【段落2 梯儁による行程 女王之所都迄 及び旁國紹介】
(帯方郡より)南至投馬國(韓南岸倭人国)水行二十日 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 可七萬餘戸
(梯儁は皇帝の使いで、詔書金印紫綬を邪馬臺の卑弥呼に授けに来た。到着)

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
(女王国北の道筋にある国の戸数里程は略載した、その他遠絶旁國に詳細不明だが記す)
 
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 
次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 
次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 
次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
此女王境界所盡
(以上が郡使の説明による女王国内の国です。前段含約30国)
(奴国王 難升米 都支國王 都市牛利 躬臣國王 載斯烏越 巳百支國王 伊聲耆掖邪拘)

其南有狗奴國 男子為王 不屬女王
(其官有狗古智卑狗 梯儁時は戦乱中でなく入国。王に会ってないけど官は雇った)
自郡至女王國 萬二千餘里
(帯方郡から九州島まで一万里、残り二千里の南界が女王国)
(なお官の名は略 統一律令以前の半島、日本に共通の官は無い。 
魏使は訪問地に魏の現地役人、正と副を雇った。通訳、案内、報告者だろう)

【段落3 倭人の刺青考 漢古文書】
男子無大小皆黥面文身 自古以來其使詣中國皆自稱大夫
夏后少康之子封於會稽 斷髪文身以避蛟龍之害
今倭水人好沉没捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍以為飾
諸國文身各異或左或右或大或小尊卑有差
計其道里當在會稽東治之東
(その刺青の道理は會稽東治の風習と同じと推測できる。文中里程は不要、里は理。
漢文献、倭人の奏上、呉王家太伯の後が三国の魏に配慮し削除され東は不明。有か由)