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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart37【歓迎】 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん
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2017/03/22(水) 19:21:12.15
分からないことがあるときは、スレッドを立てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問については、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。
質問が続くようでしたら、「名前」欄に「最初の質問のレス番号数字」を入れることをお奨めします。
人名・用語について調べたいときは、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

※まずは下記でチェックしてください。
日本史・世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html

<お願い>
・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・このスレでは過度な論争は自粛してください。

前スレ
日本史・スレッド立てる前に質問をPart36
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1431960606/
0159日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 22:14:01.95
皇室崇拝は違うと思う
先祖崇拝ではなく氏神崇拝ではないか
0160日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 22:23:37.79
>>158
記紀に穢れを落とす話が出てくるので、穢れ忌避観←→清浄重視観は古くからあるんじゃないかな
0161日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 22:23:40.63
自分はおっさんで子供の頃から歴史は好きで成績も良かったけど、
「鎮護国家仏教」や「国家仏教」って言葉は習わんかったのは間違いない
でも、ここ見て手元にある「もう一度読む山川日本史」っていう高校の
歴史教科書っぽい本を見てみたら「国家仏教」って言葉は載っていたわ
でも、これってやっぱり比較的最近になってからじゃないかな
0162日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 22:54:09.96
>>161
先ほど間違えて語尾に「?」つけましたが、今の教科書には割と「国家仏教」はのっています。
昔はメジャーではなく、近年浮上した気がしますが、はっきりとは言えません。
Wikipediaにも書いていますが、定義が不明確で筋のいい語句ではないと思います。
政教分離以前なら大なり小なりあてはまるでしょうし。
井上光貞あたりが源流で
聖武天皇らの国家仏教→道長らの貴族仏教→親鸞らの民衆仏教みたい流れを説明しますが
行基の民衆仏教→貴族仏教→五山制度の国家仏教(臨済宗)と
ピックアップ次第で逆の流れになるという批判があった気がします。
0164日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 23:05:55.50
国立国会図書館のデジタルコレクションで「国家仏教」を検索すると
1940(昭和15)年代からすでに使われてますが
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&;searchWord=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BB%8F%E6%95%99&viewRestricted=0
例えばこれ
国立国会図書館デジタルコレクション - 日本仏教史概説
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048251/8

「鎮護 仏教」でも
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&;searchWord=%E9%8E%AE%E8%AD%B7+%E4%BB%8F%E6%95%99&viewRestricted=0
1940年に使用例あり
国立国会図書館デジタルコレクション - 空海と最澄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040612/21
0165日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 23:18:31.85
「鎖国」は志筑忠雄の享和元年(1801年)の『鎖国論』において
ケンペルの1727年刊行『日本誌』の一節を訳したもの
>日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理

つまり志筑忠雄が「鎖国」という言葉の生みの親ということになる
0166日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 23:43:57.87
いや。その前にオランダ東インド会社が使っているよ
0167日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 23:44:37.28
専門用語はちゃんと来歴がはっきりしてるものはそちらを使うのが本則だし
逆にそれを批判的に体系化するさいに、別の用語をラベルとして用意して
整理するという方法がとられるので、この点はきわめて慎重に扱わないと
いけない。「鎖国」というラベルはその典型で、現実にはそのような呼称が
当時はなかったにもかかわらず後世のラベルによって当時を演繹的に
再定義してしまう誤謬のもとになりかねない好例といえる。学術的批判に
耐えうる史学とはそのあたり慎重厳密にあつかうのは本則。
0168日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 23:46:23.72
>>166 そうそう。そういう「最初にラベルを作ったのは誰か」を調査していくのも重要な貢献。
0169日本@名無史さん
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2018/05/20(日) 23:53:32.34
つまり日本は俺(オランダ)の縄張りだとオランダが主張しているんであって
幕府の祖法でも,日本に鎖国があった訳でもない
0170日本@名無史さん
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2018/05/21(月) 00:41:22.61
>>160
アマテラスからしてイザナギが黄泉の国の穢れを落とすために禊して目を洗った時に生まれたんだしなぁ。
0171日本@名無史さん
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2018/05/21(月) 01:23:59.62
>・皇室崇拝

ここは嗤うところだよな。いつから皇室を崇めたつと思ったのか? 左翼脳w
0173日本@名無史さん
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2018/05/21(月) 10:57:17.35
神道を特集した記事で神道の三大思想として
自然崇拝、祖霊崇拝、皇室崇拝が挙げられてた
0174日本@名無史さん
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2018/05/21(月) 11:14:22.36
>>164
ありがとうございます。年寄なのでこれで検索という発想が出てこなくて…
>国立国会図書館のデジタルコレクションで「国家仏教」を検索すると
>1940(昭和15)年代からすでに使われてますが
その次は一気に90年代まで飛んでいます。
しかもヒットしたものの半分は東南アジア関連です。
やはり「国家仏教」はメジャーな語とは言いがたいようです。
その中で2011年のセンター試験の評価委員会報告で使われているのが目を引きます。
この頃にはそういう業界では浸透していたということでしょうか。
>「鎮護 仏教」でも
やはり「鎮護国家仏教」という語句はありませんね。
というか「鎮護」が使われていないものもたくさんヒットするんですね。
0175日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 11:25:48.20
>>173
アニミズムは世界規模で見られる
儒教は支那
皇室? 何それ
0176日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 12:58:03.33
明治の国家神道では皇室崇拝は外せないよ。ただ皇室(アマテラス信仰)あるいは
その系譜が全てでは無いから教義の不統一問題が明治の初年から大問題になる
わけで。
0177日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 13:06:27.35
多神教のばあい、たとえばギリシャのスパルタはヘラクレスと女との子孫が王家の始まりだとしていたけれども
他のポリスはまったく別の神を崇拝したり神の半神の子孫だと称したりしていたわけで、仮にスパルタがギリシャ
世界を統一する王として君臨したとしても、ヘラクレスは王家の祖先として崇拝され、ヘラクレスの父ゼウスは
ギリシャ世界で広く信仰されているのだから、そのばあいスパルタ2王家とは関係なくヘラクレスもまた礼拝の
対象とする者もいておかしなことではない、という関係になる。逆にかりにスパルタ2王家がギリシャ世界に
対してヘラクレス信仰を強制することをもって2王家崇拝を強要したのならばそれは王家崇拝という関係になるだろう。

日本神道のばあい、内地や台湾挑戦で神社崇拝を強制した10年ほどの期間があって、その間に仏教界や
キリスト教会の反発する時期があったことをもって「神道には皇室崇拝の要素があった」と指摘されることは
避けようがない。むろんそれはまったく神道の本質ではなく、あくまで政治史におけるあるひとつの時代の
描写としてそのような用語が利用されうるということである。
0178日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 13:10:30.14
神道と皇室との関係について争議となったのは朝鮮ではなく、最初におきたのは仏教界との紛争なんだよ。
そこにはほとんど言及されず、キリスト教会とりわけ昭和10年以降になってからの朝鮮における問題のみを
あたかもそこではじめておきた問題のように書かれる教科書(の文脈)が多いため、これが誤解となっている。
0179日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 13:17:11.73
だれも質問してないのに連投する板違いキチガイが絶えない件
0180日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 13:24:08.49
>>112 の質問にチアする>>173 の言及に対する>>175 の根拠のない批判に対して
それを否定するためのレスですので関係はあります。不適切な回答をすべきでは
ないというのは >>175に対して行うべきでしょう。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 13:25:48.10
>>171 >>175 ですね。文脈はむろん適切に使用すべきですが神道を論じるうえで
皇室崇拝の文脈は出てきておかしくない論点です
0182日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 13:33:56.49
天皇≠皇室

終わり
0184日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/21(月) 14:01:17.90
本スレでは「天皇の存在は知られていたか?」という高尚な質問がされているが

自称初心者スレでは「皇室崇拝が行われていた」と何段飛びのプロ議論が
天皇制が共産党の造語だと知られ皇室制度なる制度を創始してこの有様
0186日本@名無史さん
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2018/05/22(火) 09:43:17.28
>>174
えーっとですね、「保護期間」ってのがありまして
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&;searchWord=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BB%8F%E6%95%99&viewRestricted=0&viewRestricted=2
1930〜1939(2)
1940〜1949(9)
1950〜1959(7)
1960〜1969(6)
1970〜1979(2)
1980〜1989(7)
1990〜1999(5)
2000〜2009(8)
2010〜(12)
不明(2)

これを見るとけっこう使われ続けてるみたいですよ
年をとっても自分の世界を広げられないと恥をかきますね
自分も気をつけないといけないですね
0187日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/22(火) 10:32:32.27
>>176
明治時代の国家神道は国の方針として
天皇を現人神と認定しその先祖を崇拝するというものだから
自然発生的な自然崇拝、祖霊崇拝とは明らかに違う
昭和天皇の人間宣言で国家神道は否定されたし
0188日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/22(火) 23:38:48.70
飛鳥時代くらいは神官・神職って神祇官として国家公務員的存在だった
その後、中世の神仏習合時期は国家公務員的存在ではなかったと思うけれど、
明治維新において神祇官制度が復活し、国家公務員的存在に戻った
しかし、その後またすぐに神祇官制度がなくなり、国家公務員的存在ではなくなった
その後、国家神道の動きが進み、神官・神職がまたまた国家公務員的存在となり、
終戦後の神道指令において国家神道が解体され、国家公務員的存在ではなくなった
日本の歴史において、これほどひとつの職業、存在が公務員〜非公務員の間を
振り子のように揺れ動いたものって他に何かありますか?
他にはちょっと想像できないのですが、みなさんどう思われますか?
0189日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/22(火) 23:42:50.76
↑に追加なのですが、僧侶・仏教僧のほうはいかがでしょうか?
奈良時代の鎮護国家において、国分寺や国分尼寺の住職なんかは
国家公務員的存在と見てよいのでしょうか?
その後の神仏習合時期の僧侶・仏教僧は如何でしょうか?
江戸時代のお寺は今でいう役所の市民課の要素も兼ねていましたが、
江戸時代のお寺の住職も国家公務員(地方公務員?)的存在と言えますか?
0190日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/22(火) 23:46:37.58
明治以降はずっと国が神職の人事権を握ってたぞ
神祇省→教部省→内務省だ
0191日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/22(火) 23:53:23.83
>>189
当初は国が認めない人間は僧籍になれなかったし
国が人事権を行使していた
0193日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 00:08:37.68
>>190
ということは、明治以降〜神道指令まではずっと国家公務員的存在と見て良いのですかね
>>191
国が認めて僧籍となった人だけ国家公務員的存在と見て良いのですかね
>>192
厳密にはわかりませんが、まあ国の役人ってことになりますね
0194日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 00:15:26.31
>>193
国の役人の意味するところは?

役所で働くという意味なら、一部の例外を除いて神官も僧も役人ではない
0195日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 00:39:03.35
>>191
聖職叙任権闘争はなかったぞ
弁護士・医師・教職の資格全て国が認めているが,国家公務員的存在? 御用商人の方がしっくりくるが
0196日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 00:49:23.98
>>193
>国が認めて僧籍となった人だけ国家公務員的存在と見て良いのですかね
民には納税の義務があったが僧は免除されたので、私に出家する僧(私度僧)が増えた。
それを放置すると税収が大変なことになるので許可制にした。だから全ての僧が公務員ではない。
官営の寺に属する者はまぁ、公務員と言えるかもしれない。
0197日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 00:56:32.14
>>196
>私度僧
ちなみに「度」とは渡すの意味で俗人を修行の道へ導くことを言う。
「縁無き衆生は度し難し」(仏縁のない者を教え導くのは難しい)
0198日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 08:07:09.85
中公文庫の日本の歴史と講談社学術文庫の日本の歴史
中公文庫の方が読み易そうな気がしたけど、内容的にはどっちが充実してますか?
0199日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 10:10:30.09
>>194
>>190氏の言によると「国が人事権を握っている」ことになるのかな

>>196
官営の寺とそうでない寺とがあったのですか?
その場合、官営の寺の住職は(国家)公務員的存在、そうでない寺の住職は民間人的存在?
現在で言うと、市立小学校の教師と私立小学校の教師みたいな感じですか?
0200日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 10:11:10.49
>>187 ところがその肝心の『国の方針』と言うものを精査していけば
文部省が外部の学者に執筆させたものを文部省の名前で公表する
ことをもって、文部省の見解として表示しているだけで、詔勅や勅令、
法令などで説示してるわけではないのだよ。これが明治憲法体制の
ひじょうに曖昧でありまた統治側に都合のよいところ
0201日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 10:17:53.27
明治以前は神社仏閣には寺領神領があって封建自治(裁判権含め)が認められていたのが
版籍奉還ですべて国家に召し上げとなって経営が成り立たなくなったのが明治初期の混乱の
元だね。このさい神社は国家機関として組み込まれたのでむろん経営には歳費が支払われた
けれども寺院は対象ではなかった。
0202日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 12:26:56.31
>>198
基礎的な部分の網羅では中公文庫のもとになったやつが上回る
が、中公文庫の方のもとが八十年ごろだったか? ちと古い(もっと古かったかも
各巻末尾に2000年頃の追加情報が付いてはいるが、本文が古いのはどうしようもなく。
といっても講談社のも九十年代後半の本だから、さほど新しくもないんだよな
それより新しい他社の通史は文庫化されてないと思うけどさ
0203日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 12:28:26.98
>>200
大日本帝国憲法 
第三条「天皇ハ神聖不可侵ニシテ犯スヘカラズ」

天皇を神聖なもの(=神)と憲法で定めているのだから国の方針
0204日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 12:32:43.68
>>201
寺領神領と自治が与えられたのは大寺などだけだよ
中小の寺社は江戸時代も檀家や氏子からのお布施に支えられていた
寺は寺請制度によって檀家の冠婚葬祭や戸籍管理、通行手形を管理、
神社も集落によって氏子が決められ村ごとの祭礼を行い
それによって檀家や氏子たちは寺社にお布施を納めていた
明治政府から歳費が払われたのも国家神道と直結する一部の大きな神社にだけだよ
中小の神社の神主まで歳費を与え公務員同様に国家が養ったわけではない
0205日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 12:50:29.52
でかいところでなくても寺領神領(朱印地)はあるよ。
村高の一部(相給地)で数十石とかそんなレベル

自治権はないけど。
0206日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 13:18:58.97
すべての寺社に朱印がもらえたわけではないだろ
0207日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 13:26:28.20
裁判権みたいなのは本寺に帰属するけれども寺社の封建的性格はかわらんよ。
0208日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 13:28:45.37
>>203 文部省は天皇じゃないだろ。文部省がある学者に論文書かせて
それに文部省と書いて発行したからといってそれが国家の基本方針と
なるようには帝国憲法は設計されてないんだよ。そういう都合のいい
ところがあったんだ。
0209日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 13:32:07.77
有名な「国体の本義」なんかも文部省が学者に書かせて勝手に出版したものであって
あんなのは帝国の基本方針でもなんでもなかったんだよ。これを戦後の内閣一致の
文脈で読むから、あたかもあれが政府の基本方針と読み間違ってしまう。帝国憲法は
上から下を支配するためにじつに都合よく設計されてるんですよ。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 14:20:12.04
大日本帝国憲法は文部省が勝手に発布した
国は関与していないって誰の説?
0212日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 15:05:14.10
帝国憲法は責任の所在が階層的にしかも複数ある構造になってるんだよ。
文部省のしでかすことに陸軍も逓信省も責任はないし拘束もされない
責任もたせたり拘束したりするためには立法措置するなり勅令が必要
文部省は大臣の責任において天皇に対してのみ責務を追えばよいという構造
0214日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 16:28:31.26
>>199
>>>190氏の言によると「国が人事権を握っている」ことになるのかな
それに該当するのは時代とポストが意外と限定されると思う。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 16:55:51.67
>>212
大日本帝国憲法の何条から何条までが
文部省が勝手に書いたので陸軍も逓信省も
文部省以外の人間は責任も拘束もされない部分なの?

つうか憲法に拘束されるのはそれを作った文部省だけって
もう憲法じゃないじゃんw
0216日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 17:35:52.15
遅レスですが
>>186
なるほど。ありがとうございます。肝に銘じておこうかと思います。
いずれにせよ有意なデータではなさそうですね。

>>161
私が使っていた昭和末期の山川の教科書を見てみると
天平文化に「国家仏教の発展」という節がありました。
私も全く記憶になかったので驚きました。
本文には「仏教は国家の保護をうけていっそう発展した」とあるだけで
定義的な説明はなく不思議な感じはしますけどね。
一方186の検索で「鎮護国家仏教」は日蓮宗関係の一件のみ、論文検索ではゼロなので
やはりこの語はかなりマイナーと見てよさそうです。
0217日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 20:53:33.75
>>215 帝国憲法55および伊藤「憲法義解」
憲法義解には大臣は補筆であり君主の代理ではない、大臣は議会に責を問われず
ただ君主にのみ責をとわれる、議会は議院を通じて君主に奏上することができるので
間接的に責を問える、また大臣は専任職であり連帯して責任を問われないとはっきり
記述してある。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 20:56:08.97
なお「憲法に拘束されるのはそれを作った文部省」というのは
悪意をもった意味不明の文言の捏造なので
そのような恥知らずな弁論は控えるようにしなさい。
帝国憲法は太政官により作成され天皇の御名御璽により
発布されたことは万人の知る所であり文部省など関係ない。
0219日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 21:47:00.03
なお「憲法に拘束されるのはそれを作った天皇陛下」
家法である
0220日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 22:31:44.45
とりあえず阿呆がスレに常駐してることはわかったので
あとは適宜あぼんする
0221日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 22:32:50.68
>>216
国家が仏教の力を使って国を治めようとしたって内容は習ったけど、
「国家仏教」ならびにそれに類するような言葉は習わなかったですよね〜
0222日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/23(水) 23:01:40.91
国家が仏教の力を使って国を治めようとしたって内容は習ったことがない。
国分寺・国分尼寺・東大寺を作っただけ。そんな穿った解釈も習わなかったよ
0223日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 02:12:44.41
とりあえず阿呆がスレに常駐してることはわかったので
あとは適宜あぼんする
0226日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 13:29:56.04
一向宗って浄土真宗のみを指して言うのですか?
日蓮宗の方が過激で、日蓮原理主義的な
ものを
感じますが、日蓮宗は一向宗に含まれませんよね
0227日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 14:11:33.18
>>226
もともと中世には時宗や浄土宗の一派も一向宗を名乗ったものがあり
浄土真宗に限ったものではなかった
しかし江戸時代、江戸幕府が浄土真宗に対して
正式名称を一向宗に変えるように強要した

徳川家康は浄土宗だったが、三河一向一揆に苦しめられ浄土真宗を嫌っており
天下の徳川将軍家が菩提寺とする浄土宗と一字違いな上
こっちが真実の浄土宗みたいな宗名を浄土真宗が名乗るのを許さなかったとか

江戸幕府滅亡後、明治時代に正式名称を浄土真宗に戻している
0229日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 17:21:28.91
お聞きしたいんですが、歴史群像等の月刊誌(昔は季刊誌でしたが)のバックナンバーを揃えるという行為はコストパフォーマンス的にどうなんでしょうか?
揃えてる人は「本には載ってないことが雑誌に載ってることが多い」と言ってるんですが
0230日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 17:41:21.92
趣味のものにコストパフォーマンスを問われたら悪いに決まってるじゃない。
0232日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 22:31:33.93
日本の学習指導要領に基づいた教育ではなかったのだろう
0234日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 23:56:36.28
>>231
聖武天皇がカルトにはまって散財し,荘園が生まれた
その後藤原氏の貴族が台頭って流れの話だから
0235日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/25(金) 01:07:01.17
>>221
ですから
あなたが高校で日本史を履修しなかったか45歳以上か山川教科書を使わなかったかの
どれかに当てはまるならそういうことですね。
0236日本@名無史さん
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2018/05/25(金) 11:18:18.65
90年代はあやしげな「歴史用語」が無批判で出回り始めた時代だからね。
史学は科学として完成されているようなものじゃなくて、ほとんど研究者個人の
おもいつきと嗜好で書かれたエッセイに近いものだよ。これ経済学や法学でも
そうなんだけどさ。
0237日本@名無史さん
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2018/05/25(金) 11:19:52.07
鎮護国家という語と「国家仏教」という概念はまったく別のものと峻別すべきと
わたしは思いますよ。前者は陳述で後者はラベルです。
0238日本@名無史さん
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2018/05/26(土) 00:10:30.78
以前、歴史博士が答えるスレで、鎌倉時代の執権よりも北条得宗(家)の方が
重要度は高いって話がありましたが、それは本当でしょうか?
義務教育たる中学の歴史でも執権は鎌倉時代の最重要レベルの用語として
出てきましたが、得宗(家)は出てきた記憶がありません
自分が得宗(家)を知ったのはもっと後になってからでした
歴代の有名な北条氏を検索しても、まず最初に第○代執権ということが紹介され、
その後で得宗(家)ってことが出てきます
それらを鑑みると、やはり重要度でも執権の方が上ではないかと思います
確かに得宗(家)の方が実権を握っていた面があるのかも知れませんが、
それは北条氏内部の家督争いやら勢力争いのことであって、
幕府の要職としての執権の方が広い目で見て重要度は高いという自分の考え方を
みなさんはどう思われますか?
0240日本@名無史さん
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2018/05/26(土) 10:32:13.56
得宗は幕府の役職じゃないからね、幕府の役職としては執権が最上位
ただ、執権を出す北条氏の内部序列が執権より上だ
特に鎌倉時代末ごろになると北条氏の家人である御内人がすごく多くなって、幕府より北条氏のほうが影響範囲が広いぐらいになってるだけに、どうしても執権より得宗の方が上にならざるを得ないのではないかと
0241日本@名無史さん
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2018/05/26(土) 10:42:05.19
得宗=北条家の家長
誰を執権にするかなどの権限を持っていたのが
北条家の家長である得宗
勿論、実際に幕府で政治を行うのは執権だが
執権を挿げ替える権限が得宗にある
0242日本@名無史さん
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2018/05/26(土) 11:08:12.36
御内人といって幕臣じゃない、北条氏家臣(幕府から見たら陪臣)が激増してて、北条氏以外の御家人の領地を合わせたより御内人の領地の方が多いぐらいになってったんじゃなかったか
御内人に対する命令権は幕府にはなくて得宗だけが持ってるんだから、執権への人事権がなくても幕府より得宗の方が軍事的にも経済的にも力が大きいぐらいだろう
0243日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 11:33:37.81
成り上がり者だった秀吉・家康には豊臣恩顧・徳川四天王といった忠臣(?)が集まったのに
信長には1人もいなかったのですか? 新興といっても守護代の分家で立場的に恵まれていたのに
変死とはいえ人望なさすぎではなかったですか??
0244日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 12:42:51.43
一族内部での主導権争いで旧臣の多くが一度は敵対してるからなあ
それに対する旧怨を信長自身が持ってる関係上、古くからの家臣が足りなくて信長の代で新規に召し抱えた新興家臣ばかりになるのはしかたない
その意味では家康や秀吉と大差ないほど家臣の層は薄かったんじゃないかな。
弟信行(信勝)との争いより以前からの家臣で信長晩年まで残ってるヤツなんていないじゃん

信行家臣から信長に鞍替えした柴田勝家とか、信長家臣から信行擁立に荷担した後で戻った林とか、その辺が最古参じゃないかな
守り役で切腹した平手の子供らはあんまり信長とうまくいってなかったようだし。

でも、清洲会議の頃の家臣らは、信長生前の体制を復旧しようという指向性をまだ残してたっぽいんだよ
その後の経緯で内部崩壊してしまっただけで。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 13:25:07.36
執権よりも得宗の方が強かったとしても、必ずしも得宗の方が重要とは言えないだろう
本当に得宗の方が重要であれば、中学の日本史でも出てくるだろうし、検索したらまず得宗の方が先に紹介され、
後で執権が出てくると思う
0247日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 14:30:52.46
>>243  
秀吉は成り上がりだが豊臣恩顧の加藤や福島は秀吉の親類だからなあ

家康は三傑の中では一番出自はマシ
5代前から城主やってて5代前から仕える譜代がいた
ただし家康の親父も祖父も自分の譜代家臣に20代で殺されている
0248日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 16:09:22.59
得宗 ←人事権
執権 ←権限あるポジション

こんなところですかね。「得宗」という語義じたいも論者によって
いろいろな解釈があって確定的じゃないんですよね確か。現代で
いうところの「宗家」「本家」とでも言う程度の語義で。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 16:36:04.22
>>245
中学の教科書では承久の乱の時の執権北条義時とか
執権北条泰時の御成敗式目ぐらいしか出てこないからだろ

鎌倉幕府滅亡時の幕府最高権力者が北条高時だった
(執権は北条守時だが先に戦死している
鎌倉幕府は執権北条守時の死ではなく
得宗北条高時の死によって終焉した)
ことは高校日本史からしか習わない
0250日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 17:44:20.87
なるほど、得宗という権力が確立される前の執権しか教科書に出ないから、得宗と執権の関係は出てきようがないわけか
0251日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 20:28:06.06
そもそも中学校の教科書はものすごく端折っています。
実像よりもわかりやすさ、説明の簡潔さが優先されます。
鵜呑みにしない方がよいと思います。
0252日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 20:33:33.35
鎌倉幕府の政治機構とか呼ばれる組織図だって、同時期に併存してたわけではない時代違いの組織を併置してるぐらいだしな、
実態から離れた説明が多発するのもしかたないとこではある
0253日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 22:05:06.19
>>244
池田恒興,前田利家,丹羽長秀は?
0254日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 22:14:15.97
>>249
その北条高時も検索してみれば、ウィキペディアでは「最後の得宗」というのが最初に紹介されるが、それ以外のコトバンクやニコニコ百科他などでは「第14代執権」というのが最初に紹介されている
北条時宗も同様であった
0255日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 23:05:51.33
日本史において、関東地域は結構時代が下るまでは朝廷から
「外界の地」「未開の地」のように思われていたと言います。
しかし、その割には日本において格式が高い三大神宮のうち、
トップである伊勢神宮に次ぐ香取神宮と鹿島神宮のふたつが
千葉と茨木に創建されたのが腑に落ちません
また、東京の浅草寺も仏教寺院として日本有数の古さだと
されています
なぜ「外界の地」「未開の地」のような場所にそんな格式高い
神宮や創建されたり、有数の古さ(歴史)をもつ寺院が建てられ
たのでしょうか?
0256日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 23:12:08.38
浅草寺が古いってのは自称で、考古学的に確認できているのは中世から
0257日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/26(土) 23:25:52.94
>>255
>香取神宮と鹿島神宮のふたつが
香取神宮の経津主神と鹿島神宮の建御雷神は、ともに国譲りの際に活躍した軍神なので
坂東のまつろわぬ民に睨みを利かせるためと考えられる。
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