熊本鎮台は防戦どころか、通過にあたっては兵糧や弾薬を出してもてなしてくれるはずであるというつもりで
桐野はこのたびの東京ゆきの旅程を立案していた。
西南戦争の本質を突き詰めれば、地五郎の認識の甘さによって起こった戦いというべきであろうか。