>>899
>それは違う。
大きな変革があったのは2世紀末、畿内では土師器と古墳時代が始まる。<

大和の庄内と古墳は、(筑紫よりの50年位遅れて)、3世紀の第4四半世紀。

>九州でも畿内系土師器が流入する。<

庄内は、三雲が最も古く、3世紀前半だし、
布留も筑紫が先行。
大和から筑紫への搬入は、非常に少なく、河内や播磨から筑紫への搬入上納が殆ど。

>それ以降は畿内でも九州でも100年の間に文化的断絶はない。<

東征毛人55国に拠って、近畿は筑紫の影響や伝搬模倣を受け続けた。

>つまり卑弥呼を共立した豪族は普通に存在した。<

九州に存在した。

>九州説ではその豪族を説明できない。<

30國。