太平記 vs 平家物語
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>>70
資料的な価値では梅松論の方がはるかに高いといわれているのになww
まあ太平記だって「史学に益なしと」は酷評でそれなりに資料的な価値は
あるのだけど。
平家物語は時代が時代だから、平家物語を無視すると時代が語れない
と言うのもあるな。 太平記は元々日本史家のなかでも評価低いよ。物語性に重点を置いたせいで史実と違うのとか文章がいまいちだとか
日本の歴史書(歴史物語)で完成度が高くて必読なのは「平家物語」「大鏡」「愚管抄」「神皇正統記」「日本外史」 平家物語の完成度の高さは何なんだ?
源氏物語より上じゃないか? 才能ばかりじゃなく、かなり教養のある人間が書いてることには間違いなし。 作者が漢文の教養が深すぎるのか唐文学をふんだんに取り入れてる 太平記は南北朝に分裂という前代未聞の時代背景があるからな。そのわりにはよく書けてる。中国の例とかをだらだら書かないならなおよかった >>84
千早攻城軍100万とか鎌倉攻撃軍60万7000とか書くな。 >>84
朱子学ベースのお話なんだから
中華で云々は必要不可欠だろ。 >>85
だから数字にこだわるなよww
あの時代は数字にはそれほど意味を感じていない時代だったのだから。 >>88
数字が意味を持たないならと言うが四條畷の戦いで楠木正行勢が143騎とか相手の小旗一揆衆長崎彦九郎48騎とかやたらに細かい。 >>89
太平記のなぞだな。時々妙に具体的な数字だすよね
楠木軍の兵数や脇屋義助と公卿との内紛とかもそう。
あれも見てきたようなウソなのかどうか >>90
義貞の生品神社の旗揚げの時と同じ150騎でいいのに。 軍隊の動員数は軍事機密だからなww
今の戦争だって、どこそこを○○人で攻めるとかいう話は年数がたたないと
明らかにならないだろう?
その年数がたってから明らかにされた戦闘詳報だって、実際のところ宣伝が
入っている可能性だって高いのだし。 >>92
太平記は小島法師が永和元年(1375年)あたりに完成させた。
義貞の旗揚げとか四條畷戦からだいぶ経っているが。 四條縄手は実際に楠の手勢が143騎しかいなかったのかも >>94
四條畷戦時四条隆資は野伏20000を率いて楠木軍の後詰をしたとある。
楠木正規軍も野伏ほとんど変わり無いと思うが。
湊川の時だって正成の手勢の中には第5列とかサンカとか鉢屋とか素性のおかしい兵が混ざっていた。 >>93
むしろ30年から40年たった方が書きやすいというのもあると思うのだが?
先の大戦でも戦後すぐの時よりも、昭和50年代から平成の頃のほうが
ノンフィクションとしては優れた手記が多く出ただろう?
潮書房の丸とか光人社の光人NF文庫みたいな。
もっとも酒井三郎みたいな人もいたけど。 年数が経ってばらばらの資料を無理やり纏めた感じか。所々に主観を交えて 那須与一が出てくる扇の的の節って、美談でなくて義経批判の残念な話だったのね。 足利尊氏は何であんなに戦に強かったのでしょうか?
ほとんど無敗ですよね >>106
直義に負けたりしているが。高師直に負けたり。 尊氏の魅力はやることなすことパッとしないのになんとなく成功してるところだね
思想だけが先行して失敗した後醍醐天皇を鏡に映したような存在
こんな二人が対立していた時期が一番面白い 太平記=日本版三国志演義
里見八犬伝=日本版水滸伝 日本人が作った中国風文学の最高峰が太平記だからな。 >>124
清盛はそれほど悪人じゃなく。高時はタダのアホボン。大内義隆や今川氏真の同類。 キリシタンが日本に侵略してくるときに太平記で日本語習ったらしい 多分そう
反キリスト教的な内容がないからってことでお墨付きになっていたんだって 連レスでごめんね
内容紹介
戦国時代、訪日宣教師はみな『太平記』を読んでいた。それは、この書物が当時の日本人の百科事典であり、
絶大な人気を誇っていたためだった。『太平記』受容を通して時代を分析した、革新的一冊。
内容(「BOOK」データベースより)
本書が扱うのは、宣教師と『太平記』の意外な関係だ。南北朝~室町期の武士の生き様を描いた『太平記』は、
戦国時代最大のベストセラーであり、数々の武将たちに愛好されていた。だからこそ、宣教師もこの作品を
「日本を知るための最高の教科書」とみなして、必死に読み解こうとしたのであった。
『太平記』と宣教師との接点に注目することで戦国時代に生きた人々の心性に迫ろうとする画期的論考。 >>126
太平記は三国志演義と作りが似すぎてると思ったがそれだったんだな 平家物語は色んなドラマ、映画あるけど源義親、藤原基衡辺りを描いたドラマや映画ないんかな?
大河炎立つもその辺飛んでるし。
マイナーやからかな。 >>143
一年続かないよ。
源義親なんか「俺たちに明日はない」とか「明日に向かって撃て」的な
映画になるのが関の山だよ。 >>145
そういう事やでな。流石にそれで一年間見たいとは思わんが、炎立つでもそこは一気に飛んでるし、
他でもその辺りは見た事ないから淋しいなと思って。 そう言えば 菅原道真や藤原道長 足利義満 はやらんな。 足利義満は日本史上最大級の悪党みたいな扱いだからな 改めて炎立つ見出したけどやっぱりおもろいな〜。
特に経清。平家物語もいいけど、この前九年の役がおもろいな。 >>148
足利義満は海音寺潮五郎の「武将列伝」ではなく「悪人列伝」で書いてるからな。 アニメ一休さんが受けたのは小坊主が天下の将軍しかも義満公をやりこめるのが痛快だったからか >>137
その割には天草版(キリシタン版)ではNifon no cotoba to historia uo narai xiran to fossvrv fito no tameni xeva ni yavaragvetarv Feique no MonogatariはあってもTaifeikiは無いな 石母田は平家を日本五大古典に入る
と言っていたがあとの4つはどれだと
思ってたんだろな >>148
アニメの一休さんでは、一休少年を苛める将軍さまだったからなw とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
9HF 平家物語読んでてよくわからないから教えてください
なんで比叡山とか園城寺とか、僧侶が戦争に加担するの? >>160
中世は自力救済の時代だからな。
網野義彦の本の中に、お坊様が人殺しをするのはおかしいだろう?と指摘されたときの
延暦寺の坊様の反論が出ている。
「まだ末法の世でもない時代の聖徳太子でさえ、仏法を守るために
物部守屋を誅殺したのだ」
「まして今は末法の時代、そうでもしないと仏法は守れぬわ」 >>157
部下に無理難題を押し付けるわがまま将軍さまだけどイジメてはいないだろ
一休が見事な頓智を披露すると満足して褒めているしな >>161
1052年より前は僧兵がいなかったかしら?
神人はどういう理由で暴れたの?出雲の神様は平和の神様なのに。 >>161
善悪の問題じゃなくて、なんで政に宗教が武力で関与するのかがわかんないんです...
当時、境内の敷地内では中央集権の法が及ばなかったはずなのに >>164
寺社の境内を守っていたのは国家
しかし平安時代末期になってくると国家の軍事力が弱ってきて
勝手に寺社領を横領する輩が出てきた
寺社は自力で領地を守る必要性に駆られて武装した
その結果、大寺院では多くの僧兵が雇われ、自力で寺領拡大を行い始める
平家物語の話に戻すと仏教はもともと国家事業として始められたもので
有力な寺のトップは天皇や大貴族の子弟が勤めていたんだよね
寺のトップが政界大物の息子なのだから寺も政治に関与する
天皇の子である法親王が延暦寺や園城寺に入り
延暦寺のトップである天台座主や園城寺のトップである園城寺長吏となる
上皇や法皇が延暦寺や園城寺に武力援助を要請することもあった 家父長か 守護職 選べってことか。制度、職能 比叡も悲惨だし、園城のほうだよ。 >>163
あの時代の平和主義と、今の平和主義とでは全く別物だと思うぞ。
そもそもあの時代の平和と言うのは、単に家庭内、村落内だけの
平和かもしれないしww
まあそれはともかくとして、
あの時代の神社仏閣は、金貸しや貸金庫業、教育や福祉事業場合によっては
近隣の商売人ややくざ者、協業関係者の利害調整や、調停も
やっていたからな。
あの時代は商売でもめたら、即実力行使だし、
物を運搬するのですら、護衛が必要だったからな。 寺に毘沙門天みたいに武器を持った仏像が平気で並んでいるし
武将たちが寺社で戦勝祈願を行い念持仏をもって戦に出かけたからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています