対馬から壱岐が約千里
壱岐から東松浦半島に寄り上陸せずに(末盧国)沿岸を進み糸島半島の付け根まで行くと約千里
そこから上陸して福岡平野に出て太宰府付近(伊都国の中心)まで約五百里
そこから東南に約百里進み(奴国の東端)
さらに東に約百里進むと筑後川の支流に当たる(不弥国)
そこから筑後川に出て水行し、さらに有明海に出た後で上陸して陸行すること合わせて約千三百里で熊本に着く(邪馬台国)

方角が南とあるのは奴国から見てのことで、奴国は筑後平野の北側を広く治めており
奴国+伊都国はかつて後漢時代に金印を貰った委奴国であった

投馬国は筑後平野の南側、狗奴国は鹿児島〜宮崎南部あたり


一里が何キロとかあまり考えずに比率だけで考えた
あと水行陸行の日数は無視したw