宋版「大平御覧」の「倭人伝」では、投馬が於投馬(エツモ)と書かれている。 今日、出雲の人は出雲を「エヅモ」となまって言うから、 この時代もそうで、中国人はそれを聞き取ったのかもしれない。

また、投馬国の官名が異彩をはなっているのも注目だ。彌彌(ミミ)と彌彌那利(ミミナリ)である。実は、この「ミミ」がつく名称は、記紀では、出雲系や神代系に多く登場する名前である。

これらの理由から、投馬国=出雲国だと思われる。

出雲神話は、日本神話の中での比重が高かったりし、古代から日本海航路の重要な港として栄えた地である。人口が5万余戸や、中世以降の諸侯の勢力範囲から想像して、
魏志倭人伝の時代の出雲の勢力は、出雲、石見、伯耆、因幡などの山陰地方の大半を勢力圏としていたのかもしれない。