邪馬台国畿内説を批判するスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。 >>34
では、畿内説関係の諸スレにはこないでくださいね >>32
皇室の祭祀は天の岩戸より現代まで、阿波の忌部が営々と営んでいるのはなぜか?
北部九州の伊都? なにそれ? >>32
これは面白いですね。
卑弥呼が伊都にいた斎宮という可能性もあります。 邪馬台国畿内説の要旨
@纒向遺跡は巨大祭祀空間であり卑弥呼の宮である
A箸中山古墳は巫女王墓であり卑弥呼の墓である
B奈良県に古くからあったヤマトという地名が邪馬台に一致する
C畿内第X様式、庄内式、布留式土器の北部九州からの出土が畿内と北部九州の片務的関係を示唆する
以上叩き台です >>42
「根拠無し」だけでは芸が無さすぎ 対案を出せ 叩くためにあえて載せてあるわけだから、具体的に問題点を挙げないと。 邪馬台国畿内説の要旨
@纒向遺跡は巨大倉庫であり卑弥呼の宮ではない
A箸中山古墳は阿波の豪族墓であり卑弥呼の墓ではない
B奈良県に古くからあったオオヤマトという地名は邪馬台に一致しない
C庄内式、布留式土器は畿内第X期東阿波型土器(薄型軽量土器)の伝播を示唆する >>45
それ邪馬台国畿内説の要旨ではないね
邪馬台国畿内説批判の要旨では? >>45
>@纒向遺跡は巨大倉庫であり卑弥呼の宮ではない
桃の種が大量に出たことを見ても、桃を含む
各種の倉庫であることは間違いないでしょう。
でなければ2000個の桃の種などが出る理由がありません。 古事記に「近淡海之御上祝以伊都玖、天之御影神之女、息長水依比賣」 とある 天之御影~は
天津彦根命の子(天照大神の孫)。鍛冶の神である天目一箇神と同一神とされ、日本第二の忌火の神とされる。 >滋賀・稲部遺跡:大規模な鉄器工房遺構
三上山と言えば、伊勢遺跡の付近だが
鉄器工房の稲部遺跡は彦根か
米原の息長はさらに北方にある
祝(ほうり)の権威がすでに広域に渡っていたことが分かる
しかし、三輪や三上のように山岳信仰は標高の高さと無関係に見える
今でこそ伊吹山に目移りしてしまうが当時は三上山に権威があったのだろう 纏向には鉄器が皆無だから
滋賀北部の鉄器工房は纏向とは無関係であることが
考古学的に確定した
となると稲部遺跡の鉄器工房は丹後半島から南進してきたわけで
その原材料入手ルートを辿ると北部九州から東向きに伝わったことが確定 たしかに考古学って凄いよな
作者の意図とかネタ元の信頼性とか検証しなくちゃいけない文献史料とちがって
考古学遺物ははっきりとした真実だから
個人の解釈とか説とかを寄せつけずに直接に結論が導かれる >>55
そのとおり
滋賀の神社は丹波とは鉄で結びついていてタタスミといった神がいて
とりわけオオナムチを祭神とした神社が多い
つぎにはヤマトタケルのような大和王権の中でも非主流の神社も多い
元来、日本海とのつながりの方が強かったのだろう。
ヤマトタケルの別名である、ヤマトオグナのクナは狗奴国と関係しているかも 纏向宮を作ったのは阿波から先行した円形周溝墓グループで
ホケノ山箸墓が神武に当たる第三次くらいの征服者だろうな
纏向を本格的に占領した初代支配者が崇神 崇神時代の四道将軍の侵攻経路も操作されているよね
神武が東征してきた同じ瀬戸内海ルートを
丹波道主命が逆に引き返しているのが矛盾している
史実としては神武が畿内に突破口を開いたところで
吉備津彦命が吉備から東進
丹波道主命が丹波から南進(稲部遺跡の鉄器工房)
以上2つが、土器の流れや古墳建設の流れに合致
奈良を制圧してから
まず大彦命将軍が日本海ルートでさらに東征(会津まで)
その数年〜数十年後に息子の武渟川別命が次の将軍に任命されて東海道ルートで東征(会津まで) 神武が東征してきた同じ瀬戸内海ルートを
丹波道主命が逆に引き返しているのが矛盾している
神武が東征してきた同じ瀬戸内海ルートを
○吉備津彦命が逆に引き返しているのが矛盾している 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 吉備津彦命と崇神は古墳形状が同一であることから
同一人物とも言われているね
だとすると
神武=崇神=吉備津彦命が東征してきたとも考えられる 丹波道主命は婿に入ったヒコイマスとオキナガ氏の子なので
近江が地盤。奈良にいなくてもおかしくはない。 >>64
近江は筑紫や出雲など日本海文化圏の一部。
奈良は関係ない。 >>59
素晴らしい考察だなー。違和感がないよ。参考になるなー。 桃から酒を造ってたんだろうなー。糖度の高い果物からは容易に酒が作れる。大量に種が出るなら間違いない。 米は麹で糖化しなきゃならんから
若干難易度が高い。
熟すと高糖度の果汁になる果物は
酒にしやすい。
風味付けだけじゃなくて、
中国には桃から作った酒がある。 で、ヤマト朝廷に繋がると主張する纏向から桃の種が大量に出るわけだが
記紀に桃酒は出てくるのかね? 子どもみたいに桃がーとかアホみたい
他に言うことないの? 昔の桃は甘くなかったから酒にはならん
熟しても糖度はたいして上がらん。 >>72
そうなのよねー。オロチに呑ませた酒はなんだったのか。黄泉の国でイザナギがいざなイザナミに投げたのは桃だなー。遺跡を見ると出雲に近い岡山あたりにも桃の種が出るみたいだから手名椎足名椎が用意した酒はもしかしたら桃酒かも。 畿内説には説明できない弱点が多いのですが、
その中でも以下の3点は決定的です。
・邪馬台国のライバル国である南の狗奴国の説明
・東の海を渡った所にさらに倭種の国
・邪馬台国に属する国は30ヶ国
畿内説邪馬台国は畿内から九州までを含む全域を支配しているのに、
そのような大国に対抗できるライバル国が存在するのでしょうか。
また、東の海を渡るとはどこの海を指しているのでしょうか。
さらに、伊都国、奴国、不弥国と現代の市町村レベルサイズで
既に5-6ヶ国の記載があるのに、西日本全体で30ヶ国を想定するのは無理です。
それが九州説であれば、狗奴国は熊本の事、
東の海を渡るとは当然、豊後水道でさらに倭種の国は四国、中国。
邪馬台国が福岡県サイズとすれば、30ヶ国の数は適正。(現代の自治体数)
全てが違和感なくすっきり説明できます。
何より、当時の中国人・日本人が東も南も分からない愚か者の集まり
とするならば、そのような質の低い当時の日本人が、すでに3世紀に
西日本全域を支配している国家を形成していたと信じる方が支離滅裂なことだと思います。 >>75
興味がわいた喉調べました。
クシナダヒメの両親が用意したのは米ではなく、おそらく果実酒との意見があり、一方でコノハナサクヤヒメのときは米と考えられるそうです。 播磨国風土記の716年には米にカビが生えていてこれから酒を造ったという話がある。
もう一つ、大隅国風土記の713年には米から口噛み酒を造ったともあるなー。口噛み酒はだいぶ古そうだなー。しかし果物から出来る猿酒が最初。何せ条件が良いとすぐ出来るからなー。 いまのワイン用のブドウも生食には
向かないくらい酸っぱい。
その程度の糖度で大丈夫らしい。
あまり糖度が低いと砂糖を加えたりする
補糖をやるようだが。 >>77
サンクス。コノハナサクヤヒメはここの事だなー。時神吾田鹿葦津姬、以卜定田、號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之。又用淳浪田稻、爲飯嘗之。これは間違いなく米から造ってる。 おーーーーーーーーい
NHKにやらせ、苦情電話しようぜ
0570ー066−066
磯田道史 が 初めて 纏向に いった
うそーーーーーー
受信料 払わねーーーーぞ >661 :1 ◇q8leUXpswさん 2016/12/29(木) 14:59:24.62
>訳としては
>「王位に就いて以来、会えるものは少なく。婢(下女)が千人、
>その側に侍り、ただ一人の男性が食事を給仕し、伝辞のため出入する。
>居住する宮殿や楼観、城柵は厳重に設けられ、常に武器を持った守衛がいる。」
>でしょう。つまりこれは答えになっていません。
☟
>Q 纏向およびその周辺から大規模な住居跡が無いのはなぜかお教え願いたい
>Å 纏向周辺に大規模な住居跡がない理由は、倭人伝の記述「自爲王以來、少有見者」です
纏向が卑弥呼の王宮でない理由は畿内説が以上の質問に答えられないことですね 千人の侍女と守衛が詰めてるのなら数百戸は住居があるはずだなあ >>92
どんな感じに論破したのかなー。見れなかったのでよろ。 \ ヽ (精神疾患の疑い)
/ / ヽ 九 \ ヽ ヽ
/ | ヽ \ 州 \ ヽ ゝ (昇華)
ノ 丿 \ は \ ヾ
ノ | | 丶 \ 敵. \ (気化)
/ \ よ \/| (液化)
ノ | | \ | ↑
/\ \ | ( ↑
/ \ / | ) (
/ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( )
/ \ ) ( 悪魔の証明
 ̄| 畿 | ̄ ノ⌒ ̄⌒γ⌒ ̄⌒ ゝ / /
| マ 内 | ノ 相手は九州の関係者ゝ / /
| ン | 丿 ゞ _/ ∠
| セ | 丿/|/|/|/|\|\|\|\|\ゝ \ /
| | | │ V
――.| .|――――――――――┼――――――――――――――――― 川崎に住んでいたモレ(仮)は高校野球を見に行った
滋賀代表側のアルプスに座った
だよね? 他スレにも書いたはず
お前のことなんて相手にしていないんだよ 纏向=狗奴国?
なに調子に乗ってんだ?w
纏向から鉄器が出ない
→纏向は交易と外交をチェックしていた一大率を支配していなかった
→畿内説終了
が確定した
一大率を支配下に置く強大な博多湾邪馬台国と争っていた狗奴国は
九州倭国の南部連合
もし纏向が狗奴国だったら大出世だぞw
おひょ
史実だとせいぜい狗奴国の畿内衛星都市ダロンwwwwwwwwwwwwww >>64
彦坐王は婿に入ったというよりも、故地に帰ったというべきでは。
彦坐王の母は、ワニ氏の祖の一族出身だ。
和珥氏とは、孝昭天皇が丹波一族に婿入してその長男が始祖の一族だ。
開化は、和珥氏の娘と、丹波の竹野姫と二人の丹波一族から嫁を取っている。
垂仁の皇后の日葉酢媛は彦坐王の孫にあたる。
おれが思うに、彦坐王の系譜の方が正統な王の血筋だったのではないかと思ってる。
早死するかなにかで王にならずに死んで、その子の狭穂彦が王になるはずが
崇神が横取りした。その争いが後代に反逆と書かれた。 巻向って結局ただの農業遺構だよな
池上やら吉野ヶ里やらとおんなじ
それを特別視してることの意味がわからんし タカミムスビは英彦山にいた。
タカミムスビの娘はヨロズハタ(トヨ)アキツシヒメ。
卑弥呼の宗女がトヨ。 >>102
>巻向って結局ただの農業遺構だよな
こんなアホがこのスレに来てイチャモン垂れてんだよなあ・・・ 大国主、大名持、大汝、大己貴
オオナムチ=オオ ナ ムチ
オオ=大きい、偉大
ナ=なんじ、なれ=二人称
ムチ=尊称 (例、大日靈貴=オオヒルメムチ)
意味としては大己貴がもっとも詳細な逐語訳である。
しかし、己は一人称であり、オオナムチの意味とは齟齬がある。
おそらく、本来オオナムチとは二人称の言葉であり、これが人口に膾炙されていたところ
祭神の固有名詞を考える段になって、これをどう記載すべきか思い悩んでしまったのだろう。
そこで、複数の表記が生まれることとなったが
オオナムチの音のみを記載したものが大名持であり、
第三者には意味不明だがそのままの意味を記載したものが大汝
第三者にも意味が分かり、オオナムチとも齟齬が少ない詳細な記載が大己貴
音を完全にあきらめ、当時の人の感覚を純粋に漢語に変換したものが大国主
なのであろう。
オオキミも同じニュアンスではなかろうか
オオキミはすでに固有名詞と言ってよいが
キミは基本的に二人称であり、一人称で使うことはない。 こういうのとか神仙思想とかはそろそろ絶滅危惧種だな
同位体比の数値データは理系でも目が眩むくらいだから
珍説ばかり唱えてきたラノベ厨どもにはとても手に負え米
三角は日本産と確定したし、ホケノは阿波産だったし、
科学的にも海外交流ゼロ確定 >>108
相手にされていないのは、お前のほうだよ 誰から学んだ事なんだ?
交流もしていない、学んでいないとするなら
模倣かパクリ、それとも盗んだもの?
正直に言ったほうがいいぞ ◇苫米地英人◇
「私的メール問題」でヒラリーに国家反逆罪クラスの疑惑が。
それらのメールには、ヒラリーが夫のビル・クリントンと運営する慈善活動団体のクリントン財団が、反米組織に長年資金を提供していた可能性を表す記録が具体的に記されています。
そういった活動はビル・クリントン大統領時代からあり、結果、中東のテロリストたちをクリントン家が育てていた可能性さえあるということがわかったのです。
戦争をすると、武器関連のビジネスが一気に盛り上がりますから、アメリカのお金持ちたちは儲かります。
そこにはクリントン家も含まれます。
つまり、ヒラリーたちは、自分たちの私利私欲のために、政治家であり慈善団体の運営者がテロを起こしたり戦争を仕掛ける工作をする側にいた、
という疑惑が陰謀論レベルではなく、かなりの可能性で有権者が事実だと思うような情報が、FBIの動きに合わせて広がったということなのです。
これは選挙期間中からFBIも捜査をしたほどの重大な疑惑であり、ヒラリーが逮捕される可能性もありました。
問題を暴露したのは一部のローカルメディアで、アメリカの大手メディアではほとんど報道されなかったため、日本のメディアではその詳細はまったくといっていいほど報道されませんでした。
2017年1月号
http://i.imgur.com/vx49qju.jpg
>クリントン財団が、反米組織に長年資金を提供していた可能性を表す記録が具体的に記されています。
>クリントン財団が、反米組織に長年資金を提供していた可能性を表す記録が具体的に記されています。 大国主を国の主とする由縁は
販路の構築や流通の整備を行い、それらをシステム化させることによって
諸地域の関係をそれぞれの地域の人々に一般認識として顕在化させ
地域の首長間で公式な結びつきを行わせたことにあるのではなかろうか。
いわば倭国内における国際法を整備したことにあるのではなかろうか。
それゆえ、その後の倭国のどの政権も大国主のシステムの中で
国内外交をせざるをえなくなり、大国主の存在感は増した。
たとえば、今国際関係を決めている国際法は17世紀のヨーロッパの国家間の諸問題を
調停するために生まれたものである。それゆえヨーロッパ独自の思想的背景に依拠した
概念によって現在の世界各国は縛られている面がある。
主権国家という概念などは、トルコ帝国や清帝国の主催した秩序と合わず紛争を起こす元となった。
それと同様に、とくに本州において大国主が主導したいろいろな枠組みが
その後の本州における政権に与えた影響は大きかったと思われる。 神器なども大室トラノスケから
盗んだりしたものなの? 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が日田で発見されているから北部九州にかなりの有力国家があったのは間違いない。畿内にはこのレベルの出土品はない。 >>112
大国主の共和国的な原始的統治制度を、天津神の武力による集権的帝国が上書きした。 風土記において、大国主と同列か彼に挑戦する地位にある地域勢力に
天日矛と天火明命がいる。
天日矛は丹波地域に割拠し、大国主と播磨地域を争っている。
天火明命も播磨地域で大国主に争うまではいかずとも手こずらせている。
天火明命の子孫は尾張氏や住吉神社の神主など紀伊半島沿岸に散らばっている。
天孫とよばれる氏族には天火明命のほかに
アメノオシホミミを同祖とする皇室はもとより
アメノホヒを祖とする出雲国造
アマノミチネを祖とする紀伊国造
アマツヒコネを祖とする河内国造、山背国造
などがおり、国譲り後に出雲に定着する出雲国造家を除けば
畿内周辺に限定され、神武とともに移り住んだと思われる集団であったと思われる。 筑紫の邇邇芸命を頂点として、西日本各地への天神の進出の様子をよく示しているな。 鉛同位体比の一大ブームに乗りたいのに、
銅鐸片2つしかないw 神武東征のスター卜地点が遠賀川河口の水巻。
水巻は以前はミマキと呼ばれていた、つまり神武=ミマキイリヒコ。 崇神は4世紀初め。
大和朝廷の始まりは2世紀末。
神武と崇神は同一人物ではない。
神武と崇神が同一人物という説は古い。
昭和の高度成長期に流行した一時的な説。 三輪の大物主の土地を卑弥呼の土地というのは無理がある。 ヤマトと自称した時期がいつ頃かだね
気違いの畿内派はずっとそうだといってるけど
実際は継ぎはぎのパッチワーク
現天皇家は起源も不明の継体朝
考えたら血腥い王朝だよな
しょっちゅう交代するってことは 九州北部の王権は前3世紀くらいからだな。
紀元前から三種の神器と同じセットがあった。
後漢書では倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの国だ。
そして古事記では倭と書いてヤマトと読めとある。
また、天皇家の起源は筑紫とも書いてある。 九州北部は落ちぶれてしまったね。纏める勢力が居なかったから。 旧唐書に倭国と日本国の記録があって
倭国は九州、日本国は畿内の状況が書かれていると解釈すれば
完全に一致する。 >>133
倭国は四国の阿波、日本国は8世紀畿内の状況が書かれていると解釈すれば
完全に一致する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています