崇神を4世紀初頭から前半の人物と仮定してみたら、
魏志倭人伝のトヨが崇神の数十年前にいるはずですから、
いわゆる「欠史8代」の時代の最高位の女性にトヨがいるかどうか探せばいいだけです。

トヨ津媛という女性がおります。しかも
金関 恕さんや和田萃さんの指摘していた中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇の母に当たりますから、
トヨとはまずこの人で間違いないであろうと断言できる訳です。

そしてヒミコがその少し前のヒメ(踏鞴五十鈴)媛であれば、その100年前の倭国王帥升がスサノオであり、
記紀編纂の際に始祖王の土下座という屈辱的史実を書けなかったという理由が判明しますし、
なぜ神武東征紀で猛々しい男王国を強調してるのかも、実際には女王国であったことをごまかすためだと分かります。

学者さんたちは神話の人物が実在したなどとは言いにくいのでしょうが、
ハインリヒ・シュリーマンがギリシャ神話の世界を掘り出して見せたことを思い出していただきたい。
考古学の原点が神話の発掘であったわけです。

だからニギハヤヒも実在、纏向遺跡は彼以降の物部の遺跡だとすれば、
瀬戸内勢力を引き連れて来たニギハヤヒと、
寺沢さんの言う「筑備讃播」が合うし、
ニギハヤヒの子・ウマシマジが、物部神社社伝で東海、北陸を征してる記述と、
纏向遺跡の搬入土器の6割が東海、北陸である事が一致するわけです。

なにより纏向に宮を構えた崇神の母が物部であるわけですし、
ホケノ山古墳の横穴式石室の時期がツバイチを支配してた物部守屋の時代である事とも一致します。