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邪馬台国畿内説 Part323
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0001◆UiepmfCeDJqf
垢版 |
2018/02/09(金) 04:38:19.95
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1517932645/

◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。
0002日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 07:54:17.53
糞スレなん個もあげんな あほんだら
0003日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 08:21:10.39
以上テンプレです。。。
長いので大部分は撤去しました、、、、
0004 ◆mlCOvEXHGY
垢版 |
2018/02/09(金) 08:22:37.65
トリップは見破られてしまいました
00051 ◆bL7iehB8vc
垢版 |
2018/02/09(金) 08:26:31.88
新しいトリップを作成しました。。。
正式な邪馬台国畿内説スレッドのトリップです
0006日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 08:27:56.43
>>5
畿内説は破綻したのではないのかな、、、
00071 ◆bL7iehB8vc
垢版 |
2018/02/09(金) 08:29:02.80
>>6
破綻してからちょうど5年です。。。
0008日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 08:52:25.40
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
キナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、
0010日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 10:56:43.93
スレがたくさん立つのはいつものこと。
あっちはザラコク隔離スレにすればいい。
0011日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 10:57:04.23
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
0012日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/09(金) 10:57:27.78
もしソウルから朝鮮半島南端まで7000余里を認めるとすれば、あとの5000里で行き着ける場所は九州をでないことになる。

朝鮮半島下端から対馬が100km、対馬から壱岐が85km、壱岐から唐津が70kmなので平均85km、

これが1000里に等しいとすると1里は約0.085km(85m)ということになる。

一里が0.085kmとすると12000余里が1020kmとなり、ソウル−宮崎間経路の長さとほぼ一致した。

またソウルから朝鮮半島南端まで7000余里も経路実測625kmだったので、625÷0.085=7353里でほぼ一致した。
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