邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
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邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い >>56
>>58
>>62
邪馬台国などどこにも書いていない訳だが
幻覚が見えているなら病院行けよ頭のだぞ 辰斯王(385-392)
阿莘王(392-405)
腆支王(405-420)
久尓辛王(420-427)
毗有王(427-455)
蓋鹵王(455-475)
文周王(475-477)
三斤王(477-479)
東城王(479-501)
武寧王(501-523)
武寧王(501-523)は墓から買地券(金石文)が出てるので絶対年代。
ならば阿莘王擁立が日本書紀・応神3年条だから応神元年は390年。
ならば応神から30年後の平均在位は11年だから、
1神功皇后を入れて6代遡る10代崇神は4世紀前半。
ならば魏志倭人伝のトヨまであと数十年、トヨとは4代天皇・懿徳の皇后のトヨツ姫だと分る。
ならばヒミコはその少し前の最高位の女性、ヒメ(踏鞴五十鈴)媛だと分る。
ならばトヨツ媛もヒメ(踏鞴五十鈴)媛も住んだのは葛城(奈良県御所市)であるから、
邪馬台国の女王が住んだ場所は奈良県御所市であると分る。
おまえらアホなん? >>63
文章構成の基本的な問題。
「女王國」→『其國』→「倭國」の順番なのだから、
其國≠倭國。
其國=女王國に当てはまる候補は、倭國と邪馬台国であり、
其國≠倭國なのだから、
其國=女王國=邪馬台国。
卑弥呼は邪馬台国の女王に共立された。 >>66
>其國=女王國に当てはまる候補は、倭國と邪馬台国
そういう根拠があるというなら専門家の査読を受けた論文でどうぞ
あんたしかやってない独自研究は誰も肯定することはない >>66
>卑弥呼は邪馬台国の女王に共立された。
そうだね。 卑弥呼は以下の邪馬台国勢力に中から共立された。
↓
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡 >>66
「倭国」は邪馬台国「女王」卑弥呼と狗奴国「男王」卑弥弓呼が倭王を自称して争ってた。
女王側についた30国が「女王派の倭国」=女王国
男王側についた?0国が「男王派の倭国」=男王国 >>72
倭国(阿波)乱とは
旧吉野川流域北岸勢力内での争乱および旧吉野川流域南岸勢力内での争乱また、鮎喰川下流域勢力内での争乱および各地域間の争乱。
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川勢力)
こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波 ※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 >>1
>卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
女王の都するところが邪馬台国なんだから、卑弥呼は邪馬台国にいるんじゃないの?
そもそも女王国ってどこだよ?
>倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
倭国の風俗として書いているところは、倭国内にそういう風俗があるってことであって、
倭国の一部である邪馬台国の風俗って訳じゃないぞ >>81
例えば、「日本には野生のニホンカモシカがいる」と書いた書物があったとして、
大阪市内にニホンカモシカがいないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? >>82
王宮を守る兵士のことが書かれているのに、その兵士が持っていたとされる武器の痕跡が全く纒向にないんだよ。 例えば、「日本の山には金がある」と書いた書物があったとして、
大阪市内に金鉱山がないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? 首都には鉄鏃や矛で武装した兵が王城を守っていたと書いてある。
どこか地方ではない。
楼閣高い卑弥呼の王城は?
千人の奴婢は?
纒向は全く魏志倭人伝の内容と異なっている。 >>85
>首都には鉄鏃や矛で武装した兵が王城を守っていたと書いてある。
頭の中で混ぜ込んでるんだろうけど、卑弥呼の宮室については
居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。
とあるだけで、鉄鏃で武装してとかは書いてない
兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
これは、倭地の習俗のところであって、邪馬台国がこうだと書いてあるわけではない
邪馬台国の比定に重要なのは
・邪馬台国の発音に近い地名
・戸数7万戸
・30近くの国々の盟主
・宮室、楼観、城柵
・卑弥呼の墓径百歩
・徇葬百人
の各項目だよ
これらは、倭地ではなく邪馬台国限定のこと >>87
>アタマ悪そう
いつも思うんだけど、九州説のやつはどうして一言コメントばかりなの?
二語文以上は使えないのかな?
「みかん とって/りんご ちょうだい/ジュース のむ/パン たべる ・・・など。
おおよそ、「1才6カ月〜2才6カ月頃」に出てきます。」 >>86
>居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。
>兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
常に王宮を兵士が守り、兵士は矛盾弓を持ち、鉄鏃云々とあるね。
そこだけ倭地の習俗だというのは、恣意的なおかしな解釈だよ。
畿内説はいつも魏志倭人伝を歪曲する。 お前がテイノーなんだろう
お前の家の親や先祖は何をしていたんだ、
どうせ、どこかの馬の骨か何かだろう どのスレだったかな、このような事を言ってる人がいたでしょ
「仏の顔も三度まで」
「いい加減にしろ、このクズ野郎」
「海賊ごっこは終わり」みたいな書き込み
海賊=ニセモノ、模造のような意味 誰が作ったのか、わからない、謎のチェーンソーのゲーム
「渡来人どもめ〜」と言っていたり、敵の台詞だよ >>86
この部分と
>・邪馬台国の発音に近い地名
>・戸数7万戸
この部分は
>・30近くの国々の盟主
>・宮室、楼観、城柵
>・卑弥呼の墓径百歩
>・徇葬百人
それぞれ違う国のこと >>93
違う国とまで言い張るのか。
畿内説は魏志倭人伝の曲解がひどいですね。 邪馬台国は九州、畿内、奥羽のライン。
熊本、高千穂。 合意形成型は邪馬台国。飛騨もだ。
日本とは和国。扇。着物。
広島、京都、愛知、東京。
>>89
「兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃」
と
「居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞」
は、完全に別の段落に書いてあるぞ
魏志倭人伝1990字のうち、551文字離れたところにある
前半は倭人の習俗であって、倭人はこうしているのを見た、くらいの部分
全般的な一般論
後半は、具体的な邪馬台国の卑弥呼の宮室の様子
そこの兵が、前の方と同じ武装をしていてもいいが、していなくてもいい
まあ伊都国推しの九州説の人は、伊都国王の名前はずっと
離れたところに卑弥呼と書いてあると平気で主張する人たちだから、
そういう読み方が普通だと思っている人には、そう読めるのかもね 単に畿内派・九州派って言ってる時点で頭が悪い
なにが畿内でなにが九州なのかを分けて考えない奴は永遠にガイジループを巡り続けるのだ >>100
>前半は倭人の習俗であって、倭人はこうしているのを見た、くらいの部分
>全般的な一般論
畿内説は、本当に書いてあることを捻じ曲げるのが好きだよな。
呆れるよ。 邪馬台国は倭国に含まれる
含むか含まないかの話であって
同じ国か別の国かって話じゃないだろ
なに逝ってんだよ全く… >>105
へー。じゃおまえは邪馬台国は倭国に含まれないって言いたいのかw >>106
例えば、「日本には野生のニホンカモシカがいる」と書いた書物があったとして、
大阪市内にニホンカモシカがいないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? じゃあ、都の王宮を守る兵士は、何で武装しているんだ? >>109
>じゃあ、都の王宮を守る兵士は、何で武装しているんだ?
それについては「魏志倭人伝には特に明記はされていない」
が、文献どおりの解釈だな
居處宮室樓觀城柵嚴設「常有人持兵守衞」
武装は「兵」一文字しかないぞ >>111
>纒向だと、木の棒か何かか?
纏向では、儀式化しているようだけどな
纏向遺跡は、環濠集落の環濠が廃絶されてからの都だ
そして、大型の木の鏃も出ている
実用ではなく、儀礼用ということだろう
残念ながら、木の棒ではなかったなww それ、魏志倭人伝のように兵が厳しく守りを固めていたことになるのか?
楼閣はどうした? >>111
相変わらず、言葉が悪いな
育ちの悪い者が、余裕をなくすとすぐに地が出る
九州説の方がそういう書き込みが多いのは、理由があるのかい? >>115
>木の棒はドラクエへのオマージュなんだが。
それならひらがなで「ひのきのぼう」って書いてくれないとw >>108
当たり前だろ
>>106の記述となにも矛盾ないぞ
「日本には野生のニホンカモシカがいる」ってのは
「日本のどこにもいる/いたるところにいて、いないところは日本でない」
という意味ではない >>117
だが、
国の中に野生のニホンカモシカがいない国は、日本ではない
という対偶は真になるんだ
つまり、九州限定の倭国では、弥生時代に丹の出る山が知られていないので、
九州限定の倭国は間違いということになる >>120
>鉄鏃がない纒向は邪馬台国ではないわけだ。
倭国(阿波)で有るんだから、そんなこと、どうでもよい。 @阿波 >>129
>鉄鏃がない纒向は邪馬台国ではないわけだ。
纏向「だけ」が倭国ならな
畿内説では、西日本の広い範囲が倭国なので、その中に鉄鏃があればそれでいい
やはり、九州説は論理に弱い
そして、九州説が畿内や吉備・出雲、四国とは縁のない「九州だけの倭国」を
主張する限り「其山有丹」で、それは倭国ではないことになる >>122
>畿内説では、西日本の広い範囲が倭国なので、その中に鉄鏃があればそれでいい
>「九州だけの倭国」を主張する限り「其山有丹」で、それは倭国ではないことになる
「鉄鏃」も「其山有丹」も唯一満たすのは、「阿波」だけ。
倭国(阿波)で有るんだから、九州や畿内などそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 >>122
魏使は畿内に来たと思っているのかね?
どの経路で? >>122
じゃあ東京が邪馬台国でもいいわけだ
九州から関東までの領域でどこかに鉄鏃があればいいんだから
もちろん東京には奈良と同じく倭人伝に書かれてるものは何も出ないし倭人伝の描写とかけ離れており中国や九州と何の関わりもないが、九州にあればいいもんな >>125
>九州にあればいいもんな
九州は「其山有丹」に該当しない。
「鉄鏃」も「其山有丹」も唯一満たすのは、「阿波」だけ。
倭国(阿波)で有るんだから、九州や畿内などそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 >>125
>じゃあ東京が邪馬台国でもいいわけだ
>九州から関東までの領域でどこかに鉄鏃があればいいんだから
「鉄鏃だけ」で、邪馬台国の位置を決めようとするならば、ね
そんなのは無意味だし、どうでもいい
多くの人が集まった痕跡が明確な大規模遺跡で、次の時代に
全国のスタンダードとなる前方後円墳が完成した場所、というのは
東京にはないけれどな
本当に、九州説は論理的思考ができないから、詭弁一つまともに使えないw >>128
無いのは鉄鏃だけじゃないよな?
倭人伝に書かれてるものはだいたいないよ
次の時代ってわかってるじゃん
まきむくは卑弥呼の時代じゃなくて次の大和朝廷の時代
さらに言えば庄内期は言うほど大規模でも無いのはご愛嬌
詭弁で一つ(いや百個は使ってるか)で誤魔化してるのが畿内説 倭人伝が書かれた時点で卑弥呼の時代は終わっているので問題ない 何が問題ないのかわからないぞ。
ちゃんと言ってみろ、コミュ障。 >>122
都近くで鉄鏃が少ないなんて変
都には物資が集まってくるもんだ
非論理的な屁理屈の弁明だなw 各地から物資が集まる福岡を、「独自の文化を失い」云々としたせいで、畿内説は自己矛盾で崩壊するんだよ。 >>133
物資なんか集まってねえだろw
港町だったから舶来品はあったけど 各地の土器が集まっていた。
そして、土器だけ運んでいたわけはないので、中身の産物も福岡に集中していた。 >>135
>各地の土器が集まっていた。
違うよ
畿内の土器が良いなぁと思って、自分でも畿内様式の土器を作り始めるんだよ
それが、北部九州の中心地、奴国の比恵・那珂遺跡群
その勢力が、北部九州でも最初期の那珂八幡古墳を作る
完全に、大和纏向の協力者だよね! >>132
>都近くで鉄鏃が少ないなんて変
そう思うのは>>132が、纏向遺跡周辺に鉄鏃が「なかったと思っている」からだよ
「見つかっていない」と、「なかった」とはイコールではない >>138
纏向遺跡周辺に限らず関西では鉄鏃は出土は少ないから今後も出土する可能性は極めて低いな。 >>139
鉄鏃は倭国(阿波)でいっぱい有るんだから、纏向遺跡周辺だろうが関西だろうがそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 >>139
>纏向遺跡周辺に限らず関西では鉄鏃は出土は少ないから今後も出土する可能性は極めて低いな。
纏向遺跡の範囲内の、纒向石塚の北東200m近辺から、鞴羽口や鉄滓等が出土しており
鍛冶を伴う遺構であることは確実
鉄鍛冶をしていた遺跡、遺物が現に出ているのだから、畿内でも普通に鉄を使っていたのは
既に事実と認められる
鉄鏃が「出ていない」を、「なかった」とする理由もない >>141
>鉄鏃が「出ていない」を、「なかった」とする理由もない
見つけてから言え。
見つける前からあったはず、なんて誰でもどこでも言える。 >>142
数は少ないが、奈良盆地からも出ているよ
単に見つかっているのが少ないだけ つまり弱小の辺境じゃん。
奈良が邪馬台国でもいいなら、島根も徳島も、静岡や千葉さえ手を挙げるかもしれない。 >>144
鉄鏃も丹も倭国(阿波)でいっぱい有るんだから、奈良だろうが福岡だろうがそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 畿内派の中には「邪馬台国は畿内だが狗奴国は熊本県」ってのは昔からありふれてるが
じゃぁ、九州説の人で
「邪馬台国は九州だが狗奴国は東国(近江尾張説でも遠江駿河説でも)」
って人はいませんか? >>146
>後の時代のものねw
意味不明。 @阿波 九州説は、南の狗奴国が肥後熊本で、官の名前が菊池彦だというのが根拠の一つなので、東に読み替えたりしない。 >>151
後漢書なら読み替えなくても東ってことになってるからいいじゃん >>150
宮谷古墳からは三角縁神獣鏡が出土してるから4世紀以降の古墳だな。 >>149
>3世紀の阿波の鉄鏃なんてないだろ。
3世紀の筑紫の集落遺跡出土の鉄鏃なんてないだろ。 @阿波 >>156
>年代が違うでしょ。
年代がどう違うの? 弥生時代は3世紀じゃないの? @阿波
矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落
H6 鉄鏃
弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。この鉄鏃は弥生時代の
終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。
V.樋口遺跡発掘調査概要
樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり,眉山南側の数
少ない集落遺跡として注目される遺跡である。
3.出土遺物
今回の調査で出土した遺物としては,古式土師器0土師器・須恵器・瓦器,青磁,管状
上錘,鉄鏃・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。 >>149
>3世紀の阿波の鉄鏃なんてないだろ。
ところで、3世紀の筑紫の集落遺跡出土の鉄鏃なんてないだろ。 @阿波 >>159
そう。
だから「邪馬台国は九州で、かつ狗奴国は東国だ」という説は成立しうる
そもそも「邪馬台国は畿内で、かつ狗奴国は熊本県」という説があるんだから
「邪馬台国は九州で、かつ狗奴国は東国だ」という説だって当然ありうるだろ >>160
>「邪馬台国は九州で、かつ狗奴国は東国だ」という説は成立しうる
その場合、畿内はどうなってるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています