>>230
私は九州説なんだが宇佐、沖ノ島はヤマト王権の息がかかってると考えてます
時代はもう少し後ですが
2,3世紀に後発のヤマトの勢力が大陸及び半島と係りを持つ為には対馬壱岐ルートすなわち奴国や伊都を通さなければならなかったはずで
彼らにしてみれば独自ルートを開拓する必要があったと
後のヤマト王権や朝廷との関係を考えると宇佐とは近かったのではないか、或いは血縁があったのではないかと考えてます
宇佐沖ノ島ルートが当時ヤマトの勢力が開拓したものならば弥生後期〜古墳時代には北部九州と畿内は別の勢力だったと考えられるのではないかと思ってます