梶原景時と高師直は似すぎている [無断転載禁止]©2ch.net
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両者とも独裁者の腰巾着で大粛清を実行して悲惨な最期を迎えた日本版ベリヤ >>1
高師直に腰巾着というイメージはないな。旧秩序の破壊者。
清盛や信長 山名宗全と被っている。 2人とも祭り上げられてる神輿のダークサイドを担った面はあるだろうね
足利累代の家人である高氏を腰巾着呼ばわりはちょっと酷だが 頼朝、尊氏の有能な執事だから当然穢れ仕事も行いそれに伴う悪名も致しかがないな。 景時は判官贔屓のあまり悪者にされがちだったけど、頼朝にとっては命の恩人で自ら汚れ役を引き受ける忠臣の鑑 師直は北畠顕家討伐、楠木正行討伐でも足利幕府軍の総大将として指揮を執っている
鎌倉軍のお目付け役の景時とは違うんじゃないの 高師直って教科書に一言しかでてこないけど本当調べると面白いよな 戦前あそこまで忌み嫌われた人物はいない
戦後になっても評価されにくいのは性癖からだろうか? 昔 教科書に載ってた伝足利尊氏像(丹古母鬼馬二のやつ)って、実は高師直像というのが有力だよね。
イメージ的にはぴったし。
ちなみに神護寺三画像も実は 源頼朝⇒足利直義 平重盛⇒足利尊氏(これは似てる) 藤原光能⇒足利義詮 な。 柄本明の師直は実によかった。
あだ名の木像蟹にふさわしい顔w
師泰役が塩見さんとかほんと豪華だったな。
景時は江原真二郎の景時が秀逸だった。 江原さんは高師氏も演じていた(『北条時宗』)
あれ観るたびに「どうみても梶原景時にしか見えんなあ」とオモタ。
『黒田官兵衛』の小寺政職がどうみても北条高時にしか見えんかった。 大河で尊氏にボコボコにされて号泣するシーンは強烈だった >天皇なんぞ人形にでもさせとけ
戦前の日本では墓荒らしされるほど高師直ほど忌み嫌われた人物はいなかったとか
戦後でも見直されないのは覗き見趣味があるほど性癖が悪すぎたからであろうか? 息子の師詮は美少年だったらしいじゃないか
しかし何で師夏は片諱貰えなかったんだろう >>28
だから今、おれたちがこうして集まって高師直公を再評価することに意義があるんぢゃないか?違うか?
星の数ほどあるスレッドからわざわざこのスレを覗いたということは、君の心の中にはすでに師直愛があるからではないのか?
豊臣秀次も名君説がテレビで流れている昨今、師直英雄伝説を語り合うのがおれたちのすべきことではないのか?
上で誰かも書いているが、清盛ー師直ー信長 このライン日本史の革命児ラインなのだ。 見ろ!これを。
107 : 日本@名無史さん 2017/02/21(火) 22:42:39.96
日本三大革命児 武将編
平清盛
高師直
織田信長 日本だと革命児が幸せな死に方することはまずないからな。
師直の死に方は革命児の証だ >>28
一方、戦後に高評価された足利尊氏直義兄弟。 天皇を島流しにした北条義時もさ
直義は皇族をマジ殺しちまったが 梶原景時は結果的に盟友の比企とも連携が取れずに孤立して運が尽きたな 比企、盟友なのかね?互いに盟友にできなかったんじゃないの?盟友にするという発想もなかったと思う。
北条は違ったな。三浦とはほぼ一体になっていたな。 頼家がアレ過ぎたのは比企や梶原のせいなのか
少なくとも実朝は北条に都合のいい将軍を演じるぐらいの器量はあったようだが 漁色家の高師直は日本のベリヤ?
漁色家のベリヤがロシアの高師直 高師直の魅力がよく分かるサイトって無いですか?
wikipedia以外で
本でもいいですが 大河ドラマ太平記大全とか面白いと思うよ。
大河の太平記の師直は魅力的だったからね。 旧来の御家人層ではなく悪党・庶子家などの新興武士層の期待の星 高師直。
公家や寺社勢力をも無視し、これまでにない新秩序を目指した師直は、
早すぎた信長だったのか、あるいは日本版朱全忠だったのか?
田中角栄ブームに続く高師直ブームが今年のトレンドと言える。 >>1
師直はベリやではなく、ジューコフとフルシチョフを足した感じだな。
梶原はベリヤよりもフーシェかな。 既得権益に近い直義と新興勢力に近い師直
南朝との対立関係があるので
尊氏としてはどちらも手元に置いておきたかったんだろう 景時たちは、清水市で討ち死にしたが、
一族は、ばらばらになって、おもに山梨に逃げたので、
今河口湖に 子孫が梶原会をつくり 銅像を建てた。
おれの先祖も梶原一族で、山梨石和の寺に子供をあづけて長野に逃げて、
追手に殺された
子供は石和で育ち 戦後東京に出てきた。 師直亡き後の高家は鎌倉公方家とかに出仕していた様だけど、零落して師直時代の面影は全くないのが哀愁を誘う >>47
足利尊氏は吉川英治の小説主人公になったのに >>52
高家が没落したんで足利将軍家もいまいちパッとしないまま戦国時代になっちまったんよ。
師直兄弟はバリバリの中核だったからね。 >高家が没落したんで足利将軍家もいまいちパッとしない
んなあこたあない。 足利15代目までつづいとるやないか
3代目と8代目は黄金時代を築き上げた 義詮と基氏が無茶苦茶した親父の尻ぬぐい頑張ったおかげとも言える 足利義詮 「俺は将軍なんてなりたくなかったんだよ。バカ親父が先祖の与太話信じ切って、
北条や後醍醐天皇に謀反起こすから俺は苦労ばかりだ。」 頼朝と同様に兄弟の相克は物哀しく心打たれるよな
尊氏の場合、庶子の足利直冬との確執も複雑に絡んでくる ただなぁ
梶原景時はそれなりに教養があったみたいだけど、高師直は
ラブレターを吉田兼好に代筆させていたからなww ボ、ボ、ボクは、も・も・文字が、か、書けないんだな >>63
いくらなんでも、高師直は文字は書けたのではないかな?
ただ表現力が乏しかったから、教養がなかったから、
兼好法師に代筆させたのではないかな?
ただこれが秀吉あたりだったら、へたくそな文字や文章でも
伝わればいいのだよと考えて、自分でラブレターを出しただろうけど、
高師直はへたくそな文章や文字で出すのは恥ずかしいと考えたから
兼好法師に代筆させたのではないかな。
梶原景時なら、和歌を出したのは間違いないだろうな。 >>55
ずっと戦争して不安定な政権だったじゃんかよ。
平穏だったのは義満の晩年から義持くらいまでのごくごく短い期間だけだろ。 >>64
63だけど、そこは 「山下清かよっ!」とレスして欲しかったんだな。 >>65
下剋上の風潮は既に南北朝時代から見え始めていたというし、将軍殺しの赤松満祐はまさに乱世の申し子 高師直が無教養?
夢窓礎石に帰依して写経も多数残してるぞ。 高師直は、梶原景時をもしのぐ超・現実主義者。
神や仏を信じず、平気で神社を焼き払い、「天皇の代わりに木像でも良いではないか」と言い放った。 真如寺作ったの師直やで
詳しくは真如寺(京都市)で 師直にしたら木造や銅像を信仰してるわけじゃないってことだろうな
んなもん焼き払うことに躊躇はないだろう。 書類を読めない人に、室町幕府の執事が務まるわけないだろ 一方、極悪人でも楠正成は英雄扱いされてる
いまだ日本人は皇国史観から抜け出せず 少なくとも上皇の乗る牛車に矢を射掛けた土岐頼遠は極悪人だろうよ
上皇の権威を源泉とする室町幕府の正当性自体が危うくなる 楠木正成は倒幕最大の功臣だからな
のちに南朝に忠義を尽くしたとか関係なく英雄と言うべき存在だと思うけど 婆娑羅大名は風流を重んじた文化人で教養もあるよ
しかも、師直は鬼神の如く戦に強い 武将としての力量は
足利尊氏>足利直義>>高師直>>(越えられない壁)>>楠木正成
北条時政>源頼朝>>梶原景時>>(越えられない壁)>>源義経 冗談で言ってるのかねキミは。
特にココ⇒ 足利直義>>高師直 師直って最後の敗戦以外は無敵状態だぞ。
北畠も討ち取ってる。
南北朝最強武将だ。 どうでもいいが負け犬にすぎない楠正成と源義経の評価が高すぎるんだよw 源頼朝=足利尊氏
梶原景時=高師直
源義経=楠正成 義経に関しては、吾妻鑑では自業自得ではあるが哀れではあるという客観的な見方だな 景時や師直を再評価すべきと言うなら
義経、正成を敗者だからと低く評するのは矛盾があるわ 吉川英治が足利尊氏を名誉回復したみたいに
どっかの小説家が高師直を名誉回復すべき >>83
副将軍直義はあまり戦は得意ではなかった筈
北条時行に連敗している
時行は強い武将だったらしいが >>92
にしても忠臣蔵もだが日本人の判官贔屓は醜い
この国が法治国家になれない理由である 江戸期に単純な勧善懲悪、善悪二元の作品が流行って悪者にされるようになった
忠臣蔵の吉良を高師直に仮託しているし 頼朝の裏面を担当した大江広元は天寿を全うできたのに、
梶原景時は皆に嫌われて、天寿を全うできなかったな。
何がまずかったのかねぇ? 少なくとも大江広元は北条家とかとも仲良かったからな >>95
判官贔屓で最たるものは信長と龍馬だろうな。あれほど日本史を歪めてきたものはない。
義経と忠臣蔵は物語レベルで終わってるからまだ罪は軽い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています