王と奴隷は表裏一体。
古今東西、世界中どこにも奴隷がいたわけですが、
それにしても倭国王帥升の連れた160人というのはとてつもない数です。
倭国王帥升のいた王都には巨大な俘囚郷があり、今も痕跡を残してる事が想定されます。

謂れのある王都と大きな俘囚郷が両立してるそんな場所、思い当たるところが九州にない。
九州の差別問題が白村江の時代の移配俘囚の蝦夷や、
黒田藩が姫路から連れて来た皮工をルーツとするようなので、弥生時代からあったとは思えません。

謂れのある王都と大きな俘囚郷が両立してるそんな場所、それは大和朝廷発祥地の葛城にしかない。
葛城には国栖(くず くにす)と関連する被差別地域があります。
おそらく太古の土蜘蛛の末裔でしょう。

高天原(御所市高天)から芦原中国(御歳神社=中鴨)を経て、
根の国(鴨都波神社=下鴨)に至りさらにその先、黄泉の国。

帥升ことスサノオの連れた生口の郷は20世紀解放運動の聖地になりました。