邪馬台国纏向説
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
畿内説が破綻して、自論を論破されてしまったキナイコシが頭の病人になってしまったね。。。 纏向が近江方面から強い影響を受け始めたのは、掘立建物群廃絶の後、しばらく経ってからですね。
以降に土器の様相が、布留式に変化していきます。
刳り抜き棺、鉄器、布留式土器はリンクして、入ってきます。これら3つの要素の発祥地は異なるのでしょうが、全て、南近江を経由している可能性が高いですね。 出雲と近江の関係はわかりませんし、従属関係の証拠もないですね。
はっきりいえることは、近江が朝鮮半島の鉄資源の入手ルートを2世紀ごろには確立していたことです。 >>310
そりゃそうだ。
筑紫王肝いりの扇谷遺跡を足場にして
琵琶湖沿いに続々と北部九州倭人が近江入りしたのだからな。 畿内説が破綻して、自論を論破されてしまったキナイコシが、妄想と現実を混同するようになってしまったね。。。 狂人呼ばわりされるのが嫌なら、はじめから嘘をつかなきゃいいのに 畿内説が破綻して、自論を論破されてしまったので、キナイコシは嘘をつくのではないのかな。。。 邪馬台国=伊都国説が破綻して、自説が論破されまくったので、連続句読点キチは嘘をつき続けるしかないんだな 鍛造技術が扇谷に達した時期は、前2世紀頃だから、池上曽根よりも随分前ですね。九州地方とも、殆ど時間差を感じません。これは、当時から日本海沿岸航路による技術交流があった証拠です。扇谷が営まれた頃は九州と同じ大王の支配下だった可能性は強いです。
しかし、時代的には、近江に鉄器が入ってきた頃とかけ離れているね。近江が日本海航路からの鉄文化の影響を受け始めたのは、2世紀頃でしょう。纏向が、無鉄器どころか、無人に近い僻地だった頃です。 >>310
>出雲と近江の関係はわかりませんし、従属関係の証拠もないですね。
建築様式の類似性から、近江が出雲配下であったことは確実だろう。
円形に配置された建物も、神無月に神々(各地の首長のことか)が集まった祭り事を想起させる。
日本海沿岸の倭国の一部。
奈良盆地とは交通が結びつかない。 【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。
筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓ ↓
↓ 近江三上祝→東濃→纏向
↓
宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉
【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入
1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入
2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入
3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入 >>317
稲作の伝播とともに、北部九州では弥生前期末〜中期前葉には遼東半島から朝鮮半島西北部で生産された鋳造鉄製品が流入し、その破片を研磨加工した鉄器の使用がみられる。
中期後葉には朝鮮半島産の鉄素材を用いた鍛冶技術による鋳造鉄器の生産が始まる。
北部九州の鍛冶炉の定着と時期を置かず、徳島市矢野遺跡では規模・構造ともに北部九州に劣ることのないT類鍛冶炉による鉄器製作が確認される。
類似施設は徳島市名東遺跡・鳴門市光勝院寺内遺跡・拝原東遺跡・芝遺跡にも認められる。
先進技術のいち早い導入は吉野川下流域の特徴である。 @阿波 >>320
そこまで筑紫倭国の勢力範囲だっただけ。 >>321
>そこまで筑紫倭国の勢力範囲だっただけ。
魏志倭人伝にある「丹山」が無くて、その地産の丹を使っていないところは邪馬台国論争の資格無し。 @阿波 キナイコシが、重複偽スレッドで、鮮やかに論破されたせいで、また腹いせにこの本物のスレッドを荒らしに来るのではないのかな。。。 連続句読点キチが、別スレッドで鮮やかに論破されたせいで、腹いせに偽スレを立ているのか キナイコシが、重複偽スレッドで、鮮やかに論破されたせいで、狂人になってしまったのではないのかな。。。 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 瀬戸内は潮流が複雑で意外に強いですから、手漕ぎでは、対岸や有人島への渡海以外は難しかったでしょう。
周防から河内までのルートというものがあったとしても、弥生時代までは陸路を併用したでしょうね。
池上曽根や、淡路、阿波への鉄のルートは、むしろ、山陰から、岡山、兵庫南部へ抜ける陸路を選んだのではないでしょうか。その最初は、凹線文土器が山陰に波及する頃ですかね。
鉄に先んじて、玄界灘沿岸から東瀬戸内沿岸に移動してきた、人や物、技術も殆ど、日本海ルートから、中国山地の峠を越えてきたのだろうな。 >>328
>池上曽根や、淡路、阿波への鉄のルートは、むしろ、山陰から、岡山、兵庫南部へ抜ける陸路を選んだのではないでしょうか。
太平洋ルートですよ。 倭国(阿波)から関東まで行ってるでしょ。 @阿波 邪馬台=伊都説を追い詰め過ぎたな
狂人連続句読点爺=>>1が、焦って偽スレ・ウソスレで暴れ続けているな 2013年の大規模調査なんてない
日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1905C_Q3A220C1CR0000/
研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。
立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。
参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。
研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。 今日も、優れた考古学者たちに、キナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、 今日も、考古学のことを全く理解できていない八咫バカが、偽スレで発狂しているな 邪馬台国纏向説とは、大和朝廷が東遷して、纏向に邪馬台国を作成したという説ですね。。。 その通りです、、、
しかし、5年前の大規模調査で、完全に破綻してしまいました。。。 考古学やるなら、阿波へおいで。
「四国初の並列粘土槨」
「石井の山ノ神古墳 墳丘と同時造成」 徳島新聞朝刊 平成30年3月1日
石井町教委は28日、古墳時代前期とみられる前方後円墳「山ノ神古墳」(同町石井)の後円部の墳頂で、木棺を粘土で包んだ埋葬施設「粘土槨」が2基並んだ状態で見つかったと発表した。
粘土槨が墳丘と同時並行で築かれたことも判明し、いずれも四国で初めての出土例。 専門家は「全国的にも珍しい事例で、古墳研究の基礎資料になる」としている。
粘土槨は、墳頂部の地表面から約50〜70cm下で発見された。箱形木棺(幅約1.15m)と割竹形木棺(約1.2m)とみられ、約1.1mの間隔を空けて置かれていた。
全国の豪族は長辺を南北に向ける配置が多いが、県内の他の古墳に見られる特徴と同じく、東西に向ける形で埋められていた。
先に墳丘を完成させ、後で土を掘って木棺を埋め戻す方法が一般的だが、山ノ神古墳では盛土の堆積状況から、墳丘と粘土槨が同時に造られたことが分かった。
同様の事例は国史跡の和泉黄金塚古墳(大阪府)など近畿地方にみられるが、四国では見つかっていなかった。古墳調査に詳しい兵庫県立考古博物館の石野博信名誉館長は「墓を造り、葬送儀礼をしてから墳丘を仕上げる過程が分かる珍しい事例。
徳島の古代文化の独自性や、近畿政権との関係を考える材料にもなる」としている。
山ノ神古墳は2014年に発掘調査を開始。全長57mで、前方後円墳としては県内3番目の規模であることが分かっている。17年には、前方後円墳に隣接する円墳周辺で、県内2例目となる筒型銅器が出土している。
この「山ノ神古墳」は、東隣に鎮座する「白鳥神社」と合わせて、「日本武尊」の陵墓とみられている。 @阿波 甑形の分布で考えても、3世紀末までに周防灘と河内を結ぶ航路があったことは考えにくいですね。
文物は山陰から瀬戸内沿岸へ、峠を越えて、滲むように南下しています。
甑土器が奈良や徳島に到達していないことは、当時、両地域が倭国の範疇ではなかった可能性が非常に高いですね。 もっとも、魏志倭人伝にあった皇帝の詔で、卑弥呼を倭人の王としたのだから、倭人の居住域全てを倭国と考えるべきでしたね。
だから、西暦240年代以降、中国にとって、倭国は近畿地方も含むな。
魏志倭人伝にあった丹のある山とは、丹生か宇陀だから、倭人はこのあたりにも居住していたことになるしな。 2世紀や、3世紀の上位層の正体や変遷については、墓制での水銀朱や鉄の使われ方にもっと注目すべきですね。
地域や時期ごとの墳の形や大きさの分類以上に、興味深いですね。
なんといっても、この時期までの鉱物は出どころが限られているからな。 102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ
徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ
聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w
ホント学者は使えねえ 見ての通りです
大規模調査だと言い張っていたものがわずか1.5時間の立ち入り調査だと知り、完全に精神が破綻してしまいました 最近、この本物のスレッドの盛り上がりが、素晴らしいのではないのかな。。。 予め、次のスレッドを作成した方が、良いのではないのかな。。。。 (帯方郡から)南に航海すると、二十日で(北九州市や大分県となった)投馬国に至る。
官は彌彌、副官は彌彌那利といい、50000戸あまりあるようだ。。
(帯方郡から)南に10日航海し、陸路を1月行くと女王が都にしている所である(後に、熊本城が建てられた)邪馬壹国に至る。
官は伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮といい、70000戸あまりあるようだ。。
女王の国とそこから北の地域は、その戸数や道や里の様子は、おおよそ書き記すことができるが、その他のかたわらの国は遠くて交流も絶えており、詳しく書き記せない。。。
(帰りに宿泊するのは、邪馬台国の)次は斯馬国であり、その次は巳百支国であり、その次は伊邪国であり、
その次は都支国であり、その次は彌奴国であり、その次は好古都国であり、
その次は不呼国であり、その次は姐奴国であり、その次は對蘇国であり、
その次は蘇奴国であり、その次は呼邑国であり、その次は華奴蘇奴国であり、
その次は鬼国であり、その次は為吾国であり、その次は鬼奴国であり、
その次は邪馬(八女)国であり、その次は躬臣国であり、その次は巴利国であり、
その次は支惟国であり、その次は烏奴国であり、その次は(帯方郡からの道里を前述し、示した)奴国である。
これが女王の境界が尽きるところである。。。
(女王国の)南に狗奴国があって、男子が王になった。
その官には狗古智卑狗がある、、
女王に服属していない、、、 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 邪馬台国畿内説は、大物主の倉庫を邪馬台国の宮ということにしたいのだな、、、 キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。 近江を経由して、近畿南部や東海方面に鉄の土木器が流入したことで、水銀朱の採取量が格段に増量したのではないですかね。
時期的には卑弥呼の死後10年後頃まででしょうか。
これ以降、国内の墳墓に水銀朱が使用されるようになったのです。
卑弥呼の死が、それまで鉄の入手が困難だった地域にも、大陸との交流を可能にしたきっかけがあったと考えるのが合理的ですね。
そして、それまでは、無鉄器地帯だった纏向以南にも、鉄が出土する時代が到来します。
これはまだ仮説の段階なのですが、宇陀地方の水銀を採掘にやってきた近江の鉄器勢力が押し寄せたのでしょうね。 近江を経由して、近畿南部や東海方面に鉄の土木器が流入したことで、水銀朱の採取量が格段に増量したのではないですかね。
時期的には卑弥呼の死後10年後頃まででしょうか。
これ以降、国内の墳墓に水銀朱が使用されるようになったのです。
卑弥呼の死が、それまで鉄の入手が困難だった地域にも、大陸との交流を可能にしたきっかけとなったと考えるのが合理的ですね。
そして、それまでは、無鉄器地帯だった纏向以南にも、鉄が出土する時代が到来します。
これはまだ仮説の段階なのですが、宇陀地方の水銀を採掘にやってきた近江の鉄器勢力が押し寄せたのでしょうね。 やはり、纏向の掘立建物群の勢力は、ホケノを作った勢力に侵略された可能性がありますよ。 畿内説が破綻し、キナイコシが論破されてしまったのは、もう誰の目にも明らかなのではないのかな。。。 2013年の大規模調査なんてない
日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1905C_Q3A220C1CR0000/
研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。
立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。
参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。
研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。 邪馬台国伊都説が破綻し、岡上が発狂したのは、もう誰の目にも明らかだな 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 邪馬台=伊都説を追い詰め過ぎたな
狂人連続句読点爺=>>1が、焦って偽スレ・ウソスレで暴れ続けているな 畿内説を論破されてしまったキナイコシの、スレッドへの、妨害が激しくなってきたね。。。。
2013年が、致命的だった、、、、 2013年の大規模調査なんてない
日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
外部リンク:www.nikkei.com
研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。
立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。
参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。
研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。 2013年の大規模調査なんてない
日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
外部リンク:www.nikkei.com
研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。
立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。
参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。
研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。 畿内説を論破されてしまったキナイコシの、スレッドへの、妨害が激しくなってきたね。。。。
2013年が、致命的だった、、、、 キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。 国土地理院によって、畿内説が奈良湖に沈んだ、、、、、 >>390
暴力でスレを埋めても、畿内説が社会の鼻つまみになるだけだぞ 畿内説が破綻し、キナイコシが論破されてしまったのは、もう誰の目にも明らかなのではないのかな。。。 畿内説を論破されてしまったキナイコシの、スレッドへの、妨害が激しくなってきたね。。。。
国土地理院の発表が、致命的だった、、、、 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 いや本当に、病院に行った方がいいと思う
冗談抜きで診断名つくよ
2013年の大規模調査っていってる人、妄想はシゾフレニアの特徴的な症状だよ
まあ、シゾフレニアだけの症状ではないけれど 今日はどこのスレも静かだなww
九州説の連中は、何かに中ったのかな? 理由
【考古学】阿南・若杉山遺跡で「辰砂(水銀の鉱物)」採掘の坑道発見 国内最古か[02/19]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1520121974/
まさかの四国説で終了 いやいや、四国にあるのは前から分かってたし、紀伊半島にも辰砂の鉱山はあるよ
今回のは実際の鉱道が見つかったってだけで、九州説の頭おかしい人たちが
これで納得する筈ないでしょ 鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています