邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
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邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い >>271
国生みは倭国(阿波)が一番最初。 @阿波 >>272
>国生みは倭国(阿波)が一番最初。 @阿波
日本書紀には
及至産時、先以淡路洲爲胞、意所不快、故名之曰淡路洲。
意味するところ、不快、故にこれを名づけて曰く淡路洲
と書いてあるね
不快だから、吾の恥で、あはじしま >>274
>意味するところ、不快、故にこれを名づけて曰く淡路洲
「不快」の意味するところ、不明ながら、
つまるところ、日本書紀も古事記も倭国(阿波)の物語ということ。 @阿波 いやあ、一群の一書も含めて、淡路島の嫌われっぷりはすごいぞ
一応、粟は、淡路島(吾恥島)のアワではなく、
伊豫二名洲の粟國謂大宜都比賣のつもりなんだろうけれど >>1 !
おしい!
もう少し考えれ
畿内は狗奴国や! >>271
淤能碁呂島→おのころ島→御のころ島→御能古ろ島→御能古の島→能古島
「お」は敬称の御
古代「ろ」は現代の「の」
なんですとな。
>>275
8世紀に書き換えたんでしょうね。 和をもって尊しとすは卑弥呼擁立に端を発していると思う 九州説は、支配とか征服とか侵略とかの用語がお好きw 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>1
正解やな
ただしスレタイは不正解かも?正解は
邪馬壹国は場所不明で狗奴国は畿内だけど卑弥呼は伊都 >>276
>伊豫二名洲の粟國謂大宜都比賣のつもりなんだろうけれど
「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。
阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、
オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。 元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。 @阿波 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 >>287
>長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
最初の頃の龍は、伝説の神獣じゃなくて実在の動物だったんだがな
揚子江鰐だよ
長江下流域の実在の生物
それが、揚子江(長江)から離れた、鰐のいない地域に伝わる過程で伝説化していった
話の向きが逆 卑弥呼の都が邪馬台国なんだから、
邪馬台国が畿内なら、卑弥呼も都にいないとおかしいだろう まあ、こんなスレタイに興味を持つ人もそうそうはいないかw 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>296
>首都が戦争中なら田舎に避難はあり得る
だが、卑弥呼は以婢千人自侍の引きこもり
疎開していた形跡はない 【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲
邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 邪馬台国女王之所都と書かれているのに、どうして卑弥呼をその都から離さなきゃいけないんだ? 九州かどうかはわからないが
九州よりはるかに遺跡が少ないので
畿内の可能性はほぼ無い 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. やっぱり色々考えてみるに
「邪馬台国の女王卑弥呼」
を今の感覚に直すと
「日本国の県知事〇〇」
になるように思うんだよね。
「女王」はどの範囲の「女王」だったか
の争いが邪馬台国論争で。
卑弥呼がどの範囲の女王だったかの違い。 古代どころか江戸時代までお姫様なんてそこらじゅうにおったやろ
本来の語義では身分が高い女性がヒメ(媛・姫)や
ましてや自分たちで定義した女王ではなく外国人から見た判断やぞ ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 邪馬台国が畿内なら、邪馬台国が卑弥呼の都のある場所である以上、
卑弥呼も畿内にいる 魏志倭人伝には、卑弥呼が邪馬台国の女王などとは書いてない。
卑弥呼は倭王であり、その宮があるのが邪馬台国。
首相が東京にいても、都知事なわけではない。
都知事に相当する役職は別にいた。 長江やら江南なんて提唱している頭の湧いた考古学者なんて一人もいないが何か?
いるなら出してみな。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>318
>首相が東京にいても、都知事なわけではない。
>都知事に相当する役職は別にいた。
それが、佐治国の男弟や伊支馬以下の官だろ
どうやっても、一大率のいる伊都国周辺は邪馬台国にはならないよ 一大率は広域で内政を司る内務大臣、禰宜は伊都の官だから都知事、卑弥呼は国を代表する女王。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は之(一大率)を畏れ憚っている。
(一大率は)伊都国で(女王国から北の諸国を)常に治めていた。
(その様子は)魏で(皇帝が)刺史(を州に派遣し検察させて洛陽で治めているの)と同じようだ」の意味となる。
女王卑弥呼が一大率を任命して治めさせているのは自女王國以北(女王国を含む)の対馬海峡の国々である。
女王国が伊都よりずっと東の畿内にあったら、一大率が支配していたのは畿内とその北である若狭湾沿岸になってしまうが、伊都に置かれていたという記述と齟齬を生じる。
つまり女王国は伊都国を含まなくてはいけない。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国を含むことを示している。
「刺史」・・・各地方を治める監察官
「大率」・・・百済などにあった高級官僚の役職 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 畿内説って国家を撒きこんだ銭儲けだな
国民の多くは畿内説支持してねーのにな
畿内説独自で私利私欲なくアンケートとれよ
少し前だけどNHKのアンケートもどきでは九州説が圧倒的に優位だった 倍近く九州説支持じゃなかったかな
それもNHKは纒向を題材にしてたがな >>325
知ってるよ 畿内説の恥
NHKに売り込んだのは畿内説の某君とその仲間たち
アンケートは意外な結論で某君とその仲間たち真っ青
オモロイ番組だった >>326のような証拠の出せない主張ばかりするのが
九州説の恥ずかしすぎる特徴 ボケ老人が火病んなよ
ここは邪馬台国畿内卑弥呼九州説やから九州爺がファビョるのはスレ違いや
お引き取りくだせえ >>327
個人の感想だろ。
お前みたいなのが畿内説の恥なんだよ。 と、顔面明太子レッドにしてファビョりだす九州ジッジ>>329なのであった ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. いやいや、畿内説で卑弥呼は九州とか妄想以外の何ものでもないからww 卑弥呼はピミフだろ
日本人じゃないよ
今の北朝鮮かロシアの方の人じゃないの? 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>333
女親をパパと呼ぶのは日本人じゃないって主張するのかい?ww 邪馬台国が卑弥呼の都するところなんだから、別々に分けるのはおかしいだろ 248年に死んだのは、卑弥呼じゃなくて台与の方っていう説はありだと思う そんな魏志倭人伝に を無視したデタラメを書くなよ。 >>338
そうは言っても、2世紀末に共立されて、没年が248年では長生き過ぎるんだよ
桓霊の間に共立されて、卑弥呼が死んで男王の混乱があって、台与が立てられて
248年に死亡くらいで、ちょうどいいくらい
池田仁三氏が、古墳墓碑の解析からそういう説を唱えてる
まあ、トンデモなのは認めるww 247年(または248年)没を動かしたら、完全にファンタジーだよ。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>342
>247年(または248年)没を動かしたら、完全にファンタジーだよ。
ただ、桓霊の間に共立されて、247年(または238年)まで在位というのは
その時点で、ある意味ファンタジーだろう
桓霊の間に共立されて女王がいて、247年(または238年)に死んだ女王がいる
女王の名前として、卑弥呼と台与が伝わっている
というところまででいいような気もするんだがな 卑弥呼職名説でいいんだろ
台与は卑弥呼就任前の本名なだけ 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>346
>職名だろうけど、明らかに個人は識別されている。
まあ、年すでに長大と、13歳は同一人物じゃないわな 卑弥呼はアマテラスでお墓は箸墓
っていうんが自然な感じだけど >>350
もう少し勉強して、ほかスレなんかにも目を通してから書き込みなさいニワカ坊主 一部の神社で男神のアマテラスが祭られてるけど
ホントにそれで自然なの? >>353
太陽神が女神なのはゲルマン神話のSolと神道のアマテラスの2柱しかいなかったはず
別系統でアマテラスが男神でも特に驚きはしないだろ そもそも記紀にアマテラスが女神だと明記されてる部分ってあったっけ?
スサノヲも姉とは呼んでなかったはず
卑弥呼や神功皇后を比定するようになってからの後付のイメージがある >>355
>そもそも記紀にアマテラスが女神だと明記されてる部分ってあったっけ?
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。
また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。
穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。 @阿波 アマテラスが男と解釈されていた時代もあるらしいね。
天津神は基本的に男系を尊重するから、男性である方が自然だ。 「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。 @阿波 女王国ってのは卑弥呼がいた国って意味じゃなくて
論理上は「卑弥呼の支配下の国」だから、必ずしも1カ国じゃないんだが
魏志の本文ではほとんど奴国のことを指している。
だから事実上は女王国ってのは奴国のこと。
これなら卑弥呼も邪馬台国も畿内だとしても
女王国は九州で辻褄あうだろ>>1 阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、
オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。
元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。
こういう事実をだれも知らないし、語れない。 語れるのは倭国(阿波)のみ。 @阿波 _人人人人人人人人人人人人人人人_
> チョンコロがいるぞ殺せ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
倭人
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | ナウマン象U ・ | 死にたくないニダ!!!
三 と| ι| | 三┏<;`Д´ >┛
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U 三 ┛ ┓ 5chのお利口なみなさんへ
満州先生のご本のアマゾンレビューが出ましたのでお知らせします。
(後半のみ抜粋。詳細はアマゾンをご覧ください。)
また本作は邪馬台国論争を解く上でも無視できない必読書である。
なぜなら古代の地理を正確に把握していなければ、
卑弥呼がどこにいたかを論じることはできないからである。
たとえば著者によれば、漢四郡が置かれたのは今の大凌河と遼河の間であり、
楽浪郡と帯方郡は遼河の西にあった。
また著者は前作に引き続き、卑弥呼がいた可能性のある地域について研究し、
新たに四つの候補地を挙げている。
旧唐書の倭国と日本についても、著者は大半の人が気付いていない重要な指摘を行っていて、
それを読めば、旧唐書の倭国とは馬韓であり、馬韓は満州にあったことが分り、
卑弥呼は馬韓の女王であったという浜名寛祐説が正しかったことが分るだろう。 ´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
|||||
マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(
\ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
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| ,k.,.,!,.,.,r| ,! く / `ー一′丶
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{'〜:;} \ | ..::| : :::|::::::|;;;|
{_.:;}.... \ : :::| : :::|::::::|;;;| 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン、海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い 卑弥呼の座所あと邪馬台国が別の場所というのは考えなくてよい 結局、畿内と九州で人の往来はあるし、その往来の範囲・倭国で
一番栄えているところが都であり王の居るところ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています