明治維新がなくても江戸幕府が日本を近代化させていたよな 5 [無断転載禁止]©2ch.net
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フランス式の政治体制を取り入れて徳川慶喜が初代大統領→しばらくして大統領も公選制に移行→議会の設置
地方自治は引き続き諸藩に任せる→しばらくしてフランスを習って廃藩置県実施
政治の中心地は引き続き江戸→必然的に江戸が日本の首都になる
幕府陸軍と海軍奉行→そのまま日本陸軍と日本海軍になる
結果的には明治政府が実施したことと何も変わらない
ただ江戸幕府が近代国家を作っていたら古き良き日本はもっと残っていただろう
明治政府に近代化させたせいで天皇は京都を追い出され、城や寺などの建物が破壊され、和服文化が消滅し、太平洋戦争が起きたのだ 小林節氏と室井佑月氏の対談から。
室井[いまの日本は安倍さんによる貴族制、王制だという先生の話はすごく納得がいきました。
だから、あんな横暴が平気でできるし、国民の自由や人権をさらに制限しようとする。ようするに、
俺たち特権階級のやることにさからうな、という話ですよね。憲法だって、最初に先生が
おっしゃったように、本来、権力者を縛るためにある憲法を、国民から自由を剥奪するものに
変えようとしているわけだし。]
小林[彼らの発想は、「大日本帝国は良かった」なんです。私は、安倍さんのお祖父さんの
岸信介さんが生きているとき、一度会っているんだけど、まさに「明治憲法が正しい」という
考えの持ち主でした。岸さんは、大日本帝国のスーパーエリートで東大を出て内務省に入った後、
満州国設立の際に総務部司長に就任。日本の中国進出の中心的役割を担った。太平洋戦争が
始まると、商工大臣として戦争の物資調達を担った。ところが、岸さんが敗戦で何を思ったかと
いうと、すべての責任者は東條英機である、と。自分は正しかったが、軍部のせいで負けた、
というもの。そして、自分はアメリカと裏取引をして生き延び、戦後、公職追放解除されると、
自主憲法期成議員同盟を作って、総理をやめた途端にその会長になった。その主張は一貫して
「明治憲法は正しい」です。日本国憲法と明治憲法の決定的な違いは、個人主義か全体主義かです。]
室井[そういえば、先生は櫻井よしこさんを憲法問題でやりこめちゃったことがあるんですよね。]
小林[櫻井さんがデタラメばかり言うからです。…私は彼女にこうも言いました。「憲法というのは、
国家権力から国民の権利や命を守るためのものなんだ」と。私たちの国では国民が王様だから、
国を支える3つの義務以上を課すと、憲法じゃなくなるんです。]
室井[なるほど。国民の権利は最大限に、義務は最低限に、というのが憲法のありようなんですね。
櫻井さんは先生の話にどう反応したんですか?]
小林[顔を真っ青にして、目も合わせないで、私を無視して帰りましたよ。しかも、その後も
櫻井さんは、間違った憲法論をいろんなところで話している。] >>674の、ナチスドイツ、イタリアファシズムの権力者を縛らん全体主義憲法で明治国家も
昭和初期に壊滅した滅びを今の世襲自民党政権は、もう一回味わいたいらしい。
室井{あの条項を普通に読んだら「災害が起こったら、お前らの貯金没収な! ひゃっほう!」って
言われている気がしました。大地震や戦争など有事があったら、いろいろな権利や人権まで
制限されたり、貯金だけでなく家とかも取られちゃうんですよね? ]
小林[僕はそこまで考えていなかったけど、言われてみればそうですね。そういう発想が大事ですね。]
室井[あと気になるのは、家族条項です。“家族は助け合え”なんて国に言われたくないし、それぞれ
事情があるもの。育児放棄やDV、性的虐待をする親だっているでしょ。それなのに親が歳とった
からって子どもが養えって、ありえない。介護も家族にだけ押し付けて、自己責任だと言ってる
ってことですよね。国が国民に金を使いたくないんだな。]
小林[福祉国家の否定ですね。それと、やっぱりさっき言ったように、彼らの目的は
「大日本帝國憲法の復活」だから、戦前のような家族に戻したいんでしょう。]
>>659のように、明治国家憲法じゃ、国民は消耗品で、自国の権力者によって国民の生命と財産を
何時でも奪えるようにしましょう云うんが自民党の憲法草案じゃし、消耗品に福祉はいらん云う。
>>659の「日本残酷物語」の一面でもあろう。 >>674-675
結局日本はまだ王政復古(王制権威利用の貴族既得権益者権力)勢力が多いい精神的非近代なんよ。
ナチスドイツも、イタリアファシズムも独裁制たる王制、貴族制じゃし、ソ連スターリンも現在のロシアも
プーチン独裁色が強いし、中共も北朝鮮も独裁制云う王制貴族制の全体主義じゃし。
