明治維新がなくても江戸幕府が日本を近代化させていたよな 5 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001よしのぶ ◆rCkRk5jFeI
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2017/02/28(火) 11:21:44.23
フランス式の政治体制を取り入れて徳川慶喜が初代大統領→しばらくして大統領も公選制に移行→議会の設置
地方自治は引き続き諸藩に任せる→しばらくしてフランスを習って廃藩置県実施
政治の中心地は引き続き江戸→必然的に江戸が日本の首都になる
幕府陸軍と海軍奉行→そのまま日本陸軍と日本海軍になる

結果的には明治政府が実施したことと何も変わらない
ただ江戸幕府が近代国家を作っていたら古き良き日本はもっと残っていただろう
明治政府に近代化させたせいで天皇は京都を追い出され、城や寺などの建物が破壊され、和服文化が消滅し、太平洋戦争が起きたのだ
0728日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 01:45:27.95
よく分からんけどトップが責任をとって自決するのが近代化された社会ってこと?
0729白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/11(金) 01:52:34.13
>>714
内ゲバ隊士殺しの、大して強うも無ぁ土方じゃの戦場どころか、路上の斬り合いでも
役に立たんじゃろうに。
まあ、西南戦争じゃ、東北人も恨み感情丸出しで戦場の戦闘ならええが、捕虜とした
命乞いする薩摩兵まで斬首は酷いのう。何一つ武器持たん降人にで、恨み感情で
斬首は情義に欠けとるし、もののふの道から外れた外道行為そのものじゃわいや。
>>726
ほんま明治の負の遺産の糞みたぁなひりまくりよのう。昭和の高級軍人の多数派から
政治屋、官僚、財界含めて糞ばっかし撒き散らす逆バキュームカー明治号じゃけぇ。
0730日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 03:26:56.28
>>724
そもそも負けなかったかもしれないし
鳥羽伏見なんてビビらないで数で圧していけば幕府の勝ち
なんだよ、たった280人戦死で敗退って
0731日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 07:15:49.00
戦ったら勝っても負けても内戦長期化の可能性が出るけど、それでもいいのか?
0732日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 07:57:52.76
イギリスやアメリカの影響力が強く、もっとマシな日本になっていただろうな。
0733日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 08:40:31.86
コロンビアやペルーのようになっていただろう。
0734日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 09:47:44.17
>>731
鳥羽伏見で官軍負けたらそのまま第三次長州征伐になるから
内戦というほどじゃないよ
この時点では薩摩長州vs幕府会津桑名であとは日和見

逆に言えば官軍は一度でも負けてはいけない戦をよく勝ち抜いた、というところ
0735日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 09:48:17.36
>>727
日本の社会にある無責任体質は認めるが、
幕末に当てはめるのは違うのではないか?

もし慶喜や松平容保が敗戦の責任を取らされて、
明治政府の命令で切腹処分となったら、内戦は長期化して被害者は倍増していたよ
それこそ白旗を上げず、全滅するまで戦うことになっただろう

第一次長州征伐でも長州藩主は謹慎で済んだだろう 
三家老は代わりに切腹になったが
幕府があの時点で長州藩主切腹を命令して撤回しないなら、
長州藩は全滅するまで戦っただろう
0736日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 11:12:00.26
>>734
官軍が敗北したら幼帝を奉じて京都脱出し転戦する計画と伝わってるから
長州征伐とはまた違った色を帯びて、状況は混迷しそうに思えるのだがどうだろうか
0738日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 12:00:22.57
鳥羽伏見破れたら薩摩は西郷と大久保に腹を切らせて事態終息だな
元々、あの軍事行動は久光の意図ではないし
で、長州がタコ殴りにあう
0740日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 12:24:33.51
>>737
天皇の京都脱出は後醍醐帝も実行しているので不可能なわけではないけど
結局は仮定の話なのでどう転ぶかは何とも言えないところかね

孝明天皇が存命ならばスレタイも穏やかに実現可能だったかも
0741日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 12:49:50.97
>>739
薩摩はいつもそうだ
国元と中央に権威を置いて、都合が悪くなると
「勝手に動いた」ことにして逃げる
0743日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 13:16:45.09
一国の首相の夫人を名誉こうちょうに
0744日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 13:17:11.17
しておきながら
0745日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 13:20:25.20
>>742
そうだが、要は薩長が一度でも負けてれば「政治解決」になって
内戦にはならなかっただろう、ということ。

そういう意味で倒幕派にとって鳥羽伏見は非常に危険な賭けだった。
我々は結果を知ってるから「必勝」な気がするけどね。
0746日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 13:20:26.19
都合が悪くなると無関係を装う
稲田からかんしゃ
教育現場では子供達に首相頑張ってと唱和させてたのに
0747日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 14:14:12.69
>>745
討薩の表を掲げた幕府軍は入京が目的だったから、
武力を使ってでも絶対に阻止せんとする薩長との温度差が結構ありそう

鳥羽伏見勝利後に慶喜が恭順姿勢を貫いた流れは速やかな維新成就を促したので
後世の人間としては結果オーライ
0748日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 14:36:36.40
>>747
倒薩の強い意思があれば勝てた気もするがな
幕府軍が行けばビビって通すくらいのこと考えてたんじゃないのかな
0749日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 14:55:09.91
>>748
>幕府軍が行けばビビって通すくらいのこと考えてた
そんな気がする
そして相手に目に物見せてやるという強い意思を見せたとき、慶喜は既に恭順を心に決めていたのが皮肉
0750日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 19:17:48.35
第二次長州征討の時は10万以上の兵を動員して負け
鳥羽伏見では3倍の兵を動員して負けて
諸藩が続々と寝返りしてるのに
まだ戦えると言っても慶喜が聞くはず無いでしょ
0751日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 19:31:47.43
>>747
元は江戸の薩摩藩邸焼き討ちから始まり、
幕府海軍が薩摩海軍を砲撃して戦争が始まった
幕府に戦争意思がなかったというのはおかしな話
0752日本@名無史さん
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2017/08/11(金) 20:28:13.35
>>751
鳥羽伏見の時にはこちらから戦端を開くなと申し渡されていたはず
本当に当初から戦争意思があったら、入京前に通せ通すなの押し問答で時間を使わないでしょ
0754白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/12(土) 03:56:03.01
>>728
https://www.kenbiya.com/column/hirose/19/
{戦争をする場合、将校とか地位が高い富裕層とか、貴族など実社会のリーダーたちが
自分が最前線で戦争に行くから後について来いといった姿勢をしめします。それで後の
平民の兵隊たちは、みなあの人が最前列で突撃するのであれば俺たちもついて行くぞ、
という感じで後に続いていくというのがノブレス・オブリージュで、そういう上に立つ
ものの義務という意味と教えてくれました。それを踏まえ考えると欧州はそういった
上に立つものの責務といったものが非常に強い国ではないかと思います。
その一方で、戦争中に日本の場合はどうであったかを振り返ってみますと、実際は軍の
最高司令官の幹部達は、最前線からずっと後方に控え安穏としており、本当に若い
下っ端と言われる国民が神風特攻隊やらなんだで、まだ幼い子供までが借り出され
お国のために自ら進んで命を投げいったという文化でした。」}
英国なんかエリートのオックス・ブリッジ出身の死傷者が多かったが、日本はトカゲの
尻尾切りが如く下っ端から死ね。トカゲの頭が逃げるけぇ慶喜公と変わらんし、西洋の
精神は真似て無あけん、日本は精神的近代化もしとらんのよ。
>>730
戦死280名云うこたぁ、戦死1に対し戦傷者3の1:3法則から840名の負傷者に戦死者
280名を加えると戦える兵員損害は1120名で近代兵団じゃ一個大隊以上壊滅になる
こたぁ解っとる? 兵数の多さの人海戦術は味方の累累の戦傷者が増えるだけ
戦力低下を小勢の敵軍以上に招くわけで、歴史毎の関東式人海戦術は破綻したのう。
>>750
薩長の弱いお役人武士集団にも軟弱幕府軍は勝てんし、ましてや>>127-128の遊撃戦の
プロの中国地方の被差別民集団相手じゃ100倍幕府軍が兵力があっても勝てるんは
無理じゃし。
0755白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/12(土) 04:28:54.26
>>738
タコ殴りにされるんは、山岳戦にゃ経験も無ぁし、遊撃ゲリラ戦すら出来る機敏な
能力も無ぁ幕府軍じゃけぇ、兵力大量動員の数の合理主義やっても、自軍の犠牲者を
いたずらに増やす自滅行為じゃし、攻撃は速度の法則から、長期戦になると地元軍優位
なんよ。文禄・慶長の役の日本軍撤退しかり、ベトナム戦争もしかりで物量の米軍の
大敗北で、アレキサンダーの大量兵力導入のインド遠征失敗から愚行を繰り返すんが
歴史経験じゃし。兵力は多く投入するほどリスクは戦闘泥沼化の兵力消耗するほど
精神的厭戦で倍返しくらい返ってくるリスクも伴うんよ。短絡的数の合理主義に
頼ったら戦闘主導権の取合いも無視し、優位いけいけで攻めて奪えん時の精神的
ダメージと敵軍に主導権奪われた負の連鎖が始まる時じゃけぇのう。
>>735
長期戦に成ったほうが武器売るマセソン商会のような軍需財閥系は儲かるけど、
幕府軍が弱過ぎたんが計算違いで、幕府軍の方に近代装備をようけ売るほうが少し
くらいは長引いたじゃろうけど、儲けになるほどの長期戦にゃならんほど、
兵員戦力差があったけぇのう。イギリス人は、高貴な貴族、紳士階級も指揮する軍隊は
強いと思い込み、東アジアの官僚社会の上層部は無能云う社会見識に欠けとったけぇ。
上の神輿を担ぐんが日本の社会認識があったら、幕府側に大量の近代兵器購入
させとったろう。慶喜?無能な上層部で将軍職と権力欲も強い家臣置き去りに逃げる
日本の無能な上層部の典型じゃけぇ、長期戦じゃの考える能力も無ぁし、幕府軍が
長期戦じゃの出来んことすら認識能力なんか無ぁわ(笑)。
0756日本@名無史さん
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2017/08/12(土) 12:41:32.50
>>755
戦しないで長州を封鎖してしまえばよい
第二次長州征伐の失敗は実際に攻めこんだこと
0757日本@名無史さん
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2017/08/12(土) 14:04:18.27
>>754
軍の最高司令官の幹部達が最前列で突撃したら、愚将を通り越してただのバカでしょ

>>755
権力に固執するような人間だったら、それこ君が槍玉にあげてる昭和の軍人さんみたいに
鳥羽伏見やその後でも徹底抗戦して戦争を長期化させるだろう
0758日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/12(土) 20:48:22.27
戦争しなければ新政府は慶喜の議定就任で決着してたんだけどな
薩摩は信用してないから強硬論唱えてたけど
0759日本@名無史さん
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2017/08/12(土) 22:48:09.60
>>751
焼き討ちされるまえになにしたかしらんのか?
薩摩艦船になぜ砲撃加えることになったかしらんのか?

無知とは怖いものなしで素敵ですね
0761日本@名無史さん
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2017/08/13(日) 11:48:12.56
>>760
まあ勝てると思ったんだろ
実際、庄内藩は強かったし
敗因は慶喜にあるとしか言えん
0762日本@名無史さん
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2017/08/13(日) 12:04:16.75
太平洋戦争の末路を考えると、ダラダラと続いて疲弊して負けるより
さっさと白旗を上げちゃう方がまだマシじゃないかな
0763日本@名無史さん
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2017/08/13(日) 14:25:04.71
>>759-761
江戸の老中は薩摩藩邸攻撃に慎重だったのに小栗忠順が強硬論を主張した


小栗忠順は

「薩藩は奸賊なり、速に討たざるべからず、大坂の因循して時機を逸するは、在坂の有司孰れも臆病者
なるが故ナリ、関東より端を開きて其眼をさまさしむるに若かず」
と主張するも

「大坂の事情は推測までにて、其詳なることは知り難く、上様の御深意も判然せざれば、速に使を遣りて
台命を仰ぎたる後に事を決せんも遅からず、浪人の暴行の如きは、兵端を開くに比すれば其害寧ろ小なり」

と老中らは慎重論を述べ「大坂の思召を伺うべし」とした。
0765日本@名無史さん
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2017/08/13(日) 16:31:34.87
>>761
地の利がある地元で戦果を挙げても、
それで天下を制することができるとは限らない
ことわざでいう「天の龍は地元の蛇には敵わない」だよ
0767日本@名無史さん
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2017/08/13(日) 23:56:57.75
でも主君を殺してでも戦争をしたがってる家臣って、それはもう家臣じゃないような…
0768日本@名無史さん
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2017/08/14(月) 00:59:01.91
>>767
戦争したいってか、家を守るのは武士の本分かと
ぶっちゃけ徳川家とは徳川慶喜個人のものではない
0769白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/14(月) 01:35:16.11
>>756
長州を封鎖云うても、幕府軍が進駐した広島でも反幕空気じゃったし、
幕府軍が長州征伐に負けて広島から撤退する時にゃ、越後の榊原軍らが瀬野の山登り
よる時にゃ、百姓一揆程度の軽武装と海田土民軍に遊撃攻撃で襲われ、隊列が乱れ
手も足も出なんだ。「海田がなけりゃあ殿に恥辱を取らしゃせぬ」よ。
まあ、海田は気性の荒い宿場町で進駐軍が軍事装備背景に大きな顔しよるんが気に
入らん侠の土地柄じゃけぇ、瀬野川は「海田若衆の化粧の水」じゃ云うてのう。
海田の若衆や猟師らが幕府軍襲うた山一つ越えた賀茂地域じゃその後戊辰戦争で
武勲を挙げ、奥羽同盟軍や他の西日本諸藩にも戦闘能力の差を見せつけた
安芸神神機隊が作られるし、広島県でそのまま進駐しとったら反幕府蜂起で遊撃戦
仕掛けられ広島県からも逃げるはめになったろう。結局封鎖も出来んし、進駐経費が
かかり戦えば兵力消耗し負けるだけじゃし、威嚇の進駐しても反発招くだけじゃけぇ、
最初から中国地方は地形も山が多い土地柄で退路断たれたり兵站が伸び過ぎる
土地柄ゆえ不介入にしときゃえかったよ。
0770白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/14(月) 02:28:36.50
>>757
最高司令官も前線へ出て士気を高めるもんじゃし、日本じゃ軍司令官が前線視察も
せずに最後方でウイスキーちびちびやりながらのタイプが多かったんよ。
まあ、日本でも最前線まで出てくるんはええけど、辻政信参謀殿のように余計な
拙劣な作戦指導で死傷者を増やすような無能な人らもおったけぇ、神輿は後方へ
引っ込んどれ、戦闘は下級士官から兵卒で勝手にやりますけぇ云う例も多かった
けぇのう。
慶喜さんなら、前線視察して将兵にねぎらいの言葉をかけるだけで衆心一致の
感で士気高めることも出来たんじゃう。板垣退助さんは、出来る人じゃったが、
お役人組織の長たるお殿様の慶喜公は武将じゃ無ぁけん逃げ腰で保身優先じゃけぇ
無理じゃったんよ。
長期戦も和睦じゃ避けられるし、日本は幕府と西のミカド担ぎ政権で分断しても
えかったし、自滅は海外傀儡の西の方が可能性が高いことで東の幕府主導権の方が
日本の独立性を保てるし、西のミカド政権連中よりも、民を大切し、西洋の
民権自由主義も柔軟に受け入れたら、東日本政治主導の真の日本の独立も達成出来た
かも知れんのじゃが、東日本の幕府も東アジア的官僚主義が邪魔して難しいのう。
>>765
地の利は長期戦に成ったらゆえ、「侵攻は速度」の短期間で地の利の方を制圧せんと
成功せんよ。じゃが幕府のお膝元の関東平野は地の利が地形的にも生かし難い。
ロシアのように広い平原なら侵攻軍の兵站切ることも出来るが、ミニ平原の関東じゃ
無理じゃし。
0771日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/14(月) 09:18:58.56
>>768
もし大坂城内の旧幕臣もそのように考えていたなら
もう自業自得としか言いようがない
0773日本@名無史さん
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2017/08/14(月) 10:45:30.19
>>771
なにが自業自得なのかわからんが
この当時の幕臣の感覚を今に例えれば
朝鮮に攻めれて政権を取られそうになってる状況だぞ?
実際維新後幕臣は塗炭の苦しみを味わうことになるし

戦力あって戦わんでどうする?
0774日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/14(月) 10:51:25.98
>>770
>慶喜さんなら、前線視察して将兵にねぎらいの言葉をかけるだけで衆心一致の
>感で士気高めることも出来たんじゃう。
蛤御門で勇敢な指揮者だったが、鳥羽伏見では戦闘を避け恭順謹慎に徹したことを踏まえると
単純に逃げ腰で保身優先と考えるのは早計ではないだろうか
水戸の出身であり、どういう思想教育を受けたかを考慮しないと見立てを間違う
0775日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/14(月) 12:06:50.31
>>773
外国から侵略されるのと同じ感覚ではないでしょう
幕府は既に大政を奉還し、天皇を奉じた新政府の土台が構築されはじめている状況の中で戦争を仕掛けるのは
自分たちは禁裏も主君も知らぬ反乱者であると、自分の首を絞めるのと同じ
それに維新後は幕臣だけでなく士族全体が秩禄処分や廃刀令で特権を失っているので、
士族が逼迫したのは国の財政上の理由であり、近代国家としての政策
0776日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/14(月) 12:15:32.67
>>773
新羅が長安に攻め込んだり、朝鮮が北京に攻め込んだことないのだけど。
0777日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/14(月) 12:39:33.93
家を守るのは武士の本分だが、忠節を尽くすのも武士の本分
0778日本@名無史さん
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2017/08/14(月) 14:03:47.35
>>777
それは江戸時代に定着しようとした儒教の考えだね
自分の家を守るためなら忠節を曲げるのもやむを得ない
だからこそ今川氏真から離反者が続出している様子を、
今の大河ドラマに描かれている
0779日本@名無史さん
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2017/08/14(月) 14:32:12.89
>>778
幕末のスレだから江戸時代の武士を前提とするのは普通だと思うよ
今川家衰退は300年前の話だし、戦乱の世と太平の世では求められる人物像も当然変化するしね
0781日本@名無史さん
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2017/08/14(月) 23:45:07.11
>>775
幕臣から見れば外様大名のしかも家臣なんてガイジンもいいとこだろう?
陪臣と蔑んでたし、実際江戸市中で犯罪起こせば担当するのは目付じゃなくて町奉行だからね
つまり、士分扱いされない。もちろん捕縛されたあと処分に関して主家に相談がいくのだが。
0782日本@名無史さん
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2017/08/14(月) 23:51:43.93
>>777
この場合の「家」というのは主家のことだ
で、なぜ主家を守らないといけないかってと
もちろん生活の糧は主家から出てるから
江戸時代中期以降は浪人したら別の大名に召し抱えられる可能性はほぼゼロなので
武士でいたかったら主家を必死で守るのが常識
0783日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 00:03:14.30
>>782
殿ご乱心といって、上級武士が藩主を幽閉しちゃって、
隠居しましたってことになるわけね。(^^)
0784日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 00:19:51.81
板倉勝清も函館まで旧幕軍についていってら
「殿、御乱心」ってことで不在のまま強制隠居になって
養子が主君に擁立されたしなw
0785白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/15(火) 01:00:03.71
>>771
主君の為とか、個人崇拝するカルト兵なら尚更弱いし。
>>772
藩が日和見よっても、民心は押さえられんよ。藩上層部も担がれた立場を自覚するしか
無あし、芸州藩は大政奉還で妥協せえ云う立場じゃし、思想カルトの薩長たぁ違うよ。
浜田藩は殿さん自体が慶喜同様逃げよったけぇ話にならんわ。
>>773
長州が朝鮮云うんは、当たっとる。
「日本歴史を点検する」(対談 海音寺潮五郎 司馬遼太郎 講談社)
{海音寺…最もラジカルな尊王攘夷論をね。 純粋といえば純粋だが、どうも観念論的
過ぎますね。これはあの土地の風土や住民の原種に関係がありますね、きっと。
(後記ー司馬氏はこの対談の冒頭の章で、朝鮮民族を思想的民族のような気がすると
しっている。地理的にも、長州は朝鮮に近い。歴史的にも、毛利氏の前の長防の
大守であった大内氏は朝鮮の王族の子孫であり、その遺臣らは多く毛利氏につかえて
いる。ぼくのここの発言はこの事実を根底にしているのである)今でも
長州人には、あのような型の人間が多く、多数の共産主義者が出ていますね。河上肇、
野坂参三、志賀義雄、宮本顕治等々々。}
海音寺潮五郎氏は、戦前ソ連計画経済に憧れ満洲で実行した革新官僚の岸信介氏を
忘れとってじゃ。 戦後の民主主義国民主権の憲法を嫌い憲法改正派の共産党の
野坂参三と自民党の極左アカ派の岸信介氏にたいして違いは無ぁけんのう。
0786白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/15(火) 01:45:08.80
>>774
蛤御門じゃ後方で同類の中華朱子学攘夷思想カルトに和解工作しよった慶喜に真っ当な
指揮なんか採れんわ。慶喜が中華原理主義儒教宋学のツングースの夷を恨む負け犬の
哲学である朱子学カルト(水戸学)に洗脳されとるけぇ、家臣を置き去りに見捨てて
逃げるんで。敗走中の劉邦が自分も子供まで馬車から投げ捨てたように、
日本の上層部は思想精神が中華じゃし、日本人の心なんか持っとらんのは今も昔も
変わらんよ。日本帝国も現在の政治屋、官僚から中華朱子学靖国カルトの連中も
日本人の心なんか持っとらんよ。賊軍を中殿に祀らん敵国兵も弔わん靖国は中華
勧善懲悪カルトで、日本人は元寇のモンゴル兵から高麗兵まで弔う慈悲や供養の
仏教的価値観の方が浸透しとるんじゃがのう。明治の中華朱子学カルトの
左翼革命政府が精神的に日本を捨てて中華にしたんじゃし、中華朱子学(水戸学)に
洗脳された慶喜も満足しとることじゃろう。
水戸学は中華精神隷属の「慕夏主義」と、「中朝論」たる北方民族に荒らされた中国は
中華じゃ無うて、夷狄に荒らされとらん日本こそ中華精神の本場云う独善的根拠の無ぁ
思い込みで攘夷わ唱える、実は夷狄の子孫で「夏」じゃ無ぁ「夷」の方云うことすら
理解しとらんけえのう。
じゃが、広島師団将兵が敵の中国国府兵の墓作って弔うと中国国府の将兵も日本兵の
墓作って弔うわけで、日本上層部は東アジア官僚社会の劣化中華人で慶喜公もその列に
おるんじゃし。
>>776
じゃが、新羅は、半島侵攻の大唐帝国軍を撃退させたけぇのう。まあ新羅の上層部は
唐に恭順示す逃げ腰で、滅んだ高句麗人、旧百済人が遊撃ゲリラ戦で善戦し唐軍は
撤退を余儀無うされるわけで、朝鮮半島も上層部が無能で草莽の衆が踏ん張るお国柄
じゃけぇ、やっぱし日本と似とるよ。東アジアたぁそういう世界じゃし。
0787日本@名無史さん
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2017/08/15(火) 01:48:21.67
>>782
そんな彼らが鳥羽伏見で四回戦って四連敗したのは、もしかして無茶苦茶弱かったのでは…
大阪城で気勢をあげて仕切り直したとしても周囲は敵だらけでジリ貧になりそう
0788日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 02:11:27.17
>>787
その理由ははっきりしてて、滝川と竹中が腰抜けだったこと
どっちも戦国の名将の末裔だけど、能力は受け継いでなくてw
高録者がダメなのだよね、幕府は
下の方には天才的な戦上手がいたのだが

やっぱり組織の限界か
0790日本@名無史さん
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2017/08/15(火) 10:49:28.81
>>786
新羅が吐番みたいに積極的に侵略行為してないわな。
0791日本@名無史さん
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2017/08/15(火) 12:26:28.76
それをいうなら漢民族だって侵略的だったことは歴史上あまりないぞ
0794日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 17:41:31.17
侵略しただけではダメ。宣撫工作をして、人心を掴み
以前の統治者よりもよい政策を持続することがよいとされる。

満州族こそ至上の存在。
0795日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 19:04:28.87
>>794
官軍に回った武士達は、まさか近い将来あんな目に遭うとは思わなかったろうね
0796日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 19:39:07.35
>>795
ボスが将軍様から天朝様に代わるだけ、と大部分が思ってたはず

まさか無職になって放り出されるとはな
0797日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 20:21:01.29
なんで旧幕府は戦争起こしたんだろう
大政奉還しても権力は失うけど別に領地が減るわけでもないし
領地返還論も結局石高に応じてそれぞれ分担になったし
慶喜が軽装で上洛することを条件に、慶喜を迎えいれるとこまで決まってたのに
0798日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 21:16:19.88
暴走する連中に理屈が通じると思うほうがおかしい
だいたい幕府だの薩長だの縦割りで語りたがるけどさ
大政奉還後の佐幕側の下っ端なんて文久ころの長州とそう変わらんぜ
0799日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 21:35:14.88
>>797
鳥羽伏見で先に発砲したのは薩摩のはず。
薩摩は最初から一戦するつもりだった
0800日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 21:46:15.88
>>799
そりゃ旧幕府軍が退去せずに戦闘行動に入ろうとしたからじゃね
砲撃したのは大政奉還を評価してた伊地知だし
その前から旧幕府軍は薩摩海軍を攻撃して戦闘行動に出ている
大軍でもって上洛しろという指示も朝廷から出てないし
0801日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 21:46:46.00
京都では薩摩藩士が道を歩くと斬りかかってきたり撃ってきたりする奴がいる状況だからなあ
そんな時に武装して大阪から上ってきて戦闘にならないと考えてる方がおかしい
でも薩摩が先に撃って来たとか能天気な発言してるってことは、末端の動きを把握してなかったんだろな
0802日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 22:16:01.80
>>796
勝者も敗者もやがて消えゆく運命と考えると、戊辰戦争って物悲しいね…

>>797
末端は薩摩の挑発にばっちり嵌って感情的になってたんだろうね
0803日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 22:33:42.70
>>802
西南戦争とか萩の乱とか佐賀の乱とかな。
維新の主動力だった連中が今度は叩き潰されてる
0804日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/15(火) 22:38:33.83
当時は戦争でしか政権交代なかったからね
日本最高の武将とされながら武装蜂起に見切りつけた板垣退助さんは最強やね
0805白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/16(水) 01:56:11.78
>>788
戦国期から桃山期でも名将なんかほとんどおらんじゃろう。まあ名将の条件たぁ、
部下の進言を聞く耳を持ち、衆心一致を心がけるかの人徳によるし。
>>790
何も侵略する必要も無あし。
>>794
満洲族は、漢民族も仲間に取り込んだし、それ以前にモンゴル人も取り込んだけぇ、
万里の長城の防備軍事費削減も出来たし、自己抑制の強いツングース系らしゅう、
宮廷も簡素に節約し、皇帝自らが範を示したけぇのう。
満州や中国で血税の機密費を欲望のまま湯水のように豪遊に使うた日本の軍部たぁ
格が違うよ。
作家の陳舜臣氏が「満洲族は徳川慶喜のような容貌が多いですね」とされたが、
南ツングース容貌の慶喜公は清末の堕落した満洲族皇帝と同レベル程度。
>>799
陣を構えた以上のう。まあ戦闘自体も偶発的に発砲とかで突然バタバタと始まる
もんじゃし。計画通りに始まるわけ無あし、想定外、錯誤の連続が戦闘なんよ。
いちいち上の命令待ちよったら、戦闘主導権取られるんじゃけぇ前線部隊が勝手に
やるし後続部隊も放っとけんけえ、否応無う全面戦闘に成るわけじゃし。
>>804
板垣退助さんは、別格じゃけぇのう。戦闘を経験した将兵なら板垣さんの指揮下で
戦いたい思うじゃろうし、逆に間違うても大久保利通の指揮下で戦いたい将兵じゃの
おらんじゃろう。
0806白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/16(水) 02:20:10.16
>>799
戦さたぁ、今じゃ云う好機をのがさんことじゃし、前線下級指揮官と兵の独断で
決めるもんじゃし。
http://tomhana191.exblog.jp/2256087/
『華中第一線』 当時法政大学名誉教授であった森戸太郎氏の序文から引用されとる
のう。 そして戦争とは私達が考えているように、イメージしているように参謀達の
作った作戦計画通りにそもそも始まってくれないということ。考えも及ばない時間と
場所で突然バタバタと始まる。
だから戦争とは最前線の下級指揮官の手仕事だともいえる。最前線の下級指揮官と
兵士の英知と英断、度胸と機敏さが結局戦局を制し勝敗を決する。ということは
戦争の真実とは第一線の戦闘参加者でなければ判らないということだ。」
勃発的なんは放っとけんけぇのう。マレー戦でものう。広島育ちの越智春海
元陸軍大尉が書いとられる。
『私たちはタイ式の軍服を着ているので、とても人気があった。突然、烈しい銃声が
おこった。 「ありゃりゃ。やり出したでぇ」「相手は、どこの軍隊ならァ」
「タイに決まっとらァや。ラッパなんか鳴らしやがるけん、こういうことになるんよ」
いよいよ猛烈な射ち合いになった。砲声もまじって来た。敵の砲声らしかった。
兵隊たちは、もう善人面ではなかった。闘犬が相手を発見した時の、 あの筋肉の
痙攣が、全身を走っていた。何かを探るような沈鬱な目は、 殺人者のみが持っている
こわい色だった。それはたぶん、世界中の女性を失望させる、ショッキングな色合い
だった。
「前へ!」 市川大隊長の右手が、ほんの十センチほど動いた。それで充分だった。』
0807白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/16(水) 02:47:56.68
>>799
まあ、>>806の下のタイの軍服着せて敵軍を欺く計画は作戦の神様?辻政信参謀殿の
立案で、「馬鹿馬鹿しい、何つまらんこと考えとんなら!」云う下士官や末端の兵と
違い、エリート高級軍人らは、思いつかなかった素晴らしい作戦と称賛しよったん
じゃけぇ、日本の東アジア的官僚社会の知能指数秀才エリート高級軍人らは、短絡的、
楽観的、脳天気で現場に疎いわけで、臨機応変で機敏な広島部隊ゆえ対処出来たが、
辻さんの作戦指導で成功した例が皆無なのに広島師団赴任の時だけ結果的に
勝利じゃけぇ、無能な上層部から信頼されたけど広島師団以外は全て負け実績も
大したもんよ。タイ服着せた失敗を隠すように前線出て来て責任転嫁の将兵叱咤した
ところで作戦の失敗は自らが愚かたぁ考えん狂信的カルト精神だけじゃけぇ。
板垣退助さんなら今村均大将同様、辻さんに口出しさせんかったろう。
0809日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/16(水) 10:25:40.20
読んでないよ
短時間で長文連投する奴は佐幕・薩長ひいき関係なく支離滅裂
0811日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/16(水) 20:51:16.91
なぜか薩長土に優れた指揮官が居たんだが
起用した薩長土が凄いんじゃないかな
長州は滅亡寸前の所を何度も脱藩した上に危険人物である高杉を何度も起用し窮地を逃れたし
島津久光も西郷を嫌って島流しにしたけど結局起用してるし
第二次大戦も石原莞爾みたいな人物が居たけど起用されなかったなぁ
0812日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 00:58:48.86
幕府で大村益二郎に対抗できた軍略家は恐らく小栗だが、勝を使ってしまったのは幕府にとって不幸だったな。
0813白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/08/17(木) 01:10:01.09
>>811
薩摩、長州の指揮官が優秀?になんるんか? 
http://www.hodaka-kenich.com/history/2014/05/01133931.php
{戊辰戦争で、仙台藩が最大の犠牲者を出したのは、ここよりもひとつ前、浜通りの
戦い『駒ヶ岳の戦い』である。熾烈な激戦となり、仙台藩は数百人の死者を出して
いる。のみならず、官軍側も、多くの犠牲者を出している。
 広島側の資料を見ると、戦場が「駒ヶ岳山麓」の水田地帯だった。すさまじい
仙台の猛攻に対して遮蔽になるものがない。敵から丸見えの広い田園地帯で行われた。
仙台藩が総力をかけた、猛烈なる防戦で、一兵も進めない状態に陥っている。
 芸州・神機隊が「ここは駒ヶ岳の関門に向って、正面突破を図ろう」と提案した。
すると、 「長州藩の隊長はこれには周章(うろたえ)てしまった」と記す。
下関で四か国と戦い、第二次征長でも練磨の、戦い巧者の長州がおびえるほど、
仙台藩は強かったのだ。仙台藩は大小砲を激発し「筑前藩も猶予して進まず」。
「この激戦は環視(みているだけ)では解決できず。敵の飛弾を犯し、
切り込まざるは利なし。抜刀し突撃するべきだ」
 神機隊はそう主張するが、長州藩、筑前藩の両隊長はついに動かなかった。
『先鋒の神機隊は突貫、突撃した』
 初めのうちは長州・筑前は無謀だと笑っていた。それが驚きになり、やがて賞賛に
変わったのだ。『われらは駒ヶ岳の砲台に登り詰めた。そして、縦横に敵兵を斬殺
していく。乱殺に遭った敵は、兵器や屍を放棄して、仙台藩はことごとく敗走して
いく』
長州や九州諸藩の連中は無謀な正面白兵激突こそ、勝負付けが出来るんじゃが、
山口や九州のもんは臆病じゃけんのう。ましてや指揮官クラスは無能でえ(笑)。
0815白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/17(木) 01:30:20.42
>>812
前線の経験が無あ机上の空論の大村益次郎や小栗上野介じゃ、>>127の岩国の被差別民系
維新団にゃ勝てんし、ましてや>>813の安芸神機隊にゃ当然勝てんよ。
小栗さんの東海道封鎖も中山道から攻められとんじゃけぇ最初から破綻しとるし。
浜通りの戊辰戦争で功利主義の大村益次郎はどう指揮するんか?
結局戦闘で勝利を得るんは、戦術の常識から外れて、敵さんへの思いもせん非常識な
攻撃することなんよ。 広島県の安芸の賀茂、豊田の芸南と備後の壮丁の福山連隊も、
無謀な正面激突で勝利したし。
「敵前で橋を渡るなどということは、常識はずれだ。せっかく連隊主力が上流で
渡河したのだから、そのコースを利用するのが常道である。が、本道上に待機していた
一部隊は、本隊が対岸で戦闘を始めると、やにわに橋を突っ走って行ったのである。
どういう考えだったのか、それは判らない。 「たいしたこたァ、にゃァ(ない)」
と、思ったのだろう。 しかし、この無謀な突撃で、橋梁付近が一大乱戦場になった
のは事実だ。大戦果には必ず、こういう常識はずれの行動が付随していることが多い。
捨て身になって奮戦していたグルカ兵が、この緒戦に敗れてからは、日本軍の姿さえ
見れば、逃散するか、両手を頭上に上げてゴム林から出て来たのは、この最初の一撃が
いかに痛烈であったかの証明であろう。」
『市川少佐は仰天した。(またか!)と思った。しかし今度だけは無茶だ! とも思った。
しかし、放ってはおけない。「各部隊前へ!」より他になかった…。
 仙台幼年学校の区隊長から、この歩兵十一連隊(広島)の第三大隊に転任して来た
