歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ44
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前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ43
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1515715115 >>98
神様を祭ってあれば神社です。どういう意図で聞いてんのかが疑問で答えにくいけど。 では白鵬は神社でしょうか? それとも宮城野部屋がなのでしょうか?
お答えお願いします >>98ですが、レス、ありがとうございます
しかしながら、神社に入るのか入らないのか、
それだけでも意見が分かれますね
自分は単純に知りたいだけで、別に意図はありません >>101
おおかた、神棚と神社の境界はどこかをたずねたかったんじゃないの? >>104
そうですか。日本では一口に神様と言っても天照大神のような天津神、大国主命のような国津神から
菅原道真や織田信長、乃木希典など歴史上の偉人、さらには江戸時代の義民までいろいろあるので
区別つけようと思えばいろいろな見解がありえます。 >>105
俺も神棚も神社に入れようかと思ったけど一応線を引いてみた。
台所には荒神様が祀ってあり、船には船魂様が祀ってあり、厠には厠神がいる。
道端には道祖神もいる。それらと神社とどんだけ違うのか、難しいところだ。 鳥居元忠ってなんで島津とか小早川の入城を断ったんですか?
両者を味方にしておけば死ぬこともなかったんじゃ >>108
そりゃあもう家康の天下になることはわかっていたから
鳥居元忠は死んだけど嫡男の鳥居忠政は
父の忠義を家康に称賛され関ケ原後10万石の大名に取り立てられた
更に大坂の役のときは江戸城留守居役で実際には戦っていないが24万石もらってる >>108
小早川は知らんが、島津の伏見城入城話は、
戦後に島津家保身のために言い出した方便なんじゃないかとw
だってあの時の島津義弘の兵はたった3百だぞ
伏見城の鳥居勢1800人に合流しても2100人、
西軍4万に攻め込まれたら、玉砕するだけだ
島津義弘は戦国きっての猛将だとは思うが、
家康のためにわざわざ捨て石になって命を差し出すのかなと思ったり 日本政府は我々沖縄人を日本民族と決めつけているが、これには民族学的根拠は何一つない。
日本政府が琉球民族に関する研究や調査を行った事実もない。
そもそも民族の帰属に関する問題は日本政府の専権事項ではない。
民族の帰属問題が日本政府の専権事項だというなら憲法13条で保障されている「幸福追求権」の一部とされる自己決定権を日本政府自らが侵していることになる。
しかも政治家は民族学者ではないから民族学に関しては素人である。
民族学の素人である政治家が民族問題を語ったところで何ら説得力はない。
それどころか日本政府は「民族」の定義、あるいは「日本民族」の定義すら説明できない。
にもかかわらず我々沖縄人を日本民族と決めつけているから実に滑稽極まりない。
日本政府が「沖縄人は先住民族」と決めた国連の勧告を受け入れたくないのは「沖縄への基地の押し付けは民族差別」だと指摘され、国内外から批判を浴びることを恐れているからである。 <お願い>
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沖縄は日本固有の領土ではない
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523031912/ 歴史上、天皇を上回る権力を握った者は
たくさんいますが、天皇を上回る権威を
握った者はいますか?
権威の定義は難しいと思いますが、
よろしくお願いします
いる場合はそれが誰かご教示ください ジャイアントコーンそっくり…韓国でまた日本製品の盗作疑惑=韓国ネット「日本がいなくなったらどうする?」「韓国独自のものはない?」
ttp://www.recordchina.co.jp/b591194-s0-c30.html >>115
織田信長が天皇を超える権威確立を構想していたという説あり
いわゆる信長神格化説で、
天皇が任命する神号を使わず、
あえて天守閣ではなく「天主」閣と名付けたり、
御神体の石を設置して拝ませていたという 時代的にはマキャベリの学説くらい宣教師から聞いてたろうから直感的に王権神授説に独自にたどり着いてた可能性くらいはあるね。
ホッブスが登場するのは信長の後だけど。徳川綱吉の代に日本に来たケンペルは「日本誌」のなかで将軍(大君)が神のようにあつかわれ
てると驚いてる記述がいくらでもあるから、日本人にしてみれば徳川の上には天皇が権威としていて徳川は武家の棟梁にすぎない、なんて
位置づけをしがちだけれども、南蛮人の視点からすれば徳川の世も神権政治が行われてるほどの権威を大衆は感じていたと思われる。
私がこの国を旅行したとき、皇帝(将軍)の命令を公衆に告げ国法を公布するために、特別に路傍に設けられた場所とそこに掲示された高札を見、
その法文の簡素簡約なことにたいへん驚いた。その法文は単に臣民のなすべき事と避けるべき事について、なるべく少ない言葉をもって記す
のみであって、その法令の制定の由来だの理由だのは示しておらず、そればかりか違反に対する制裁についても確たる刑罰が明記されていない。
法文がこのように簡約なのは、すなわち強大な君主の権威にふさわしいところである。君命の可否を議論することがすわなち大逆罪であるのだから、
法令の理由はこれを発する君主が自らこれを知れば足りるのである。(ケンプエル江戸参府紀行) その後半部分は事実からの考察であって「権威を大衆は感じていた」証拠ではないんじゃないの >>123 西欧人の眼から見ればそう見えたということだよ 江戸時代以前に天皇はどうみられていたかは専門家でも見解が割れているようだが、
天皇の存在は古典や百人一首等で庶民層にも知られていたにせよ、
天皇の権威性が庶民層にも定着していたとは考えにくい
将軍様やお殿様(大名)の存在のほうが、
庶民からすれば権威があって権力があったとみるべきだろう 「天下の副将軍」である徳川光圀がお忍びで諸国を旅して、
悪代官を退治して庶民を救済する物語が流行したことに、
庶民が徳川に権威と権力を感じていたことが読み取れる >>124
三法師がお庭で遊んでて、
池に石を投げたら、石が池に沈んでしまい、
慌てて小姓が池の中を探したが、どれがご神体の石かただの石かわからなくなって、うやむやになったに一票 >>124
光秀討伐直後頃に安土城は焼け落ちてるから、上層に置かれてた石は焼け落ちて落下したんじゃないかな
礎石に混じってしまって判別できない状態で今も転がってるかもしれん 東海道五十三次で有名な安藤広重がいつの間にやら歌川広重になっていました
なんでも安藤は本姓で広重は号なので、この組み合わせはおかしいということに
なったらしいですね
安藤広重から歌川広重に正式に変わったのはだいたいいつ頃だったのでしょうか?
全く気付きませんでした 沖縄にはシーミー(清明祭)という先祖を供養する伝統行事が毎年4月上旬頃にあるが、このシーミー(清明祭)という沖縄独特の伝統行事は前近代の近世に中国から琉球王国に伝わって、それを我々の祖先が継承してきたものだから日本固有の伝統行事ではない。 <お願い>
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沖縄は日本固有の領土ではない
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523031912/ 沖縄では異民族の日本人をヤマトゥンチュと呼んで自分たち沖縄人はウチナーンチュという。
異民族の日本人をヤマトゥンチュと呼ぶのはウチナーンチュである沖縄人が自分たちを日本人とは思っていないことを証明しているし、その感覚はウチナーンチュである沖縄人のエスニックアイデンティティーそのものであると言える。 >>133
マルチコピペは5ちゃんねるにおけるルール違反だからやめなさい! >>127
水戸黄門が諸国をめぐって悪代官を処罰し世直しをする
「水戸黄門諸国漫遊記」は明治20年の発刊でそんなに古い時代じゃないけどな
映画や歌舞伎で水戸の黄門さまが大人気になるのは明治末期だし
その頃には日本は軍国主義で各小学校に天皇皇后の写真を飾って毎朝敬礼してたから
さすがに天皇陛下を知らない国民はいなかったし 室町〜戦国時代の天皇と江戸時代の天皇
(幕末除く)では、どちらの方が
相対的に天皇権威や財力が衰えていたと
考えられますか?
室町時代はお金がなくてお葬式も出せなかった、
とか、江戸時代は御所から一歩でるにも
許可が必要だった、とか、とにかく
天皇権威が一番衰えていた時代は室町〜
戦国時代と江戸時代(幕末除く)の
どちらかだと思います >>136
江戸時代の人は黄門様が諸国を漫遊したり他所の藩の内政に首を突っ込んだりしないのは知ってるし
水戸家が「天下の副将軍」でないことも知ってるからなぁ。
>>137
江戸時代の朝廷は戦国時代ほどは金に困ってないでしょう。幕府が監視するのも権威があるからだし。
戦国時代は権威もないからほったらかしだ。 >>137
室町時代、特に中葉でしょう
後半ぐらいになると将軍が都落ちして不在の時が幾度もあって、
そんなときに将軍でなく朝廷を頼るものが出たことがあったりして、
戦国時代に入る頃から天皇の権威が戻りだしてる感があります >>136
水戸黄門が諸国を渡り歩いたというお話は宝暦(1750年頃)年間の
『水戸黄門仁徳録』で登場する
そして幕末頃には講釈師のネタとしても取り上げられていた >>140
「水戸黄門仁徳録」読んだことないだろ
ほぼ史実に基づいた伝記で諸国放浪していない
助さん格さん従えて諸国放浪は「水戸黄門諸国漫遊記」 >>133は沖縄板の通称「固有」
正論返しても何年も同じ事を書くから
もう沖縄人にも相手にされてないが工作してるつもりなのか?
得意ネタは
佐藤優
水戸黄門
固有の領土
エスニックアイデンティティなど
複数IDを使って別人装う事もしているらしい <お願い>
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沖縄は日本固有の領土ではない
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523031912/ 皆さんもどこかで見かけたらの爆サイの沖縄板かここの沖縄板でもいいですから
帰るように言ってくださいお願いします
隔離できたらいいんですけどね >>138-139
ありがとうございました
江戸時代(幕末除く)よりも室町〜戦国時代の方が権威が落ちていたっぽいですね
特に戦国期になる前の室町中期が底だったっぽいですね
参考にします
ちなみに順番は@室町〜戦国期A江戸期(幕末除く)で間違いはないですかね
もし可能ならB〜Dの時代をご教示頂ければ幸いです 朝廷の国府ですが政庁としての機能はいつ頃まで存続していたのでしょうか?
やはりこれも応仁の乱まででしょうか?
室町幕府の守護が国府の政庁機能を代行して、国衙領を管理していた官人を部下に組み入れた時点で政庁としての使命を終えたと理解して良いでしょうか。
室町時代に国府が廃絶したにしては、国府の跡地が不明な地域が多すぎるような気がします。 室町時代には国庁の大多数は機能してないでしょ、守護が役割を代行する守護請けばっかりに変わってるよ
南北朝時代後半ごろには機能喪失したんじゃないかな >>146
今からすると、天然の大都会になるような地形じゃないところばかりだからな。
あの時代は大河川を制御する技術がなかったからな。 もともと国府、国庁の位置は固定じゃなくて、けっこう変わってたっぽいんだよ
国司の権限が減って以後に移転してた国庁とかだと、古代の国庁より小規模で整備されてもいなかったと思われるし、室町時代に残存してた国庁の多くは当時ですら痕跡レベルだったのでは?
南北合一の時点でも国衙領はほとんど残存してなかったようだし、南北弔辞だの時点で国庁の大半が機能喪失してたのではないかって気がするなあ
>>148
大河川はともかく、中規模河川の沿岸ぐらいのとこは多かった気がするけど 家康は紀伊に親藩を置きましたが
そんなに重要な位置だったのでしょうか? 御三家の成立はあくまで分家筋の就封の扱いで尾張の藩祖義直は兄の忠吉(秀忠の下)に
子が無かったから仮に入れられ、紀州と水戸は温暖で街道筋でない場所という程度の動機で
就封された気配がある。藩祖の頼宣は水戸や駿府をたらいまわしにされた絵にかいたような
冷や飯食いだし、紀州の先任が外様の浅井であることや、戦国時代は雑賀党やら熊野水軍
やらが跋扈し高野山やら山伏党やらがウルサイ土地だったことかんがえても就封当時の
判断からすれば冷や飯食いの延長だったようには思われる。結果的には温暖で山海の産物が
豊富で江戸廻船の重要な退避港をいくつもかかえている紀州が徳川にとって特別な場所に
なったのだろうけれども、それはしばらくしてからの事だろう。 豊臣にゆかりがあって幕府に疑われてる浅野が甲府から紀州に移され、さらに西国の要地だけど
遠国の広島へと追いやられてたまたま紀州が空いていたんでちょうど良かったってこともあるかなぁ。
難しい土地だから幕府から付家老がついて目が届きやすい親藩を配したということもあるかもしれない。
付家老ってのはこんな感じ
「将軍の一族から大名に取り立てられた人物には、小姓などの側近を除いて固有の家臣はいないので、
藩政を担う家老はみな将軍家から付けられた者となるが、ここでいう附家老は、政務や軍事の補佐を
行うとともに藩主の養育の任も受け、江戸幕府の意向に沿うことも期待されていた。したがって身分と
しては、藩主の家来というよりも将軍直属のお目付け役という性格が強い。」 >>153>>154
成る程です、浅野の転封の成り行きもあったんですね
最強の傭兵集団と外様が強く結ばれては困りますもんね
地形を見ても山だらけで治めるのは苦労したでしょうが
大阪江戸間の海洋ルート的には重要そうですね >>153
もしかしたら越前にも御三家クラス大大名が成立してたかもしれないんだよね、早期につぶれなかったら。
もし成立してたら尾張や紀伊より上だったかも >>153
和歌山県って現代は秘境みたいなとこだけど、戦国-江戸時代は輝いてるよな
山口とか佐賀もか 紀州徳川は内陸のぞいて伊勢までぐるっと封土だから大藩だよ
まあ石高実収そのものはすくなかったみたいだけど 158
戦国はもっと秘境だから雜賀や伊賀根来、山伏、柳生みたいな賊徒が横領ばっこしてんだが? >>111
琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、
現在の琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は台湾や大陸の人々とつながりがなく、
日本本土により近いという研究成果を発表した。 2014/9/17 琉球新報
同 プレス発表
http://www.u-ryukyu.ac.jp/univ_info/announcement/data/press2014091601.pdf >>156
忠直がやらかさなかったら幕末の状況も変わってたね。福井藩が大藩なら春嶽が自分で京都守護職を
務めるから会津藩は巻き込まれなかった。 >>160
雑賀は全国有数の裕福な町だったんだがな、戦国時代には。 >>158
いつ時分、どんなふうに、和歌山が輝いてたよ?
幕末の一時期、蟻の熊野詣とかくらいしか輝いていた時期ねーよ >>152
紀伊に御三家が入ったのは二代将軍秀忠の時代ね
家康存命中の紀伊は浅野氏が支配していた >>163
松平春嶽は政事総裁職で江戸詰め
京都には赴任しないのでは?
容保は春嶽ほど家柄がいいわけではない(高須藩主の子、会津藩養子)
春嶽は御三卿の田安家出身で11代将軍徳川家斉の甥
血筋だけなら将軍になってもおかしくなかった
(親藩の福井藩へ養子に出されたためダメだったが) 夜伽も聞き耳立てられてる将軍なんてなりたくはないだろう >>167
えーだってお前がやれって言われた時に福井藩は小藩で武力がないって断ったんじゃなかったっけ?
ドラマとごっちゃにしてるかもしれんが。 ここで扱うには重いテーマかもしれないけど、なぜ1930年代はテロとクーデターの時代になってしまったんでしょうか。
国際協調、軍縮、政党政治の進展がみられた1920年代との落差が激しすぎます。 そのあたりは近代史板かなあ。日本だけの話しでもないし。テロでいえば
1880年モハンヨンスト「爆弾の哲学」が世界に与えた影響が甚大で、大隈重信は
爆弾なげられて右足うしなったし重光葵も片足やられた。幸徳事件は未遂だったけど
こういう流行ものが下地にあっての511や226だから、じぶんの都合のよいところから
起筆しはじめて因果を論じても偏見まみれの政治的宣言にしかならんのだよ。
テロがおきるのはダイナマイトが開発され普及したからだと技術的に論じるくらいしか
客観的な叙述などできない。それ以前なら短刀を突き立てるくらいがせいぜいだったのだから。 173氏の論調によれば1920年代が良くて1930年代がひどい時代だという前提があるから
キミにとって納得できる回答はきみの前提してる結論を肯定したところから起筆されていなければ
ならないだろう。ところがそういう前提自体に根拠などない。社会主義運動でいえば1911年の
辛亥革命が20世紀にあたえた最初の衝撃だし、その前段階に不可避の因果として日清日露の
戦争もあるし、辛亥革命の不可避の因果としてロシア革命もある。 多くの人の生活が安定してると社会は安定するし不安定な人が増えると社会不安、凶悪事件も増えるしテロも増える
そういう傾向はあるよ
世界恐慌の影響が強かった1930年代にテロや政変が増えたとしてもむしろ当然かと 20年代がよかったってのも都合のいいところだけ解釈してるだけで、日本の場合は第一次大戦後の恐慌で
「大学は出たけれども」の時代で、なおかつシベリア出兵という陰鬱な時代だったわけでな。それ無視して
おいてアメリカの好調な経済に言及して「繁栄し好調な20年代」とかやらかすんだよ(´・ω・`) なお大恐慌は日本を悲惨のどん底に叩き込んだみたいなイメージを理由なく
もってる人間が多いが、大恐慌の被害をもっともうけたのはアメリカとドイツで
あって、日本は1931年にはすでに底をうち33年には29年の景気水準に回復
35年には景気が良すぎてインフレが問題になり、緊縮財政を主張した高橋と
軍部が対立して226の遠因になった、というあたりも示しておきたい。ことほど
さように「小説家」が事実を無視して都合のよいストーリーで軍部が悪いという
結論をもとに史実を再編成するのだ。だからこういう話題は近代板でお願いしたい。 大恐慌の被害をもっともうけたアメリカとドイツが次の戦争を始めた
ってことだろ でもなあ・・・
史実を再編成するのだ、と、こういう話題は近代板でお願いしたい
を、なぜか「だから」でつなげちゃう>>178がいくら力説してもなあ・・・ サヨクに利するものの人権は最大限守られねばならないが、サヨクの敵には人権を認めない昨今の風潮で、
その時代の話は難しんだよね。
国家社会主義独逸労働者党がソビエト社会主義共和国連邦と手を結び、独逸国内の共産主義者を攻撃した。
なんて話を高校の授業でやれる教師なんかまずいないし、大学の近代西洋史の講義で担当者に
「共産主義者と社会主義者の違いを端的に説明して」と訊ねても、まともに答えは返ってこないのが現実。
何故独逸はナチスの台頭を許したのか、ナチスの経済政策に目新しいものはないのに、成功と失敗の分かれ目は何なのか、
社会主義者で構成されたニューディーラーの経済政策はケインズに明確に否定されたのに、
何故現代でもニューディール政策を評価する声が止まないのか。
学問に思想を持ち込まれるのは正直辟易する。 >>171
青歯王っていうと、PCやスマホで使われる無線のひとつbluetoothの名前の元ネタになったという、あちらでは有名らしい王だね 近代史は現実に隣国がこれを国際犯罪として政治的に利用してるからね
日本史板ではこの期間については扱いたくない話題だね この痴呆のオツムでは隣国の政治利用うんぬんが5ちゃんねるの日本史板と関係あるらしい 古代史も利用しているや。邪馬壱国なんて未だ小説上の国家でしかないのに… 邪馬台国は「ヤマトコク」と訓読されるべきものだと思うのですが >>181
今はウヨクに利するものの人権は最大限守られねばならないが、ウヨクの敵には
人権を認めない昨今の風潮だけどな。
まあ極左のスターリンも極右のヒトラーも恐怖政治という意味では似たもの同士だ 大化の改新〜平安時代初期の天皇は全員とは言いませんが権威と権力を
併せ持った存在でした
近代の明治、大正、昭和の天皇は高い権威がありましたが、権力は
持っていませんでした
古代の権威と権力を併せ持った存在の天皇の権威(だけ)と、
明治、大正、昭和の天皇の権威はどちらの方が強かったと予想されますか?
権威だけを論点にすれば、やはり近代の天皇の権威の方が上でしょうか? 戦前だって天皇は権力を行使していたぞ
確かに立憲君主制で権力行使が制限されてはいたが、今のような無権力の象徴天皇制
とは違う
あと国家神道の成立と教育勅語で、
天皇権威の「浸透度」と「絶対度」は、前近代(古代含めて)と比べて
飛躍的に強まったといえる >>188
でも、党名に社会主義とか労働とか入ってるんだよね、
名前だけみたら左翼政党にしか見えないナチス 個人としての天皇の権限は古代のほうが圧倒的に上でしょ。主要官庁や軍団長に親族が
いくらでもいる体制なんだもの。逆にそれだからしばしば皇族同士で戦うことになり暗殺
される天皇まで出てくることになった。大正以降は側室まで停止されたのだから権力の有無
など自明 1979年5月31日付の読売新聞には、尖閣諸島の領有権問題に関することが社説に書かれている。
当時の読売新聞の社説には日中両国による「棚上げ合意」が存在することが書かれていて、「これを順守するのが筋道である」とも書かれている。
その読売新聞が、2013年1月26日付の社説では次のように書いている。
「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない。日本政府の立場を堅持することが肝要なのに、気がかりな点がある。
山口氏が訪中前、香港のテレビ局に対し『将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ』と述べ、『棚上げ論』に言及したことだ。
山口氏は習氏らとの会談では触れなかったが、看過できない発言だ。棚上げ論は、中国の長年の主張である。
先に訪中した鳩山元首相は、尖閣諸島を『係争地だ』と述べた。領有権問題の存在を認めたことなどから、中国の主要紙が大きく取り上げた。中国に利用されていることが分からないのだろうか。
国益を忘れた言動は百害あって一利なしである」
つまり、尖閣諸島の領土問題に関して「棚上げ合意が存在する」ことを社説で主張していた読売新聞が、手のひらを返して、今度は「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」と社説に書いているのである。
先日、読売新聞の読者センターに電話して、この矛盾を指摘してみたところ、読売新聞の社員は何一つ反論できなかった。 >>162
その調査はヤマトゥンチュ(大和民族)が行ったものであってウチナーンチュ(琉球民族)が行ったものではない。
民族の定義は「地域的・人種的起源が同じで、言語や宗教など伝統的文化と歴史的運命を共有する人間の集団」だから、
ヤマトゥンチュ(大和民族)である日本人とヤマトゥンチュ(大和民族)ではない我々ウチナーンチュ(琉球民族)=沖縄人は歴史的運命を共有していないので同じ民族ではない。
@沖縄県那覇市首里石嶺町4丁目 ウチナーンチュ(琉球民族) <お願い>
・既に専門スレがあったり、板違いの質問や議論、主張があったりする場合は、速やかに誘導してください。
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<専門スレ >
沖縄は日本固有の領土ではない
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523031912/ >>195
マルチコピペは5ちゃんねるのルール違反。 >>191
ナチスはお前と同じ左翼だよ
認めたがらない真実がそこにはある。 >>192
権限や権力の話なんか出てないやろ
権威の話やろ 権威と言われれば測定のしようがないんだがそもそも。大化の改新以降、
唐制を導入して律令体制でやってきて、鎌倉殿ですら権威の上では皇室を
上において式目は適用外としていたくらいなんだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています