★★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★
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邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。
10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015年久住編年でもこれが最有力。
そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人としてヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。
わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃)C懿徳
ヒメ踏鞴 B安寧
ヒメ踏鞴 A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武
神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。
つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。
※考古学的根拠「国宝」中平銘鉄刀・和邇氏の系図は>>2 >>100
九州王朝だよ。
ただし主な記録は記紀の編纂と同時に禁書令が出て消滅された。
焚書だね。 征服者が偉そうにするのは良くないな。
地元の民が一番。
所詮征服者の王朝など長続きしない。 >>103
出た!
九州王朝 禁書 消滅www
楽なもんだなw >>88
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのサギブキジジイ! >>105
禁書の詔が出されたことは確かだからね。 >>109
「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」
『続日本紀』
元明天皇和銅元年(七〇八)正月条 聖徳太子と蘇我馬子が編纂したと言われる『国記』『天皇記』は、
おそらく葛城史観で書かれてたと推測している。
日本では崇神天皇の時代にクーデターがあった。
出雲の神宝が奪われ、
出雲国造が置かれ、
最後の大物主(阿田賀多須」の鎮靈のために大神神社が建てられた。
倒された前王朝のルーツは葛城にあった。
そして蘇我は葛城出自であることを自称している。 >>110
だからと言ってなんで九州に王朝があったなんてヨタ話になるの? >>112
九州にもともと王朝があったことは弥生墳墓からおおよそ確定。
問題はいつまでそれがあったのか。
一番遅くにまで仮定するのが九州王朝説だが、その滅亡の時期は白村江の敗戦の少し後で、まさに禁書令の直前になる。 『日本書紀』皇極4年6月条に
蘇我蝦夷等誅されむとして悉に天皇記・国記・珍宝を焼く、船史恵尺()、即ち疾く、焼かるる国記を取りて、中大兄皇子に奉献る
焚書とはこの国記だろう。
それを九州王朝だなんて訳わからん。
やれUFOだネッシーだと同じ次元。 >>113
平原かい?
王朝なわけないだろ。
平原・曽根遺跡群は5世紀まで墳墓があるのだが、
その貧弱さは王朝などととても言えやしない。 「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」
『続日本紀』
元明天皇和銅元年(七〇八)正月条 >>117
>台与の代で伊都から出た
ちょうど那珂八幡古墳の頃だ。
那珂八幡って誰の墓? 壹與と誘導したいのかな?
残念でした!
祇園山古墳でした! >>111
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのサギブキジジイ! >>120
祇園山古墳は5世紀の須恵器の時代まで続いた集団墓。
バカなのかw いくらなんでも、そんなに長く墓地を使い続けるとは思わないけど。
畿内説は自説に矛盾する事実を言いくるめようと嘘を吐くからな。 >そんなに長く墓地を使い続けるとは思わないけど
思う思わないではなく事実。
それはともかく祇園山の主体埋葬部の調査は済んでるのか?
どっちみち2世紀前半の男王の墓まで説明しなければいけないのだから無理だよ、あきらめろ。
まぁそれ(説明)は纏向も無理なんだけどね。 筑紫の話なんてどうでもいいのだ。
>>1で分るように邪馬台国は葛城。
>>2で分るように中平銘鉄刀という考古学的根拠もある。 朝貢年
266年 台与 天トヨ津
・
238年 卑弥呼 ヒメ(蹈鞴五十鈴)
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
後漢書東夷伝の倭国王帥升とはスサノオである。 >>130
あれは朝鮮半島にもあるし、銘がないので中華皇帝とは直結しない。 朝貢年
266年 台与 トヨ津
・
238年 卑弥呼 ヒメ踏鞴
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。
この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。
だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。
これが日本の歴史の真相である。 人物ではなく、平原遺跡の五尺刀のことだろ。
卑弥呼が魏からもらった刀だ。
平原遺跡の副葬品は鏡と服飾品ばかりだったが、五尺刀だけが武器だった。
玉や鏡と合わせると三種の神器にもなる。
三種の神器の成立過程を考える上でも興味深い。 >>132
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えこの有害サギブキジジイ! >>135
>人物ではなく、平原遺跡の五尺刀のことだろ。
>卑弥呼が魏からもらった刀だ。
平原は2世紀中頃から後半だろ。
卑弥呼がもらった五尺刀は3世紀だ。
五尺刀の最有力候補は金関さんも云ってたが東大寺山古墳の中平銘鉄刀だ。
なんでもパクるな。 日本最古の神社は大神神社ではなく高鴨神社だ。
大神神社は崇神の時代。
高鴨神社は孝昭の時代。
その高鴨神社よりさらに上座にあり、
もはやいつ頃出来たのかも分からない古い名神大社がある。
高天彦神社だ。
場所は御所市高天。
高天原最有力地である。
つまり高天彦神社は奈良盆地最上座に位置し、最古かつ最聖の神社である。
その高天彦神社の境内に径百余歩ほどの塚があり「奴婢」が埋葬されている。
http://9327.teacup.com/zenyamaren/img/bbs/0001836M.jpg
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
かつて葛城で土蜘蛛を退治した男がいた。
日向から来た神武である。
それはヒメ(踏鞴五十鈴)の時代でもある。 >>138
それは狗奴国王が貰った刀。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡とペアで。 >>140
東大寺山古墳の和邇氏は皇別氏族、つまり王族だ。
だから中華皇帝直結の」刀を保持してても不思議ではない。
対する平原なんて被葬者がどこの馬の骨かわからないではないか。
あそこは単なるミカン畑だったのだし。
頭が高い。 >>142
>和邇氏はどこから来たの?
孝昭天皇やそのお母さんのトヨ津姫は葛城。
女優・尾野真千子の通ってた青翔高校の隣に孝昭天皇の墓がある。 >>139
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えこのサギジジイ! 道教というのが哲学なのか宗教なのか微妙ですが、
鏡祭祀というのと
道教というのは
どれくらいの深度で関係があるのでしょうかね。
銅鏡だけでなく、他の美術品もひっくるめて、
道教思想が意匠として影響したのか、
それとも、鏡というものに、
太陽信仰と同じく道教が特別な意味を見出していたのか。 朝貢年
266年 トヨ トヨ津媛
・
238年 ヒミコ ヒメ(踏鞴五十鈴)媛
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。
この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。
だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。
これが日本の歴史の真相である。 まずヒミコが誰なのかキチッと考えれば、ヒミコは纏向にいないと答えが出て来る。
ヒミコもトヨも葛城にいた。
故・金関 恕さんの発見した「国宝」中平銘鉄刀の保持者である謎の豪族・和邇氏とトヨ、ヒミコは繋がっていた。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津━━ 懿徳
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
┣━━━━━━━┓
彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造)
ヒミコ、トヨをはじめ鴨族の墓は奈良盆地最上座の高天原(御所市高天)にある。
日本最古の神社の境内に径百余歩の塚があり土蜘蛛=奴婢を埋葬している。
https://goo.gl/ajTi3m >>149
真理は一人の天才にしか解明できないのだ。
君らのような烏合の衆では無理。 >>150
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのボケジジイ! 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 登美夜姫と活玉依姫の異同についてなら、疑問にも思っているので聞かないわけでもない。
いとこ同士かもしれないが。
その場合、神武は長髄彦の姪を娶ったことになる。
まあ、行き違いはあれど、登美の領主だからな。
あと、事代主の子というのは、後世の後付けだと思うぞ。
古事記を読めばわかるが、イスケヨリ姫の父親は不明だ。 あと、五十歩譲って、卑弥呼と神武が同世代というのもいいだろう。
だが大和は中国との交流がなかった時代だ。
筑紫には卑弥呼、大和には神武や饒速日がいた。 >>152
>天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
鴨主なんてどこにいるんだボンクラ。
>あと、五十歩譲って、卑弥呼と神武が同世代というのもいいだろう。
>だが大和は中国との交流がなかった時代だ。
あるよ。
中国製の小札革綴冑。
十数点のうち1点だけ九州で後は全部畿内。
これはおそらくトヨの朝貢時期に入手したのであろう。
そして金関さんの中平銘鉄刀。
九州には王権の謂れ自体がないのだがw
おまえの脳内の話しは止めろよな。 登美ってラーメン激戦区。
それだけ。
おまえ全邪馬連の掲示板で俺に論破され5回もトンズラしたやつじゃないかw
泣いてたのか?www すまん、その掲示板そのものを知らないから、別人だ。 「登美」に執着拘泥してるのはお前とアイツくらいだ。
まぁ別人というのも嘘であろう。 >>152
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早よ言えこのサギジジイ! ●安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
●卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴婢百餘人
日本の歴史は大量の奴婢(生口)の記述から始まる。
王権のある場所には王都があり、大量の奴婢がいたという事です。
王権の謂れと太古からの奴婢郷の両方が存在するところ。
どこでしょう?
葛城しかありません。
福岡の差別問題は比較的新しい。
葛城には国栖(くず くにす)に関わる地名も残ってます。
この時点で邪馬台国も帥升の住んだ所も決まりです。
高天原のある葛城でした。 >>132
いわゆる神武は複数の方を統合した存在。
即位の年代は出雲国が我が国で初めて王政を開始した時期を横領改ざん。
系譜上の神武は天村雲命(初代大倭国大王。)
その大后(嫁)は出雲国の東王家、富家から葛城に移住して分家独立した天日方奇日方命(登美家)の妹君で三輪山の初代祭主、媛踏鞴五十鈴日女命。
それに続くいわゆる欠史と言われている系譜も天村雲命の子孫らの王家、王朝。
事象(あれこれ詳細に記述される)上での神武は崇神と垂仁。なかんずく主に垂仁がリアル神武。 >>165
天村雲命のじい様(ホアカリ)と崇神や垂仁らの始祖、ニギハヤヒは同一人物(秦帝国(中国)からの渡来人(天照御魂大神/天津神))。
中国からの渡来人〜末裔ゆえに朝貢して権威付け云々の思考が働くのは自明の理?
要するに、在来王朝の出雲をかき回し滅亡させた挙げ句に、
遠い縁戚、身内同士が地みどろの権力勢力争ったのが大古代
ただ、畿内=葛城の出雲族、、登美家(大鴨)と高賀茂家の趨勢やご機嫌がそれらの勢力の明暗を分けたらしい。 >>165
>系譜上の神武は天村雲命(初代大倭国大王。)
天村雲命と奥さんを大切に祀っているのは日本中で阿波だけ。
軽々しく「天村雲命」を引き合いに出すべからず。 @阿波 >>166
ニギハヤヒ(ホアカリ/どちらも偽名)の日本での二度目の嫁さんが宗像家の市杵島媛命(=イザナミの二人(二度)目)で天皇家、物部王家の祖。
渡来一度目の嫁さんは所謂、事代主命の姉妹の天道媛命/高光媛命(イザナミの一人目)。
その父親は天冬衣。母親は宗像家の多岐理媛命渡来人某(稀代の大ペテン師。(天御中主/イザナギ/スサノオ、、ニニギ、))と の間に産まれたのが、、、五十猛。=天香語山。
二度目の嫁さん、市杵島媛との間にはホホデミ(天皇家/物部王家の祖)とホヤ媛が産まれ、
そのホヤ媛が異母兄のカゴヤマ/五十猛に嫁いで産まれたのが天村雲命。 >>167
神社の祭神は大和朝廷の強権を以てキキ神話に従うように原型を改ざんされていますから、、、 >>168
また、出雲国の西王家の神門臣家、味耜高彦(第9代副王(スクナヒコ)。)の妹君、大屋媛命もカゴヤマに嫁いで
、、、高倉下(紀伊国造の祖)を生んでいます 。(リアル神武、垂仁らはこの高倉下の子孫らにコテンパンに殺られて今の熊野本宮の元有った中洲(大齊原)に追い詰められ孤立化して進退窮まる)
味耜高彦の御子、多岐津彦が葛城に先住する登美家を頼って葛城に移住して高賀茂家を号して分家独立。
父親の味耜高彦を祠に祀り氏神と仰いだのが高賀茂神社の始まり。 >>169
>神社の祭神は大和朝廷の強権を以てキキ神話に従うように原型を改ざんされていますから、、、
よりによって、 日本中で阿波だけの神社がごろごろ有る理由は? @阿波 >>166
で、ニギハヤヒが中国からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、ニギハヤヒが中国からの渡来人であるとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
. 【登美の鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 >>173
で、ニギハヤヒが中国からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、ニギハヤヒが中国からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
テメエ、早く言えよバカヤロウ! >>173
>いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも周辺から拓殖に入った忌部一族であることになる。 @阿波 >>174
>で、ニギハヤヒが中国からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
中国からなんて言ってない!
高天原だよ! >>176
>高天原だよ!
高天原は阿波の山岳地帯だよ! @阿波 .>>165
>いわゆる神武は複数の方を統合した存在
>神武は崇神と垂仁。なかんずく主に垂仁がリアル神武
採点します。
0点。 古墳の序列は大>中>小だがそれ以外にもある。
立地場所だ。
上座>中座>下座になる。
実際、各地域の上座にはその地域の始祖王らしき人物の墓がある。
例を挙げれば河内の玉手山6号墳、森古墳群の雷塚古墳、讃岐の猫塚、佐賀の久里双水などなど。
では大和盆地の最上座とはどこか。
高天原(御所市高天)だ。
高天原(御所市高天)にある日本最古の神社の境内に径百余歩の塚があり、
魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
https://goo.gl/8CUXf1
トヨもヒミコもヒミコの父さんやお母さんも叔父さんや叔母さん、
そして男弟までみんな死後にこの地に埋葬され、高天原の神々になったのだ。 頭おかしい奴から見れば、まともな人もおかしく見えるらしい 大和盆地最上座の高天原にある日本最古の神社の境内にある、
奴婢(土蜘蛛)が埋葬されている径百余歩の塚に行ってきました。
この山、入れます。
鳥居をくぐり山の真ん中を通る道は高天彦神社への参道になってます。
とにかく石が多い。
20p大から1Mくらいのまで。
そして途中に墓群がありました。
そんなに古くなく江戸時代から明治あたりか。
神社の境内が墓地になっている。
古神道の特徴です。
おそらくずっとここが地元の墓地であったからでしょう。
「高天原にある日本最古の神社の境内」
何も難しい事はなかった。
卑弥呼の墓、単純明快な場所にあった、と私は思ってます。 >>184
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えサギジジイ! >>184
で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?
で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えサギジジイ! >>185
>>186
スレタイおよび>>2および>>181への反論は随時受け付けている。
まぁおまえには反論さえ思いつかないであろうが。 差別の問題は意味が大きいのだ。
なぜなら倭國王帥升の連れた160人の生口、
これは2世紀には王権の近くにかなり大きな俘囚郷があった事が推定されるからだ。
九州の差別問題は白村江の移配俘囚や黒田藩が姫路から連れて来た皮工をルーツとする以上、
弥生時代に大きな王権があったとは言えないのだ。
太古の日本列島において俘囚郷のあった大きな王権地と考えられるのは葛城だ。
この地の俘囚郷が20世紀の「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ」の水平社運動の聖地になるわけだ。
そもそも大和には移配俘囚が存在しない。
ならば大和の俘囚は7世紀以前から存在したということだ。
葛城には土蜘蛛と思われる国栖(くず、くにす)に関わる地名の被差別郷もある。
つまり弥生時代に俘囚郷があり王権があったのは葛城だ。
帥升ことスサノオは葛城にいた。
今も日本最古の高鴨神社に祀られている。
その後、王権は移動していない。
魏志の2世紀前半の其国の男王から3世紀後半のトヨまで王権は葛城にあった。
邪馬台国とは葛城だ。
ヒミコとはヒメである。
後にヒメ(踏鞴五十鈴)媛と表記される人物である。 >>192
ここは畿内説スレと違って流れが速くないので、ゆっくり議論できる。
ささ、君の反論を聞こうではないか。 「天孫」とは本来は大和朝廷のおひざ元である高天原(御所市高天)の鴨(神)族の血筋だと思ってます。
スサノオ=古事記の最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)=倭国王帥升。
蘇我の出自は葛城です。
本来は彼ら「葛城の流れ」が天孫であった。
大国主、大物主、彼らが天孫であった。
蘇我馬子の『天皇記』・『国記』にはそれが書かれていたのではないか。
乙巳の変で蘇我が破れ、「[天孫」の定義が替えられたのではないか、と思ってます。 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 >>196
もうおまえウザい、来るな。
おまえのくだらないレスを読むくらいなら静かに雨の音を聞いてる方がまし。 >>197
自分だってあちこち同じことを書いているくせに。
なぜ鴨族の出自について触れないのだ。
三島溝杭耳が神武東征を助けた話を出せば、筑紫から畿内に移住した開拓部族であったことがわかってしまうからだろう。 蘇我氏の祖は筑紫の覇権を握った倭王であった武内宿禰だからな。
順番を間違えるなよ。 >>19
>30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。
>・25代平均 応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年 11,28年
>・28代平均 応神天皇390年〜42代文武天皇没707年 11,32年
>・30代平均 応神天皇390年〜44代元正天皇没724年 11,13年
>・33代平均 応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年 11,33年
>・35代平均 応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年 11,17年
これ、無作為抽出をしていないから、全然ランダムにとったデータとは言えないよ
35代平均の値でも、応神から25代のデータは共有しているから、ここに上げた数値が
大きく動かないのは当然のこと
統計処理のやり方として、まったくなってないし、ほぼ意味がない >>198
>自分だってあちこち同じことを書いているくせに。
おまえのは全部脳内妄想が根拠。
鴨主って何だよ、日本書紀では鴨王。
いいかげんな話をするな。
鴨族の出自は出雲。
筑紫なんて全然関係ない、しゃしゃり出てくるな。 >>200
30代平均一つでもかまわない、11年弱が平均在位であることに変わりない。
文句あるなら自分で計算して数字を出してみろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています