邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. やっぱり色々考えてみるに
「邪馬台国の女王卑弥呼」
を今の感覚に直すと
「日本国の県知事〇〇」
になるように思うんだよね。
「女王」はどの範囲の「女王」だったか
の争いが邪馬台国論争で。
卑弥呼がどの範囲の女王だったかの違い。 古代どころか江戸時代までお姫様なんてそこらじゅうにおったやろ
本来の語義では身分が高い女性がヒメ(媛・姫)や
ましてや自分たちで定義した女王ではなく外国人から見た判断やぞ ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 邪馬台国が畿内なら、邪馬台国が卑弥呼の都のある場所である以上、
卑弥呼も畿内にいる 魏志倭人伝には、卑弥呼が邪馬台国の女王などとは書いてない。
卑弥呼は倭王であり、その宮があるのが邪馬台国。
首相が東京にいても、都知事なわけではない。
都知事に相当する役職は別にいた。 長江やら江南なんて提唱している頭の湧いた考古学者なんて一人もいないが何か?
いるなら出してみな。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>318
>首相が東京にいても、都知事なわけではない。
>都知事に相当する役職は別にいた。
それが、佐治国の男弟や伊支馬以下の官だろ
どうやっても、一大率のいる伊都国周辺は邪馬台国にはならないよ 一大率は広域で内政を司る内務大臣、禰宜は伊都の官だから都知事、卑弥呼は国を代表する女王。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は之(一大率)を畏れ憚っている。
(一大率は)伊都国で(女王国から北の諸国を)常に治めていた。
(その様子は)魏で(皇帝が)刺史(を州に派遣し検察させて洛陽で治めているの)と同じようだ」の意味となる。
女王卑弥呼が一大率を任命して治めさせているのは自女王國以北(女王国を含む)の対馬海峡の国々である。
女王国が伊都よりずっと東の畿内にあったら、一大率が支配していたのは畿内とその北である若狭湾沿岸になってしまうが、伊都に置かれていたという記述と齟齬を生じる。
つまり女王国は伊都国を含まなくてはいけない。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国を含むことを示している。
「刺史」・・・各地方を治める監察官
「大率」・・・百済などにあった高級官僚の役職 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 畿内説って国家を撒きこんだ銭儲けだな
国民の多くは畿内説支持してねーのにな
畿内説独自で私利私欲なくアンケートとれよ
少し前だけどNHKのアンケートもどきでは九州説が圧倒的に優位だった 倍近く九州説支持じゃなかったかな
それもNHKは纒向を題材にしてたがな >>325
知ってるよ 畿内説の恥
NHKに売り込んだのは畿内説の某君とその仲間たち
アンケートは意外な結論で某君とその仲間たち真っ青
オモロイ番組だった >>326のような証拠の出せない主張ばかりするのが
九州説の恥ずかしすぎる特徴 ボケ老人が火病んなよ
ここは邪馬台国畿内卑弥呼九州説やから九州爺がファビョるのはスレ違いや
お引き取りくだせえ >>327
個人の感想だろ。
お前みたいなのが畿内説の恥なんだよ。 と、顔面明太子レッドにしてファビョりだす九州ジッジ>>329なのであった ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. いやいや、畿内説で卑弥呼は九州とか妄想以外の何ものでもないからww 卑弥呼はピミフだろ
日本人じゃないよ
今の北朝鮮かロシアの方の人じゃないの? 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>333
女親をパパと呼ぶのは日本人じゃないって主張するのかい?ww 邪馬台国が卑弥呼の都するところなんだから、別々に分けるのはおかしいだろ 248年に死んだのは、卑弥呼じゃなくて台与の方っていう説はありだと思う そんな魏志倭人伝に を無視したデタラメを書くなよ。 >>338
そうは言っても、2世紀末に共立されて、没年が248年では長生き過ぎるんだよ
桓霊の間に共立されて、卑弥呼が死んで男王の混乱があって、台与が立てられて
248年に死亡くらいで、ちょうどいいくらい
池田仁三氏が、古墳墓碑の解析からそういう説を唱えてる
まあ、トンデモなのは認めるww 247年(または248年)没を動かしたら、完全にファンタジーだよ。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>342
>247年(または248年)没を動かしたら、完全にファンタジーだよ。
ただ、桓霊の間に共立されて、247年(または238年)まで在位というのは
その時点で、ある意味ファンタジーだろう
桓霊の間に共立されて女王がいて、247年(または238年)に死んだ女王がいる
女王の名前として、卑弥呼と台与が伝わっている
というところまででいいような気もするんだがな 卑弥呼職名説でいいんだろ
台与は卑弥呼就任前の本名なだけ 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>346
>職名だろうけど、明らかに個人は識別されている。
まあ、年すでに長大と、13歳は同一人物じゃないわな 卑弥呼はアマテラスでお墓は箸墓
っていうんが自然な感じだけど >>350
もう少し勉強して、ほかスレなんかにも目を通してから書き込みなさいニワカ坊主 一部の神社で男神のアマテラスが祭られてるけど
ホントにそれで自然なの? >>353
太陽神が女神なのはゲルマン神話のSolと神道のアマテラスの2柱しかいなかったはず
別系統でアマテラスが男神でも特に驚きはしないだろ そもそも記紀にアマテラスが女神だと明記されてる部分ってあったっけ?
スサノヲも姉とは呼んでなかったはず
卑弥呼や神功皇后を比定するようになってからの後付のイメージがある >>355
>そもそも記紀にアマテラスが女神だと明記されてる部分ってあったっけ?
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。
また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。
穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。 @阿波 アマテラスが男と解釈されていた時代もあるらしいね。
天津神は基本的に男系を尊重するから、男性である方が自然だ。 「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。 @阿波 女王国ってのは卑弥呼がいた国って意味じゃなくて
論理上は「卑弥呼の支配下の国」だから、必ずしも1カ国じゃないんだが
魏志の本文ではほとんど奴国のことを指している。
だから事実上は女王国ってのは奴国のこと。
これなら卑弥呼も邪馬台国も畿内だとしても
女王国は九州で辻褄あうだろ>>1 阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、
オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。
元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。
こういう事実をだれも知らないし、語れない。 語れるのは倭国(阿波)のみ。 @阿波 _人人人人人人人人人人人人人人人_
> チョンコロがいるぞ殺せ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
倭人
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | ナウマン象U ・ | 死にたくないニダ!!!
三 と| ι| | 三┏<;`Д´ >┛
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U 三 ┛ ┓ 5chのお利口なみなさんへ
満州先生のご本のアマゾンレビューが出ましたのでお知らせします。
(後半のみ抜粋。詳細はアマゾンをご覧ください。)
また本作は邪馬台国論争を解く上でも無視できない必読書である。
なぜなら古代の地理を正確に把握していなければ、
卑弥呼がどこにいたかを論じることはできないからである。
たとえば著者によれば、漢四郡が置かれたのは今の大凌河と遼河の間であり、
楽浪郡と帯方郡は遼河の西にあった。
また著者は前作に引き続き、卑弥呼がいた可能性のある地域について研究し、
新たに四つの候補地を挙げている。
旧唐書の倭国と日本についても、著者は大半の人が気付いていない重要な指摘を行っていて、
それを読めば、旧唐書の倭国とは馬韓であり、馬韓は満州にあったことが分り、
卑弥呼は馬韓の女王であったという浜名寛祐説が正しかったことが分るだろう。 ´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
|||||
マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(
\ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
\ヽY~~/~y} `/~,/ ∧ ∧
| ,k.,.,!,.,.,r| ,! く / `ー一′丶
<ニニニ'ノ \/ : : :: :: :::::ヽ
. ▼ >、/⌒ヽ | : : :: :: :::::::::l
─‐⊥‐ッ'-‐y' / i_ ヽ、 : : :: :: :::::::/
`⌒ー′ | |::| )゙ ..::::〃:ィ´
\ | |::| /" '' : : ::⌒ヽ
____ \=::|. i 、 : ::::|____
{'〜:;} \ | ..::| : :::|::::::|;;;|
{_.:;}.... \ : :::| : :::|::::::|;;;| 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン、海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い 卑弥呼の座所あと邪馬台国が別の場所というのは考えなくてよい 結局、畿内と九州で人の往来はあるし、その往来の範囲・倭国で
一番栄えているところが都であり王の居るところ /)
///)
/,.=゛''"/ 畿内チョンの言うことなんて
/ i f ,.r='"-‐'つ____ テキトーに論破しときゃ良いんだよ
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゛フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ / 朝鮮 Fantasy
支那 プロパガンダ 魏志倭人伝
日本 History
仲哀天皇の妻・神功皇后が、渡来人のヒミコを征伐して九州を平定したのが史実。 卑弥呼が倒されたという記録はない。
神功皇后の実年代は卑弥呼の120年ほど後と考える向きが多い。 /)
///)
/,.=゛''"/ 畿内チョンの言うことなんて
/ i f ,.r='"-‐'つ____ テキトーに論破しときゃ良いんだよ
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゛フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ / >>375 ようつべ
神功皇后と卑弥呼【前編】【CGS 家村和幸 闘戦経 第24回】
神功皇后と卑弥呼【後編】【CGS 家村和幸 闘戦経 第25回】 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。 >>376
認識がおかしい
半島人が好むのは九州説であり、間違った認識の押し付けをしているのが半島人だ 私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している
(池田次郎・京都大学名誉教授)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い
(中橋孝博・九州大学大学院教授)
熊本は古来より北からの流れと南からの流れが見事に交錯してきた美人の産地
(松下孝幸・土井ヶ浜人類学ミュージアム館長) 卑弥呼の死後、邪馬台国は宇佐国の台与媛が引き継いだ。
台与は豊であり、豊前・豊後の支配者の娘だった。
豊の孫の神武は火山の大噴火と津波で大きな被害を受けた後、
宇佐を訪れて東征を相談している。 壹與は肥前河上の與止日女神社の主。
淀姫として畿内にも勧請され、淀川の由来にもなっている。 賊軍の卑弥呼(孫子の兵法に通じた渡来人)。
クマソ成敗。
九州はアクの溜まる地だ! 今日の朝日に日田の鉄鏡の記事があるが、
話題にすらなってないとか、どんだけやねん >>386
そりゃ、阿波のニュースのようにはいかんわね。 @阿波 >>387
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww >>380
ヘイトスピーチって言い出すのは半島関連の人脈の人だけだよww >>393
その卑弥呼の都がある邪馬台国が、「其山有丹」に該当する倭国(阿波)。 @阿波 その卑弥呼の都がある邪馬台国が、「其山有丹」に該当する倭国(阿波)。 @阿波 今風で言えば住民票は畿内だけど、実際に住んでるところは九州です。みたいな話だろう。 >>396
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>395
その卑弥呼の都がある邪馬台国が、「其山有丹」に該当する倭国(阿波)。 @阿波 泡は目の上のたん瘤! だから、泡は引っ込め!
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています