0976日本@名無史さん
2017/09/29(金) 16:17:05.91>それは違う。
大きな変革があったのは2世紀末、畿内では土師器と古墳時代が始まる。<
大和の庄内と古墳は、(筑紫よりの50年位遅れて)、3世紀の第4四半世紀。
>九州でも畿内系土師器が流入する。<
庄内は、三雲が最も古く、3世紀前半だし、
布留も筑紫が先行。
大和から筑紫への搬入は、非常に少なく、河内や播磨から筑紫への搬入上納が殆ど。
>それ以降は畿内でも九州でも100年の間に文化的断絶はない。<
東征毛人55国に拠って、近畿は筑紫の影響や伝搬模倣を受け続けた。
>つまり卑弥呼を共立した豪族は普通に存在した。<
九州に存在した。
>九州説ではその豪族を説明できない。<
30國。