邪馬台国畿外説 part399
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>>1
スレ立て乙
テンプレやめたのはいい再スタート
みなの意見を取り入れるのは前向きな事で評価したい >>8
このスレのスレ主は今までのスレ主じゃないの?
何で名無しの>>8が分かるの? ◆1(女王所都)
奈良県桜井市に所在する纒向遺跡が2世紀末に人為的・計画的に建設された前代未聞の巨大祭祀空間であり、また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったという者がいることは、夙に知られている。
現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと観光都市の研究所に公式発表されている。
居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、重要な古道として考える者も上つ道に接面している。
これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらないと考える者もいる。大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われたと考える者もいる痕跡も発見された。
この建物を、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察する者もいる。建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いことを勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考える者もいる。
この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係に、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起する者もいる。
箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考える者もい、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性(◆3参照)があると考える者もいる
乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考える者もいる。その死亡時期は3世紀中葉(FAQ30参照)であると考える者いる。
この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化(FAQ21参照)、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なると考える者もいる。
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、◆2〜8に詳述するとおり、ここ纒向が女王の所都であると考えるものもいるが根拠はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています