新田義貞と木曽義仲
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登場の仕方といい死に様といい。
これほど似通ってる人物もいない。 もしかしたら家康が新田義貞の子孫を自称してるから
信長狂信者が家康嫌い=義貞嫌いになってるのかもしれない >>79
そんな無知が増えすぎたよなww
最近は三国志でもゲームからのめり込んだニワカ馬鹿が多すぎるし
こういうのは間違いなく信長信者になる >>113
江戸時代でも大権現様の依怙贔屓で新田一族は安住。
明治から戦前でも義貞が尊皇家とされて新田一族は安住。 >>112
義詮が参戦しなかったらどうなったことか >>117
曹操信者と信長信者が繋がってると俺も同じように思っていたがそれだったんだな!!
そしてこういう奴は坂本龍馬の信者にもなる 過激、革命、グローバル、急進
これらの言葉がふさわしい人物を好む人間はそうであろう。 義貞をもう少し評価すべきというのには同意だが、小説やゲームを目の敵にしてる奴はどうなの しかし信長厨は曹操厨になる可能性が異常に高いのは事実。
(確かに似た面もあるがな)
だが曹操は好きでもアンチ信長で信玄好きはどうしたらいいんだ。 新田義貞の悪評が1990年代から蔓延した根拠は何?
太平記の大河の影響とでも言うのか 江戸時代は子孫を自称した大権現様の依怙贔屓で新田義貞は英雄扱い。
明治から戦前までも尊皇家とされて新田義貞は英雄扱い。
昭和後期でも大して変わらなかった。
やはり平成から悪意で貶めいられるようになってきた。
江戸から昭和末まで約400年間の英雄評価と平成からの悪意での貶めいれようは異常。 贔屓されなくなったら発狂するのが義貞狂信者クオリティ 江戸期で讃えられてきた人物は薩長閥の明治政府に嫌われて逆賊扱いされることも多かったが。
それを免れた新田義貞は稀有なる超人なのである。 >>92
貶めるも何も、研究が進んで全員妥当な評価になっただけ >>131
免れるどころか明治で更に評価がうなぎのぼりになったのが新田義貞。 この平成30年間はグローバリストが織田信長を神の如く祭り上げて徳川家康を目の敵にしてるからそれが原因。 >>1
なぜか2人とも文豪に愛される。
木曽義仲 = 松尾芭蕉、芥川龍之介
新田義貞 = 新田次郎、安部龍太郎 新田義貞と木曽義仲より新田義貞と源義経が似てると思うのは俺だけだろうか? >>139
義貞の戦死は義経みたいに切羽詰まったもんじゃなかったが。
正成だって湊川で無理して死ぬことはなかったんだがな。 戦前の反動でもないだろうけど尊氏の名誉回復は必要だな
俺は新田の方が好きだけど よくよく読むと太平記では新田義貞は最大級に賛美されてる
しかも後醍醐は臨終の際に楠木正成への言及はないのに新田義貞を最大の忠臣だと讃えてる
平成時代から下等評価され始めた しかし南北朝の武将だけが時代が変わるたびにコロコロ評価が変わり過ぎないか?
しかも坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで時代に否定されると全否定されてしまうのも南北朝の武将のみ。 平成に入ってから親米グローバリストが織田信長を神の如く祭り上げて徳川家康を目の敵にした
それで徳川家康が好んでた二人(武田信玄と新田義貞)まで連鎖反応で悪意の不当評価をされて今日に至る 太平記を読むと新田義貞はかっこよすぎて落ち目なし。
後醍醐が遺言で直に言及してたのも義貞のみ >>139
あえて源義経と新田義貞の共通点を探してみると。
・平氏の息の根を止めた最大の功労者
・最後まで天皇に従えていたが新体制派に攻撃され孤立して自害
・政治能力は欠けていても戦略的撤退もできて戦闘での騙し討ち謀略は得意
・女に振り回されやすい
あれ意外に共通点が多い? 義経が人気者で義貞が不人気だったのが違ってるくらいか >>149
正成は後醍醐に義貞を捨てて尊氏を採れといってるからな。 だから「楠木を湊川に置き去りにした説」まである
一方では正成は尊氏を嫌っていたから「梅松論は嘘説」もある >>151
正成は17回も殴り込みをかけていたんだから逃げようと思えば逃げれた。 湊川合戦の前に義貞と正成が酒を酌み交わす場面はフィクション? >>148
既出だが江戸時代から昭和までは新田義貞は大人気だった。
下手すると義経よりも人気あったんじゃないか?
しかし平成から>>145の理由等で不当評価されている。 江戸幕府下でも明治政府下でも神扱いされて人物を俺は新田義貞以外に知らない 信長は戦後はずっと人気がある感じだと思うがな
新田の評価については、戦後は皇国史観からの反動があって、
それ以降は後醍醐天皇がアレなキャラだという評価が定着したから新田云々とかもどこかに行っちゃったんじゃないかw 江戸時代は徳川王朝の始祖ということで新田義貞は神扱いだぜ
あと信長は昭和には一切人気ないから
その証拠に信長が大河ドラマの主役になったはなんと1992年の30作目から。 >>157
1973年の国盗り物語では斎藤道三とともにダブルヒーロー。 「昭和 信長 人気」で検索すると
昔の信長は人気なさすぎたよ
ただし極一部の偏狂者が必死に信長を持ち上げてたのは今と変わらないところだが >>158
戦前でも江戸期でも義貞は英雄だったんだが? ええ昔の信長は一部の作家が持ち上げてたぐらい
昭和の大河ドラマでも信長は相手にされなかった 木曽義仲を好評化してる新井白石も織田信長は貶している ということは平成が終わると同時に信長の評価は急落しそうだなww すでにバカみたいな信長ageは見られなくなってきてるよ。 >>162
1973年の大河司馬遼太郎の「国盗り物語」オープニングのキャストの最初に織田信長 高橋英樹とあるよ
https://www.youtube.com/watch?v=29Nj5V1DGLg 大河ドラマの最高視聴率は伊達政宗
次が武田信玄
織田信長では視聴率なんて稼げなかった証拠 >>164
信長人気は平成の30年だけでしたなw
これも人間50年夢幻の如くでいいんじゃないかw >>169
これは平成スレで書くべきなのだろうが。
1988年に平均視聴率歴代2位を獲得した武田信玄が翌年の平成から信長人気急上昇と反比例するかのごとく人気急落したのは
昭和まで国民的音楽だった演歌・歌謡曲人気が暴落して代わってJPOPが大ブームになったのと通じる
武田信玄=演歌・歌謡曲
織田信長=JPOP 歴代大河ドラマ平均視聴率
武田信玄=39・2%
徳川家康=31.2%
秀吉=30.5%
織田信長=24・6%
短絡的なニワカが増えてきた平成時代に信長が持ち上げられてる証拠。 信玄や家康の思考経路は思慮が深くないと理解できないだろ
思慮が浅い人間には信長が大好きなんだろうな なんで信長叩きになってるんだ?
戦前に信長評価が少なかったというのならまだわかるが
あと、信長はフィクションでは主役より最重要脇役ポジションを取ることが多い 大河も九州は九州でも西郷ばかりやらず島津維新か懐良・菊池武光をやれ。 戦前どころか昭和後期でも信長は相手にされてなかった。 >>172
まだ平成になった辺りでは信長人気は弱かったんだな
やはり2000年になってから小泉純一郎の登場と同時的に気持ち悪い信長賛美が始まった 義仲の勢力圏は一時的だが信長を上回っているんだよな。
挙兵から僅か数年で畿内を中心に支配したんだからもっと評価されていい。 スレ違いになるが藤原秀衡が1200年くらいまで生きとったらどうなっただろうか? いずれにせよ鎌倉軍は奥州に侵攻していきそう。
でも秀衡がいれば奥州も一枚岩で結束するから史実のように簡単には倒されることはない。
義経は山岳地帯を利用した遊撃隊で鎌倉本隊を翻弄する役割かな。
もちろん平泉側が勝利ってことはないだろうけど。
よくて和睦、悪ければ数年後に完敗ってところか。 >>172
信長は秀吉より低いじゃねえかよ
信長崇拝病は『学級崩壊』が社会問題と化した1998年から『日本史崩壊』と同時にスタートしてるw >>186
京都を離れて信濃に帰るのか
おそらく周りは付いてこないだろう
平家は西国で盛り返し
頼朝は義仲を警戒して京都に進めず
義仲は北信越で地盤固め
三国志の様相となるか 木曽義仲の京支配を天下三分の計のごときと記したのが九条兼実。 >>1には
登場の仕方と言い死に際と言い似通ってると書いてあるが >>191
義仲は追い込まれて敗死だが義貞は盛り返してきていたなかでの急死だからな。 同じような死に方をしてるのは事実。
しかも同じような登場までしてるようなのも事実 両者とも弓が眉間に当たって亡くなりましたとさ。
太平記の作者がわざと似せたのかもしれないが >>193
義仲は頼朝と平家と奥州の日本4大勢力。
義貞はまだ足利が分割してなかったから2大勢力。 義仲は最期がもうちょっと何とかならんかったかと思う
兼平の見事というしかない自決ぶりに完全に食われてしまってる
平家物語だと、巴御前と兼平の今井兄妹が最後全部持ってったみたいな感がある そう言われているけど根拠は何もないんだよな
ちなみに朝比奈義秀はその息子だという伝説がある 木曽義仲は源義経に惨敗したのが痛かった
もう少し見せ場はなかったのか 西に平家 東に源氏
南に小粒の新宮行家
義仲包囲網が出来ていた状態ではどうにもならんじゃろ 最期は義経も似たようなものではある
寡兵劣勢もはやこれまでというところで、義仲は田んぼにはまり、義経は寺にこもった
粟津に小屋でもあれば、兼平は弁慶と同じく義仲の自害まで絶対死守したかもしれん
もはやこれまで、という場面で総大将たるもの自決するか、最後の突撃で戦死か
捕まって刑死するかだが、日本では自決が一番多い感がある
義経、正成、勝頼、信長、久秀、信長、吉継、秀頼、隆盛に旧軍の司令官たちと各時代に満遍なくいる
義貞、義仲、光秀らは少々特殊な感がある
最期まで戦って死ぬというのは意外と珍しい気がする
足利義輝、天草四郎、山崎大佐とか、海外だがコンスタンティノス11世の突撃の
話はさすが最期のローマ皇帝と思う 自決を選ぶのは、日本は晒し首という習慣があるからじゃないの?
真田幸村も最後まで戦った派かな >>207
湊川の戦いで楠木は逃げようと思えば逃げることはできた。 光秀、秀頼、隆盛も生存説があるな
だからこそ首実検して本人確認したことを満天下に示さねばならん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています