豊臣秀吉以外で日本史最高の成り上がり
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本で秀吉に次ぐ成り上がり者は誰だ?
候補としては
・藤原鎌足
・北条時政
・毛利元就
・柳沢吉保
・田沼意次
・岩崎弥太郎
・伊藤博文
・松下幸之助
・田中角栄 安倍総理大臣が と 安倍あきえ夫人が推奨 している大麻オイル(サプリ) 日本版\9800
http://livedoor.sp.blogimg.jp/zabu2233/imgs/6/0/60796153.png
TPPの薬事法改正(広告掲載や商品陳列の解禁等)、*ISD条項で海外版(医薬品)が日本へ出荷される
*医薬品の法律を海外承認に委ねる条項 徳川も、元は古事記坊主からの成り上がりだからなかなかのもんだろ 世界に与えた影響力では松下幸之助は秀吉を超えている。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ ブッチャケ、ダウンタウンは江戸の雑魚大名の数百倍稼いでるからな一代で。 >20
それでも税金払う立場なんだよな
大名は雑魚でも年貢取り立てる立場
今の日本で税金取り立てる立場と言えば、話題の佐川国税庁長官w >>21
そんなもん派遣会社社長のピンハネだってようは税金みたいなもんだろ、さらなる高利の
なら893も原理は同じ
ようは吸い上げだろ
大名に近い知行制度はのはまさに893や派遣会社なわけで 平清盛
穢らわしい武士階級から太政大臣
一瞬天下取った 当時の武士でも田堵などの武装豪農ではない用心棒稼業武士は、
一部名門層で従者は濺民だからな。 ↑
まあ大権現様も成り上がりではあるな
死後の神格化では成りあがり度歴代最強かもしれない 岩倉具視 右大臣
島津久光 左大臣
成り上がりというより、お手盛り 意味はちょっと違うかもしれないが、
明治天皇!?
六百有余年の永きにわたり行政統治権、統帥権を喪い
僅かに?思想心情的な権威の象徴でしかなかった抑圧された皇室(江戸時代は幕府から僅かに10万石の大名程度の知行(収入。幕末の1石=1両を五万円と仮定すると、、、小規模の市町程度の収入))が
日本全国を手中に治め、奇跡的なV字回復を成し遂げる大出世 >>15
山県有朋が公爵はひどいよな
現在の椿山荘も所有した >>38
大使って元お公家さんの家系でないとなれないでしょ。 >>40
お公家さん家系から右大臣
お殿様家系から左大臣 岩倉の家格は羽林家
久光は部屋住み、大名だったことがない >>59
ユニクロのあの人は被差別部落出身だぞ。
商売人は才覚さえあればなんとか。 楠正成とか?
父親の名前もあまりはっきりしていない。 >>20
もう15年くらい前に終わってるのに、巨大事務所と大崎氏のお陰で生きながらえてるよな。
松本は北野武になれなかったし(映画は散々たるものだった)、
浜田はずーーーーっと若いころのままの感性で来てる。痛々しさがハンパない。 モレ(仮)こそが、シークレット的な存在
一番上でもあり、一番下でもある
わかりやすく言うと、地上に立っている 『アテルイ モレ』
蝦夷(エミシ。エビス。)の首長、頭領、指導者
神話でいうと、神のなかの神という意味、
実際は人間なんだけど、本当の神のような家の一族 『エビス』
釣り竿のような物を持っているイメージ、
浦島太郎なのか、古代中華から来たものなのか >>5
川角太閤記に秀吉が鶴岡八幡宮に寄った時に頼朝の木像に向かって
「ここまでのし上がったのも自分と頼朝だけだ、まあ関白までいった俺の方がすごいけどな!」
って語りかけたエピソードがあるよね
実際に秀吉が言ったのを聞いたエピソードなのか作者の創作かは判断できないけど
慶長元和頃に頼朝と秀吉の成り上がりに共通点を見ていた人がいたのは事実 頼朝が14歳から伊豆大島に流されて農民暮らしを強制されて
20年後に北条氏より引き連れられて平氏を打倒して日本を支配したとかなら豊臣秀吉を超えてるかもしれない 秀吉みたいに身分の差を超えるのは大きいよね
伊藤博文は生家は農民だったからそれに次ぐと思う 60年安保の後西尾末広が自民党との連立をうけていたら西尾末広が首相だった。
西尾は高小中退。 幼少期の伊藤博文〜貧しく差別されながら学問に励む
https://www.bizcompass.jp/original/column-ap-01.html
極貧の生活による父の不祥事、破産、そして家族離散
伊藤博文は、天保12(1841)年9月2日、周防国熊毛郡束荷村(現山口県光市)で、百姓の子として生まれました。
当時の名前は、「伊藤」でも「博文」でもなく、「林利助」でした。
父は林十蔵、母は琴。ふたりは結婚後3年も子宝に恵まれなかったため、利助は望まれて生まれた長男でした。
幼い利助は癇癪の強い子で、少しでも意に沿わないことがあると激しく泣いていたそうです。
父十蔵の一族の本家は村の庄屋を務めており、十蔵はその庄屋を補佐する畔頭という役職でした。
百姓が五人組を形成し、その五人組を束ねるのが畔頭で、その上位に庄屋がいるという構図です。
しかし十蔵は、わずか5段の田と2段の畑と山林6段しか所有していませんでした。
当時はその2倍の土地がないとそこそこの生活ができなかったため、他家の小作などもしていました。
弘化3(1846)年、利助が5歳の時のこと。飢饉が日本列島を覆い、各地で一揆や打ちこわしが頻発しているような状況の中、
周防国を治めていた長州藩では借銀8万貫目が明らかとなり、厳しい財政立て直し政策が行われていました。
村の特産品を藩の専売とするために特産品が安く買いたたかれるなど、百姓の収入は減る一方でした。
そんな中、父十蔵が引負を生じてしまいます。引負とは、年貢として保管しておいた玄米を流用することです。
十蔵はその責任を取り破産し、「(長州藩の城下町である)萩で身を立てる」と言って家を出ます。
利助と琴は、母の実家である秋山家に預けられました。今で言うなら、不祥事、破産、家族離散というところです。
母の実家での暮らしは、肩身が狭かったことが想像されます。 >>60
それを凌ぐのが浅田満。しかし結局塀の中。
娑婆に居れば、八角親方にタニマチとして何らかの援護射撃を? 世界長者番付の日本人トップと大阪の肉屋じゃ比較にならん >>89
半分は同意。
あり戦国武将が現在に蘇ってしまったようなやつ >>89
半分は同意。
ありゃ戦国武将が現在に蘇ってしまったようなやつ
大江広元 を司馬遼太郎が推してたと思う
天穂日命―(14世)―野見宿禰―(25世)―大江広元―(11世)―毛利元就 元祖、日本のサラリーマンだとな
たしかに事務能力ではたの追随を許さない
でもなりあがりかな? 日本型社会だと成り上がりは出にくい
特に近代以降は >>106
その2人ぐらいなのもなあ〜
欧米だと成り上がり大物は腐るほどいる 成り下がり、と言っていいのかわからんけど
籠池元理事長は、民間人の分際で
国の金を史上最多に浪費させたんじゃないだろうか?
国有地払い下げを値下げさせ(国庫に入る金が減った)たり
森友問題で国会を空転させて国会議員の歳費を使わせたり
(予算を審議させないのも悪影響) 伊藤博文 ・・・長州藩の小作農民の子 足軽の家に養子に入る 秀吉に次ぐ成り上がりしたのは・・・
豊臣秀長と思うよ。 >>119
小作農ではなく庄屋を補佐する畔頭という村役人 【散るぞ悲しき〜辞世の唄】↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
日本歴史上の有名な辞世の句に曲をつけたもの。
凄く出来が良いので、お勧め。 吉備真備(地方豪族→右大臣)
春澄善縄(下級官人→参議)
菅原道真(学者家系→右大臣) 豊臣秀次もかなりのもの
24歳にして従一位関白左大臣にまで出世 松下幸之助氏の和歌山時代――出生から紀ノ川の別れまで
https://konosuke-matsushita.com/staff/sato/manuscript/008.pdf
この地区は、昭和31年(1956)9月1日に和歌山市に合併され、松下家のあったところは、現住所でいえば、和歌山市禰宜1216となる。
幸之助氏によれば、この一円はおいしい米がとれ、少し離れた山手にはミカン畑が多く、幸之助氏の子どものころには養蚕も盛んであったという。
また、千旦は60戸ほどの小さな集落だが、どの農家も耕作面積が比較的広く、しかも働き者と評判をとり、暮らし向きはいいほうだったということである。
松下家は小地主で、千旦ノ木では旧家に属した。
享保年代(1716〜1736)から書き綴られた過去帳があり、そこには40有余の戒名が記載されてあるという。
さきの郷土史家によれば、松下家は幸之助氏の祖父(政楠の父)房右衛門〔明治15年(1882)8月5日没、享年81歳〕のころが最も盛んな時代で、
千旦から西和佐村までいくのに他家の土を踏まずにいける資産家であった。
しかも、松下家の田地は上々田ばかりで、今でも(昭和40年ころの話)「松下地」といって千旦の人々のいちばん欲しがる田地であるという。
父政楠は、安政2年(1855)2月28日に生まれている。
幸之助氏が生まれたころ、政楠は百姓仕事は小作人にやらせて、自分は村会に出たり、役場の仕事に携わったりしていた。
『道は明日に』(1974)ほかで、明治23年(1890)に自治制が敷かれたとき、政楠は27歳の若さで第一期の村会議員に選ばれたとある。
http://www.geocities.jp/luckyvolunteer/a-a-volunteer-place
私は和歌山市から関西線に沿うて東へ約2里ほど行ったところにある一寒村、
和歌山県海草郡和佐村字千旦の木で、明治27年11月27日に生まれたのである。
家は別に由緒正しいというほどでもない、まあ無名の農家に過ぎないが、それでもかなり旧い家である。
というのは、仏壇の引き出しにある過去帳に、享保年代より引き続いて40有余の戒名が記載されてあるのがこれを物語っている。
私の生まれた当時、家族は両親と兄弟姉妹ともで8人で、家庭は千旦の木では、まあ上位に属する小地主の階級にあった。 同じ百姓の出で出生地も近いから秀吉の生まれ変わりかもしれない幸之助 劉邦「農家出身です」
朱元璋「農家出身です」
豊臣秀吉「農家出身です」
毛沢東「農家出身です」
ポル・ポト「農家出身です」 >>137
歴史小説が妄想だとして、秀吉が地主レベルの農家であった証拠もない
秀吉の出自は謎だらけ
あれだけの覇王が在地すらよくわからない時点で下層階層であった事実は変わらない 貧乏から這い上がったのはわかるが
勝手に農民にするのはおかしいよ
謎だらけだからといって記録も無いのに農民にしちゃうのは妄想がひどすぎる いや、だから、出自は本当に謎なわけ。
で、当時、職業はかきわられるため、蜂須賀のような893家業じゃないなら、日雇い層(職人、芸人、小作人) を兼務してるのが十中八九の実態
ただ、その中の当時のありふれた下層民の第一前提は貧農であり、副業や臨時に芸人や職人家業があるため農民という漠然イメージにされたまでで、
実態は農家とすら呼べない土地すらもてなかっあ最下層民が現実
だから農民の出というのは、農民は上は地侍庄屋から小作人まで幅か持たされ、逆に救済感のあるいめ〜じになってるんだが >>136
天皇家。、、、秦の始皇帝を二度もタブらかし詐した稀代のペテン氏、徐福が祖。
また、徐福はそれによって当時の日本列島の大半(7〜8割?)を支配した大出雲王国の簒奪を企て、ポーカーフェイスよろしくまんまと騙して
王家の媛君の入婿となり王族に列し >>143
て、御子が産まれた事等から丹波国(但馬、丹波、丹後、若狭)を賜る。(丹波(丹後にイザナギ(天ホアカリ=徐福)が降臨と伝))
いよいよ出雲王国側の警戒心が弛んだの機を逃さず王国の両輪であった第8代主王(オオナモチ)八千戈命(西の王家、神門臣家)と同じく第8代副王(スクナヒコ)の八重波津身命(
東の王家、富(向)家)を相次いで拉致幽閉の末に殺害。
事が順調に行くかに見えた矢先、先の二人の王の御子、八重波津身の嗣子、鳥鳴海命が第9代主王(オオナモチ)に、八千戈命の嗣子、高彦/味耜高彦命が副王(スクナヒコ)に出雲王国の祖法に則り即位なさって
渡来人らによりあわや滅亡の瀬戸際に有った帝国を急速な建て直しをなさって安定を取り戻した。(大国主の死亡〜大国主の復活)
それにより、出雲王国簒奪は泡沫の夢と消え失せた渡来人らは大逆無道の大悪党として常に出雲兵により付け狙われ捕縛、殺害の対象と成ってとるものもとりあえず妻子らを放置プレーして本国の秦に逃げ帰った。
(イザナギの国生みが失敗した行。) 百姓にもランクがあるだろう
大地主から完全奴隷百姓まで 地主なら搾取してればいいわけで、死にに行く足軽とかに出る必要も無いだろ。 >>132
次に百姓層から大臣が出るのは、伊藤博文まで300年近くかかってるからなあ >>143-144
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! 大川隆法(本名:中川 隆)の父・善川三朗(本名:中川忠義)
父・源佐エ門、母・テルノの次男として、麻植郡樋山地(現・吉野川市鴨島町)に生まれる。
地元の古老によれば、父の源佐エ門は小作のかたわら大工仕事もしていたが、その生活は村でも最底辺であったという。
その父も死に、昭和のはじめ、中川一家は川島町に新天地を求めたものの、生活は一向に好転せず、
1934年、母と幼い子供ら4人は、東京の書店で働く異腹の兄を頼って上京することを余儀なくされた。
麻布台のボロ家に身を寄せた一家は思い思いの働きで、貧しい家計を支えた。
忠義によれば、この東京生活の間、矢内原忠雄門下の無教会派で学んだ後、
乃木坂にあった生長の家の門をたたき、谷口雅春からじきじきの教えを受けるなど、いくつかの宗教遍歴を積んだという。
佐野眞一著「『幸福の科学』主宰 大川隆法 挫折だらけの生いたち」(月刊Asahi 1991年4月号) >>158 もし弓削氏出身というのが正しいのであれば、
成り上がりではあっても秀吉ほどではないのでは…? ・豊臣秀次の親父
・ブルゾンちえみ
・小椋圭さん
まあ転落も早かったが。 大谷翔平のお父さんもかなりのもんかな
来年以降年俸がいくらになるか知らんがいくらになっても殆どは父の懐に入るらしい・・・
恐ろしや <第2回>県大会入賞の陸上より野球を選んだ父・徹氏の矜持
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158502
大谷の父・徹(52)が育った岩手県北上市和賀町には、大手重化学工業の関連会社がある。
「当時は人もたくさんいて、町全体が活気にあふれていた。まさに工場の町といった感じでした」と徹は振り返る。
徹の父、大谷の祖父である正幸(78)はその工場で働き、社宅に住んだ。徹は2人兄妹の長男として生まれた。
「父は技能職というか現場でした。趣味は多彩です。
車の免許は大型とか、大型特殊とか、二種とか、クレーンとか、重機とか……免許という免許はみなもっています。
運転が好きで、工場の中でバスやブルドーザーを運転したり、
雪が多いのでユンボというパワーショベルのようなもので除雪作業をしたりもしていました。
狩猟や釣りも好きで、(獲物を)仲間とさばいて、持って帰ってきた気がします。キジ、ウサギ、熊などは食べたことがあります。
自然が好きというか、アウトドア派ですね。ひとりでできるのがいいと。一緒に遊んでもらった記憶は、あまりありません」
それでも野球は好きだった。工場内のレクリエーションでは野球をやった。徹に野球をやるように勧めたのも正幸だった。
地元の中学に進んだ徹は坊主頭になるのが嫌で野球部ではなく、陸上部に入った。しかし、結局、2年生から野球部でプレーすることになる。
「中2のとき、陸上部に駆り出され、3種競技(100メートル走、走り高跳び、砲丸投げ)で県大会で入賞したんですけど、
その上となるとなかなか難しくて。例えば100メートル走。コンマ数秒でも、結局、相手の背中を見て走ることになるわけじゃないですか。
それが嫌で嫌で……負けるのが嫌いだったんです」と徹は言う。
県6位でも、自分の目の前に5人いることが我慢できない。
当時の野球部はさほど強くなかったものの、野球は陸上ほど明確に個人の優劣がつくわけではない。
しかし、個人の活躍がときに勝敗を左右する。徹はエース兼4番打者として、県内の野球強豪校監督の目に留まる存在になった。
中学3年の夏、地元・北上市内の県立黒沢尻工業が通算2回目の甲子園に出場した。 KK ちゃら男、フリーター、コネ入社で皇族にのし上がる 山縣は中間の生まれだから足軽の伊藤よりもさらに下っ端 爵位や位階勲等では伊藤と山県は同格だろうが、アホか170
首相や枢密院議長やってんのも知らんのか170
基礎知識学んでから書き込め170 >>175 坂本は死後の知名度が凄いってだけで、生前に出世したわけじゃないだろ。 坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家で、
第六代・直益の時に長男・直海が藩から郷士御用人に召し出されて坂本家を興した。
土佐藩の武士階級には上士と下士があり、商家出身の坂本家は下士(郷士)だったが、
分家の際に才谷屋から多額の財産を分与されており、非常に裕福な家庭だった。 >>160
名門出身なので成り上がりとは言えないよな 伊藤博文だろ
百姓の息子が総理大臣になった
百姓の息子が天下を取ったのは豊臣秀吉と伊藤博文の2人だけということで
「今太閤」と呼ばれた 松下幸之助も百姓や
どうも日本人は百姓の身からというのに弱いみたいだ
あまり町民の身からとかヤクザ者の倅とか言わないよな。 日本の利益誘導政治のもとを作ったといわれる星亨
江戸の左官の子として生まれ、貧乏に苦しんだ >>182
秀吉百姓説は歴史小説家の妄想で
そんな記録は一切ないからな >>185
戦国時代は兵農未分離なので
普段は田畑を耕し、戦になると歩兵として出陣した足軽をもって
「秀吉の父は武士身分!」というのもどうかと思うぞ
武士業で食ってたわけではないから(田畑を耕して食っていた) 徳川家康は別格として紀州家の四男から将軍になった吉宗も恐ろしくなるほどの強運 下克上が当たり前の時代で成り上がることよりも
身分制度が固定された時代で成り上がる方が100倍は大変だぞ
江戸幕府で下級武士から大老格に上り詰めた柳沢吉保と田沼意次は見方によっては豊臣秀吉より苦労してる筈 戦国時代で成り上がるより
江戸幕府で成り上がることこそ価値が高い >>146
秀吉はながれものの子
いわゆる身分をもてない階級だった >>200
渥美清もストリップ小屋から国民栄誉賞。昔の芸人にとってストリップ小屋は普通。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
9MZ あれは母親がダメなだけじゃなかったのか
本人もなにがしたいのかよくわからんな 意外と家康かも
ただの天下人じゃなくて神格化されて自分の子孫が250年以上も日本を支配したことを考えると凄い
松平家自体ルーツもよく分からん成り上がり系の豪族だしね >>229
血統は徳阿弥の乞食なんだから、究極の成り上がりだろ 大江磐代は?
浪人と町娘の内縁の子から光格天皇生母 >>229
子孫の繁栄をカウントするなら、家康は藤原鎌足に絶対に勝てないね。
子孫繁栄の年数は5倍以上長いし、皇室に血を入れまくってるし、近代に総理大臣を出してるし。 一番は、天皇家に潰れた出雲王国の元王家の次男坊(フツー飼い殺しか部屋住みの不遇のママ)〜大家の当主。全く血を流さずに辞を低くして是非ともと迎えられて、
まさかの大王(天皇)に上り詰めたオオド大王=継体天皇。
このお方以上に大出世なさった方は皆無。 >>237
因みに、現在の皇室、皇族方は継体天皇の末裔に他成りません。 伊藤博文かな?
水呑百姓の子から近代日本を代表する宰相まで成り上がったのはなかなか 六畳一間に6人暮らし
親は自分の名前も書けないぐらい無学で、生ポで生計
食事は一日一食
極貧から成りあがった、勝海舟 木曽の山出しだけど源氏の御曹司だぞ。頼朝のいとこだから。 なんだよそうか
木曽の山猿が短期間とはいえ日本を制圧した夢物語だったのに・・ 頼朝の父義朝は父である為義と仲が悪くて、義朝が関東に下って勢力圏を築くと義朝の弟である
義賢に関東に下って義朝に対抗することを命じた。そこで義朝は庶長子の義平(14歳)に義賢を
やってしまえと命じたら合戦の末に本当に殺してしまった。後に残された乳飲み子を斉藤実盛が
信州へ落ち延びさせた。さらに木曽谷へと匿われて成長後に木曽義仲と呼ばれるようになった。
叔父である義賢を討ち取った義平は武名をあげて悪源太(とても強い源氏の太郎の意味)と
呼ばれるようになる。その後平治の乱で父義朝が平清盛に敗れて死んだ後に捕まって処刑された時でも
まだ20歳の若さであった。ちなみに頼朝は三男。 日本最高ではないと思うけど、老中首座になった水野忠成は、旗本の次男が水野家に入って、その後出世したパターンだったんだね。 >>247
江戸幕府の大老は世襲一族の固定席だったが。
老中は下級武士の成り上がり者が多かった。 まあ出世というかお役がもらえる夢くらい与えておかないとな 階級上は将軍、大老に告ぐ3になるが実質的に幕政を取り仕切ってたのは老中首座。
その老中首座には地方の下級武士からでも成りあがれた。
江戸幕府体制下でも名も無き下級武士の出自でも日本の支配権を握れたわけだ。
よく言われてる江戸幕府は身分固定制度だという批判は半分は当たっているが半分は外れている 北条早雲は伊勢氏の傍系で実は成り上がりじゃないのが定説になってない? 成り上がりが凄い人は一代〜二代で滅ぶ傾向が有るな
豊臣秀吉は、譜代の家臣が殆ど居なかったこと、世継ぎの秀頼が幼少だったことが禍で二代目の秀頼で滅亡(国松が生き延びた説も有るが確定的でないので除外)
秀次が生きていたらもう少し豊臣の天下が続いたかも
意外にも秀次の弟の秀勝の娘の完子が九条家に嫁ぎ、その子孫(途中で女系で鷹司家から養子が入るが)の九条節子が大正天皇の皇后となり昭和天皇を生んで、今上天皇にまで現在の皇室に続いている >>254の補足
秀勝の嫁は江、二人の間に生まれたのが完子
秀勝が死ぬと江は徳川秀忠と再婚(正確には再々婚)して家光や勝姫を生む
勝姫と松平忠直(結城秀康の子)との間に生まれた鶴姫が、豊臣完子と九条幸家との間に生まれた九条道房に嫁ぐ
鶴姫と九条道房との間に生まれた九条待姫が、鷹司家からの養子の九条兼晴に嫁ぎ、生まれた九条輔実の子孫が、先の九条節子となる
他にも家光の娘が尾張徳川家に嫁ぎ、女系を通して子孫が九条節子にも繋がると言う
現在の皇室は、浅井や豊臣や徳川の血の一部が流れている
他にも、織田や明智光秀やガラシャ(光秀の娘)や前田利家等の血の一部が、女系を通して現在の皇室に繋がっているようだ ある意味、江戸幕府に限れば将軍の生母は側室が殆ど(例外は家光の生母の江)で、正室の御台所は公家か皇室の息女であることを鑑みれば、綱吉の生母であるお玉(桂昌院)とか成り上がりだな
現在の皇室にまで続いたのなら、お由羅騒動で有名なお由羅(西郷どんでは小柳ルミ子が演じていた)が成り上がり
大工の娘とか八百屋の娘とか船宿の娘とか諸説有るが、武士の娘ではないのは確か
由羅が島津久光を産み、その孫娘が久邇宮に嫁ぎ、その娘が香淳皇后で今上天皇の生母だしな 女性なら灯台下暗しで現皇后の正田美智子は?
お嬢様とは言え史上初の平民上がりの皇后 徳川吉宗の生母浄円院も紀州藩で湯殿番をしていた下女と言われてる。 美智子皇后の祖父の正田貞一郎は、貴族院議員もやってたから、公家や大名の血は引いてないけど、勲功華族に準ずる感じだったから微妙だな。
雅子妃のところも、父の小和田恒が外務事務次官、国際司法裁判所長で、母方の先祖も江頭安太郎海軍中将、山屋他人海軍大将とかだから、充分勲功華族並。 柳沢吉保と田沼意次の二人は間違いなく江戸時代最高の成り上がり 柳沢を挙げるなら間部詮房も忘れないで。猿楽師上がりで徳川家宣と家継の側用人にまで上り詰めた。
柳沢みたいに権勢を見せびらかさなかったのと家宣の在位が短い(3年くらい)んであんまり有名じゃないけど。 >>260
いや親父か国際なんとか裁判になれたのは娘献上した代価だろ。
どうせなら堀ブロがヨシエたん献上しとけば。 >>252
下級武士から老中首座になるのが江戸時代の限界だろ?
いわゆる名も無き百姓の子が将軍様に気に入られて大老になるとかは絶対に無理だった。 >>267
だから八百屋の娘が将軍様に寵愛されてのちの将軍の生母になれば従一位にもなれるよ。
桂昌院の事だけど。 大老だって正四位までしかなれないのに従一位だよ。どっちが偉いと思ってんの? だが身分が固定されきった江戸時代で成り上がることは
下剋上が当たり前だった戦国時代で成り上がることよりも難しいだろ?
士農工商の枠が出来上がってた江戸時代で下級武士から老中の成り上がりは
戦国時代の農民から一国一城の主になることより難易度が高いよ となると柳沢吉保、田沼意次>豊臣秀吉になるかもな。 だからそれだったら下級武士の子だけど猿楽師として採用されて柳沢吉保と同じく側用人にまでなった
間部詮房の方がスタートが下なんだから上だって。 柳沢吉保と同じく側用人と言っても吉保は大老格で15万1200石、間部詮房は5万石
ちなみに田沼意次は5万7千石 吉保は短期間とはいえ事実上に日本の最高権力者になってたからな 道鏡だろ。物部の末裔とか言われるけどはっきりしないし。法王とか足利義満級。 >>252
一応 学問板だから、教えておくが、田沼意次は老中首座になったことはない。
「実質の」「事実上の」とかは無し、ね。
それと、柳沢氏は周知の通り武田家旧臣で由緒ある家柄。間部氏は出自不明。
成り上がり度を見る際はゴールだけでなくスタートもみないとね。 中臣鎌足:下級役人→内大臣
道鏡:弓削氏?→法王
平清盛:平氏の傍流→太政大臣
源頼朝:源氏の宗家→征夷大将軍
足利尊氏:源氏の傍流→征夷大将軍
豊臣秀吉:尾張の足軽→関白
徳川家康:新田氏傍流?→太政大臣
成り上がりでは秀吉か道鏡が双璧だと思う。
秀吉は庶民から人臣として最高の官職に就いたし、
道鏡は平民ではないが、人臣の身分を超えそうにまでなった。 >285
鎌足は藤原氏として天皇に次ぐ地位を得て、それを続けた訳だけど、
実権は平氏に奪われるまでと考えればいいのかな
大化の改新645年から平治の乱1159年で約500年?
江戸幕府より長いやん 平安時代の間ずっと藤原氏が実権握ってたと思ってんの?
そもそも朝廷とは別の組織で日本を支配した徳川幕府とは全然違うわ 何代にも渡る氏族の勢力拡大を「成り上がり者」とは言えないだろう。
「成り上がり者」はあくまでも個人一代。 家康って言うか松平家って出自の胡散臭さは戦国大名の中でもかなり下位だよな
秀吉のおかげで目立たないけど 小さな島の百姓から琉球国王になった尚円
日本より遥かに国力が低い琉球とは言え名実ともに国王(王朝の開祖)になったのだからむしろ秀吉より上では 鎌倉幕府:清和源氏、執権:北条氏(桓武平氏)、室町幕府:足利氏(清和源氏)と
源平が政権を交互に担ったから、
織田氏が桓武平氏の末裔と称し、
松平氏が清和源氏の末裔(さらに言えば新田の傍流の得川)と称したんだよな 戦国時代から江戸時代にかけて出自を厳密にしたら、
残った大名の出自が明確な大名は怪しい大名より少ないんじゃないか?
最後まで領地を移動されずに残ったのは島津だけ。 >>293
相馬もだよ。鎌倉時代から明治維新まで動いてない。 江戸幕府内最高の成り上がりは誰になるんだ?
とりあえず間部詮房でいいのか?
俺としては大老にまで上り詰めて徳川綱吉を陰で動かした柳沢吉保に一票入れたいが
出自も考慮すれば間部詮房になるのか
しかし柳沢も間部も甲府藩と縁があるのは不思議な因縁だ 江戸幕府内で成り上がりことは戦国時代で成り上がることよりも遥かに難易度が高すぎる
武力を使うことが許されてないわけだから余程の対人交渉能力が突出してないと無理 一方で江戸時代は平和な分、歌舞伎や絵、医学など文化活動でも名を遺すことができるようになった。 ・間部詮房
・新井白石
・柳沢吉保
・田沼意次
江戸幕府の四大成り上がりだが他にはいるの? 江戸時代は成りあがれない、というが、一方で江戸時代は一族郎党族滅など、没落も戦国時代ほど激しくない。 信綱に比べるなら初期の江戸幕府老中の大久保長安こそ成り上がり。 新井白石って公的な地位としては一介の旗本のままだったから、他の3人に比べると成り上がり感薄いね >>305
大久保長安こそ江戸時代最強の成り上がりかもしれん ・大久保長安
・間部詮房
・新井白石
・柳沢吉保
・田沼意次
江戸幕府の成り上がり5人衆だが1位は誰かを決めなければならない。 新井白石は浪人からスタートして甲府徳川家に儒学者として37歳で登用されて、藩主が将軍になったことで
旗本になったけれども1000石くらいの家禄で本丸寄合のままで国政の主役を担ったところがすごいな。
普通はもっと出世するはずなのに。寄合というのは役職がない旗本のことなんで無役の旗本が政治を
動かしていたことになる。 道鏡や秀吉は成り上がったけど、反動なのか、後の没落も凄まじい。 成り上がったのにその後没落しなかった人って居たっけ?
成り上がった反動で大概没落してるよな >>316
自己回答
家康は子々孫々まで没落しなかったな 家康は元から松平家の子孫で成り上がりとはいいがたい。 長州の成りあがり共が作り上げた大日本帝国は70年余りで崩壊したが
自民党政権の日本はどうなんだろうか? 鎌倉北条氏もご後北条氏も初代が成り上がりで巨大勢力を築き上げた 北条早雲は今では室町幕府の伊勢氏の一族だったって分かってるから言うほど成り上がりじゃないよ >>296
基本的に武力を行使しての成り上がりは手っとり早いからな
ただ人心を失う可能性が非常に高いから
二代以降は滅びてしまうわけだ でも明智光秀の場合には、清和源氏の土岐氏出身だから家柄としては立派 光秀が濃姫の従兄弟ってのはどれくらい信憑性があるのかな?
成り上がりにはかなり有利になるけど >>296
彦根藩主の14男に生まれ、藩主になる芽はなくて埋木舎で学問や文化活動に
勤しむ立場から、江戸時代の重大局面にて大老の座に就任した井伊直弼はなかなかのもの 井伊直弼のは成り上がったというより全くの棚ぼただけど、それだったら紀州藩主の庶子で4男から
自力で将軍に成り上がった吉宗もなかなか。生母の身分が低かったんで初めは認知されなくて
家老の家で育てられてたし。 成り上がりとは逆に日本史上最低の没落人は、
皇位に上がったのに最後は島流しにあって没した後鳥羽上皇? それだったら島流しになった上に怨霊になった崇徳天皇だろう。 流された天皇なら淳仁天皇が一番悲惨
島から脱出しようとした翌日に不自然な死に方してるし確実に殺されてる
後鳥羽や崇徳は少なくとも廃位はされてないけど淳仁は明治時代に復権されるまで淡路廃帝 崇峻天皇は在位中に臣下に暗殺されたうえ、墓も作られず、暗殺下手人も処罰されず、暗殺を命じた蘇我馬子はその後全盛期を迎えるという異色の天皇だね。
怨霊になり、落語の題材となって後世まで伝えられる崇徳院をうらやんでおられるだろう。 その頃はまだ天皇の称号は用いられていなかった可能性もある。 祟峻天皇弑逆事件の実行犯は東漢駒で蘇我馬子に処刑されてる
天武天皇から東漢氏に対して七つの不可をつきつけてるけど
東漢駒の子孫に当たる坂上田村麻呂が渡来系氏族から大納言まで昇進したのは中々の成り上がり >>342
東漢駒が処刑されたのは、崇峻暗殺の罪ではなく、崇峻の后だった馬子の娘に手をつけたからというのがさらに哀れをさそうな。 以上に伸びてると思ったら、案の定キチガイが発狂か
女性説ってこういう頭のおかしい奴の妄言だってハッキリ分かるわ
仏門に帰依しているから、の一言で済む話 足軽以下の中間から、
明治の元勲・公爵・内閣総理大臣に成り上がった伊藤博文と山形有朋 明治天皇すり替え説て月刊ムーで見た
大室寅之佑だっけかな >>1
ある面ではあべ総理も最高のなり上がりと言えるのでないの?
少なくとも早稲田・慶応・東大・京大以外から総理になったのだから。 戦国武将は、家系図に【庄屋】と記載されている人物もいるし、秀吉が言うほど身分が低かったのかは疑問。
水飲み百姓や小作人の倅か、豪農の子息かで、全然話が変わってくる。 おねと結婚した経緯が
「同じ木下一族が貧しい暮らしをしてるのが不憫で」という事だから
身分は低くないが貧しいって話だよね 光格天皇の外祖父は岩室宗賢という浪人上がりの医師らしい まぁまぁの貧民 → 社長
救いようの無い最下層 → 部長
どちらの方が成り上がり度は高い? と問われれば難しい 後花園院
傍系皇族からの登極だから凄い
秀吉も所詮は関白じゃないか サルは天下取ったけど最後老害化したからな
後花園天皇は最後まで英明な君主だったからね
そこは全然違うよ 豊臣なんてテレビでてそうできつそうだな。信長の死後NO1を味方から目指すのは忠誠心がどうか。寝返りと同罪だ。
敵の君主のほうが能力は高いだろう。当時のな。 後花園院(1419〜1471) 8親等以上離れた続柄からの登極は658年ぶり
豊臣秀吉(1537〜1598) 最高位が関白太政大臣
後花園院を見てからだと太閤殿はずいぶん霞んでしまう 神輿系の地位は担ぐ側の都合で決まるからね。
善良なイエスマンが最高な訳だし。 >365
継体天皇は? 王朝の交代とも言われてるけど 天皇の称号って遣隋使を派遣したころから使いだしたんじゃないか? 遣隋使の国書は天皇じゃなくて天子だったと思われる。
天皇は天武天皇あたりからと言われている。 大化の改新クーデターがどれだけ日本史を消失したのか 顔見ても秀吉に見えない
ZOZOTOWN
あれはきっと秀吉の生まれ変わりだろ
やることも顔も姿も似てる 何度もレスされてるが下剋上が許された戦国時代で成り上がることより
士農工商の身分が固定された江戸時代で成り上がることの方が上 源平橘藤の系譜に連なってる人間は血統的に成り上がりとしては2流だよ。
斎藤道三とか油売りから戦国大名になったし成り上がり度高いと思う
でも天下人になった秀吉に比べると微妙かも
実は豊臣秀吉も源平橘藤のいずれかにつらなる高貴な血統で
農民の子供というのは家康が秀吉を卑しめる為にでっち上げた捏造だったって
資料が見つかったら逆に萎えるな・・・
家康「秀吉って農民の子供だったんだぜwwww」
庶民「農民の子供から天下人になるなんて凄い。」
家康「ちょっ 今のなし・・・・ あわわ・・」 >382
青木一矩&お梅あたりの系図を見ると、秀吉の母方叔母夫妻と家康の外祖母の華陽院が共に近親だったみたい。
そう考えると、秀吉の家康への優遇は、遠縁の有力者を優遇したという意味合いもあるようにも思える。 >>383
それだと秀吉の母方の親戚の福島正則や加藤清正も血統的に良さそう 池田家みたいに源氏を名乗っていた土豪や盗賊の類のくせに織田信秀の代に信長の乳母だというだけで勝三郎が取り立てられ
幸運なことに息子の輝政が徳川家康の娘と結婚したことで徳川政権下では親藩扱い播磨備前因幡伯耆と破格の扱い
娘も皇族に入り地味に成り上がり ↑
正確には娘が公家の勧修寺家に入り、その間に生まれた娘が皇族に入り
じゃない?
池田氏が成り上がりなのは同意 >>1
スレタイからすれば、最高の成り上がりが猿吉なんだな。
あれは最悪サイテーの成り上がり! 池田こそ、戦国以前は一切出自がわからない馬の骨一族だからなあ >>382
秀吉が農民だとか言い出したのは昭和の歴史小説家なんだけど 秀吉は織田軍ナンバーツーだから各軍NO1より下の出世だろうな。 >>389
農民ですらない日雇いレベルの最底辺だけどな せっかくアゲてくれたからここにも貼っておく
チン毛だらけのふぐりに
指で書いたtrue love my true love
本当に愛していたんだと
兄貴は気にも止めずに
ガン掘りするtrue love my true my true love
傷痕も知らないで
激しくされていつかは
掘り返すつもりだった
それからどんな人にも
アナルを許せず
どうして何だぜ?
今日に限って
安い六尺を履いてた
今日わかった
空しいこと
むすばれぬ悲しい六尺 >>5
もともと貴種の上に、一度は流刑になった人が後に許されて政界で活躍というのは割とあったから、成り上がりというのかなあ? 江戸時代限定で、大久保長安、柳沢吉安、田沼意次、間部詮房の4人はすでに上がってるが。
そして勝海舟もだろ! 新井白石を入れるの忘れてた
江戸幕府での成り上がり6人組。
・大久保長安
・間部詮房
・柳沢吉安
・新井白石
・田沼意次
・勝海舟 逆にいうと秀吉がまっさきに思い浮かぶ日本史上最高最有名出世者といったところか >>399
将軍が死んだらみんな失脚してる連中ばっかだな
まあ幕府のシステム上しょうがねえのか 田中角栄ばかりがクローズアップされるが三木武夫や大平正芳も普通の農家の息子
出自自体は大差ない 一切の武力を使わずに日本国の最高統治者に上り詰めたからには田中角栄は豊臣秀吉を超えてる
伊藤博文でさえテロリスト >>411
それ言うなら矢張り後花園院だろう
なにせ傍系皇族からの登極だからね
首相も将軍も関白も禁裏様から見ればただの臣下に過ぎない しかし田中角栄ってなんでこうも魅力あるんだろうか
西郷隆盛に匹敵する魅力 >>415
臣下といっても母親正室で 一世皇子だしな
嫡流とみなされ後に傍系に落ちぶれた清和陽成天皇系に遠慮して臣籍降下しただけだし
どこの馬の継体天皇とは格が違いすぎる 明治の薩長元勲もなにげに凄いよな。
下級武士から徳川家などと同格の公爵まで登った奴ら多数。 >>425
経歴が全部ウソなのに、あれだけ英語を話せるのはすごい。 洪思翔は?
朝鮮人で中将
朴正煕は大統領になったけど、日本人時代は中尉だからなあ 仕えていた主家の若い姫さまをヤっちゃうのは現代人もうらやむ成り上がりではなかろうか >>289
応仁の乱以前からの三河の国人で幕府奉公衆だし、戦国大名の出自としては平均的ではないか? 貧富の差ではなく、頭の悪さや最低の人間性から日本一の成り上がり者は安倍晋三で確定! >>444
「虎ノ門事件」の犯人の父親衆議院議員難波作之進が責任を感じて餓死したため
その地盤がまわりまわって岸信介・佐藤栄作から安倍親子へ受け継がれた
つまりこの事件がなかったら今の首相は存在しない だな
成城出でたのが一国のトップだなんて超恥ずかしいと思わないのだろうか
妻は大企業創業者一族の令嬢なのに聖心の大学に進めなかったという残念さん >>449
成城大学とんだとばっちりw
まあどちらも私立旧制高校を母体にしたおぼっちゃま学校というカラーは似てるけどな
まあ成蹊もそう悪い学校ではない。少なくとも外部入試なら安倍は受からなかったろうよ。 知能はもちろんだが、都合悪いことを隠蔽したり、改竄したり、挙句の果てには責任を他人に押し付けて「膿を出し切る!」などと責任転嫁。その結果財務省近畿職員が自殺しても知らぬ存ぜぬ。
こんなのが一国の総理でいいんですかね? 手柄は自分のごとく振る舞うくせに、都合が悪くなると他人に責任転嫁するような人間性最低の奴が、総理在職最長だってさ
日本崩壊真っしぐらだな >>450
成城は人柄が良さそうな羽田孜さんが総理。 >>453
日本って昔からそんなもんでしょ
殿がやらかしたら家老が腹切って事を納める
上の人間に泥被せないのがこの国の美徳
今生きてる人間も御先祖がそうやってご奉公したお陰を被ってるかもしれないぞ 未だに頭の中身が封建社会の人がいるんだね。
他人に責任転嫁ばかりしてる人間性最低な安倍晋三が日本のリーダーって現代社会では史上最大の成り上がり者でしょ。 環境恵まれていても、人間性最低じゃん
あんなのが首相ってこと自体、環境だけの成り上がりでしょ 安倍は父も祖父も国会議員の三世議員
母方祖父は内閣総理大臣・岸信介というサラブレッドです
自民党にとって一番大事なのは血統
学歴は大した問題じゃないでしょ
田中角栄は専門学校卒だったし
次期首相候補といわれる四世議員、小泉進次郎は関東学院大
東大出てたって民主党の鳩山内閣はボロボロズタズタ まあ糞ゲリゾーのせいで日本の借金は1100兆円超えたわ 日本史上、最大の成り上がったのは、
一度は出雲王国が滅ぼされて数代を経た、元王家のご次男(部屋住み)、彦太さま。
蘇我本家の婿養子に入り、後に大和の大王家に乞われて大王家に婿養子にはいりオホド大王=継体天皇と成られたお方。
オホド大王の男系血筋は今上天皇に受け継がれています。 日本史上、最大の成り上がったのは、
一度は出雲王国が滅ぼされて数代を経た、元王家のご次男(部屋住み)、彦太さま。
蘇我本家の婿養子に入り、後に大和の大王家に乞われて大王家に婿養子にはいりオホド大王=継体天皇と成られたお方。
オホド大王の男系血筋は今上天皇に受け継がれています。 渋沢栄一 農民 日本銀行他100社設立
岩崎弥太郎 半農下級武士 三菱財閥
安田善次郎 半農下級武士 安田財閥 超家柄重視主義の日本で秀吉みたいなのは例外中の例外
結局は豊臣家も2代で名門の徳川に滅ぼされてしまう 松平家も地道に勢力を拡げてきて、清康の頃にはそれなりのところまで広げられたから、相対的に名門と言えなくもないけど、「超家柄重視主義」とかハードルを上げるのなら、絶対に違うよね。
徳川の周囲で言っても、北畠、斯波、土岐、武田、小笠原、吉良、今川と周囲を見渡して、確かな歴史がある家が何だかんだ残ってたからな。
超別格は木寺宮の後裔を称してた遠江の赤津氏だけど。 土民にこき使われて成人しながら日本最強の武将になった源義経だろう 源義経は母の再婚相手である公家の一条長成の庇護を受けていたから
割と裕福に育ったんじゃなかったっけ
長成は奥州藤原の外戚と親戚関係にあった >>480
少なくとも江戸時代は家柄重視だろ
重視というか下賎は基本出世できない
どんなに努力しようが、庶民は下級の士分にすらなれん
どう考えても家柄至上主義だろ
まあ支配力弱まった幕末は覗いての話だが 間宮林蔵という農民のガキが大出世をしたケースがありましたなぁ 今の日本は超学歴重視か?
国会議員の4人に1人が東大卒である
霞ヶ関のの官僚も東大や京大に支配されてるねえ 今の日本は超学歴重視か?
国会議員の4人に1人が東大卒である
霞ヶ関の官僚も東大や京大に支配されてるねえ
だいたい平成突入から日本社会が学閥なんて下らないものに汚染されてるから日本が大衰退したんだよ 柳生宗矩はどうかな?
元2000石の剣術家の息子から大名よ。
…ちょっと弱いか。 >483
江戸時代が家柄重視か否かじゃなくて、家康の当時に、(新田氏、世良田とか自称してるけど実際は)血統的に怪しい土豪に過ぎない徳川(松平)が「超家柄重視主義の日本の名門」とは思われていないだろうと。
血統的にも、源氏であることが明確で武門の名家の出だと明らかな守護大名たちに比べると明らかに見劣りがする。 >>493
徳川家(というか当時は松平家)は室町時代までの家格でいえば
三河の土豪にすぎず天皇家や足利将軍家みたいな名門とは違うが
家康は生まれながらにして城主の一人息子だったわけだし
三傑の中ではかなりいいところの生まれ >>493
家格秩序ってのも常に再編成を伴うし、戦国末期幕政初期もそういう時代だった。
>>491
大身旗本と小大名は通婚もしてたし、身分的には大差ないだろう。明治の華族令では大差がついたけど。 >>494
応仁の乱以前から三河の奉公衆としてちらほら名前が残ってるレベルではあるしねえ >>494
まあでも織田と徳川/松平は家格ではいい勝負かも。織田だって守護代の分家で、そこらの馬の骨ではない。 >>490
ずいぶんと渋いところを突くね
成り上がりには違いない 浅野総一郎とか岩崎弥太郎とか
明治の大実業家は成り上がりだらけや
世界に与えた影響力なら松下幸之助>豊臣秀吉 >>499
世界とほぼつながってなかったからな
そう考えると世界規模で展開可能な今のタレントなどのほうが秀吉より上なんてことか… >>501
無理だろ
アメリカのタイム誌が2000年に選んだミレニアム世界の偉人で日本人で選ばれたのは鎌倉時代の源頼朝だけ 英国BBCが選んだアジアの英雄で日本人で選ばれたのは徳川家康一人だけ 世界規模の影響ならきゃりーぱみゅぱみゅのほうが秀吉より影響でかいのか… 世界規模の影響力はこんな感じ?
葛飾北斎=喜多川歌麿>徳川昭武≧伊東マンショ≧支倉常長>阿部仲麻呂>大黒屋光太夫≧山田長政≧勝海舟≧ジョン万次郎 影響力と有名度は似て非なるものじゃない?
例えば、ハーバー=ボッシュ法で知られる科学者フリッツ・ハーバーはその影響を受けてない人間は地球にはいない、と言えるレベルだが、一般的には超有名人という訳ではない。 >>507
アメリカのタイム誌が2000年間のミレニアム偉人で取り上げた日本人は源頼朝だけだぞ アメリカ人の歴史専門家で日本の偉人は源頼朝>>>>それ以外 イギリスBBCの歴史番組が世界の偉人で取り上げた日本人は徳川家康だけ
やっぱ芸能文化人やスポーツ選手や財界人より政治家のほうが有名なのか やっぱりミレニアム企画で、BBCが「イギリス史上の偉人ベスト100」をやったらジョン・レノンやダイアナ妃が上位入選してたからなあ。みんなミーハーなんだよ。 日本でも天才と思える人ランキングにイチローや明石家さんまが入るくらいだ。 アホやなこの低学歴パヨクw
駅前じゃなくて5chで毎日効果ないアベガー、ネトウヨガーしてるパヨクはこいつみたいな低学歴キチガイ池沼しかいないから普通の日本人から支持されず選挙でずっと安倍自民党に負け続けるんだよw
http://hissi.org/read.php/livebs/20200122/THJ2SVNrcksw.htmlいや俺が秀吉が元々武士じゃないかと考えるのは姻戚といわれる加藤清正ともどもなんだが
(身分はそんなに高くなくていい。守護や守護代なんて武士じゃ最上位なんで。守護代のすぐ下でも曖昧模糊になる)
百姓は中国では「多くの姓」転じて「多くの人」という意味だが日本では戦国時代のころは主に農家を指す語になっていたらしい 文祿慶長の役の朝鮮人捕虜から大日本帝国元帥にまで成り上がった乃木希典 戦前の外務大臣やドイツ大使やった東郷さんは、文禄慶長の役で半島から薩摩に拉致された陶工の子孫らしい
祖父が鹿児島の下級士族から東郷の家禄を買い東郷姓となる 現北海道知事の鈴木君やろ。国政進出は間違いないし。 安倍晋三の祖父岸信介は創氏改名で李から岸に変えたやつ
日韓併合以降に日本に来た朝鮮人な
https://i.imgur.com/sHeAoxz.jpg 神武天皇だろうな?
半島出身で、おわい屋さんだった。 間部詮房だろうが。芸人から、政府内の最高権力者へ。 >529
それを言うなら本多正信が鷹匠から家康の側近に
新井白石は市井の学者から大政委任に? 継体天皇。
元出雲王国の王家とは言え熊野大社の社家に迄落ちぶれ、
家柄は申し分ないとは言え、本来なら部屋住みの次男坊が、、、大王/天皇に迄(胸熱)。
彼の血筋(男系男子)は
今上天皇迄きっちり100代 >>497
織田家は越前二ノ宮、剣神社の社家神主がルーツ。 ■秀吉の天下取り 石高の変遷■
領地 備考
織田信長に仕える なし 信長の草履取り(1554年)
浅井氏滅亡 120,000石 北近江三郡12万石、長浜城主(1573年)、草履取りから城主になるまで19年。
清洲会議 1,345,539石 6カ国(山城、丹後、但馬、播磨、河内、和泉)で天下人へのスタート/
北伊勢攻略など 4,163,038石 (元信長家臣)滝川一益撃破
美濃・北国平定 6,934,168石 臣従大名の上杉らの領国を含む)、(元信長家臣)柴田勝家撃破
伊勢・伊賀平定 8,268,224石 臣従大名の毛利、上杉らの領国を含む)
紀州平定 8,892,072石
四国、九州平定 13,364,879石 臣従大名に徳川、島津らの領国を追加
関東平定 16,587,657石 北条氏の旧領を徳川領に。
奥州仕置 18,578,110石 全国支配、豊臣直轄領は222万石と鉱山収入など
八道国割 (朝鮮1200万石) 短期間だけ増えた領土▲
▲短期間だけ増えた領土、朝鮮人の抵抗が激しく日本軍は疲弊し、鼻削ぎが横行。
正確な記録の文書では、吉川家18350、鍋島家5444、黒田家8187の軍が朝鮮人の鼻を削いだ。
朝鮮に遠征した日本軍の損失は戦闘での死者より、食料不足での病死や逃亡が多い。
日本は水軍(海軍)が弱く、補給の失敗が致命的だった。
ただし、朝鮮の同盟国の明も疲弊し、女真人(後金)に侵略され1644年に滅亡した。
後金は清となったが、清で普及した遊びが麻雀(麻将)である
麻雀(麻将)はトランプのように指先のテクニックで"いかさま"が生じやすい難点がある。 >>541
八道国割(1592年検地)
検地 現在の行政区分 備考
平安道 179 万石 北朝鮮 ●
咸鏡道 207 万石 北朝鮮
黄海道 72 万石 主に北朝鮮 ●
江原道 40 万石 主に韓国
京畿道 77 万石 現在のソウルがある
忠清道 98 万石 韓国
全羅道 226 万石 韓国
慶尚道 288 万石 韓国
※同時期の日本1857万石+琉球12万石。
●現在、北朝鮮には埋蔵量が膨大なウラン鉱山がある。
ただし、採掘技術や放射能汚染の問題で、"採掘可能"資源枯渇の可能性あり
ウラン製錬工場とウラン鉱山は黄海北道・平山、平安南道・順川に位置する 秀吉様ー現代に復活して再びチャイナを討ちましょう! 近現代に関しては田中角栄一択の感がある
今太閤として「成り上がり」の象徴的存在
もうひとつ田中角栄が凄いのは、単に首相に登りつめたって
だけじゃない(それだけでも凄いんだけど)
田中角栄は歴史に残る功罪&人気・カリスマ首相になったということ
田中角栄>>>ただの首相、こんな感じ 一代で成り上がっても家の格式までは得られない。
元々三河の小領主だった徳川氏は何代も重ねて屈指の家格を持つようになった。 >>546
20世紀の日本で限定するなら田中角栄だろうね
松下幸之助も匹敵するが >>548
松下幸之助もカリスマ経営者として大物だけど、出は田中角栄と比較してどんな感じだろう?
田中角栄は貧乏出で小卒じゃなかったかな?
出がより低い方が成り上がり度が高まるからね 田中家って豪農だったの?
角栄が子供の頃に親父が事業の失敗だか何だかで
かなり貧乏生活だったようだけど
詳細は知らない 伊藤博文とか明治あたりの大物政治家
維新がなければ、せいぜい県職員ぐらいの立ち位置 成り上がりって一代のみで終わった、という意味合いもあるんだろ。 >>555
明治維新も、田舎の県職員たちが、霞が関の官僚を全部辞めさせて、県職員中心の政権を新しく作った革命だと思うと、面白いね。そして県でも上級から入ったエリートも居たけど、初級からのし上がった人も居たっていう。 足軽上がりの山縣と百姓上がりの伊藤が双璧だよな
権力者としては山縣が上か >>555
今の世の中でも地方の役人から始まって地方議員→国会議員→政権中枢ってパターンの
人はいるだろう >>43
とうとう総理大臣にまでなりそうだな菅義偉官房長官
令和の今太閤と呼ばれることになるかw 千利休や秀次とその妻子を殺し、朝鮮出兵をしたあたりの秀吉にならないようにして欲しい。 藤原ってヤクザがいて平氏ってヤクザがいて源氏ってヤクザがいたの😃 >>561
秀吉の成り上がりっぷりに比べたら、菅も田中角栄もたいしたあことない
当時いっかいのどん百姓が太閤まで登りつめるというのは、現代では比較のしようもないレベル
低学歴ヒキニートがアメリカ大統領に登りつめるより凄い チョン秀吉が信長裏切ったしな
関西では裏切りが美談 最後は秀吉みたいに発狂して暴走して自滅しそうだなw 傍系皇族から登極の後花園院以外考えられない
羽柴なんぞ所詮関白じゃないか >>565
朱元璋ぐらいだな
この人と張り合えるレベルは
つーか朱元璋の方が凄い >>572
必ずしも貧農の子ではない可能性もある、という程度だろ。仮に富農の子だったとしても、戦国大名の中ではダントツに低い階層出身だったのはたしか。 猿みたいな顔をしたチビが
人間的魅力だけで城を短期間で作ったり
貴公子である前田利家から上臈の婚約者を横取りできると考える方が不自然だと私は思うけどね いそじん「宣言解除して大阪いらっしゃい再開でアベコロナまた大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ」 >>574
なにいっってんだお前?
豊織系なんて富農レベルの地侍すらいないんだが? 蜂須賀 尾張の土豪
浅野 美濃の土豪
福島 尾張の桶屋
加藤嘉 尾張の馬喰
石田 近江の寺小姓
山内 尾張半国守護代の奉行(織田信秀の家と同格) 普通に高橋是清だな。奴隷から総理大臣、今まで出てきたどれよりも成り上がっとるわ 山上徹也
破産者の息子で無職の中年が、従一位の大勲位を殺害した
日本史上、最下層の賤民が従一位を殺害した記録は残っていない
日本史上最大の下剋上であろう 徳川吉宗
御三家次席の紀州藩の4男として生まれて将軍どころか紀州藩主にもなれないはずだったけど
何故か兄や将軍家の人間が謎の病死をしまくって将軍になった >>598
没後追賜なので、従一位を殺したわけではない >>602
でも殿様の家の生まれで、三男の異母兄と同時に名目3万石の領主になってたよ。 貧農の子からノーベル医学賞候補に三回ノミネートされるまでになった野口英雄 神武天皇じゃねーの?
九州の王族なんてのは嘘で、海賊の頭目
ヤマトのクーデターに乗じて大王に奉戴された英雄です ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています