>>752
九州説
倭の王都である伊都国にあった超大型内行花文鏡は八咫鏡の同范鏡であり、卑弥呼の時代に作られた。
複数の枚数を鋳造したが、卑弥呼の葬礼において一部を除いて破鏡した。
倭の独自解釈で径二尺、周八咫とされ、八咫鏡の名称が与えられた。

畿内説
天皇家の八咫鏡はもっと小さく貧弱だ。
記紀によれば百万年以上前に作られた。
平原遺跡の鏡は国産だから権威はない。