邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
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邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い 金関先生の発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるか。
繋がります。
和邇氏はトヨから始まります。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
┣━━━━━━━┓
彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造) >>1
逆はないのかよ、「邪馬台国は九州だけど卑弥呼は畿内」とかさ まず邪馬台国と奴国は別で、
両国の使者がそれぞれ倭の覇を主張している。
邪馬台国=やまたいこく
と読ませているけれど、やまとこくと読ませた方が自然。と言うことは邪馬台国は畿内に有ったと考える方が自然。 >>8
>邪馬台国は畿内に有ったと考える方が自然。
そう思わせることこそ記紀の編者らの企み >>4
邪馬台国も卑弥呼も畿内だけど、女王と女王国は九州である。 魏志倭人伝中の、「女王」表記は13ヶ所 うち5ヶ所が「女王国」
順に見ていくと
1伊都国の王が「皆統屬女王國」
2「南至邪馬壹國 女王之所都」
3「自女王國以北其戸数道里可得略載」
4「次有奴國此女王境界所盡」
5「其南有狗奴國(中略)不屬女王」
6「自郡至女王國萬二千餘里」
7「自女王國以北特置一大率檢察諸國」
8「傳送文書賜遣之物詣女王」
9「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」
10「有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里」
11「倭女王遣大夫難升米等」
12「其年十二月詔書報倭女王曰」
13「倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」
これを見ると、女王と書いて、女王国を意味するところがあるし、女王国と書いて邪馬台国を意味する場合と女王に属する範囲(女王国連合)を意味するところがあるね
2と8、11,12,13の女王は、「卑弥呼という人物」を指す
1と4と5と、おそらく9と10は「女王国連合」(4、5、10は女王で女王国の意味)
3と7は「邪馬台国(女王の都する所)」
6ははっきりしないけれど、たぶん9と10と同じ扱いで「女王国連合」でいいと思うが、「邪馬台国(女王の都する所)」でも特に問題はない >>14
いやー3と7も邪馬台国であるとは言えないでしょよ
女王国と同一なのが不弥国だと考えれば「女王國以北」は関門海峡以東と同義になる(関門海峡は北西‐南東方向にあるので本州は九州の東にあると同時に北にあるともみなせる)
「女王國東渡海千餘里復有國」は本州で問題ない
「自郡至女王國萬二千餘里」も大和だと帯方郡から遠すぎるが博多湾周辺の不弥国だと適切
侏儒国は種子島だとすれば種は小さい物の代表なので侏儒(小人)とも意味が通じる
「女王之所都」は「女王國」と同義ではない(邪馬台国には女王が都するが、女王国という名前の国ではない) >>15
乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼。
と書いてある文書で「女王」が出てきて、その女王が卑弥呼じゃなかったらびっくりだよ
同様に、女王国が、卑弥呼の国じゃなかったらびっくり
女王国は、卑弥呼の国=卑弥呼の所在地 or 卑弥呼の統治範囲 のどちらか
それ以外の女王国があるとは、普通の神経では考えられない
不彌国が女王国であるためには、不彌国=邪馬台国でない限りはおかしな話になるし
魏志倭人伝を読む限り、不彌国=邪馬台国とは読めない >>16
巫女が神の信託を受けて国を治めたとするなら、
大きな邪馬台国だけがそうだったと考える方が無理がある。 畿内に女性首長の文化はない。
女性首長の文化があるのは九州。 >>16
はいハズレ
三国志が書かれた時点で卑弥呼は死んでる
だから「女王国は、卑弥呼の国=卑弥呼の所在地 or 卑弥呼の統治範囲 のどちらか」なんて馬鹿な理論は最初から間違ってるんだよなあ
「不弥」は「ヒメ(媛)」と同義であり「女王」のことだゾ
>>19
そういうバカな決めつけは論文でも書いて専門家の査読を受けてから言え >>18
>巫女が神の信託を受けて国を治めたとするなら、
もしかして、彦姫制のヒメ王=祭祀王(巫女王)のことを言いたいのか?
ある意味、卑弥呼の共立はヒメ王の権能を一人の祭祀王・卑弥呼に集約
したことを指す、とも読める
そして、各地のヒコ王=政務王(実務王)は、そのまま各地を統治して
祭祀連合として女王国が存在したと考えることもできる
>大きな邪馬台国だけがそうだったと考える方が無理がある。
大きな邪馬台国って何のことだ?
他の地域にも、祭祀王・巫女王はいてもおかしくない、というか、彦姫制が
想定されるほど普通に存在していたと思うが、「卑弥呼を親魏倭王として
記述」する魏志倭人伝において、「卑弥呼以外を女王と書く」ことは
「除外してよい」だろう >>20
>三国志が書かれた時点で卑弥呼は死んでる
>だから「女王国は、卑弥呼の国=卑弥呼の所在地 or 卑弥呼の統治範囲 のどちらか」なんて馬鹿な理論は最初から間違ってるんだよなあ
魏志倭人伝の最後近くで「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩」と書かれるまでは、
卑弥呼が生きているときのこと、というか卑弥呼が生きている体で書かれている
その範囲で女王國と書かれていれば、当然に読む人は卑弥呼の国だと思うし、
撰述する側もそう読まれることを当然の前提としている
「三国志が書かれた時点で卑弥呼は死んでる 」から、
「この女王国は卑弥呼の国ではない」なんていうのは、どこの人も普通は考えないことだ
きっと、>>20は普通の読み方をする人よりずっと「カシコイ」んだと思う >>20
>「不弥」は「ヒメ(媛)」と同義であり「女王」のことだゾ
すごいね! >>19、>>20、>>22
推古天皇以前にも、神功皇后や飯豊青皇女が朝政を執ったと
公式の歴史書である日本書紀にも書かれているね >>22
>>>19
>女性が天皇の時期が何度かあった。
それはもっと後世。 >>28
ごめん、>>29のアンカ付け間違い
>>27は、>>24の内容を誤読してるな >>28
>呉誌ではどうなっている?
三国志で全文検索をかけた限りでは、三国志呉書に「倭」も「卑彌呼」も
「邪馬壹國」も出てこないよ
私の探し方が悪いのかもしれないから、自分でも調べてみて
三国志全文検索
http://www.seisaku.bz/search/search.php
魏書04 三少帝紀第四では「倭國女王俾彌呼」って書かれているね
字が違う >>32
そうか、やはり無いのかもしれない。
近所の考古学博物館で呉誌に関する日本の記述が有ったが、どうも晋が魏の系譜なので呉誌の記述は少ないらしい。 >>24
それは絶対にないしあんたの主観にすぎない
三国志は96年に亘る三国時代全体を扱い、卑弥呼は三国時代の前半の間倭国で女王をやっていた人物でしかない
卑弥呼の墓に相当する墳墓が九州にあってもそれはあくまでも卑弥呼の墓であり邪馬台国の女王の墓ではないのだ
「撰述する側もそう読まれることを当然の前提としている」という専門家の査読を受けた論文があるなら出してもらいたい
>>32
へえそれは面白い
俾彌呼と書くと「卑しい」に人偏が付いてる分いくらか人間扱いされてる体に見えるな >>34
>卑弥呼の墓に相当する墳墓が九州にあってもそれはあくまでも卑弥呼の墓であり邪馬台国の女王の墓ではないのだ
イミフ 台与以降の時代に書かれた書物なのだから邪馬台国の女王といえばその時点の女王に決まってるのだよ
絶対に卑弥呼ではない まあ邪馬台国女王なんてどーでもいい
大事なのは倭国女王 倭国全体の女王の他に邪馬台国の女王がいる
で万事解決 >>41
そうだったとしても、全くおかしくないな。 其國本亦以男子爲王。住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。
「その国」が倭国なのはいいな? 直後に倭国乱とも書いてあるし
乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼。
と書いてあったら、これは倭国の王と為すとしか読めないだろ?
卑彌子が倭国の女王として書かれているのは、疑問の余地がない
詔書報倭女王曰。制詔親魏倭王卑彌呼。
だから、親魏倭王も卑彌呼であり、倭女王と書かれているのも卑彌呼 卑弥呼は倭女王であって、邪馬台国王とは書いてない
邪馬台国は、女王之所都であって、王都が置かれた場所の地名(国名) まったくそのとーり!
邪馬台国卑弥呼同一説の洗脳から人々を救わなければならない >>48
そうだね。
しばしば邪馬台国の女王卑弥呼、みたいな誤った表現を目にするが、邪馬台国にいた倭国女王卑弥呼が正しいということだよね。 神功皇后がモデルならば畿内から九州にやって来たと言える 倭國亂,相攻伐?年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。 >>53
卑弥呼が「倭国王」になったなど一言も書かれていない。 まず、魏志倭人伝に「倭国王」など出てこない。
>>53
其國本亦以男子為王、住七八十年、倭國亂相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名日卑彌呼。
きちんと文章を読むと、卑弥呼は「其國」の女王に共立されており、
其國の前に出てくる国は「女王國」。
よって邪馬台国女王。 卑弥呼が倭国王なら、
「倭國」本亦以男子為王、住七八十年、「其國」亂相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名日卑彌呼。
の順番になるはず。
だが実際は、
「女王國」→「其國」→「倭國」の順番なのだから、
其國=女王國=邪馬台国 自分の意見と違ったら、理由も書かずに一言レスか。あーあー。 トンデモ解釈を説明できないということは、
これまで通り、邪馬台国女王卑弥呼だね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています