厳島神社神主家の友田家は戦国大名化していたな
出雲の尼子に通じて大内氏と戦ったが、敗れて自害した

さて厳島神社といえば平家だが、
壇ノ浦の戦いで二位尼が幼い孫の安徳天皇を抱いて入水したことは有名なお話だが、
何で安徳天皇を入水させる必要があったのかが疑問だ
源氏方も後白河法皇も、安徳天皇の帝位は退位させたが(後鳥羽天皇が既に即位 平家は認めず)
安徳天皇の命を奪おうとはしていない
さすがに天皇(先帝でも)の命を奪おうとは考えもしないのではないか
暴れ者の木曽義仲ですら、後白河法皇を幽閉しただけだし、
保元の乱でも崇徳上皇は流罪で済んでいる

「波の下にも都がございます」と二位尼が安徳天皇に言った「悲しき美談」となっているが、
幼い孫の命を助けられるなら助けるべきだったと思うね