日本に帆船の歴史が始まるきっかけが邪馬台国問題なんだけどね。

卑弥呼朝貢の238年は魏への、倭や韓、北方の朝貢が止まる原因となった公孫氏から、
半島への大量の軍船による奇襲によって楽浪帯方郡を奪った年。
遼東を挟んだ戦中であり、軍船は豊富にあった。

この時に卑弥呼の朝貢使が帯方郡に来たので
郡は軍事同盟に願ってもない、倭王の使者として洛陽に送り厚遇した。
ところが、245年の高句麗蜂起や韓の反乱の九州の屁タレ小国は援軍を送っていない。

247に卑弥呼の方が援助を要請したので、張政は檄をもって査察に来た。
倭国王と思わせぶりの卑弥呼は案の定九州の弱小国の王だったし、死んで国は乱れていた。 

この経緯が記されたのが、魏志倭人であり
ちゃんとそう、書いてある。 おわり。

日本の帆船はこのころ以降の半島進出活発化から始まって
外洋船として成功したのは黄海を渡った400年付近からだろうね。