日本も世襲政治屋や、カルト団体も全体主義者で権力を縛り国民が王様の義務すら課せられん人権主張を
すこぶる嫌うし、国民を奴隷化し義務を押し付けることばっかし考えよる非近代人の時代錯誤ぶりも狂うとるし、
扇情されたネトウヨも非近代人で独裁権力者を優秀としたがるカルト歴史修正主義のトンデモ感覚しか
持ち合わせとらんけぇのう。 国民は消耗品というか国と一体となっているということなのだろう
国家とは国民であり、国民とは国家であると
これはあまりよくない考えかもしれないけど、
世界には国というまとまりがある
その国のなかにも色んなまとまりがあるわけだけど、
とりあえず、国がその国に属する国民を保護する存在になっている
だけども今はグローバル化で、その国が国際競争にさらされている
つまり国民が国際競争にさらされている
まぁ、昔からある意味そうなのかもしれないけど、
現代ではより細かく色んなところで国際競争が起こっていて、
これに負けると今のアメリカのように大変なことになってしまう
そこで国民は自分で自分を鍛えなければならない
奴隷化というけど、これは教育なんだよ そういう意味で、日本人が情けないってのはあると思う
つまり、日本人は自らをあまり評価しておらず、
放っておくとダメになってしまうんで、自分に鞭打って、
教育やら何かで矯正しなければならないと言ってるわけだら
そうしないと土人国家に転落してしまうと不安に駆られているわけだよ
これがしっかりしている国民性であれば、端からそんな心配はしなくていいわけで、
むしろ、そういうストイックな国民性であれば、
国民の均衡を保たなければならないと思うのだろう
実際どうなのか知らないけど、その書き込みを読む限り、
広島はそういうところなのだろう
だけど、日本の大半の地域はそうではなくて、
極論、憲法みたいなものを考える次元にいないんだよ その点、アメリカも風土的にダメなところだなと思うね
最近のアメリカ人の傾向なのか、それとも伝統的なものなのか、
よくわからないけど、アメリカ人は教育の重要性を訴える
教育によって人間が変わるとか、軍隊に入って心身を鍛え直すとか、
スポーツで厚生させるとか、まぁ、言ってることはわかるんだけど、
これも元々アメリカ人はダメな傾向があり、それを教育で変えなければならないという、
人間矯正の発想だと思う
だからアメリカ人は大卒がどうのこうのとか、都会の人間がどうのこうのとか、
国民をいちいち二分化して考える
日本ですらそういうふうには考えないし、例えば、ヨーロッパのゲルマン諸国なんかも、
そういうふうには考えないだろう
もちろん日本人もゲルマン諸国人も就職を考えて大学には行くし、
都会のより良い環境で働きたい、生活したいってのもあるだろうけど、
こんな国民を二分化して見ることはない
まぁ、イギリスはそういうところがあるかもしれないけど
いずれにしても、何で国民に色々と注文をつけるのかというと、
それは国民がダメだと思っているからなんだよ >>673
仮冒で被差別民となるなら、遠く東国で仮冒しほうだいだった東国武士は更に被差別色の強い被差別民となろう。
お前の先祖だよ。
ほう、鎌倉時代に秀吉や家康が活躍したとはね、学術以前に白馬青牛は小学生からやり直さなければならないくらいに基礎学力がないということか。
自分が馬鹿だと自ら、しかも執拗に告白しなくてもいい。 東国武士も被差別民だろうな。
毛利元就の祖先なんかとってもあやしい素性だ。 >>677-678 >>679
国民が消耗品に成る云うこたあ、国家の権力集団既得権益者の利権私物化で国家が動かされてとるわけで、
国民との一体感なんか無ぁよ。昔の王権権力私物化に国民が奴隷化されとる状態で、国民主権なら
国民が国家権力者を監視して、憲法の鎖で縛ることじゃし、お役人官僚も公僕の国民の使用人じゃし、
政治家権力集団は鎖で縛られた囚人であってこそ、国家は機能するんよ。国家が国民を保護するじゃのうて、
国民が国家公僕や囚人たる政治屋らに奉仕させるわけじゃし。
広島は全体主義に馴染まず、個人主義優先ゆえ、自己抑制も強い土地柄なんよ。教育に扇情とかあっちゃあ
いけんだけで、個人の自由を育む教育さえありゃあええし。
日本は社会流動性は激しい方で、ヨーロッパのような厳然とした階級が無ぁよ。ゲルマンのドイツでも
職人の子供は職人でエリート層の子息は高等教育の方に進む場合が遥かに多いいし。
イギリスなんかも、自分の属する階級意識に忠実で、貴族階級なんか、他の階級の自国民よりも、
他国の貴族階級の友人の方が趣味の話も合うし、婚姻関係にもなるように、グローバルじゃし、
中流階級と労働者階級も同じイギリス人でも価値観も文化も違い通うパブすら違うけぇのう。
日本なんか戦前から華族の娘も肉体労働者の娘が同じよう宝塚のレビューに夢中になって、
共通の趣味の会話がはずむなんか西洋の階級社会じゃ普通無ぁよ。 >>680
東国は西日本や朝鮮、チベットのように被差別概念が無かったし、江戸期に西日本から輸入した
わけで伝統に乏しいよ。東国武士団は渡来系支配層から生まれたけど、蝦夷戦争奴隷としての
俘囚系もおるよ。>>673に「近世」大名も読まず云いがかりの因縁付けよんじゃけぇ、わりゃ
幼稚園からやり直すレベル云うことんなろうで。
>>681
大江氏系とか怪しいのう。毛利家と中世同格で長州藩の上級武士とか広島県へ残った一族も、
渡来系から蝦夷俘囚系までおるし。関東の党系は渡来系で相模の佐伯系が俘囚系よのう。
>>682
駿河、相模から武蔵多摩川から山麓、甲斐、信濃山麓は高句麗及び高句麗系百済人勢力
渡来ラインで、関東平野部の荒川沿いの武蔵から上野は新羅系渡来者勢力ラインよのう。
中国地方じゃ、東国武士系じゃ無ぁ、大内氏も宇喜田氏も百済系で九州の島津は源氏仮冒前は、
惟宗ゆえ秦氏、新羅系で四国の長宗我部も秦氏新羅系よのう。
>>683
赤松氏の村上源氏仮冒の前は何処かいのう。播磨は被差別系の多いい地域じゃし。
>>684
玄米じゃの主食にした民族はほとんどおるまあ。日本の稲作地域ですら麦七割以上の麦が主食で、
消費都市の江戸や大坂なら白米が食えるけど。 >>687
お前はつくづく馬鹿だな。
唐突に鎌倉時代と江戸時代を結びつける思考がおかしいといってんの。
一体、何年の開きがあるんだよ、本当にもう、小学生からやり直せって。
渡来系と被差別とは関係ない。
お前の言い分をまともに聞いてると日本人全部が被差別民になるわ。
そんな馬鹿な話はなかろう。
それからお前もそうだが、ここに書いてる結構な人間もよくわかってないのは、鎌倉期の西日本の多くは平安時代の継続だってことよ。
元寇前になって幕府の管轄外であった多くの武士団を幕府の管轄にしたんだよ。
お前はそれを被差別民だったことにしたいらしいが、それは全然被差別民じゃねえから。
武士の発生過程からいうと東国の武士より由緒正しい武士よ。 >>688
時代の変動期にゃ、被差別民系が活躍するんよ。戦国期の下剋上や幕末だけじゃ無うて
南北朝期ものう。元寇以来大量殺戮と遊撃戦が効果を持ち、鎌倉武士スタイルの下手な騎乗射撃や
騎乗から組み打ちに持ち込むやり方と違い城からの投石や猪槍のような生活用具で突く白兵戦の
ように国や幕府に仕える者同士の戦いスタイルから外れる手法を悪党集団たる狩猟や漁撈、
被差別系らの人らの戦いスタイルへの変革期でもあったんじゃし。
日本人全部じゃのうてカタギじゃ無あ武士なんか被差別系や狩猟系、漁撈系も多いいし、
逆に瀬戸内水軍系なんか庶子、家老は江戸期に武士や庄屋になっても旗本クラスは警固仕事の為、
被差別民になって、末端の水夫がカチギの庶民のままじゃったけぇのう。
今でも、カタギじゃ無あ任侠ヤクザは、被差別民出身や漁師町、在日朝鮮人が多いいし、昔の武士と
出自は変わらんよう。武士も渡来系や狩猟、漁撈のもんや、俘囚被差別民、傀儡芸能の朝鮮から流れて
来た、禾尺、楊水尺ら後の白丁系被差別民らが武士の出自じゃし。
武士の発生は、天皇の騎馬護衛兵の河内摂津大和渡来系東西史氏や秦氏じゃし、摂津源氏や
河内源氏も勢力基盤から、百済、高句麗、鮮卑北朝系渡来人じゃけぇ由緒も東国武士と変わらんよ。 皆が一度被差別になっているのは良いことだよ。
みんなで渡れば恐くない! 日本人全部の被差別家系のうち、コンプレックスのあまり
腐れ外道になったのが牛くんってわけか(笑) >>690
まあ、被差別民の方が自由民じゃし、土地に労働投資要素が乏しいけぇ、貢納に縛られん。
昔から、武者、役者、芸者、医者、忍者(諜報インテリジェンス)の「者」の付く職種は被差別民系が
圧倒的に多いいんも、自由民として渡世を渡れる芸を身に付ける機会にも恵まれとったけぇのう。
>>691
被差別民は、天皇家の直属民でもあったし。
>>692
わしゃ、安芸国衆武士団系ゆえ、被差別系との婚姻とか本妻に子が出来ん場合の被差別系の
側室的存在の子が家を継いだことも、否定出来んけぇのう。じゃが先祖から外道と云われるような
行為をした人は、わしの知る限りおらんし、権力癒着の外道行為実行した加計学園の隠岐系の
加計佐々木と一緒んすなや。 >>695-696
剣豪じゃの、道場竹刀曲芸のスポーツマン非武闘派じゃの最強も糞もあったもん
じゃなぁし。実際の戦場どころか路上の喧嘩でも苦手の人らが多かった中から
どう選ぶんかいのう? ▽幕末著名流派別最強剣士
男谷信友【東京都墨田区、直心影流】
中西子正【東京都千代田区、中西派一刀流】
寺田宗有【東京都文京区、天真一刀流】
白井亨【東京都千代田区、天真白井流】
高柳又四郎【東京都、戸田流高柳派】
千葉栄次郎【東京都中央区、北辰一刀流】
浅利義信【千葉県松戸市、浅利派一刀流】
伊庭八郎【東京都台東区、心形刀流】
樋口定伊【群馬県高崎市、馬庭念流】
岡田十松【埼玉県羽生市、神道無念流】
比留間与八【埼玉県日高市、甲源一刀流】
近藤三助【東京都八王子市、天然理心流】
上田馬之助【東京都中央区、鏡新明智流】
岡田惣右衛門【埼玉県幸手市、柳剛流】
加藤田平八郎【福岡県久留米市、加藤田神蔭流】
大石進【福岡県大牟田市、大石神影流】
村上亘【茨城県笠間市、示現流】
大山綱良【鹿児島市、薬丸流】
関東と九州以外は雑魚 >>696
2 : 白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 2016/10/15(土) 13:18:13.87
剣士じゃの、道場のみ強い竹刀曲芸芸能人は広島にゃ少なぁよ。
広島でも、江戸期から役人武士たぁ町人街のもんが喧嘩じゃ強かったけぇのう。
その広島じゃ弱い方の広島藩士からしたら、薩摩はごっぱ弱わぁわ。
「甲子夜話」二十四巻第八話の文政六年(1823年)の川崎大師河原での、
広島藩士一人と鹿児島と 三人との喧嘩。
大森の路店で薩摩侯の士の三人らが安芸侯士一人に喧嘩を売って尾張藩の士が
仲裁したが、薩摩の士らは聞き入れず、勝負することに成ったが、結果は薩摩藩士の
一人は、安芸の士に「袈裟に切られて死す」もう一人は、「又一人は真向を切られて
倒れ死す」この間初めに右手切られたる者は「はや逃矢て在らず」と、
広島のもんに喧嘩売って切られる鹿児島もんの自業自得じゃのう(笑)。 >>993
>続きはこちらで
っていう誘いの意味がやっと分かった。
あのスレは1000に達したら使えなくなるスレだったんだね。
それはさておき、たられば論そのものは無意味。
大事なことは、江戸幕府は完全にだらしなかった、ということ。
もしも12代将軍が望んだ通り、慶喜を13代将軍にしておけば、日米和親条約も日米修好
通商条約もなく、より良い形の日米条約を結び、幕政大改革で日本を守れた可能性もある。
明治維新を「帝国主義への追随」と否定して、滅亡した旧幕府へのシンパシーを煽りたて、
近代否定やマルクス主義に導こうという連中が許せない。 >>701
右派の自由民権運動を弾圧したんは、極左革命明治政府じゃなぁか。マルクス主義に
導いとるんも、全体主義目指した明治政府で。ほいから左翼啓蒙思想の福澤諭吉ものう。
http://drucker-ws.org/aboutdrucker/publications/
『産業人の未来―改革の原理としての保守主義』(1942年)
「よりよい社会への改革の道は、現実に立脚した保守主義の原理によらざるをえない。
ソクラテスからフランス啓蒙思想、ルソー、ロベスピエール、マルクス社会主義革命、
ヒトラーとつづく理性万能主義、全体主義の系譜の破綻を明らかにするとともに、
イギリスとアメリカの保守主義の実績をこれに対比させた。」
http://ameblo.jp/ethnicfood/theme-10024772944.html
「啓蒙思想とフランス革命は、自由にとって敵の役割を果たした。基本的に理性主義の
リベラルは、全体主義者である。あらゆる全体主義は、理性主義的リベラリズムから
発している。ルソーからヒトラーまで系譜を追う事ができ、その線上にはロベス
ピエール、マルクス、スターリンがいる。
理性主義は、絶対理性の完成を人間に行わせることに矛盾が生じ、政治的には必ず
不毛に陥る。その結果、理性主義は捨て去られ、絶対主義、全体主義、革命家へと
転化する。ルソーは、啓蒙思想の理性主義が崩壊の危機にあった時、個人の理性の
代りに「一般意思」(社会契約論)を唱え、非合理な絶対主義に身を投じた。
マルクスは、理性的絶対の代りに、人は階級によって規定されるという非理性的な
原理を宣言した。 」 >>701
マルクス主義にとって理性たぁ独裁指導者や前衛云う党幹部エリートであって、
プロレタリアたる国民は、感情であり取り締まり対象なんよ。感情を制御し、理性の
指令通りに扇情洗脳される存在として教育せにゃあいけん思うとるけぇ国民主権じゃの
反動勢力そのもので共謀罪で取り締まる思考法じゃけぇ、明治政府の官僚エリート主義
指導システムと大して変わらんし、建前国民主権の戦後にも受け継がれ、公安警察も
国民をマルキスト的に云うと反動勢力の感情として取り締まる対象として
監視しよるし、戦前の憲兵や特高も国民取り締まり管理手法はマルクス主義そのもの
じゃけぇのう。
戦時中、広島県人の特高幹部の秦重徳氏が軍部や官僚政治屋のマルクス主義者を摘発
しようとしたが、誰がマルクス主義者か見当がつかんことに成って仕舞うたんじゃが、
安倍ちゃん祖父の岸信介氏も小林一三氏からアカと罵倒されたソ連計画経済に憧れ
満州で実行したソ連派じゃし、官僚は設計主義ゆえ経済も管理が好きで、
ほとんどは、ソ連の計画経済にシフトしたし、高級軍人も同期の愛称をロシア名で
呼び合うほどソ連に憧れ日ソ中立に踊ったし、ほとんどが同じ全体主義の
ソ連共産党贔屓で自由主義こそ敵と認識しとったわけで、エリートのほとんどが
マルクス主義贔屓じゃし、秦重徳氏も特高自体がマルクス主義と同じ全体主義の感情
存在の国民管理取り締まりであることすら認識しとらん処も可笑しいよのう。
理性である国民管理エリート層は、安倍ちゃんのように「こんな人たちに私たちは
負けるわけにはいかない」思考法で感情的反動存在の自国の国民が大嫌いなんじゃし。
自国の中に理性のエリートと感情の国民で敵を作り、国民には他民族を敵とせよ
扇情じゃ、戦勝の「衆心一致」は無理なんよ。 自分の論に自信がない低能はわざと他者につたわらないよう、でたらめな言葉を使って
内容が読まれないようにする。そうやって自分の無知を隠しながら投稿する。
それならいちいち書かなきゃいいのに。
でも寂しい暮らしにたえかねて、人とかかわろうと無理してこんな書き込みをする。
そういうこと? >>705
他者へ伝わるよう、他人と同一行動の歩きスマホの若いもんが憐じゃろうに。
伝わるか伝わらんかは相手次第じゃし、他人に迎合したらすべてパーになる己の態度
次第、わしが例外第一号じゃ云う経験すらしとらん云うか時代的に出来とらんの
じゃろうけど、われんつまらん自己告白を他者転嫁しても何もならんこたぁ
自覚しとるんかいのう?(笑)。 どっちにしろ幕府が勝っても廃幕、廃藩置県、身分制の廃止、徴兵制、国会創設しないと
薩英戦争や下関戦争の様に国内の分断状態を各個に狙い撃ちされる
明治政府は政府は政府、軍は軍、議会は議会と別れてて、維新の元勲らが個人技で収めてたようなものだから >>708
薩英戦争も下関戦争も薩摩や長州側のカルト攘夷テロ運動で制裁され逆に丁稚に
させられただけじゃけぇのう。恫喝爆撃にゃ勝てんことを自覚し倒幕餌に釣られただけよ。
国内の分断状態云うても、日本が統一してからでも本土攻撃されてみんさい。
細長い日本の地勢じゃ分断各個撃破し易い土地柄なんじゃし。じゃけぇ大陸派兵して
満州や中国、南方も盾としたかったんよ。本土日本の地形は外堀も内堀も埋められた
状況で戦う云うことじゃけぇのう。しかも日本の南方は島嶼じゃけぇ各個撃破され
放題で米軍に一方的敗北重ねたわけで、島国は敵軍が爆撃のすえ、地上戦でも
守る方が圧倒的不利なわけで、イギリスのように世界各地に傀儡作らにゃ守れんよ。
まあ、諸外国も幕末でも日本各地を焦土にするにゃお金がかかるだけじゃけぇ、薩長に
武器売り、幕府側にも売りつけ対立させた方が算盤勘定にも合うし、爆撃恫喝に従順に
成った薩長を勝たして革命政権作った方が傀儡として影響力行使出来るわけじゃけぇ、
無意味な銭にもならん日本各地を焦土攻撃なんかやらんし、日本人同士を憎しみ合わす
方が得じゃけんのう。
個人技? 「明治維新以降、この国の政治とは国家事業を通じて国富を着服する作業で
あった」の私利私欲と権力乱用に個人技があるんかいのう? >>701
それは徳川慶喜を買いかぶりすぎだ
彼は野党であるときは雄弁だったが、
与党になったらなにもできなかったさじゃないか。 >>710
慶喜は何も出来んどころか、家臣を見捨てて逃げる敵前逃亡やりよったんじゃけぇ、
結局武将じゃ無うて、お公家さんか昭和の帝国高級軍人の多数派と変わらんよ。
まあ、西洋の高貴な上に立つ者の義務たるノブレスオブリージュが、日本は全く
欠如しとるけぇ、上層部が無能なんよ。 新政府軍が小栗上野介を斬ったのは残念。同じく幕臣の榎本武揚と共に明治政府で活躍できただろうに。 >>711
慶喜自身の女々しい保身だけで逃げたいだけなら、自分(と腹心の側近)だけで逃げるでしょ
わざわざ会津藩主や桑名藩主や老中を呼んで一緒に逃げたりしない リスクが高すぎる
つまり大坂城脱出の時点で江戸城無血開城まで、本音では視野に入れていたと思うね
勝海舟の提言は渡りに船という所だろう >>712
土方歳三が討死したのも残念。
西南の役で佐川官兵衛や斎藤一と一緒に薩摩士族を
なぎ倒して欲しかった。 >>713
ルイ16世的だよねえ、この人。
頭は悪くないのに切羽詰まると最悪の選択をする。
もう少しでルイ16世同様首が落ちるとこだったのだぞ? 慶喜はあの場面ではむしろ身一つで大阪から逃げた方がよかった。
将軍いなくても会津桑名藩主に幕府の代表で板倉を残しておけば十分戦えた。
薩長には鳥羽伏見で勝てても大阪城を落とす余力はない。 >>716 >>715
錦の御旗が出て鳥羽伏見で敗れて京都奪還ができなくなった以上、
徳川の天下回復は無理になった
慶喜が無理に戦っても長期戦になり、
日本は二分したまま欧米列強の介入を招く恐れあり
だから慶喜は無理やり戦いができないようにしたと俺は解釈している >>718
自分の首が落ちてもか?
実際長州藩では慶喜を斬首しろという声が大きかったし、
慶喜もフランス革命で国王が斬首されたことくらいは知っていただろう。 朝廷に恭順の意向を伝える際「自分の首を刎ねられても構わない」と書状に書いてなかったっけ 相手から何の確約も引き出せないまま投降するのはリスクが大きいから
江戸に帰って政府軍と交渉する時間を作れたのは大きいと思う 慶喜は人望なかったからな
家茂が病死した時点で幕府の命脈は尽きた まだまだ戦えたと言っても、徹底抗戦した後に負けたのでは違うしね
早めに恭順したから、慶喜は許され静岡で徳川家は80万石与えられた
会津は徹底抗戦したけど板垣らに電撃戦で落とされたし
明治に反乱起こした西郷、江藤、前原らはみな死んでるしね .>>721
慶喜は元々、江戸の幕臣や大奥らと対立傾向にあった
仮に慶喜が大坂城で投降して、江戸に使者を派遣して、
「余は降伏したので、江戸城を薩長軍に明け渡すべし」と急に命じても、
江戸が従わない可能性が高い 江戸幕府が近代化を果たしていたら、薩長馬鹿政府から太平洋戦争に到る悲惨なアフォ歴史はなかったであろう。
もちろん、その後の吉田茂・佐藤・中曽根・安倍みたいなクソ内閣もなかったであろう。 >>712
アメリカ人からも称賛された小栗さんは、属国派薩長勢力にゃ都合が悪りいわけじゃし。
まあ、小栗さんが生きておっても、活躍は出来んかったろう。
>>713
昭和の帝国高級軍人も戦況報告の為と理屈付けて逃げたように、慶喜や周りの上層部も
武将としての責任と当事者意識が欠如しとるんよ。中国地方でも浜田藩の殿さんは
逃げたし、会津城が陥落しても会津藩家老が腹を切り、会津藩主は明治も生きなが
らえる体質が会津藩を負組にしたんじゃし、武将じゃのうてお公家さんか中国、朝鮮の
士大夫の意識なんよ。そこに西洋の高貴な者の義務たるノブレスオブリージュの精神は
無あし、モンゴル軍の侵攻に高麗王族が江華島に逃げたよう、上層部が堕落しとんが
日本や東アジアの官僚国家体質じゃけぇのう。
また、日本でも戦国期なら城主自らが自決し家臣の助命たる上に立つ高貴な義務感は
あったが、江戸期はからは、東アジアの官僚社会に戻り、明治以降も現在進行形
じゃけぇのう。
脱出じゃの家臣置き去りにして逃げた理由にならんし、>>718既に薩長は財閥の
マセソン商会の手中にある現状に欧米列強傀儡そのものと戦う気概すら無かった
わけで、言い訳弁護してもつまらんよ。要するに上層部が責任取らん体質じゃ
近代国家じゃ無ぁんじゃけぇ。その非近代性が昭和の帝国軍人から現在の政治屋、
官僚の無責任体質に継続され、未だ日本は近代化されとらん中世宗教カルト世界に
おるんじゃけぇのう。 よく分からんけどトップが責任をとって自決するのが近代化された社会ってこと? >>714
内ゲバ隊士殺しの、大して強うも無ぁ土方じゃの戦場どころか、路上の斬り合いでも
役に立たんじゃろうに。
まあ、西南戦争じゃ、東北人も恨み感情丸出しで戦場の戦闘ならええが、捕虜とした
命乞いする薩摩兵まで斬首は酷いのう。何一つ武器持たん降人にで、恨み感情で
斬首は情義に欠けとるし、もののふの道から外れた外道行為そのものじゃわいや。
>>726
ほんま明治の負の遺産の糞みたぁなひりまくりよのう。昭和の高級軍人の多数派から
政治屋、官僚、財界含めて糞ばっかし撒き散らす逆バキュームカー明治号じゃけぇ。 >>724
そもそも負けなかったかもしれないし
鳥羽伏見なんてビビらないで数で圧していけば幕府の勝ち
なんだよ、たった280人戦死で敗退って 戦ったら勝っても負けても内戦長期化の可能性が出るけど、それでもいいのか? イギリスやアメリカの影響力が強く、もっとマシな日本になっていただろうな。 >>731
鳥羽伏見で官軍負けたらそのまま第三次長州征伐になるから
内戦というほどじゃないよ
この時点では薩摩長州vs幕府会津桑名であとは日和見
逆に言えば官軍は一度でも負けてはいけない戦をよく勝ち抜いた、というところ >>727
日本の社会にある無責任体質は認めるが、
幕末に当てはめるのは違うのではないか?
もし慶喜や松平容保が敗戦の責任を取らされて、
明治政府の命令で切腹処分となったら、内戦は長期化して被害者は倍増していたよ
それこそ白旗を上げず、全滅するまで戦うことになっただろう
第一次長州征伐でも長州藩主は謹慎で済んだだろう
三家老は代わりに切腹になったが
幕府があの時点で長州藩主切腹を命令して撤回しないなら、
長州藩は全滅するまで戦っただろう >>734
官軍が敗北したら幼帝を奉じて京都脱出し転戦する計画と伝わってるから
長州征伐とはまた違った色を帯びて、状況は混迷しそうに思えるのだがどうだろうか >>736
そう簡単にはいかんよ
幼帝連れて京都脱出に成功したのは平家くらい 鳥羽伏見破れたら薩摩は西郷と大久保に腹を切らせて事態終息だな
元々、あの軍事行動は久光の意図ではないし
で、長州がタコ殴りにあう >>737
天皇の京都脱出は後醍醐帝も実行しているので不可能なわけではないけど
結局は仮定の話なのでどう転ぶかは何とも言えないところかね
孝明天皇が存命ならばスレタイも穏やかに実現可能だったかも >>739
薩摩はいつもそうだ
国元と中央に権威を置いて、都合が悪くなると
「勝手に動いた」ことにして逃げる >>742
そうだが、要は薩長が一度でも負けてれば「政治解決」になって
内戦にはならなかっただろう、ということ。
そういう意味で倒幕派にとって鳥羽伏見は非常に危険な賭けだった。
我々は結果を知ってるから「必勝」な気がするけどね。 都合が悪くなると無関係を装う
稲田からかんしゃ
教育現場では子供達に首相頑張ってと唱和させてたのに >>745
討薩の表を掲げた幕府軍は入京が目的だったから、
武力を使ってでも絶対に阻止せんとする薩長との温度差が結構ありそう
鳥羽伏見勝利後に慶喜が恭順姿勢を貫いた流れは速やかな維新成就を促したので
後世の人間としては結果オーライ >>747
倒薩の強い意思があれば勝てた気もするがな
幕府軍が行けばビビって通すくらいのこと考えてたんじゃないのかな >>748
>幕府軍が行けばビビって通すくらいのこと考えてた
そんな気がする
そして相手に目に物見せてやるという強い意思を見せたとき、慶喜は既に恭順を心に決めていたのが皮肉 第二次長州征討の時は10万以上の兵を動員して負け
鳥羽伏見では3倍の兵を動員して負けて
諸藩が続々と寝返りしてるのに
まだ戦えると言っても慶喜が聞くはず無いでしょ >>747
元は江戸の薩摩藩邸焼き討ちから始まり、
幕府海軍が薩摩海軍を砲撃して戦争が始まった
幕府に戦争意思がなかったというのはおかしな話 >>751
鳥羽伏見の時にはこちらから戦端を開くなと申し渡されていたはず
本当に当初から戦争意思があったら、入京前に通せ通すなの押し問答で時間を使わないでしょ >>728
https://www.kenbiya.com/column/hirose/19/
{戦争をする場合、将校とか地位が高い富裕層とか、貴族など実社会のリーダーたちが
自分が最前線で戦争に行くから後について来いといった姿勢をしめします。それで後の
平民の兵隊たちは、みなあの人が最前列で突撃するのであれば俺たちもついて行くぞ、
という感じで後に続いていくというのがノブレス・オブリージュで、そういう上に立つ
ものの義務という意味と教えてくれました。それを踏まえ考えると欧州はそういった
上に立つものの責務といったものが非常に強い国ではないかと思います。
その一方で、戦争中に日本の場合はどうであったかを振り返ってみますと、実際は軍の
最高司令官の幹部達は、最前線からずっと後方に控え安穏としており、本当に若い
下っ端と言われる国民が神風特攻隊やらなんだで、まだ幼い子供までが借り出され
お国のために自ら進んで命を投げいったという文化でした。」}
英国なんかエリートのオックス・ブリッジ出身の死傷者が多かったが、日本はトカゲの
尻尾切りが如く下っ端から死ね。トカゲの頭が逃げるけぇ慶喜公と変わらんし、西洋の
精神は真似て無あけん、日本は精神的近代化もしとらんのよ。
>>730
戦死280名云うこたぁ、戦死1に対し戦傷者3の1:3法則から840名の負傷者に戦死者
280名を加えると戦える兵員損害は1120名で近代兵団じゃ一個大隊以上壊滅になる
こたぁ解っとる? 兵数の多さの人海戦術は味方の累累の戦傷者が増えるだけ
戦力低下を小勢の敵軍以上に招くわけで、歴史毎の関東式人海戦術は破綻したのう。
>>750
薩長の弱いお役人武士集団にも軟弱幕府軍は勝てんし、ましてや>>127-128の遊撃戦の
プロの中国地方の被差別民集団相手じゃ100倍幕府軍が兵力があっても勝てるんは
無理じゃし。 >>738
タコ殴りにされるんは、山岳戦にゃ経験も無ぁし、遊撃ゲリラ戦すら出来る機敏な
能力も無ぁ幕府軍じゃけぇ、兵力大量動員の数の合理主義やっても、自軍の犠牲者を
いたずらに増やす自滅行為じゃし、攻撃は速度の法則から、長期戦になると地元軍優位
なんよ。文禄・慶長の役の日本軍撤退しかり、ベトナム戦争もしかりで物量の米軍の
大敗北で、アレキサンダーの大量兵力導入のインド遠征失敗から愚行を繰り返すんが
歴史経験じゃし。兵力は多く投入するほどリスクは戦闘泥沼化の兵力消耗するほど
精神的厭戦で倍返しくらい返ってくるリスクも伴うんよ。短絡的数の合理主義に
頼ったら戦闘主導権の取合いも無視し、優位いけいけで攻めて奪えん時の精神的
ダメージと敵軍に主導権奪われた負の連鎖が始まる時じゃけぇのう。
>>735
長期戦に成ったほうが武器売るマセソン商会のような軍需財閥系は儲かるけど、
幕府軍が弱過ぎたんが計算違いで、幕府軍の方に近代装備をようけ売るほうが少し
くらいは長引いたじゃろうけど、儲けになるほどの長期戦にゃならんほど、
兵員戦力差があったけぇのう。イギリス人は、高貴な貴族、紳士階級も指揮する軍隊は
強いと思い込み、東アジアの官僚社会の上層部は無能云う社会見識に欠けとったけぇ。
上の神輿を担ぐんが日本の社会認識があったら、幕府側に大量の近代兵器購入
させとったろう。慶喜?無能な上層部で将軍職と権力欲も強い家臣置き去りに逃げる
日本の無能な上層部の典型じゃけぇ、長期戦じゃの考える能力も無ぁし、幕府軍が
長期戦じゃの出来んことすら認識能力なんか無ぁわ(笑)。 >>755
戦しないで長州を封鎖してしまえばよい
第二次長州征伐の失敗は実際に攻めこんだこと >>754
軍の最高司令官の幹部達が最前列で突撃したら、愚将を通り越してただのバカでしょ
>>755
権力に固執するような人間だったら、それこ君が槍玉にあげてる昭和の軍人さんみたいに
鳥羽伏見やその後でも徹底抗戦して戦争を長期化させるだろう 戦争しなければ新政府は慶喜の議定就任で決着してたんだけどな
薩摩は信用してないから強硬論唱えてたけど >>751
焼き討ちされるまえになにしたかしらんのか?
