【初心者】スレッド立てる前に質問をPart37【歓迎】 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
勘合貿易にしろ何にしろ国家(幕府であれ)が一括管理しない貿易がそもそも存在しないんだがw
だから表現が可笑しいんだよ。表現に固執するからアスペとか言葉に対する冒涜やん
(お前ほんとアスペの意味分かっているのか? アスペの巣窟が学会だぞ
「関係者立ち入り禁止」を監禁とは呼ぶべきかいなか いや「鎖国」って当時には呼ばれていない、ってことだろ? 鎖国というのは明治期にケンペルの「鎖国論」を邦訳してからできた造語だな 後付けと言えば、士農工商の身分ってのも後付けだよな
もともと朱子学の言葉だが、日本の身分制度のことを示すために使われ始めたのは明治に入ってから
昔は/江戸時代には士農工商の身分制度があったと言い出した。
実際の江戸時代の身分の扱いとは全く違う呼び方なんだよ >>100
戦国時代(室町時代!?)の大内氏が朝鮮と直接貿易してたろう。
それが目的で大内氏は百済の子孫を称してるくらいだ。 >>105
お前はアスペを倣って「戦国」時代の意味を字句通り解釈できないの? 士農工商は管子や漢書にもでてくる概念だから、出典となれば恐ろしく古いよ。
漢学者や儒学者の間では当然のように言及されてるし。それが社会階層として
大衆にどこまで知られていたか、あるいは民衆がどこまで意識していたかは
別の話し。 管子には士農工商は同じところに住ませてはいけない
社会が混乱するもとだと政治の提要のひとつとして言及してある 戦後1、2をあらそう名宰相として日本史に記述されるとおもいますよ。
すくなくともあらゆるデータがそれを傍証しています。 >>98
サンクスです
同じ場所(神宮寺とか神社とお寺が隣同士とか)に僧侶と神職が併存していたわけじゃなく、
同じ人間が僧侶と神職を兼任していたってことですか?
つまり、仏教や経典についての知識と神道や祝詞についての知識を持ちあわせ、読経や
葬式などの仏事と慰霊や祭祀などの神事を同じ人間が執り行っていたのですか?
もう少しレクチャー願いたいです 神も仏なんだから大方仏式だけで事足りる
現代人の思い描くような神式の慰霊や祭祀なんて
江戸以前にはほとんど存在しない >>113
サンクスです
>>現代人の思い描くような神式の慰霊や祭祀なんて
>>江戸以前にはほとんど存在しない
これは俄かには信じ難いことなんですが、マジですか?
新嘗祭とかかなり歴史が古いと思うのですが、規模の大小は
さておき、神社における祭祀も歴史が古いのでは? 現代の神事って大体は明治以降に再編されたものだよ
本来は神道的だったであろう古い祭りも神仏習合で原型は復元できなくなってる 神社の祭りってのも、江戸時代あたりに民間習俗と道教その他の諸要素を混ぜて作られたようなのが多い
祇園祭とか、もっと古いのもあるけど、平安時代末より遡れる祭りはないのでは?
奈良時代以前のものはだいたい、廃れて消え去ってるね 渡り神事は伊勢神宮はじめいくらでも伝承されていて神輿もそれでしょう。
ただあの「わっしょいわっしょい」は江戸の町人文化であってきわめて
ローカルなものじゃないかな。祇園祭や博多山笠、東北のねぶたみたいなのは
神事があって祭礼をおこなうというより、先に祭事があってそれに神事が
あとづけで権威づけられたようなものなので、そういう2つ方向からの「まつり」の
成立は考えると面白い。しばしば地方の祭事祭礼が神社と氏子で分裂して
対立したり裁判沙汰になったりしているけれども、むしろそういう対立こそが
おまつりの本質を映し出しているようにも思う。 高校日本史程度の知識の無い人がなぜ回答めいたこと書くのだろう 正月に神社で行われる四方拝や歳旦祭なんかも明治以来の伝統なん? 今、神社で四方拝・歳旦祭をやってるなら、それは皇室祭祀を真似た新しいもの
皇室祭祀である四方拝は、ルーツは飛鳥時代に記録があるとされるが、
祭祀対象に星が含まれているなど、明らかに道教の影響を受けている祭祀 >>121
序文の宇宙創成の『混元既に〜』が道教が元になっていたりとか
日本の古神道は文字と同時に中国の宗教と接触したため特に道教から理論の部分を吸収してしまったらしい 何故正史たる『日本書紀』を軽んじて『三国志』や『古事記』の記述を重視したのですか? 近隣諸国で「創設千年の大学」とか言ってるところがあるんですが
もし日本で同じような論法を使うとしたら、創設千年以上の大学ってどこですかね? 東大寺や比叡山?
でも現在大学に発展していないだけかな >>127
1000年前レベルだと平安時代だが、このへんで教育機関っていうと、寺院と、あとは貴族の氏族教育関係か
前者は着実に引き継がれてる(ただし近代までは続いてなさげ)が、貴族の方のは中世まで続いてたかどうか。
いちおう、中世の教育関係で名前が出てくる足利学校も広い意味では氏族教育からの派生ではあるだろうけど……
これだって近代までは続かなかったよな >>124
皇室祭祀と神社の祭祀、さらに国家祭祀、それらはどれくらい共通性があり、
また共通性がないのでしょうか? >>121
道教の要素だと知られてないものが大量に定着してるんだがなあ
神道のなかにも、日常の文化にも、仏教のなかにも。 国策によって、神道を国家の中軸に据え、国家が神社を管理するスタイルを
国家神道と呼びます
であるならば、奈良時代のような
国策によって、仏教を国家の中軸に据え、全国に国分寺や国分尼寺を建立したのは
まさに国家仏教じゃないですか?
なぜ国家仏教みたいな呼び方はされないのでしょうか? 四方を拝礼するという儀礼は、おそらく人間の生理的な欲求なり世界を把握する
理性に由来するものなので、これ自体が道教による影響というのは主客転倒の
議論のようにおもう。むしろ重要なのはその祭礼を式日とくに正月におこなうという
暦法の伝来の方だろう。暦の数え方のほうこそが重要な影響であって、その日に
日本なりの祭礼をおこない、その祭礼に対して中国的な呼称(四方拝)という呼称を
与えたという解釈のほうが適切に思われる。 四方拝では、北斗七星の属星を7回唱え再拝、呪文を唱える所在があったんだよ 昔、光栄にあった維新の嵐ってゲームで
薩摩藩と佐賀藩だけが他藩者は入国禁止だったんですが、薩摩はまだわかりますが、佐賀が禁止だった理由を教えてもらえないでしょうか
無理でしたら、入国禁止ってのは、一般的な措置だったんでしょうか? >>111
正論って糞雑誌が歴代内閣ランキングっての載せたことあるんだが
一位が吉田茂で、最下位も吉田茂だったよ >>134
鎮護国家って言葉は聞くけど、鎮護国家仏教や国家仏教なんて言葉は
聞いたことないけどな〜
実質的に国家仏教みたいなものだとは
思っているけど、あくまで表現の問題な 国分寺の設置なんかは仏教教理を国家統治に利用しようとした試みだと
おもうけれども、基本的に仏教思想は地方経営や行政といった思想を
内包していないから、すぐに論理破綻したんだとおもう。行政というのは
したから積み上げて形成されるものじゃなくて上から形而上的に定義されて
その指定の範囲で行うものだから、仏教により国家を統治するという概念だけ
先に提示されて実際やってみたけれども、すぐ現場で無視されるようになった
ということだろう。 仏教には暦や所有という基本概念の規定はないし、身分などの規定もない。
職制の分類という概念もないし犯罪の処罰や服制などの規定もない。ただ
人民を救済するための道徳と行儀作法が規定されているばかりなので
総合的な思想体系たりえなかったということだろう。このあたりは西欧における
ローマ法とキリスト教の関係に相似する。中国から日本に散発的に渡来する
思想体系は、個々はそれぞれすばらしいものには違いないと推定されるものの
具体的にどのような性質のものかは当時の権力者たちには理解しようがない
ものであって、最新の法令律のようなもの、道徳律のようなもの、服制律の
ようなものを解釈しながら興味本位でやってみたり取捨選択していたり、というのが
実態であったと思われる。 そもそも「国立戒壇」のキーマンだった鑑真が仏教の政治利用を嫌ったぐらいなんで仏教を国家統治に利用する試みは完成することすらなく崩れだした気がするが、
奈良時代前半の律令政府がその方向を目指していたのは事実だろう
その後、別方向ながらも、荘園群統治/経営の面で仏教は大きな力を発揮してはいる
なんせ、そういう経営方面に必要な知識を仕入れる窓口が仏僧の留学ぐらいしかないってぐらいに限られちゃったしな >>142
中国から日本に渡来した仏教は中国で変質して道教的要素を多く含む物になってから伝わってるから、仏教自体ではなく「中国から伝わったときの仏教」として考えないと駄目だよ
道教を筆頭に儒教含む中国思想を多く混入した複合思想として伝来してるんだから >>140,133
その通りだ。鎮護国家は仏教の力によって国を治めるということだが
当時の人が国家仏教という用語を作らなかったんだから文句を言ってもしょうがない。 創価学会の宣伝レスが5連続投稿ww
如何に創価が危険ではないと熱弁振るっても
最終目的が「国立戒壇」だってことが見え見えです。 >>92
もうおいでにならないかもしれませんが
>古代や中世、近世の神社や神職と周辺住民との関係、神社の役割、存在感、影響力など
この質問では時代や対象が広過ぎますし、地域や神社の格の違いによっても回答は変わります。
従って整理された答えは難しいと思います。
とりあえず宮座や社家でググってみてはいかがでしょうか。
なと神仏習合のもとで仏教側が神社を支配していったのは確かですが
神式の祭祀や儀礼がなくなったわけではありません。
もちろんすでにおっしゃっているように
それらが元来のものか仏教などの影響を受けて変化したものか区別するのはほぼ不可能と思います。
なお鏡を神聖視するなど道教の影響はかなりあると思います。 「国家仏教」という言葉は日本史の教科書には出てきますよ?
中国で儒教的な祖先祭祀を取り込んだ仏教が日本にもたらされました。
位牌とか死後に付ける戒名とか中国的、儒教的な発想です。 鎮護国家仏教は中学校で教わったけどね。今では創価学会が連立政権なので無理なのか!? 公武合体って言い方、不遜不敬な気がするんですあ
当時も公武合体とか言ってたんですか? 国家統治を仏教教理に利用しようという試みが創価学会政治部といえる公明党ね。
思想とか個人とかの話にすりかえようとされているが,全然違う >>141
>>基本的に仏教思想は地方経営や行政といった思想を
>>内包していないから、すぐに論理破綻したんだとおもう。
>>142
>>総合的な思想体系たりえなかったということだろう
レス、ありがとうございます
しかし、それを言うなら神道は仏教よりもさらに思想体系が弱いというか
大雑把すぎますよね
国家神道は鎮護国家(国家仏教?)以上に国家統治は無理だったってことですかね
戦争に勝ってたらどうなったか未知数ですけど・・・ >>145
レス、ありがとうございます
しかし、当時の人がそういう言葉を使わなかったとしても、後世において新しい言葉
(当時使われた言葉と違う)が出てくることはよくありますよね
鎌倉幕府当初も幕府なんて言葉は使われてなかったようだし、江戸時代も藩なんて
使われてなかったようだし(一部の公文書には使用されてたみたい)
同様に、後世において「あの時代の仏教は国家仏教じゃん」って感じで国家仏教という
言葉が出てきても全然不思議じゃないのに >>101
んなこといったら朝廷なんてのも当時は呼んでなかったし
幕府なんてのもない
天皇と呼ぶのもダメになる
そういうのをアスペっていうんだぞ 戦後になって「あの時代の神道は国家神道じゃん」って感じで国家神道という
言葉を作り出したのは左翼こと創価学会だよ >>152
>しかし、それを言うなら神道は仏教よりもさらに思想体系が弱いというか
というか、元々の神道には思想とか教理とかはない。なんせ、自然宗教だからな。
鎌倉時代頃にいちおう、神道五部書だかで教理まがいの物が作られたとは言え、さほど普及するでもなく。
神道に教えっぽい物が本格的に作られ出して普及しはじめるのは江戸時代に入ってからだろう 教理ではないけど、神道の思想と言えばこんな感じ?
・穢れ思想
・常若の思想や清浄さを尊ぶこと
・自然崇拝
・先祖崇拝
・皇室崇拝 >>157
自然崇拝以外はあとから追加されたものばかりだろ
たとえは穢れ思想は平安ごろからじゃないかな 皇室崇拝は違うと思う
先祖崇拝ではなく氏神崇拝ではないか >>158
記紀に穢れを落とす話が出てくるので、穢れ忌避観←→清浄重視観は古くからあるんじゃないかな 自分はおっさんで子供の頃から歴史は好きで成績も良かったけど、
「鎮護国家仏教」や「国家仏教」って言葉は習わんかったのは間違いない
でも、ここ見て手元にある「もう一度読む山川日本史」っていう高校の
歴史教科書っぽい本を見てみたら「国家仏教」って言葉は載っていたわ
でも、これってやっぱり比較的最近になってからじゃないかな >>161
先ほど間違えて語尾に「?」つけましたが、今の教科書には割と「国家仏教」はのっています。
昔はメジャーではなく、近年浮上した気がしますが、はっきりとは言えません。
Wikipediaにも書いていますが、定義が不明確で筋のいい語句ではないと思います。
政教分離以前なら大なり小なりあてはまるでしょうし。
井上光貞あたりが源流で
聖武天皇らの国家仏教→道長らの貴族仏教→親鸞らの民衆仏教みたい流れを説明しますが
行基の民衆仏教→貴族仏教→五山制度の国家仏教(臨済宗)と
ピックアップ次第で逆の流れになるという批判があった気がします。 「鎮護国家仏教」という語はきいたことがありません。 国立国会図書館のデジタルコレクションで「国家仏教」を検索すると
1940(昭和15)年代からすでに使われてますが
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BB%8F%E6%95%99&viewRestricted=0
例えばこれ
国立国会図書館デジタルコレクション - 日本仏教史概説
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048251/8
「鎮護 仏教」でも
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E9%8E%AE%E8%AD%B7+%E4%BB%8F%E6%95%99&viewRestricted=0
1940年に使用例あり
国立国会図書館デジタルコレクション - 空海と最澄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040612/21 「鎖国」は志筑忠雄の享和元年(1801年)の『鎖国論』において
ケンペルの1727年刊行『日本誌』の一節を訳したもの
>日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理
つまり志筑忠雄が「鎖国」という言葉の生みの親ということになる 専門用語はちゃんと来歴がはっきりしてるものはそちらを使うのが本則だし
逆にそれを批判的に体系化するさいに、別の用語をラベルとして用意して
整理するという方法がとられるので、この点はきわめて慎重に扱わないと
いけない。「鎖国」というラベルはその典型で、現実にはそのような呼称が
当時はなかったにもかかわらず後世のラベルによって当時を演繹的に
再定義してしまう誤謬のもとになりかねない好例といえる。学術的批判に
耐えうる史学とはそのあたり慎重厳密にあつかうのは本則。 >>166 そうそう。そういう「最初にラベルを作ったのは誰か」を調査していくのも重要な貢献。 つまり日本は俺(オランダ)の縄張りだとオランダが主張しているんであって
幕府の祖法でも,日本に鎖国があった訳でもない >>160
アマテラスからしてイザナギが黄泉の国の穢れを落とすために禊して目を洗った時に生まれたんだしなぁ。 >・皇室崇拝
ここは嗤うところだよな。いつから皇室を崇めたつと思ったのか? 左翼脳w 神道を特集した記事で神道の三大思想として
自然崇拝、祖霊崇拝、皇室崇拝が挙げられてた >>164
ありがとうございます。年寄なのでこれで検索という発想が出てこなくて…
>国立国会図書館のデジタルコレクションで「国家仏教」を検索すると
>1940(昭和15)年代からすでに使われてますが
その次は一気に90年代まで飛んでいます。
しかもヒットしたものの半分は東南アジア関連です。
やはり「国家仏教」はメジャーな語とは言いがたいようです。
その中で2011年のセンター試験の評価委員会報告で使われているのが目を引きます。
この頃にはそういう業界では浸透していたということでしょうか。
>「鎮護 仏教」でも
やはり「鎮護国家仏教」という語句はありませんね。
というか「鎮護」が使われていないものもたくさんヒットするんですね。 >>173
アニミズムは世界規模で見られる
儒教は支那
皇室? 何それ 明治の国家神道では皇室崇拝は外せないよ。ただ皇室(アマテラス信仰)あるいは
その系譜が全てでは無いから教義の不統一問題が明治の初年から大問題になる
わけで。 多神教のばあい、たとえばギリシャのスパルタはヘラクレスと女との子孫が王家の始まりだとしていたけれども
他のポリスはまったく別の神を崇拝したり神の半神の子孫だと称したりしていたわけで、仮にスパルタがギリシャ
世界を統一する王として君臨したとしても、ヘラクレスは王家の祖先として崇拝され、ヘラクレスの父ゼウスは
ギリシャ世界で広く信仰されているのだから、そのばあいスパルタ2王家とは関係なくヘラクレスもまた礼拝の
対象とする者もいておかしなことではない、という関係になる。逆にかりにスパルタ2王家がギリシャ世界に
対してヘラクレス信仰を強制することをもって2王家崇拝を強要したのならばそれは王家崇拝という関係になるだろう。
日本神道のばあい、内地や台湾挑戦で神社崇拝を強制した10年ほどの期間があって、その間に仏教界や
キリスト教会の反発する時期があったことをもって「神道には皇室崇拝の要素があった」と指摘されることは
避けようがない。むろんそれはまったく神道の本質ではなく、あくまで政治史におけるあるひとつの時代の
描写としてそのような用語が利用されうるということである。 神道と皇室との関係について争議となったのは朝鮮ではなく、最初におきたのは仏教界との紛争なんだよ。
そこにはほとんど言及されず、キリスト教会とりわけ昭和10年以降になってからの朝鮮における問題のみを
あたかもそこではじめておきた問題のように書かれる教科書(の文脈)が多いため、これが誤解となっている。 だれも質問してないのに連投する板違いキチガイが絶えない件 >>112 の質問にチアする>>173 の言及に対する>>175 の根拠のない批判に対して
それを否定するためのレスですので関係はあります。不適切な回答をすべきでは
ないというのは >>175に対して行うべきでしょう。 >>171 >>175 ですね。文脈はむろん適切に使用すべきですが神道を論じるうえで
皇室崇拝の文脈は出てきておかしくない論点です 本スレでは「天皇の存在は知られていたか?」という高尚な質問がされているが
自称初心者スレでは「皇室崇拝が行われていた」と何段飛びのプロ議論が
天皇制が共産党の造語だと知られ皇室制度なる制度を創始してこの有様 >>174
えーっとですね、「保護期間」ってのがありまして
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BB%8F%E6%95%99&viewRestricted=0&viewRestricted=2
1930〜1939(2)
1940〜1949(9)
1950〜1959(7)
1960〜1969(6)
1970〜1979(2)
1980〜1989(7)
1990〜1999(5)
2000〜2009(8)
2010〜(12)
不明(2)
これを見るとけっこう使われ続けてるみたいですよ
年をとっても自分の世界を広げられないと恥をかきますね
自分も気をつけないといけないですね >>176
明治時代の国家神道は国の方針として
天皇を現人神と認定しその先祖を崇拝するというものだから
自然発生的な自然崇拝、祖霊崇拝とは明らかに違う
昭和天皇の人間宣言で国家神道は否定されたし 飛鳥時代くらいは神官・神職って神祇官として国家公務員的存在だった
その後、中世の神仏習合時期は国家公務員的存在ではなかったと思うけれど、
明治維新において神祇官制度が復活し、国家公務員的存在に戻った
しかし、その後またすぐに神祇官制度がなくなり、国家公務員的存在ではなくなった
その後、国家神道の動きが進み、神官・神職がまたまた国家公務員的存在となり、
終戦後の神道指令において国家神道が解体され、国家公務員的存在ではなくなった
日本の歴史において、これほどひとつの職業、存在が公務員〜非公務員の間を
振り子のように揺れ動いたものって他に何かありますか?
他にはちょっと想像できないのですが、みなさんどう思われますか? ↑に追加なのですが、僧侶・仏教僧のほうはいかがでしょうか?
奈良時代の鎮護国家において、国分寺や国分尼寺の住職なんかは
国家公務員的存在と見てよいのでしょうか?
その後の神仏習合時期の僧侶・仏教僧は如何でしょうか?
江戸時代のお寺は今でいう役所の市民課の要素も兼ねていましたが、
江戸時代のお寺の住職も国家公務員(地方公務員?)的存在と言えますか? 明治以降はずっと国が神職の人事権を握ってたぞ
神祇省→教部省→内務省だ >>189
当初は国が認めない人間は僧籍になれなかったし
国が人事権を行使していた >>188-189
お前の言う「国家公務員的」の要件はなんだ? >>190
ということは、明治以降〜神道指令まではずっと国家公務員的存在と見て良いのですかね
>>191
国が認めて僧籍となった人だけ国家公務員的存在と見て良いのですかね
>>192
厳密にはわかりませんが、まあ国の役人ってことになりますね >>193
国の役人の意味するところは?
役所で働くという意味なら、一部の例外を除いて神官も僧も役人ではない >>191
聖職叙任権闘争はなかったぞ
弁護士・医師・教職の資格全て国が認めているが,国家公務員的存在? 御用商人の方がしっくりくるが >>193
>国が認めて僧籍となった人だけ国家公務員的存在と見て良いのですかね
民には納税の義務があったが僧は免除されたので、私に出家する僧(私度僧)が増えた。
それを放置すると税収が大変なことになるので許可制にした。だから全ての僧が公務員ではない。
官営の寺に属する者はまぁ、公務員と言えるかもしれない。 >>196
>私度僧
ちなみに「度」とは渡すの意味で俗人を修行の道へ導くことを言う。
「縁無き衆生は度し難し」(仏縁のない者を教え導くのは難しい) 中公文庫の日本の歴史と講談社学術文庫の日本の歴史
中公文庫の方が読み易そうな気がしたけど、内容的にはどっちが充実してますか? >>194
>>190氏の言によると「国が人事権を握っている」ことになるのかな
>>196
官営の寺とそうでない寺とがあったのですか?
その場合、官営の寺の住職は(国家)公務員的存在、そうでない寺の住職は民間人的存在?
現在で言うと、市立小学校の教師と私立小学校の教師みたいな感じですか? >>187 ところがその肝心の『国の方針』と言うものを精査していけば
文部省が外部の学者に執筆させたものを文部省の名前で公表する
ことをもって、文部省の見解として表示しているだけで、詔勅や勅令、
法令などで説示してるわけではないのだよ。これが明治憲法体制の
ひじょうに曖昧でありまた統治側に都合のよいところ 明治以前は神社仏閣には寺領神領があって封建自治(裁判権含め)が認められていたのが
版籍奉還ですべて国家に召し上げとなって経営が成り立たなくなったのが明治初期の混乱の
元だね。このさい神社は国家機関として組み込まれたのでむろん経営には歳費が支払われた
けれども寺院は対象ではなかった。 >>198
基礎的な部分の網羅では中公文庫のもとになったやつが上回る
が、中公文庫の方のもとが八十年ごろだったか? ちと古い(もっと古かったかも
各巻末尾に2000年頃の追加情報が付いてはいるが、本文が古いのはどうしようもなく。
といっても講談社のも九十年代後半の本だから、さほど新しくもないんだよな
それより新しい他社の通史は文庫化されてないと思うけどさ >>200
大日本帝国憲法
第三条「天皇ハ神聖不可侵ニシテ犯スヘカラズ」
天皇を神聖なもの(=神)と憲法で定めているのだから国の方針 >>201
寺領神領と自治が与えられたのは大寺などだけだよ
中小の寺社は江戸時代も檀家や氏子からのお布施に支えられていた
寺は寺請制度によって檀家の冠婚葬祭や戸籍管理、通行手形を管理、
神社も集落によって氏子が決められ村ごとの祭礼を行い
それによって檀家や氏子たちは寺社にお布施を納めていた
明治政府から歳費が払われたのも国家神道と直結する一部の大きな神社にだけだよ
中小の神社の神主まで歳費を与え公務員同様に国家が養ったわけではない でかいところでなくても寺領神領(朱印地)はあるよ。
村高の一部(相給地)で数十石とかそんなレベル
自治権はないけど。 裁判権みたいなのは本寺に帰属するけれども寺社の封建的性格はかわらんよ。 >>203 文部省は天皇じゃないだろ。文部省がある学者に論文書かせて
それに文部省と書いて発行したからといってそれが国家の基本方針と
なるようには帝国憲法は設計されてないんだよ。そういう都合のいい
ところがあったんだ。 有名な「国体の本義」なんかも文部省が学者に書かせて勝手に出版したものであって
あんなのは帝国の基本方針でもなんでもなかったんだよ。これを戦後の内閣一致の
文脈で読むから、あたかもあれが政府の基本方針と読み間違ってしまう。帝国憲法は
上から下を支配するためにじつに都合よく設計されてるんですよ。 大日本帝国憲法は文部省が勝手に発布した
国は関与していないって誰の説? 帝国憲法は責任の所在が階層的にしかも複数ある構造になってるんだよ。
文部省のしでかすことに陸軍も逓信省も責任はないし拘束もされない
責任もたせたり拘束したりするためには立法措置するなり勅令が必要
文部省は大臣の責任において天皇に対してのみ責務を追えばよいという構造 >>199
>>>190氏の言によると「国が人事権を握っている」ことになるのかな
それに該当するのは時代とポストが意外と限定されると思う。 >>212
大日本帝国憲法の何条から何条までが
文部省が勝手に書いたので陸軍も逓信省も
文部省以外の人間は責任も拘束もされない部分なの?
つうか憲法に拘束されるのはそれを作った文部省だけって
もう憲法じゃないじゃんw 遅レスですが
>>186
なるほど。ありがとうございます。肝に銘じておこうかと思います。
いずれにせよ有意なデータではなさそうですね。
>>161
私が使っていた昭和末期の山川の教科書を見てみると
天平文化に「国家仏教の発展」という節がありました。
私も全く記憶になかったので驚きました。
本文には「仏教は国家の保護をうけていっそう発展した」とあるだけで
定義的な説明はなく不思議な感じはしますけどね。
一方186の検索で「鎮護国家仏教」は日蓮宗関係の一件のみ、論文検索ではゼロなので
やはりこの語はかなりマイナーと見てよさそうです。 >>215 帝国憲法55および伊藤「憲法義解」
憲法義解には大臣は補筆であり君主の代理ではない、大臣は議会に責を問われず
ただ君主にのみ責をとわれる、議会は議院を通じて君主に奏上することができるので
間接的に責を問える、また大臣は専任職であり連帯して責任を問われないとはっきり
記述してある。 なお「憲法に拘束されるのはそれを作った文部省」というのは
悪意をもった意味不明の文言の捏造なので
そのような恥知らずな弁論は控えるようにしなさい。
帝国憲法は太政官により作成され天皇の御名御璽により
発布されたことは万人の知る所であり文部省など関係ない。 なお「憲法に拘束されるのはそれを作った天皇陛下」
家法である とりあえず阿呆がスレに常駐してることはわかったので
あとは適宜あぼんする >>216
国家が仏教の力を使って国を治めようとしたって内容は習ったけど、
「国家仏教」ならびにそれに類するような言葉は習わなかったですよね〜 国家が仏教の力を使って国を治めようとしたって内容は習ったことがない。
国分寺・国分尼寺・東大寺を作っただけ。そんな穿った解釈も習わなかったよ とりあえず阿呆がスレに常駐してることはわかったので
あとは適宜あぼんする 一向宗って浄土真宗のみを指して言うのですか?
日蓮宗の方が過激で、日蓮原理主義的な
ものを
感じますが、日蓮宗は一向宗に含まれませんよね >>226
もともと中世には時宗や浄土宗の一派も一向宗を名乗ったものがあり
浄土真宗に限ったものではなかった
しかし江戸時代、江戸幕府が浄土真宗に対して
正式名称を一向宗に変えるように強要した
徳川家康は浄土宗だったが、三河一向一揆に苦しめられ浄土真宗を嫌っており
天下の徳川将軍家が菩提寺とする浄土宗と一字違いな上
こっちが真実の浄土宗みたいな宗名を浄土真宗が名乗るのを許さなかったとか
江戸幕府滅亡後、明治時代に正式名称を浄土真宗に戻している お聞きしたいんですが、歴史群像等の月刊誌(昔は季刊誌でしたが)のバックナンバーを揃えるという行為はコストパフォーマンス的にどうなんでしょうか?
揃えてる人は「本には載ってないことが雑誌に載ってることが多い」と言ってるんですが 趣味のものにコストパフォーマンスを問われたら悪いに決まってるじゃない。 >>222
マジで?
鎮護国家って用語も習わなかった? 日本の学習指導要領に基づいた教育ではなかったのだろう >>231
聖武天皇がカルトにはまって散財し,荘園が生まれた
その後藤原氏の貴族が台頭って流れの話だから >>221
ですから
あなたが高校で日本史を履修しなかったか45歳以上か山川教科書を使わなかったかの
どれかに当てはまるならそういうことですね。 90年代はあやしげな「歴史用語」が無批判で出回り始めた時代だからね。
史学は科学として完成されているようなものじゃなくて、ほとんど研究者個人の
おもいつきと嗜好で書かれたエッセイに近いものだよ。これ経済学や法学でも
そうなんだけどさ。 鎮護国家という語と「国家仏教」という概念はまったく別のものと峻別すべきと
わたしは思いますよ。前者は陳述で後者はラベルです。 以前、歴史博士が答えるスレで、鎌倉時代の執権よりも北条得宗(家)の方が
重要度は高いって話がありましたが、それは本当でしょうか?
義務教育たる中学の歴史でも執権は鎌倉時代の最重要レベルの用語として
出てきましたが、得宗(家)は出てきた記憶がありません
自分が得宗(家)を知ったのはもっと後になってからでした
歴代の有名な北条氏を検索しても、まず最初に第○代執権ということが紹介され、
その後で得宗(家)ってことが出てきます
それらを鑑みると、やはり重要度でも執権の方が上ではないかと思います
確かに得宗(家)の方が実権を握っていた面があるのかも知れませんが、
それは北条氏内部の家督争いやら勢力争いのことであって、
幕府の要職としての執権の方が広い目で見て重要度は高いという自分の考え方を
みなさんはどう思われますか? 得宗は幕府の役職じゃないからね、幕府の役職としては執権が最上位
ただ、執権を出す北条氏の内部序列が執権より上だ
特に鎌倉時代末ごろになると北条氏の家人である御内人がすごく多くなって、幕府より北条氏のほうが影響範囲が広いぐらいになってるだけに、どうしても執権より得宗の方が上にならざるを得ないのではないかと 得宗=北条家の家長
誰を執権にするかなどの権限を持っていたのが
北条家の家長である得宗
勿論、実際に幕府で政治を行うのは執権だが
執権を挿げ替える権限が得宗にある 御内人といって幕臣じゃない、北条氏家臣(幕府から見たら陪臣)が激増してて、北条氏以外の御家人の領地を合わせたより御内人の領地の方が多いぐらいになってったんじゃなかったか
御内人に対する命令権は幕府にはなくて得宗だけが持ってるんだから、執権への人事権がなくても幕府より得宗の方が軍事的にも経済的にも力が大きいぐらいだろう 成り上がり者だった秀吉・家康には豊臣恩顧・徳川四天王といった忠臣(?)が集まったのに
信長には1人もいなかったのですか? 新興といっても守護代の分家で立場的に恵まれていたのに
変死とはいえ人望なさすぎではなかったですか?? 一族内部での主導権争いで旧臣の多くが一度は敵対してるからなあ
それに対する旧怨を信長自身が持ってる関係上、古くからの家臣が足りなくて信長の代で新規に召し抱えた新興家臣ばかりになるのはしかたない
その意味では家康や秀吉と大差ないほど家臣の層は薄かったんじゃないかな。
弟信行(信勝)との争いより以前からの家臣で信長晩年まで残ってるヤツなんていないじゃん
信行家臣から信長に鞍替えした柴田勝家とか、信長家臣から信行擁立に荷担した後で戻った林とか、その辺が最古参じゃないかな
守り役で切腹した平手の子供らはあんまり信長とうまくいってなかったようだし。
でも、清洲会議の頃の家臣らは、信長生前の体制を復旧しようという指向性をまだ残してたっぽいんだよ
その後の経緯で内部崩壊してしまっただけで。 執権よりも得宗の方が強かったとしても、必ずしも得宗の方が重要とは言えないだろう
本当に得宗の方が重要であれば、中学の日本史でも出てくるだろうし、検索したらまず得宗の方が先に紹介され、
後で執権が出てくると思う >>243
秀吉は成り上がりだが豊臣恩顧の加藤や福島は秀吉の親類だからなあ
家康は三傑の中では一番出自はマシ
5代前から城主やってて5代前から仕える譜代がいた
ただし家康の親父も祖父も自分の譜代家臣に20代で殺されている 得宗 ←人事権
執権 ←権限あるポジション
こんなところですかね。「得宗」という語義じたいも論者によって
いろいろな解釈があって確定的じゃないんですよね確か。現代で
いうところの「宗家」「本家」とでも言う程度の語義で。 >>245
中学の教科書では承久の乱の時の執権北条義時とか
執権北条泰時の御成敗式目ぐらいしか出てこないからだろ
鎌倉幕府滅亡時の幕府最高権力者が北条高時だった
(執権は北条守時だが先に戦死している
鎌倉幕府は執権北条守時の死ではなく
得宗北条高時の死によって終焉した)
ことは高校日本史からしか習わない なるほど、得宗という権力が確立される前の執権しか教科書に出ないから、得宗と執権の関係は出てきようがないわけか そもそも中学校の教科書はものすごく端折っています。
実像よりもわかりやすさ、説明の簡潔さが優先されます。
鵜呑みにしない方がよいと思います。 鎌倉幕府の政治機構とか呼ばれる組織図だって、同時期に併存してたわけではない時代違いの組織を併置してるぐらいだしな、
実態から離れた説明が多発するのもしかたないとこではある >>249
その北条高時も検索してみれば、ウィキペディアでは「最後の得宗」というのが最初に紹介されるが、それ以外のコトバンクやニコニコ百科他などでは「第14代執権」というのが最初に紹介されている
北条時宗も同様であった 日本史において、関東地域は結構時代が下るまでは朝廷から
「外界の地」「未開の地」のように思われていたと言います。
しかし、その割には日本において格式が高い三大神宮のうち、
トップである伊勢神宮に次ぐ香取神宮と鹿島神宮のふたつが
千葉と茨木に創建されたのが腑に落ちません
また、東京の浅草寺も仏教寺院として日本有数の古さだと
されています
なぜ「外界の地」「未開の地」のような場所にそんな格式高い
神宮や創建されたり、有数の古さ(歴史)をもつ寺院が建てられ
たのでしょうか? 浅草寺が古いってのは自称で、考古学的に確認できているのは中世から >>255
>香取神宮と鹿島神宮のふたつが
香取神宮の経津主神と鹿島神宮の建御雷神は、ともに国譲りの際に活躍した軍神なので
坂東のまつろわぬ民に睨みを利かせるためと考えられる。 >>254
白河、後白河、後鳥羽あたりも「天皇」で紹介されるでしょう 古墳でいえば埼玉は畿内に比肩するほど多くみられるから千葉・茨城・埼玉に
古くから文明圏があったのは明らかだとは思う。ただ文字に残されていないから
化外あつかいされるのだろう。 古墳時代から奈良時代ぐらいの期間は、関東や東北が化外の地、異民族であることを装う、偽装する必要性が朝廷側にあったので、
本当に化外だったかどうかは不明瞭なんだよね
九州の南半分も奈良時代頃までは同様に化外として扱われてなかったかな
で、それ以後の関東は、過去の経緯で化外扱いが援用されてただけの可能性も。
ただ、武士が実力行使で支配してる暴力的な土地という扱いが平安時代頃にはあった気はする 日本書紀によれば景行天皇の時に東国を視察した武内宿禰が「蝦夷の土地東に日高見国あり。
蝦夷の土地だから撃ちて取るべし」と献策したので日本武尊に平定させたとある。
常陸国風土記によれば日高見国は常陸に有った。関東が平定された後は日高見国は東北へ移り、
北上川の語源となったという。
>>261
>本当に化外だったかどうかは不明瞭なんだよね
化外は王化の外、つまり王に従わない者だから独自の文明があっても化外は化外だよ。 >>254
大坂の役の時の徳川方総大将は徳川家康だったが
家康はこのとき将軍ではなく役職なし
それなのに諸大名は皆家康の指示に従った
あえていうなら正式な役職ではない大御所
そういうことだよ
家康も江戸幕府初代将軍として紹介されるが
実際には2年しか将軍になった時期はなく
それ以外の時期は将軍でもないのに
徳川家の最高意思決定を行っている >>263
大御所時代と将軍在職時とどちらの方が力があったのか知らないけれど、
重要なのは大御所として権勢をふるったことよりも、足利以来の征夷大将軍に
任じられて江戸に幕府をひらいた初代将軍ってことだろうよ
家康は死後に東照大権現という神号まで与えられているけど、
東照大権現よりも江戸幕府初代将軍の方が重要だろう
足利義満も晩年太政大臣にまでなっているけれど、より重要なのは
室町幕府第三代将軍であることだと思う 家康の権力が現役将軍時代と引退後でどうこう言ってるんじゃなくてな、
特定のタイミングで現役将軍である秀忠と将軍を引退して無役になってる家康を比べてるんだろ
将軍を引き継いで久しい秀忠よりも家康のほうが常に権力が大きかったが、
それに関する法的な権限はないはずだよな 縄文式火焔型土器型のコーンを使ったソフトクリームって
特許取れて、大金持ちになれますか?
(´・ω・`) 秀忠も家光に対して大御所政治で臨んだし、吉宗も家重に対して大御所政治で
臨んだわけだから、この形態の政治方法はある種の魔術的効力があるのかも
しれませんね。 >>264
執権北条守時は得宗北条高時の命令で出陣し先に戦死した
得宗は執権に命令する権限があり
執権は北条家嫡流である得宗に忠誠を尽くす使命があった
得宗は執権よりも力があったかもしれんが
それでも力がない執権のほうがはるかに重要だ
なぜなら中学の教科書が一番正しいからと言いきられてもなあ >>265
大御所や上皇の権威、権力の源泉は
元将軍、前将軍、元天皇、前天皇、
将軍の父、天皇の父、ということだから、
やはり重要なのは将軍、天皇に帰結する >>270
元将軍、前将軍、元天皇、前天皇には何の権限もないぞ
崇徳上皇が前天皇でありながら院政の権限を持たず
保元の乱を起こしたのを知らないのか
院政や得宗になれる人物は家長に限られる
逆に元天皇、前天皇ではないのに
家長だから院政を取った人物もいる >>271
全員が、ってわけではないけど、
上皇や大御所で権威、権力を行使した
者の力の源泉は天皇、将軍の経験者と
しての部分によるところが大きいと
思うけどね
最後の行は興味ある
詳しく教えて >>274
天皇経験者としての実績が何よりも重要ならば
19年間も天皇としての実績を立派に積んだ崇徳上皇が院政をとれなくて
わずか2年間しか天皇じゃなかった後白河上皇が
その後何十年も院政をとってるのはおかしいわな
「元天皇、前天皇ではないのに
家長だから院政を取った人物もいる」
守貞親王(後高倉院)、西園寺寧子(広義門院)
いずれも院政をとったが天皇として即位したことはない >>274
最後の行って、
>逆に元天皇、前天皇ではないのに、家長だから院政を取った人物もいる
のことだよな、>>272が言ってる後高倉院が代表格
高倉天皇の子で後鳥羽上皇の弟。天皇としての即位はしてないが、乱後の新しい天皇 後堀河天皇の父親とし上皇宣治を受けて院政をおこなった
あと、正平一統の後に即位した後光厳天皇の時、祖母の広義門院(西園寺寧子、後伏見上皇の女御で光厳天皇及び光明天皇の実母)が院政を行った。
紹介されてる名前のチェックぐらいしとこうよ 北条でも誰でも良いんだけど、
子孫や末裔はいるの?仮に、いたとして、何をしているんだろう
ググってみると『北条 末裔』いるよと書いてあるし 肥(コーエー)のゲーム?
ばかりやっていると・・・と言ってる人がいたよ
何々家は滅亡しましたと出てきて、
子孫も末裔zero??
このように洗脳されるとか 数年前の肥(こえ)関係のスレ
こんな????(忘れた)企業、なんだよ!
と言ってる人がいたり、そういう書き込み 自民党の無役だけど力持ってる長老と
総理総裁みたいな関係性? 東豎子(あずまわらわ)という女官は、「三つ子は天皇を守るという故事」から来ているそうですが、
この故事というのはどこに由来するものでしょうか?
女官が男性名を名乗るというのがとても興味深く感じて気になりました 少なくとも奈良時代には、女官が男性名を名乗って一般の官僚として働いた事例も見つかっているらしいけどね
逆に名前だけでは性別を確定できないらしい。 古代中国では豎は戴冠していない童僕のことで周礼天官に「内豎掌内外之通令,凡小事」とあって
こまごました雑務を扱わせるものとしている。この慣習が日本で襲用されるさいに、どういう経緯か
女性となって、さまざまな呪術的意味合いが付加されたのだろう。「豎子」は孺子(こぞう)という程度の
意味だからね。これに東(あずま)がついているあたりは何かを意味させようとはしてるのだろうけれども
根拠あることについてはちょと分からない。 安斎随筆10には「姫マウチギミ(姫松)」でかるく言及してるんだけどwikipediaに書いてある
範囲をこえないコメント程度、公事根源に東豎子について言及があると示唆してある。 平安時代の途中から幕末くらいまで、例外的なケースを除いて歴代の天皇は
親政をしていませんでした(摂政や関白、大臣、幕府に委任?)
(明治〜戦前も親政ではありませんが、政治への関与は増えたかと思います)
こういった天皇の政治行政への関わり方と、現在の天皇陛下の政治行政への関わり方は
本質的にはほとんど同じようなものなのでしょうか?
象徴行為とか国事行為とか祭祀とかは別にして >>286
>象徴行為とか国事行為とか祭祀とかは別にして
戦後はそういう形でしか関われないと思うけど。 >>281
北条一族内の力関係なので別次元の話と思いますが、強いてあてはめるならば
田中角栄、竹下登両元首相と現役の首相の関係が近いと思います。
私は鎌倉時代が専門ではないので詳しくは知りませんが
得宗と執権の関係をややこしくしているのは得宗の時宗が執権になる前の時期です。
力関係では時宗の方が執権の長時、政村より上だったと思います。
時宗がほぼ成人した政村時代は時宗は連署をつとめて経験を積み
18歳で執権に就任、政村は連署にまわります。いわば大政奉還です。
このあたりは天皇、将軍経験者が実権をにぎる院政や大御所政治とは違う形態になります。
しかも貞時、高時時代には内管領が力を強め、得宗は思い通りにはできません。
(それを得宗専制政治と表現するのは私も納得がいかないのですが)
こんなややこしい話を中学生に理解させるのは困難です。
実態を無視して執権に収斂させるしかないでしょう。 象徴行為 → 戦後GHQの造語
国事行為 → 政治行政への関わりそのもの
祭祀 → 政治行政と無関係
結論:何が言いたいか分からない >>288
>しかも貞時、高時時代には内管領が力を強め、得宗は思い通りにはできません。
>(それを得宗専制政治と表現するのは私も納得がいかないのですが)
得宗の側近であることを権力の源泉としているはずの内管領が実権を握ってる状態を得宗専制と呼ぶ現状が妥当であるなら、
室町時代の足利義政期前半ごろの、側近政治の時代も将軍専制と呼べることになってしまうんだよな、誰も呼ばないけど。 >>290
しかし、鎌倉幕府は北条高時の死によって終焉したわけで
長崎高資の死によって終わったわけではない
そういう意味では得宗専制といえる
江戸時代だって実際に実権を握っているのは側用人でも
大名たちは柳沢吉保のために忠義を尽くすわけではなかったからねえ >>291
>しかし、鎌倉幕府は北条高時の死によって終焉したわけで、長崎高資の死によって終わったわけではない
>そういう意味では得宗専制といえる
同じことは足利義政にも言える。義政時代に権力を持った側近たちは、「将軍家とのつながり」ではなく、義政個人とのつながりによって権力を持ってたんだ。
だから、同じように将軍専制の時代と呼んでもおかしくないはずだ、だが誰も言わない。 >>292
義政の時代も政治のトップは義政だろう
義政の幼少期、もしくは政治に興味を失った後は
側近が実務を執り行ったり富子が跡取りを決めたりすることはあったにしても
義政に政治のやる気がある時には義政の意見が最優先されており
将軍の意見よりも優先するほどの実権を近臣が握っていたわけではない
それをいったら院政期にも後鳥羽や後白河が実権のトップにいても
実務は院近臣たちが行っており必ずしも院がすべての政治を行っていない
ただし後鳥羽や後白河が意見を言った場合にはそれが院近臣の意見に優先している >>287 >>289
わかり難い文章ですいません
現在の天皇は政治行政に直接的に介入できません
また、内閣や議会が正式な手続きで決めた政策に対して
拒否権等もありません
しかし、同時に天皇陛下の決済(御璽)がなければ正式決定になりません
例えば江戸時代の天皇等は江戸幕府が決めた政策に対して
拒否権があったのかどうか?また、最終的に天皇の決済がなければ
正式決定にはならないのか?天皇の決済がなくても正式決定になったのか?
そういう部分をお聞きしたいのです >>294
江戸時代の天皇は幕府によってほとんどの権限を制限されて決裁権も拒否権もないから後水尾天皇の
紫衣事件とか勝手に譲位事件とか起こった。(詳しいことはググれ)
ところが長い平和が続く間に水戸学や国学などの尊皇思想が蔓延した結果幕末には開国に天皇の勅許が
必要という事態になってしまった。鎖国したのは幕府なのに開国するには勅許が必要っておかしな話だが
それが時代の空気ということなのだろう。
現在の憲法では決済が必要とは書いてあるけど拒否したらどうなるとは書いてない。内閣の決定を拒否しない
という暗黙の了解のもとに成り立っている。 >>295
ちなみにペリーの開国要求への勅許を孝明天皇が拒否した結果、大老井伊直弼の裁可で勝手に開国して
その結果井伊直弼は暗殺された。 >>296
ちなみに孝明天皇は開国反対、攘夷攘夷という思想だが何故か幕府への信任が厚く
開国後も幕府に神戸や大阪の開港をやめろと指示するのに攘夷派の長州には耳を貸さなかった。
不思議だね。おかげで長州は御所を襲撃する禁門の変を起こして朝敵に成り下がった。 >>294
逆に尋ねるわ。日米通商条約は正式決定になったのか? ならなかったのか?
君はどう思うんだ? 同様に日米和親条約については?
“正式”の効力はそういうもの。幕府の力に依存する >>295
>内閣の決定を拒否しない
>という暗黙の了解のもとに成り立っている。
自己レスだけど、国民主権という大前提があるから国民が選んだ内閣の決定を天皇が拒否することは
有り得ないということになるんだろうな。 >>295
開国のとき幕府が朝廷に勅許を求めたというのは実はデマで、
幕府が求めたのはただの同意だった
開国時の幕府方針は全大名の同意を得てから開国するというもので、
朝廷のことは大名と同列にしか思ってない
大名の同意を求める一環で朝廷にも同意を求めただけ
それを勘違いして勅許を求めたとして騒いだ勘違い君が事態を悪化させた >>295
そのへんは、憲法では明確な規定がないから一般法の規定で決まるってことではないの
現行法ではどう規定されてるの >>301
規定はない。そういう事態は想定されない。それが日本という国だ。 >>300
>開国時の幕府方針は全大名の同意を得てから開国するというもので
諸大名に意見は求めたけど同意は求めてない。 >>295 >>298にお礼レスと私見を書き込んだらエラー(NGワードが含まれる)になって
書き込めなかったけど、テストだけ書き込んだらOKだった
よう分からん
別に変なワードなんか使ってなかったのに・・・ 国際法の側も歴史的に発展してきてるからね。1600年以前の外交条約なんて
口頭による契約が原則で、証人や証書があれば足りたけれども、ウェストファリア
条約以降の多国間外交時代では、誰が権威を与え、誰が正式な交渉団であり、
誰が批准し、失効条項や留保条項や解釈宣言はどうか、という近代国際法の慣習が
確立してきたことがある。幕末開港期の列強外交団が幕府と朝廷の二元外交を忌避
したのにも理由がある。ペリーが国書を奉拝するにしても幕府に対してでよいのか
どうか、あいまいにされてはペリー自身が米国大統領に対して申し開きが立たない
ことになる。 対面子と実行力は別だからね
支那と交渉しようとした場合,北京でやるか台北でやるかの違い以上に微妙な問題 >>300
もともと鎖国は諸大名や朝廷の同意を得て行われたものではなかったし
江戸幕府は将軍主導のもと譜代しか幕政に参加させてこなかった
ところが当時、将軍徳川家慶は危篤、世継ぎの徳川家定は少々精神薄弱と
幕府で上からガツンと強い態度で命令できる者が不在だった
そのため対応に追われたのが老中阿部正弘
阿倍は老中主席という立場ではあったが諸大名に上からガツンと言える立場にない
結果、従来幕政に意見できる立場ではなかった
旗本、外様大名、朝廷にまで意見を求めた
しかしここで活気づいたのが外様や朝廷
幕政に参加したい者が同盟を組んで意見していこうとなり
朝廷と外様が急接近→討幕 戦前も天皇親政ではなく、内閣や議会が政治を決めていましたが、2.26事件のような
内閣が機能不全に陥るような緊急事態において昭和天皇が政治判断を行うことがありました
今の日本国憲法下、象徴天皇制下において、万が一内閣や国会が機能不全に陥るような
緊急事態において、戦前のように天皇が政治判断を行うことってあり得ますか?
また、国民がそれを望む可能性ってどうなんでしょうね? じぶんで結論書いてるだろ。そういうのは日本近代史板あたりで
延々馬鹿あいてに論じてなさい。ここは質問スレです。 >>303
冒頭では意見を求めるとか言ってるけど、それは会議の体裁のための前置きに過ぎず、幕府の方針は開催以前から内定してたんだよ
それを知らない外野が、幕府は困り果てて対策も立てられないとか吹聴しただけで、実際の方針は既定路線 >>311
三部会を招集したルイ16世と同じで悪手だったんだよ
外野が,幕府は困り果てて対策も立てられないと看破し倒幕
でも安政の大獄は内部崩壊だから ちょっとすっ飛ばし過ぎじゃね?
阿部は、越前、薩摩、肥前などを巻き込んで慶喜の下での幕政改革を志向
↓
阿部が倒れて井伊が登場、家茂を擁立して、阿部の構想を全否定
↓
井伊がやり過ぎて暗殺され、幕府の権威が地に落ちる
って流れじゃなかったっけ? 内部資料では、幕府側で開国方針が決まったのはペリーの出港よりも前、
早期に最初の条約締結相手をアメリカと決めて、それ以外の国は交渉を避けて引き延ばす方針が決定。
ペリー艦隊に対しては早期の到着を待っていたんだがな
ペリー艦隊到着時の港湾警備は、攘夷派が艦隊に攻撃をしかけて交渉を妨げられるのを嫌ったためで、それゆえ海側でなく陸側に警戒を向けて警備したんだよ
刀を向ける方向が逆じゃないか艦隊を向いてないぞって当時の野次馬たちも言い残してるだろ その割には身分ある奉行自ら交渉にあたるわけにはいかないと下っ端に身分詐称させてるのはおかしな話だろう。 >>313
1. ネッケルは3部会を招集してルイの下での財政改革を志向
2. ○○が登場,ネッケルを罷免
3. ○○がやり過ぎて暴動を起こされ,王の権威が地に落ちる
アルトワ伯でもいいけど,変わらないあ 立憲君主制でクーデターが起きたらどうするの?って話って
「23-Fでぐぐれ」ですべて解決しなくね? >>309
国民の一定数は天皇の政治判断を望むのじゃないかね?
内閣とか与党とかのひとまとまりの判断じゃなく、政治家個人の
判断に任せるくらいなら、それより陛下の判断を仰ぎたいって
声は一定数出るだろう >>295
もうご覧になっていないでしょうが
完全に個人的な考えを申し上げます
戦前までの天皇は決定権をもっていたが、摂関・院政・幕府に拘束されて行使できなかった
戦後の天皇は憲法で権限をもたないものと明確に定められた 行使できなかったではなく行使しなかっただよ。戦後の社会契約説で明治憲法を解釈するから
そういうおかしな表現をつかってしまう。戦前は国家有機体説なのだから、主権者たる皇帝が
権利を行使「できない」などということは法の構成上ありえない(現に勅令がある)。そうではなく
皇帝(天皇)は個人として憲法を尊重することで権力を行使「しない」という政治体制だった。
こういう文脈で解説する必要がある。戦後はおっしゃるとおり天皇は政治的に無権限(=無責任)と
明確に記述され社会契約説のもとの象徴天皇と規定されている。 >>320-321
憲法上は大権を持つことになっているが、もろもろの法律の規定で実際の権力行使ができないように制度化されていたぞ >>318以降の話が
全て823-Fでぐぐれで解決する話でワロタ >>325の話が
全て国家転覆罪の死刑で解決する話でワロタ >憲法を形式的に解釈すれば、「国王」はスペイン憲法第62条第h号に規定された「軍隊の統帥権」を行使するためには内閣総理大臣または主任の国務大臣の「副署 (Refrendo)」が必要です 。
>しかし、副署する権限のある全て者が下院議事堂内で身柄を拘束されているため、彼らの副署承認は不可能な状況です。
>国王はこういった非常事態に対して「憲法」を守るために、最善の努力を行いました。
>政府機能が停止した場合における国王の役割は大変に大きいことが分かります。 社会契約で王政をろんじても戦前の天皇は理解できないって言ってるのに。
226みたいに皇室の藩屏を殺害したり反逆したりした時点で、いかに理念が国家皇室を
思う行為であっても臣民ではなく反逆者だとするのが国家有機体説なんだよ。
国民のための国王っていう時点ですでに比較にならない。臣民は皇帝の手であり
皇帝は世界すべてに対置し、なにも見えていない「民」を支配し世界に君臨する、
それが国家有機体説。 は?
別に君主制じゃなくたって国家有機体説はありうるが? 可能性の話しをしているのではなく事実の話しをしている。
戦前の日本は国家有機体説で運用されており、天皇が臣民の
手となり臣民に仕えるなどという思想は無かった。 今だ!333ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
戦前の日本は国民向けの顕教とエリート官僚たちの密教の二本立て
顕教は国体信仰、これに反する者は取り締まりの対象。
密教は天皇機関説であって、官僚養成機関である東大の教義。
どっちにしろ国家有機体説ではない。
国家有機体説はむしろ民間の右翼思想家が支持していたが
国家からは弾圧される対象 後白河天皇 死刑復活
後醍醐天皇 南北朝の争乱
孝明天皇 毒殺
と臣民を酷使すれば天皇陛下と雖も天罰が下る。だからそんなことは興り得ない
ですよね? >>324
天皇陛下がどうする、じゃなく、国民の
一定数がそれを望むんじゃないの?って話 >>332
しかし律令でも大日本帝国憲法でも天皇の権限は無制限ではないからなあ
例えば戦前に運用されていた大日本帝国憲法においては議会の開催が明記されていた
天皇は日本の元首であったが議会の決議を無視する言動は事実上できないようになっていた >>335
望まないと思うよ
世襲制だと竹田君みたいな変なのが出てくるよ 間違った
民主制だと安倍君みたいな変なのが出てくるよ >>338
安部が嫌いなら選挙で落とせよw
天皇も皇族も選挙で落とせない >>338
間違ったってお前337と別人だろう
俺がニートなのは安倍のせいだと平成30年スレで毎日ぼやいているニート >>335
過半数ではなく一定数でとどまっているなら、
現行システム上、天皇側もどうしようもないだろ
国民の過半数の合意を得ていることが国民投票なりで示されてなければ
天皇側が何らかの政治的意思表示をしたら憲法違反となり、
状況が落ち着いたら天皇側廃止につながりかねない 室町時代〜戦国期の天皇と江戸時代(幕末除く)の天皇は相対的に見て、
どちらの方が権威、存在感、経済力があったんでしょうか?
経済力に関しては、戦国期が皇室の歴史上もっと貧困窮乏状態だったと聞きますが
(お金がなくてお葬式が出せないとか、測位式が出来ないとか) >>343
このスレで少し前にあげた江戸時代初期の後水尾天皇は紫衣事件で幕府に怒られた腹いせに勝手に
譲位したのちも4代にわたる天皇の後見として院政を行った。同時に修学院離宮という別荘も作った。
つまり幕府に権力を制限されつつも幕府と闘争したし、それなりに金もあったわけだ。 江戸期の皇室御領は山科国周辺で4.7万石程度だっけ。公家領は3万石。 どのスレだったかな
徳川の話ばかりだからw
と言ってる人がいたんだけど、
その後、嫉妬団のようなものが現れ、倒幕?
本当に詳しい人は、いないのかな 本当に詳しい人がいたとしても、面白い質問じゃなきゃ
まともに相手してくれないよ。大学のゼミじゃないんだから。 >>344-345
サンクス
「権威」「存在感」という部分ではいかがでしょ?
室町〜戦国期と江戸(幕末除く)の比較で そういう具体化しようのない概念は小説家の領域じゃないのか 後北条市が台頭する前の関東って、なんで戦乱が続いてたんですか?
山内、扇谷の両上杉に古河公方が領地を獲ったり獲られたりと
不毛な争いを続けていたとしか思えない。
決定打が出ないのならやめとけって思うんですが。 >>350
旧鎌倉幕府が置かれていた関東への警戒から
足利尊氏が息子を下したことが戦乱の元かもね
関東はもともと都に対して独立意識が高い地域だったことが挙げられる
初代鎌倉公方・足利基氏は2代将軍足利義詮の同母弟
鎌倉公方は血筋の良さから将軍への野心が強く将軍継嗣問題に首を突っ込み度々反発
都の将軍と不和となり将軍が新たな鎌倉公方として堀越公方を関東に下すと
旧鎌倉公方は古河へ移り古河公方として対立
鎌倉公方の補佐役・関東管領上杉氏は山内、扇谷に分かれてそれぞれ堀越公方と古河公方について対立
幕府創設期より鎌倉公方の存在が足利家を二分していたことに加え
堀越公方を下した時点で世は応仁の乱で
将軍家に古河公方を討つ力がなかったことが問題 >>344
>それなりに金もあったわけだ。
後水尾上皇が修学院離宮を建てた金は
後水尾上皇中宮・東福門院(徳川和子)が
兄の3代将軍徳川家光に頼んで用立てた
禁裏御料で別荘建てる金まであったわけじゃないよ >>352
えー、そうなの。それはそれで幕府に抵抗しながらも貰うものは貰う強かさではあるが。 >>351
途中省略が多くない?
将軍位をうかがったり叛乱の疑いが出たりしたことで一旦は鎌倉公方は滅亡してる(6代将軍義教の時期)
んで、その後も戦乱続きだったことから、8代将軍時代に入って、鎌倉公方家再興を許して関東の安定化を求めたが、
その新しい鎌倉公方も将軍と対立したことから、将軍の弟を新しく鎌倉公方に据えようとして討伐軍を派遣したが埒があかず、
将軍が鎌倉公方家から手を引いたことで旧鎌倉公方(鎌倉からは逐われたので古河公方)が生き長らえた
将軍の弟は関東に入ることができないまま伊豆堀越で滞在し、少なくなった支持者の元、堀越公方となった
あと、堀越公方が関東に赴いてから応仁の乱が勃発するまで十年近い時間が経ってたのではなかったか、その間もずっと関東は戦乱。
一部の説では、古河公方討伐軍の動員を廻るゴタゴタが応仁の乱の原因のひとつだとさえ言われるぐらいの時間差があるよ
守護家家督継承問題のひとつである斯波家の義廉が斯波家に養子入りした理由は鎌倉公方討伐問題以外に考えられないしな
(義廉の実父が堀越公方の執事(副官)である渋川義鏡だが、義廉が斯波家を接収する間もないうちに翌年には早くも義鏡失脚なので、実際には連携することはできなかった) 享徳の乱はややこしいよね
初心者は手を出しづらい
でも戦国時代につながる決定的な出来事だからな 京都市の歴史を調べてたら、幕末期に朝廷が市民から借金していたという証書付きの解説があったんですが
その金を集めてたのは幕府の代官所なんですが>>345の皇室領の管理者ってのは結局幕府なんですよね?
それなら、皇室領と言っても結局は名ばかりで、幕府がなかったら税金すら集められなかったんですかね? 旗本領の実際の統治は代官が勤めてて旗本は統治してないってのと、システム的には同じだな >>355
上杉家は何故主君に対して叛逆的だったのですか?
尊氏の生母の実家というだけで高師直を殺害し,主君に叛乱を起こし
最後は他家に名跡を上げてしまう。凄い家筋ではないか >>358
全く機能してないから伝習隊とか新規の兵を集めることになった。
幕府や会津が集めたわけではないが新選組もそうだろう。
鉄砲を撃つのは鉄砲足軽の仕事だとして旗本は鉄砲隊としての調練を拒否した。
侍が足軽の真似はできないというわけだ。時代が変わったのについていけなかった。
平和ボケしたのもあるけど。 >>356
皇室御領、公家領は京都所司代(のち細分化され財務については京都郡代のち代官が支配
宮廷向きの財務はすべて幕府の支配で行われた、で間違いないです。公家にも家臣がおり
そのなかには警護の者もふくまれていましたが、外様大名でいう下士(御家人)の部類ですね。 >>359
>尊氏の生母の実家というだけで高師直を殺害し,主君に叛乱を起こし
幕府内で早期のうちから派閥争いが勃発していた。師直派vs直義派という形で派閥が形成されちゃって、直義派の幹部の一人である上杉は直義派として行動した
師直殺害に関しては、師直に殺された関係者の仇討ち的な側面が強いと思う
関東での騒乱については、当初主君を諫める立場で動いていたが鎌倉公方に逆恨みで追放されたり領地とられたりなんやかんやあって怨みがつのったのではないかと
特殊な行動ではなく、よくあるありふれた話です 大河ドラマ徳川慶喜で、徳川慶喜が大政奉還の前に
「諸々の問題の根源は、貧乏公家どもの不満を朝廷に突き上げた結果起きたことだから
山城一国を朝廷に与えれば、貧乏公家どもが文句を言わなくなって政を正常に行える。」
と言ってるのですが、そんなことで解決するような問題だったんですか? 秋篠宮が天皇になった場合、皇太子になってない天皇は歴史上ないとか言ってる方がいるんですが
本当ですか? 遡っていけば明治天皇や光格天皇が立太子を経ずに践祚してる
さらに古代をみれば立太子なんて制度ができたのは律令期だ
日本書紀の後付けを認めても推古天皇や持統天皇は皇太子にはなってないな >>367
後水尾天皇から譲位された明正天皇も女帝で本来は天皇になる筈ではなかったので皇太子になっていない。
内親王宣下と譲位を受けたのが7歳。天皇になったおかげで結婚も許されない悲しい人生だった。 >>363
大政奉還と一所で
親がお金を管理するのは怪しからんと子供が騒ぐのでまとまったお金を渡して黙らせようとした
苦情が朝廷へいくことを願った。南朝鮮と同じで解決はしないが,金を払ったと言い逃れする 正長の土一揆は庶民が初めて抵抗権を行使した画期的な事象ですが、それ以前の庶民はなぜ行動を起こせなかったのでしょうか。 ここ何年か、ヘイトスピーチに象徴される「排他的」な世相とされています
規模の大小は違いますが、幕末の空気感っていうのはこういう感じだったんでしょうか >>368
立太子すると東宮職が置かれて役人が決められ経費が掛かる
そのため江戸時代は立太子を行わないのが普通だったんだよ
未来の天皇は「儲君」などと呼ばれることはあっても皇太子は置かない
東宮職の経費削減のためだ
同様の理由で江戸時代は立后もほとんど行われていない
中宮になると中宮職を置いて役人を置かないといけないので
摂家出身の天皇の正妃であっても女御止まり 江戸末期の日本が、開国と幕藩体制維持を両立できなかったのはなぜでしょうか?
当時海外を知る行政官は幕府が最も多数を有していたので、むしろ幕藩体制を維持した方が開国はスムーズだったようにも思えるのですが。 「大河ドラマは歴史考証がひどい」とかいう人に「太平記もひどかったよね」と煽ったら怒るか無口になるんですが
そんなに太平記って別格なんですか? >>378
一般に、「Aが悪い」という命題に対して「でもBも悪いですよね」ということで何かを示せた気になっている人物に対しては
そのバカさ加減に怒るか、呆れてものも言えなくなるかのどちらか >>378
後醍醐という我儘放題な諸悪の根源を
悪く描けない事情があった >>379
いや、太平記を別格扱いにする人をあえて馬鹿にしただけだから、その反応がすごく面白くてここに書いたんですがwww 日本史板的には悪評紛々だけど平清盛は優美でよかったけどなあ ここで「それ、ドラマの話ですよ」っていう人いるけど
太平記や花の乱に関しては学者とかが太平記に触れたりしたりと、思い出補正を超えた何かがあるから恐ろしい
「装束が〜」「考証が〜」とか、「太平記を見て時代考証の仕事につきました!」ってどや顔で語るFさんとか >>382
倉山満か…
「太平記」が悪い点は
・北畠顕家を後藤久美子が演じた
・義詮無能にして上皇置き去りを捩じ込んだ
セリフとして面白いのもあったね。
尊氏「私にも覚悟があります」
貞氏「何の覚悟だ? 家出する覚悟か。花夜叉と駆け落ちする覚悟か。」 ドラマはドラマだよ。考証の指摘ならまだしも
解釈や作品評論なんか学問板でやられては困る >>378-380
大河ドラマの太平記?
あくまでも大河ドラマの一つであって、対置するようなものじゃないよね 金閣寺の三階部分の飛び出た物、多分とゆだと思うけど、あれも当時からあったものですか? 金閣寺は国士によって燃やされました。なので389が正しい 方言らしい
樋 -とい?とゆ?とよ?-
ttps://togetter.com/li/214265 寺にすると、寺にした家族は功徳を積めるし、何より故人の菩提を弔ってくれる場所ができる >>394
お寺を立てることは功徳を積むことになる。お釈迦様の時代にも祇園精舎とか竹林精舎とか
信者が寄進した逸話が色々あったとされている。精舎というのは出家修行者が住して修行する場
つまりお寺です。在家の信者は出家者のような修行はできないけど精舎や食べ物などの必要品を
寄進したり印刷術がない時代にお経を増やすために写経したりすることで功徳を積むことができます。
邸宅を寄進してお寺にするのはその一環です。 >>385
尊氏の愛人は藤夜叉だろ
花夜叉は旅芸人一座の座長 >>390
今でも金閣寺は通称
正式名称は鹿苑寺
舎利殿の別名が金閣で
このように呼ばれるようになったのは江戸時代から 寺院は荘園・封建社会で課税の対象にならず自治自衛が一定範囲で認められてたからだろう。
西欧でも封建領主が嗣子でない子どもを教会に寄託するさいに財産を教会に寄進する慣習が
あり、これがのちの信託制度のはしりになった経緯がある。金閣銀閣のような庭園なら維持ふ
くめて多大な費用が発生するのは自明だから、将軍家の相続財産とするよりは寺社として
独立採算にまとめ経営させたほうが良いと判断したのだろう。 ↑
真性さん?
だれが足利将軍家に課税する設定なのかな たしかにwそりゃそうだww
自分で書いてて気が付かなかったわw いずれにせよ歳費削減は寄進という体裁をとるうえで重要だったとは思われる。 院政期の皇室領荘園はけっこう寺院名義になっていますし
課税はともかく
世俗サイドからの攻撃や圧力をかわしやすいという側面はあったと思います。
五山が特にそうですが、寄進者や外護者は住職人事に介入できることが多いですから
実質的な支配権はにぎっています。
ますますずれますが正倉院の宝物が長らく護持されたのも寺院管理だったことが大きいですし。 >>407 サラリーマンの家庭みたいなの想定して話ししてんじゃねーよな? 「あんたのお父さんが道楽で始めた別荘の維持補修に、
なんでうちの実家の財産つかわなきゃなんないのよ!」
ああ、リーマンの家庭でもふつうにトラブル成りえたわ(´・ω・`) >>408
荘園の領有権は本家領家下司(など)と階層に別れてますでしょ
最上位の領主たる本家が皇室で中位の領主である領家が寺社なだけでしょ >>415
東寺なんかは皇室が衰退した後も
その時々の政権から寺領を保証されたし
本家が皇室とも決まっていない >>416
いや、すべての荘園の本家って意味じゃなくて皇室領荘園の本家は皇室じゃないの? シャーロックホームズについて調べてたら
「当時の日本人が知らなかった正倉院の存在について、なんでイギリス人のコナンドイルが知ってるんだよ」って記述があるんですが
本当に日本人は正倉院を知らなかったんですか? 1922年に英国皇太子(のちエドワード8世)が特別に拝観したという
記録があるから、そのさいイギリスにも知れたのだろう。 正倉院は明治8年(1875)に政府の所管になったあと、
13年まで毎年開かれていた奈良博覧会に宝物が出陳されていたし、
知識層にはかなり早くからその重要性は知られていたよ 知識層っていうか、大百科事典に載ってるか載ってないかだと思う >>422
微妙に気になったんだが、内大臣管轄下や宮内省は政府じゃないのでは?
内閣総理大臣の管轄が及ばないのは政府と言えるのか 連投して申し訳ないけど、戦前の史料見てると総理大臣が指す政府には宮内省は入ってないわけだから
正倉院が政府所管というのは間違いだと思う
異論あるなら、知識を増強したいのでお願いします >>424-425
「内閣総理大臣の管轄が及ばないのは政府ではない」とすると
現行憲法下における会計検査院も政府に入らないことになるよ 会計検査院は戦前も戦後も政府ではないだろう
では、帝國陸海軍は政府軍なのか?という馬鹿げた話に 総理大臣が指す政府(行政府・中央政府)
と
政府
は違う。当たり前だろう。 正倉院を最初に所管したのは内務省
ついで農商務省
政府の所管で間違いないぞ >>428
叛乱軍の対語としては政府軍は成り立つ
ただ日本において(民衆の支持を得た)叛乱は歴史上存在しなかったので
使われない 内閣総理大臣が管轄しないと政府でないなら
王政復古から内閣制度成立までの三職制や太政官制の時期には
日本には政府が存在しなかったことになるな 視点は面白いね。内閣総理大臣を政治的に権威づけるものは『帝国憲法は
総理大臣に対して発布された』という、ほぼその1点につきるものね。しかも
総理ふくめ諸大臣は(義解によれば)天皇の輔弼であり決して代理人でも
代行人でもないことになってる。そういう意味では政府は天皇を頂点として
天皇に指名された廷臣たちの差配する「朝廷」とでもよぶべき総体をさす
ことになるのだろう。 政府ってのは近代国家の統治機構のことで
広義には立法、行政、司法すべての機構の総体を指す
(地方自治体も含まれる)
狭義には中央の行政府のみを指す
広義でとらえるか狭義でとらえるかが原因だろ
ただ>>424-425は、>>422がレスで触れてる年代における、
正倉院の所属先くらいは調べておくべきだったな >内閣総理大臣が管轄しないと政府でないなら
>王政復古から内閣制度成立までの三職制や太政官制の時期には
>日本には政府が存在しなかったことになるな
2年前ぐらいにこのスレで質問したのですが
太政官制から内閣官制に移行した理由というのは
藤原による身分から薩長の門閥への移行ってことでよろしいですか> 王政復古直後の三職制段階やその後の太政官制のメンバー調べてみろよ 太政官制は実質的には江戸時代の老中システムでこれに和洋折衷の
元老院が付属していた。ところが元老院は自由民権運動にみられる
反政府運動の牙城に利用されがちで、けっきょくそれよりも権威が低く
なおかつ議員数が圧倒的に多い帝国議会置き換えられた、一方で
太政官制はイギリス・ドイツの内閣制(のようなもの)に置き換えることで
形式的には近代的な政体に改変された、という関係
ただ各大臣の職掌や権限、総理大臣の権限のなさなど、実質的には
明治憲法下の内閣は老中システムや太政官制と同じような構造を
もってたと言えるんじゃないかという気はする。 京極高氏は何故南朝に裏切り足利高氏・義詮追討の綸旨を貰ったのですか? 王政復古関連なのですが
内閣官制導入の目的の一つに、明治維新以前の門閥を排除するということはあったのですか?
太政官制で内大臣は公卿の三条実美でしたし
まあ、その門閥も薩長土肥になったわけですが 学制が出されたのが明治5年で、小学校から大学までという
学歴システムが完成したのが明治19年以降だからな。明法寮や
東大なんかも推薦されて試験うけるような状態だったわけで
官吏なども下級は一般公募にせよ上級管理で採用試験がはじま
ったのが明治21年なので実質的には推薦と任命という形式に
ならざるをえなかったろう。なにしろ制度自体がなかったのだから。 本当に真剣に伺いたいのですが
歴史モノの映画や漫画を読んだ時の
悲しい気持ちはどうやって乗り越えてるんですか?
最近、歴史モノをよく見るようになったのですが
割りと感情移入してしまって困ってます
解説番組とかは平気なんですけど……
皆さんはすでにいつどのようにおなくなりになっているのかは
すでに分かっている事が多いからそんな事に悩んだりはしなかったらすいません
特に悲しい所
この人物についてはその後の記録は一切ないというナレーションで終わるとき
漫画の途中で気になった人物をうっかり検索してしまって
どうやら次の話で非業の死をとげる事が分かってしまった場合
すでにおなくなりになっている事(主に非業の死の場合)自体が悲しい
割りと感動したわりに実は後世の創作だったあるいはドラマ上の脚色だった事が分かった場合 一番下については、ドラマは全部が創作だから。
映画もマンガも、歴史上の人物の設定を借りてるだけで、ほぼ全部が創作で史実じゃないと思いながら読むことだよ 文学板ではないだろう
非業の死を知ることは歴史から避けて通れない。哲学や宗教で逃れることも悪手
いわば先人たちの死の積み重ね 歴史をあまり知らないままに
歴史系のマンガやドラマみて、気になるというか
人物にはまって検索して非業の死をとげるってなってへこむとか
コレ歴史好きの人は本当にどうしているの……??
>>447
作者さんも見てきた訳じゃないし
どの説をとるかとか
ドラマの都合とか主観もありますよね >>450
悲しかったら泣けば良い。俺も小4の頃に曽我兄弟の敵討ちの読み物で泣いた。
だが過去の人物の非業の死にヘコむというのは理解できない。
どんな死に方にしても既に死んでる人の話だよ。 ラスプーチンの死に方ってあんまり
彼が登場するだけで末路を想って悲しくなる それを言うならカスパー・ハウザーの生涯は一体何のために生まれてきたのかと悲しくなる。 どこのスレにも無理くり世界史ネタに持ち込まれる方がいらっしゃるのですなあ >>452
我慢せず泣いてみます
色々検索してみたんですが
なんとかロスとか「突然、推しが死んだ」とかそういう感覚かもしれないです
漫画やアニメキャラは普通そんなに死なないので慣れないのかも
なかなかもう死んでる人と割り切れないのかも??? >>457
身近な人やペット、あるいは同じ時代を生きてる有名人などが死んだらもう会えないからヘコむのはわかる。
しかし歴史上の人物は初めから既に死んでる人なので理解できません。漫画やアニメも何度でも見直せば
何度でも会えます。今はビデオもDVDもあるし。ガンダムで有名な富野監督のアニメで育った俺らの世代は
ザンボット3のヒロイン アキの死に涙し、ガンダムのスレッガー中尉の死に涙し、イデオンなんて敵も味方も
全滅だし、いちいちヘコんでいられません。
現実の世界は漫画やアニメ以上に不条理で理不尽なことだらけです。幸せの絶頂から不幸のどん底に落とされる。
苦労してやっと幸せになったのに死んでしまう。幸せを知ることもなく死んでしまう。そんなことだらけです。
そういう現実と直面する前に疑似体験する機会を与えてくれるのが漫画やアニメなどの創作物です。
だから悲しかったら泣けば良いし、ヘコむのも構いません。何度でもヘコんで厳しい現実と向き合う耐性をつけてください。 >>458
>ザンボット3のヒロイン アキの死に涙し
いかん。ハイライトは三人で操縦してるロボットから主人公勝平のパートだけ切り離して
残りの二人が特攻するところだった。 >>446
>この人物についてはその後の記録は一切ないというナレーションで終わるとき
これについては「便りが無いのは良い知らせ」ということわざがあります。
悪い知らせが無ければ良い方に考えようということです。
普通の人の普通の人生は記録に残りません。
普通の人生を生きたんだろうと思えば悲しくありません。 Zガンダムみたいに、主要キャラを最終回で一気に殺せばいいんだよ >>458
同じ時代を生きてる有名人が死んだというのに近いのかも・・・
信長みたいにすでに小さいころにどんな死に方したのか分かってる場合はそんなにへこまないので
馴れかもしれないです
何度も会えるというのはすこし元気出ました。
歴史ものならいろんな人の解釈でドラマ、映画、漫画、小説で会えそうですね。
場合によってはお城もお墓もあったりしますし。
厳しい現実と向き合う耐性・・・ありがとうございます
いっぱい知ってへこんで泣きまくって立ち直れるようにします >>460
「便りが無いのは良い知らせ」ありがとうございます
どうもやはり
好きなアイドルが突然引退してしまって
今後のコンテンツ更新が一切ないという感じだと思ってました
劇的な事はないが普通の人生を穏やかに送ったのであろうと思うことにします 日本史に興味ないのに、なんでスレに書き込むんだろう >>461
キャスバルが実は生きていて悪巧みなジェノサイダーになったことを知ったときは
言い知れぬ虚無感を覚えました。
P.S.ネタバレして済みません >>468
でもそれは次回作を作れたから「シャアは生きていた」であって
次回作がなかったら「シャアは死んでた」ってことでしょうが
ZZ一話はノーカンで いや、TV版Ζ最終回のラストには漂流する百式が映し出される
本編中ではハマーンを倒すために戦艦を誘爆させ、百式はそれに巻き込まれていたはずなのに、だ
そしてよく見ると、ラストの百式のコックピットハッチ開いているんだ 吉田東洋って後世の評価どうなの?
開明的な思想を持って意欲的に藩政改革に取り組んでいたし、配下のおこぜ組からは板垣退助などを輩出している
そのわりには東洋を殺した武市半平太のほうが現在の人気は高いような雰囲気。。。武市のほうが頭悪そうなのに 開国のとき、教科書的には「幕府は欧米列強の武力に屈して屈辱的な不平等条約を結ばされた」という理解が一般的ですが、
欧米型の法体系に日本人が不馴れだったあの時代だと、あれ以外の内容は不可能ですよね
自主的な関税制定は無理だし、領事裁判以外の裁定が可能な状態になっていない
もし領事裁判がない状態で生麦事件を解決しようとしてたら、長州征伐なみの内戦になるか、もしくは植民地化されてるかどちらかだと思うのですが、
専門家の間での評価はどうなってるのでしょう? >>471
武市は色男だから・・・の一言に尽きる。(歴女がほっとかない) >>473
でもさ、(中国史の分野だが)三国志で色男ではなかった孔明や玄徳、雲長(関羽)が人気で色男だった周瑜や呂布はさほどの人気がないよ 周瑜は女に、呂布は男に人気あるやろう(´・ω・`) 三國志は所属する陣営で好感度に高低のハンデがついてるんだろ
土佐の場合は龍馬とつるんでたかどうかで好感度のハンデが決まるんじゃないか 史実で美形だった(残ってる写真が、すごくハンサム)土方より、
創作の中だけ美形で史実では並み以下の顔だったらしい沖田のほうが新撰組キャラとしては人気があるし、
顔の良し悪しも創作の影響で入れ替わってるよなあ そうかぁ?秋に行われる会津藩公行列に毎年あちらこちらから土方役の男女が数名参加するけど
沖田は見たことないぞ。今や土方の方が人気が高い。やっぱり写真が残ってるのが大きい。 >>478
書き足りなかった。今でもやっぱり創作の影響が大きいんだけど近年は沖田はあまり人気がなくて
土方や斉藤一が人気だ。 土方は分かるが斉藤一はなんでや?
斉藤一の写真も残ってるが全くイケメンだと思えん むしろ創作(るろうに剣心)の影響で斉藤人気があるという話
斉藤言ってる婦女子?は永倉すら知らんと思う 土方『燃えよ剣』も坂本『竜馬がゆく』も創作の影響だよ そう。俺は「るろ剣」読んでないんだけど映画「壬生義士伝」で佐藤浩市が演じる斉藤一はやっぱりかっこいい。
大河ドラマ「八重の桜」では古谷一行の息子が演じてたけどやっぱりかっこいい。出番はあまり多くないけど。 >>481
るろうに剣心の影響なら原田左之助とか武田観柳斎は人気にならんの? >>478
会津藩公行列は普通に会津と関係ある人物を出すからだろ
実際に戊辰戦争で会津へ来た土方歳三と斎藤一が行列に出る
そもそもあの行列には局長だった近藤勇も芹沢鴨も出ない
美形の隊士だけを選りすぐって出すわけではなく
あくまでも会津来訪者のみの登場 誘導されて来ました
現在では伊勢神宮っていうと内宮がメインで外宮がサブ(失礼)って感じだけど、
お伊勢参りが大流行してた江戸時代は逆に外宮がメインで内宮がサブ(失礼)って
感じだったらしいです
これが現在のように内宮がメインっぽくなったのはいつ頃からで、その理由は
なんなのでしょうか?
明治維新によって天皇の存在がクローズアップされ、それに連動して皇室の
祖霊神の天照大神を祀る内宮の存在がクローズアップされたってことなんで
しょうか?これは自分の推測ですけどね
どなたか詳しい方、解説よろしくお願いします それ伊勢神道の立場だろ。実際には内宮と外宮の経済的や勢力的な対立があったのだろう。
宿場町としては山田(外宮)のほうがはるかに発展してたからね。それと信仰は別の話し。
御師の数は外宮は1724年に615家、内宮は1711年で141人だったので
それだけ外宮のほうが経済的に活発だったと分かる。 >>488
サンクスです
経済的には外宮が上、信仰的には内宮が上ってことですか? 神官の度会家行によって、外宮の神様の
方が内宮の神様より格上ってことに
されたって話も聞きますけれど じっさいどちらの神格のほうが上だの下だの人間が決められることじゃないんだから
連呼して勢力もったほうが上になったり下になったりするだけの話しでしょう。浄土宗と
浄土真宗も真宗のほうが信者が各段に多いけれどもどっちが本でどっちが末だなど
考えたりしないわけで。御師が明治4年に宗教的地位を否定されてのちは明治政府
により内宮も外宮も神宮司庁として一体のものとして財政的に管理されたから、
以降は明治政府の考え通りに自然となったとおもわれる。度会氏は世襲が否定され
以降の旧度会氏の末裔がどうなってるかは調査しきれなかったが神職関連には
多いのではないか。 >>489
鎌倉時代ごろに外宮が勢力伸ばしてから明治維新になるまでの期間、通して外宮が優越していた
おそらく、神道界に信仰らしさ、体裁をもたらした神道五部書の成立に際して自分たち外宮の権威高揚を図った効果
経済的にも信仰でも外宮優越だった >>490
それだって度会神道ではそう主張してるというだけでそれに内宮が従う義理はない。
キリスト教が新しい契約を主張してもユダヤ教は認めない。
>>486
>実際に戊辰戦争で会津へ来た土方歳三と斎藤一が行列に出る
いや行列に参加する土方は会津でキャストしてるわけではなくて日野市とか各地で土方をやってる人が
ゲストとして参加してるんだよ。おもてなし武将隊みたいに各地で地元を盛り上げるために土方役に選ばれた人なわけだ。
斉藤一は若松にお墓があるんだから会津でキャストしてもいいと思うんだけど、そういう盛り上がりは全然ないみたい。 内宮は従ってなかったけど世間の人々が外宮側の説を信じたから外宮側の優越につながったんだろ
あと、江戸時代には第三極として伊雑宮を最上位におく新説が登場して、武力抗争に発展した
すぐ鎮圧されて、その説自体が禁圧されたがな >>494
>伊雑宮を最上位におく新説が登場
偽書を作成したのかとんでもないなぁ。みんなお金儲けのために必死だ。
東日流外三郡誌は俺も信じてたけど、嘘のような真実はやっぱり嘘だった。 >>493
だから何も会津藩公行列はすべて会津でキャストを選んでいると書いてないじゃん
綾瀬はるかが4年連続で来てるし
新選組が放送されたときには土方役の山本耕史は来たが
近藤勇役の香取は来ていない >>495
まあ、外宮を際重要視する説だって、時代が古いだけで偽書にはちがいないけどな
作られたのが鎌倉時代なので、他の偽書よりは格段に古い
そして、神道界に教義も思想もなかった時代に最初に試行されたものだけあって、仏教と神道の関係そのものをも変えた影響力もあったしな 普通に考えれば内宮が上なのに
それをひっくり返そうとする度会など外宮のパワーには感動すらしますなあ
古事記改竄までしたようですし 記紀には天皇が宮中で祭祀していた天照大神を
斎宮と呼ばれる自身の皇女に祭祀をゆだねて諸国点々とした後
伊勢の内宮に収まった話は載せているが
外宮がどうやって成立したかは一切記載がないんだよね
渡会が外宮の神は天照大神より前の時代の神で内宮より上だとしたのは
後世そういうことにしただけで >普通に考えれば内宮が上
神話の世界はこれが難しいからすっきりしないんだよ。古事記だとアマテラスは
イザナギから直接、トヨウケはイザナミから直接生まれてるわけで。あるいは別伝で
別の神話体系をそもそも主張することだって神話という物語世界ではありえない
わけでもなし。ゼウスとアテナなら神格は判断できたとしてもゼウスとヘスティアの
神格を問われれば難しくなるようなものだ。 すくなくとも神道世界じゃ出雲であろうが稲荷であろうが充分に敬意を払われて
神格が論じられてるんだから、正しく扱うなら、そのあたりは上だの下だの安易に
論ずることじたいが不敬だという気持ちで扱うべきなのだと思うぞ(´・ω・`) 神々の系譜関係でさえ、複数の異説異論がある例が多いしな >>501
トヨウケはイザナミから直接生まれていないし
神話の記述がそのまま後世の崇敬につながるわけでもない いろいろなレス、ありがとうございます
それで、外宮から内宮にメインの座が変わったのはいつ頃で、
どういう理由からなんでしょうか?
参拝者数が逆転した時期とか 今更だが沖田人気今あんまりないっての驚いたな
修羅の刻の沖田ではまったわ 月にお寺を作って
仏像を安置したら
国宝になりますか?
(´・ω・`) >>506
現在の伊勢神宮は外宮と内宮は2つとも対等な正宮でどちらが上とも言ってないよw
なぜ今は内宮がメインで上だと思ってるのか知らんが
江戸時代のお陰参りも全国の百姓に布教活動を行ったのは主に外宮の律師だが
外宮を詣でた後には内宮を参拝するのが作法とされていたし
伊勢神宮斎主は明治時代に渡会氏の世襲が否定され
北白川房子氏(明治天皇皇女)以降は代々天皇の娘が任じられて
年に数回の伊勢神宮での祭祀を主宰しているが外宮、内宮、両方で神事を行う
ちなみに外宮と内宮の最新参拝者数は伊勢市が発表している
http://www.city.ise.mie.jp/12340.htm
外宮と内宮では2:3の割合で内宮が多い
ただし統計を取り始めたのが最近なのでいつからかは不明 >>511
サンクスです
>>現在の伊勢神宮は外宮と内宮は2つとも対等な正宮でどちらが上とも言ってないよw
それはその通りでしょうけれど、事実上、存在感や報道等の扱われ方で歴然な差があると思います
いずれにしてもありがとうございました 政治家+文化人としての総合力で測ると、
足利義政と井伊直弼どちらの評価が高いでしょうか? >>509
人気ないっては俺個人の感想だから違うかもしれんけど大きく取り上げられるのをあまり見かけないように思う。 長慶は人間性も興味深いところがあるよな
平清盛ともども、もっと評価されてよい人物 橋本左内がもし生きてたら明治はどうなっていただろう
薩長閥が牛耳ることにはならなかったかな 斉藤道三や伊達政宗みらいな小物ですら大河で取り上げられたのにな 取り上げてもらいたいんなら先ず小説書けよ
脚本の元ネタになるようなものでも良いんだし >>521
斎藤道三はともかく、伊達政宗が小物ってのは違和感あるな
規模的に見て、武田信玄や上杉謙信とさほど大差ないだろ、
ほんの少しだけ小粒なだけで
それより、信玄や謙信あたりになると、本人じゃなく家臣を主役にした大河まで出てきて吹く
山本勘助や直江兼続よりは正宗の方が大粒じゃないか? >>523
むしろ斎藤道三こそ大物だろ
戦国時代といえども
一代(二代という説もあるが)であそこまでの領土を得た武将ってそう多くないぞ 地方の領主風情で全員小者ですよ。
上杉謙信なんかメジャーどころが小説に書かないから今でも草葉の陰に埋もれているわ 地方の領主……
まあ、毛利元就も島津も長曽我部も浅井朝倉も、加藤清正も石田三成も、みんな小物ばかりではあるが
そんなのでも何人かは大河で主役を張った
島津主役の大河ってあったっけ?
一応は島津関係ではあるものの、篤姫も西郷隆盛も少し違う 飛鳥時代から昭和の終戦時までは「日本国の統治者」ってどの時代においても
天皇になるのですか?南北朝時代も戦国時代も
また、近代史になるけれど、終戦後の統治者はどうなるのでしょうか? それは非常に難しい問題
だから、一般的な「統治」でOK 暗号化されたお経って
なんで無いんですか?
(´・ω・`) 幕末維新は日本史上最も逸材が出た時代だけど殺されすぎたよね
結局残ったのは伊東博文、山県有朋のような卑怯な感じの連中 新幹線斧事件でもそうだけど
できてる人物はだいたい正義感も人一倍強いから巻き込まれやすいし
真っ先に逃げたりもしない傾向があるんだろうね >>532
そもそも暗号化する必要がない
まあ、日本人にとっては漢文そのものが暗号みたいとも言えるけども。
どうしても秘匿したい場合は、文字に記さない口伝を採用するから暗号は明らかに不要
口伝の代表とも言えるのが「真言」だね
文字で表現できない、文章で記しえない真理だそうだよ、それを口伝てに伝えるんだ 近代の意味での暗号はナポレオンの時代以降に(事実上)できたようなもんだからね。
カエサルのは棒に紙まきつけて読ませるようなタイプだったらしいけど、そんなの気が
利いた人間ならすぐ読めるわけで。一方で意味不明の怪文詩とでもいうものは黙示録や
ノストラダムスで有名で、ゲマトリアだの数秘術だの神秘主義があるけど、密教の神秘主義は
釈迦が教義論争をしないよう指導してることもあって、表現や思想の複雑化よりは個々の
実践を重視する傾向があるね。無論密教に関する文書はいくらでもあり素人には難解だ
けれども、あくまで実践のための指導書という位置づけ。 >>533
立場が人を作るという言葉もあるように、政変で人材が足りなくなって過分の責任を負ったことで成長したから優秀な人材に育ったんでしょう >>536
経典の中に、文章で表現できない部分を含むから口伝、
というのを曲解するならば、経典の中に暗号があって、
それを解読するためのキーワードが真言
などと言えなくはないのかもな
そのように考えれば、既存の経典の中に暗号があると言えなくもない >>521
亀だが「国盗り物語」は斎藤道三の単独主役ではない
織田信長への主役リレー方式
前半は油売りから美濃国大名になった斎藤道三の一代記
(国盗り物語は一代で美濃を乗っ取った説なので)
後半は斎藤道三が自分の教えを託した2人の教え子
娘婿の織田信長と正室の甥明智光秀が天下を目指す話 >>472
そもそも日米修好通商条約が不平等だと攘夷派が非難した理由は
ペリーに通商はNOと言ったのにハリスの圧力で条約させられたという経緯についてであり
関税自主権や領事裁判権は幕末の時点では問題にされていない
教科書は攘夷関係をとんでもなく省略してるので教科書の情報だけで論じても無意味
生麦事件は領事裁判権と関係ない
幕府の領地で人を斬った薩摩藩士を裁くのは薩摩で、幕府が口出しできないって点では少し似てるが >>540
ということは「国盗り物語」の明智光秀は己の野望のために信長を斃したという感じ? >>539
『空海の暗号と暗示』
経典はそもそも梵語を漢訳した翻訳物なので,その過程で暗号の要素は消えると思うよ >>532
例えば般若心経の一節「観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時」だけでも普通の人には何言ってんのか
判らない暗号のようなもんではないの?解説すると観自在菩薩は観音菩薩と同じで、その観音様が
深般若波羅蜜多という行をおこなった時に・・・ということなんだけれども「深般若波羅蜜多」とは何か
という謎が残る。専門知識がなければ何も理解できない。 まあ論語とかの春秋戦国期の古典の多くは予備知識なしで読んでも理解できないけどな
漢文の文法と文字知識だけで読める文章じゃない
その点では仏典と大差ないよ >>546
いや、そもそも質問の意図は何なのかと聞きたいわけだ。 般若心経はサンスクリット(だっけ?)の原文をそのまま漢字に起こしてる箇所があるから
そこは漢字が読めても意味がわからなくて当然。歌謡曲やJPOPのフレーズに英語や
フランス語が入ってるのと同じノリ。 「ぎゃーていとはどういう意味ですか?」
「ギャーギャー言わずに諦めろ」 >>546
難読という意味で読めないのではないよ
読解に必要な知識のいくつかが文字に起こされてないんだ
暗号のキーを知らないと読めないのと同等レベルでの前提知識を要求されてるよ 武家が公家化したんだよ。
落ちこぼれが武家というか,落ちこぼれの大衆化というべきかな ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてーは、確か「すげえぜやったぜほんとうだぜ」みたいなノリだったはず 家業として世襲していかないと職能を全うできなかっただけだろ
南北朝までは、武士っぽい公家は少数ながらいた。たいていは、みっともない奴呼ばわりされてたけどな 日本史において、公家の存在感の薄さは何なんでしょう 武家の方が強いし金回りも良いし武家になろうとする公家がいてもおかしくはないけどな 徳川頼宣の娘と結婚して旗本になった公家がいるじゃん >>555
天皇の取り巻きが公家だからな
天皇の存在感が薄かった時代が長かったってことだろ >>558
松平信平は鷹司信孝の四男で庶子
嫡子で兄の鷹司信尚がいるので家は継げず出家するのも嫌ということで
姉の鷹司信子(3代将軍家光正室)を頼って江戸に出てきただけだしな
役職のある公家が天皇ではなく将軍に仕えたいといって
武家になったわけではない 武士身分がなくなった時、「武士の商売」とか言って慣れない商売で身を持ち崩す
さまを皮肉った言葉がありましたが、華族身分がなくなった時、華族や公家を
皮肉った言葉も何かあったんですか? 皮肉ではないが平家の落人など没落した公家や武家の妻女や娘が遊女となったのを高級な女官を指す
上揩ニ呼んだのが女郎の語源と言われている。 沖縄はもともと琉球王国が統治していた場所だから日本固有の領土ではない。 竜宮王国はスレチ
煙でジジィになって消えてしまえ 沖縄はかつて琉球王国という独立国だったから日本固有の領土でないことを日本政府はよくわかっている。
だから日本の歴代内閣はただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。 国際法は武力による領土拡大をみとめている。それを阻止するためには特別な
条約を締約している必要があり、その条約の制限下において武力による領土拡大が
禁止されているにすぎない
沖縄は日本により武力併合された。よって沖縄は日本固有の領土。
反論は感情論ではなく国際法をもとにお願いします。 固有の領土じゃなけば正当な領土じゃないわけじゃないんじゃね? 日本は戦争における捕虜虐待を全ての国に対して行ったんですよね? 室町幕府の国家体制について鎌倉幕府との違いと現代日本との違いってなんでしょうか?
あと「日本国王」の称号が明から使われた史料って残っているのでしょうか? 韓国はライダイハンでベトナムにひどいことしたよね
補償どころか謝罪すらしてないよね? >>572
捕虜どころか移民の一般人を収容所に入れたり財産没収したりしたUS国とかもあるし、当時はたいていの国でやってたとは思うがな なんで明治憲法を起草するにあたっては民主的なベルギー憲法を手本にしなかったんだろう >>576
当時の権力側(伊藤、岩倉等)は日本の民主化なんか全く望んでなくて、保安条例で民権運動家を東京から追い出したりしてる 手本にしたんじゃなかったっけ。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E6%86%B2%E6%B3%95-130449
帝国憲法はキメラの性格があるので、基本思想を受け継いでいるような母法のような
ものは存在せず、体裁なり規定なり、都合のよいところがパッチワークのように縫い
あわさっている性格があるので「受け継いでいない」といえば受け継いでいないのだ
けれども。 >>577 そうそう。明治10年代の自由民権運動は、あんがい軽く見られがちなんだけれども
明治政府の国体が定まるうえにおいて重要な事件ではあったんだよね。けっきょくイギリス流の
議会政治(と法の支配、制限君主制)は否定され、プロイセン流をさらに日本流にパッチワーク
したようなものになった。 >>568
たとえば、佐渡島を「日本固有の領土」ってわざわざ言わないのとおなじなんじゃねえの? 固有ってのは文脈からなんとなく「古代より一貫して〜」みたいなニュアンス与え勝ちだけど
文字面だけでいえば一体として領有されているという程度の意味で、歴史的経緯を含まない
語なんだよね。ハワイ州はアメリカ固有の領土、と呼んでも、語義的には何の問題もない。 これが「南極はオーストラリア固有の領土です」だの「ボルネオ島はインドネシア固有領土です」
といえば、おいおいおかしーだろ、ということになる。 ハワイはアメリカ合衆国50番目の州
オーストラリア(流刑地)は英連邦の1構成国
インドネシア(インド諸島)そのまま。蘭領東インド >>582
> ハワイ州はアメリカ固有の領土
これも、おいおいおかしーだろ、と思うがw 語義的には間違った用法ではないよ。むしろ「有史以来〜」という文脈のほうが派生的だろう。
三省堂では
@本来備わっている
Aそのものだけがもっている
小学館では
@本来もっている
Aそのものだけにある
Aの文脈でいえばハワイはアメリカ固有の領土でかまわない。むしろ「有史以来ずっと」という
用法のほうが派生的用法。なにしろ「アメリカ固有の領土」を@の語義でいえば国家に本来そ
なわっている領土とは法が規定する領土でしかなく、立法以前には存在しないのだから。 琉球人に本来もっている領土などないし、朝鮮人にも本来そなわっている領土などない
むろん日本人にも本来もっている領土などない。日本国には国際法上完全に主権を
有する領土があるだけのはなし。 ハワイ州をアメリカ固有の領土だと思う人は超少数派だろうな
というか、まずいないだろうけどw スコットランドがイギリスの固有の領土かというのは議論の余地があるな。
しかしスチュアート朝の王様はもともとスコットランド王だったのがイングランド王を兼任するようになったから
むしろスコットランドが本体じゃないのか? 固有の領土だよ。デンマークやノルウェーの領土ではない。「国際法上に明確な定義のない語を
使用するな」という批判は正しいと思うが。ここでの固有は「ろんずるまでもなく」「いうまでもなく」の
意味に相応する。このばあい「スコットランドはイギリス固有の領土・で・は・ない」というばあい、スコット
ランドの主権が自明にイギリスに帰属しているわけではない、という主張は根拠のある反論だ」という意味に
なる。 >>588 ハワイ州はむかしからのアメリカの領土なのだから固有の領土で正しい スコットランドはむかしからイギリスの領土なんだから固有の領土で正しい スコットランドはケルト人でローマ帝国の支配下にも入ったことがない
王様はドイツ人。昔の王様はフランス臣民だが >>592
今のウインザー朝はそうだけど先祖であるスチュアート朝はスコットランド王でしょ。
スコットランド女王メアリー・スチュアートの息子の話をしてる。
>>593
イギリスを今のUKを基準に考えれば確かにそうだけど。
イングランドとスコットランドは元々別の国だからなぁ。 つか、七王国ヘプターキー時代のことを考えたら、ウェールズ地方もイングランド領じゃなく隣国なんだよなあ
だが、ウェールズはイギリス固有の領土じゃないとか言うとキチ●イ扱いされるだろ普通 スコットランドは1707年以来、一貫してイギリス固有の領土。
この「1707年以来、」というのを悪意で抜いて好き勝手に論じるから
おかしなことになる。 連合王国なんだけどw
あとイギリスという国はないという話? 最近の中国歴史ドラマが、日本を指す倭表記をやめて「東瀛」に変えたそうなんですが
実際のところ、倭ではなくて東瀛と呼ばれてたんですか? 山川世界史
改訂前
ウェールズは13世紀にイギリスに併合されたが
改訂後
ウェールズは1536年にイギリスに併合されたが 気違い日本史
改訂前
琉球は1609年に日本に併合されたが
改訂後
琉球は1879年に日本に併合されたが >>604
別に喧嘩売る気ないけど
山川がアメリカの教科書会社なら、そう記述するだろうね しかしそのイギリスは明らかにイングランドであり、イギリスと呼ぶのは如何なものだ? 外国の名称に関しては、外務省が主導してるから、ほとんど文部省は関係ないって聞いた 信濃国筑摩郡木曽
一地域なのに妙に有名なのはなぜですか?
良質な木材の産地という理由以外になにかあるのですか? >>610
木曽義仲こと源義仲が木曽谷から京に攻め上って平家を都落ちさせた。
戦国時代にはその子孫と称する木曽氏が勢力圏とした。
なかでも木曽義昌は武田信玄の娘を正室にして信玄配下の有力武将となった。
源義仲は父義賢を従兄弟にあたる悪源太こと源義平(15歳)に攻め殺されて乳飲み子の身で
木曽谷に匿われた。山深い木曽谷は隠れ住むにちょうど良かったんだろう。
ちなみに義平や義仲の叔父にあたる源為朝は生まれついての暴れん坊で13歳で九州に追放されたけど
そのまま九州を制圧して鎮西八郎と呼ばれた。その後保元の乱に備えて京に呼び戻された時でもまだ18歳。
河内源氏は半端ないだらけである。脱線しすぎたけど。 イギリスもアメリカも略称なんだからそれでいいんだよ。
外国政府にとやかく言わせる必要ない。 飛騨はあんな貧しいところなのに、なぜ戦国時代に分裂していて、姉小路が国統一するのに時間がかかったんですか?
あんなところだからこそ、やはり分裂するもんなんですかね。国家の大勢には影響がないから、小さいところで紛争が起こると 俗に三人寄れば派閥ができると言って最低人数の3人でも2:1に分かれてしまうと言われてます。
小国だからまとまるとは限らないわけです。外敵の脅威があれば別ですが貧しくてアクセスも悪いので
外敵も来ません。 >>612
United KingdomにしろUnited Statesにしろイギリスの文字もアメリカの文字もない
何が略称だと思ったんでしょうか?
共和国と呼べと言われたところには断ったのに,中国とジョージアには言い負けている情けない国はどこですか ENGLISH
UNITED STATES OF AMERICA イギリスはポルトガル語のエンゲレス(english)が語源で、安土桃山時代から定着しているので
そのまま襲用されていると、池上さんは言うとたねん >>613 田舎ほど外敵がすくないので結束がつよいの法則+林業と鉱山業(金)による莫大な富 琉球はあんな貧しいところなのに,なぜ戦国時代に分裂していて,尚巴志が国統一するのに時間がかかったんですか? アニメの一休さんはお経を暗記してるのに
なんで現代のお坊さんはお葬式の時にお経を読んでるの?
(´・ω・`) >>619
戦国時代だから分裂したんだろ
あれな、概して気候の不順で収穫が落ちる時期には分裂しやすくて乱世になりやすいんだよ
寒冷期ってな、あちこちで分裂する
戦国時代ってのは、そういう広域的な乱世の時期だから、日本本土以外でも分裂、乱世が広く見られるわけ
地域にもよるが、ちょっとした小さな郡ひとつの中にも複数の領主がいて相争ってたわけだし、琉球島に百や二百ぐらいの領主がいて大分裂しててもおかしくはないな
実際の分裂度がどの程度なのかは知らんけどさ >>621
昔はお経しか読めるものが無かったから
(現代は他にも覚えなければいけないものが多い) 江戸時代に江戸藩邸で雇っている町人が公務中に犯罪を犯した場合、裁判権があるのは
雇っている藩ですか? それとも幕府(町奉行所)ですか? 基本的には藩、他藩と係争する場合は幕府になります。 藩邸内での公務中か、町中での公務中かで違うでしょ
江戸の町中なら遠山の金さん登場! 町方との騒動は評定所預。「自分仕置令」でぐぐれば出てくる。 桜田門外の変で逃げた町人って彦根藩で処刑されてたよね。 関東取締出役は警察権だけで、裁判権は各領主にあったわけですよね
昔やってたドラマでは「犯人を捕まえた土地に捜査費用を請求した」とか解説があってマジか、江戸幕府すげぇなって思った記憶が 江戸時代における蝦夷地に対する植民地支配は近代のアジア侵略史のエピソードゼロという位置づけができそうですね? 条約による侵略じゃないからモデルにはならんよ。琉球と蝦夷の併合は
むしろ近世におきて資料が大量にのこっている「古典的な征服」史としての
研究価値がある。台湾・朝鮮への侵略はインディアン制服やハワイ併合と
おなじ近代西欧型の侵略モデルなので。 琉球の場合はまだ中央政庁があったけど蝦夷の場合はその成立にも終局的には失敗したしな。 琉球も朝鮮も圧政に苦しむ庶民を助けるためという視点で見ると面白いよ
ゴールデンパラシュートを用意した ある程度に安定した国を攻め滅ぼして旧支配者層を解体し、その後の支配層に自国から連れてった直臣じゃなく現地任用者を多く抜擢したら、
だいたいどこの場合でも「圧政に苦しむ庶民を助ける」という側面を持つんだよ。
GHQによる農地解放とか財閥解体とかにもそういう要素がある。うちの祖父母とか、それで土地を多く失ったしな 農地解放も財閥解体も庶民の為になってないけど?
大丈夫かこいつ
根本的に宗主国の経済的利益のために簒奪したのと
防衛線としてでも投資したのかと違いが大きい。 農地解放については賛否あるからなんともいえんよ。じつは南米でも1950年以降に
各国で行われたけれども自由主義の制約や軍事政権の不正のもとで不十分だったという
批判がある。またフィリピンは現在でも一部の大農場所有者(元スペインや華僑)に占有
されており貧民・原住民の近代化を阻害してるとの批判もある。逆に日本が朝鮮でやった
ことは完全な農地解放で貧民の土地所有につながったものの、典型的な圧制(日帝による
土地収奪)としていまでも糾弾材料の筆頭にされていたりする。けっきょくなにでも言いようで、
批判する側の者が出る限り、かならずそちら側を主張すれば「悪政」となり、得する側を
強調すれば「善政」になる。むろん戦前の日本も土地改革と小規模農民への開拓地の
安価分配は政策でやっていたけれども、資本主義・自由主義の限界があり、遅々として
すすまなかったのは当然(これは現代の農地集約事業の困難さも同様の話し)。 >>639
莫迦が論じている点は賛否ではなく成否。
GHQによる農地解体が農業後進国にした是非を議論しろよ この板の邪馬台国厨見てると、他の国にも同様の問題があるのかなと邪推してしまうんですが
皆さんがご存知の範囲で、知ってるのってありますか? yes/no聞いてる時点で質問にすでに回答が含まれているパターンやろ。
気に入る答えを待ってるだけのレトリックであって、そもそも質問ではない。 トロイアとかチンギス・ハンの墓とかプレスタージョンとかかな。
さがせば色々あると思われ。 >>638
それがなければ、のちの「所得倍増計画」はあり得なかった、あれの大前提だよ
所得の底上げは後の高度成長の前提でもある 邪馬台国ネタは新聞の拡販部材だからなww
ヨーロッパでもメソポタミアの遺跡発掘に新聞屋が大金を出して、
タイアップ企画をやっていたしな。 >>638
実際に田畑を耕しているのは小作で彼らは自分の土地を持たなかった
先祖代々の土地を相続する地主が働かずして中間マージンを搾取していた
明らかに無駄だろう
財閥解体も世襲社長で会社がいつまで持つかわからんしな 細川家って鎌倉時代から続く名門だったんだね。
こういう名門でもっとすごいのある?
平安時代の貴族の家系とかは? >>650
去年大河でやってた井伊が
平安時代中期からの家系図をもつ そのへんは社会の発展段階から論じなきゃ一方的な議論になるんだって。そもそも
税制が事実上機能していない社会だと(江戸時代がまさにそうだ)、大地主を「百姓」と
認定して、大規模経営させて、それにのみ課税する(正確には五人組として牽制させ
あい自主的に納税させる)、大地主(百姓)は小作を使役して事業をおこない、小作の
生計を保護する(少なくとも流亡したり餓死したりしない)。こう考えれば、最小の公務員で
公共を維持する合理的なシステムだったともいえる。
けっきょく最初に偏見があって、批判するために史実を色付けしているという、そういう
ことを認める必要があるんだよ。そこまで踏み込まないと実態は見えてこないし、なぜ
そういう不正義(と見えるもの)が定着したのかも見えてこない。 >>652
江戸時代までは個人課税だぞ
田畑を耕す農民が直接納税を行っていた
明治時代になると武士階級がいなくなり
納税を取り締まる役人をそれほど置けないために
地主という参政権を持つ地方の特権階級を置いて国家事業に協力させ
地主を納税責務者とした
しかし、戦後は個人納税に戻る
普通選挙が当たり前になると地主という特権階級もいらなくなった >>649
中間管理職層(!?)を舐めているのか憎悪対象にしているのかしらんが
自由主義の自然淘汰に任せるべきだよ
>>650
細川家って清和源氏だろ。神代から >>653
関連なんですが、特定郵便局ってのもいわゆる特権階級だったんですかね? >>650
毛利氏の先祖も頼朝に従って鎌倉幕府の立ち上げに尽力した大江広元の4男だよ。
近衛文麿の近衛家とか九条家とか一条家とかみんな藤原道長の子孫だ。
公家が藤原さんだらけになって区別がつかないので近衛とか九条とか家名で呼ぶようになった。 信長に滅ぼされた土岐氏とかも名流だし甲斐武田もそうだし
けっこうあるんじゃないのか。 >>655
横レスだけど清和源氏は清和天皇の子孫だから、神代から続いてることになる。
とは言っても、清和源氏の初代源経基は天皇家の末孫ということで経基王として歴史に登場するけど
一番古い記録が武蔵介として赴任した時に現地の豪族武蔵武芝ともめて平将門が仲介に入ったけど
結局、将門と武芝を謀反の罪で朝廷に告げ口したというもの。つまり将門と同時代の人だ。 >>650
細川総理の家系は室町時代初期に細川本家から別れた支流
別れた時期という意味では平安期からの家系ではない
別れる前の、さかのぼれる範囲をいうなら天皇家の支流なので、
少なくとも飛鳥時代、古墳時代までは確実 >>659
で、わざわざ神代からなんて付け加える必要はあるのか?
そもそも「神代から」「神代からではない」って言葉を考えたら、自然と、神代からなんて言わなくていいと思うんだが >>653
江戸時代の税制が個人課税ってのは間違い
幕府や大名は村にたいしていくらと税を定めてるだけで、それを村民に割り振るのは村役人、庄屋や村長の役目
村民は村に対して納税し、村役人(庄屋とか)が幕府や大名に納税する
まあ、一人では運べないので村民を動員して運ぶわけではあるが 滅んだ家も含めればね。そういえば赤穂浪士の中に孟子の子孫がいた。
武林唯七の祖父が孟子の62世の後裔と称する孟二寛で文禄慶長の役で捕虜として
連れてこられたらしい。浙江省杭州武林の生まれなので日本名を武林治庵とした。 ワシはとある時代に知られない谷の木の股から生まれ落ちた者の子孫じゃが(´・ω・`) >>653
戦後の税制が個人課税ってのも間違い
間接税は企業が代わって納め,直接税は小売店が納める
人頭税のような個人課税は沖縄独自の悪政だから除外しとく >>649
>実際に田畑を耕しているのは小作で彼らは自分の土地を持たなかった
>先祖代々の土地を相続する地主が働かずして中間マージンを搾取していた
>明らかに無駄
レーニンかよw
ホロドモールで検索すると、スターリンの犯罪になってるけど、
>>649的発想で素人に農地管理をやらせて飢饉を招いたのはレーニン。 >>664
家系図があればいいけど自称では意味が無い。だからこその「滅んだ家」ねw
分家は別れた時期の古さ(長さ)を誇れるものなのか?
例えば,秋篠宮家 ≫ 伏見宮家 だろう。本家への近さをいったら >>642
やつらの目的には日本の農業の水準が発展するか後退するかは含まれておらず、結果として日本が農業後進国になった点は政策の誤りに含まれていない
やつらの目的は、「日本が民主国家じゃなくてやたらと好戦的(ヤツら視点)なのは貧富の差が激しくて貧民が貧困すぎるからだ」という、妥当かどうか未検証の意図を満たすためのもの。
日本の庶民が最低限度豊かになれば戦争を望まなくなって米国の利益になるからという発想で、あくまで米国のための政策だよ
その目的の延長で日本経済が発展することを望んで為替相場を日本有利に固定したりしてたわけ。(1ドル=360円固定相場時代)
アメリカが、朝鮮戦争の援軍で日本も軍隊を出せとか中国の内戦で共産党が勝ちそうでヤバいから援軍を出せとか言っても拒否する国になったんだよ、
アメリカの当初目的が達成されて、後付けの要求を蹴る口実に使われたんだな
その意味で、財閥解体も農地解放も、(当初の目的を達成したという意味では)大成功したと言える
その結果として日本が農業後進国になったところで、「あとは君たち日本人の問題だ」的な。ワシらのせいやない、お前らの責任や。ってトコだろ >>656
村の有力者に郵便事業を任せて「名誉職」(=無給または低給与)としたのが始まり
特権階級の人にやらせてたって意味では特権階級ではある。
特定郵便局自体に起因する特権はない。 戦後の農地改革が中途半端だったのは事実で、すくなくとも経済学的には
小規模農民に財産的所有権を個別に与えたのは土地政策としては最悪だったと
いえるね。ワルラス的共産主義に立つなら、農地はすべて国有化して個人ないし
集団に貸し付ける方法でなければならないし、完全に私有財産制でいくなら
GHQという暴力機構により個人から財産を略奪して、貧民に、生産効率が上がらない
程度まで細分化して分配するなどするべきでは全くなかった。日本の農業が
直面している土地政策の源流がGHQ指導による農地解放にあったこと自体は
まったく異論はない。 元寇や秀吉の朝鮮出兵など、江戸時代以前の日本での対外戦争では、
戦いのコンセプトに明治以降の日本軍のように天皇家を掲げていたのでしょうか?
掲げていないとすれば、其のころの対外戦争時の団結のコンセプトはなんだったのでしょうか。 秀吉の時は秀吉のためでもあり、武功を挙げて恩賞をもらうためでもある。
元寇の時は防衛戦だから負けたら全てを無くすんだから天皇とか関係ない。
でも勝ったのに恩賞が無いと後から騒ぐわけだけど。
つまるところ武士は恩賞が全てです。信長以前は恩賞=土地ですが
信長はそれを名物茶器などの名誉を求めさせるように改革した。 近代史板に書いたけど回答がなかったので・・・
「日本のバブル期に、欧米のある新聞が
"東京の駅の階段をうつむいた状態で降りる人々"
の写真を掲載して、日本人の暗いイメージを印象付けた」
という文章を複数回見たことがあるんですが、
それはニューヨークタイムズだったか、ほかの新聞だったか、
何年何月何日とか、詳細まで分かる方いらっしゃいますか? 欧米のある新聞て、そこでも「欧米」とひとくくりにしなきゃならんのか
ジャップってなんでアメリカとヨーロッパをいつも一緒くたにするんだろうな 歴史が長いことぐらいしか取り柄がないパクリ国家としての劣等感 >>658
土岐を滅ぼしたのは信長じゃない。道三。 アメリカと欧州が一緒でないとか、何いってんだこいつ?
あー、サンフランシスコはお前らが占領してんだっけ。
おまえらのことは相手してねーからw 1990年代の初め、まだ日本経済のバブルが続いている頃、あるアメリカの有力紙が、冬の朝のラッシュアワーに
新宿駅の階段を降りていく人々の写真を大きく掲載した(あるいは東京駅だったかもしれないが、どちらにしても
同じことだ)。そこに写っている通勤客は、みんな申し合わせたように下を向いて、缶詰に詰め込まれた魚のように
生気のない、暗い顔をしていた。記事には「日本はたしかに裕福になったかもしれない。しかし多くの日本人は
このように俯いて不幸そうに見える」とあった。そしてそれは有名な写真になった。(p.350)
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
あとは作家に聞け。小説のなかの文章が事実かどうかなど
いちいち相手してられっかボケ 倭猿は白人様の区別がつかないからアメリカもヨーロッパも同じに見える
ほとんどの倭猿は基礎的教養がなく、歴史的文化的な違いを全く知らない
一方、白人様が日本中国韓国を一緒くたにするとムキーツと興奮して必死に否定するから滑稽ww
我が身を振り返ることのできない劣等民族 アングロアメリカとヨーロッパは地方の違いだよ
ラテンアメリカとヨーロッパでなら歴史的文化的に違うがw アメリカは歴史上封建制であったことが全然ないし、君主を戴いたことがないから政府ってものを信用せずに自分たちでなんとかしようとする気質が強いよな
銃持って自分の身は自分で守ろうとか笑っちゃうけど
欧州諸国みたいにギリシャ・ローマ文化が今の文化の発祥・源泉だっていう意識もない
要は欧州の旧世界に対してあくまで新世界ってことだな フランス人でdeとかドイツ人でvonが自分の名前についている人(貴族を表わす)は、
アメリカなんかと一緒にされてもなーと思ってるんじゃないか 現住民皆殺しにして植民したんだから欧米でいいんだよ。
ラテン系だのスラブ系だの関係ない。文句いえるのは黒人だけ。 フランスのアウトローであったイギリスの,そのまたアウトローがアングロアメリカだからね
中世封建制とも無縁 原住民みなごろしとか西部劇の見すぎだぞ
騙して土地を奪ったり捕らえて奴隷化して農場で働かせたりしたのは事実だがな
で、農場の労働環境が悪すぎて死者多発したし。
死者多発の果てに現地系の奴隷が足りなくなったから黒人奴隷を買い入れるようになったんだし
現地人との殺しあいは、侵略の激しさに耐えかねて反撃しようとしたからで、
国家間ではないけど戦争状態になってからだ。 まとめると皆殺しにしてから植民したんじゃなくて植民してから皆殺しにしたんだな。 じゃあアルゼンチンとかオーストラリアとかも欧米と一緒にしてあげなきゃだな 19世紀からクロンボうじゃうじゃいたんだからヨーロッパとは全然違うだろアメリカは ヨーロッパだってロマだのユダヤ人だの大昔からマイノリティだらけだろう。 アメリカは欧州の国。欧米という表現が適切。
現住アメリカ人もその文明もすべて欧州人に皆殺しにされ根絶やしにされた。 >>670
>庶民が最低限度豊かになれば戦争を望まなくなって
軍政から民政に移行した韓国を論じるテンプレだけど、昭和二十年代にこんな考え方があったの?
>日本経済が発展することを望んで為替相場を日本有利に固定したりしてたわけ
1940年代に為替相場を固定すれば経済が発展するなどという頭の悪いことを言っていた経済学者って誰?
>アメリカが、朝鮮戦争の援軍で日本も軍隊を出せとか言っても拒否する国になった
掃海艇がなかったからGHQは旧海軍出身者を徴用し、日本人の戦死者もでてるけど?
>その意味で、財閥解体も農地解放も、(当初の目的を達成したという意味では)大成功したと言える
農地解放は正直者だけがバカをみたし、財閥解体は戦後一貫して不徹底を左翼から攻撃されているが、
その意味ってどういう意味? >>696
きゅ、旧海軍から徴用された掃海隊は民間人扱いだから戦死じゃないし(震え声
靖国にも合祀されなかったし(逸らし目 そこでも「アジア」とひとくくりにしなきゃならんのか
白人ってなんで中東(西洋)と東洋を一緒くたにするんだろうな >>696
>>庶民が最低限度豊かになれば戦争を望まなくなって
>軍政から民政に移行した韓国を論じるテンプレだけど、昭和二十年代にこんな考え方があったの?
日本は知らんけどアメリカにはあった模様、特にニューディール政策を含む「大きな政府」指向の論者には。
当時の米国では国務省に多かったらしい。
>1940年代に為替相場を固定すれば経済が発展するなどという頭の悪いことを言っていた経済学者って誰?
為替相場を固定することが、ではなくて為替レートを実情より以上に円安にしておくことだよ >>699
エンゲル係数の高い低所得者層の問題を単純化しすぎているし、絶えず移民が流入する米と、日本ではこの問題を並列化できない。
日本の話なのか米の話なのか、当初の論点からずらすのはやめてくれるかな。
>特にニューディール政策を含む「大きな政府」指向の論者には。当時の米国では国務省に多かった
トランプという例外はいるが、一般的に民主党が大きな政府を指向し、共和党は小さな政府。
国務省に多いのではなくて、当時の米民主党の、所謂ニューディーラーはソシアリスト。
連中が書いた憲法のポエムや前衛的な少年法の制定、絵空事というネタ提供には事欠かないな。
>為替相場を固定することが、ではなくて為替レートを実情より以上に円安にしておくことだよ
際限のない円安進行に区切りをつけた。ね。 皆殺しって米国に280万人ぐらいいるだろインディオ
まあそんなのいなくったって米国と欧州は文化が全然違うけどな アイヌでいまだに狩猟採集生活している人っているのかな 母語話者は100人切ってるとかいう話しだな。江戸時代のころからアイヌはすでに
少子化と未婚化で人口減少が問題になってて、幕府の役人がおなじ村の中でしか
結婚しない風習をやめて他の村のものや和人と交わって子供を増やすように指導
してる文書が残ってる。ある屈曲点をこえてしまうとハワイやポリネシアなんかと
おなじで人口が激減してしまうんやろうね。 >>671
特定郵便局が私の地元のJリーグの有力スポンサーになってますし、地域で何かあれば特定郵便局が数局出てきます
田舎といわれるところでは、やはり特定郵便局が昔の名主とかの役割を果たしてるのは事実ではないのでしょうか?
国を背景にしてるわけですから 突っ込まれる前に言いますけど
民営化されても特定郵便局はそのままですよ
小泉は憤慨するでしょうが >>702
狩猟生活のマタギはまだ居るけどアイヌの人は居ないだろう。 >>704
いや、「代々、村議会議員を出してる」みたいなレベルの有力者に兼業で郵便局経営させてるだけだよ
たいていの特定郵便局は土地も建物も私有地(局長の私物)を提供していて、
その賃貸料を受け取っている。
ので、オーナーもしくはオーナーの家族が優先的に局長選定を受けるらしい
(過去の制度)。
資産も収入もある地元名士が兼業してるだけで、特定郵便局長だから特権を持ってるわけではないよ
むしろ、資産がないと務まらない職務だった 徳川幕府の、大名の世継ぎがいないから改易っておかしくないですか?
それまでなら早世した大名に子供がいなくても、兄弟や甥や叔父とかの
親族の誰かがあとを継いだし、もしくは養子もらうなど、
いわば大名家内の決め事だ。
それが徳川時代になったら
「お世継ぎのお目通りが出来てないから改易」
て、全て土地没収ってかなり強引だと思う。
小早川秀秋とか田中吉政とか徳川家に貢献した大名も容赦ない。
あとで緩和されたけど、
「当主死んでお世継ぎがないから改易」
って当時はおかしいと思わなかったんだろうか?
こんな制度してたの徳川幕府だけですよね? 日本はともかく世界史では国が安定したら建国の功臣を取り潰すのは普通です。
力のある諸侯を放置すると天下を騒がせる元になるので難癖つけて潰すんです。
無嗣断絶もその一環です。
中国史を見れば継嗣が無いから除封という話はいっぱいあります。
除封というのは封建した土地を召し上げる。つまり取り潰しです。
養子に継がせるというのはまず無いです。縁者を探して継がせるという例も無いわけでは
無いが特筆されるような特例です。 >>708
>それまでなら
それまでの戦国時代は力が正義であり、自分の領地は自分でもぎ取るものだったけど
江戸時代は将軍から与えられた封土という建前になってるので幕府がそれを取り上げる事も
できるわけです。理由があれば。それが封建制。 明応4年(1495)の大内家壁書には主君に嗣子がお目見えしていない段階で当主が死ねば
その家は取り潰す主旨の文言があるので、むしろ武家法としては古典的な考え方だったと
思われる。ある家門がその封土を相続する権利なるものがある、と公認したのは江戸時代の
由井正雪事件以降の慶安の養子法改正が画期。基本は封土は主君が与えるものであって
相続権なるものは無かった。 戦国大名は「お目見え」すべき主君がいなかったから本人は問われなかったにすぎんのだな。
もっとも周辺国への通告や承認など外交的な配慮がなければ継承に関して敵対国に侵略の
口実にされることは常態だったわけだが。これは欧州でも同じ話で。 >>712
室町幕府の守護大名は幕府の裁可で国替えもなかったし
跡取り問題も基本的には家中で決めていたよね(応仁の乱の原因ともなる)
江戸時代は大名の跡取り問題に完全に幕府が絡んできて
勝手に将軍の子を跡取りとして押し付けられたり 室町幕府は南朝を始末できなかったり観応の擾乱などゴタゴタ続きで力が弱かったから出来なかっただけ。 >>714
鎌倉幕府も守護・地頭の国替えやら
跡取り問題の口出しは基本ないだろ 鎌倉幕府は御家人潰しまくってるだろう。三浦一族とか畠山重忠とか和田義盛とか。 >>713
むしろ、将軍が跡取り問題に干渉し始めたから応仁の乱が起きたと言うべき >>716
国替えや跡取りの話だろ
反対勢力をぶっ殺さないと武士階級では天下をとれない >>717
守護大名のほうから自分を跡取りにしてほしいと
賄賂を使って将軍や御台所にコンタクトを取ってくるからで
将軍のほうから無理に割り込んで介入したわけではないからな 5.15事件
2.26事件
血盟団事件
全共闘、連合赤軍事件
オウム真理教事件
日本の近代以降の事件で
重大さ、影響の大きさで
順番に並べたらどうなりますか? >>719
六代義教の頃、諸大名の子弟を側近に取り立てつつ、相続に介入して自分の側近を跡取りに押し込むことが多かった
その意図を見越して先手をとって、総軍側近に行ってる方のに家臣らが接近して、そっちを後継にと願った某大名家では、逆にそっちの側近の方が不適格とか言って排除されたが。
その介入の果てに叛乱を起こされて将軍横死、直前に家督を逐われてた畠山持国が叛乱による混乱を利用して弟と家臣を倒して家督復帰したりした
後の畠山家家督問題の原因もこのときにできたと思われ。
(持国に子どもが生まれなかったから弟を跡継ぎに指名したってのはデタラメで、上記混乱に際しての妥協で跡継ぎ指名したと思うんだよ)
義政は祖父義満と父義教に対する尊崇が強かったからマネして大名家督に介入しすぎてたんだよ
特に斯波家の家督なんか、自分の言うこと聞かんから廃嫡とか強権すぎた 徳川将軍家も最後には辞官納地で大半を天皇に返還した 学校のテストで田畑永代売買の禁って書いて罰にされて(教科書は田畑永代売買の禁止)、山川一問一答では田畑永代売買の禁と書いてありましたと抗議したら通らず。
意味わからん。 朝日新聞と教育委員会に投稿すべきやね。そういうのは
試験委員の個人の問題。 >>722
それはあくまでも将軍と大名が双方WINWINになる非公式交渉だろ
室町幕府が大名の跡取りを決めるという決まりがあったわけではない
江戸幕府はすべての大名の跡取りは幕府が決めると決めていた
世継ぎは幕府に届け出ろ、幕府が認めなければ改易もしくは
将軍の子をねじ込んでやるぞと上から命令
大名たちは幕府の命令におとなしく従った そういう操作的なものだったとは思えないな。むしろ常識を追認したんじゃないのか。
前提に「その土地の支配権はそこに割拠した軍事組織の長が持つ」というものを
置いているほうが間違いなのでは?むしろそういう割拠思想のほうが後発的で革命
思想だったように思うのだが。それぞれの大名家の中でも、嗣子がお目見えしてい
ない状態で当主が死ねば廃絶が前提なのだから。 >>727
鎌倉時代、室町時代に
当主が死んだときに嗣子が将軍に拝謁していないので断絶した実例は?
そもそも当主と跡取りはすべて将軍に拝謁するなんて
当主は参勤交代、正室と世子は江戸留め置きで江戸に集住させていた
江戸幕府だからできたことだが >>724
30年前に小学校のテストで十七条の憲法じゃなきゃ駄目と憲法十七条でバツされたことをいまだに根にもってる
それはともかく
あと「禁令」や「禁止令」のこともある
こういうのは出された時には名前が付けられていなくて
後で内容から命名されることが多くいろいろな呼ばれ方があることは珍しくない
墾田永年や田畑勝手作りもいくつかある
不運にご同情申し上げる
ちなみにどんな問題?
まさか「田畑の売買を禁止した命令は何か」とか? ちょっと違うが鎌倉時代に足利氏の家督に幕府の意向が入った例。廃嫡された足利家氏は別家を興して
のちの斯波氏の祖となる。
家氏の母は、執権北条氏の有力一門名越氏の出身で、当初は泰氏の正室であった。しかし、兄の名越光時らが
嫡流の北条得宗家に反乱を起こしたためか、母は側室に退き、家氏も嫡子から庶子へと改められた。代わって
得宗家の北条時氏の娘が泰氏の正室となって頼氏を儲(もう)け、これが足利氏嫡流を継承することとなった。 >>728
室町時代だと、遠方以外の守護は在京だから拝謁できないはずがない
が、妻子は在国が普通のような気がするが。
でも守護の本人が国許に帰らないんだから在国だと会えない(当然子供が生まれない)から、妻子も在京かな >>732,720
一番古い事件であるはずの血盟団(この事件後の血盟団残党が5・15事件を引き起こした)が3番目に書かれてるあたり、質問者が重大と思ってる順番に並べて提示されてるんだろ
つまり、上から順に1 2 3 4 5 ということじゃね? 質問者の意図では。 マジレスしていいか?
>>729
>30年前に小学校のテストで十七条の憲法じゃなきゃ駄目と憲法十七条でバツされたことをいまだに根にもってる
くっだらねぇな
その問題、100点中50点の問題だったらわけるけど、どうせ最大10点だろ?
そんなので×にされて根に持つって、よっぽど頭悪かったんだな もう一度、マジレスしてやるよ
>>729
「ぐぬぬ、ぼくちゃんは100点じゃないといけないのです!」とか言いたいんだろうけど
もしそういうこというなら、大笑いするんで、どうぞ言ってください
こんなつまらないことで、根に持つってすごいよな
自分の自己紹介乙って感じだわ 昭和の時代なら教科書どおりでなければ×みたいな教員もいたけど
いまどきそういうのは希少生物だから、見つけ次第朝日新聞と教育
委員会に通報して保護してもらったらいいんだよ >>734
それは全くの偶然
フラットな気持ちで、ご見解を伺いたいです 日本書紀には「皇太子親肇作憲法十七條」とあるから、略すにしても憲法十七条にすべきなのにな >>738
専門外なオレ(734)的には上から12345だけど…… >>721
私も博士スレにいましたので、この質問はおぼえています
いくつか回答がありましたが、それに対してあなたはどのようにコメントされましたか?
回答に不満があるので再質問されるのでしょうから
そのあたりを紹介された方が回答の方向性もしぼられ、あなたが期待される回答になるのではないでしょうか?
あるいはここは実質後継スレですから、紹介しないのは不誠実とも思います
先の質問者とは別の方なら申し訳ありません ↑
まさかまさかのマルチにマジレスか!?
自称博士とはよく言ったものだw この板の各種の気持ち悪いスレッド(例えば公募スレとか)にマジレスするのも気が引けるけど
ここは一般人も見てるからマジレスするけど
>>737
そんなこと言われたら、俺だってどんだけ理不尽な仕打ちを受けたのかって言いたいわ
でも、結局のところ、人生に悪影響を与えてないので「あ、そういうことあったね」で終わる
17条憲法なんて、それが仮に東京大学の試験問題だったとしても、試験官が二人とも同意見なら、俺は東京大学に入らなくていいですって今も昔も思う
なんかここの板の住民は受け身なんだよね
自分が上に立てよ >>740
マジですか
血盟団結構高いですね
個人的には血盟団がまず落ちるのかなって思ってました
ありがとうございます
>>741
その時もいくつかレスは貰いましたが、どういう返事をしたかははっきり
覚えていません
これはたったひとつの明確な答えがあるわけではなく、人によって見解が
わかれる内容ですので、できるだけいろんな人の見解を聞いてみたいと
思って再度書き込みました
いろんな見方ができると思うので、是非何かしらかの見解を聞かせて
頂ければ幸いです >>744
423日本@名無史さん2017/10/10(火) 16:08:43.55
オウム事件て血盟団事件と比較して、
より重要事件、より後世に大きく残る事件ですか?
麻原彰晃と井上日照の比較でもそうなりますか? >>744
鎮圧された血盟団の残党が中心になって5.15事件を引き起こしてるわけで、
血盟団なしでは5.15も2.26もなかったかもしれないってぐらいの影響力があるのでは?
オウム事件が血盟団の影響力を越えるためには残党が両事件以上の大事件を起こすしかないと思う
それほどの力はないと思うし、やっぱり五位でしょ >>746
都心のど真ん中で猛毒サリンを巻くという、世界的にも例のない前代未聞のテロ、
という側面はかなり大きいかとも思うのですが如何でしょう?
ただ、明確な答えがあるわけではないですね
見解を聞かせてくださってありがとうございます 寺田屋事件や池田屋事件の残党が明治維新を起こしたから影響力あるって話ね
マルチ >>703
アイヌは江戸時代に自主的な少子化と未婚化が起こって人口が減ったのではなく
松前藩による過酷な統治で人が減った
米作りに適さない北海道で狩猟民族であるアイヌ人に稲作させて
税金巻き上げようとしたからな
餓死によるものが多いと言われている
人口があまりにも減りすぎたので本土から来た和人と結婚させて
日本人と血縁上でも融合させたのはその通りだが >>749
>米作りに適さない北海道で狩猟民族であるアイヌ人に稲作させて
米作りには適さないことは松前藩も幕府も承知してるから名目上1万石格だけど実高0ということに
なってるのにか?主な収入源はアイヌとの交易(例えば昆布)で搾取することなのに殺してどうする。
いや確かに殺すときは容赦なく殺してるけどコメ作らせてどうする? >>749 アイヌを減らすために苛酷な統治おこなってたんじゃなくて
苛酷な統治は経済目的にすぎず、むしろ利益あげるために増やす
政策とってたのに減る一方だったんだから、その立論はおかしいんだよ。
結局「アイヌが滅亡したのは松前の責任だ」が前提にあって立論がある。
60年安保の「物語り」だよ。現実には日本の各地で貧民層は酷使され
迫害され搾取されていたのに、日本人民は消滅しなかったろ。
そうではなく、アイヌはすでに江戸期には人口減少が大問題になっており
これはハワイやポリネシア諸島でみられたように「異民族の流入により
人口が激減した」というモデルで解釈する必要がある。 南朝鮮が米しか作れず農業先進国だという幻想からくる論だろ
アイヌの和装化が進んだのはアイヌの意思だよ。文明人になりたいのは誰もが持つ願望
松前藩の米とアイヌの海産物を取引したから。アイヌの米作はなかったよ アイヌとの交易で搾取するのはとても儲かって松前の殿様はとても1万石格とは思えない羽振りの良さだったという。
島津も奄美の島民に高く売れるサトウキビしか作らせないで島民が食べる分の米は高く売りつけた。
松前藩がアイヌに米を作らせるなんてありえない。明治政府はまた別だが。 水田はないね。この頃はまだ北限より北だったろ。発掘されてる遺跡でもアワやヒエ、ソバとかだね。
ただ現実の農業がどのようなものか分かっていないのに、先入観で「これらの農業は松前の苛酷な
支配により破綻したので人口が激減したのだ」と結論するような暴論がまかり通ってるからうんざり
させられる。60年代の全共闘の「お話し」だっつの。 もっとも考えられるのは自然収奪的な経済(狩猟・漁労)であったため収益が安定せず、
未来に対する明るい希望がもてないような社会がもともとあって、人口規模が増減しない
ような状況が蝦夷地の民政の基本にあって、そこに場所請負制の商品経済が流入してきて
未来に対する明るい希望がますます持てないような社会(ようは「ぼろもうけできる」「不当に
儲かる」期待が持てない)ので未婚率が高まり、少子化が進展していったということと
思われる。
単に労働力として酷使されるだけで少子化が進むということは(女性が妊娠を拒まないかぎり)
ありえないし、食料が与えられないのなら、餓死などで大量に死ぬということが先行するはずで
あり、長期にわたる未婚化や少子化はそのような直接的な理由により発生することはない。 農業によって人口が爆発的に伸びるのは「不当に儲かる」「びっくりするくらい成果が上がる」ためであって
これほど作物が出来て腐らせているくらいならもう少し子供をつくるか、ということで人口爆発が生じる。
これが「働いたほどもうからないな」「いい歳もあるけれどもダメな年はほんとダメだな」になると未婚率や
出生率が低下する。現代がまさにコレである。 >>752
あれ、南朝鮮って日刊併合より前は込め作りが盛んではなかったでしょ?
込め作りが拡大したのは占領政策のせいでは? >>748
寺田屋も池田屋も維新につながる勢力の中枢を取り締まるほどに大事件じゃないだろ
多少の被害はあったにしろ、大きな影響とは言えん。 なぜ反乱軍のボスである西郷隆盛は人気があるのですか
単なる判官贔屓? そういうクソくだらない質問は文学板で質問しろって何度も注意されただろ? 経歴や業績を考えたら、岩倉具視は
もっと注目されても良いと思いませんか? 500円紙幣にまでなるほど注目されてる
大久保利通や徳川家康ですら紙幣には描かれていないぞ 小説の主人公になってないのを「もっと注目されるべき」と言ってるだけだろ。
そういうクソくだらない話しは文学板でやれって何度も注意されただろ? 武士が百姓から年貢を搾り取るだけ搾り取った圧政の江戸時代
生まれながらに虐げられた地位に置かれた民衆は反抗をしないということなのかな たんに生産性が低かっただけの話しだろ。税の捕捉率まで考慮すれば現代と大して変わんないんだし。
江戸時代はコメ100必要なところを120くらいしか作付けしてないような経済だから、ちょっと飢饉がくれば
あっというまに餓死する社会だっただけだよ。現代は牧畜や他の加工品へ転用が盛んだから100必要な
ところに150も200も作付けするようになってるだけの話し。あんたみたいな学生やニートが無職でも
くってけるのは現代が搾取されない社会だからではなく生産性が高い社会になっただけの話し。 捕捉率を無視して固定の人頭税を毟り取ったのは琉球ぐらい。
だからいつまでも未開状態だった >>765
近未来予測としてAIに仕事を奪われて失業する人が増えると言われているから、生産性向上が仇になりそうな気配 >>767
その前に日本は既に少子化で人材不足だ。外国人に頼らないと回らないと言われている。
>>764
そういう状態だったら反乱が起きるからもっと上手に生かさず殺さずだ。 日本の人口で一億二千万だからな
諸外国の中でも多いほうなんだよな
人材不足とか外国人を入れないと回らないとかなんか変
一億総活躍社会になってないからだろう >>769
既に超高齢化して老老介護になってるのを知らないの?
コンビニとかも外国人がいないと回らないし
給料の安い中小も技能研修の外国人で回ってる。 >>769
お幾つか知りませんが学生の頃に人口ピラミッドの図を見たことあると思うんですが
今や圧倒的に人口の多い団塊の世代が高齢者になってそれを支える若い世代は少子化で
下窄まりの棺桶形の人口構成になってるんですよ。 >>769
>一億総活躍社会になってないからだろう
その一億総活躍社会はまさに若者がやらない3Kを高齢者がやらざるをえない社会です。 今の高齢者たちが作り上げた社会である3Kを若者や外国人に押し付けようと云うんですか?
自業自得 >>773
現実には高齢者と外国人が押し付けられている。
外国人は技術研修生の名の下に。
先日もどこかの企業で溶接の技術を学ぶはずが塗装工をやらせていたとかで
ベトナム人を国へ帰してたろう。 >>755
どんなに支配階級が搾取しようとも庶民は子作りをやめることはありえない
アイヌの人口減少は松前藩の搾取とは無関係というのならば
なぜアイヌ人の未婚化、少子化が起こったと思ってんの?
というかそもそも江戸時代のアイヌ人は独身が多かったという統計ないよね。
今の少子化が未婚化によるものだというのは未婚者が増えているからわかるが。 未来に対する明るい展望(笑いが出るほど簡単に儲かる、生活が楽だ)が持てないからだよ。
これは搾取構造などというテンプレートな問題ではない。北海道という環境が基礎にあり、自然
から収奪できる要素が少ないところに交換経済を持ち込んだ弊害とみるべきというのが俺の意見。
いくら人間つっこんでもとれるコンブの量もクマの量も変わらないんだから商品経済を持ち込めば
交換ができないことになる。つまり通貨の源泉がないんだよ。そしてそこに課税して取り上げた
わけではなく(アイヌに課税するのではなく商人に課税した)、むしろアイヌには有利な税制であった
ハズにも関わらず、交換経済を維持できるだけの自然収奪(採集・漁労)ができなかったから「もうか
らない」「やってらんない」「希望がもてない」状態が生じた。これがおれの見解。むろん個々の
アイヌは悲惨だろう。だがなぜそうなったかの原因が違う。和人が豊かになるための方法を授ける
ことができなかったからだ。収奪して酷使したからではない。 未婚化・少子化の統計はないと断定しながら
何故起こった?? アイヌはこれだから阿呆かと。日本語能力の問題ではない 正確な人口統計はたぶんないはず(見たことが無い)から各種報告のなかの
未婚率の高さや人口減少への言及から推論してるだけの話しで、これは
アイヌ搾取=激減論者と論争の起点はいっしょなはずだが。 アイヌ人=日本人なんだから
アイヌ風俗を捨てた人が増えただけ もしもアイヌが農耕民族だったら、日本で大規模な南北戦争って起きてたんですかね? >>779
アイヌ=人間なんだから、そうなるよ
『銀魂』?
アイヌの衣装を着ていたり なぜ木刀なのか?
作者の考えは、わからないけど、
偽の刀とすり替えられたという話でしょ、
やまとたけるとの話 本当は?本来は、
その主人公というのが、伝説の刀(剣)の持ち主
すり替えられ(というか盗まれた)ので、
木刀になってしまった 『ウダウダ 銀』という作品では、
本当の刀を持っているという設定だし、
なぜか白髪(アッシュ・クリムゾン。銀髪。)になったり
浦島まりん、シュテンドルフ・・・に そもそもの持ち主『アッシュ(クリムゾン)』というキャラも同じ、
盗まれたものを取り返しにきたというコンセプト
老婆も同じ話をしているんだけど、本当は、いつ頃の話なんだろう ガンダムのサングラスと同じ、
フランスから来たという設定とか
『龍宮御殿』
画像をググってみて >>780
アイヌが農耕民族だったら北海道が江戸時代の東北くらいには農耕できるという条件になるので
戦国時代(あるいはもっと前)に本土から攻め込んできて滅ぼされている。 「ポケモン 主人公 アッシュ」
なぜか同じ名前とか 泥棒のようなものに入られて〜、
刀なども盗まれたという話
畳の下、床下の土まで掘り起こされていた、
時代的には、そんな昔の話ではない 本当の話
『松明』でしょ?
『フランスからアメリカに寄贈』
その後、日本?『人権宣言』? 『松傾』
先住民なのでは?という書き込みをしている人がいたり
蝦夷(エミシ?)、アイヌ? 『松傾』
謎の埼玉の名字辞典では
エミシ?胡(エビス)だと書いてあるし、
由緒、出自? 『エビス』だと書いてあるんだけど、
最初に現れた? 韓国で今大ヒットしてる甲午農民戦争から日韓併合までのドラマがあるんですけど
「朝鮮はたった14人の日本兵によって滅ぼされたのです」と、江華島事件が事実上の朝鮮王朝の終了だと言ってるんですが
この史観はどうなんですかね? 日韓併合条約の強要問題については国際法上は結論でてる。
あとは学者や好事家や小説家が好き勝手言えばいいだけ。
日本政府は条約は有効ですでに無効である。
韓国政府は当初から無効である。ここまで。
解釈の違いをすり合わせる利益もないのでこれで決着。 『松傾』の母親の家の話なんだけど、
電気(発電)を起こしていたという話もしていた、
母親というのも別に死んでもいないし、生きていた時の話
『いざなみ 雷』? なぜ詳しいのか?なんだよ
黄泉の国、根の国、根住み(ネズミ)というネタなのかな?
『ねずみーランド』でしょ
電気(発電)を起こしていた
『エレクトリカル』
確実、画像をググってみて サルタというスレ
・良いネタ(金の元)を見つけたな
・金のなる木
と言ってる人がいたり
『スサノオ』=『エレクトリカル』=『海神別荘』
その他、グーグルで検索、画像 その家(もれの家)には収入がないというのも、
おかしな話
ねずみーランドでも、
どこでも良いけど入園無料という話でもないし >>799
いや、韓国側はドラマを通じた史観で「江華島事件で朝鮮王朝は終わった」と言ってるんですよ
ドラマの内容を詳しく言いますと、両班はロシア派と日本派で分裂し、最終的に日本派の両班が勝ったということになってます
江華島事件で、韓国側いうところの「売国奴」が日本についてしまったと 「日本はたった4隻の黒船によって滅ぼされたのです」
日本は教科書を通じた自虐史観で「黒船来航で太平の世は終わった」と言ってるんですよ
教科書の内容を詳しく言いますと,士族は鎖国派と開国派で分裂し,最終的に開国派の藩閥が勝ったということになってます
戊辰戦争で,東北側いうところの「売国奴」が欧米についてしまったと
韓国版自虐史観だね なぜ家の話ばかりしているんだと思う?
『サイバーパンクspecial』
ロトちゃんというのは兄の話でしょ?
川崎区の南部のほうに住んでいるんだけど、
むかーし住んでいたところは伊達郡 『ロト いざなぎ』
海水を汲みに行って、塩を作ったりもしたんだよと言っていたり(老婆談)
塩浜というところがあるんだけど、そこまでは行かないところの話だったかな、
当時(不明)はアサリも取れたんだよとか
川崎区の南部のほう、埋め立て地周辺の話 何もなかったところに島を造った?
川崎区の南部のほうの話だと思うんだけど
マイク・オーの曲とか mike oldfield『let there be light』
この曲の動画を観てみて、妹の話?
5月15日生れなんだけど もともと伊達郡のほうに住んでいたのかな?
泥棒のようなモノに入られて・・・・・、
当時持っていた、お金なんかも無くなったとか
川崎区に来たり、戻ったり?
そういう仕事をしていたとか 老婆というのも結婚してから、
ずっと働いていたとか、鋼管(日本鋼管?)だったかな?
あまり聞いたことなかったんだけど、
親が言うには、そのような話をしていた 話を続け給え
こんなクソスレ、その話題で潰せよwww 詐欺師、犯罪者のようなのがいたという話なのかな、
何なんだろう 謎の震災なども、
そこは、お前の土地ではないし、物語でもない
という事なんだろう マイク・オーの曲の動画
目玉のように見えるもの、
原子核?か何かだと言ってる人がいたり 『サイバーパンクspecial』
ロトちゃんというのも実際は川崎区に住んでいて、
原子炉プール?ような部屋があって 『龍子太郎』『セイントセイヤ ソルジャードリーム』も同じ。 大久保利通は維新を成し遂げてから豪邸を建てたのは残念に思います >>804 さすがにそれは小説家の解釈でしょ。江華島条約はあくまで朝鮮の王と日本の皇帝との
間で交わされた通商条約であり、その中には治外法権と関税自主権、日本人の駐留を認める
条文がふくまれていたというだけ。あとは解釈の問題。
もっとも、この史観はおれも賛成で、侵略とは武力行使を正当化できるような不平等条約を
締約した時点で確定することであって、武力行使そのものは条約上の権利を保護するために
国際法を動員して「正義の名のもとに」行われるのが通常だという解釈が正しいと思う。
不平等条約こそが「侵略」の本丸であり、以降の内政干渉や武力行使は条約の権利に基づいた
要求ないし強要であって、その点でいえば江華島条約(及びそれ以降に列強各国と締約した
不平等条約、むろんこの中に露朝修好通商条約も含む)が朝鮮植民化の発端であり、また
これを解消できなかったことが結局朝鮮併合に結びついたという理解は、l当時の国際関係を
俯瞰するうえで極めて冷静な視点と思います。 >>805 「黒船によって滅ぼされた」は明らかに間違い。日米和親条約によって「日本国は滅亡させられるところだった」
が正しい。中国は南京条約でほとんど滅ぼされかけ、中華革命により南京条約以降の諸条約の無効を全面的に
打ちだし、日本と米英を支那で共食させることで共倒れさせ、諸外国と結んだ不平等条約をすべて破棄させることに
成功することで、ようやく自主国家を建設(再建)することに成功した、と解するのが正しい。なお大韓帝国はけっきょく
不平等条約を解消することが適わず、日本に併合されることによって、日本を含む(当然だが)西洋列強との不平等
諸条約をすべて無効化することに成功した、とこうなる。またタイの場合は第一次大戦への協力の見返りとして
破棄させることに成功している。 日露平和条約がないことを建前に千島列島が侵掠されていないという方便ですな?
日米安保条約が結ばれるまでは戦争状態だから侵略ではないって いちおうソ連の敗戦占領が継続しているという立場は一方にあるね。
それとはべつに46年1月の併合措置の無効確認は論点になるけど 平安京は何度か戦災や火事で大火に見舞われてると思うんですが
何故、遷都はなかったのですか?
応仁の乱など、遷都の機会や議論はあったのではと推測するんですが >>825
遷都は莫大な金がかかるからね
武家政権になってからは武家が遷都費用を全額負担した福原京を除いて
遷都は話題になっていない
南朝の吉野や賀名生は後醍醐や後村上自身、仮御所だと考えていて
あくまでも都である平安京に戻ろうとしていたからね とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
CRO 平城京からこっち、急に遷都の腰が重くなったというのは
国家運営の基本思想が転換したと考えてもいいんじゃないか
とはおもう。 藤原京をつくる前は都ではなく「宮(王城)のあるところ」にすぎなかったのが、
藤原京以後は都市造営になった、
藤原京平城京長岡京あたりは造営が完結する前に引っ越してるし、
平城京長岡京は問題が出て遷都せざるをえなくなったこともある 土佐一条氏って、よくあんなところに住む気になったなと思う 応仁の乱頃には年貢が入らないからと自家の荘園まで赴いて現地で自ら年貢を獲得しようとする貴族が幾人も出た
大坂泉州の日根荘に住んだ九条政基(前関白)が代表格
たいていは乱が終わって経営が落ち着いたら帰京したが、諸般の事情で土佐一条氏だけは長く残留して大名化した
今では寂れた場所だが、一条教房が下向したころには土佐国内で有数の「主要な街」ではあったもよう 一条教房の子孫が京に戻って摂家一条家も復活ってすごい 国家神道体制の時期の神職さんの収入やステータスって
そうじゃなかった時期と比べてどうなんでしょ?
やっぱり収入もステータスも上がったのか?
それとも特に変化なし?
あと、一般的に神職よりも住職の方が経済的に上だと聞くけど、
やっぱりそうなの? 仏教は墓地ビジネスとか死んだ後でも法事があるけど神道は無いからな。 >>836
神道には祭りや初詣、七五三参り、厄払いなどがありますよ >>835
江戸時代には富み籤やらマジナイなどもやってたし村方三役に匹敵する程度の地主としての収入もあったが、
明治初期にそれらを失って収入激減したから、明治初期に中小の神社の大半が消えてるよ。大規模統廃合が強行されたからね 家内安全、商売繁盛の〇〇大師ってあるもんな
何宗なんだ?と思う あとお寺は江戸時代に寺請制度といって全ての人民がどこかのお寺の檀家になって
キリシタンでは無いことを証明してもらうという制度になっていた名残で比較的努力しないでも
檀家がいるから儲かってしょうがない。それへの反発が明治の廃仏毀釈になるわけだが。 >>839
それはつまり、国家神道体制の時期は
神職の収入&ステータスは下がったってこと? >>842
村の鎮守みたいな小さい神社は統廃合されてその土地や財産は権力者の懐に入った。
南方熊楠などが反対運動をしてやっと取りやめになった。潰された小さい神社の神職だった人は
収入が増えるとか減るとかじゃなくて全てを失った。だから立場によって色々で一概に言えないの。 小さな神社は地主レベルで所領(100石とか単位の小さな村から年貢収入が有る)なんて持ってなくて統廃合された
大きな神社は武士や貴族同様に所領を持っていたが、これは版籍奉還や秩禄処分などにより取り上げられた
「神職としての収入」は増えたかもしれんが、「神社としての収入」は減ったとこが大半じゃないの?
複数の神社を統合したけど収入は元の神社ひとつ分しか残ってないとか、そんな感じなんじゃないかなあ。たぶん。 >>845
こういうスレなんだから、過去に出たのと同じ質問が再発するのは日常茶飯事だろうとは思う 常駐荒らしとご新規さんは別問と捉えた方が。
「再度書込み」と同じ質問をする荒らしと同じ“ような”は意図が違う うちの周り、小さい神社が乱立してて、神社の数、多すぎね?って思うんですけど
神社の数ってのは、時代を重ねるごとに増えていったんでしょうか? 上物ではなく土地の所有(占有)形態だけでみれば、本当にちいさな祠や地蔵などは代官に許可を
申し出て許されて建てるというもので、社格をもつようなものは神領寺領に関わる話しになるので
封主が本社に勧進して寄進するなどして建てられるという方式。上物については大半は記録にも
残っていないので、作られて保持されているものもあれば、壊れてそのまま森林原野などに飲み
こまれたようなものも多いのではないか。 日清戦争において日本陸軍は旅順において住民虐殺を行いましたが、なぜ日本は国際法を守らなかったのでしょうか。 これのことか
https://ja.wikipedia.org/wiki/旅順虐殺事件
>一方、欧米でのジャーナリズム史研究では、旅順の「虐殺」を報道したクリールマンや、掲載された新聞ニューヨークワールド紙が
>ライバル紙と競い合って、イエロー・ジャーナリズムと呼ばれた扇情主義報道を行っていたことが定説となっている[24][25][1]。
>事件の終息[編集]
>海外の論調は次第にこの旅順での事件のようなものは戦争ではつきものであって、欧米でも例がないわけではないという風に変化していったと、
>対応に当たった伊東巳代治は報告している。ただ事件が殺傷そのものがあったことが「虐殺」ではないことは認められ、アメリカにおける報道は無くなっていった[6][17]。 19世紀から既に米国は対日謀略活動をしていた証拠ですよね? 司馬遼太郎史観の「日露戦争までの日本軍は国際法を順守してた」という記述が批判される理由に「旅順虐殺をスルーした」と言われてるんですが
この批判は妥当ですか?
なお、日露戦争以後の日本軍が国際法を順守してなかったとは私も司馬遼太郎も言ってませんのであしからず つかそもそも国際法に違反する行為をしたとき相手の反撃に耐えられない国だった頃には、違反しようと思うわけないじゃん
自国が侵略される口実を相手に提供してしまうような愚行は避けようと思うでしょ
列強の一員(ハシクレではあっても)になったと思ってから後の遵守状況が重要では。
その辺の転換点が日露戦争あたりかもしれない。 国際法どころかいまだに国内で弾圧虐殺しまくってるシナ政府に聞いてこいよ 日露戦争あたりまでが領土拡張で侵略じゃなかったの?
それ以降は領土拡張してないや。ほんと時代錯誤している
>>856はしらんが司馬遼太郎は言ってるやろ >>835
江戸時代には神職の収入が少ないからか小規模神社の神職は専業ではなく兼業が普通だった
村役人と兼業してる例とか僧侶と兼業してるとか >>859
ちょうどその頃に国際環境がかわって領土拡張できなくなったんじゃないの 司馬がしょせん小説家だと言われる点のひとつだろ。仮に住民の殺害が国際法違反だという
素朴な理解に立って表現してるとしたらそれ自体が交戦法規への無理解を表わしてるわけで。 いずれにせよ日本近代史板で相手してくれないからといって
こっちで自説の主張はご遠慮ください。どうせ住人は似たような
もんなんだから、向こうでやろう。 無理解どころか虚構の上に成り立っているからこの人の戦争体験は
司馬遼太郎伝聞の「(戦車で)ひき殺していけ」はいつどこで誰が言ったのか
ttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061025/hiki 藤原信頼はなぜクーデターを起こしたのですか
後白河院の寵愛を受けて権中納言にまで取り立てられたのに 室町時代や江戸時代に将軍や大名が
天皇に謁見する時は
天皇は基本的に簾越しだったのですか? >>867
そうです。
>>866
同じく後白河院の受けてやりたい放題の信西を排除するため。
>>865
鳥羽伏見の戦いが始まってこっそり江戸に逃げ帰った時に妾を連れていた。
つまり屋敷に妾を連れていたので遊郭に入り浸ってはいないでしょう。 白鳳文化の時代は古墳はもう作らなくなったの?
高松塚古墳が使われてた後に壁画を描いたの?
壁画のみが白鳳文化にあたるのがわからない、、 >>869
高松塚古墳もキトラ古墳も白鳳文化なので古墳はまだ作ってる。
648年(大化2年)薄葬令で規模は小さくなったがまだ古墳を作っている。
天武天皇と持統天 >>870
途中で送ってしまった。
天武と持統の合葬墓もまだ古墳です。この時期の古墳は終末期古墳と呼ばれる。 白鳳文化=古墳時代後期みたいな考え方でいいのかな?
ここに頼ってよかったありがとう >>868
簾越しというのは天皇独自のものですか?
将軍や大名も家臣と面会等する時に簾越しに
なることはあったのですか? 将軍はあるね。大名は聞いたこと無い。
きほん幕府も大名も御目見制度だから、将軍は旗本御家人のみの
ばあいはそのまま、御家人以下や南蛮人がくる場合は御簾。
大名は上士にはお目見えを許すけれども下士には許さない。 ×将軍は旗本御家人のみの〜
〇将軍は大名旗本のみの〜 >>872
ちゃうちゃう
古墳時代後期はほぼ6世紀に相当
白鳳時代はその次の古墳終末期 | 大和時代 |奈良時代
|古墳時代 |飛鳥時代 →→→→|
| |飛鳥文化 白鳳文化|天平文化 高松塚古墳とか先生に聞きに言ったら「興奮した」っていうくだらない洒落言われて笑ってる >>868
徳川慶喜が江戸へ逃げ帰るときに連れていた妾はお芳だが
妾がいれば遊郭に出入りしないというものでもないしなあ
結局、将軍就任前に遊郭に出入りしてたかなんてわからないんじゃないの
西郷どんで出てくる宿場町に滞在する飯盛り女も参勤交代する大名たちが
道中で楽しむためのものだし 出入りしないとは言わないけど入り浸ってるほど暇じゃないだろう。 >>874-875
将軍や大名クラスでも謁見する時は天皇は簾越しであり、
天皇の素顔を近くではっきり見ることはかなわないわけですね
しかし、天皇の側近や世話役、側室等は身分はもっと低くとも
天皇に真近で仕え、日常的に素顔を見ていたわけですよね >>883
4代〜13代将軍までは京都に来ていないので天皇との対面はないし
後水尾天皇の二条城行幸の際には
大御所徳川秀忠、将軍徳川家光と同座で簾越しではなかったはず
この時には中宮徳川和子も一緒にいて和子を通して義父、義兄である関係もあるが
内裏へ上がるには官位が必ず必要なので
側近や側室たちも全員官位持ちだぞ
江戸時代は武家官位なので大名の官位が高いからって
内裏ではあまり意味がない >>884
>内裏へ上がるには官位が必ず必要なので
春日局の例が有名だけど、吉宗の時代に輸入された象が江戸へ行く途中で中御門天皇が上覧する為に
象に官位を与えてるしな。 平安の初期までは昇殿が許されるのは天皇の本当の身内側近のみだったのが、3位までの位階制となり
さらに身の回りの世話をおこなう蔵人にも許されるようになった。 >>887
そもそも奈良時代までは建物が寝殿造ではないため昇殿という概念がない
平安時代初期から三位以上の公卿は昇殿を許されていたよ
四位、五位で昇殿を許された者が殿上人でこれは勅許によった
尚、昇殿が許されなければ天皇に会えないということではなく
建物の中に入れないだけ
テレビドラマの奉行所の裁定の場面でお奉行さまは建物の中
裁定を受ける庶民は地面に座るみたいなもん 旧体制 旧旧体制 と並んでいたら、もはや新生稚児も、そちらにあるわけじゃないの? >>888 大極殿できたのはずいぶん古いだろ。奈良以前なはず。 徳川幕府での旗本は知行地持ちと扶持米取りで区別があったそうですが、
これをミックスした形態ってあったんでしょうか?
例えば三百石の知行持ちと五十俵の扶持米取り、みたいな形態。
ちなみに役料での追加分無しの基本給扱いで。 >>892
お早い返答どうもありがとう。
知行持ちと扶持米取りは隔絶した差なんですね。 >>893
知行持ちは一応は領地を持った殿様だけど扶持米取りはサラリーマンだからねぇ。
知行と言っても実際には代官が治めるわけだけど。 >>890
お前、大極殿の造りを知らないのか
石畳で床がないんだぞ 暴れん坊将軍の「旗本の三男坊」って江戸時代ではどんな扱いだったんですか?
こんなやつでも「ははー武士様」とかやってたわけですか?んなわけないとおもうんですが >>897
徳田新之介のは特に仕事もなくブラブラしてても誰も気にしない自由な立場ということだと思います。
嫡子は家を継ぐ立場だから勝手な行動は許されませんが次男三男は兄が死んだ場合のスペアとして
ブラブラしてるのが仕事です。死にそうにない時は適当なところで見切りをつけて養子の口を探します。
大大名の14男井伊直弼は庶子だったせいもあってどこにも養子に行かなかったんでそのままだったら
武士としての立身を諦めて茶道の新流派を開くところだった。藩主だった兄が死んだことで運命が
変わって大老にまでなった。絵師酒井抱一も姫路藩主の弟で兄のスペアとして扱われていたがお役御免と
なったら養子の口は断って絵師になった。 >>898
ちなみにあの歳でまだ養子に行ってない徳田新之助は仕官は諦めて浪人するつもりと
周りから見なされてるかもしれない。ことわざにも「すまじきものは宮仕え」とあり仕官は性に合わない
自由人も居るから。茶道・絵師・剣客など一芸があれば仕官しないでもやっていける。 >>894
知行地は代官が治めるのだと、知行主は知行地に影響を及ぼせない?
知行地に行って「へへー、お殿様だー」って農民に土下座されることもないのかな。
それだと扶持米取りと大して変わらない気がするんだけど。
あと代官が治めるって、中世の国人豪族みたいな半ば独立的に
したくないからなんだろうか? >>900
旗本は江戸定府と決まっています。つまり基本的に江戸を離れられない。幕府の御用なら別ですが。
私用で江戸を離れる場合は幕府の許可が要ります。ただし一部の旗本は参勤交代を許されていて
これを交代寄合と呼びます。寄合というのは旗本のうちで3000石以上で無役の家格で旗本寄合席とも
言います。交代寄合は参勤交代を許されているけど義務ではないのでしない家もあったらしい。
交代寄合は旗本だけど若年寄支配じゃなくて老中支配で大名に準じた扱いです。参勤交代しない
場合は領地に住んでるんだ。へー。
旗本が江戸定府なのは幕府に何か起こったらすぐに駆けつけて軍勢を編成できるようにです。 ちなみに旗本の領地は関東が多いのですが小さい旗本領が細かく入り組んでいて捕り方に追われた
無頼の徒が越境するといちいち許可を取らないと捜査できないので国定忠治とかが暴れ回ってました。
そこで幕府は関東に限って境界を越えて追跡できるFBIのような捜査官を設置しました。これを
関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)と言います。長いので関八州廻りとか八州と呼びます。 大名とかでも1村1町単位でとんでもない場所に飛び地であちこちに領地もってる
こともあるものね。そんなところは在農の者に代官職をさせており、事実上はいまの
青色申告みたいに村民の自主納税と治安の自主管理に任せておき、定期的に
奉行や代官・目付が巡回しており、ちょうどイギリスの巡回裁判所やシェリフのような
機能を果たしていたようだ。 イギリスの巡回裁判所やシェリフを引き合いに説明するって… 基本的な質問で申し訳ないんだけど代官は知行地持ちが直接面接とかして雇ってるの?
それとも藩から派遣されて来るの? 図のリンク表示方法のテスト
1、図1(http://vbsoft.sub.jp/hana/kenkoku/zuhyou/zu01.jpg)は、
2、http://vbsoft.sub.jp/hana/kenkoku/zuhyou/zu01.jpg
3、 <a href=vbsoft.sub.jp/hana/kenkoku/zuhyou/zu01.jpg> 図1</a>
4、 <a href=http://vbsoft.sub.jp/hana/kenkoku/zuhyou/zu01.jpg>図1</a>
5、 ttp://vbsoft.sub.jp/hana/kenkoku/zuhyou/zu01.jpg >>900
代官とは別に、領主のもとに年始とかに挨拶の行事みたいなのはあったらしい >>893
最初のうちは小規模なの以外は原則として知行、零細だけ扶持
後半、直轄地が足りなくなった影響から、できるだけ知行を廃止して扶持に切り替えていった 武士の家計簿にたしか
旗本だと幕府が任命した代官が統治し、年貢も届けてくれることが多い
なので旗本の子孫に取材すると知行地がどこか知らず教えてあげたら喜ばれることもある
とあったと思います
なので、高校の教材には旗本知行地は幕府直轄地とほぼ同じなどと書いてありました じぶんの領地がどこかも把握してないのが旗本じゃ幕末の動乱で右往左往するわけだ 旗本としての毎年の行事のひとつとして知行地の農村代表が年始?挨拶に来るって話も出てなかったか、
特に代官が治めてる土地だと良民と接する唯一の機会だから云々と。
扶持の場合は、さすがになかっただろうけどさ 昨日BSで銭形平次やってたんだけど、あれって下っぴきの八っつぁんも十手持ってるけど、岡っ引きはわかるけど岡っ引きの手下なんて実際には十手なんて預からせてもらえないよね?
勿論ドラマはドラマとして。 『半七捕物帳』や『銭形平次』などの時代劇において、岡っ引は常に十手を預かっているかのように描かれているが、
実際は奉行所からの要請に基づき事件のたびに奉行所に十手を取りに行ったとされている。十手を携帯する際も
見えるように帯に差すのではなく、懐などに隠し持っていた。また、時代劇で十手に房が付いていることがあるが、
房は同心以上に許されるものであって岡っ引の十手には付かない。ましてや紫色の房は要職の者が付けるものであり、
岡っ引が付けることはまずあり得ない。
つまり下っぴきはもちろん岡っ引きも公式な存在ではないので十手を常時携帯してるわけではない。手当も
奉行所からは出ないので同心が小遣いをくれるだけ。だからお上の御威光を傘に町人から袖の下を取ったり
他の商売と二足のわらじだったりした。 _>>901-902
旗本は将軍の親衛隊だから江戸在府ってことか。
参勤交代はそれを免除された格上なんだな。
いままで旗本の交代寄合が不思議だったが、旗本自身が
知行地に普通は居られなかったとは。
>>907
知行地の領民にマンパワーの要求までは出来なかったんだろうか。
奉公人が足りないからあまってる男子を江戸に寄こせとか。
でも話を伺ってると、そこまで要求出来なさそうだな。 >>914
>奉公人が足りないからあまってる男子を江戸に寄こせとか。
江戸は100万都市だから働き手はいくらでもいるよ。男ばっかだけどな。
地方で仕事にあぶれて江戸に出てきて仕事を見つけられないと無宿人になる。
そういうのが一杯いた。女は女郎屋に売り飛ばされるからあぶれるのは男ばっか。 奉公は知識集約業務だから、百姓あがりの寺子屋卒程度じゃ
とてもつとまらんでしょ。それこそ子供のころから屋敷奉公に
上がらせておかないと雑巾がけひとつですら打ち首にされかねん。 「西郷どん」の塚地武雅みたいな下男をイメージしてたよ。 >>914
室町時代の守護大名も常時在京で、江戸幕府の旗本と大差ないよ。
参勤交代なんてなくて常時在京な
ただ、遠隔地(関東と東北と九州)の大名は在京しない、どころか京都に赴くことすらないけど。
江戸幕府では遠隔地の薩摩藩島津でも参勤交代してたのと比べると、やはり室町幕府の求心力は弱いよね 室町時代の守護大名が在京してたのは政治への影響力を行使したいという面があったのでは 本来の目的は軍事だよ
南軍に京都を攻められて追い出されることが多かったから在陣させてたと思いねえ
その在京の軍を派閥争いで動員したりして大荒れになったりしてなかったかな
応仁の時とかは、その軍勢で足りないから各自が自分の領地から追加の軍勢を集めてるけどな 一休さんの
『そもさん』、『せっぱ!』って
いったい何なんですか?
(´・ω・`) >>11
壬申の乱でも「米を水に浸して食べた」という記述があるから、それぐらいは普通にする >>921
一休さんは禅僧なので修行の中に禅問答(公案)というのがあります。
禅問答というのは普通に考えたら答えが出ないようなことをあえて質問して、それに回答することで
論理を超えた境地を悟る助けになるらしいです。その禅問答の時に師匠が「そもさん」と言ったら
弟子は「せっぱ」と答えます。つまり「そもさん」は「出題します」であり「せっぱ」は「回答します」という意味になります。 中国には清史稿や清史がありますが
「江戸史」のような正史が今現在存在しないのはなぜでしょうか?
もしかして、教科書検定制度が正史なんですかね?w >>924
江戸時代の記録としては、徳川実紀、続徳川実紀があるよ >>924
江戸時代は単独の王朝ではないから、その時代を扱う歴史書を正史とみなさないだけだよ
正史というのは「王朝としての正統を記す歴史書」だからね 最初から侮辱するつもりで投稿したら反撃されて
無知さらけ出しただけだろ。質問なんかする意図
ねんだよこいつは 正史をどうとるかにかよると思います
デジタル大辞泉には「国家などが編纂した歴史」で対義語は「外史」とあります
これに従うなら徳川実紀はもちろん、会社編纂の社史あたりも比喩的に正史ということができます
逆に厳密にいうと、中国の正史は原則として滅亡した特定の王朝の歴史を紀伝体で書いたものですから
王朝交代の無い日本にはそういう意味での正史は存在しないことになると思います
確かにほとんどの国には正史は無いと思います
前代の歴史を都合よく叙述して自己正当化をはかる、中国の歴史利用の伝統を感じます 史書は世界中にいくらでもあるけれども「正史」という考え方は支那文化特有とはよく言われるね。
ただこれも漠然とした言い方なので反論しようとおもえばスキはいくらもありそう。 聖書は世界中にいくらでもあるけれども「聖書」という考え方は欧米・中東文化特有とはよく言われるね。
ただこれも漠然とした言い方なので反論しようとおもえばスキはいくらもありそう。 聖書は英語ではBibleだけどこれはラテン語のbibliaから来ていてその意味は単に書物だ。
それを有り難そうな聖書と訳したのは誰だろうな? 東山文化が15c中頃に対して桃山文化文化が16c後半って書いてあるんだけど
この間は東山文化が続いたんですか? 「聖書」という語が登場したのは根拠あるところでは
いまのところ『神天聖書』(マラッカ、1823年)みたいね
むろん一般的な語として「聖」+「書」という文脈なら
漢書に「聖哲之書」という語があるようだ。 >>938
一般名詞から固有名詞への転用とか、わりと普通にないかな
書と言えば書経(尚書)、河と言えば黄河、江と言えば長江。みたいな(@中国語での例
日本だと何があるだろう?
正倉院と言えば「東大寺の正倉院」みたいなのか?(一般名詞「正倉院」はどこの荘園にでもあるようなありふれた施設です) 東大寺の正倉院が有名になったのは
明治時代に国が正倉院展を開催して一般人の目に宝物を公開するようになったからで
それまでは「正倉院といえば東大寺」ということもなかったよ >>939
ずっと続いてたんじゃなくて取り上げるような事物が無かったということです。 >>938
ギリシャ語、ラテン語のビブリアは書物一般を指すのでしょうが
英語のバイブルはすでに固有名詞化されているのでは? ナイル、ガンジス、インダスはすべて川という意味で探せば他にもあると思います
日本史では太閤、北政所、黄門あたりがそうでしょう
地名では「京」「都」など、あと港をあらわす一般名詞の「津」があてはまると思います(大阪や三重県) 京都在住者が国司/郡司に任命されて任地に赴任したら、
単身赴任になるの?妻や子供は京都に残したまま? >>941
黄河・長江は逆の例では?
川の名前は古くは○水と書かれていて、例えば淮河なら「淮水」なんだが、黄河のことは河水、長江のことは江水とかいてある
つまり河や江は元は一般名詞ではなく固有名詞で、後に一般名詞に変わったのでは?
そう思いながら見たら、河は黄河の上流域、周や秦の首都を囲むように流れているエリアをかたどった象形文字に見えてくる >>946
普通は妻子も一緒に連れて行く、ただし時と場合による
清少納言は子供の頃、国司になった父と一緒に周防国へ下っている
紫式部も20代半ば頃、国司になった父と一緒に越前国へ下ったが
途中で父を残して単身都へ帰ってきて都の貴族と結婚している >>946
郡司は地元の有力者が選ばれるんじゃないかねぇ。 関連質問なんですが、摂津や大和などの場合は京滞在なんですかね? 昔の人たちがたくさん文書で記録を残してくれたおかげで今の歴史学の基礎になっているわけだけど、すごいことですよね。
昔の人たちが今の歴史学のために史料を残してくれたわけではないでしょうし。 >>951
お公家さんとかの日記は子孫が仕事するときに先例を確認できるように記録を残したもの。
つまり子孫のためだ。 田原と猪瀬の対談か何かで、「よく、なぜ天皇はこんなに長く続いてきたのかって問いに
『日本の歴史、伝統だから』と答えが来るが、最初から歴史や伝統だったわけがない。
その時代時代を潜りぬけて、いつしか歴史や伝統になったのだろう」みたいなことが
話されていました
日本の歴史上で、だいたいいつぐらいの時代から、天皇が「日本の歴史、伝統」あるいは
「伝統的権威」という風に認識されたのでしょうか?
確かに、田原らが言うとおり、飛鳥時代とかの頃に「天皇は日本の歴史、伝統」と思われて
いたとは思えません
その頃は「リアルな統治者」って感じでしょうね 伝統だから長く続いたんじゃなくて時代時代を乗り越えて続いてきたから結果的に伝統になったんだよ。 >>954
いや、それはわかってるって
どの時代くらいから、天皇が歴史や伝統
のように認識されたのだろうって疑問だよ それは綏靖天皇の頃からです
だいたい貴殿の仮説は目的と結果を取り違えている。当初は長く続けることが目的ではない 戦国時代はそれぞれの戦国大名が独立国家の君主だったという認識でいいんですか
イメージとしては30年戦争後の分裂したドイツ? 戦国大名は天皇陛下の臣下に過ぎなかったのに何言ってんだ? イメージとしては古代中国の戦国時代かな。周王朝が天下を治めていた時代は遠くなり各諸侯が
それぞれに王を自称するけど周王も一応まだ居る頃。「戦国時代」という用語も中国のこの時代に
由来してるし。 >>959
各諸侯じゃなくて諸侯だな。頭痛が痛いになってしまった。 ドイツは選帝侯会議という統一機関があったから微妙に日本の戦国時代とは違うね。
戦国時代みたいに互いに領地をかけて戦うというわけではなかったし。
日本の戦国時代は>>958氏が言うように春秋戦国期だろうね。中央には西周みたく将軍や
天皇がいて、権威としての中心を置いて、盟約などのさいにはタテマエとして言及しても
実質的には武力割拠している状態だとおもう。 >>957
たいていの大名は幕臣なり近隣有力者の臣下なり、弱い主従関係を残してます
主命があれば、(自分の不利益が大きいと無視するとは言え)ある程度は命令を受けて行動してます
中世的な主従関係に近いとはいえ、完全な独立勢力ではありません 支那の春秋時代。周「王」として権威を認め諸侯は「公」止まり
30年戦争「中」の分裂したドイツ? 戦争「後」なら織豊政権 でも田氏が斉を乗っ取ったり、晋の卿(大臣)である韓・魏・趙の3氏が晋を分割して諸侯に成り上がったりと
下克上が戦国時代の定義の一つだからなぁ。
日本の場合も北条早雲や斎藤道三はもちろん織田信長だって尾張守護斯波氏の守護代清洲織田氏の
分家で清洲三奉行家の家柄からのし上がった。 猪瀬ってさ、
江戸幕府は現在の国連みたいなもので、
江戸藩邸は各国の大使館みたいなものだった
とか書いてる歴史音痴の阿呆だぞ 炒飯を初めて食べた日本人って
いったい誰なんですか?
(´・ω・`) >江戸幕府は現在の国連みたいなもの
黴の生えたような、古いリベラルが仕切ってる組織と、
江戸幕府は確かに真逆だわな。 >>956
>>綏靖天皇
二代目の天皇ですやん
質問の意図が全然汲み取ってもらえてないな
正確にはいつから天皇が始まったのか分からないけど、
それが時代時代を潜りぬけて長く続き、やがて結果として
天皇=日本の歴史・伝統、または伝統的権威になり、
その認識が定着していったんだろう
その認識が始まり、広がり、定着していったのはいつ頃から
なんだろうっていうのが疑問なんだけどね
もちろん、ただひとつの正しい答えなんてないだろうけど、
何らかの見解、学説、ヒントがあれば良いなって思うだけ
戦国の頃には既に伝統的権威って認識はあったっぽいし、
さらに時代をさかのぼるんだろうとは思う それは『日本書紀』の頃からです
だいたい貴殿の意図は歴史と結果を取り違えている。現在もその認識は定着してない >>969
サンクス
『日本書紀』、つまり奈良時代の頃からって感じですか
>>貴殿の意図は歴史と結果を取り違えている。
これの意味するところが自分にはいまいち分かりません
現実に皇室は長く続いてきて、現在では皇室は日本の
歴史や伝統を象徴するものと認識されていると思いますよ
(全員とは言わないけれど、多数の国民にとって)
しかし、そういう認識をされ始めたのは平成とか
戦後とかじゃないでしょう? 自分の定義がはっきりしてないからいくらでも他人の善意からの答えを否定できる
つまり中二病のお子様ってことだよ。 「主上御謀叛」という概念もあって天皇陛下より上位の概念があるんだよ
近頃も天皇御乱心で譲位を強行されたでしょ? 例えばGHQがその伝統を認識され始めたのは絶対に戦後のことですよ!!
馬鹿な左翼は戦前からと言いたげですがw 京都御所は何故、
国宝じゃないの?
(´・ω・`) 財産権の関係があったんじゃなかったっけたしか。
完全な私有物にしておきたいから国宝の指定を
断っているものがあるという話しは別件で聞いた
ことがある 「日本の歴史、伝統」や「伝統的権威」の定義を深く考えずにお答えすると
以前にもここで申し上げた気がしますが
崇峻天皇暗殺後に蘇我馬子が天皇にならなかったことから
この時には血統上での権威は確立されていたと思っています >>974
Wikipediaの御物や正倉院によると
指定しないのは単なる慣例で
理由として「宮内庁による十分な管理が行われているので指定は不要」と宮内庁が言ってるみたいです https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1515715115/809-810n
809日本@名無史さん2018/03/25(日) 18:27:33.67>>842
天皇家の権威が他の豪族と大差ないなら
崇峻天皇暗殺後に馬子は天皇になれるでしょう。
もっと前から一定の権威を確立していたと思います。
810日本@名無史さん2018/03/25(日) 18:29:51.20
リロードせずに書き込みました。
>>808でおっしゃることとかぶってるところもあると思います。
その権威をいつどうやってかくりつしたかはよくわかりません。 >>970
>(全員とは言わないけれど、多数の国民にとって)
多数の庶民が天皇の意味を知ったのは明治政府の努力の結果です。知識人は天皇を知っているけど庶民は
それが何かよく知らなかったので明治天皇を全国各地に行幸させたり写真を配ったりして知らしめる必要があった。 >>978
ありがとうございます。こちらではなくあっちでしたか >>974
国宝相当だとは思うが今の京都御所って
一番古い部分でも幕末安政年間の建造物でそこまで古いわけじゃないからなあ >>975
犬山城天守は、10年くらい前まで旧城主の成瀬家の個人所有だったよ 重要文化財(国宝含む)になると海外に売却できなくなるので
美術品関係はいやがられる >>982
個人所有だと維持費を背負いきれないので財団法人化したんだよな。 信長と正室の濃姫との間に子供がいなかったのは、
濃姫がスッゲーブスだったからなんですか?
(´・ω・`) 定説はないけれども親族関係が複雑な絵にかいたような政略結婚だから
後難を避けて最初から手を付けなかった可能性はあるね どうしてですか? 道三の孫がいたら美濃侵掠の大義名分が立ったのでは(毛利元就みたいに 当時の美濃は土岐頼芸派の方が圧倒的多数だったんじゃないかな 竜興が義兄になるしな。当初の力関係的にはむしろ従属させられる危険のほうが高かったんじゃないか。 >>986
龍興じゃなくて義龍では
道三の後継者は長子義龍か娘婿信長か、という形で争ってたわけだろ 琉球王国の清に対する朝貢貿易が赤字だったという文をネットで見ました
朝貢は進貢側が非常に有利な貿易だと思っていたのですが本当に赤字だったのでしょうか >>990
道三が義龍に攻められて娘婿信長が救援に来たから
道三は信長に美濃国を譲るとしたんだろう
(美濃国譲り状の話は史実ではないとも言われている)
濃姫が信長に嫁いだ時点から将来は息子にではなく信長に美濃国をやるよ
と道三が心づもりしていたわけでもなんでもない
道三が側室腹の長男義龍ではなく正室腹の孫四郎や喜平次に美濃国を譲ろうとしたことが
義龍との亀裂の原因だと言われている >>993
まあ、そりゃあたりまえだな
譲り状とかデマだろうけど、信長が美濃侵攻の口実に使えそうな建前なんて、他に見当たらない
そういう理屈をでっち上げて攻め混んでたんじゃないかと思った >>992
琉球王国・沖縄の歴史を学ぼう.
ttps://www.ryukyu-history.com/ryukyu-history/post-123 >>995
「日本から借金をしている」
と夏子陽が皇帝に進言したと書かれています。
誰が琉球に金を貸したって?そして海洋交易立国の琉球が皇帝からの返礼の品を売っても返せない
ような高額な貢納品なんてのもおかしな話だと思うんだけど。
と書いてる俺も実態を知ってる訳ではないが。 >>996
判りにくい文章になってしまったのでまとめます。琉球は地場産業が無いから海上交易で儲ける国なんだから
貢納品が高額になってもそれ以上の値段で返礼品を売れないとしたら商売が下手すぎます。 琉球からの輸出品なんか赤サンゴくらいしかなかったんじゃないのか
真珠とかもなかったはずだし このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 506日 3時間 32分 17秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。