895日本@名無史さん2018/08/17(金) 17:44:23.11
弥生時代の硯が続々発見されている。

2世紀前半までには九州から出雲(田和山遺跡)、
そして三重(大城遺跡)まで西日本全体に文字文化が行きわたっていた。

壱岐の原の辻遺跡では楽浪の文物とともに大量の出雲土器が出土する。
これは弥生時代の日本のエスタブリッシュメントが出雲人であった事を意味する。

その出雲の神々はBC3世紀ころから畿内を中心に移住している(松帆銅鐸の放射性炭素測定)。
これは加茂岩倉の兄弟銅鐸の分布からも分る。

ならばヒミコの時代、王都は畿内にあり、彼ら出雲族が王であった。

彼ら出雲王がいたのは葛城であり、ヒミコとは事代主神の娘・ヒメ(踏鞴五十鈴)媛である。