豊臣秀吉以外で日本史最高の成り上がり
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日本で秀吉に次ぐ成り上がり者は誰だ?
候補としては
・藤原鎌足
・北条時政
・毛利元就
・柳沢吉保
・田沼意次
・岩崎弥太郎
・伊藤博文
・松下幸之助
・田中角栄 百姓にもランクがあるだろう
大地主から完全奴隷百姓まで 地主なら搾取してればいいわけで、死にに行く足軽とかに出る必要も無いだろ。 >>132
次に百姓層から大臣が出るのは、伊藤博文まで300年近くかかってるからなあ >>143-144
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?
で、徐福集団が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! 大川隆法(本名:中川 隆)の父・善川三朗(本名:中川忠義)
父・源佐エ門、母・テルノの次男として、麻植郡樋山地(現・吉野川市鴨島町)に生まれる。
地元の古老によれば、父の源佐エ門は小作のかたわら大工仕事もしていたが、その生活は村でも最底辺であったという。
その父も死に、昭和のはじめ、中川一家は川島町に新天地を求めたものの、生活は一向に好転せず、
1934年、母と幼い子供ら4人は、東京の書店で働く異腹の兄を頼って上京することを余儀なくされた。
麻布台のボロ家に身を寄せた一家は思い思いの働きで、貧しい家計を支えた。
忠義によれば、この東京生活の間、矢内原忠雄門下の無教会派で学んだ後、
乃木坂にあった生長の家の門をたたき、谷口雅春からじきじきの教えを受けるなど、いくつかの宗教遍歴を積んだという。
佐野眞一著「『幸福の科学』主宰 大川隆法 挫折だらけの生いたち」(月刊Asahi 1991年4月号) >>158 もし弓削氏出身というのが正しいのであれば、
成り上がりではあっても秀吉ほどではないのでは…? ・豊臣秀次の親父
・ブルゾンちえみ
・小椋圭さん
まあ転落も早かったが。 大谷翔平のお父さんもかなりのもんかな
来年以降年俸がいくらになるか知らんがいくらになっても殆どは父の懐に入るらしい・・・
恐ろしや <第2回>県大会入賞の陸上より野球を選んだ父・徹氏の矜持
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/158502
大谷の父・徹(52)が育った岩手県北上市和賀町には、大手重化学工業の関連会社がある。
「当時は人もたくさんいて、町全体が活気にあふれていた。まさに工場の町といった感じでした」と徹は振り返る。
徹の父、大谷の祖父である正幸(78)はその工場で働き、社宅に住んだ。徹は2人兄妹の長男として生まれた。
「父は技能職というか現場でした。趣味は多彩です。
車の免許は大型とか、大型特殊とか、二種とか、クレーンとか、重機とか……免許という免許はみなもっています。
運転が好きで、工場の中でバスやブルドーザーを運転したり、
雪が多いのでユンボというパワーショベルのようなもので除雪作業をしたりもしていました。
狩猟や釣りも好きで、(獲物を)仲間とさばいて、持って帰ってきた気がします。キジ、ウサギ、熊などは食べたことがあります。
自然が好きというか、アウトドア派ですね。ひとりでできるのがいいと。一緒に遊んでもらった記憶は、あまりありません」
それでも野球は好きだった。工場内のレクリエーションでは野球をやった。徹に野球をやるように勧めたのも正幸だった。
地元の中学に進んだ徹は坊主頭になるのが嫌で野球部ではなく、陸上部に入った。しかし、結局、2年生から野球部でプレーすることになる。
「中2のとき、陸上部に駆り出され、3種競技(100メートル走、走り高跳び、砲丸投げ)で県大会で入賞したんですけど、
その上となるとなかなか難しくて。例えば100メートル走。コンマ数秒でも、結局、相手の背中を見て走ることになるわけじゃないですか。
それが嫌で嫌で……負けるのが嫌いだったんです」と徹は言う。
県6位でも、自分の目の前に5人いることが我慢できない。
当時の野球部はさほど強くなかったものの、野球は陸上ほど明確に個人の優劣がつくわけではない。
しかし、個人の活躍がときに勝敗を左右する。徹はエース兼4番打者として、県内の野球強豪校監督の目に留まる存在になった。
中学3年の夏、地元・北上市内の県立黒沢尻工業が通算2回目の甲子園に出場した。 KK ちゃら男、フリーター、コネ入社で皇族にのし上がる 山縣は中間の生まれだから足軽の伊藤よりもさらに下っ端 爵位や位階勲等では伊藤と山県は同格だろうが、アホか170
首相や枢密院議長やってんのも知らんのか170
基礎知識学んでから書き込め170 >>175 坂本は死後の知名度が凄いってだけで、生前に出世したわけじゃないだろ。 坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家で、
第六代・直益の時に長男・直海が藩から郷士御用人に召し出されて坂本家を興した。
土佐藩の武士階級には上士と下士があり、商家出身の坂本家は下士(郷士)だったが、
分家の際に才谷屋から多額の財産を分与されており、非常に裕福な家庭だった。 >>160
名門出身なので成り上がりとは言えないよな 伊藤博文だろ
百姓の息子が総理大臣になった
百姓の息子が天下を取ったのは豊臣秀吉と伊藤博文の2人だけということで
「今太閤」と呼ばれた 松下幸之助も百姓や
どうも日本人は百姓の身からというのに弱いみたいだ
あまり町民の身からとかヤクザ者の倅とか言わないよな。 日本の利益誘導政治のもとを作ったといわれる星亨
江戸の左官の子として生まれ、貧乏に苦しんだ >>182
秀吉百姓説は歴史小説家の妄想で
そんな記録は一切ないからな >>185
戦国時代は兵農未分離なので
普段は田畑を耕し、戦になると歩兵として出陣した足軽をもって
「秀吉の父は武士身分!」というのもどうかと思うぞ
武士業で食ってたわけではないから(田畑を耕して食っていた) 徳川家康は別格として紀州家の四男から将軍になった吉宗も恐ろしくなるほどの強運 下克上が当たり前の時代で成り上がることよりも
身分制度が固定された時代で成り上がる方が100倍は大変だぞ
江戸幕府で下級武士から大老格に上り詰めた柳沢吉保と田沼意次は見方によっては豊臣秀吉より苦労してる筈 戦国時代で成り上がるより
江戸幕府で成り上がることこそ価値が高い >>146
秀吉はながれものの子
いわゆる身分をもてない階級だった >>200
渥美清もストリップ小屋から国民栄誉賞。昔の芸人にとってストリップ小屋は普通。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
9MZ あれは母親がダメなだけじゃなかったのか
本人もなにがしたいのかよくわからんな 意外と家康かも
ただの天下人じゃなくて神格化されて自分の子孫が250年以上も日本を支配したことを考えると凄い
松平家自体ルーツもよく分からん成り上がり系の豪族だしね >>229
血統は徳阿弥の乞食なんだから、究極の成り上がりだろ 大江磐代は?
浪人と町娘の内縁の子から光格天皇生母 >>229
子孫の繁栄をカウントするなら、家康は藤原鎌足に絶対に勝てないね。
子孫繁栄の年数は5倍以上長いし、皇室に血を入れまくってるし、近代に総理大臣を出してるし。 一番は、天皇家に潰れた出雲王国の元王家の次男坊(フツー飼い殺しか部屋住みの不遇のママ)〜大家の当主。全く血を流さずに辞を低くして是非ともと迎えられて、
まさかの大王(天皇)に上り詰めたオオド大王=継体天皇。
このお方以上に大出世なさった方は皆無。 >>237
因みに、現在の皇室、皇族方は継体天皇の末裔に他成りません。 伊藤博文かな?
水呑百姓の子から近代日本を代表する宰相まで成り上がったのはなかなか 六畳一間に6人暮らし
親は自分の名前も書けないぐらい無学で、生ポで生計
食事は一日一食
極貧から成りあがった、勝海舟 木曽の山出しだけど源氏の御曹司だぞ。頼朝のいとこだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています