>>20
>卑弥呼より後だよ。

纒向石塚の北東200m近辺は、庄内土器の出る範囲の中
纏向遺跡が大きくなるのは布留式土器の時代になってからとよく九州説は言うけれど、
この鉄鍛冶跡は、初期からの纏向遺跡の範囲内

>畿内説が持ち出すのは常に微妙に後の時代のもの

そうはいうけれど、弥生終末期と古墳時代は、
古墳を作ること、古墳祭祀が首長継承儀礼となること以外には、
社会構造の変化が見られない

古墳時代の最初の古墳は、弥生終末期の遺跡との対応関係がはっきりしている
箸中山古墳の母集落は纏向遺跡だし、九州でいえば那珂八幡古墳は比恵那珂遺跡
築山古墳は三雲遺跡群

古墳時代最初期は、卑弥呼の時代と直接繋がっているのだから