>>260
男色なら長州も盛んじゃったよ。
http://blog.goo.ne.jp/k-74/e/81f4665e1f561240c190fde5143d17f0
[薩摩藩に限らず西日本には少なからず(というか普通に)残っていたようで、庶民の間でも盛んだった。
山口県あたりでは男と男の関係を隠語で「チング」という。朝鮮の言葉であることは明白。…
 江戸などで一旦廃れたかにみえた男色が復活するのは明治になってのこと。何故かといえば
明治の立役者たちを出身地を思い出せば想像がつくことと思う。]
東日本の男色は上層文化じゃけど、西日本は庶民も男色が盛んじゃったけぇのう。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/02/post_69f3.html
今東光氏の『極道辻説法』の引用が出とるが、
[途中、会津でひどいことをし、山形でひどいことをし、新潟・長岡でひどいことをし、
無茶苦茶しながら行ったろう。…
何しろ、自分たちの姉妹、妻やおふくろまで、女と名のつくのは、鹿児島の連中に前と後ろと
両方やられていたんだから、その怒りたるや大変なものだった。この仇討ちをしようっていうんだから……。
『続 極道辻説法』(今東光著 集英社)p.190]
九州人の薩摩人の戊辰戦争の強姦。まあ、西南戦争で命乞いいする
薩摩武士 を無慈悲に殺す東北人も弱い者虐めじゃけぇどっちもどっちよのう。
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html
[第四編 武漢攻略前後」より 九 軍紀、風紀所見(その二―戦地強姦罪)
小池口附近駐留の波田支隊(第六師団と同じく南九州兵)の原田大隊は、風紀紊乱、略奪強姦少からず、
附近村長を集めたときその被服を奪った者あり、この被服を着用すれば強姦に都合がよいためである。]
郷土兵団でも、九州兵は強姦で名高いけぇのう。