の10分の1だもんね
発掘なんて東京に比べりゃはるかに恵まれた環境なのに
九州に比べれば2桁違う
農具は木製や石器なんて西日本の盟主だの王都だのってどんな妄想だよ
吉備や尾張の方が全然上
ちなみに湖沼、沼地の干拓ってのは水を抜くのに苦労をする
治水のために水路を掘ると結構な残土が出るんだな
奈良盆地に3世紀以降古墳が出来たっつのはまあそういう事だ
摂津河内も無理当時は河内湖が汽水から淡水に移行する頃で農地に出来るのはまだまだ後 >>299
古墳の年代決定が恣意的過ぎるな
6世紀の古墳を3世紀後半から4世紀と言ってる。 >>303
>そもそも事代主と神武では記紀でも世代が違う。
せいぜい末裔の誰かだ。
アホか。
神武は事代主神の娘と結婚する。
事代主と神武は1世代違うだけなので何も問題はない。 >>304
>考古学的には出雲は筑紫との繋がりが強い。
畿内、という枠組みがそもそも弥生時代にはまだない。
関西は日本海側と瀬戸内海側で違う文化圏で、奈良盆地はさらにどちらにも属さない東海地方の影響下だった。
まったく理解していないな。<
アホか。
加茂岩倉との兄弟銅鐸が近畿一円から多数出ている。
また大阪の鬼虎川遺跡の鋳型で作られた銅鐸が出雲から出る。
畿内と出雲は同文化だ。
九州ごとき防人のアホはだまっておけ。 >>307
>大和朝廷の最初期で既に三輪大神(大物主尊大国主尊)が神として祀られていたわけで、そんな時代に事代主の神が豪族のして存在してるわけ無いでしょ
豪族でなくて王家だよ。
鴨の語源は神、つまり神族。
崇神は神族の王権を倒して怨霊が恐い物だから大神神社を建て、
手元にあった鏡を放逐、今は伊勢神宮にあるというわけさ。 >>312
>事代主と神武は1世代違うだけなので何も問題はない。
記紀をもう一度読み直せ。 >>314
>豪族でなくて王家だよ。
王を自称する豪族の一人。
中国から冊封された倭国王は博多湾沿岸の倭国王のみ。 後漢書、魏志倭人伝、宋書倭国伝、梁書倭伝、隋書倭国伝、旧唐書倭国伝などなど、中国の文献に倭国の記載が幾つもあります。
@これらは倭国の情報だと考えられますが、宋書以降、倭国はヤマト王権のことであるという読み替えがなされていると思います。その合理的な根拠はあるのですか?
・倭王武は、宋の時代から梁の時代まで朝貢していて、ヤマト王権の雄略天皇とは明らかに時代が合わない。しかし教科書的には宋書のみ記載して、雄略かな?とシレっと書いてます。
・隋書倭国伝でも、地理記載から(阿蘇山、東西5か月で海に至る)九州であることは明白です。(教科書は、隋書には触れていない。)
・旧唐書については、山川の教科書では、日本伝には触れるが倭国伝には触れていない。
A九州倭国の存在を明確に示すことは、難しいかも知れませんが、中国文献の倭国がヤマト王権であるとする方がもっと難しい(根拠がない)と思いませんか? え?
まさかそれだけ?
@阿波って名前の荒らしが荒らしまくってる根拠が
まさかまさかまさか
たったのそれだけ? >土器についても阿波(東阿波型土器)
東阿波型土器が他地域にどう影響を与えているのか?
>墓制と朱についても阿波
どこにどう影響を与えているのか?
>鉄器も阿波
3世紀阿波の鉄器についての詳細は?
>中国朱も阿波
3世紀阿波の中国朱についての詳細は?
>九州にあるものは大概、阿波にも有る。 @阿波
九州にあるものが大概あるだけだと属国の証明になる
九州にあるものが九州以上にあって
その供給源についての詳細の証明は? 鉄器があるのに鉄器を渡さずに木器で土木作業させたら
不当労働を強制したということで訴えられないの? 滋賀県彦根市稲枝大村剛志は組織犯罪に関与している
滋賀県彦根市稲枝前田高志は組織犯罪に関与している
滋賀県彦根市稲里かみへる高橋秀和は組織犯罪に関与している
最低な奴ら
消えうせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
あーすっきりした 畿内説のパターン
・どうせ魏志倭人伝なんて解読出来ないから言いたい放題だぁ! と思って妄想しまくる
↓
・それが解読されちゃう
↓
・畿内説メッチャ困っちゃう
↓
・ジイさん疑似科学に走る ←イマココ >>337
疑似科学の特徴のひとつである陰謀説が古田の口癖だったのすら忘れてるのか、痴ほう症が進みすぎてあわれだな 畿内説はもう歴史学から手を引いたらいい。
過去のことは全て見ることができないのだから。 少なくとも八咫鏡ガーとか鳥居ガーなどとは主張しないな
見ることができないものだからな >>343
伊勢の神宝を見ることはできなくても、それを見た人の記録は見ることができる。
そこに描かれた特徴は、平原遺跡のものと一致する。 >>346
本当に見てるか怪しいし、特徴があってるってのも思い込みかもしれないだろ
古代末から中世にかけて「八葉」がどういう意味で使われていたのか調べてみればw 頭の良い人は気づいている
『高野氏 出雲』
あのサルタ(猿田、仮名)の話とか >古事記・天孫降臨条に
>「僕は、国つ神、名は猿田毘古神ぞ。出で居る所以は、
>天つ神御子天降り座すと聞きつるが故に、御前に仕へ奉らむとて、
>参ひ向へて侍り、とまをしき。其の猿田毘古神、阿耶訶(あざか)に坐しし時に、
>漁(すなどり)為て、ひらぶ貝に其の手を咋ひ合さえて、海塩に沈み溺れき」と見ゆ。
>延喜式に伊勢国壱志郡に阿邪加神社(松坂市阿坂町)を載す。
>古代阿射賀国で猿田彦神を奉じた海洋民の居住地なり。
>神代に渡来した猿田彦は別名国底立神とある。
>神代初代国常立尊の別名で、二代が豊国主尊である。
>豊国とは朝鮮僧を豊国僧と呼び、国常立尊(猿田彦)・豊国主尊の父子は豊国(朝鮮)の海部族である。
>また、一説に猿田彦は出雲国秋鹿郡許曽志神社(松江市古曽志町)が生地であると伝承あり。
>最初に上陸したのは出雲国で、猿田彦とは代々の海部族首領の名である。
>出雲国に猿田彦を祭神とした赤秦社が多く鎮座す。
>猿の尻は赤いので赤秦と称すが、その実は、百済系祭神を赤と称し、新羅系祭神を白と称す。 【八咫鏡】
平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。
伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。 「八葉」が「八葉座」のことだってのが無知からくる思い込みなんだがなw ttps://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51600414.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています