邪馬台国畿内説が破綻したのは何時か
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某国人が好んでチョッパリと言いたがるのと同じ感性なんだろうな
キナイコシ連呼はw ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 1、内乱の激しい中国や、2世紀末の倭国大乱の影響を避けるため、 人口も多く、日本の中心に位置しており、都にふさわしい。 その結果、3世紀には、中部日本と西日本とを統一する大和朝廷が成立した。 女王国の出現は、このような広い領域を支配する国家の誕生であった。 3、卑弥呼が魏からもらった鏡は三角縁神獣鏡である。 その証拠に、卑弥呼の時代である「景初三年」の銘が入っているものが出土している。 三角縁神獣鏡は、畿内から数多く出土するが、九州や関東からも出土するので、 古墳時代の前、すなわち鏡が輸入された卑弥呼の時代には、 大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。 伊都国以降も一直線に繋がったもの(順次式)と見るべきである。 不弥国から東は、船で行った。航路としては、瀬戸内海ルートだけでなく、 5、「女王国の東に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」 との記述は、 伊勢湾や琵琶湖を渡ったむこうにも、倭人がいたことを述べている。 「可能性もある」じゃないよ。
畿内まで行った可能性はないんだよ。 >>232
>畿内まで行った可能性はないんだよ。
言いっ放しじゃなく「根拠」を挙げて「論証」しないと!
北部九州から水行20+10日、陸行1月の合わせて二ヶ月かけて行く遠地なんだよ
この時点で九州はムリ ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 三角の鉄鏡が鹿児島に伝世されてたから
畿内で大々的に配布されたかもしれんが元は九州からもたらされたものだよ >>239
>三角の鉄鏡が鹿児島に伝世されてたから
それはどこから来たの?
三角縁神獣鏡は、大陸中華にはないんじゃなかったの?
九州説はそう言ってたよね?
だから卑弥呼の鏡じゃないって筋立てだっただろ? ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 鹿児島なんて文明の届かぬ土地だろ。
弥生文化発祥の地である福岡と同列にしてもらえると思うなよ。 畿内説スレを荒らしてる奴が
無駄スレを乱立させてるのか >>240
大陸にはないけど台湾にはあるよ。
ちょと出張中だから日曜日まで待ってな。 「張氏車騎神獣画像鏡」という後漢鏡とか
ググってみて 畿内説だと...
大国主 そんな人はいません、ただの伝説です
アマテラス そんな人はいません、ただの伝説です
ニニギ そんな人はいません、ただの伝説です
木花咲耶姫 そんな人はいません、ただの伝説です
神武 そんな人はいません、畿内王権は自然発生したのであり、筑紫から流入した勢力などありません
卑弥呼 そんな人はいません、実は◯◯姫で、王宮は纒向4棟だけです
九州説だと...
大国主 筑紫の前の倭王です
ニニギ 倭国の王都を筑紫伊都に定めた倭王です
木花咲耶姫 三雲南小路遺跡にニニギとともに葬られた王妃です
神武 筑紫を出て大和に入りました
卑弥呼 筑紫の日向の伊都でクジフル山に高千穂宮の楼閣高くして千人の奴婢が仕え、太陽を象徴する史上最大の「八咫鏡」を持ち、その墓は伊都国代々の王家と同じ方形周溝墓であり古代神道の成立を示す鳥居に守られていました >>251
>ちょと出張中だから日曜日まで待ってな。
日曜日過ぎて、月曜日になったけれど、待ってるから教えてね しー、一般人と、違う世界が見える人なんだよ(小声で)
そっとしておいてあげなさい >>256
九州説の信者は神話と歴史をごっちゃにする既知外だとよくわかるレスだね 畿内説は西暦700年以前はすべて絵空事にしてしまいそうな勢いだからね。 >>265
笑わせるw
オマエの考えでは700年が神話と歴史の境なのかw 畿内説の誰かだよ。
で、君は記紀のどこまでが神話で、どこからが史実だと思う?
批判するだけなら楽だよねえ? >>267
>記紀のどこまでが神話で、どこからが史実だと思う?
横レスだけど、私見を述べると
倭の五王の最後、雄略天皇からこっちは、文字記録が残っていたと考えてよい
(現代まで残っているという意味ではない)
そのあたり以降が、確実な有史時代 その前は、いわゆる応神王朝までは、それなりに確実な存在と見てよいが
日本書紀の暦法が元嘉暦から儀鳳暦に変わるところ以前は、暦年のついた
記録は残っていなかったことがほぼ確実 そして、景行天皇から応神天皇までの部分は記紀の系譜が
最も混乱している部分で、史実をどこまで反映しているかは疑問 ある程度の尤もらしさをもって遡れるのは、纏向遺跡付近に宮都を置いた
崇神天皇まで、ということになる そして、日本書紀そのものの記述では、神武天皇が東征を開始する前の時点で
自天祖降跡以逮于今「一百七十九萬二千四百七十餘歳」と述べていて、
天孫降臨から神武まで179万2470年と書いているから、神武より前は
全て神話、ということになっている 一方、古事記では、上中下の3巻構成で、中巻の最初が神武天皇、
下巻の最初が仁徳天皇となっているので、神武天皇の前までの上巻が神話、
下巻の仁徳天皇以降は確実な歴史、という扱いになっている いずれにしても、九州説が大事にしている日向三代は、何がどうあろうと
神話の範囲だよ
神話をもとにして、歴史を語ろうとするのは、危ういというか無理がある >>267
>批判するだけなら楽だよねえ?
で、>>267は、批判と逆質問以外の何を書き込んでくれるのかな? >>274
一万何千年なわけはなく、古事記上巻に書かれたのが筑紫の王家についてなのだから、その実年代はそれほど古くない。
神武が3世紀くらいの人物なら、その直前の2世紀くらいまでが神代になる。
それは伊都国や倭奴国の時代であり、記紀では筑紫に王家がいたと書いてある。
これは神話ではなく、ただの歴史書だ。
中国から見た九州北部の倭が、記紀では筑紫にあった倭だ。
筑紫が九州北部なのだから、当たり前と言えば当たり前。 >>276
>卑弥呼じゃないじゃん
>>267の「記紀のどこまでが神話で、どこからが史実だと思う?」に対する回答なんだから、
記紀の人物について答えるに決まってるじゃないか
そして、多くの人が卑弥呼だと想定する倭迹迹日百襲姫命は崇神紀の登場人物 >>277
>一万何千年なわけはなく、
よく読んで!
一万何千年なんてスケールではなく
「179万2470年」だよ
つまり、日本書紀の編纂において、天界から降りてくるとか、鰐から生まれるとかいうのは、
完全に神話の世界として、初代天皇に位置づけた神武天皇とは切り離してしまっている
ここらでうろついてる九州説の人たちより、よっぽど理性的な態度だよな! 九州の倭王でもある応神天皇までは架空の存在に落とし込めて、次の仁徳天皇からを史実とするということだね。
九州の倭王である日向三代を架空の存在として、神武からを人皇とするのと同じパターンだ。
上巻から中巻にかけて、中巻から下巻にかけて、同じ仕掛けを繰り返し使っているわけだ。
それにまんまと引っかかり続けていると。
しかし九州北部、もっとはっきり言えば筑紫に紀元前から王権があったことは考古学的に明らかなんだよ。 >>279
>つまり、日本書紀の編纂において、天界から降りてくるとか、鰐から生まれるとかいうのは、
>完全に神話の世界として、初代天皇に位置づけた神武天皇とは切り離してしまっている
典型的な誉め殺しだねえ。
過剰にもてはやすことで現実性をむしろ剥奪したんだね。
よほど畿内政権にとって筑紫倭国は目の上のたんこぶだったんだろう。 >>277
>神武が3世紀くらいの人物なら、その直前の2世紀くらいまでが神代になる。
崇神天皇が3世紀で神武天皇は、記紀の系譜では9代前、宝賀寿男氏の古系図の
研究からの推定では5世代前に当たるそうだ
1世代20年で回せば100年前、30年で見れば150年前になる
神武天皇は2世紀か1世紀半ばくらいになるよ >>282
8
>崇神天皇が3世紀で
応神天皇が文献志的(百済王との対比)にも考古学的(須恵器の編年)にも4世紀末、390年が妥当。
ならばせいぜい3〜4世代遡って10代崇神。
崇神は4世紀前半であり、古事記の没年干支が正しいなら318年没であろう。
>神武天皇は、記紀の系譜では9代前、宝賀寿男氏の古系図の
研究からの推定では5世代前に当たるそうだ
それは賛成。
だから神武は卑弥呼時代になる。
ヒミコとはヒメ(踏鞴五十鈴)媛だ。 神武が卑弥呼と同時代なら、その直前の日向三代が1-2世紀の伊都国(倭奴国)にいた倭の男王70-80年。 >>284
>ならばせいぜい3〜4世代遡って10代崇神。
記紀の系譜が正しいとは言わないが、記紀では「6世代」だ
3〜4世代と考える根拠はなんだ?
それが自分の論旨に合うから、では話にならないぞ >>286
>神武が卑弥呼と同時代なら、
神武は卑弥呼の5世代前くらい
日向3代はもっと前 >>285
>たまたま時代が同じだけで、地域が違うんだろう。
倭国内は交流が盛んだから、時代が同じなら畿内を差し置いて
九州が倭国を代表するのは無理だって >>289
逆だろ。
筑紫を差し置いて畿内が外交を結ぶことは不可能。 >>288
日向王家の神武が倭国大乱で筑紫を脱出した後に卑弥呼が共立されたんだろ。
だから卑弥呼は記紀に登場しない。 >>288
神武は卑弥呼よりずっと後の時代の人だよ。 >>290
>逆だろ。
>筑紫を差し置いて畿内が外交を結ぶことは不可能。
筑紫を差し置いて、ていうのが意味不明
この時期、筑紫最大勢力の奴国(比恵・那珂遺跡群)は、
既に畿内の出先・衛星国のようになっている
卑弥呼を共立した、一つの倭国の枠組みの中の、玄関口としての
位置づけくらいのものだぞ、その頃の北部九州は >>294
>この時期、筑紫最大勢力の奴国(比恵・那珂遺跡群)は、
>既に畿内の出先・衛星国のようになっている
最大勢力なのに出先?
言っていて矛盾に気がつかない?
畿内の文化を(他の地域の文化と同様に)筑紫が吸収しただけだよ。 神武が卑弥呼より後ということは流石にないだろ。
その後の4世紀末までに崇神も景行も応神も入れなきゃならない。 >>295
>最大勢力なのに出先?
きちんと引用しような
「筑紫」最大勢力だ
奴国は二萬餘戸
投馬国は五萬餘戸
邪馬台国は七萬餘戸、と魏志倭人伝にも明記されていて、
奴国は倭国の最大勢力ではない
より大きな邪馬台国、ヤマト国の九州における協力者、出先のような立場になっている 投馬国は邪馬台国と並列だから、女王の支配領域ではないし、領域の合計の人口だから。 >>297
崇神、景行、応神は九州倭国の王で
神武はそこから分かれて畿内に植民したんだよ
神武から欠史8代がき大和王権の先祖で
その後に天武が続く。 >>295
3世紀の畿内に文化とか無いよw
出品を比べてみろ。 >>299
>投馬国は邪馬台国と並列だから、女王の支配領域ではないし、領域の合計の人口だから。
また、いかなる史料にも書いてないことを、謎解釈で言い出すしww
投馬国には、不屬女王なんて書いてないだろ? >>300
>崇神、景行、応神は九州倭国の王で
この妄想の出所はどこ?
古田史学の会?ww >>301
>出品を比べてみろ。
二科展とかかい?w >>305
>宮が九州にあったからだろ。
崇神の九州の宮ってどこだい?
行宮って言葉、知ってるか?
応神も九州生まれだが、応神の宮は九州にないだろ?
適当なことを言ってるなぁw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています