【久野】狗奴国は「クノ国」の事である【久能】 [無断転載禁止]©2ch.net
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狗奴国は「クノ国」の事である。
「久野」「久能」を冠する地名が今もたくさん残っている神奈川から静岡にかけて
広がっていた大国の事である。
3世紀の東日本で最も規模の大きな古墳が集まっている「沼津」あたりが
都だったと考えられる。
その中で一番規模の大きな前方後方墳である「高尾山古墳」が卑弥弓呼の陵墓だと
思われるが、最近調査されている。 大和言葉は漢字じゃ判断出来んけど…やまと山人はなんかシックリ来るな。
ただ、わざわざヤマトと呼ぶ辺りに海人からの派生やと思った。
はいとは吠人と言う意味やと思うわ。
ヤマト山人、これは本当にシックリ来る。 だいたい狗奴國を本当にクナコクと読んでたのか…。
>>529
此れだと吉野から紀伊半島の熊野あたり一帯が狗奴國やったかも辻褄が合う。 じゃあ北九州以外は全て狗奴国だったってことか?
……まあ大陸全土の協力があれば押し負けるのは仕方ないが 九州北部から水行二十日、水行十日、陸行一月までしておきながら、
まーーだ九州北部にいるんだからなあw
ちょーウケるwwww 手漕ぎボートだし待機時間も含めた日数だから普通じゃね?
陸行だって灌木を掻き分けながら山あり谷ありを歩いてるし夏だから湿気と暑さでなかなか前に進まないだろ
しかも荷物もたくさんあるし 一大率という出先機関をわざわざ作ってる時点で
投馬国邪馬台国までが九州北部で収まっているとは思えない
途中から日数表記に変わっていることからも
当時比較的交流が盛んだったと思われる九州北部から
離れたところにあったと考えるのが妥当 邪馬台国が九州から畿内にまたがる瀬戸内沿岸連合なら
邪馬台国到着自体は九州内 女王国はその先で解決 やっぱり邪馬台国は畿内だろ
そうでなければ狗奴国が大きくなりすぎる クノ、は、クの、やったんかもな。クの國なら分国と言うのも有ったと思うわ。
それは、列島の各地に結ばれた、クの人、らのネットワークを表してんの違うの。 高野山密教の連中とかがどこまで把握しているのかが問題だな
まあおそらくほとんど分かってないんだろうが >>547
それはこのスレでは禁止ワードになりましたとさ 歴史系のスレには高確率で真性キチガイが涌くけど、面白い共通点として
いくら叩かれてもへこたれない
という性質がある
根絶は難しいな 1だが、俺はシレーッと見ているだけだけど、あんまり基地な事を書くと、マジに怒りだす人もいるからね。
で、俺がやってると思われるの。
もう、どんだけ〜って感じ。
だから、ヤバいときはおやめ下さいと一応ダメ出しはします。 久野なんて地名は全国にやたらある。
それが全部狗奴国の勢力圏だなんてことはありえない。
我が国統一されてながいけど日本中のあちこちに
ニホンとかヤマトとかヒノモトとかの地名がやたらあるわけじゃないだろ
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狗はクかコ、奴はナ・ノ・ヌのどれかだから
クナ・クヌ・クノ・コナ・コヌ・コノまでが許容範囲。
子音違いの球磨郡や熊野、桑野は論外。
母音違いの狩野・加納・毛野も避けるべき。
ただし現代地名の久野じゃなくて古地名じゃないと。
古地名ってことでいえば断然、蓋然性が高いのは久務国造の「久務」だろうな >>552
ウソですね。
全国にないです!(キッパリ
ずばり「クノ」の二文字だけの地名は静岡〜関東+長野を除くと、
山口と三重くらいしかありません。
久務国造は狗奴国が日本武尊に滅ぼされた後に、大和政権が置いた役職で、
狗奴国の王族の後裔である可能性は低そうです。
狗奴国の王族は都の足高尾遺跡群で日本武尊の火攻めにあって、
ほとんどが焼け死んだものと思われます。
焼津の語源は日本武尊による、焼いて焼いて焼き尽くすという戦法の焼き尽くすから
焼津と名付けられたのです。 焼けるように暑い港だからじゃないの?
夏に焼津行ったらめちゃくちゃ暑くて死ぬかと思ったよ 違うんです。
事実は残酷で、日本武尊の火攻め戦法の「焼き尽くす」から「焼津」と
名付けられたのです。 まあ木造建築物は定期的に焼いた方が経済的には好都合だけどね
新築になるし 東海は出雲山陰と並び大和朝廷の主体だな。
纒向遺跡の外来系土器で一番多いのは東海系。
静岡は初期の大和朝廷の一員、邪馬台国側ということだな。
狗奴国ではない >>559
何度も読んでますが何か?
ずばり「クノ」二文字だけの地名は静岡〜関東+長野を除くと、
山口と三重くらいしかありません。
全国にないです。
全国にありませんので(キッパリ! >>557
単に愛知県の土器が纏向に入っただけだろ。
邪馬台国連合と狗奴国の国境は天竜川。
高尾山古墳からは滋賀あたりまでの土器の出土はあるのに、
奈良以東の土器の出土はなかったそうだよ。 信濃、美濃は勢力圏に入っていたくさいが、北関東は入ってないだろう
毛野氏は邪馬台国の側だったと思われる >>561
>単に愛知県の土器が纏向に入っただけだろ。
東海忌部だね。 伊勢忌部や東海忌部が奈良盆地の開拓にやってきたのさ。 奈良盆地は沼地だから最終開拓地となったんだね。 @阿波 >>505、八雲とか出雲って本当は意味が全然違うと思った。
夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。
八雲立つ出雲八重垣妻籠めの、、、此れは須佐之男命が詠んだと言う和歌の万葉仮名。
夜久毛多都:やくもたつ…八雲立つ、原文とはかなり違うけど、夜くも(食国)とは読めんかな。須佐之男命と月読命は伊邪那美から産まれたんやな。
偉そうな学者の解読はどうも穿って見てしまうわ。狗奴国て誰が其う読んだんや() 出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神である幸神、東から来て(西ではない)文物をもたらしたクナトの神、そしてその二神の子サルタヒコ。
それがオオナムチに取って代わられるんだな。
オオナムチによる出雲地方統一の結果だろう。
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいたサルタヒコ一族が追放されたからだろう。
大量に埋め捨てられた銅矛銅鐸。
出雲地方と元々交流があったのは、淡路島を中心とした環大阪湾。
出雲地方と環大阪湾が仲良くしていた時代が、イザナギイザナミの国生みの時代だな。紀元前まで。
東から来て文物をもたらしたクナトの神。
環大阪湾の勢力の可能性が高い。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸を見ると、サルタヒコ一族は畿内各地に逃げ延びた可能性が高い。 >>568
逃げ延びたというか、大陸に途方もない大きな国があって、
想像を絶するほどの数の兵士がいる国だと知ってたので、
九州瀬戸内に防人を置き、首都移転の意味で葛城を中心に畿内各地に移住したのだろう。 日本を脅かすような水軍を動員できる国は唐までない。 ヤマタノオロチは、元々は丹後半島だろう。
紀元前後王が殺されて、一族が畿内で逃げ延びた。
丹後半島に遅れて、1世紀には淡路島、池上曽根遺跡などで鉄工房が始まる。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
彦根の稲部遺跡でも鉄工房が見つかっている。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。
環大阪湾の倭人、丹後半島を追われたヤマタノオロチ族、出雲の神庭を追われた出雲族が協力して作ったのがクナ。 サルタヒコ。
出雲族の姫神幸神と、倭人の彦神クナトの神(素クナヒコ名)の子。
倭人と出雲族の同盟の証。
月夜見にして大国主、卑弥弓呼。日見彦。暦の一子相伝者。
倭国大乱で殺されて、日本列島から暦が無くなる。
大国主とスクナヒコナの国造りは、出雲族と倭人によるクナ国建国の話だろうな。
スクナヒコナの最後は淡路島に弾かれ、或いは潮岬から逃れるとある。
大阪湾近傍にいたのは間違いない。
猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。
天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。
その近傍にイシズ川。
猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。
伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。
更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
またサルタヒコが消えたのはイスズ川の川上。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、亡くなったんだろう。 >>571
>しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
いや、海の潜る阿波の海人(あま)のこと。 @阿波 >>571
>しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
いや、海に潜る阿波の海人(あま)のこと。 @阿波 サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立 、阿波咋
国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神。
天岩戸の向こう側に追いやられた神だろう。
阿波咋、阿波で石器作りをしていた集団が、阿波の海人の倭人の勢力を乗っ取ったんだろうな。 >>65
其れな、有ると思います。
縄文の三内丸山遺跡の流通っぷりは想定を遥か越える広範囲…と言うか旧石器時代からでしょ。
東から畿内入りした人らもそのぐらい古くからの付き合いやし。 こういうスレで日付を気にする方がむしろおかしいだろ 古代エジプトしかり近代ヨーロッパしかり古代日本しかり現代日本しかり
意識をどこか遠くへ飛ばしていた方が国が富む不思議
家族や親戚や御近所さんをガン見すればするほど誰しも腐っていく
猟奇カルトに落ちない限りにおいてはスピ系や考古学者は増やすべきなんだろうな しかし難しいよなぁ
教師やお医者さんはガン見せざるを得ないからな
全部越境にすると誘拐やら事故死の確率が増えるし燃費も悪くなるし 「国の本当の大きさ確認出来る」と言うサイトで日本の大きさを見たら、かなり視座も大きくなると思う。今まで思っていた、小さな島国、とか…。
だいたい考古学抜きで古代を騙るとかタチが悪過ぎるわ。
古代の他国で書かれた文書で誤魔化せた時代と違うもんね。 問題はその考古学の範囲の広さ
サルがサルをレイプしまくって進化したのが人間だとすると、
真面目に考えれば考えるほど頭がおかしくなる
神や宇宙人に造られた人造人間説妄想に逃げたくなる気持ちもよく分かる
と言うわけで、狗奴国の話題をどーぞ 5000年前から同じ地名って日本には無いのか……
じゃあなんであの時この国だけが助かったんだろう? 要するに美女(美少女)を守るためには、
@世界志向の大企業を増やす
A国内志向の小企業を増やす
いずれかしかないってことか 魏志倭人伝にでてくる「国々」はせいぜい国造程度の規模だろ
なんで狗奴国だけが複数の県にまたがるほどデカイんだよw
普通に考えておかしいだろうが 全然おかしくない。
ヨーロッパはイギリス、オランダ、ドイツ、ポーランドなどの小国の集まりの隣りに
ロシアという巨大国家があるし、東アジアも日本、韓国、北朝鮮の隣りに
中国という巨大国家がある。
むしろ巨大国家だったからこそ、邪馬台国に対抗できたのだよ。 >>587
そうだね。 @阿波
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 原因勢力の主力の成れの果て → 邪馬台国
特命遂行中の副産物の主力 → 狗奴国
運命のいたずらで殺し合い、その後に融和
紆余曲折を経て、黒船来航で特命解除
現在に至るってことか……
やっと謎が解けたわ
でもどうすりゃいいんだこれ? >>590
邪馬台国が小国の集合体だからといって、狗奴国もそうだ、そうに違いないと
決め付けるのは単なる先入観。 倭国大乱の前は倭国の王は男王だった。
邪馬台国は女王卑弥呼の国。また女王卑弥呼の後に男王を立てるも国中が従わず、その後女王台与を立てるとある。
邪馬台国側には、倭国の男王に足る血が無かったんだろう。
卑弥呼と対立する狗奴国卑弥弓呼は男王。
こちらが本来の倭国王の正統だろうな。 ヒミコとイヨは強い霊能力を持ってたんだよ
だから従った
性別は関係ない 狗奴国はクナト国。
紀元前11世紀から日本は琉球からアイヌや樺太まで統一されたクナト国だった。
クナト神とアラハバキ神を崇拝していた。
古代出雲大社はクナト神を祭っていた。
ここに大和国が入ってきたのでクナト国は南北に別れた。 恐竜も古代世界政府も小惑星によって滅んでいる
しかしそのたびに進歩がある
カタストロフィを受け入れるべきか防ぐべきか
答えはそのちょうど中間にあるとすれば、
そもそも領域内要素の快適な最大化を最初から阻止しておけばいいってことだ >>592
狗奴国は卑弥弓呼がいた首都にすぎない
勢力全体の名が狗奴国というわけではない >>600
卑弥弓呼がいた狗奴国の首都であったと唯一考えられる遺構は3Cの東日本一の
規模を誇る巨大古墳の集まりと弥生後期〜古墳前期の大規模集落遺構の
存在から考えて、沼津北部にある足高尾遺跡群ただ一つだけ。
だが、そこに狗奴国を彷彿とさせる地名は遺されていない。
足高尾遺跡群を挟んで、東に小田原市久野が、西に久能山が、
さらに西に袋井市久能が遺っているだけ。
久能山のあたりは古くは久野郷という地名だったらしい。
地名の点在から考えて、少なくとも袋井市久能から小田原市久野までは
狗奴国だったと考えざるを得ない。 狗奴国は邪馬台国の南。ヤマトの南の河内と和泉だな。
狗古智人狗は河内彦だな。武埴安彦の祖父の河内青玉繋。
女王国に征伐されるまでは、摂津やヤマトも狗奴国の版図だった可能性もある。 >>602
河内あたりじゃ南とはいわんだろ、西とはいうだろうが
大和の南なら吉野、熊野。せいぜいがんばって紀州ぐらいだろう
伊勢なら南というより東というだろうし 当時と真逆の生き方をすればいいってことは、
できるだけ多くに貢献しつつ、最大限に見下されればいいってことか
そのぶんだけ女型が楽になると…… 邪馬台国が魏とつながっていたように狗奴国は呉と同盟
摂津と甲州は赤烏の年号の入った鏡がでてるから男王派=狗奴国側だったんだろう
狗奴国自体が東海地方にあったにしろ熊本だったにしろ
男王卑弥弓呼を唯一の倭王として認める国々は全国に点在していて
その総数が「女王国30ヶ国」に抵抗する「男王国の諸国」ということになる やっぱりシラ、白が重要なキーワードな気がする
しら、おしらさま、白日、天白、しらぬひ、
おしらさま伝承は伊勢以東、東海を中心に東北まで分布
白澤、人面の牛、牛妻
白も牛と繋がってくる
シラ、白澤、白沢、白佐波
新羅も本来はシラだな 畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
大和朝廷の主体は尾張と出雲。
次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。 >>597
クナト国の起源は2説ある。
1、エジプト王イクナートンの死後、宗教迫害で日本に来た。(BC13~11世紀)
イクナートンがクナトとなる。
イクナートン一族はユダヤ人と祖が同じで、元々アララト山麓ウラルトゥ地方に
住んでいた。
アラハバキは荒覇吐と書くが、これはアラハトと読めアララトと関連性がある。
アララトは樺太とも語感が似ている。
2、アーリア人の侵入でインドのクナ地方の王クナトが数千人を引き連れて
ブリヤート人の商人に先導されて
ゴビ砂漠~バイカル湖~アムール川~樺太
のコースで日本へやってきた。
出雲では大きな砂漠~大きな湖~大きな川を下って日本に来たという言い伝えがある。
(BC16~15世紀)
クナト王のいたのはクナで狗奴そのままであり、インドのクナ地方で話されるタミル語
は日本語起源説がある。
熊本の語源はこま(高句麗)とも言われているがクナトが正しい。 >>608
え〜 そろそろオカルト板でやられてはいかがでしょうか? >599
サバンナやジャングルでは子持ちの女性は最弱(パパ助けて! → あたりまえだ!)
法治国家では子持ちの女性は最強(あなた。ジュース買ってきて。 → ……お、おう)
後は分かるな?
そう。大事なのは変換キーだった
それが破局を防ぐんだが……法治社会の歴史が短すぎるんだよ。生物史の長さと比べて
間に色々とありすぎまくって解析不能の時代が長いし 熊とかゴジラが襲ってきたら子供を抱いた女性を最優先に守るべき
バイトリーダーが襲ってきたら、独身で身寄りのない女性や孤独な老人を最優先に守るべき
安倍総理も問題の根本が見えていない
お坊ちゃんお嬢ちゃんの参謀に囲まれていては仕方が無いが 10階建てのマンションの屋上から屋上へ笑いながら飛び移るような連中がトップに立つよりは遥かにマシだけど 鴨(神)族は水源に住む。
だから山の中腹から銅鐸が見つかる。
人間が生きていくために何よりも必要なのは水。
そのあふれる水の第一利用者が神、山の神ってわけ。
彼らが支配した水源は今は神社になってるか、
神仏習合を経て今はお寺になってる場合もある。
(大阪岸和田の神於山にある神於寺は天台宗)
自分には土地勘はないけど久能山なんてクナ国の王の住まいに一番ふさわしいんじゃないか。 日本地図を右下45度にカクンと傾けて見ればいい。
方位磁石もなかった時代の魏志の方角なんて雑な物。
邪馬台国は大和。
女王国が切れるところにある奴国はナコが語源の名古屋。
そしてその南(実際には東南)の静岡が狗奴国。 >>613
久能山は狗奴国の聖地だろうし、久能山の周辺は古くは久能郷という地名だったそうだよ。
でも、その周辺に3Cの巨大古墳ってないでしょ?
久能山の近くで3Cの巨大古墳があるのは沼津だけ。
>>614
名古屋はオワリ国だったんじゃないかな??
浜松あたりは古くは浜「名」郡という地名だったそうだよ。 尾張〜駿河辺りの東海は、邪馬台国女王国の版図じゃないかな。
纒向の外来系土器の主体は東海。
秋葉明神や天白信仰、おしらさまの伝承も共通して色濃く残っているしね。
やっぱりシラ、白が重要なキーワードな気がする
しら、おしらさま、白日、天白、しらぬひ、
おしらさま伝承は伊勢以東、東海を中心に東北まで分布
白澤、人面の牛、牛妻
白も牛と繋がってくる >>616
で、狗奴国が風葬だという根拠は?
>>618
3Cの複数の巨大古墳と巨大集落遺構の存在から都としか考えられない沼津の
すぐ先にある神奈川県小田原市久野は少なくとも狗奴国の一部だろ。
今の県境の先入観で決め付けるなよ。 >>619
古代を代表する出雲国と飛騨国は風葬で、アイヌや琉球も風葬だった。
このように日本全体が風葬だったのだ。
そこへヤマト国が侵入してきた。
勢力範囲内は古墳が多いことからヤマト国が古墳を造り始めたと考えられる。
ヤマトと対立し古くから存在していた狗奴国は風葬を残していたと考えるのが自然
だろう。 風葬いってるアホは相手にする必要がないw ほっといても消えるw >>615
>でも、その周辺に3Cの巨大古墳ってないでしょ?
>久能山の近くで3Cの巨大古墳があるのは沼津だけ。
巨大古墳なんてなくていいのだ。
鴨(神)族の墳墓は天然の山を利用する。
だから鴨系神社のご神体は山。
前方後円墳、後方墳は瀬戸内海洋集団・物部の墓。
4世紀の天理の西山古墳は物部の墓だが、
後円墳と後方墳が結合している。 >>620
出雲と飛騨が風葬だからと言って、狗奴国も風葬だとは限らない。
単なる貴方の勝手な決め付けですね。
>>622
巨大古墳なんてなくていいのだじゃなくて、現に3Cの巨大古墳たる高尾山古墳と
神明塚古墳がある訳ですよ。
しかも、久能山よりも大和から遠い沼津に。 >>623
>現に3Cの巨大古墳たる高尾山古墳と 神明塚古墳がある訳ですよ。
あるね。
ただ前方後円墳や後方墳が何者の墓かを考えないと。
元々は瀬戸内海洋集団の墓であり、彼ら瀬戸内海洋集団が濃尾平野や沼津に展開し、
狗奴国(静岡)を囲む形ともいえる。 なぜ瀬戸内海が出てくるんだ?
どこかの工作員、企業などの工作員
阿波、四国が何やらと言ってる人がいたり、
そういう話(我田のような)は、してはいけないんだけど?
別に、しても良いんだけど、実際は相手にされない ちょい待ち
前方後円墳は各地の文化要素が畿内で統合されてできたんじゃないのか?
女王派と卑弥弓呼派に分裂したのがその後だとしたら
前方後円墳は邪馬台派か狗奴派かという指標になりえないだろ
それとも、女王派と卑弥弓呼派に分裂した後で
邪馬台女王国が前方後円墳体制を築いたのか?
どっちだよ??? 邪馬台国は朝鮮半島〜中国北部まで繋がっていた(主陸路と補助海路)
狗奴国側はおそらく北海道から中東辺りまでの沿岸部と繋がっていた(主海路と補助陸路)
100%喧嘩になる
旧日本軍もそうだった
陸海双方の事情を把握していた瀬戸内の海賊連中が仲介になって前方後円墳が生まれた可能性は否定できない
秋山真之、好古兄弟は伊予水軍の末裔で、その時期の日本陸海軍はギリギリなんとか仲良しだったみたいだし
でもこれは問題としては上澄みみたいなもんだろ >>624
>濃尾平野や沼津に展開し、
濃尾平野や沼津に展開したのは、倭国(阿波)を発った忌部一族。 @阿波 瀬戸内海は邪馬台国派と狗奴国派が入り組んでたろう
紀年銘鏡から判断すると
周防・吉備・河内・和泉は女王派、摂津・紀伊は男王派
だから日本海航路を使った
山陰は出雲・但馬・丹後・丹波は女王圏内で安全だから
東国は狗奴国(遠江)の本拠で東海道諸国と甲斐・美濃は男王派
女王派は毛野(北関東)ぐらい
九州は北九州と日向が女王派、肥後が男王派
狗古智卑狗は狗古智国(肥後菊池郡)の卑狗(大官)だろう
大雑把にいえば西国は女王優勢、東国は男王が優勢だが
細かくいえばモザイク状に入り組んでる 小型の雌サルを雄ゴリラがレイプすれば出産時に100%死亡する
ゴリラやオランウータンの雌を小型の雄サルがレイプすればコロコロ大量に出産できて、その量産系の子供たちは優秀な兵となる
きっかけは小惑星の飛来、衝突。
ただ、理由が分からない 狗奴国と一体何の関係があるんだよ?
イカレてるなあw 武蔵
なんでこれで634なんだろ?
どういう読み方なわけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています