豊臣秀吉以外で日本史最高の成り上がり
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本で秀吉に次ぐ成り上がり者は誰だ?
候補としては
・藤原鎌足
・北条時政
・毛利元就
・柳沢吉保
・田沼意次
・岩崎弥太郎
・伊藤博文
・松下幸之助
・田中角栄 日本最高ではないと思うけど、老中首座になった水野忠成は、旗本の次男が水野家に入って、その後出世したパターンだったんだね。 >>247
江戸幕府の大老は世襲一族の固定席だったが。
老中は下級武士の成り上がり者が多かった。 まあ出世というかお役がもらえる夢くらい与えておかないとな 階級上は将軍、大老に告ぐ3になるが実質的に幕政を取り仕切ってたのは老中首座。
その老中首座には地方の下級武士からでも成りあがれた。
江戸幕府体制下でも名も無き下級武士の出自でも日本の支配権を握れたわけだ。
よく言われてる江戸幕府は身分固定制度だという批判は半分は当たっているが半分は外れている 北条早雲は伊勢氏の傍系で実は成り上がりじゃないのが定説になってない? 成り上がりが凄い人は一代〜二代で滅ぶ傾向が有るな
豊臣秀吉は、譜代の家臣が殆ど居なかったこと、世継ぎの秀頼が幼少だったことが禍で二代目の秀頼で滅亡(国松が生き延びた説も有るが確定的でないので除外)
秀次が生きていたらもう少し豊臣の天下が続いたかも
意外にも秀次の弟の秀勝の娘の完子が九条家に嫁ぎ、その子孫(途中で女系で鷹司家から養子が入るが)の九条節子が大正天皇の皇后となり昭和天皇を生んで、今上天皇にまで現在の皇室に続いている >>254の補足
秀勝の嫁は江、二人の間に生まれたのが完子
秀勝が死ぬと江は徳川秀忠と再婚(正確には再々婚)して家光や勝姫を生む
勝姫と松平忠直(結城秀康の子)との間に生まれた鶴姫が、豊臣完子と九条幸家との間に生まれた九条道房に嫁ぐ
鶴姫と九条道房との間に生まれた九条待姫が、鷹司家からの養子の九条兼晴に嫁ぎ、生まれた九条輔実の子孫が、先の九条節子となる
他にも家光の娘が尾張徳川家に嫁ぎ、女系を通して子孫が九条節子にも繋がると言う
現在の皇室は、浅井や豊臣や徳川の血の一部が流れている
他にも、織田や明智光秀やガラシャ(光秀の娘)や前田利家等の血の一部が、女系を通して現在の皇室に繋がっているようだ ある意味、江戸幕府に限れば将軍の生母は側室が殆ど(例外は家光の生母の江)で、正室の御台所は公家か皇室の息女であることを鑑みれば、綱吉の生母であるお玉(桂昌院)とか成り上がりだな
現在の皇室にまで続いたのなら、お由羅騒動で有名なお由羅(西郷どんでは小柳ルミ子が演じていた)が成り上がり
大工の娘とか八百屋の娘とか船宿の娘とか諸説有るが、武士の娘ではないのは確か
由羅が島津久光を産み、その孫娘が久邇宮に嫁ぎ、その娘が香淳皇后で今上天皇の生母だしな 女性なら灯台下暗しで現皇后の正田美智子は?
お嬢様とは言え史上初の平民上がりの皇后 徳川吉宗の生母浄円院も紀州藩で湯殿番をしていた下女と言われてる。 美智子皇后の祖父の正田貞一郎は、貴族院議員もやってたから、公家や大名の血は引いてないけど、勲功華族に準ずる感じだったから微妙だな。
雅子妃のところも、父の小和田恒が外務事務次官、国際司法裁判所長で、母方の先祖も江頭安太郎海軍中将、山屋他人海軍大将とかだから、充分勲功華族並。 柳沢吉保と田沼意次の二人は間違いなく江戸時代最高の成り上がり 柳沢を挙げるなら間部詮房も忘れないで。猿楽師上がりで徳川家宣と家継の側用人にまで上り詰めた。
柳沢みたいに権勢を見せびらかさなかったのと家宣の在位が短い(3年くらい)んであんまり有名じゃないけど。 >>260
いや親父か国際なんとか裁判になれたのは娘献上した代価だろ。
どうせなら堀ブロがヨシエたん献上しとけば。 >>252
下級武士から老中首座になるのが江戸時代の限界だろ?
いわゆる名も無き百姓の子が将軍様に気に入られて大老になるとかは絶対に無理だった。 >>267
だから八百屋の娘が将軍様に寵愛されてのちの将軍の生母になれば従一位にもなれるよ。
桂昌院の事だけど。 大老だって正四位までしかなれないのに従一位だよ。どっちが偉いと思ってんの? だが身分が固定されきった江戸時代で成り上がることは
下剋上が当たり前だった戦国時代で成り上がることよりも難しいだろ?
士農工商の枠が出来上がってた江戸時代で下級武士から老中の成り上がりは
戦国時代の農民から一国一城の主になることより難易度が高いよ となると柳沢吉保、田沼意次>豊臣秀吉になるかもな。 だからそれだったら下級武士の子だけど猿楽師として採用されて柳沢吉保と同じく側用人にまでなった
間部詮房の方がスタートが下なんだから上だって。 柳沢吉保と同じく側用人と言っても吉保は大老格で15万1200石、間部詮房は5万石
ちなみに田沼意次は5万7千石 吉保は短期間とはいえ事実上に日本の最高権力者になってたからな 道鏡だろ。物部の末裔とか言われるけどはっきりしないし。法王とか足利義満級。 >>252
一応 学問板だから、教えておくが、田沼意次は老中首座になったことはない。
「実質の」「事実上の」とかは無し、ね。
それと、柳沢氏は周知の通り武田家旧臣で由緒ある家柄。間部氏は出自不明。
成り上がり度を見る際はゴールだけでなくスタートもみないとね。 中臣鎌足:下級役人→内大臣
道鏡:弓削氏?→法王
平清盛:平氏の傍流→太政大臣
源頼朝:源氏の宗家→征夷大将軍
足利尊氏:源氏の傍流→征夷大将軍
豊臣秀吉:尾張の足軽→関白
徳川家康:新田氏傍流?→太政大臣
成り上がりでは秀吉か道鏡が双璧だと思う。
秀吉は庶民から人臣として最高の官職に就いたし、
道鏡は平民ではないが、人臣の身分を超えそうにまでなった。 >285
鎌足は藤原氏として天皇に次ぐ地位を得て、それを続けた訳だけど、
実権は平氏に奪われるまでと考えればいいのかな
大化の改新645年から平治の乱1159年で約500年?
江戸幕府より長いやん 平安時代の間ずっと藤原氏が実権握ってたと思ってんの?
そもそも朝廷とは別の組織で日本を支配した徳川幕府とは全然違うわ 何代にも渡る氏族の勢力拡大を「成り上がり者」とは言えないだろう。
「成り上がり者」はあくまでも個人一代。 家康って言うか松平家って出自の胡散臭さは戦国大名の中でもかなり下位だよな
秀吉のおかげで目立たないけど 小さな島の百姓から琉球国王になった尚円
日本より遥かに国力が低い琉球とは言え名実ともに国王(王朝の開祖)になったのだからむしろ秀吉より上では 鎌倉幕府:清和源氏、執権:北条氏(桓武平氏)、室町幕府:足利氏(清和源氏)と
源平が政権を交互に担ったから、
織田氏が桓武平氏の末裔と称し、
松平氏が清和源氏の末裔(さらに言えば新田の傍流の得川)と称したんだよな 戦国時代から江戸時代にかけて出自を厳密にしたら、
残った大名の出自が明確な大名は怪しい大名より少ないんじゃないか?
最後まで領地を移動されずに残ったのは島津だけ。 >>293
相馬もだよ。鎌倉時代から明治維新まで動いてない。 江戸幕府内最高の成り上がりは誰になるんだ?
とりあえず間部詮房でいいのか?
俺としては大老にまで上り詰めて徳川綱吉を陰で動かした柳沢吉保に一票入れたいが
出自も考慮すれば間部詮房になるのか
しかし柳沢も間部も甲府藩と縁があるのは不思議な因縁だ 江戸幕府内で成り上がりことは戦国時代で成り上がることよりも遥かに難易度が高すぎる
武力を使うことが許されてないわけだから余程の対人交渉能力が突出してないと無理 一方で江戸時代は平和な分、歌舞伎や絵、医学など文化活動でも名を遺すことができるようになった。 ・間部詮房
・新井白石
・柳沢吉保
・田沼意次
江戸幕府の四大成り上がりだが他にはいるの? 江戸時代は成りあがれない、というが、一方で江戸時代は一族郎党族滅など、没落も戦国時代ほど激しくない。 信綱に比べるなら初期の江戸幕府老中の大久保長安こそ成り上がり。 新井白石って公的な地位としては一介の旗本のままだったから、他の3人に比べると成り上がり感薄いね >>305
大久保長安こそ江戸時代最強の成り上がりかもしれん ・大久保長安
・間部詮房
・新井白石
・柳沢吉保
・田沼意次
江戸幕府の成り上がり5人衆だが1位は誰かを決めなければならない。 新井白石は浪人からスタートして甲府徳川家に儒学者として37歳で登用されて、藩主が将軍になったことで
旗本になったけれども1000石くらいの家禄で本丸寄合のままで国政の主役を担ったところがすごいな。
普通はもっと出世するはずなのに。寄合というのは役職がない旗本のことなんで無役の旗本が政治を
動かしていたことになる。 道鏡や秀吉は成り上がったけど、反動なのか、後の没落も凄まじい。 成り上がったのにその後没落しなかった人って居たっけ?
成り上がった反動で大概没落してるよな >>316
自己回答
家康は子々孫々まで没落しなかったな 家康は元から松平家の子孫で成り上がりとはいいがたい。 長州の成りあがり共が作り上げた大日本帝国は70年余りで崩壊したが
自民党政権の日本はどうなんだろうか? 鎌倉北条氏もご後北条氏も初代が成り上がりで巨大勢力を築き上げた 北条早雲は今では室町幕府の伊勢氏の一族だったって分かってるから言うほど成り上がりじゃないよ >>296
基本的に武力を行使しての成り上がりは手っとり早いからな
ただ人心を失う可能性が非常に高いから
二代以降は滅びてしまうわけだ でも明智光秀の場合には、清和源氏の土岐氏出身だから家柄としては立派 光秀が濃姫の従兄弟ってのはどれくらい信憑性があるのかな?
成り上がりにはかなり有利になるけど >>296
彦根藩主の14男に生まれ、藩主になる芽はなくて埋木舎で学問や文化活動に
勤しむ立場から、江戸時代の重大局面にて大老の座に就任した井伊直弼はなかなかのもの 井伊直弼のは成り上がったというより全くの棚ぼただけど、それだったら紀州藩主の庶子で4男から
自力で将軍に成り上がった吉宗もなかなか。生母の身分が低かったんで初めは認知されなくて
家老の家で育てられてたし。 成り上がりとは逆に日本史上最低の没落人は、
皇位に上がったのに最後は島流しにあって没した後鳥羽上皇? それだったら島流しになった上に怨霊になった崇徳天皇だろう。 流された天皇なら淳仁天皇が一番悲惨
島から脱出しようとした翌日に不自然な死に方してるし確実に殺されてる
後鳥羽や崇徳は少なくとも廃位はされてないけど淳仁は明治時代に復権されるまで淡路廃帝 崇峻天皇は在位中に臣下に暗殺されたうえ、墓も作られず、暗殺下手人も処罰されず、暗殺を命じた蘇我馬子はその後全盛期を迎えるという異色の天皇だね。
怨霊になり、落語の題材となって後世まで伝えられる崇徳院をうらやんでおられるだろう。 その頃はまだ天皇の称号は用いられていなかった可能性もある。 祟峻天皇弑逆事件の実行犯は東漢駒で蘇我馬子に処刑されてる
天武天皇から東漢氏に対して七つの不可をつきつけてるけど
東漢駒の子孫に当たる坂上田村麻呂が渡来系氏族から大納言まで昇進したのは中々の成り上がり >>342
東漢駒が処刑されたのは、崇峻暗殺の罪ではなく、崇峻の后だった馬子の娘に手をつけたからというのがさらに哀れをさそうな。 以上に伸びてると思ったら、案の定キチガイが発狂か
女性説ってこういう頭のおかしい奴の妄言だってハッキリ分かるわ
仏門に帰依しているから、の一言で済む話 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています