>>972の「実測不可能な末盧までの海路ですら里数表記してるという「事実」」と
>>981の「途中の里数に余りがあるから、合計するとほぼ一万二千里と考えられた」が、
互いに相容れないのは分かるかな?
実測していない数字を根拠に、比定地を探してもどこにも行き当たらないよ


実測不可能なところは、「つじつま合わせの作った数字」なんだよ
そして、萬二千里は、邪馬台国までではなく「女王国」まで

そして、魏志倭人伝の旅程は、後漢代の古い記録と魏使の報告による新しい記録を
ごちゃ混ぜにまとめてある
そこにさらに、世界の端まで萬二千里という淮南子にも書かれている中華世界の世界観と
倭国は儋耳朱崖の近くの南の国という思い込みを混ぜ込んで魏志倭人伝は書かれている

おそらく後漢代の帥升等の朝貢時で既に万里の彼方からの朝貢とされて、
対馬海峡を渡るまでが一萬里になるように数字が作られていて、
そこに末慮国−伊都国間ではない東南陸行五百里が付けられて、
計算が合わなくなって水行と陸行が日数表示になったまであってもおかしくない

まあ、北部九州から千三百里で魏晋里で畿内まで届くので特に問題はないと言えばないけれど