薩摩艦船になぜ砲撃加えることになったかしらんのか?
無知とは怖いものなしで素敵ですね >>759
なんであからさまな挑発に乗るの?としか… >>760
まあ勝てると思ったんだろ
実際、庄内藩は強かったし
敗因は慶喜にあるとしか言えん 太平洋戦争の末路を考えると、ダラダラと続いて疲弊して負けるより
さっさと白旗を上げちゃう方がまだマシじゃないかな >>759-761
江戸の老中は薩摩藩邸攻撃に慎重だったのに小栗忠順が強硬論を主張した
小栗忠順は
「薩藩は奸賊なり、速に討たざるべからず、大坂の因循して時機を逸するは、在坂の有司孰れも臆病者
なるが故ナリ、関東より端を開きて其眼をさまさしむるに若かず」
と主張するも
「大坂の事情は推測までにて、其詳なることは知り難く、上様の御深意も判然せざれば、速に使を遣りて
台命を仰ぎたる後に事を決せんも遅からず、浪人の暴行の如きは、兵端を開くに比すれば其害寧ろ小なり」
と老中らは慎重論を述べ「大坂の思召を伺うべし」とした。 >>761
地の利がある地元で戦果を挙げても、
それで天下を制することができるとは限らない
ことわざでいう「天の龍は地元の蛇には敵わない」だよ >>764
まあでも家臣もいることだから、それは無責任かと。 でも主君を殺してでも戦争をしたがってる家臣って、それはもう家臣じゃないような… >>767
戦争したいってか、家を守るのは武士の本分かと
ぶっちゃけ徳川家とは徳川慶喜個人のものではない >>756
長州を封鎖云うても、幕府軍が進駐した広島でも反幕空気じゃったし、
幕府軍が長州征伐に負けて広島から撤退する時にゃ、越後の榊原軍らが瀬野の山登り
よる時にゃ、百姓一揆程度の軽武装と海田土民軍に遊撃攻撃で襲われ、隊列が乱れ
手も足も出なんだ。「海田がなけりゃあ殿に恥辱を取らしゃせぬ」よ。
まあ、海田は気性の荒い宿場町で進駐軍が軍事装備背景に大きな顔しよるんが気に
入らん侠の土地柄じゃけぇ、瀬野川は「海田若衆の化粧の水」じゃ云うてのう。
海田の若衆や猟師らが幕府軍襲うた山一つ越えた賀茂地域じゃその後戊辰戦争で
武勲を挙げ、奥羽同盟軍や他の西日本諸藩にも戦闘能力の差を見せつけた
安芸神神機隊が作られるし、広島県でそのまま進駐しとったら反幕府蜂起で遊撃戦
仕掛けられ広島県からも逃げるはめになったろう。結局封鎖も出来んし、進駐経費が
かかり戦えば兵力消耗し負けるだけじゃし、威嚇の進駐しても反発招くだけじゃけぇ、
最初から中国地方は地形も山が多い土地柄で退路断たれたり兵站が伸び過ぎる
土地柄ゆえ不介入にしときゃえかったよ。 >>757
最高司令官も前線へ出て士気を高めるもんじゃし、日本じゃ軍司令官が前線視察も
せずに最後方でウイスキーちびちびやりながらのタイプが多かったんよ。
まあ、日本でも最前線まで出てくるんはええけど、辻政信参謀殿のように余計な
拙劣な作戦指導で死傷者を増やすような無能な人らもおったけぇ、神輿は後方へ
引っ込んどれ、戦闘は下級士官から兵卒で勝手にやりますけぇ云う例も多かった
けぇのう。
慶喜さんなら、前線視察して将兵にねぎらいの言葉をかけるだけで衆心一致の
感で士気高めることも出来たんじゃう。板垣退助さんは、出来る人じゃったが、
お役人組織の長たるお殿様の慶喜公は武将じゃ無ぁけん逃げ腰で保身優先じゃけぇ
無理じゃったんよ。
長期戦も和睦じゃ避けられるし、日本は幕府と西のミカド担ぎ政権で分断しても
えかったし、自滅は海外傀儡の西の方が可能性が高いことで東の幕府主導権の方が
日本の独立性を保てるし、西のミカド政権連中よりも、民を大切し、西洋の
民権自由主義も柔軟に受け入れたら、東日本政治主導の真の日本の独立も達成出来た
かも知れんのじゃが、東日本の幕府も東アジア的官僚主義が邪魔して難しいのう。
>>765
地の利は長期戦に成ったらゆえ、「侵攻は速度」の短期間で地の利の方を制圧せんと
成功せんよ。じゃが幕府のお膝元の関東平野は地の利が地形的にも生かし難い。
ロシアのように広い平原なら侵攻軍の兵站切ることも出来るが、ミニ平原の関東じゃ
無理じゃし。 >>768
もし大坂城内の旧幕臣もそのように考えていたなら
もう自業自得としか言いようがない >>769
芸州藩は日和見だろ
浜田藩は幕府寄りだし >>771
なにが自業自得なのかわからんが
この当時の幕臣の感覚を今に例えれば
朝鮮に攻めれて政権を取られそうになってる状況だぞ?
実際維新後幕臣は塗炭の苦しみを味わうことになるし
戦力あって戦わんでどうする? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています