>>699
>古田自身が書陵部本と張元済の百衲本の異同について、

>明らかに写真技術上、「筆入れ」と呼ばれる修正を行なっているのだ。
>現在書陵部本には欄外に多くの筆跡(墨、朱)の書き入れがある。代々の書きこみだ。
>校異もあれば、他愛のない覚え書き類もある。これら皆、百衲本には出ていない。
>おびただしい代々の印も百衲本ではほとんど消されている。
>北宋咸平本の「牒」について、書陵部本の「補紙」を参考にして、新しく“版を作っている”のだ。
>原本(書陵部本)の「誤刻」ケアレス・ミスである。これを「百衲本」は“正しく”訂正しているのだ。
>中国側では「復元より復源へ」この意識が貫かれているのである。
>わたしたちにとっては何とも“やりすぎ”と思われよう。

と書いている<

ご紹介、 有難うございます。
という事は、大和説者が上げた王朗の「東治」記載も、
「書き入れ」や「校異」や「覚書」などを書いていた、という可能性がある訳ですね。