市川正は、しばしば戦理に合わぬ攻撃法をやらかす部下たちを、ほとんどあきれていた。
(これが伝統と言うものだろう!)と、そう思うより他なかった。
しかし、激戦場にぶつかると、てんで頼もしかった。勝つこと以外には何も考えて
いないのだった。 「とにかく、こうしましょうや」と提案する中隊長たちの方法は、
てんで敵を無視していた。けれどもそれは百発百中、成功するのだった。』
0816白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/17(木) 02:08:35.43
>>811-812
おどれら、戦闘体験者から話しも聞いとらん世代で戦記じゃのろくに読まんのじゃろう
けえ、戦さ云うもんが解らんけぇ、指揮官の駒通りに兵は動くべきと無能な旧軍高級将校
並みの思考法しか持ち合わせとらん人間が歴史や戦さをしたり顔で語るんじゃけぇ
可笑しゅうなるんよ。
 そもそも戦さたぁ、>>806ように、「参謀達の作った作戦計画通りにそもそも
始まってくれないということ。考えも及ばない時間と場所で突然バタバタと始まる。
だから戦争とは最前線の下級指揮官の手仕事だともいえる。最前線の下級指揮官と
兵士の英知と英断、度胸と機敏さが結局戦局を制し勝敗を決する。ということは
戦争の真実とは第一線の戦闘参加者でなければ判らないということだ。」
ことじゃし、>>813-815の正面白兵激突も刻々と流れが変わる戦場での状況に対応出来る
前線下級将校、下士官、古参兵が決めることじゃし。上流からの渡河し迂回する
アウトコースに注意取られる敵さん観たらど真ん中インコースで距離詰めれる思うたら、
後続部隊の独断で指揮官が止めようと攻撃出来る臨機応変さが無ぁと戦さは勝てんので。
まあ、土地柄的に薩摩は釣り野伏せり戦法の迂回アウトコースが如く、九州勢は、
オカマ戦法で尻から攻めるが好きでインコース正面激突じゃ膠着すると気弱に成って、
毎度負けるけえ、出来んが、広島部隊は正面の距離詰めたら広島勢が戦闘主導権獲ったも
同然で、戦闘方法も>>815の「(これが伝統と言うものだろう!)と、そう思うより他
なかった。」それぞれの郷土の方針に市川少佐も「そうせえ!」「よきにはからえ」と
従い神輿に担がれた立場を理解し、部下の進言通りに戦闘遂行出来るんが有能な
指揮官なんよ。無能な指揮官たぁ>>806-807のタイ服着せて侵攻じゃの馬鹿げなことを
押し付ける知能指数IQ秀才の典型の辻政信参謀殿のような人らじゃし、大村益次郎
じゃの無能な指揮官じゃの広島にゃ必要な無ぁわ。
0818日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 02:56:02.14
>>814
わかんね
結果オーライなんだけど、口八丁の勝なんかを使うような組織は滅びるべきだったのかもな
勝は新政府にも見切りつけられて何の役にも立たなかったし
一応敬意だけは払われていたようだが
0819日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 03:15:13.77
>>811
久光が西郷を嫌って島流しにしたというのは司馬の小説の創作
あれは切腹くらっても仕方ないくらい西郷が悪いのに遠島で済んだと考えた方が妥当
0821日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 13:06:39.78
小栗ってやたらアゲられてるけどマッチポンプなとこないか?
0823日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 14:06:23.19
対馬とか小栗二分金とか長州過激派を刺激するようなことしちゃまずいだろ
0824日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 19:14:26.51
小栗は財政面に優れてたけど軍略や軍隊指揮に優れてたか分からんし
東海道封鎖も政府軍は中山道に主力軍置いていたし
勝が使われたのは第二次長州征討の敗戦処理と鳥羽伏見の敗戦処理だから
その外交は上手くやってる
0825日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 21:04:50.00
慶喜と勝って相性良くなさそうだけど、お互いの能力については評価してる印象
0827日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 23:50:03.50
>>825
相性よかったんじゃないか?
司馬が相性悪いようなこと書いてたが、
良くなければ維新後も勝に相談しないし、
息子を養子にやったりしない

勝家ってお目見え以上の旗本では最下級だからな
徳川から養子なんて普通はあり得ない
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