★★ 邪馬台国は【葛城】である【4】 ★★
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三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。 神武が実在したと考える人も、
実在しなかったと考える人も(ここにはあまりいないが)、
神武東征紀が異様に誇張された記述であるという考えでは同じだと思う。
ではなぜ誇張する必要があったのか。
神武の時代が魏志倭人伝の女王国であったからである。
神武の時代にヒミコが、少し後にトヨがいるのである。
この系図、わしが死ぬまで貼り付けてやるから覚悟しておけ。
事代主
┣━━━━━━━┓
クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命 >>770
>ではなぜ誇張する必要があったのか。
のちに天皇家が台頭するから。 >>770
>神武東征紀が異様に誇張された記述であるという考えでは同じだと思う。
異様に誇張されたと思うのは、トンデモ説だから。
ちっとも誇張なんかされてはいない。 単なる倭国(阿波)国内での東征譚。 @阿波 天武が磐余系、神武の系譜なんだろうな。
問題は、天武と天智桓武が同じ系譜かということだな。 >>771
>>ではなぜ誇張する必要があったのか。
>のちに天皇家が台頭するから。
意味不明。
のちに天皇家が台頭するからという理由で、
何で神武を127歳にする必要があったのかな? >>772
>異様に誇張されたと思うのは、トンデモ説だから。
>ちっとも誇張なんかされてはいない。
意味不明。
何で神武を127歳にする必要があったのかな? 帯方郡(ソウル)から狗邪韓国まで七千里、帯方郡から邪馬台国まで1万二千余里
なので狗邪韓国までで半分以上の距離を使っている、その先で判っている里程は
狗邪韓国から末艪国までが3,000里、末艪国から伊都国、奴国
不弥国まで700里あるから残りは12,000-7,000-3,000-700=1,300里しか無い
僅か千三百里では不弥国から奈良の邪馬台国には到底届かない
邪馬台国は北部九州にあったと考えるのが正常な思考力。 福岡県発祥の神社
1.八幡神社・・・・・・飯塚市の大分(だいぶ)八幡宮発祥
(築上町の金富神社説もある)
総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮
分社数約四万四千社〜二万五千社
関東では鶴岡八幡宮が有名
2.宗像神社・弁財天・・宗像市の宗像大社発祥、総本社も宗像大社
分社数約七千社 関東では藤沢市の江島神社が有名
3.住吉神社・・・・・・那珂川町の現人神社発祥、総本社は大阪市の住吉大社
分社数約二千三百社
4.海神社・綿津見神社・・福岡市東区の志賀海神社が発祥地、総本社は志賀海神社
神戸市の海神社や安曇野市の穂高神社が有名 >>775
>何で神武を127歳にする必要があったのかな?
稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞には、年齢は春秋歴を用いていたのだろう。 @阿波 >>777
>福岡県発祥の神社
>1.八幡神社
まず八幡神って誰なのか。
わしは、日本の神様とは、実在した人物が神格化された場合がほとんどではないかと考える。
葛城(高天原)にいた高天彦がタカミムスビに、
同じくシタテルヒメ(タカヒメ)がアマテラスに。
イザナギ・イザナミも瀬戸内の沼島に初めて住んだ夫婦が神格化されたのだろう。
では戦いの神・八幡神とは誰だろうと考えた。
どうも応神天皇と同一視されてるが、実は応神天皇は、お母さんの神功皇后と違ってあまり武勇伝がない。どうも結びつかない。
で、この人ではないかと思ってる。
羽田矢代https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E7%9F%A2%E4%BB%A3
『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰は紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。
羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)
波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)
波多矢代 八多八代
八幡(やはた) 「矢」 「八」
いつしかこの武勇伝が応神天皇のものとされるようになったのではないか、と考えてる。 >>778
古田の言うように継体以前が倍歴だとしても、
神武が紀元前になり、当時の平均寿命や考古学的結果から大きく逸脱するので、
倍歴なんぞ到底無理。 >>779
八幡神は神功皇后が産んだ応神天皇となっている、父親は仲哀天皇かどうかは不明、
仲哀天皇と神功皇后は朝鮮出兵前に宇佐宮を詣でている、この時の宇佐宮の祭神は
比売大神だけだった訳でその後神功皇后と応神天皇を祀って八幡宮になっている。
比売大神が卑弥呼=天照大神説が強い >>780
それなら、稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞に間違いがあったのだろう。 なにも問題はない話。 @阿波 >>781
>比売大神が卑弥呼=天照大神説が強い
強いってどこで?w
君の脳内で強いかろうが関係ない。
宇佐の赤塚古墳は3世紀末、当地が大和の前方後円墳体制に組み込まれたというか、
大和から派遣された国造および防人さんの墓であろう。
その一族が神功皇后時代まで続いていただけで、
比売大神というのはその一族の中の姫様が祀られてただけ。
あるいは神功皇后そのものかもしれない。
どちらにしても応神天皇というのは武勇伝がない。
後世、八幡神にされたとみるべきだ。 >>782
考古学的に(あるいは半島の文献との比較でも)
15代応神が4世紀末から5世紀初頭、
10代崇神が4世紀初頭から前半。
この時点で倍歴説は崩壊。 >>784
>この時点で倍歴説は崩壊。
倍歴説が崩壊だろうが、有効だろうが、どうでもいいことなんですよ。
いずれにせよ、稗田阿礼が誦習した帝紀や先代旧辞に間違いがあったってこと。 なにも問題はない話。 @阿波 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じ景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にする。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは、王朝の始祖神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。 >>705
いや九州説の丹に関しては、倭人伝の内容を考察しての内容だが、畿内説の鉄鏃に関しては、支離滅裂
倭人伝には"宮室と楼観や城柵を厳しく設け、常に兵器を持った人々が守衛している"とあるからね 宇佐神宮の境内にある古墳を調べたら少しの糸口が見つかるかも知れんが
神社側の許可が下りんから全く調査は出来てない、奈良の重要古墳並の扱い >>780
二倍歴を何か勘違いしていないか?
年数が2倍になるんじゃなくて半分になるんだぞ >>789
だから1年を2年と数えるのだよね?
間違いだ。 明治以前の天皇が伊勢に参拝しなかったのは、
崇神が放逐したご神体の鏡が原因。
日本で一度だけクーデターがあった。
クーデターを起こしたのは現天皇家の祖先・崇神である。
クーデターを起されたのは出雲系・大物主である。
崇神は出雲から神宝を奪い(出雲振根事件)、出雲国造を置いた。
ヒミコやトヨはクーデターを起された出雲系・大物主の家柄である。
その証拠にヒミコの刀・中平銘鉄刀が出た和邇氏が和爾坐赤阪比古神社で今も祀っているのは、
最後の大物主・阿田賀田須である。
この阿田賀田須の妻がモモソ媛であろう。
伊勢神宮で、今も行き場がなく、20年に一度の式年遷宮という形で彷徨っているのは、
崇神が殺した阿田賀田須の血で染まった鏡(ご神体)である。
だから皇室が伊勢に参拝しなかったのであろう。 徳島県美馬市美馬町にある「玉振神社」。
主祭神は、玉振姫命・大己貴命で、美馬市美馬町宗重部落のほぼ中央にある。
すぐ東には四国最大級の巨石墳(円墳)の「段の塚穴古墳」があり、西には白鳳時代の寺院跡「郡里廃寺跡」がある。
この社はもと正部神社の祭神、清姫霊神の侍女、玉振姫霊神を祀っていたといわれている。
延宝五年(1677)に大己貴命を宗重部落の氏神として合祀し、鎮座したものだそうだ。
この美馬町は、吉野川中流域にあり「倭地」なのである。 美万岐に入り込んで美万岐に居を定め、師木水垣宮を宮殿にしたと伝えられている。
この「所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)」は「崇神天皇」のことなのである。
この師木水垣宮の御宇に疫病がはやり、多くの人民が死ぬという大変な出来事が起こっている。
これは、大国主命に近い埴夜須比賣命の一族を討亡した祟りと考えて恐れられたとも考えられ、後世の贈名でも祟神(たたりがみ)の天皇となっている。
また、大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、
大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、
伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。
崇神天皇の謚号のとおり、崇神紀には天照大御神や倭大国魂神社の祭祀、天神地神、神地・神戸を定め、
供物の定義等のほか「玉振」として大田田根子や市磯長尾市が求められるなど、神祇制度の起源説話ととれる記事が集中している。
「玉振神社」は「玉振り」として求められた淳名城入姫命が祀られていたものと思われる。 @阿波 皇室が北朝のときには参拝しなかったんだよ
明治でインチキ南朝が復活したんで伊勢神宮参拝したんだよ
伊勢神宮は南朝、宇佐神宮は北朝 伊勢神宮は畿内ヤマト、百済、平氏、南朝
宇佐神宮は九州倭國政権、新羅、源氏、北朝(基本である、いいな 伊勢湾は鎮魂の場所。
倭国大乱の犠牲となった神々を祀る処。
荒魂は本来の場所と違うところに祀るのが原則。
伊勢湾は大阪湾のコピー。
阿波忌部は倭国大乱の罪を償うのが生業。
アワビを刻み倭国大乱の罪を噛み締め、熨斗アワビを作るのが役。
祝い事に熨斗アワビ。 新井白石
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」
本居宣長
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」
金印を偽造した江戸幕府
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」
金印を国宝にした満州事変(昭和6年)当時の軍部
「大和朝廷および古代天皇は中国に朝貢などしていない(本当はしていたが)」 >794
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。 神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」
阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖を祀っているのである。
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。
その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう(基本である、いいな @阿波 >>794
宇佐神宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)。
『国府町井戸 八幡神社』
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修....」 以下略
御祭神 誉田別命、仲哀天皇、三女命(いわゆる宗像三神)
※大分の宇佐神宮の開基は725年。
※大分の宇佐神宮より遡ること、白鳳二年(674年)にこの『国府町井戸 八幡神社』 は「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
※よって、大分の宇佐神宮も『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたのである(基本である、いいな @阿波 五塚原古墳https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3
古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。
被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。
同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
天孫本紀に交野連の祖と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)であろう。
伊香色雄命の子である。
また山代も河内も庄内土器で共通する。
このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。
偽書と片付けてる人間は馬鹿である。 >>799
>被葬者は誰であろうか。
いずれにせよ、倭国(阿波)から進出した忌部一族のひとり。 @阿波 >>801
倭人伝にも「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国あり、皆倭種なり」とある。
縄文時代晩期末より、主に倭国(阿波)の海人族の大人らが東は関東、西は九州まで全国を移動し、
子孫や一族らによる新地開拓や移住・婚姻によって、列島全域に勢力を伸ばした。
また同時に、石器、青銅器、鉄器、朱、農耕技術や軽量薄型土器、墳墓築造などの先進文化・技術を全国に広めていったのである。
これまで「忌部」の研究が不足していたため、歴史の中で有名なその他の氏族のみで仮説・ストーリーが立てられてきた側面がある。
今後の研究が進み関係が明らかになることを期待する。 @阿波 >>801
古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。
一方、今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した阿波の「忌部一族」のように、
畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。 @阿波 >>801
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。 @阿波 サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立
国底立神、国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神。
&阿波咋。
阿波忌部の役は倭国大乱で犠牲となった神々の鎮魂。
責任をとり、代々鎮魂に励むのが役。 >>805
>阿波忌部の役は倭国大乱で犠牲となった神々の鎮魂。
倭国乱は倭国(阿波)の乱。 当然、倭国乱で犠牲となった神々の鎮魂をするのは当たり前。 @阿波 >>805
>倭国大乱の犯人を教えてくれる
ヒミコを擁立した王族のA集団ともう一つのB集団が争ってたのであろうね。
簡単。
ヒミコの時代に申食国政太夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)が二人いる。
葛城にいた鴨の天日方奇日方と磯城にいた物部のウマシマジ。
4世紀には崇神を産んだ物部の勝利となるが対立はまだ続く。
葛城を出自とする蘇我との対立だ。
蘇我が丁未の乱(ていびのらん)で勝利して物部宗家滅亡。
ところが蘇我も後の乙巳の変で中臣にやられ、
ちゃっかり物部の石上麻呂が最高名誉職「太政官」になっているのだから、
乙巳の変は物部の復讐劇であろう。 延喜式(巻7、神祇7)[践祚大嘗祭式]の「由加物」条に記載された内容。
・由加物―大嘗祭に諸国から貢進される品物、即ち神に供える聖なる品のこと。 「雑贄」とも呼ばれた。
・由加物の貢進―阿波・淡路・紀伊の三国のみと定められた。
・聖なる由加物―これら阿波・淡路・紀伊の三国の由加物が通る国々の路地は道を掃き清められ、国司・郡領らがこれを送迎した。
由加物とは、清浄を期した聖なる産品。
阿波国から貢進される由加物のうち、海部(那賀郡に住む海女)が作るもの(県南部)
・鰒卌五編―加工したアワビ45編
・鰒鮨十五坩―アワビのスシ15壺
・細螺―シタタミ(小さな巻貝)
・棘甲臝、石花等併せて廿坩―ウニ、「セ」と呼ばれた節足動物のカメノテやフジツボの類を加工して土器に入れ献上していた。それは、現代風にいえば瓶詰めであったとされる。 >>807
>ヒミコを擁立した王族のA集団ともう一つのB集団が争ってたのであろうね。
倭国(阿波)乱とは
旧吉野川流域北岸勢力内での争乱および旧吉野川流域南岸勢力内での争乱また、鮎喰川下流域勢力内での争乱および各地域間の争乱。
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力と旧吉野川流域南岸勢力と鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力)
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・吉水遺跡・拝原東遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
こういう「邪馬台国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波 102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ
徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ
聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w
ホント学者は使えねえ >>810
>すべての証拠物がもう既に出土してる
なんでやねん。
正確に言うなら「卑弥呼の遺物の一部がすでに出土している」ということ。
それを卑弥呼のものではないとは誰も言えない。
その卑弥呼の遺物の一部とは東大寺山古墳出土の中平銘鉄刀である。
発見者の金関さんが2017年3月の考古学雑誌で卑弥呼がもらった五尺刀ではないかとの見解を寄稿をされた。
2世紀末から4世紀にかけて刀を貰ったと記されてる人物は卑弥呼しかいないからだ。
おそらく誰も反論はできないであろう。 >>807
葛城の大鴨、登美家(出雲の東王家で宗家、富家から分家)の初代、天日方奇日方は紀元前2世紀の人。
(妹で三輪山の祭神の初代神主/祭主で在られ、後には初代大倭国大王の大后にトップ媛踏鞴五十鈴日女命(大倭国初代のヒミコ(各地にいた)/大日霊女)も2世紀の人)
、、、この家系が大倭国〜大和朝廷の歴史のフィクサー。事代主家、大物主家、大鴨王(きみ)家
ウマシマジ(第一次物部(ニギハヤヒ)侵攻で葛城の出雲神(かも)族らが担いでいた天村雲命(ホアカリ=ニギハヤヒの孫)を祖とする海部大王家(当時は孝霊天皇。やむを得なく大倭国を放棄して大吉備国を建てた(お伽噺の桃太郎の冒頭の元ネタ))を
逐って(葛城の出雲神(登美家、高賀茂家)族らが寝返り旧主を裏切ったのが勝因)一時期大倭国の大王家となった)は紀元一〜2世紀の人 >>812
>天日方奇日方は紀元前2世紀の人
なんでやねん、じゃ神武も紀元前2世紀かいな、アホ言え。
時系列が無茶苦茶な論者は来ないでくれ。 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 >>817
>反論は具体的にしないと。
いや反論も何も、10代崇神が4世紀前半なのだから、
神武や天日方奇日方の時代が紀元前2世紀なら10代崇神から400年以上も古い事になる。
崇神から遡る事9世代であったら(まぁ、あり得ないが)、
400÷9=44.444…
1世代間44年はおかしいでしょ?
以上。 葛城はグスクの転訛、としたら奄んゆつうのに信憑性を感じる。 キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。 岡上は最近になって身バレするから連続句点をやめたようだが
言ってることが同じだからバレバレなのは変わらない 五塚原古墳http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3
「古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。」
被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。
同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
天孫本紀に交野連の祖と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)であろう。
伊香色雄命の子である。
また山代も河内も庄内土器で纏向と共通する。
このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。
先代旧事本紀を偽書と片付けてる人間は馬鹿である。
前方後円墳とは物部の墓制であり、卑弥呼は埋葬されていない。 http://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/kofun/akandoyama-todaiji.html
中平年銘鉄刀
1961年、東大寺山古墳が天理参考館により発掘調査された。
前期後葉に築造された全長約140bの前方後円墳で、赤土山古墳よりも少し古く、この丘陵上に最初につくられた古墳である。
埋葬施設は長大な木棺を大量の粘土で包んだ粘土槨(ねんどかく)と呼ばれる形式で、
この種の施設としてはもっとも古い部類に属する。すでに盗掘を受けていたが、
多種多量の石製品、玉類、おびただしい量の武器・武具類など、きわめて豊富な副葬品が出土した。
それらの中に「中平」の年号を記した鉄刀が含まれていたのである。
鉄刀は長さ103aの内反りの刀身で、柄頭(つかがしら)は日本製のものに取り替えられていたが、
正真正銘の中国からの舶載品である。
刀背に「中平□(年)、五月丙午」で始まる全部で24文字の銘文が金象嵌(ぞうがん)で刻まれていた。この「中平」は、後漢末、霊帝治世の西暦184年から189年まで用いられた年号である。
『魏志倭人伝』は、倭國が歴年にわたって乱れた末に、女王卑弥呼を共立した、と記す。
その乱の時期を『後漢書』倭伝は「桓霊の間」とする。「霊」は霊帝のことであり、
中平年間はその治世の最後に該当する。つまり、両書の記述による限り、
この刀の製作時期は卑弥呼共立の前後に当たることになる。
紀年銘をもつ鉄刀が中国皇帝からの下賜品である蓋然(がいぜん)性が高いことを考え合わせると、
この刀の持つ意味は深長である。金関恕氏は、共立されて間もない卑弥呼が後漢に使いを遣わし、
この刀を下賜された可能性を指摘しておられる。
またその刀が、どのような経緯をたどって150年ほども後に築造された東大寺山古墳に副葬されたのか、
その点もさまざまに想像がかき立てられる。
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館・総括学芸員 岡林孝作 『魏志倭人伝』は、倭國が歴年にわたって乱れた末に、女王卑弥呼を共立した、と記す。
その乱の時期を『後漢書』倭伝は「桓霊の間」とする。「霊」は霊帝のことであり、
中平年間はその治世の最後に該当する。つまり、両書の記述による限り、
この刀の製作時期は卑弥呼共立の前後に当たることになる。
紀年銘をもつ鉄刀が中国皇帝からの下賜品である蓋然(がいぜん)性が高いことを考え合わせると、
この刀の持つ意味は深長である。金関恕氏は、共立されて間もない卑弥呼が後漢に使いを遣わし、
この刀を下賜された可能性を指摘しておられる。
またその刀が、どのような経緯をたどって150年ほども後に築造された東大寺山古墳に副葬されたのか、
その点もさまざまに想像がかき立てられる。
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館・総括学芸員 岡林孝作
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事代主
┣━━━━━━━┓
クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命 このただ一つの邪馬台国畿内説スレッドにも、謎の優れた考古学者達が現れて、邪馬台国纏向説を、蠅を叩き潰すようにして、叩き潰してしまったようだね。。。
せっかくだから、鏃は武器であり、農具ではないことを、初心者にも説明すれば、良いのではないのかな。。。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1521001812/ 金関恕先生がお亡くなりになられました。
ちょうど金関恕先生にお手紙を書いている最中でした。
残念です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
中平銘鉄刀の主・和邇氏と卑弥呼は繋がっていました。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
┣━━━━━━━┓
彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造) 2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、 邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、、、、 「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県]
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/402402/
もし古墳なら、6世紀後半に筑豊に流された片野田(物部守屋の子)だろう。 「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」(本居宣長)
江戸時代の国学者にとって最も大きな問題は、古代天皇および大和朝廷の朝貢。
そして「邪馬台国論争を定着させる事」、これが彼らが出した結論。
だから新井白石も本居宣長も意図的に九州を出してきた。
九州だ畿内だと論争してくれてるうちは、古代天皇の朝貢という重い史実を定着させなくて済む。
論者を引き付け、大いに論争させ、「永遠の引き分け」を狙ったのです。
引き分けは負けではありませんから。
金印もその流れで江戸幕府により偽造されたのでしょう。
金印が九州のどこから出たことにするか、それが一番悩んだ事でしょう。
選ばれたのが福岡の玄関口の志賀島(笑) ここも、頭悪い系のコピペ張り込みスレになってるなぁ
まあ、がんばれ 金印
wiki
発見の状態について
江戸時代天明年間(天明4年2月23日(1784年4月12日)とする説がある)、
水田の耕作中に甚兵衛という地元の百姓が偶然発見したとされる。
発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそのことを那珂郡奉行に提出した人物という説もある。
一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。
すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。
発見された金印は、郡奉行を介して福岡藩へと渡り、
儒学者亀井南冥は『後漢書』に記述のある金印とはこれのことであると同定したという。
本居宣長
生年月日: 1730年6月21日
生まれ: 三重県 松阪市
死亡: 1801年11月5日, 三重県 松阪市
「日本の天皇が朝貢した歴史などあってはならない」
と言った本居の生存中に金印が見つかったようですね。
『後漢書』に記述のある金印だと言った亀井南冥という人物も怪しい。
国宝になったのは昭和6年満州事変の年。
軍部「日本の天皇が朝貢した歴史などあってはならない」 高天原(御所市高天)の水源に高天彦神社がある。
高天彦神社には土蜘蛛塚や蜘蛛窟がある。
出雲から来た鴨(神)族は水源を押さえるために、やむなく先住者を屈服させたのだろう。
107年、帥升ことスサノオが連れて行った生口160人も彼らであろう。
その生口の末裔は1800年後に、
高天原(御所市高天)のふもとで「人の世に熱あれ 人間に光あれ」と声を上げ、部落解放運動の震源地となるわけだ。
日本の歴史は葛城から始まるのだ。
悪いけど九州は黙っててくれ。
豚骨ラーメンだけ作っててくれ。 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 金関先生の発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるか。
繋がります。
和邇氏はトヨから始まります。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
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建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
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阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
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彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造)
ヒミコとトヨが住んだのは葛城です。 全部、出雲と筑紫の末裔だろ。
畿内はただの入植地。
開拓の功労者は、鴨主の祖父である三島溝杭、摂津の鎮守だな。
京都の上賀茂と下鴨神社なども鴨一族の領土であり、京都、奈良、大阪はすべて筑紫から侵攻を受けている。
ちなみに、筑紫からの神武東征を助けたのも、この三島溝杭とされている。 >>843
>ちなみに、筑紫からの神武東征を助けたのも、この三島溝杭とされている。
いえ宮崎からだよ。
「三島溝杭とされている」って誰にされてるんだ? >>845
神武東征を未だに筑紫や宮崎からと信じてるんだね。 ある意味、すごいね。 @阿波 >>846
10代崇神は神武ゆかりの宮崎神宮の社殿を建てている。
崇神は神武から代数では9代だが世代では6世代後。
6世代前の神武の出身地を間違えるとは考えられない。
また崇神の後、景行天皇が南九州を征圧しに行く。
なぜ神武ゆかりの南九州を攻めたのか。
神武が残してきた子、キスミミの末裔を討ちに行ったのであろう。
神武の男系王朝が2つもいらないということが理由であろう。
日本書紀には熊襲の反乱などと書かれた。
大和朝廷側が一方的に攻めてきてながらこのように書かれた。
激怒した隼人が日本書紀上梓の年の養老4年(720年)に反乱を起こしたのもこういう理由であろう。 >悪いけど九州は黙っててくれ。
>豚骨ラーメンだけ作っててくれ。
悪いがモツナベも作るね 神武が来た時点ですでに大和には神も王もいた。
事代主神と鴨王だ。
それぞれ神武の義理父と義理兄だ。
神武はこの王朝の入り婿さんだ。
神武は、神を父に持ち王を兄に持つヒメと結婚した。
ヒミコだ。
ヒメのままなら誰にでもヒミコを連想させてしまう。
だから、やれ踏鞴だ五十鈴だイスケヨリだホトタタラだを加飾して、極力ヒミコの印象から遠ざけたのだ。 それは神武が卑弥呼と同年代という過程が証明されてからにしよう。 卑弥呼以前にも倭国あり。男王の治世が70〜80年。 博多湾沿岸の倭国王とされる帥升から、卑弥呼まで、中国の記事は一貫しており、畿内へ遷都したという記事はない。 >>852
先代旧事本記の物部や鴨の系図は崇神から神武まで6世代。
そのほか中臣や三上の系図でも同じく。
記紀は時代を意図的の古くしようとして9世代などと言ってるがこれは信用できない。
あと崇神時代=布留1期から古墳時代の始まる庄内0期まで約120年。
1世代間20年でちょうど説明がつく。
つまり神武とヒミコは同じ時代。 >>854
>博多湾沿岸の倭国王とされる帥升から
博多には王権のいわれがない。
生口160人も連れ出したような大きくてなおかつ太古から続く俘囚郷もない。
それがあるのは葛城だけ。
あきらめろ。 祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す
博多湾沿岸は倭国の神代の王都 そりゃあ葛城には連れ出さなくても生口一万人くらいはいたんじゃないの?w >>826
いや、卑弥呼(モモソ姫)は大物主(物部の大神)に嫁入りしたんだから物部の墓制でもおかしくないよ >>859
モモソ媛は4世紀初頭から前半の崇神時代の人物。
2世紀末に即位した卑弥呼なわけない。
時代が100年は違う。 >>859
>大物主(物部の大神)
違う。
モモソ媛と結婚した大物主は阿田賀田須
先代旧事本紀では彼の妻の名だけが書かれてない。
朝廷に気兼ねしたのでろう。
崇神が最後の大物主・阿田賀田須をお殺せあそばされたからだ。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命 ◎ここまでわかった日本書紀◎
2世紀末
倭国大乱と卑弥呼の即位
吉備・畿内同盟(百済、任那系)
考古学的証拠:墓、土器、特殊器台
文献的証拠:吉備に拠点を持つ孝霊天皇の娘モモソ姫が畿内の王大物主と政略結婚→大物主が死にモモソ姫が女王に
vs
山陰・北陸同盟(高句麗、新羅系)
考古学証拠:四隅突出墓の分布
文献的証拠:(3世紀後半だが)崇神代の記述 イツツヒコ「我の他に王はなし」
3世紀後半
台与の治世
吉備・畿内同盟
魏が弱体化し権威のバックを失い同盟が乱れ、崇神は大王位を失う
崇神、娘を宇佐の大王アマテラスの元に嫁入りさせる(トヨスキイリ姫=豊国の城に入った姫)
もう一人の娘を越の王大国魂に嫁入りさせようとするが失敗(ヌナキイリ姫=ヌナ川(越国のヒスイを産出する川)の城に入った姫)
(当然目的は山陰・北陸同盟の分断のため)
宇佐の大王アマテラスが死に嫁のトヨスキイリ姫が女王に 神=王 の読み替え
崇神6年、宮中で天照大神と倭大国魂神の二神を祭っていたが
二神の神威の強さを恐れ、宮の外で祀ることにし
天照大神をトヨスキイリ姫に託し、
倭大国魂神をヌナキイリ姫に託した
↓
宮中で同盟国の王達を集めて会議をしていたが
プライドの高い各地の王達の意見を崇神がまとめきれず、会議が決裂してしまった
そこで崇神は各地の王に自分の娘を嫁入りさせて関係強化を図った 葛城の葛は国栖、黒潮の民が分派しながら広がったんやろね。
国栖人、熊襲、隼人は其れと違うのか。
高野山で若き日の空海を守護した狩場明神と白と黒の犬と言うのも其れを暗示してそう。
今も宮中で国栖奏と隼人舞を献ってるのは、葛城氏系統と朝廷の関係を表してると思う。 ウソブいている在日南方ブタチーノがいるなあ…
さっそく屠殺しないと。 >>867
で、黒潮の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系生活土器と南方系住居と石刃の南方系耕作用農具と
中粒種のイネは?
で、黒潮の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
. >>867
面白い。
葛城の宮滝遺跡から南九州の市来式土器が出ている。
恐らく朱を採りに来ていたのであろう。
また神武が日向だが神武の義理兄で鴨王こと天日方奇日方は、
別名が阿田都久志尼命、
この人物から5世代後が阿田賀田須。
そして隼人の反乱後に、隼人が畿内に強制移住させられるが、
彼らの一部が住んだのが五條市阿田。
阿田とは今も宮崎県日南市に吾田という地名もあるように南九州に多い。
また天日方奇日方の妻は日向賀牟度美良姫(ひむかのかむとみらひめ)。
葛城の奥は熊野、南九州は熊襲。
クマは神の転訛だとしたら神の野、神の祖を意味するのかもしれない。
なんだか分らんが葛城と南九州は縁が深そうだ。 どこまでいっても、葛城にいたのは九州からの移民でしょ。 >>871
阿田、吾田、興味深い。
南九州、琉球、まで縁が有りそう。城をグスクと言うのは琉球だけなのか。
葛、国栖、くず。
葛城…グスクが転訛して漢字をはめただけのような気がする。 ぐすく、葛城、葛氏ならくず氏、国栖氏かもな。
かつらぎ、いららぎ、ゆらぎ、大和言葉は豊富やし「すめらぎ」なんて…。
古代史なんか想像(妄想)するロマンなかったら面白味ないわ。 葛城はもとかづらき。
今かつらぎというは訛れるなり。
イバラギではなくイバラキと一緒。 >>871
熊野にほど近い高野山の狩場明神と白と黒の犬、、、。
隼人と言えば、僥倖の先頭や都の角に立って警備?する吠声(はいせい)が有名やしね、 熊は、籠った奥まったという意味だろう。
クマ、コモ、クモ、カモ皆同じ。
水源のある山の奥に住んでいた人々。
葛城〜御所〜葛辺りは、殷系の水稲の民と、熊即ち山に棲む縄文系がいた所だろう。
尾張出雲によるヤマト征伐後に、九州南部投馬国系の神武の勢力が合流したんだろう。
元々のヤマトの勢力の姫達を乗っ取ったんだろうな。
兵士は男ばかりだからな。
男は纒向行き、奴隷行き。 >>878
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
. 「クマ、コモ、クモ、カモ」にコマ…狛犬…宮の角に立って吠声を発する隼人。
なんか繋がるね。
乗っ取ったとして、古来(ふるき)と新来、今来の再合流のような気がする。 海幸彦系の隼人と山幸彦系の神武の勢力は分けて考える必要がある。
海幸彦系隼人は山幸彦系神武の勢力に武力で支配されたんだろう。
色々伝承があるが例えば、
潮嶽神社
ヒコホホデミノミコト(山幸)に追われたホデリノミコト(海幸)がこの地にたどり着き、居を構えたと伝えらています。
神話、海幸彦、山幸彦では山幸彦の影に隠れ、山幸彦ほど有名ではありませんが、海幸彦は隼人(南九州に居住する氏族)の祖といわれております。
隼人の祖は海幸彦。
海幸彦と山幸彦は対立していた。
海幸彦は内陸へ追いやられたとある。 丸木を絶妙に舟に造り上げる丸ノミ石器…古くから海人は道具を開発する職能集団やったんやろ。
其の技術力を持って内陸、山地に入れば山を掘削し土に籠もって稀少鉱石を採取出来る、朱の原料の丹生なども容易く手に入れたと思う。 彦火火出見を祭るのは筑紫日向にある伊都の高祖宮だよ。
筑紫倭国の宗家は彦火火出見とその末裔の神武。
そうすると、邪馬台(筑紫倭)の南にあった宮崎都万の王がホデリだよね。
つじつまが合うじゃん。 >>883
薩摩半島の先端にも
ぽつんと甕棺墓出てるからねぇ。不思議だねぇ。 >>884
中心部(伊都国)は卑弥呼に置き換わっても、周辺部には旧来勢力が追いやられた状態で残るものだよ。 >>878
で、殷系の水稲の民が渡来定着した集団を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
(卑弥呼以って死す。冢を大きく作る。径百余歩。徇葬者は奴婢百余人)
徑百餘歩の塚の周りに埋めたとは書いてない。
少し離れてても構わない。
王権の謂れがあり、徑百餘歩の御神域があり、奴婢が埋められた謂れのある場所がある。
高天原(御所市高天)だ。
鴨(神)族の聖地・高鴨神社の御神域は徑百餘歩。
少し離れた高天彦神社には土蜘蛛を埋めた謂れのある土蜘蛛塚や蜘蛛窟がある。
邪馬台国の女王・卑弥呼が住んだのはここだ。 >>889
>邪馬台国の女王・卑弥呼が住んだのはここだ。
民衆が住んだ遺跡は? @阿波 >>878
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今すぐ言えよおまえ! 高鴨神社…代々宮司を務める鈴鹿家の始祖は天児屋根命、役小角の後裔でもあるとか、、、。天岩戸は葛城、国栖、土蜘蛛の拠点だったのかも。
天、奄、阿波、出雲も山陰の地名じゃなくクモ、クマを出立するのが本意で、南九州(奄美)から対馬(妻籠/つしまのカミ、クマ)を経て日本海側から東上した派と、五島列島から阿波を経て東上した派が其々、葛城山で集結したのと違うの。
アマとアワ、マとワは転訛したのかも
「一言主神社の縁起」にこんなのが。
雄略天皇が葛城山(かつらぎさん)で狩をしている時、向こう側から天皇と同じ姿の一行が現れました。
天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は悪事(まがごと)も善事(よごと)も一言で言い放つ神である」と申されました。
天皇はひれ伏し、その後、共に狩を楽しんだといいます。
このとき、天皇を一言でおさめたことから、一言だけ願いを叶えてくださるという一言主の信仰が始まったと言われています。
なんか妄想(空想)が広がる。 >>890
>民衆が住んだ遺跡は? @阿波
水源を支配したのは神。
民衆など住むわけがない。 >>892
天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は悪事(まがごと)も善事(よごと)も一言で言い放つ神である」と申されました。
この数年前、雄略がまだ大泊瀬皇子であった時に眉輪王の変が起きる。
そしてこの地の豪族・葛城円大臣(葛城 襲津彦の孫)が雄略に焼殺される。
土地も娘も差し出すと懇願する葛城円を雄略は焼き殺した。
これらは事実であり、極楽寺ヒビキ遺跡として近年発見される。
普通、火事では火を消そうとするから柱に水が掛かって全焼といえども根元は残ったりするものだが、
この極楽寺ヒビキ遺跡は土まで焼けている。火を消そうとした痕跡が全くない。
燃えるがままに見ていたという恐ろしい遺跡だ。ここで葛城円が焼き殺された。
雄略天皇が葛城で出会った一言主神はこの事件をもちろん知っている。
したがって「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とは、
意訳すれば「おまえのとんでもない悪事を知ってるぞ、言ってやろうか」という恫喝であろう。
それに対してはさすがの雄略も怯んだ。
しかしながら一言主が土佐に流されたという続日本紀の記述も土佐一宮が存在することからも事実であろう。
これは「今回は流刑だけで済ましたがそれ以上言い続けるとどうなるか分っているな?」という雄略側からの逆恫喝かもしれない。
この少しあと、葛城から出てきたのがあの蘇我だ。
蘇我のバックボーンには葛城の凄まじい怨念があったのは言うまでもないであろう。 >>893
>水源を支配したのは神。
民衆など住むわけがない。
その国邑には神しかいないのかね? よくわからん @阿波 >>894
一言主神社は常陸國へも…海の佐伯、山の佐伯、土蜘蛛がまつろわぬ者、さえぎる者と揶揄されたのは常陸國やったか。
高鴨神社の宮司が役小角の縁者で、其の佐伯の民、土蜘蛛を束ねた佐伯氏のひとつ佐伯直氏が空海の生家で紀和四国の山岳で、、、。
時代的な背景はよく知らんが同族の繋がりや伝承は有ったんやろね。 >>892
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! >>895
>その国邑には神しかいないのかね?
高天原(御所市高天)の麓には中西遺跡という、弥生期では日本最大級の水田跡がある。 ヽ|/
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>高天原(御所市高天)の麓には中西遺跡という、弥生期では日本最大級の水田跡がある。
水田跡は「卑弥呼の民衆が住んだ遺跡」ではない。 @阿波 >>901
>時代が違うだろ。
卑弥呼は関係ない。
卑弥呼に関係する「卑弥呼の民衆が住んだ遺跡」は? @阿波 >>892
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>900
>水田跡は「卑弥呼の民衆が住んだ遺跡」ではない。
日本最大の水田跡が民衆のものでなければ何なんだ。 >>904
>日本最大の水田跡が民衆のものでなければ何なんだ。
その民衆の水田跡は弥生時代前期末から中期初頭の大洪水で埋まった水田跡。
「卑弥呼の民衆が住んだ 弥生末期集落遺跡群」は? @阿波 >>906
西日本一帯の弥生時代前期末から中期初頭の大洪水によって、
弥生時代前期末から中期初頭に多くの消滅した集落遺跡はその為。 @阿波 >>906
中平銘鉄刀など考古資料や文献から葛城に住んだヒミコは特定できる。
したがって卑弥呼の民衆が住んだ 弥生末期集落遺跡群がなければいけないという意味が分からない。
源平合戦の考古学的痕跡はないから「源平合戦はなかった」にはならないだろ。
弥生末期集落遺跡群はあれど考古資料や文献から阿波に住んだヒミコを特定できない君は少し黙ろうか。 中西遺跡
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/21580
「弥生時代後期〜古墳時代後期の遺構面。同期の建物跡、ピット、土坑など。」
これで我慢しておけ。
アワアワアワアワうるさい奴だ。 >>910
>これで我慢しておけ。
アワアワアワアワうるさい奴だ。
まさか「卑弥呼の民衆が住んだ 弥生末期集落遺跡群」が中西遺跡だけってことはないよね?
あまりにも卑弥呼女王が惨めだろ。 @阿波 弥生時代末期に全国に集落があるのに、唐突に中西遺跡が邪馬台国と言い出すとは、恐れ入った。 >>912
そう言いなさんな。 九州説も似たり寄ったりでしょ? @阿波 九州説は、弥生王墓が根拠だよ。
集落はあって当たり前。 其れにしても、古代の阿波は重大な拠点やったと思う。
国産みの、天の橋からこをろこをろ…つうのの伊邪那岐命の橋の片側は阿波に掛けられてた事を示してるんやろ。
其の橋の真下の島の名前をあわじとしたのも…阿波路…国産みの前から阿波に橋の基礎が在った証しやと思う。 >>911
氷山の一角という言葉をご存知か?
発掘できるのは発掘許可が降りた場合だけ。
しかも道路が通るとか大きな建物ができるなどの場合しか無理。
纏向だって炭鉱離職者団地の建設の際に発見された。
葛城は大半が田畑で発展が望めない。。
いろんなものがみつかるとしてもこれからの話。 発掘は届出制で、埋蔵文化財包蔵地内での大規模開発行為であれば、むしろ調査をしっかり行うように指導される
逆に、今発掘しなければならないという理由が明確ではない場合は、重要な遺跡であっても軽々しく掘ることはできない >.>912
>唐突に中西遺跡が邪馬台国と言い出すとは、恐れ入った
そんなことは言ってない良く読め。
民衆とか言い出すから中西あたりではないかといったまで。
ヒミコの住んだ宮はおそらく長柄神社、通称「姫の宮」。
名柄遺跡は弥生Xだったはず。
全国で唯一、銅鐸と鏡が一緒に出た。
鴨族らしく水源地に建つ。
祭神はシタテル姫。古事記では高姫。
この人はヒメ(踏鞴)=ヒミコより重要視されている。
下を照らすほど高いところにいる、つまりアマテラスだ。 >>921
だから「埋蔵文化財包蔵地内での大規模開発行為」がほとんど田畑の葛城では行われないと言ってるわけだが。 >>919
>発掘できるのは発掘許可が降りた場合だけ。
それはどこも同じ。 阿波は発掘が遅れている地域。 それでも特異な遺跡がわんさか。 @阿波 >>922
>ヒミコの住んだ宮はおそらく長柄神社、通称「姫の宮」。
だから、ヒミコの住んだ宮はいいから「卑弥呼の民衆が住んだ 弥生末期集落遺跡群」は?
民衆あっての卑弥呼女王だろ?
ヒミコの住んだ宮探しもいいけど、それよりも民衆が暮らした集落探しが先決事項。 @阿波 自凝島は、字の如く自ら固まってできた島。
淀川河口の中州だろう。
八十島祭。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀と書かれてある。なぜ大阪で行うのか?
後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。
○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば 津守経国
八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。
○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば
淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ 仁徳天皇
難波の崎からオノコロ島、淡路島見えるとある。
古代の人々は国生み神話は、大阪湾の話であるのを当たり前のように理解していた。 >>892
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今すぐ言えよおまえ! >>925
弥生末期集落遺跡群」は?
nakanisi >>925
まさか「卑弥呼の民衆が住んだ 弥生末期集落遺跡群」が「nakanisi 」だけってことはないよね?
あまりにも卑弥呼女王が惨めだろ。 @阿波 >>929
>だけってことはないよね?
だけってことはないだろうね、見つかってないだけで。 九州は四国畿内へと東征する以前の一大拠点やったんやろな。
部族的にも本州の人間が見て一部を除いて琉球、薩摩、熊本辺りの人の顔は別種には見えんのやが。
もっと古い時代は南西諸島、琉球辺りが都やったような気がする。
分派、再合流を繰り返しながら そだねー
東征しただけで
東遷はしないよねー
鉄器ゼロだからムダ毛処理できないし
毛人の一員になるわけはないよねー
そだねー 畿内で再々再合流したとか違うの。特に頭に、あ、の付く場所は当時の人たちの重要なところやったと思う、奄、阿蘇、阿波、安房、、、天かける…とか天の浮橋とか其れらを尺取り虫みたいに渡っていったんやろな。 >>892
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! 南九州から移動してくる部族たちは阿波と言うか四国全域に広がってそうやな。
四国の南側の超大型の集落は相当な長い期間に住み着いてたとか、その間に四国中をくまなく探索するなかで丹生や阿波に群生する麻を見つけたん違うんかな。
阿波から紀伊半島へ、そして大和奈良へと(熊襲から隼人、そして国栖人へと)時間をかけ衝突と融合を繰り返したんやと思う。 >>939
>四国中をくまなく探索するなかで丹生や阿波に群生する麻を見つけたん違うんかな。
それもあるだろうが、阿波の地下資源(緑色片岩・紅簾片岩・辰砂・蛇紋岩etc.)が大きい。
それと吉野川などの大河、その背後の深い森林、黒潮流れる温暖な気候、豊かな海etc. @阿波 その中でいち早く大和に到達したのが葛城氏の国栖人なんやろな。
天の浮橋、あまのうきはし、、、。
あま…「あ」と「あ」の間、うきはし…「うき」「憂き」「はし」…「ならはし」「慣わし」、、、。
大和言葉はマジで含蓄が深い。面白すぎる。 >>892
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! ・帥升に連れられた生口160人
・卑弥呼の死で奴婢100余人を殉葬
これ同じ地域の奴婢(生口)でしょう。
2世紀前半の「其国の男王」と帥升の時代が同じ、ひょっとして男王と帥升は同一人物か。
王都と奴婢郷が存在し、そして殉葬された奴婢の痕跡が日本のどこかにあるか?
高天原(御所市高天)あるのだ。
何度も行ってるのに今まで気づかなかった、殉葬されたのは土蜘蛛だ。
明神大社・高天彦神社前の蜘蛛窟。
埋められたのは神武の時代。それはヒメ(踏鞴五十鈴)の時代である。 卑弥呼の死で奴婢100余人を殉葬
goo.gl/qPEYFv
殉葬された土蜘蛛 >>892
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今すぐ言えよおまえ! 紀和に程近い藤井寺の、藤、もいにしえには、葛、くず、くづ、で葛井寺と書いてふじいでらと読ませたらしい、葛城、国栖人の勢力(もとは熊襲/隼人、と近いつうか分派した古来「ふるき」の人たち)の広がりが大きかった証しやろな。
そう考えると藤原氏渡来人説も後年にこじつける人らの飛ばしかもな。
渡来したとしても、むしろ、原、がつけられてるから葛の本拠地からの新来(あらき)部族の頭目やったんかも。
学者らは何が何でも大陸半島由来にしたかったんやろ。 朝貢年
266年 台与 トヨ津
・
238年 卑弥呼 ヒメ踏鞴
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。
この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。
だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。
これが日本の歴史の真相である。 倭国大乱で筑紫を追い出された天孫族の移動が神武東征。
その後で筑紫で共立されたのが卑弥呼。
倭の王都はずっと筑紫のまま。
卑弥呼の死後に大和を含む各地にまた再編の動きを生じて、畿内には前方後円墳の時代がやって来たのだろう。 >>952
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! 朝貢ゆうより物々交換やったん違うの?
当時の倭国は大国やった説は信憑性高いと思うわ。 朝貢と言う名の物々交換だけど、形式上は倭王が中国の皇帝の家臣。 ココの人たち放置好きそうだから貼っとくね
https://goo.gl/Hgammx 畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。 >討たれるエピソードばかり。
もえあがれ
もえあがれ
もえあがれ キナイコシ
百余歩 走れ
まだ 箸墓にこだわる 闘志が有るなら
巨大な 内行花文を 討てよ 討てよ 討てよ
勝者の怒りを ぶつけろ キナイコシ
無鉄器戦死 キナイコシ キナイコシ たちあがれ
たちあがれ
たちあがれ キナイコシ
銅鐸よ 叫べ
神武の 東征に屈した 悲しみあるなら
倭国に 生口として 行けよ 行けよ 行けよ
うず巻く 内行花文に 萌えろ キナイコシ
無鉄器戦死 キナイコシ キナイコシ よみがえる
よみがえる
よみがえる キナイコシ
小枝を 掴め
まだ 罪悪感にふるえる 良心があるなら
真実を求めて 翔べよ 翔べよ 翔べよ
伊都へ 向かって 翔べよ キナイコシ
無鉄器戦死 キナイコシ キナイコシ >>961
>纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
物部神社社伝に書かれてるウマシマジ。
東海を征したあと山陰に行く。
彼の父であるニギハヤヒは筑紫、讃岐、播磨の物部集団を伴い畿内入り(先代旧事本紀)。
その主力=主体は吉備であろう。
先代旧事本紀は上田正昭や森浩一も復権を言ってたにも関わらず、
無視し続けるのは橿原考古学研究所の勝手である。
しかし上記のような「史実」に気づかない失態を演じるわけだ。
寺沢薫など筑備讃播と言いながら気づかない。
アホである。 >>968
それもこれもみんな忌部物語
物部も忌部一族のひとつ @阿波 冊封ねえ。
「冊封体制論」は日本だけのガラパゴス理解なのである。
1962年に西嶋定生という東大教授が提唱し、媚中ブームに乗って定説化しただけだ。
冊封は中国の皇帝が家臣に肩書きと任命書を与えて領土の支配権を認め、挨拶にやってきたり軍役につく代わりに保護するという関係だが、それと類似の関係を外国君主にあてはめたものだ。
日本の赤い学者らは突然こう言うこと言い出すんやね。
遣唐使説なんかもちょっと深く調べると其の出鱈目ぶりが よう解るからねえ。 高天原(御所市高天)にある最古の明神大社「高天彦神社」の境内に、
径百余歩の「塚」があり、
周囲に奴婢(土蜘蛛)が埋葬されている。
これは偶然ではない。 >>970
>冊封は中国の皇帝が家臣に肩書きと任命書を与えて領土の支配権を認め、挨拶にやってきたり軍役につく代わりに保護するという関係だが、それと類似の関係を外国君主にあてはめたものだ。
倭王であることの証として金印紫綬を受け取っていたのだから、まさにこの冊封体制だよ。
自分たちで作った印ではなく、漢や魏から与えられた印を身分証明に使っていたわけだからね。
倭に王を名乗る者は多かったが、その中で支配権を認めてもらうために朝貢したんだよ。
そのかわり、卑弥呼のように狗奴国などの勢力との戦いにおいて魏の保護支援を期待したわけだ。
典型的な冊封体制だよ。 >>952
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>972
其の金印自体、下賜された!!と言えるものなのか…
何処かにもカキコしたけど金印は大陸の一方の旗頭騎馬民族の大月氏國と倭国の二國のみが受けている、としたら其れは外交上の単なる贈答品やね。
媚中ブームとか言うプロパガンダが横行してた時代に刷り込まされた史観やろ。
「歴史終生者!!」と声高に言う人らの術中に嵌められた人間が多すぎると思うわ。 金印の意義がジョーカーやと思わせるのも赤い学者の思惑やろ。
俺も日教組の日本史の教員にそう教えられた記憶あるわ。
その教員は異を唱える者を力で捩じ伏せるヤカラやったし。
(殴られた事は無かったがヘッドロックで押さえ込まれた)
卑弥呼は後ろ盾を求めて魂を売った的な事を授業中に抜かしてたのに違和感を感じて、実際に派兵されたり他の国に其れがどれ程の抑止力になったのか聞いただけでね。 >>974
>其の金印自体、下賜された!!と言えるものなのか…
典型的な下賜だよ。
歴史を歪曲しようとしても無駄。 >>975
悪い教師に当たったことには同情するが、個人的な思いで歴史を捻じ曲げるなよ。
顧問が派遣されたが兵は来なかったことは、卑弥呼にとって期待外れだったろう。
ただし黄幢は与えられたので、卑弥呼の軍は形式としては魏の軍であり、それに弓を引く狗奴国は魏の皇帝への叛逆者の立場になる。
後世の「錦の御旗」と同じ役割だね。
それに加えての金印紫綬であり、典型的な冊封体制。 まあ遣唐使の件なんかでも、見識が広いと認められた司馬遼太郎でも、明治の学者が捻じ曲げた学説を踏襲して彼方此方で拡散してたようやし。
捻じ曲げたものが正史にされてるからな。
一旦、決め付けられたら覆す事なく信じれば楽やからな。 >>974
金かどうかはわからないが、
216年に曹操は、呉の支配下にあった山越族に印綬を与えて、呉へ挙兵させている >>977
卑弥呼が魏の兵を期待していたとは思えんな
もともと南船北馬の言葉もあるように、魏軍は船より騎馬がメインだ
そして日本に軍を派遣するには多数の軍船が必要だけど、
魏が軍船を使って敵と戦ったのは対呉戦のみ
しかも249年に卑弥呼は亡くなるが、
魏は223年の魏呉戦以来、軍船を使った戦いをしていない >>981
期待しなかったわけはない。
黄幢までもらっているわけだし。
しかし期待外れだったろうね。 >>979
前漢以来、倭はガッチリと中国の冊封体制に組み込まれているよ。
冊封体制から外れるのは隋の時。 >>983
勝手に組み込まれてただけじゃないの?東大の教授に。 >>973
おまえ、誰と間違えてるのか知らんが失せろや、基地外。 >>985
で、殷系の水稲の民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰は?
で、殷系の水稲の民が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! 魏志倭人伝 邪馬台国の官
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲醜大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
邪馬台国の官の筆頭
伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。
伊支馬、生駒、生馬、伊熊、猪熊、生目などの地名が、ヤマト、出雲、三河、遠賀川、宮崎に見られる。
何か関係あるのか?
生駒は火の神。
生馬も藁が巻きつけられ、荒ぶって燃えると自らが燃えるようになされている。火の神か。
古い海神と関係あるのか?BC1000年頃水稲栽培をもたらした勢力か?陶塤と関係あるのかな。
陶塤は、宗像以東、周防出雲丹後半島など日本海側中心に分布。
水稲栽培が伝わった時期、緯度を考えると殷からの難民がもたらしたのか。
殷に纏わるもの、亀ト、河伯信仰、生贄など。
カミイクスビ、イノヒメ
クマノクスビ クスビは奇し火
クマは篭った、奥まったという意味か。
イノクマ、生馬、生駒、伊熊、猪熊と何か関係あるのか。イン+クマ? >>988
案外、7世紀以降に「天皇」と言われた人が官であったかもよ。
なにせ女王国なんだからね。
安寧=たまてみ
懿徳=すきつみ
こんな感じの名前がいそう。 >>984
卑弥呼のほうから皇帝へ使者を派遣して、
王位を任命してもらってるから
日本の戦国時代に、地方大名が天皇や将軍に接近して名誉な官位を拝領して権威付けしたように、
古代では中国の皇帝から官位を拝領することが権威付けになったのだろう >>989
亀卜が日本に伝わったのは奈良時代だこの大バカ。
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
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