その鯨面土器も忌部一族(久米一族か)が全国にもたらしたもの。

神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。 「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。
久米一族については、石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっている。
一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。
さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。
まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。