★★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★
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邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。
10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015年久住編年でもこれが最有力。
そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人としてヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。
わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃)C懿徳
ヒメ踏鞴 B安寧
ヒメ踏鞴 A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武
神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。
つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。
※考古学的根拠「国宝」中平銘鉄刀・和邇氏の系図は>>2 訂正
×応神から30年後の平均在位は11年弱だから
〇応神から30代後の平均在位は11年弱だから >>53
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのサギブキジジイ! 葛城っていっても広い。
葛城の中のどこかで話がいろいろ食い違ってくるぞ
卑弥呼の王宮は奈良県大和郡山市矢田町のどこかだろう 何もないところばかり王都に持ち上げなければいけない畿内説は悲しいね。
それが桜井市だろうが御所市であろうが。 >>58
>葛城の中のどこかで話がいろいろ食い違ってくるぞ
高天原(御所市高天))の麓。
4世紀前半の崇神時代の大神神社より古い明神大社が複数ある。
この時点で3世紀のヒミコやトヨの王権は葛城だと決まりなのだが。
ヒミコの住んだ宮は長柄神社こと姫の宮が最有力であろう。 >>60
>ヒミコの住んだ宮は長柄神社こと姫の宮が最有力であろう。
ヒミコの住んだ宮より、民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群を探しなさい。 それが先決事項。 @阿波 >>61
>民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群
それは田原本でも鴨都波でも唐古鍵でもどこでもいい。
聖地・高天原(御所市高天)は健在なのだから。 >>62
>それは田原本でも鴨都波でも唐古鍵でもどこでもいい。
そんな鴨都波や唐古鍵より、民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群を探しなさい。 それが先決事項。 @阿波 >民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群
例えば日本全国のどの弥生末期集落遺跡群なら@阿波の許容範囲内なの? >>62
>聖地・高天原(御所市高天)は健在なのだから。
根拠なし。 >>64
例えば
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡 @阿波 >>67
そりゃ、そうだろう。 「阿波」を知らない「井の中の蛙」なんだから。 @阿波 卑弥呼の王宮は奈良県大和郡山市矢田町
鳥越憲三郎がいってるからこれで決まりw >>65
>>聖地・高天原(御所市高天)は健在なのだから。
>根拠なし。
根拠なしって、今も日本最古の明神大社が複数存在している。
ヒミコなどの王族がどこに住んだか。
人間が生きていくために最も必要な物、それは水であり、彼ら王族が住んだのは水源だ。
高鴨神社、長柄神社、高天彦神社、ことごとく水源だ。
この中の長柄神社(姫の宮)が最もふさわしい。
祭神はシタテルヒメ。
お父さんは大国主、お母さんは宗像三女神。
それを示すように神社北から銅鐸と多鋳細文鏡が出ている。
出雲の祭器(銅鐸)と北部九州の祭器(多鋳細文鏡)である。
この最良の水源にある王宮がシタテルヒメ一代で終わるわけはない。
ヒメ(踏鞴五十鈴)=ヒミコが住んだのもここであろう。 >>69
何もない。
せめて明神大社の一つでもあれば。 一般に大神神社が日本最古などと言われてるが意味が分からない。
高天原(御所市高天)近辺にある孝昭天皇の頃に社殿が創建された高鴨神社、
弥生時代の遺跡のある長柄神社や高天彦神社の方が古い。
その中でも最古にして奈良盆地最上座の位置にある高天彦神社、
ここの境内に径百余歩の塚があり奴婢が埋葬されている。
http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/87_18_2.jpg
埋葬された奴婢とは土蜘蛛だ。 >>72
御所市高天の高鴨神は、阿波国加茂の「鴨神社」からの勧請である。 頭が高い。 @阿波 奈良の田舎を基準にされてもねえ。
関東でさえ、天穂日命が創建したと伝えられる関東最古の大社である鷲宮神社があり、縁起の通りなら天孫降臨よりも前、それこそ神武より何代も前になる。
高天彦神社なんて、演技もろくにわからないではないか。 >>74
> 関東でさえ、天穂日命が創建したと伝えられる関東最古の大社である鷲宮神社があり、縁起の通りなら天孫降臨よりも前、それこそ神武より何代も前になる。
◇栃木県下都賀郡石橋町橋本の鷲宮神社祭神は天日鷲命。
「天日鷲命」は勿論、忌部の始祖神ですね。 @阿波 >>74
御所市の高天は古くから高天原最有力地であり、
神武が来た時には、当地に事代主神や鴨王がいたわけで、つまり大和朝廷発祥地。
その神武以前の王権は考古学的にも弥生時代から始まっている。
関東の例など何の反論にもならん。 >>75
>せめて明神大社の例を出せ。
倭国(阿波)でもいいかな?
延喜式内明神大社
・天石門別八倉比売神社(社名自体が荘厳だね)
・一宮神社
・上一宮大粟神社 >>77
事代主も鴨王も、外来の征服者だろう。
本家の筑紫や出雲の宗家の存在を無視するなよ。
大和はそれらの出先の植民地。 >>80
>本家の筑紫や出雲の宗家の存在を無視するなよ。
いやいや、ちゃっかり便乗しちゃ遺憾だろ。 @阿波 >>80
鴨は神、アイヌ語のカムイ。
>出雲の宗家
無視していない。
加茂岩倉と兄弟銅鐸である松帆銅鐸がBC2〜BC4世紀。
このころに出雲から近畿〜関東にかけてカモ(神)族が移住したのであろう。
カモ地名はもちろんカミ、カノ、クノ、クナという地名が残る。
>本家の筑紫
豚骨ラーメンの話? >>78
>格付けははるか後世のものだから無意味
はるか後世でさえ、高位にランクされてない神社の例を出すな。 >>82
>鴨は神、アイヌ語のカムイ。
どうかな?
鷲とか鷹とか熊もよくある名前だから、氏族のトーテムという説もある。
まあ、熊も隈、神から転じたらしいけど。
古代の王族は全て神だから、鴨王だけ特別なわけではない。
それをさも特別なように語るのは詐欺。 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 神奈(カナ)川
鎌(カマ)倉
カモ地名はどんどん見つかる。 >>84
>古代の王族は全て神だから、鴨王だけ特別なわけではない。
鴨族以外の古代の王族って誰?
弥生時代には文字があったのだから王統伝達できたわけで文献から出せるよね?
言え。 天照大神の孫である天孫邇邇芸は、筑紫日向の高千穂宮で即位しました。 天孫邇邇芸は日向の高千穂宮だろうね。
でもアマテラスの宮がないよね? 天照は高天原にいて、邇邇芸だけが筑紫に降臨しました。
高天原からは、出雲へも筑紫へも関西へも船で移動したことが記紀の記述から伺えます。 >天照は高天原にいて
具体的にどこ?
神武以前なのだから、さぞかし高名な明神大社なんだろうね? 明神って神仏習合後の新しい概念であろうがなかろうが、
弥生時代の遺跡がある水源地に建つ明神大社は古代より霊験あらたかで神々の地にふさわしい。
筑紫ではどこ? 筑紫から神武が渡ったなら、
筑紫は王権の祖地なんだから、
神武以降も当然「王」がいたわけだね。
誰なんだろ、そして神武以後どうなったのだろ。
スズリが発見されて弥生時代から文字があったわけだから、
当然「王統譜」が残ってるはずだよね? >>100
九州王朝だよ。
ただし主な記録は記紀の編纂と同時に禁書令が出て消滅された。
焚書だね。 征服者が偉そうにするのは良くないな。
地元の民が一番。
所詮征服者の王朝など長続きしない。 >>103
出た!
九州王朝 禁書 消滅www
楽なもんだなw >>88
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのサギブキジジイ! >>105
禁書の詔が出されたことは確かだからね。 >>109
「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」
『続日本紀』
元明天皇和銅元年(七〇八)正月条 聖徳太子と蘇我馬子が編纂したと言われる『国記』『天皇記』は、
おそらく葛城史観で書かれてたと推測している。
日本では崇神天皇の時代にクーデターがあった。
出雲の神宝が奪われ、
出雲国造が置かれ、
最後の大物主(阿田賀多須」の鎮靈のために大神神社が建てられた。
倒された前王朝のルーツは葛城にあった。
そして蘇我は葛城出自であることを自称している。 >>110
だからと言ってなんで九州に王朝があったなんてヨタ話になるの? >>112
九州にもともと王朝があったことは弥生墳墓からおおよそ確定。
問題はいつまでそれがあったのか。
一番遅くにまで仮定するのが九州王朝説だが、その滅亡の時期は白村江の敗戦の少し後で、まさに禁書令の直前になる。 『日本書紀』皇極4年6月条に
蘇我蝦夷等誅されむとして悉に天皇記・国記・珍宝を焼く、船史恵尺()、即ち疾く、焼かるる国記を取りて、中大兄皇子に奉献る
焚書とはこの国記だろう。
それを九州王朝だなんて訳わからん。
やれUFOだネッシーだと同じ次元。 >>113
平原かい?
王朝なわけないだろ。
平原・曽根遺跡群は5世紀まで墳墓があるのだが、
その貧弱さは王朝などととても言えやしない。 「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」
『続日本紀』
元明天皇和銅元年(七〇八)正月条 >>117
>台与の代で伊都から出た
ちょうど那珂八幡古墳の頃だ。
那珂八幡って誰の墓? 壹與と誘導したいのかな?
残念でした!
祇園山古墳でした! >>111
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのサギブキジジイ! >>120
祇園山古墳は5世紀の須恵器の時代まで続いた集団墓。
バカなのかw いくらなんでも、そんなに長く墓地を使い続けるとは思わないけど。
畿内説は自説に矛盾する事実を言いくるめようと嘘を吐くからな。 >そんなに長く墓地を使い続けるとは思わないけど
思う思わないではなく事実。
それはともかく祇園山の主体埋葬部の調査は済んでるのか?
どっちみち2世紀前半の男王の墓まで説明しなければいけないのだから無理だよ、あきらめろ。
まぁそれ(説明)は纏向も無理なんだけどね。 筑紫の話なんてどうでもいいのだ。
>>1で分るように邪馬台国は葛城。
>>2で分るように中平銘鉄刀という考古学的根拠もある。 朝貢年
266年 台与 天トヨ津
・
238年 卑弥呼 ヒメ(蹈鞴五十鈴)
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
後漢書東夷伝の倭国王帥升とはスサノオである。 >>130
あれは朝鮮半島にもあるし、銘がないので中華皇帝とは直結しない。 朝貢年
266年 台与 トヨ津
・
238年 卑弥呼 ヒメ踏鞴
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。
この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。
だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。
これが日本の歴史の真相である。 人物ではなく、平原遺跡の五尺刀のことだろ。
卑弥呼が魏からもらった刀だ。
平原遺跡の副葬品は鏡と服飾品ばかりだったが、五尺刀だけが武器だった。
玉や鏡と合わせると三種の神器にもなる。
三種の神器の成立過程を考える上でも興味深い。 >>132
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えこの有害サギブキジジイ! >>135
>人物ではなく、平原遺跡の五尺刀のことだろ。
>卑弥呼が魏からもらった刀だ。
平原は2世紀中頃から後半だろ。
卑弥呼がもらった五尺刀は3世紀だ。
五尺刀の最有力候補は金関さんも云ってたが東大寺山古墳の中平銘鉄刀だ。
なんでもパクるな。 日本最古の神社は大神神社ではなく高鴨神社だ。
大神神社は崇神の時代。
高鴨神社は孝昭の時代。
その高鴨神社よりさらに上座にあり、
もはやいつ頃出来たのかも分からない古い名神大社がある。
高天彦神社だ。
場所は御所市高天。
高天原最有力地である。
つまり高天彦神社は奈良盆地最上座に位置し、最古かつ最聖の神社である。
その高天彦神社の境内に径百余歩ほどの塚があり「奴婢」が埋葬されている。
http://9327.teacup.com/zenyamaren/img/bbs/0001836M.jpg
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
かつて葛城で土蜘蛛を退治した男がいた。
日向から来た神武である。
それはヒメ(踏鞴五十鈴)の時代でもある。 >>138
それは狗奴国王が貰った刀。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡とペアで。 >>140
東大寺山古墳の和邇氏は皇別氏族、つまり王族だ。
だから中華皇帝直結の」刀を保持してても不思議ではない。
対する平原なんて被葬者がどこの馬の骨かわからないではないか。
あそこは単なるミカン畑だったのだし。
頭が高い。 >>142
>和邇氏はどこから来たの?
孝昭天皇やそのお母さんのトヨ津姫は葛城。
女優・尾野真千子の通ってた青翔高校の隣に孝昭天皇の墓がある。 >>139
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えこのサギジジイ! 道教というのが哲学なのか宗教なのか微妙ですが、
鏡祭祀というのと
道教というのは
どれくらいの深度で関係があるのでしょうかね。
銅鏡だけでなく、他の美術品もひっくるめて、
道教思想が意匠として影響したのか、
それとも、鏡というものに、
太陽信仰と同じく道教が特別な意味を見出していたのか。 朝貢年
266年 トヨ トヨ津媛
・
238年 ヒミコ ヒメ(踏鞴五十鈴)媛
・
・
・
・
・
107年 倭国王・帥升 スサノオ
つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。
スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。
この屈辱的な史実を日本書紀は書けなかった。
だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。
その結果100歳を超える天皇が誕生した。
そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。
さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、
女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。
そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。
これが日本の歴史の真相である。 まずヒミコが誰なのかキチッと考えれば、ヒミコは纏向にいないと答えが出て来る。
ヒミコもトヨも葛城にいた。
故・金関 恕さんの発見した「国宝」中平銘鉄刀の保持者である謎の豪族・和邇氏とトヨ、ヒミコは繋がっていた。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津━━ 懿徳
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
┣━━━━━━━┓
彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造)
ヒミコ、トヨをはじめ鴨族の墓は奈良盆地最上座の高天原(御所市高天)にある。
日本最古の神社の境内に径百余歩の塚があり土蜘蛛=奴婢を埋葬している。
https://goo.gl/ajTi3m >>149
真理は一人の天才にしか解明できないのだ。
君らのような烏合の衆では無理。 >>150
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?
で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
今言えこのボケジジイ! 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。
その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。
この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 登美夜姫と活玉依姫の異同についてなら、疑問にも思っているので聞かないわけでもない。
いとこ同士かもしれないが。
その場合、神武は長髄彦の姪を娶ったことになる。
まあ、行き違いはあれど、登美の領主だからな。
あと、事代主の子というのは、後世の後付けだと思うぞ。
古事記を読めばわかるが、イスケヨリ姫の父親は不明だ。 あと、五十歩譲って、卑弥呼と神武が同世代というのもいいだろう。
だが大和は中国との交流がなかった時代だ。
筑紫には卑弥呼、大和には神武や饒速日がいた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています