前スレ970の続き。
【ヒメヒコ仮説】概論 8) 母家を継承する弟(ト)、共同体に出向する兄(エ)

「復立卑彌呼宗女壹與,年十三為王,國中遂定。」
卑彌呼死後、宗女(男系の女子)壹與が立つ。卑彌呼の母家から継承者が出なかったのは、卑彌呼自身母家を継承するヒメではなかったからだ。

@母系社会は、子を上手く産み育て男系相続に良くある相続争いを避けながら長期安定社会を目指す。故にその相続は【末子相続】である。
Aつまり、ヒメヒコは死ぬまでが任期であり、次の代のヒメヒコは神事が行える1番若い子(孫や曾孫でも可)から選ぶ。当然代替わりの回数が減り長期安定化する。
Bつまり、兄(エ)はヒメヒコになれず、弟(ト)がヒメヒコになる。当然傍系の弟(ト)は駄目。つまり、継承できるのは親も祖父も先祖代々弟(ト)であった直系の弟(ト)のみ。
C尚、「〜根(ネ)」は「〜の兄(エ)」のこと。「〜のウシ」が詰まって「〜主(ヌシ)」と同じ。また弟(ト)は(オト、ド)でもあり「トメ」「トベ」は「弟(ト)女(メ、べ)」。
D例えば。安寧天皇(シキツヒコタマテミ)は自家の従妹に妻問し、常津彦某兄(長男)、懿徳天皇(次男)、シキツヒコ(末子)を生む。中兄の懿徳天皇はシキツヒコを継げない。
E孝霊の時もシキ家やその傍系と改めて血固めしているようで当時シキ家が主家とも想像できる。見換えれば懿徳以降はシキ家の傍系=兄(エ)とも見える。
Fそして懿徳以降の事績や婚姻相手、和名号等を眺めると、開拓地に都市を建設して治め、新たな交易先を開拓して政略結婚を進める事が兄(エ)の役割と見える。
Gつまり、継承者の弟(ト)は母家に残ってヒメヒコとなり、祖霊崇拝をしながら先祖から受け継いだ土地に引きこもる。こうした母家が各地に存在する。
H時代が進み各母家が合同するようになると、各母家から共同体の運営に直接従事する者が出向してくる。この大役を担うのが兄(エ)である。
Iこのように考えると、卑彌呼が「各地のヒコ達と神的婚姻関係を結ぶ」ことができたのは共同体に出向した兄(エ)であるからだと解る。
J更に卑彌呼と男弟は共同体内ではヒメヒコ(邪馬壹ヒメと邪馬壹ヒコ)だと解る。更に壹與が卑彌呼の宗女なら卑彌呼と男弟は同父系異母家の親戚で壹與は男弟の実子だと解る。
*尚、邪馬壹ヒコの筈の男弟はヒコミコと呼ばれず、狗奴の男王を卑彌弓呼(ヒコミコ)と呼ぶ謎は、今後別途解説する。